第五十五話:白き聖座に潜む者
第三章開幕です。
遂に教会が本格的に……。
大聖堂の一室。
純白を基調とした、きらびやかな装飾。
目の前で偉そうに構えるこの男の性格を、そのまま写している。
教会が崇める龍の名を唯一口にできる存在――教皇サルヴァトール・アビヌス。
冷酷、残忍。教皇とは名ばかりの厄介な男――それが俺の正直な感想だ。
「インヴィクトゥス・セラフィエル、カリグナス・アズラエル。余に報告があろう?」
俺は帝都に戻る最中のルドニアで、帰還命令を受けた。もちろんカリグナスもだ。
よりにもよって、教皇猊下じきじきの指示で。
「報告ですか? 俺とカリグナスはルーメリアで家族の贈り物をと――」
「余を侮るな。インヴィクトゥス・セラフィエル」
(……笑ってごまかす隙も、くれないか)
齢八十を越えたとは思えない圧。胸の奥がきしむ。
カリグナスが一歩出て、簡潔に告げる。
「クラリス・オフィエル、ゼフィラ・ラグエル、ドミニクス・ラミエル――三名の死亡を確認しております」
「厄災の顕現」
「……っ!」
俺とカリグナスのわずかな動揺を、教皇は鋭く見抜いた。
その口角が、ゆっくりと吊り上がる。
笑っているはずなのに、目は氷のように冷たい。
温かさも慈しみもなく、ただ弱点を観察して愉しんでいる目だ。
(やっぱりこの男は……人じゃねぇ)
「して、蒼の杯は共にいたと思うか?」
(試してやがる……)
「いました。俺たちも遭遇しましたが、手出しはしませんでした」
俺が答えると、教皇はさらに笑みを深くした。
その顔は、獲物を捕らえる時の顔だ。
「理由を述べよ」
「結界が最初から張られていました。――張ったのは、あの男です。突破は危険と判断しました」
「二人で手が出なかった、と申すか?」
「……はい」
短い沈黙。回廊の向こうで聖歌がよく通る。
だが、この部屋に満ちるのは氷のような気配だった。
教皇は机を指で二度、軽く叩いた。
「して、蒼の杯は今どこにおる?」
「あの男と共に、どこかへ逃げおおせたようです」
教皇が立ち上がり、背後の紋章を見上げる。
その影が、光を遮って床に伸びた。
小さな老人のはずなのに、影は異様に大きく見えた。
「インヴィクトゥスよ、そろそろ動く時ではないのか?」
(くっそ……全部お見通しかよ)
「……分かりました」
「よい」
一礼して去ろうとした、その時だった。
「インヴィクトゥス、カリグナスよ――アザルグラ・ソルは宴を待っている。のんびりとしている暇はないぞ」
その一言で、俺とカリグナスは心臓を鷲掴みにされたように息を飲んだ。
大聖堂の空気が一気に冷え込む。
外の聖歌がどれだけ流れても、この部屋には救いなんて一欠片もなかった。
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俺とカリグナスは、まるで捕食者から逃げる獣のように大聖堂を後にし、聖都ルセリオンから北にある宿場街へ向かった。
街に入る頃には夜が更けていた。
賑やかな行商の声もなく、灯りはぽつりぽつりと揺れている。
静けさの中で聞こえるのは、蹄の音と、自分の鼓動だけだった。
「クソジジイ……毎度思うが、ありゃ人間じゃねぇな」
宿の一室で、俺は吐き捨てるように言った。
教会で禁じられた酒を煽りながらも、胸の奥に残る冷えは取れない。
喉を通る度に熱いはずの液体が、逆に内臓を凍らせていくようだった。
「あなた、あんな事の後によく平気で掟破れますね……」
カリグナスがため息をつき、椅子に深く腰を下ろした。
その声色にも、疲労と張り詰めた緊張が混じっている。
窓の外では風が宿場を吹き抜け、軋む音が夜に紛れた。
安全なはずのこの部屋にいても、背後にあの老人の影が立っている気がする。
何もかもを見透かされ、今も監視されているような――そんな悪寒が離れなかった。
「……寝れる気がしねぇな」
俺が呟くと、カリグナスは目を閉じたまま答えなかった。
だがその握りしめた拳が震えているのを、俺は見逃さなかった。
次回も宜しくお願いします。




