第二話:再び森へ
結界が砕けた瞬間の音が、いまだ耳の奥に残っている。
名前を告げた男――ファル。
その微笑みだけが、夢と現の境を曖昧にしていた。
森を出るとき、私は気づいた。
あれほど深く感じた森が、帰り道では――半分の距離で終わっていた。
まるで森そのものが、彼を護るように。
あるいは、私を試すように。
答えは出ない。
ただ、風がひと筋、髪を撫でて通り過ぎた。
それが「また来い」と囁いた気がした。
(……どう報告すればいい?)
胸の奥が重く沈む。
任務は調査と捕縛。
それなのに私は、理では測れぬ存在を前にして、ただ立ち尽くしていた。
報告すれば、笑われるだろう。
幻だと、一蹴されるに違いない。
けれど――彼は幻ではなかった。
あの瞳の奥には、確かな“意志”があった。
(……それに)
言葉にならない感情が胸を締めつけ、
私は首を振って打ち消した。
今は報告が先だ。
……そう言い聞かせることで、心を守った。
---
帝都ラーベル。
帝城の敷地にある魔術師団詰所。
魔力の香と羊皮紙の匂いが混じり合う空間で、
私は黙々と報告書を綴っていた。
「よぉ、サラ! ずいぶん早い帰還だな!」
響くのはルシアン隊長の豪快な声。
彼はいつも、嵐のように場を変えてしまう。
「……隊長、声が大きいです」
そう告げても、彼は意に介さず報告書を覗き込む。
「要再調査? サラにしては珍しいな。魔術師は見つからなかったのか?」
「……広い森ですから。そう簡単に遭遇できるものでもありません」
「それもそうか!」
笑いながら去っていく背を見送り、私は小さく息を吐いた。
(提出までしてくれれば完璧なのに……)
報告書に視線を戻す。
“要再調査”――その一文だけが、
本心を隠す薄い膜のように滲んでいた。
(……でも、きっとまた会う。そんな気がする)
理屈ではない。
けれど、胸の奥に刻まれたあの光が、そう告げていた。
---
翌日。
休暇を得た私は、訓練棟へ足を運ぶ。
氷の魔術を試す。
空中に、蒼く光る氷の刃を生み出す。
(生成速度、三秒……遅い)
彼――ファルは、一瞬で世界を変えた。
無数の属性魔術を同時に。
結界を、指先ひとつで。
私は掌を見つめ、唇を噛んだ。
悔しさではない。
それは――憧れにも似た高鳴り。
あの人の見た景色の“端”に、私も立ちたい。
(もう一度、確かめたい……)
その思いが胸を貫いたとき、迷いは霧のように消えた。
---
「隊長、お願いがあります!」
勢いよく扉を開ける。
机に突っ伏していたルシアン隊長が、寝ぼけ眼でこちらを睨んだ。
「……なんだぁ、気持ちよく寝てたのに」
「精霊の森の再調査――私に行かせてください!」
一瞬の沈黙。
次いで、隊長の目が静かに細められる。
「ほう……お前が自分から任務志願とはな」
「どうしても、自分の目で確かめたいことがあるんです」
長い溜息のあと、隊長は頷いた。
「……分かった。二日後に出立しろ。ただし危険だと思ったら必ず戻れ。あそこは八割が未踏の地だ」
「ありがとうございます!」
深く頭を下げたとき、隊長の声が背中に届いた。
「サラ――次は、ちゃんとした報告をしろよ」
(……気づかれてたんだ)
胸がちくりと痛む。
けれど、その痛みの中に、確かな信頼の温もりを感じた。
私はもう一度一礼し、静かに部屋を出た。
---
調査前夜。
宿舎の屋上。
風が星々の間を渡っていく。
帝都の灯が遠くに瞬き、
その向こう――森の闇が深く眠っている。
約束したわけではない。
けれど、心が知っている。
――また会う。必ず。
胸の奥で、小さな光が脈を打った。
森で出会った“杖を持たぬ魔術師”が、胸から離れない。
――あの結界の光も、指先の温もりも。
サラはもう一度、真実を確かめに向かう。
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結界が砕けた瞬間の音が、いまだ耳の奥に残っている。
名前を告げた男――ファル。
その微笑みだけが、夢と現の境を曖昧にしていた。
森を出るとき、私は気づいた。
あれほど深く感じた森が、帰り道では――半分の距離で終わっていた。
まるで、森そのものが彼を護るように。
あるいは、私を試すように。
答えは出ない。
ただ、風がひと筋、髪を撫でて通り過ぎた。
それが、「また来い」と囁いた気がした。
(……どう報告すればいい?)
