第十五話:蒼の杯と贄の名
広間で迷っていた私に、背後から声がかかった。
「そんなところで何を悩んでいるんですか?」
振り返れば、ファルが紅茶を盆に載せて立っていた。
「よかった……居た。少し、話せる?」
「もちろん。お茶でも飲みながら」
緑と水音に満ちた部屋に入ると、すでに二人分の紅茶が整えられていた。
見透かされているはずなのに、どうしてか胸が温かい。
向かいに座り、カップを一口。ファルは静かに口ずさむ。
──白の冠は蒼の杯を天に捧げん。
黒の冠は太陽に焼かれ、大地に伏す。
太陽を抱くは龍なり。
龍は灼熱の業火で厄災を払い、我らに冠を与えん──
「サラさんは、これをどう読み解きますか?」
「……後半は分かりやすいよ。教会が崇める龍が黒龍を倒し、その後に王を選んだ……そういう意味でしょ」
「まぁ、そうなりますよね」
肯定も否定もせず、ファルは視線を落とす。
「正確には……」
──教皇は杯を天の神に捧げ、皇帝は神に焼かれ倒れた。
龍は神と共に偽りの龍を滅ぼし、新たな王を選ぶ──
「……直接的には、こういう意味ですよ」
「神なんて……」
「いません。ただの象徴です。龍を神格化するための方便ですね」
眉を寄せる私に、ファルは穏やかに助け舟を出した。
「世界の国旗を思い出してみてください」
まず頭に浮かんだのは、ラーベル帝国の旗。龍が冠を睨み守る姿。
他の大国も同じように、龍と冠。
偶然にしては似すぎている。
「あ……厄災の直後に建てられた国は、大国だけ」
「ええ。そして導き出される答えは?」
「……教会が、国を作った?」
口にした瞬間、自分の声が遠くに聞こえた。
ずっと信じてきた帝国の歴史が、音を立てて崩れる気がした。
「御名答です」
ファルはカップを置き、淡く笑った。
「国旗の龍は教会を、冠は国そのものを意味します。信仰を広めるため──ではなく、教会は国を檻にして民を囲った。そして……杯を探している」
背筋に悪寒が走る。
「杯……って、一節に出てくる蒼の杯?」
「はい」
ファルは紅茶を注ぎ直し、静かに問いを投げる。
「サラさんは、蒼の杯は何だと思いますか?」
「杯は……杯、じゃないの?」
言いながら、自分で否定する。そんなはずない。
「経典の冠は王を、太陽は神を意味しました。同じように──杯も別の意味を持ちます」
思考の先に浮かぶのは、歴史に幾度も繰り返された行為。
祈り、供物、そして……。
胸の奥が冷え、声が凍る。
「……っ」
恐ろしくて言葉にできない私の表情を見て、ファルは静かに頷いた。
「ご想像の通りです。杯は個を意味する……つまりは贄」
寒気が全身を這い、呼吸が浅くなる。
「そして、私はその贄となった者の名を知っています」
ファルはしばらく口を閉ざし、紅茶の表面を見つめた。
その沈黙が、答えよりも雄弁だった。
(聞きたくない……でも、知っている)
「…………ソフィア」
口にしたのは、私自身だった。




