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空想未来小説  作者: 宇多瀬与力
7/11

「……だけど、なんで俺達は兄貴を尾行しているんだ?」

 上野公園で、行き交う人々の隙間を縫いながら光昭の後を追う最中、和昭が不意に成平に聞いた。

 成平は嘆息しつつ言った。

「何を言っているんだい。光昭さんは自らの意思で僕らの前から姿をくらましたんだ。つまり、僕らにこれからしようとしていることを知られたくないと思っている。それで、もし僕らが話しかけてみろよ」

「逃げられるか、話をはぐらかされる」

「そう言うこと」

 成平は頷いて言った。しかし、二人の視線は、常に前方を歩く光昭から逸らさない。

 光昭は、着勝手の良い半袖の洋服姿で、片手には半透明の袋を持っていた。

「あれはコンビニの袋だ」

 成平は目を凝らすと言った。コンビニというのは、二十一世紀の日本中にある年中無休二十四時間昼夜営業を行う雑貨商店の総称である。握り飯や弁当など多数の飲食物を始め、何でも取り扱っている便利な店である。

「よく見えるな?」

「僕は遠視目だ。遠くの物に関しては、並の人よりも良いよ。……食料かな?」

「さあな。何せコンビニだ。武器の可能性だってある」

 和昭は声を落として言った。一瞬、成平の背筋を冷たい汗が流れる。

 そうこうしている内に、光昭は不忍池の前まで移動した。彼は周囲の様子を伺いながら、池の脇にある用具倉庫の裏へと隠れた。

 咄嗟に木陰に身を隠した二人は、直ぐに用具倉庫へと駆け寄った。慎重に物音を立てない様に近づき、用具倉庫の裏をゆっくりと覗き込んだ。

「あれ?」

「いない」

 そこには光昭の姿はなかった。茂みの中へ入った可能性もあるが、うっそうと茂る草木を人が歩けば、その形跡があるはずであるが、それは用具倉庫の裏の僅かな空間だけで消えていた。

「まさか……消えた?」

 青ざめた顔で呟く和昭の肩を、成平は叩いた。

「足元をご覧よ」

「ん? ……あ」

 和昭の足の下には、下水道の排水溝があった。しかも、よく見るとその蓋は金属製ではなく、軽い木製になっており、その周囲の土が擦れていてごく最近に動かされた形跡がある。

「この下だ」

「しかし、下水道だぞ? 行っても大丈夫か?」

「大丈夫だろう。光昭さんが下りているんだし、雨水を流す為の物だと思うから、トイレの排水とかは流れていないと思う」

「そうではなくて、装備もなしに下りれるのか?」

 和昭が聞くと、成平は指を振る。

「大丈夫。こんなこともあろうかと小型扇風機と頭部に装着できる小型電灯を持ってきている」

 成平は自慢げに鞄の中から、先の小型扇風機と小型電灯が付いたハチマキを取り出した。

「よし、俺から行く!」

 和昭は勢い込んで成平の手か小型電灯を取ると頭に結ぶ。

「いいけど、気をつけろよ? 落ちたら大変だ」

 排水溝の木蓋を開ける成平が注意を促すが、和昭はそんなことを気にする様子もなく、吸い込まれそうな漆黒の闇に包まれた排水溝の中へと下りていく。

「大丈夫だ。俺が落ちる訳ないだろう……がっぁあああああああ!」

 昇降用の釘に足をかけて下りる和昭は、余裕を見せて片手をひらひらと振る。が、その直後、足をかけそこない真っ直ぐ排水溝の底へ落ちていった。


「だったら、ケータイ使えばいいじゃない」

 翌日も、賀集はいつもと変わらず菜々の部屋に来ていた。岩倉邸に着くまではどうにも菜々への接し方に悩んでいた賀集であったが、いざ部屋に入ってみれば小説執筆に思考は切り替わり、菜々が何者であるか、自殺の理由は何かなどという雑念は一瞬でどうでもよくなった。

