第四十三話:断罪と見極め
場面は変わり、インヴィクトゥスが動きます。
灰色の石畳を歩き、帝都を背に一人進む。
高くそびえる尖塔はもう遠ざかり、代わりに風が運んでくるのは、土と草の匂い、そして街道を行き交う馬車のきしむ音だった。
帝都の空気には、まだ一昨日の噂が濃く残っている。
「咆哮を聞いた」「大地が震えた」「厄災が甦る」――そんな言葉を、酒場の客も、市場の商人も、まるで同じ口から出たように繰り返していた。
耳にするたびに胸の奥に苛立ちが積もる。
誰も見ていない。誰も確かめていない。
数日もすれば、教会がただ恐怖を恐怖で塗り固め、そこに意味を与えてしまう。
それは光を掲げる者の務めを忘れた愚かさにほかならない。
(俺の目で見極める……)
そうでなければならなかった。
教会が「断罪」を叫ぶ前に。
誰かの刃が、守るべき者を屠る前に。
石畳を踏みしめる歩みを緩めぬまま、帝都を背にさらに進む。
街道の分かれ道へ差しかかったとき――視界に黒が差し込んだ。
漆黒の外套。研ぎ澄まされた気配。
見間違えるはずがない。
「……お前は俺の保護者か? カリグナス」
わざと軽口を叩く。
この出会いが偶然でないと知っているからだ。
「インヴィクトゥス、また勝手に動いて……アウレリウス司教に怒鳴られますよ?」
淡々とした声音。だが、その奥には呆れと警戒が見え隠れしていた。
「知るかよ。俺は俺のやりたいようにやる。文句あんのか?」
「ええ、山ほどありますが……今は飲み込みましょう」
漆黒と白の視線がぶつかり、石畳の上で風が唸った。
だがその場に生まれた緊張は、帝都のどの戦場にも劣らぬほど鋭いものだった。
――同じ教会に属し、同じものを守ろうとしている。
けれど、歩む道も、抱く覚悟も、まるで違う。
沈黙を破ったのは俺だ。
「なぁ、カリグナス。お前は“アイツ”をどう思ってる?」
問いかけは唐突に見えて、実は避けては通れぬものだった。
一拍置き、黒衣の男は口を開く。
「そうですね……あれは、“人間”ですよ」
その一言に、俺は口元を緩めた。
予想していた答え。だが、心の奥で小さく安堵する。
――やはり、見えているものは同じだと。
「はっ! なら、あの“咆哮”……お前はどう聞いた?」
「怒り。悲しみ。……まるで嘆きのようでした」
偽りのない答え。
俺は息を吐き、短く笑った。
「やっぱり、そう聞こえたか」
しばしの沈黙。
風が二人の外套を揺らし、灰色の石畳を撫でる。
その一瞬だけ――俺たちは並び立つ同志だった。
しかし次の瞬間、カリグナスの瞳が鋭さを増す。
「だからこそ断つべきなのです。“人”であれ、“厄災”であれ。世界を揺るがす咆哮を放った存在を野放しにはできません」
「断つ、か。……お前らしいな」
肩を竦め、俺は薄く笑う。
「だが俺は――まだ決めていない。あの声の主が本当に人々を滅ぼす存在かどうか。確かめてからでも遅くはないだろ」
「甘い。ためらいが命取りになりますよ?」
「性分なんだよ、カリグナス。俺は“光”を名に持つ者だ。見極めずに斬るのは、どうにも性に合わない」
言いながら、ふと過去の記憶が胸をよぎる。
まだ若き頃、誤解で一人の村人を「異端」と断じかけたことがある。
松明を掲げた群衆の前に立った男は、ただ怯え、家族を守ろうとしていただけだった。
あの時、俺が最後の一歩を踏みとどまり、真実を確かめなければ――罪なき者が燃やされていた。
その後悔は今も胸に棘のように残っている。
だからこそ、俺は見極めを捨てない。どれほど甘いと言われようとも。
カリグナスは鼻を鳴らした。
表情は変わらぬ冷徹。だが、その奥に小さな承認があるのを、俺は知っている。
こいつは俺を否定しきれない。俺もまた、こいつを突き放せない。
互いの方法は違えど、背負っているものは同じだからだ。
やがて二人は視線を外し、同じ街道を歩き出す。
歩調は合わない。外套の裾が触れ合うこともない。
だが、進む先は同じ。
「白は、本当に“光”に成り変われるのでしょうか……」
カリグナスの囁きが風に混じって届いた。
「さあな」
短く答えた。
それ以上語らない。語ってはいけない。
答えは俺たちが示すものではなく、人々が気付くものだからだ。
夕陽が差し込み、街道に二つの影が伸びる。
並んでいるようで、決して重ならない。
だがその背中は――互いに裏切らないと、どちらも分かっていた。
風が草を揺らし、遠くでカラスが鳴いた。
帝都の影が消え、前方には長い街道が見えている。
その先に答えが待っているのか。あるいはさらなる光すらも飲まれる闇か。
それでも俺たちは歩みを止めない。
「ところでカリグナス。なんでお前の外套、黒いんだ?」
素朴な疑問をぶつけると、意外な答えが帰って来た。
「私も"黒"は嫌いじゃないので」
「なんだよ。素直じゃねぇなぁ。最初からそう言えよ」
俺が笑って見せると、カリグナスは呆れたように呟く。
「あなたがバカ正直過ぎるんですよ」
軽口を交わす声は、まるで日常の一幕のようだった。
だがその裏には、どちらも背を任せられると知る確かな信頼がある。
――白と黒。交わらぬ二色の外套は、夕陽に照らされ街道を進んでいた。
まるで決して重ならぬ光と影が、それでも同じ地平を目指すように。
インヴィクトゥスとカリグナス、2人の今後に乞うご期待です。




