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空想未来小説  作者: 宇多瀬与力
6/11

「ちょっと強引過ぎない?」

 原稿用紙から顔を上げた菜々が言った。

「それは承知の上だ。しかし、意識的に追加した台詞とはこうなる運命なんだ」

 賀集は彼女の手から原稿用紙を奪うと、それを鞄の中で折れてしまわぬように丁寧に厚紙に挟んだ。

「それって、賀集さんの実力の話じゃないの?」

 菜々はジトッとした目を向けて言った。賀集は出されたお茶を飲んで誤魔化す。

「それで、どうやって兄の事を見つけるの?」

「そこが問題なんだ。新聞の写真というのも案ではあるが、面白くない。何か、新聞様な存在が未来にないか?」

「新聞がないわけじゃないけど……。そういう存在だと、テレビかな?」

「テレビ?」

「うん」

「それは、何だい?」

「そうねェ……。テレビって言うのは、ラジオは音だけじゃない? それが、映像も付いて見れるものっていうのかな?」

「そうか、映像を音と一緒に放送するのか! 活動写真に音声が付いたものと同じものだな」

 一人納得した様子でメモを書き込む賀集に対して、今度は菜々が理解できない。

「活動写真って、何?」

「え? 未来には活動写真がないのか?」

「少なくとも、私は聞き覚えがないわ」

「活動写真というのは、たくさんの連続した写真を映写装置で大衆に見せて、動いている様に見せるものだ。そして、演奏家が背景音を、弁士が解説である活弁を奮うんだ」

「それって、無声映画じゃないの?」

「無声映画か。やはり未来での活動写真の呼び方は映画になるのか」

「そうよ。写真って言うから何だか分からなかったわ。……そうね。映画みたいなものよ。それが、ラジオみたいに生放送で見れるの。もちろん、録画したものを放送するほうが多いけどね」

「なるほど。確かに、フィルムに撮影する代わりにラジオと同じ様に放送する技術さえあれば、実現することだ。とても想像しやすいものだ」

「でしょ? テレビのニュースに写りこんでいたとか、結構ありそうだけど、一番手堅い展開だと思うわ」

「そうだな。……よし、それでいこう!」

 賀集は力強く頷き、メモをまとめていき、直ぐに原稿用紙に物語を書き始めた。


 その夜、成平が居間で趣味の機械弄りをしながら寛いでいると、仕事から帰宅した父親がスピイカアの付いた箱を棚からちゃぶ台の上に下ろした。箱に付いている電源を入れると、居間の壁に活動写真動同様に、動く像が映し出された。

『こんばんは。今日の出来事をお伝えします。まずは、昨晩発生した最新型飛行潜水艦龍凰が盗まれた事件の続報を………』

 映写している箱のスピイカアから、映像に合わせて声が聞こえてきた。この箱は、テレビというもので、ラジオに映像が加わったものである。故に、今映し出されている映像は、現在放送局で撮られているものが流されているのである。勿論、事前に撮られた映像を放送することもできる。

『………との見解を示し、未だ犯人の正体や目的については明らかになって降りません。また新しい事実がわかり次第、追ってお伝えします。

 続いて本日、上野恩賜公園で催された祭典の様子です』

 男性の放送員の言葉に合わせて、映し出されている像が変わり、昼間成平達が通った上野公園の風景になった。

「そういえば、なにかやってた」

「なんでぇ、好奇心のないやつだな。上手くすりゃ、テレビに映ったのによ」

 壁に映し出された映像を見て、成平が呟くと、父親が言った。だが、彼の発言には一つ間違いがある。成平の好奇心は他者に抜きんでている。現に今も丸眼鏡をずり下ろして、手元の携帯式小型ラジオを改造している。遠視なのだ。

 しかしながら、彼の好奇心の対象は、先刻父親が言ったものとは違うのも事実である。成平は姿勢を変えずに、眼鏡の上から視線だけを向けてテレビの映像を見た。

 なるほど、撮影場所は露天が並ぶ通りとそこを行きかう人がある程度見える高さから撮影したものらしい。祭りに立ち寄れば映りこんでいる可能性は大いにあった。

 とはいえ、成平は直ぐにその関心を撮影機材の性能に向けていた。初期の撮影機材に比べ、フィルムのコマの一つ一つの像がとても鮮明であり、コマ数も増え、非常に滑らかである。成平は授業で見た昔の活動写真の映像を思い出し、その技術の進歩に改めて驚かされていた。が、本当に驚くのは、その鮮明な像に映っていた人物の姿に気がついた時であった。