「ケイタイ? それは道具なのか?」

賀集は菜々に聞いた。賀集は、菜々に屋外で他の人と連絡する手段はないかと聞いたのだ。その返しが、先の返答である。

「携帯電話よ、これは名前のまま。電話がこれくらいのおおきさで、電波が入ればどこでも電話もメールもできるわ」

 菜々は手で携帯電話の大きさを説明しながら言った。

「電波? つまり、電波受信をすることで無線通信を可能にしているのか。……しかし、メエルとは手紙の英語か?」

「そうね」

「……成程。他のものは送れないのか? 例えば、写真や新聞などは」

「写真……写メなら、ほとんどのケータイができるわよ。新聞も、読める機種もあるって話は聞いたわ」

 菜々はメモをまとめる賀集の質問に答える。彼は頷きながら、紙に携帯電話のメモ書きをまとめた。

「うん。実に未来世界的な道具だ。それで、その携帯電話は高校生の彼らが持っていても不思議な品ではないのかい?」

「まぁ最近は子どもから持っているわよ。というか、高校生には必需品ね。ちなみに、このメールのやり取りをする友達同士の事をメル友とか言ったりするわ」

「メル友?」

 賀集が顔を上げる。菜々は頷いて説明する。

「そう。メール友達の略で、メル友。賀集さんも後80年くらい生きれば、私がメル友になってあげるんだけどねぇ」

「そんなに生きられるわけがないだろう?」

 賀集は苦笑しつつ、紙にメエル友達、略称メル友と書き記す。

「そんなのわからないじゃないの。未来の医療は凄いんだから! だから、約束よ。もし21世紀まで賀集さんが生きてたら、私とメル友になること! いいわね?」

「わかった、約束だ。………それで、この携帯電話以外には、どんな便利な機械が存在する?」

「そりゃ色々とあるわよ。でも、ケータイほど便利なものというと……あ、パソコンね」

「パソコン?」

 賀集が首を傾げる。

「そう。確か、正式名称をパーソナルコンピュータ。略してパソコンね。元々は勝手に計算してくれる便利な算盤みたいなものだったらしいけど、私からすればインターネットを使う道具にしか過ぎないけど」

「インタアネット? なんだい、それは?」

「うっ……、難しいわね。アレは……そう! 世界中のパソコンと情報のやりとりができる仮想世界みたいなものよ! さっき説明したメールもそのインターネットを使って送っているのよ」

