第五十三話:止まれぬ者たち
第三章に向けて――
四人は何を思うのか。
庵の庭に、湯気はもう残っていなかった。
白いテーブルの上、冷めかけたカップに薄い影が落ちている。
水の流れる音だけが、静かに耳に届いた。
ファルは視線を落とし、私の手を包んだまま言った。
「俺は……どこで止まれるのか、まだ知らない」
胸の奥がきゅっと縮む。
握り返した指先に、彼の体温は確かにあった。
「……つまり、不死だってことか?」
インヴィクトゥスが気まずそうに頭をかき、しかし目は逸らさない。
「言葉としてはそうだな。ただ、誤解のないように言うと――『死なない』というより『止められない』に近い」
ファルは、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「身体は壊れる。血も流れるし、痛みもある。だが――魂がほどけ切る前に、世界の方が俺を“元の形”へ縫い戻す。呼吸の仕方、骨の数、傷の位置……“生きていた俺”の型に合わせて、だ」
「世界が……戻す?」
カリグナスの声が低く落ちる。
「本来は黒龍が持っていた性質だ。俺は欠片の影響で、魂の器が世界へ溶け切ることを許さない」
「じゃあ……なんでソフィアは………」
夢で見た最後の光景が私の思考を支配しそうになったところで、ファルが答えをくれた。
「ソフィアは、肉体の死を止められなかった。だから“魂だけ”が世界に縫い留められた。片鱗はあっても、所詮は人の魂――顕現しない」
インヴィクトゥスが眉をひそめる。
「じゃあお前は首を飛ばされても、焼かれても、戻るのか」
「戻る。痛みも記憶も残るが……。戻るまでの“間”が長いときもあれば短いときもある、それだけだ」
淡々と話しているようでいて、私の手を握るファルの指先は、かすかに震えていた。
その震えは、不安の証か、それとも孤独の影か。けれど、彼は決して私を離そうとはしない。
「じゃあ、お前が歳を取らないのも、黒龍の性質ってやつか。二十年近い付き合いなのに、お前は老けないからなぁ」
インヴィクトゥスが軽く笑い飛ばしたのは、優しさなのか、素なのか。
ただ、その瞳には迷いが初めて影を落としたように見えた。
「再生に“限り”はあるのですか?」
カリグナスの問いは、静かで硬い。
「あるなら、俺がいちばん先に知りたい」
ファルは短く息を吐き、握る指先の震えを、私は両手で包み込む。
「誤解のないように言っておきます」
カリグナスが視線だけをこちらへ寄越す。
「我々は今、この場では何もしません。命令が下りていない上に、判断材料が足りませんから」
インヴィクトゥスが肩を回し、つまらなそうに舌打ちする。
「それに、俺たち教会の“目的”は嬢ちゃんだ。忘れるなよ」
「分かってる」
私はうなずいた。声が震えないよう、ゆっくりと。
「教皇サルヴァトール・アビヌス……哀れだな」
ファルが低い声で告げる。
「おいおい、危なっかしいこと言うじゃねぇか」
インヴィクトゥスが鼻で笑う。
「確かにお前の言う通りだがな。命令が出りゃ、次は茶なんか飲めねぇ。――それだけだ」
インヴィクトゥスは雑に立ち上がり、私とファルを交互に見てから笑った。
「まぁ、お前らに何かしても、涼しい顔されて終わりだろうがな!さて、帰るぞ、カリグナス!」
カリグナスが仕方なさそうに立ち上がる。
「これ以上聞いてしまうと、私までとばっちりを食いそうですからね」
二人は庵を後にした。
足音が遠ざかり、再び水の音だけが残る。
残された空気は冷たく重いのに、握る手のぬくもりだけが確かで――それが逆に、胸を締め付けた。
「……ファル」
呼んだ声は、小さく震えていた。
ファルは何も言わない。
けれど、いつもの優しい笑みを返してくれた。
その笑みには、ほんのわずかな翳りが差していた。
私はそれを見て、胸の奥に言葉にならないざわめきを抱いた。
――握った手の温もりは確かにここにあるのに、テーブルに置かれたカップの冷たさが、時間の残酷さを物語っていた。
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――その頃、森の外れを歩く二人の教会魔術師。
「なぁ、カリグナス」
インヴィクトゥスは珍しく悲しげな顔をしていた。
「なんです?」
「俺たちは、本当に……正義のままでいいのか?……いや、やっぱやめとく」
カリグナスが足を止め、夜空を仰ぐ。
「歴史はね、見た者、書いた者によって変わるんですよ」
「……皮肉か?」
「いいえ。私たちが“正義”と呼ぶものだって、誰かにとっては“罪”なんですよ。ただ――私はそれを知りながら、それでも断罪の役を選んでいるだけです」
インヴィクトゥスは黙り込む。
「インヴィクトゥス、私達も何れは“厄災”と呼ばれることがあるかもしれませんよ」
頭上の月明かりが二人を照らす。
その姿は、互いに揺らぎを抱えながらも立ち尽くす影。
まるで太陽を抱く龍を模した影が、月を抱く龍の姿へと変わっていくかのようだった。
次回、第二章最終話
宜しくお願いします。