「! 光昭さん?」

 一瞬であったので、見間違いの可能性もあった。しかし、昼の上野駅での出来事もあり、成平は確信に近い念で、一瞬だけ人ごみの中に見えた見覚えのある人物を、その当人であると思った。


「………」

「どうした?」

 書きあがった原稿を読んだ菜々は何も言えなかった。一方、彼女の目の前にいる当人は全く自分の間違いに気づいていない様子で覗き込んできた。

「ううん。人に説明をするって難しいなぁと思い知っていただけよ。………で、書き出しと展開のきっかけはとりあえず良いけど、これからどうしていくの? まだ光昭のやろうとしていることどころか、その目的すら決まってないわよ」

「そこだな。だが、大きくは決めている。一応、社会に対して何らかの目的を持って行動しているという設定は考えている」

「それ、かなり大雑把よね?」

「それを決めるので、菜々君の知識だよ!」

「つまり、私に考えろと?」

 菜々が呆れ気味に聞くと、賀集はまじめな顔で頷いた。

「そうだ。しかし、大日本帝国が他国と戦争をするとか、勝たせる、負かせるというものはやめて欲しい。子どもに夢を与えたい。考え方、捉え方は色々あるが、人が人を殺めるのは事実だからな」

「んー……っと、色々断っておかなきゃいけないことがあるけど、とりあえず私は今の今までその発想そのものがなかったから、安心して」

 大日本帝国としての日本は、第二次世界大戦の敗戦でなくなり、加えてその戦後に作られた憲法で戦争をしない旨が定められているものの、それほど詳しい歴史の知識もない菜々は、その経緯や事情などを説明できるはずもなく、面倒な説明をするならば、それ自体を省くことにした。

「では、どうする? なるべく、世界という規模で影響を与えるものにしたいのだが」

「……そうねえ。よく聞く話題だと、少子高齢社会とか、税率引き上げ、肉野菜の特売日。……あぁ、地球温暖化ってのは良いかもしれないわ」

「地球温暖化? 聞いたことがあるような無い様な名前だな」

 首を傾げた賀集に菜々は、受験勉強で仕入れた知識を思い出しながら説明する。

「つまり、名前の通りで、この星、地球が暖まってしまう現象よ。産業革命はあったんだから、燃料を燃やすことで電気とかの多くのエネルギーが手に入れられることはわかっているわよね?」

 頷く賀集。菜々は続けた。

「燃料を燃やすということは、二酸化炭素を代表とするガスが出てくるのはわかるわよね?」

「一応、人並み以上の学はあると思っているよ」

「うん。その二酸化炭素とか、他には……確かメタンね。それらは、温室効果ガスっていう……なんというか、これがたくさんあると温室みたいに地球がどんどん気温が下がらないで上がっちゃうのよ」

「未来は冬でも寒くならないのか?」

 真顔で聞く賀集。菜々は困ったという表情を浮かべつつ、たどたどしく宙に指で円を描きながら説明する。

「そういう意味じゃなくて……温かくなりやすくて、冷めにくい? あ、でも温度差が大きくなるともいうから、気温が下がるの?」

「聞いているのは自分だぞ。聞かれても答えられない」

「まぁ……とりあえず、温室効果ガスってのは、全くないとそれはそれでさむくなっちゃうのよ。でも多すぎると、これも問題で気温が上がってしまうの。それで、大雨が降って洪水になったりするわ。あとは南極の氷が溶けて、海面が上昇するの。確か、それで海の中に沈んじゃう島もあるって話よ」

 ちなみに彼女が言っている事は少し間違っている。正しくは、太陽放射エネルギーは主に波長を持つ光として地球の地表に注ぎ、熱に変換される。同時に反射された光は遠赤外線などが一般的に知られる波長の長い光になる。この多くは地球から放射熱として宇宙に排出されるが、それを雲などが含む水蒸気などの温室効果ガスに邪魔されて再び大気や地表に戻される。温室効果ガスがなければ、この熱の行き来である熱収支が減り、地球は生物の住めない極寒の星になってしまうが、多くなるとこの収支が増えて、結果地球の平均気温は上昇してしまうのである。