「実に未来的な話だな。つまり、未来には仮想世界があって、そのパソコンとやらがその出入り口なのか?」

「出入り口じゃないわ。窓口と言った方が近いと思う。パソコンって、算盤って説明したけど、形は画面とキーボードとマウスがある……あーもう! 描いて説明する!」

 菜々は、賀集から紙をひったくると、デスクトップパソコンの絵を描く。

「………コレが、画面で、これがキーボードで、これがマウスで、これが本体。……わかる?」

「モノはわかったが、今一自分には理解できない」

「だよねぇ~」

 予想通りの回答に、菜々は溜息をついた。同時にその体がブルッと震えた。

「どうした?」

「ううん、ちょっと寒気。なな子さんは冷え性かしら?」

 菜々は両腕をさすりながら呟いた。よくよく思い起こすと、少し風邪気味の様で気だるそうにしている事が今日は多かった。

「風邪気味なのかもしれないな。……今日はもう切り上げた方がいいかもしれない」

「何を言うの! まだパソコンの説明が終わっていないわ!」

 菜々は使命感に駆られた兵士の如く、拳を握り締めて賀集に訴えた。そして、賀集が椅子に座りなおして嘆息するのを確認すると、菜々は手を打った。

「こっちのパソコンならややこしい説明をしなくていいわ。……これよ!」

 再び紙に菜々はパソコンを描く。今度は俗にノート型と云われるラップトップパソコンの絵だ。

「その名もノート型パソコンよ」

「成程、大学ノオトの形を模しているのか。……しかし、それでは向きが縦横逆だな」

「うぅ……妙に細かいところを気にするわね。いいのよ、大きさと形がノートを彷彿させるんだから!」

「あ、嗚呼」

 最早、強硬的と云える主張で賀集に無理やり納得させ、菜々は説明を続ける。

「こっちの上が、画面。この中に文字や画像が表示されるの。そして、下がさっきから出てるキーボード。文字を打ち込むところで、タイプライターと同じよ」

「成程な。やっと理解できた。タイプライタアで打ち込む文字が、紙の代わりに画面に打ち出される訳だな?」

「そうそう! 流石、賀集さん! 空想小説作家の肩書きは伊達じゃないわね!」

 久しぶりに会話が成立して、菜々は感激して賀集を褒め称える。

「おいおい、まだ作家になった訳ではないよ」

 賀集は照れながら訂正する。そして、彼は絵のパソコンから伸びるマウスを指差した。

「で、これは?」

「マウスよ」

「……鼠?」

「まぁ、それっぽい形だから付いた名前だった気がするけど。マウスは画面で動かす指みたいなモノの操作装置よ。ほら、パソコンって文字を打つだけじゃなくて計算したり、他のパソコンと情報のやりとりをしたりするから、どこを操作するのか、選ばなきゃならないじゃない? でも、画面を直接指で押しても、それでどこを選んでいるか分かる程、技術の進歩は一般的になっていないのよ。だから、それを画面の中で指の代わりに動いてもらうモノを操作するモノがマウスなのよ」

「……遠隔操作している訳か。……実に未来的だけど、説明し難いな。奈々君、これは一応画面でその操作ができるモノも現れる見込みはあるんだよな? 大正の世に生きる自分が思いつく位のことだ」

「うん。値段は高いけど、売っているわよ」

「なら、その方がいい。何より、自分が理解できる範囲の限界だ」

 一人納得して、賀集はパソコンについての内容を紙にまとめる。残念ながら、この時菜々は件の気だるさでインターネットについての説明が疎かであったことをすっかり忘れていた。

 そして、菜々は話題を変えて、ポツリと言った。

「ねぇ、賀集さん」

「ん? 少し待ってくれ。今まとめ終わるから……」

「私、外に出てみたい」

 紙にパソコンを説明する文字と絵を書いていた賀集が顔を上げた。

「だって、ずっと私はここにいるんだもの。賀集さんが21世紀に興味があるのと同じくらい、私もこの時代に興味があるのよ。活動写真だって見てみたいし、仮設の上野駅だって見てみたい」

「だが、君は……」

 思わず昨日の九胤の話を言いそうになり、その言葉をぐっと飲み込む。

 一方、菜々は真剣な眼差しで言い聞かせる様にその思いを語った。

「賀集さん、私はまだこの部屋の景色しか見た事がないの。こんな考えはいけない事だけど、可能性だけで言ったら、実は大正時代じゃなくて21世紀で、賀集さんを含めて皆がグルになって私を騙しているとだって考えられるのよ? 私は、真剣に私を信じてくれた賀集さんを信じている。でも、私もここが本当に大正時代の東京だって、真剣に受け入れたいの。そうしないと、先に進めない。だから、お願い! 賀集さん、岩倉の人達に何とか私を外出できる様にお願いして!」

 その言葉を聞いて、賀集は初めて菜々も自分と同じく、信じる思いの反面に懐かずにはいられない僅かな疑念に悩んでいた事に気がついた。

「……わかった。頼んでみよう!」

「ありがとう!」

 礼を言う菜々の瞳には、光るモノがあった。


「大丈夫か、和昭?」

 慎重に小型扇風機の電灯で手元足元を照らしながら排水溝の底へ下りた成平が足元で尻を摩る和昭に聞いた。しかし、その声にさして心配している気持ちは篭っていない。

「もう少し心配しろよ。嗚呼、尻餅をついた。痛い痛い」

「だから心配していないんだ。見上げてみろよ。この高さだと普通は骨折程度で済むかもわからないほどの重症を負うよ。君の場合、清水の舞台から落ちた時も無事だったからね」

