第四十五話:ルーメリアでの笑み
潮風は相変わらず頬を撫で、甲板の帆を大きく膨らませていた。
船は波を切り裂きながら進み、甲板の上には船員たちの掛け声と、行商人の笑い声が絶えず響いている。
けれど、私の胸の奥は不思議なほど静かだった。
交わした言葉――インヴィクトゥスとカリグナス、二人の教会魔術師が告げた“守護結界”の真実が、心の底に重く沈んでいる。
(守護結界……二人分の……)
無意識に胸元のサファイアへ指が伸びる。
蒼い輝きは、答えを示す光であると同時に、決して触れてはならない真実を映す鏡でもあった。
敵意ではなく、冗談で場を和ませるインヴィクトゥス。
冷たく線を引きつつも、静かに見守るカリグナス。
正反対のようでいて――どちらも、いま私に刃を向ける気はないと分かる。
「嬢ちゃん、少し顔色が悪いな」
不意に声をかけられて振り向くと、インヴィクトゥスが気安げに立っていた。
その声音には、父親のような柔らかさが混じっている。
「……大丈夫です」
かろうじてそう返す。
けれど胸の内では答えにならない疑問が渦を巻いていた。
――なぜ二人が、私と同じ船に乗っているのか。偶然か、それとも必然か。
波間に揺れる影のように、不安は形を結ばず胸を漂い続けていた。
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やがて船員たちの声が高まる。
宝石の町、ルーメリアが見えてきたのだ。
ファルと二人で訪れたあの時と変わらない、美しい街並み。
太陽の光を浴びた石畳は、まるで宝石そのもののようにきらめき、遠目にも眩しい。
けれど私の感情は凪いだまま、その先にある目的地だけを見据えていた。
「嬢ちゃんは宝石に興味ないのか?」
すでに教会の服を脱ぎ、紺のローブに着替えたインヴィクトゥスが、旅人のように不思議そうに問いかけてくる。
「私には……これだけあれば」
サファイアのネックレスを握りしめ、その存在を確かめる。
「サファイアか……“アイツ”はやっぱり“人間”やめてないんだな」
インヴィクトゥスが笑いながら、船室へと降りていった。
――思い出す。ファルの言葉を。
『人間やめたつもりはないですよ』
胸の奥で、その声が確かに蘇った。
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宝石の町ルーメリアに降り立てば、変わらない眩い光を放っていた。
昼間なのに路地は光の粒子で満ちているようで、露店の宝石が反射し合い、町全体が一つの大きな宝飾品のようだ。
どこからか、職人が小槌で鉱石を叩くリズムが響いてくる。
「おおっ、やっぱりいいなぁ! ルーメリアは! どっちを見ても光ってるじゃねぇか!」
先頭を歩くインヴィクトゥスは、まるで子どものように声を張り上げていた。
私は少し距離を取り、周囲の視線に肩をすくめる。
「……うるさいです」
「なに言ってんだ嬢ちゃん! こういうのは元気に歩いたほうが気分も上がるんだ!」
そう言うなり、インヴィクトゥスはぐいっと私の手首を掴んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
「いいから付き合えって! ほら、娘への贈り物を探すんだよ!」
私が抵抗する間もなく、人混みの中へと引きずり込まれる。
後ろからついてきたカリグナスが、冷ややかに一言。
「……私と同じ立場の人間とは思えませんね。もう視界から消えてください」
「うっせ! お前だって嫁さん大好きだろうが!」
「え……奥さんいたんだ……」
思わず驚きで声を漏らしてしまった。
私の声にカリグナスの眉がピクッと動いたのは気のせいではないだろう。
「お、おお! これなんかどうだ!?」
インヴィクトゥスは気にせず露店にあったきらびやかな髪飾りを取り上げた。
赤い宝石が花のように並んでいる。
「女の子はこういうの好きだろ? なぁ?」
「わ、私に聞かないでください!」
次に突きつけられたのは細い銀の指輪だった。
光の加減で小さな蒼石がきらりと輝く。
「おお、これいいな! どうだ嬢ちゃん!」
思わず、私は小さく声を漏らしてしまった。
「……あ、これ……可愛い……」
言った瞬間に我に返り、慌てて顔を背ける。
「き、気のせいです! なんでもありません!」
「ほら見ろ! 嬢ちゃんも気に入ったんだ! やっぱり指輪は外せねぇよなぁ!」
インヴィクトゥスは勝ち誇ったように笑い、露店の親父と値段の交渉まで始めそうな勢いだ。
「……あなた、ただの観光客にしか見えませんね」
隣で腕を組むカリグナスが、ため息交じりにぼそりと呟く。
インヴィクトゥスは鼻を鳴らして胸を張った。
「観光も人生の勉強だ! 贈り物は気持ちなんだからな!」
私は呆れながらも、その背中を見つめていた。
――娘への贈り物を、こんなにも真剣に選んでいる。
気づけば私は、かつて自分も“誰かから贈り物を受け取る立場”であったなら、と少し羨ましく思っていた。
けれど同時に、心がふっと軽くなるのを感じた。
「……きっと、何をもらっても嬉しいと思いますよ」
気づけば、私はぽつりと呟いていた。
インヴィクトゥスは一瞬驚いた顔をして、それから不器用に笑った。
「……そうかねぇ」
彼は鼻を掻き、少し照れくさそうに目を逸らす。
カリグナスは相変わらず冷ややかに見守っているが、その赤い瞳もどこか和らいで見えた。
宝石の町の賑わいの中、ほんの短いひととき――私の胸の重さが、少しだけ薄らいでいた。
そんな時、カリグナスが唐突に口を開いた。
「……ところでインヴィクトゥス。あなたの娘はまだ八歳でしたよね?」
「ん? ああ、そうだが――っておい! それ、言わなくても良いだろ!」
「え……八歳……? 私、娘さんと同じくらいに見えてるんですか……?」
私は思わず立ち止まり、愕然とした。
「お、おぉ、おい待て! 誤解だ! 嬢ちゃんは……その……!」
慌てふためくインヴィクトゥスにジト目を返す。
「違ぇ! 嬢ちゃんはもっと大人っぽい! ……たぶん!」
カリグナスが眉間を指で摘み、ため息をついた。
「はぁ……」
その対比に、思わず笑みがこぼれてしまった。
「おっ? 嬢ちゃんがやっと笑ったぞ」
「……笑いましたね」
私は恥ずかしくなり、そっぽを向いた。
「……私だって笑いますよ」
こんなやり取りで笑うなんて、自分でも驚いた。
敵のはずの二人に――なぜか、救われたように感じていた。
(……大丈夫、私……まだ笑えるよ)