 また、気温差などの環境の変化の原因に、地球が水の惑星である事がある。水の蒸発なども熱収支に影響を与える。この水が蒸発する際の熱を潜熱といい、これが大きくなるという事は、水蒸気を大量に大気へ上昇させている事を意味し、集中豪雨や台風の増加に繋がる原因とされる。

 しかし、蒸発による海面低下よりも深刻なのが、菜々の言った南極大陸に蓄えられている氷の融解による海面の上昇である。これによって、海抜の高い場所の地下水が塩害を起す可能性や、反対に海水中の塩分低下による漁獲量の低下の可能性が考えられている。しかし、それ以上に問題が顕著になっているのが、菜々の言った海抜の低い島の沈没である。この被害で、もっとも世界的に有名な国家は、太平洋上の島国、ツバル国であろう。海岸の浸食により、首都フナフティの海岸も次第に砂浜が減っており、近い将来に環境難民が生まれる可能性が高いとされる。

「アトランティスの様な話だな」

「物語じゃなくて、現実の未来の話よ」

 菜々が真剣な目をして訴えた。口で説明できなくても、そのことの重大さは理解できていると思っている。

「わかっている。しかし、その世界規模の危機に逸早く光昭は気がつき、その地球温暖化を阻止しようと活動するという展開は面白そうだ。例え、非現実的なことでも、その為に彼は物騒な方法で危機感のない人々への啓発活動をするというシナリオは、物語的に面白い」

「いつか本当に現れそうな話だけどね………」

 菜々は活き活きと話す賀集に苦笑しつつ言った。


「ふふっ、まさかテレビで写っているとはね」

 薄っすらと白い埃の舞う暗闇の中に、若い男の声が響いた。かなり広い空間の中にいるらしい。声の主をボンヤリと照らすのは、テレビの映像を写す光だ。

「首領、本当に、できるんでしょうか?」

「馬鹿だな。可能か否かの問題ではないだろう? やるか、やらないかさ」

 闇の中から発言した子分らしき男の声に、先ほどの声が一蹴する。

「それに、こいつも手に入り、あれも時機に完成する。今更、後戻りはできない」

 言葉を続け、声の主が立ち上がると、テレビ映像を映写する光にその顔が照らされた。女性的な容姿の美少年の顔がそこにはあった。光昭だ。

 そして、光昭の視線の先には、黒い巨大な影が物言わずそびえていた。


「ふぅー」

 荷物を持って菜々の部屋から出てきた賀集は、玄関まで出ると大きく息を吐いた。続いて肺に満ちる外の空気が疲労を幾分か軽くする。空はすっかり夕焼けに赤く染まっている。

 菜々のアイディアは湯水の如くわいてくるのはいいのだが、それを実際に文章にするのは賀集の仕事であり、正直彼が一度にこれほど大量の原稿を執筆するのは初めてだった。

 賀集は、鞄に入った原稿用紙を見る。

「………結構書いたな。ちょっとした短編一つ分位か?」

 腱鞘炎気味の手にずっしりとその重さが改めてかかる。しかも、その半分以上が没原稿である。

「はぁー」

 思わず出てしまう溜息に、賀集は苦笑した。これでは作家になるなど程遠いと自嘲してしまう。

 改めて荷物を持ち直すと、賀集は門に向って歩く。

「賀集一樹君!」

「!」

 玄関と門の丁度真ん中辺りに差し掛かったところで、突然名前を呼ばれ、賀集は驚いて振り向いた。

「……だね?」

 振り向いた先、玄関の脇には半袖のシャツを着た青年が立っていた。

「はい。……あなたは?」

「なな子の兄、岩倉九胤です。……一寸良いかね?」

 岩倉九胤に問われ、賀集は頷いた。


「さて、今日で一週間になる。そして、流石にそろそろ学校に行かないと処罰の対象になりかねない。和昭、やっぱり二度も同じ場所に光昭さんは現れないのではないのかい?」

 炎天下の中、上野公園の木陰に腰をかけた成平が和昭に言った。その手には表面が溶けてキラキラと輝くアイスキャンデイがある。

 ちなみに、二人とも校則を守り、授業をサボタアジュしていても制服を着ている。

「では、他に何か良い考えがあるか? 俺はこれ以外思いつかない。兄貴を見つけて、その後を追う! それ以外な」

「確かにそうだけど……」

 正直、近年の気温上昇は異常であり、外にいるだけでも過酷と云える。学校の先生曰く、地球温暖化と云われる現象によって、まるで焼け石の上に立っているかの様な酷暑が連日続いている。