 成平は呆れ気味に上を見上げて言った。空はかなり小さく見える。地上ならば建物の二三階から落下したのと変わらない高さである。

「無事ではない。捻挫をした」

 和昭は中学校の修学旅行で行った京都の清水寺で、風に飛ばされた女子生徒のハンカチを取るために跳んだ拍子に清水の舞台から落下したことがある。しかし、心配する皆を他所に彼は傷だらけの服をまとい、泥に汚れたハンカチを持って自力で戻ってきていた。ちなみに、捻挫も一週間とかからずに完治している。詰まる所は頑丈なのだ。

「さて、茶番はこの辺にして光昭さんの行った方向だ」

「茶番と言うな。……とはいえ、どっちだろうな」

 彼らの前には雨水を下水道が川のように流れていた。問題は、その上流か下流かのどちらに光昭が進んだのかということである。

「この地下水道の地図があれば見当も付けられるのだが……」

 和昭が悔しげに言った。その肩を成平は指で突いた。見れば彼はニヤニヤと笑っている。

「こんなこともあろうかとパソコンとケイタイを持ってきている」

 成平は湿った地面に少し眉を曇らせつつ座り込み、鞄から大学ノオトの様な形の機械と掌に収まる程の小さな木箱を取り出した。

 大学ノオトに似たそれは、紙ではなく硬い板状の素材で出来たパソコンと云う機械で、成平はそれをアルバムを開く様に開いた。本やノオトとは違い、これは横にして使用する。上に位置する片面には画面があり、下の片面にはタイプライタアの入力部分と同様に文字が並んでいる。この文字を押すと画面にその文字が打たれる。タイプライタアの紙に当たる。しかし、このパソコンは文字を入力する機械ではない。高度な計算をこなす自動計算機としての機能も担い、何よりもインタアネットと云う仮想世界とのやり取りが出来るのである。

 インタアネットは、世界中のパソコン同士が電話回線の様に繋がり、そのつながりが網の目の如く同時に通信を行うことを可能にした仮想世界なのである。パソコンは、その一種の窓口としての機能も持っているのだ。

 そして、ケイタイと云う小さな木箱は、正式名称を携帯電話機と云い、文字通り電話機が小型無線化したものである。しかし、その機能はただの電話機としてのものではない。

「パソコンとケイタイなんか出して何をするつもりだ?」

「まあ見ていろよ」

 成平は慣れた手つきで、画面と入力部分を操作する。画面は指で触れるとまるでそこに存在するものを動かすかのように自在に操作することが出来る。

 やがてパソコンの画面に地図が表示された。

「これは?」

「この地下水道の地図さ。さて、このままでは使い勝手が悪い。そこで、メエルを使う」

 成平は画面の隅にいた猫の姿をした絵に触れた。猫はテクテクと画面の中を移動し、地図を封筒に入れる。成平はその封筒を指で示すと、封筒の宛先と宛名に自分の住所と名前を入力し、送り先をケイタイへ指定した。

「よし。これで……届いた」

 直ぐにケイタイの鼓笛のように広がった受話口から封筒が出てきた。これがケイタイの便利な機能の一つである。ちなみに、こちらからも通話口に手紙を入れれば相手に送ることができ、相手は受話口から受け取ることもパソコンから見ることも可能である。

「相変わらず便利だな」

 和昭は封筒の中から地下水道の地図を出しながらしみじみと言った。

「だったら和昭もケイタイやパソコンを買いなよ。今時、ケイタイを持たない高校生の方が珍しい」

「俺は機械類が苦手だ。ところで、さっきの猫はなんだ? そんなのあったか?」

 和昭は思い出した様子で、パソコンとケイタイを鞄にしまう成平に聞いた。

「あれは俺がパソコンの中で作った助手みたいなものだよ。多くの機能をもたせていてね。インタアネットの中から必要な情報も見つけてくれたり、先刻みたいにパソコンの機能を使う時に手伝ってくれたりする」

