第十七話:鎖の記憶
「……ソフィア」
私の名を呼ぶのは、胸が軋むほどに愛しい声。
振り返ると、黒髪に黒い瞳の二人が立っていた。
互いを睨み合い、火花を散らすような視線を交わしながら――それでも、表情の奥に微かな笑みを宿している。
(また……やってる……)
「どちらかを選べ」
「無理に決めさせては、ソフィアが可哀想でしょう?」
二人の声が重なった瞬間、視界がぐにゃりと揺れた。
燃え盛る城、血に染まる大地。
耳をつんざく轟音と、焦げた鉄の匂いが鼻腔を突く。
――血に濡れた白いドレスの裾。
私を抱き締め、声を押し殺すように泣いている影。
その傍らで寄り添い、共に逝こうと囁く声。
そして、意識が遠のく私の前で約束が交わされた。
(そんなの……だめ……。違う……あなた一人でなんて……!)
胸が張り裂けそうになった瞬間、耳元で愛おしい声が響いた。
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「サラさん……目を覚まして下さい」
世界が反転するように、私は現実へと引き戻される。
庵の天井が見える。愛おしい黒い瞳が私を見つめている。
けれど頬を伝う涙の冷たさは、夢ではなかった証のように残っていた。
(私は……何を見たの……?)
夢と現実の境目が溶け、心の奥から感情が堰を切ったようにあふれ出す。
気がつけば、私は無意識にファルのローブを掴み、すがるように声を上げて泣いていた。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
――私は、いったい誰に謝っているのだろう。
ファルの大きな手が私の背を撫でる。
その温もりは優しく、けれどどこか切なくて。
「サラさん、大丈夫です。何も怖いことはありません」
(違うよ…怖いんじゃない…私は!)
感情がとめどなく溢れ、涙が止まらない。泣きわめく声がとまらない。
(どうして…どうして…答えてよ!)
「答えてよ!」
私は無意識に言葉に出して、涙が止まらない目でファルを見上げている
「約束したでしょう。何があっても護ると」
優しく紡がれた言葉は私の心に、魂に響いていく。
(私は……)
「……あなたの鎖になんて、なりたくなかったのに!」
喉の奥から迸った叫びは、私自身が一番理解できない言葉だった。
それなのに、魂が震えるような痛みと共に溢れ出して止まらない。
(どうして……どうしてこんな言葉が……私……違う……!)
涙で歪む視界の向こう、ファルはただ静かに私を見つめていた。
責めることも、問い詰めることもなく――その瞳は、深い哀しみをたたえながらも、どこまでも優しい。
「サラさん……大丈夫。サラさんはサラさんです。他の誰でもない。夢に飲まれてはいけませんよ」
夢…そうだ。夢だ。夢?違う。
私はファルの胸に顔を埋め、やまない涙と声を殺した。
名を呼ぶ声は、まるで赦しそのもののようで、余計に胸が締め付けられる。
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涙がようやく収まった頃、私は深く息を吐き、ファルの胸からそっと身を離した。
(私は……サラ。サラ・フェルディナンド。
ソフィアなんかじゃない……!)
強く否定しなければ、夢に呑まれてしまいそうだった。
あの声も、あの気持ちも、言葉も――全部、私じゃない。
けれど、ファルが私の涙を拭った瞬間、胸の奥がじんわり熱くなる。
(……この感覚……)
安心するような、切なくなるような……言葉にならないざわめき。
視線が重なるたび、鼓動が速くなる。
(……でも、きっと夢のせいだ。私に残滓みたいに流れ込んで……)
そう自分に言い聞かせる。
だって、こんなの――私の気持ちじゃない。全部夢の余韻なんだ。
「サラさん、落ち着きましたか?」
優しい黒の瞳。
ほんの一瞬、胸が震えたのに、すぐに心を押さえつける。
「……うん。大丈夫。ありがと」
夢のせい。きっとそれだけ。
私は微かに震える自分の指先を隠した。
ファルはそれ以上何も言わず、ただ静かに微笑んでいた。
その微笑みが、逆に私の胸をざわつかせる。
――夜は更けていく。けれど、眠りにつける気はしなかった。