第五十九話:リシェリ・エルンスト
話はサラの帝都脱走にまで遡ります。
サラの友達リシェリ。
彼女が何を思っていたのか、皆さんにも観ていただきたくて、番外編ではなく本編としました。
五十九話から六十一話でリシェリ視点となります。
それは突然だった。
「帝国の機密を持ち出し、脱走した魔術師がいる。……名は、サラ・フェルディナンド。見つけ次第捕縛。抵抗するようなら――排除しろ」
魔術師団長エーレンヴェルク公爵が告げたその名は、私の魔術師団の同期であり、親友の名だった。
愕然とした。
サラが、そんなことをするはずがない。
真面目で、気が強いフリをしているけど、本当は泣き虫で、寂しがり屋で――。
「何かの間違いです!」
気づいたら叫んでいた。
詰め寄ろうとした私の腕を、周囲の魔術師たちが慌てて掴む。
その先にいたエーレンヴェルク公爵の視線は、氷のように冷たかった。
「……リシェリ・エルンストか。サラ・フェルディナンドとは交友が深かったな。何か聞いてはいないのか?」
ただ問われただけのはずなのに、背筋を貫くような圧があった。
本能が危険を感じ、喉が固まる。
「……い、いえ……何も……」
「…そうか。」
わずかな間。
その一言に、否応なく“線”を引かれた気がした。
集会場の空気がざわつく。
誰もが戸惑いを隠せず、異様な緊張が肌にまとわりついた。
「これは皇帝陛下の決定である。捜索隊は私が選任する。以上だ。全員、持ち場に戻れ。」
乾いた声が響き、広間の空気が凍る。
私は――現実を否定するように、無意識のうちに耳を塞いでいた。
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集会場を出た瞬間、張り詰めた空気が肌に貼りつく。
誰も口を開かない。
長い廊下に、靴音だけが冷たく響いた。
サラの名が出た瞬間から、周囲の視線が変わっていた。
同僚のルーファスは目を逸らし、アグネスは唇を噛んで沈黙する。
まるで「その話題に触れるな」と命じられているかのようだった。
(なに……これ)
胸の奥がざらりとした。
いつもは冗談を交わしていた仲間たちの表情が、今日は石のように固い。
「リシェリ・エルンスト。」
呼び止められて振り返ると、副隊長のクロードが立っていた。
彼は淡々とした声で告げる。
「君の部隊も、サラ・フェルディナンドの捜索対象に加わる。午後から帝都南部を巡回してくれ。」
「……了解しました。」
そう答えるしかなかった。
その言葉を口にした瞬間、胸の奥に何か重いものが沈んでいくのを感じた。
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執務室に戻ると、机の上には任務票が置かれていた。
白紙の中央に記された一行――
《捕縛対象:サラ・フェルディナンド》
その文字を何度見返しても、現実だと思えなかった。
ペンを握る指が震える。
報告書に落ちる自分の影が、まるで別人のように見えた。
(サラが、帝国を裏切るなんて……ありえない)
頭の中で何度も否定する。
彼女の笑顔、叱るときの真剣な瞳、泣きながら謝ったあの日の声。
どれも鮮明すぎて、息が詰まる。
もし――もしサラがそんなことをした理由があるとすれば、
きっと誰かを守るため。何かを信じたから。
そうでなければ、あのサラがこんなことをするはずがない。
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サラの情報は、魔術師団にもほとんど公開されなかった。
調べようにも、記録の多くが閲覧制限の印をつけられている。
帝都内とその周辺では大規模な捜索が行われた。
けれど、どの隊からも報告は上がらない。
まるで――誰かが意図的に“見つけさせない”ようにしているかのように。
(手がかりの一つも見つからないなんて……サラ、あなたはいったいどこに)
息を吸うたび、胸が痛んだ。
そしてその痛みと共に、胸の奥に小さな違和感が芽生えはじめていた。
(――これは、ただの裏切りなんかじゃない)
そう。
私は忘れていた。
単独任務を基本とする宮廷魔術師が、隊を組んで任務に当たる――その異常性を。




