第五十七話:過去の喧騒
過去と今が交わる場所で、サラが見る“変わらないもの”と“変わってしまったもの”とは……。
庵を出た瞬間、空気の質が変わった気がした。
何日ぶりだろう、外の世界を歩くのは。
ファルの隣を歩きながら、私はラーベル帝都へ向かう石畳を踏んでいた。
足元から伝わる振動が、胸の奥を不思議にざわつかせる。
庵にいたときは、あれほど無音だったのに、今は音が多すぎて逆に息苦しい。
鳥の声、人の話し声、馬車の車輪の音――全部が、少し遠く感じた。
遠くに帝都の尖塔が見えたとき、胸がひやりと冷たくなる。
懐かしいはずなのに、まるで知らない街を見ているようだった。
門前の兵士は笑い、市民は往来を行き交い、市場では威勢のいい声が飛び交っている。
けれど、その光景のどこにも、自分の居場所はないように感じた。
「懐かしいか?」
隣のファルが小さく呟いた。
「ん~……どうだろ」
言葉にはしなかったけれど、胸の奥が少し痛んだ。
ここは私がかつて仕えた帝都。
夢中で生きていた場所。
でも今は、その喧騒の中に心が沈んでいく気がした。
私は思わずファルを見上げた。
彼はまっすぐ門を見つめている。
その横顔に、淡い緊張が滲んでいた。
「少し、見て回ろう」
その一言で、心がわずかに緩む。
でも同時に分かっていた。
この街に踏み込むということは、過去の自分と再び向き合うことだと。
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私たちはフードを被らず、堂々と歩いていた。
庵を出る前、ファルが言った。
「普通でいることが、一番目立たない」
その言葉の意味は、彼が私に手を翳した瞬間に分かった。
光が一瞬だけ揺れ、私の髪が指先の下で色を変える。
手鏡に映る自分を見て、息を呑んだ。
銀の髪が、柔らかな茶色に。
蒼い瞳が、深い琥珀色に。
触れた瞬間、別人になったような気がした。
「……すごい。ほんとに私じゃないみたい」
「気にするな。今の方が安全だ」
ファルも同じように変化していた。
黒髪が茶に染まり、金の瞳は穏やかな焦げ茶に沈んでいる。
それでも、不思議と彼の存在感だけは隠しきれなかった。
姿形が変わっても、纏う空気が違うのだ。
「ファルって……それでも目立つね」
「そうか?」
「うん。なんか……“違う”って分かる」
「それは仕方ないな」
苦笑いを浮かべたその顔に、ほんの僅か影が走った。
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帝都の門を抜ける。
懐かしい匂いが、記憶の奥をくすぐった。
石畳に染みついた油の匂い、焼き菓子の甘い香り、人々の声。
すべてが、昔と同じ――そう、何ひとつ変わっていないはずだった。
それなのに、胸の奥が冷たい。
音はあるのに、心に届かない。
人々の笑い声が、どこか“薄い膜”を通して聞こえるような気がした。
(こんなにも遠かったっけ……)
かつての私は、この街の中心で生きていた。
帝国魔術師団の制服を着て、誇りを胸に歩いていた。
視線を集め、名前を呼ばれ、それが当たり前だった。
でも今は――誰も、私を見ない。
誰も、気づかない。
まるで最初から存在していなかったみたいに。
「……サラ」
ファルの声に、はっと顔を上げる。
「この街を、どう思う?」
私は少しだけ言葉を探し、ゆっくり答えた。
「……冷たい。人も街も、変わってないのに……私だけが、ここから離れてるみたい」
ファルは短く目を伏せ、微笑んだ。
それはどこか優しくて、少しだけ痛い笑みだった。
「それは…サラが前に踏み出したからだよ」
彼の言葉が、胸の奥に静かに沈んでいく。
ただ事実を告げる響きだった。
私は深く息を吸い込んだ。
かつて憧れた街の空気は、少しも変わっていない。
けれど、私の中の何かが――確かに変わっていた。
変わらぬ街並みと、変わってしまった自分。
ファルの言葉が胸に刺さる、静かな章でした。
次回――帝都の中で、サラが“あの名”と出会います。
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