「そいつは凄いな。………おい、これを見ろよ」

「どうした?」

 鞄を肩にかけると、和昭が示す地図の部分を見る。位置は現在位置の下流、丁度不忍池の真下に位置する部分に広い空間が存在している。

「ここに何かありそうだな」

「確かに、距離もこの排水溝が最も近い場所になっている。可能性は高いね」

「よし、行こう!」

 二人は、地下水道を下流に向かって歩き始めた。


 菜々と約束をしたものの、実際誰に頼むのがいいのであろうか、とトイレで用を足しながら賀集は考えていた。昨日の今日で、九胤に頼むのは流石に気が引けた。彼に納得して協力してもらうには、家族の中でもう一人くらいは協力者が必要だった。菜々から聞いた未来から来た猫型ロボットの道具があれば、こんなこともかなえてくれるのだろうが、とつい考えてしまう。

「はぁー……言うは易く行うは難しという事か」

「口は禍の門とも言うわ」

 トイレから出て、溜息と共に呟いた言葉に女性の言葉が返ってきた。賀集は目を大きくして声のした方に振り返る。そこには、岩倉ゆきの姿があった。

「まだ続けていたのね」

「えぇ。自分は彼女の言葉を信じていますから」

 相変わらず敵意を持った対応をしてくるゆきに賀集は、偽りのない言葉を言った。菜々の言葉が事実なのかはわからなくても、その言葉に嘘は無い。

「……でも、最近はなな子の方から話しかけてくれる様になったし、その目も生きる希望に満ちている。そこは、あなたに感謝すべき事ね」

 一瞬だが、ゆきの目尻が動いた。微笑んだ。そして、感謝の言葉に嘘はない。

「……ゆきさんは、どの様に考えているのですか? その、なな子さんの言葉を」

「信じられる訳がないでしょ? だって、未来人よ? あの子は私の妹。それは私が一番よく知っている。でも、なな子はそれを納得していない。……こんな事、部外者のあなたに言う必要はないけど、あの子の抱えている事情は特別なの。なな子が現実から逃げているのは仕方ないけど、私は現実を受け止めて、それでも生きようと思って欲しい」

 ゆきの言うのは、自殺と病気のことだろう。しかし、賀集にはゆきの意見が納得できなかった。思わず、声が荒くなる。

「それは手前の言い分だろ? それを彼女に本当に求めてんなら、言ってみろよ! 口は禍の門なのは、手前の考えだろ。現実を受け止めろなんて、本当に言えるのか? それは手前の勝手なエゴだろ? それが言えない手前は、恐れているんだ。理解しているんだ。自分の死が近いことや、それを苦しんで、それこそ自らの手でその苦しみから逃れようとした彼女に、お前は現実を受け止めろって言えない。そして、言ったところで彼女はもう一度同じ事を繰り返すだけだとわかっている。だから、言えないのだろ?」

「違う!」

 ゆきは即座に否定する。嘘だった。

「まず現実を受け入れるのは、手前自身の方だろ? 違うのか?」

「………」

 ゆきは閉口した。その瞳は潤んでいる。

 そして、溢れた。その瞬間に、言い過ぎたと賀集は反省した。

「それは受け入れるというのも、難しい話だろうが。……まず、彼女の言葉を尊重してあげるというのはできるんじゃないか? もし彼女がなな子であっても、今の彼女は中沢菜々なんだ。それを否定するのではなく、尊重してやるのも、必要なんじゃないか? 少なくとも、彼女はそれに応えてくれるだけの心がある」

「うん……それは、わかっているわ。毎晩、就寝前には必ずなな子のところに行くようにしているの。……今までは何も会話がなくて、本当に形式だけの見舞いだったけど、最近は変わったわ。活動写真がどういうものかとか、地下鉄の完成はいつかとか、銀座の建物はどうなっているとか、バスガールはどんな格好をしているのかとか……何時だったかは、どんな下着は普及しているのかとかまで聞かれたわ。はじめは私も怪訝に思ったけど、答えてあげるとあの子、目が輝くの。それこそ、好奇心旺盛な少女の目よ。……なな子は、淑やかで感性豊かな、絵を描いたり、本を読むのが好きな子だったけど、あんな前向きな目をする子ではなかった」