胸の奥が重く沈む。
任務は調査と捕縛。
それなのに私は、理では測れぬ存在を前にして、ただ立ち尽くしていた。
報告すれば、笑われるだろう。
幻だと、一蹴されるに違いない。
けれど――彼は幻ではなかった。
あの瞳の奥には、確かな“意志”があった。
(……それに)
言葉にならない感情が胸を締めつけ、
私は首を振って打ち消した。
今は報告が先だ。
……そう言い聞かせることで、心を守った。
---
帝都ラーベル。
帝城の敷地にある魔術師団詰所。
魔力の香と羊皮紙の匂いが混じり合う空間で、
私は黙々と報告書を綴っていた。
「よぉ、サラ! ずいぶん早い帰還だな!」
響くのはルシアン隊長の豪快な声。
彼はいつも、嵐のように場を変えてしまう。
「……隊長、声が大きいです」
そう告げても、彼は意に介さず報告書を覗き込む。
「要再調査? サラにしては珍しいな。魔術師は見つからなかったのか?」
「……広い森ですから。そう簡単に遭遇できるものでもありません」
「それもそうか!」
笑いながら去っていく背を見送り、私は小さく息を吐いた。
(提出までしてくれれば完璧なのに……)
報告書に視線を戻す。
“要再調査”――その一文だけが、
本心を隠す薄い膜のように滲んでいた。
(……でも、きっとまた会う。そんな気がする)
理屈ではない。
けれど、胸の奥に刻まれたあの光が、そう告げていた。
---
翌日。
休暇を得た私は、訓練棟へ足を運ぶ。
氷の魔術を試す。
空中に、蒼く光る氷の刃を生み出す。
(生成速度、三秒……遅い)
彼――ファルは、一瞬で、世界を変えた。
無数の属性魔術を同時に。
結界を、指先ひとつで。
私は掌を見つめ、唇を噛んだ。
悔しさではない。
それは――憧れにも似た高鳴り。
あの人の見た景色の“端”に、私も立ちたい。
(もう一度、確かめたい……)
その思いが胸を貫いたとき、迷いは霧のように消えた。
---
「隊長、お願いがあります!」
勢いよく扉を開ける。
机に突っ伏していたルシアン隊長が、寝ぼけ眼でこちらを睨んだ。
「……なんだぁ、気持ちよく寝てたのに」
「精霊の森の再調査――私に行かせてください!」
一瞬の沈黙。
次いで、隊長の目が静かに細められる。
「ほう……お前が自分から任務志願とはな」
「どうしても、自分の目で確かめたいことがあるんです」
長い溜息のあと、隊長は頷いた。
「……分かった。二日後に出立しろ。ただし危険だと思ったら必ず戻れ。あそこは八割が未踏の地だ」
「ありがとうございます!」
深く頭を下げたとき、隊長の声が背中に届いた。
「サラ――次は、ちゃんとした報告をしろよ」
(……気づかれてたんだ)
胸がちくりと痛む。
けれど、その痛みの中に、確かな信頼の温もりを感じた。
私はもう一度一礼し、静かに部屋を出た。
---
調査前夜。
宿舎の屋上。
風が星々の間を渡っていく。
帝都の灯が遠くに瞬き、
その向こう――森の闇が、深く眠っている。
約束したわけではない。
けれど、心が知っている。
――また会う。必ず。
胸の奥で、小さな光が脈を打った。
――そして、再び“彼”の影が現れる。
運命は、静かに形を成し始める




