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黒の約束〜滅びの約束を越えて〜  作者: はる
杯と蛇

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第六十三話:帝都の夜

帝都での再会と、静かな夜。

インヴィクトゥスとの賑やかな食事のあと――

サラとファルは、ひとつの宿で夜を過ごすことになります。

夜の街の灯りの中で、ふたりの距離がほんの少し近づくお話です。

インヴィクトゥスとの食事を終えて店の外に出た時には、

街はすっかり夜の喧騒に包まれていた。


酒を煽った人々の笑い声が通りのあちこちから響き、

露店の灯りがゆらゆらと風に揺れている。

屋台からは焼いた肉と香草の匂いが漂い、

遠くでは笛の音が細く夜気に溶けていった。


「にぎやかだな……」


ファルがぼそりと呟く。


「帝都の夜って、こんなに明るかったんだね」


思わず、そんな言葉が口をついて出た。

昔は見慣れた光景のはずなのに――

今見ると、どこか遠い。

まるで別の世界を見ているような感覚。


「本当に楽しそうだったね」


「……ああ。ああいう場所では、あいつが一番自然体だ」


ファルが微かに笑った。

その表情には、どこか懐かしさが混じっている。


「昔からあんな感じなの?」


「昔はもっと面倒だった。けど――悪い奴じゃない」


歩きながら交わす言葉は少なく、

それでもどこか心地よい静けさがあった。


路地を抜けると、夜風が頬を撫でた。

灯りの消えた店先に、猫が一匹、気だるげに眠っている。


「今日は、静寂の庵まで戻るのは無理だね」


「だろうな」


ファルは少し考えるように夜空を見上げた。


「宿を取ろう」


短く言われたその言葉に、私は小さく頷く。

夜風の中で、ふと胸の奥に小さなざわめきが生まれた。


――この帝都に戻ってきても、

もう“帰る場所”はない。

それでも、今は不思議と怖くなかった。


隣に、信じて歩ける背中があるから。



---


時間が遅いせいもあり、宿探しには苦労した。

私が初めて帝都に来た時も、はしゃぎ過ぎて宿を取るのを忘れ、

夜中に途方に暮れたことを思い出して、クスッと笑った。


「どうしたんだ?」


「ううん、ちょっとね」


不思議そうに首を傾げたファルを横目に、次の宿を目指して歩いた。



---


ようやく見つけた宿は、南通りの外れにある小さな旅籠だった。

外壁には年季の入った木板、看板の灯りも今にも消えそうに揺れている。


「ここでいいか?」


「うん。もう足も限界……」


ファルが軽く肩をすくめて扉を押すと、

中から温かな灯りと木の香りがふわりと流れ込んできた。


受付の老婦人が穏やかな笑みを向けてくる。


「二名様で? 一晩だけでよろしいかい?」


「……できれば部屋は別がいいが」


「すみませんね。一部屋しか空いてないんですよ」


申し訳なさそうに後頭部を押さえながら頭を下げる老夫婦を見て、

ファルが小さく息を吐き、私を見た。


黙って頷くと、彼は肩を竦めて老夫婦に向き直る。


「では、一部屋でいい。無理を言って済まない」


「いえ、とんでもない。……こちらへどうぞ」



---


部屋に入ると、そこは狭いながらも清潔だった。

小さな窓の下に机がひとつ、奥に並んだ寝台が二つ。

壁に掛けられた灯りが淡く揺れ、

木の香りがほのかに漂っている。


「思ったより、悪くないな」


ファルがそう言って、荷を床に下ろす。


私は入口に立ったまま、部屋を見回した。

灯りの光が狭い空間を包み、

その中心にファルの影が伸びている。


(……近い)


二人きりでいるのが、こんなに狭く感じるなんて。

息をするたびに、微かにファルの匂いがした。


「風呂は一階だったな。ゆっくりしてくるといい」


そう言って彼がこちらを振り返る。

灯りの橙色が彼の横顔を照らし、

髪の一房が光を受けて柔らかく揺れた。


「……うん」


声が少し掠れたのが、自分でも分かる。


(だめ……意識しすぎ)


私は慌てて浴室に向かう準備をする。

しかし、ファルが同じ部屋で動くたびに、

木の床がきしむ音が近くで響く。

それがやけに鮮明に聞こえる。


「行ってくるね……」


灯りが小さく揺れ、影が重なった。

ファルが机の上の鞄を置きながら、

肩越しにこちらを見て、優しい笑みで送り出した。

その視線に、心臓が跳ねた。


(どうして……ただ目が合っただけなのに)



---


浴室に入ると、湯気がふわりと立ちのぼった。

古びた木の壁からは温もりのある香りがして、

湯船に浮かぶ灯りが、水面にやさしく揺れている。


湯をすくって頬にあてると、張り詰めていた体の力が少し抜けた。

けれど、胸の奥だけは妙に落ち着かない。


(……ファルと、同じ部屋)


今さらになって意識してしまう。

野営では二人でいても気にならなかったのに、

宿を探していた時は、疲れと安心で頭が回っていなかった。

でも今――こうして一人になると、

さっきの光景が次々に浮かんでくる。


橙色の灯りに照らされた横顔。

低く落ち着いた声。

そして、あの……優しい笑み。


(……私だけ、意識してるみたい。ずるいな)


ぽつりと心の中で呟いて、

自分でも少し笑ってしまった。

湯面に映る自分の顔が、ほんのり赤く見える。


「……落ち着け、サラ」


そっと息を吐きながら、髪を撫でる。

温かな湯が肩を伝い、心まで緩んでいく。

それでも――彼の声の余韻だけは、

どうしても消えてくれなかった。



---


湯から上がり、薄手の上着を羽織って廊下を歩く。

夜更けの宿は静かで、灯りのゆらめきが足元に影を作っていた。

廊下の奥にある部屋の扉の隙間から、

ほのかな灯りが漏れている。


(まだ起きてるのかな……)


扉を開けると、ファルも入浴をすませたのだろう。

少し湿った髪にバスローブを羽織り、椅子に座って何かの本を読んでいた。

その普段見ない姿に、心臓が跳ねた。


「ゆっくりできたか?」


顔を上げた彼の声は低く、

どこか眠気を含んだように柔らかい。


「うん……さっぱりした」


「なら、良かった」


また優しい笑みが、私の胸を不意に掴んでくる。


けれど、私も自然と笑みがこぼれた。

灯りの光が二人の間を照らし、

外の風の音さえ、今は心地よく感じる。


「……疲れただろう。早く休んだほうがいい」


ファルが本を閉じ、灯りの芯を少し下げた。

部屋が静かに暗くなり、

橙の光が、ゆるやかに影を滲ませる。


寝台の片側に腰を下ろしながら、

私はそっと彼の方を見た。

ファルは背を向け、椅子にもたれたまま微動だにしない。


(……そこで寝るのかな?)


さりげない気遣いに胸の奥が、また少し熱くなる。

でもその熱は、もう緊張ではなかった。


――隣に、いてくれるだけでいい。

そう思える夜があるなんて、

かつての私には想像もできなかった。


灯りがゆらめき、部屋を淡く包む。

静かな夜に包まれながら、

私はその灯りのぬくもりの中で、そっと目を閉じた。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

久しぶりの帝都、そして少し緊張の宿の夜。

賑やかだったインヴィクトゥスの元気な一幕から一転して、今回はサラの“心の静かなざわめき”を描いてみました。


次回は――

また、サラが不思議な夢を見る…


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