 ゆきの声は、次第に明るくなっていく。それは賀集も感じていたことだった。

 菜々は決して絶望しても、逃げることはしない強さがあり、現実を受け止めた上で自分の希望に進める前向きな心がある。それは、話す相手にも伝染する。だから、菜々に会えば、菜々の正体についてやなな子の事に関する悩みもどうにかできる気がしてくる。

「あの子が本当は何者なのか、もしかしたら私にとって、もうそれはあまり関係のないことなのかもしれない。結局、私が岩倉の人間で、あの子の姉だから、受け入れられないというだけ。……やっぱり自分勝手かしら?」

「いいや。それでいいんだ。誰一人同じ考え方なんて出来ることなんてない。自分には自分の考えがあるし、ゆきさんにはゆきさんの考えがある。結局、菜々君に必要なのは、話ができる相手なんだ。自分を人として認めてくれる相手なんだ」

「うん、ありがとう。……賀集さん、一つ聞いていい?」

「はい」

「あなたは、あの子のことを好いているの?」

 ゆきの言葉に、賀集は即座に答えられなかった。しかし、ゆっくりと言葉を搾り出す。

「……好意は、持っています。……しかし、恋愛感情とはいえません。大切な存在ではあります。……でも、それは言わば、妹や娘に抱くものに、近い感情です。……これでは、いけませんか?」

 賀集は恐る恐るゆきに聞いた。毎日通いつめる年頃の男の説明というには、納得しがたいものだと賀集自身が思っているのだ。

 しかし、ゆきの反応はその予想を反した。

「いいえ。……安心しました」

「え?」

 ゆきは淡々とした口調で語りだした。

「あなたも時機に耳に届くとは思いますが、私達の父、今は仕事でこの家にはいませんが、なな子の事情もあなたのことも知っています。父としては、今の岩倉の家に若い男が出入りしていることもあまり快く思っていません。ましては、世間では気違いと言われても仕方のない状況になっているなな子のところとなると、尚のことです。あなたは気がついていないのかもしれませんが、あなたがなな子の部屋に毎日現れている事は、すでに周囲の噂になっています。なな子の自殺未遂の話も外で噂になっています。お恥ずかしいことに、使用人が周囲にもらしているのでしょう。今更あなたの存在を隠せる状況ではないのです。……実業家としての父の立場もあります。妥協策を既に練っているとだけ、話しておきます」

「はぁ」

 どうにもゆきの言葉の真意が掴めない賀集は曖昧な声を発した。

 それにゆきは軽く微笑むと、一転柔らかい口調で言う。

「こうしてあなたと話ができてよかったわ。ごめんなさいね、長々と立ち話につき合わせてしまって。………賀集さん、もし私にも協力ができることがあったら、遠慮なく言って。あなたがなな子を信じると言ったように、私もあなたを信じるわ」

「ありがとうございます。………あ、そのいきなりお言葉に甘えても宜しいですか?」

 賀集は、一瞬躊躇したものの、ゆきに菜々が外出をしたいと言っている旨を説明した。ゆきも彼女の体を心配したものの、家族への説得を承諾してくれた。


『この世界を蝕む病を治しに行きます。光昭』

 暗い地下水道を歩く成平の脳裏に、光昭が行方をくらます際に残した僅か一文の書置きを浮かべていた。

「この扉だな」

「嗚呼」

 やがて二人が立ち止った壁には、重厚な金属製の扉があった。二人はゆっくりと慎重にその扉を開いた。

 扉の隙間から暗い地下水道に光がもれる。二人はゆっくりとその隙間から中を窺う。その空間はかなり広い様子だが、彼らの位置からは中に何があるのかまではわからない。

 二人は意を決して、和昭、成平と順に中へ入った。

「こ、これは!」

「凄い……」

 二人は我が目を疑った。その眼前に広がる空間は、体育競技場にも匹敵するほどの広さがあり、その中心に鎮座するのは巨大な金属製の龍であった。正しくは龍の頭部で、その後ろに円柱形の胴体が伸びている。絵巻などで描かれる龍よりも遥かに短く、そのシルエットはどちらかといえばツチノコに印象は近い。