「文句があるなら、クウラアをここに持って来いよ!」

「無茶を言うなよ」

 暑さと全く兄の気配を見つける事のできない現状に苛々とする和昭が無茶苦茶な注文をする。クウラアとは、ストオブの対になる様な冷房装置のことで、この二十一世紀において設置されていない部屋の方が少ないと云えるモノだ。しかし、ストオブ同様、持ち運べるモノではない。

「とはいえ、策がないわけじゃない。こんなこともあろうかと小型扇風機を持ってきた。……うわっ! アイスがぁ!」

 いつもの如く自慢げに成平が鞄を探ろうとすると、溶けかけていたアイスキャンデイがボトリと棒から地面に落ちた。途端に成平が情けない声を上げる。

「アイスくらいまた買えばいいだろう? それより、早く出してくれよ」

「わかりましたよ」

 成平は半ばやけくそに、すっかりアイスキャンデイのなくなった棒を捨てると鞄から小型扇風機を取り出した。電池式の小型扇風機は、片手で持てる大きさで十分な風力を起せる夏の必需品の一つといえる。また、夜間外出の際には、懐中電灯としても機能する。

「あー涼しい。……が、これは焼け石に水だな」

「これからは酷暑に扇風機だな。………ん? おい」

 交替で小型扇風機の風に当たりながらその様なやりとりをしていると、成平が、待ちに待った光昭の姿を人込みの中に見つけた。

 直ぐに和昭もその姿を見つけ、二人は顔を合わせた。二人はお互い頷くと、光昭の尾行を開始した。


 九胤に案内されたのは、庭の外れにある離れであった。この木造建築の離れは、菜々の部屋の窓からも若干見えていたが、今まで賀集は物置だろうと思っていた。つまり、その様な建物なのだ。

「さ、上がって下さい。何、母屋の様な西洋かぶれの上品なもてなしは致しません。楽にどうぞ」

 引き戸をガラガラと音を立てて開けた九胤は、そう言いながら賀集を中へ促す。離れの中を見ると、成程まさに下町の長屋を彷彿させる内装であった。入って直ぐに半畳程の玄関が申し訳程度にあり、その脇には洗面所と風呂、台所がある。しかし、台所には土間と竃がない代わりに板張りの床の上に石造りの流しとガスかまどが備えられているところは、流石岩倉家だと賀集は思った。

 九胤は賀集を促し、板張りの台所の先にある襖を開けた。至極普通の畳八枚が敷かれた部屋があった。部屋の隅には畳まれた布団、もう一方には書き物机と座椅子。部屋の中央には、円形のちゃぶ台。そして、窓と押入れがある。

「緊張感のない部屋でしょう?」

 一端風呂へ消えた九胤がラムネを持って戻ってくると、部屋の中で立ち尽くす賀集に笑いながら言った。

「あ、どうぞお掛けになって下さい。ラムネです。氷水で冷やしていたので美味しいですよ」

「あ、有難うございます」

 賀集は会釈をしながら、ひんやりと手に冷たさが伝わるビンを受け取り、腰を下ろした。

「ここは僕の基地みたいなものです。勉学に集中したいと父に相談して、物置となっていた離れを空けてもらったんです。……大正君から話は聞いてますよ」

 九胤はグビッと喉を鳴らして飲んだラムネをちゃぶ台に置くと言った。この言葉で、賀集は初めて彼が大正の話していた帝大の先輩であると気がついた。

「つまり、あなたが大正に菜々君のことを話した張本人、自分が彼女と小説を書くことになった大本の原因となった方ですか」

「中々言うね」

 久胤は苦笑しつつ言った。

「すみません。厳しい編集者と執筆をした後なもので」

 賀集はつい嫌味な台詞を吐いた事をわびる。

「いいや、構わない。むしろ、僕はそういう言い回しを言える者の方が好きだ。この不況などで世俗が困窮している時世だ、権力を誇示する相手にも対等に立てる最後の力となれば、ここと口くらいだ」

 九胤は自らの頭を指しながら言った。

「それで大正を気に入っているという訳ですか」

「まさに。彼はこの国を変えるほどの才能を持つ者だよ」

 彼の目を見て、賀集はその言葉が本心であると理解した。

「成程。それで、自分をここへ招いたのは大正の話をするためでしょうか?」

「いいや。なな子の事だ」

 それを聞いて賀集は、やはりな、と思った。

「正直に言うと、君には感謝しています。アレ以来、なな子はずっと空想にふけていました。君のお陰で、なな子は笑うようになった」

 伏目がちに微笑して言った九胤に賀集は違和感を持った。本心を言っている様で、どこか偽りがその目に見えた。しかし、彼の視線は一瞬で外れ、畳の染みを呆然と見つめていた。

「アレというのは、彼女が自殺未遂をしたことですね?」

 彼は呆然としたまま、はい、とだけ返し、顔を上げたかと思えば、垂れた水滴がすっかり水溜りとなったラムネのビンを取ると、グビッと飲んだ。

「うっ……、そうです。この家の庭に池があるのはご存知で?」

 軽くゲップをした九胤が聞いた。

「そういえば、ありますね。丁度この離れと反対側に。まだ自分は近くで見た事はありませんが」

 賀集が答えると、視線を畳に下ろした彼は、そのまま頷いた。

「はい。そこで、なな子は身を投げたんです。……恐らく明け方頃の事なのでしょう。使用人の一人がすぐに気がついて助けたのですが、かなり危ない状態でした」

「………ん? 何故それが自殺だと? 遺書があったのですか?」

「いいえ、しかしその数日前からなな子の様子がおかしかったのです。理由はわかりませんが、何か悩みを抱えていた様です」

「それは……全くわからないのですか?」

「え?」

「………」

 賀集が聞くと、彼は顔を上げ、視線を賀集と合わせた。やはり何かを偽っていた。

「……なな子がベッドと布で結ばれているのはご存知ですよね?」

「それは、彼女が窓から出ようとしたのを、投身しようとしたかもしれないと考えているからですよね?」

「それは、なな子に対する言い訳です。勿論、それも理由の一つであるのは事実です。しかし、僕らにはなな子を外へ出す訳には行かない事情があるんです」

「彼女が中沢菜々だという……」

「それだけではないのです!」

 賀集が皆まで言う前に九胤は発した。そして、その大きな声に対して、極端に小さくなった声でポツリと言った。

「なな子は、患っているのです。医師もまだ現状でははっきりと診断ができていないのですが、恐らく頭に……。その医師の話ですと、彼女はいつ爆発するかとわからない爆弾を背負っている状態にあるのだそうです。そして、その爆発が……前兆でも起これば、その時初めて病の特定ができるという状態だそうです。しかし、その時は、恐らく手遅れとなるだろうとも」

 九胤の言葉に偽りはなかった。つまり、それを悟った彼女は、自ら死を選んだという事なのだろう。しかし、それは今の菜々に聞いても答えはわからないに違いない。

「幸か不幸か、なな子は一種の記憶障害になっている様です。僕ら家族としては、なな子の現状は非常に複雑な心境なのです」

 自殺の理由を忘れている代わりに、自らを別人だと思い込む。気違いであっても可能な限り生きていて欲しいという気持ちと、本来の彼女を思い出してほしいという気持ちで、彼らは悩んでいるのだろう。そして、賀集に対するゆきの対応にも納得ができた。

 しかし、同時に菜々が実はなな子が現実逃避の中で生まれたもう一つの人格なのではないかという考えが賀集の頭を過ぎった。菜々が本気で信じていたら、未来を直接見た訳ではない賀集には判断する事ができない。

「……僕が、賀集さんにお願いしたいのは一つです。彼女が二度とあんな馬鹿なことをしない様にして欲しい。それだけです」

 九胤の目に、偽りはなかった。

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