「なんだ、これは?」

「……龍凰」

 驚きつつ成平は呟いた。それは、一週間前にテレビで報じていた盗まれた最新型の飛行潜水艦の名前であった。あれから数日間連日、報じられていたが、犯人の見当も手がかりも得られていない状況であると伝えれていた。

 成平は手短に和昭にその事を説明した。

「つまりは、兄貴がその窃盗団の仲間だってことか?」

 和昭が愕然として言った。

「いいや、窃盗団ではない。そして、僕は只の仲間ではなく、首領だ」

 突然の声に二人は声のした上方を見上げた。一階層分上にある足場に立つ光昭の姿があった。

「兄貴!」

「光昭さん!」

「おっと、すまないね。感動の再会という演出はできないんだ。僕にも色々と都合があってね。でも、ここまで来た君たち二人は敬意に値するよ。何せ警察も見つけられない秘密基地だからね」

 光昭は笑顔を二人に向けて言った。

「なんだって、こんなことを?」

「答えろ、兄貴!」

 二人が喧々囂々と声を上げる。それに対して、光昭は右手を前に出して制する。

「すまないね。君たちにゆっくりと説明してあげたいのだけど、今の状態では少し都合が悪いんだ。……何せ君たちはこの基地の侵入者だ。ここの主として、その敬意の証を示す必要がある。……やりたまえ!」

 彼の号令と共に、続々と黒服を着た若い男達が現れた。その手には各々が武器を持っている。

「うっ! ……って、おい!」

 その光景に怖気づく成平の前に立ったのは、不敵に笑う和昭であった。

「兄貴、俺がこの程度で怖気づくとでも思ったか? その敬意とやらは、倍にして返してやるぜ!」

 和昭は拳を構えて言い放った。

 直後、相手達は雄雄しく野太い声を上げて襲い掛かってきた。しかし、和昭はそれに立ち向かう。

 まずは金属の長い棒を振るう長身の男。その棒が和昭の胴を狙うが、彼はそれを両手で受け止め、更に振り上げた。小柄な和昭のどこにその力があるのかはわからないが、長身の男はそのまま振り飛ばされて壁に体を打ち付けた。

 そのまま奪い取った棒を振るい、次々に襲い掛かる者達を振り払う。その姿は斉天大聖孫悟空の如し。

「おいおい、その程度で俺に敵うと思っているのか?」

 棒を構えた和昭が不敵な面構えで豪語する。

「皆、弟に無駄な遠慮は無用だ」

 光昭が手を叩き、言った。すると、彼らは打撃の武器を捨て、銃剣を各々取り出した。

「和昭、流石の君でも銃剣が相手では敵わないだろう?」

「どうかな?」

「冷静になれ、和昭。僕に君の死に様を見せてくれるな」

 ニヤリと笑って言い返した和昭に光昭が悲痛な面持ちで訴えた。それを見て、和昭から不敵な笑みが消えた。

 そして両手に棒を掴み直すと、瞬間的に殺気をその瞳に宿らせ、それを真っ直ぐ振り下ろすと同時に右膝を上げて金属の棒を挟んだ。棒は曲がり、それを地面に捨てた。

「投降する。すまないな、成平。……これでいいんだろ、兄貴?」

 和昭に光昭は黙って頷くと、彼らに縄をかけようとする男達に言う。

「おい、見ただろう? 彼にそんなものは無意味だよ。それに、こっちが武器を構えていれば、無茶なんてしないさ」


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