第十四話:揺らぐ真実、揺るがぬ約束
ファルは、燃え盛る小さな太陽を無表情で見つめていた。
結界の外では草木が音もなく燃え落ちていく。
「……あなたは平気なんですね」
私の呟きに、インヴィクトゥスが炎の中から答える。
──太陽を抱くは龍なり。龍は灼熱の業火で厄災を払い、我らに冠を与えん──
「我らは太陽と共にある。焼かれることなどない」
その声音には信念が宿っていた。
だが、ファルの返答は冷ややかだった。
「……それは、本物ですか?」
一瞬で空気が変わる。
いつも柔らかかったファルの気配が消え去り、代わりに押し寄せるのは怒り、絶望、そして底知れぬ哀しみ。
その圧に触れただけで、指が震え出す。
「おいおい、娘の方が震えてるぞ」
インヴィクトゥスの指摘が胸を抉った。
(守ってくれているはずなのに……どうして私は、こんなに怖いの?)
恐怖、疑念、信頼、安心、罪悪感。
感情が綯い交ぜになり、心が壊れそうになる。
「わ、わたしは……」
声が出ない。いや、出せない。
(ファルが怖い……? 違う……これは……)
そんな私に、ファルは優しい声で語りかけた。
「サラさん。たったひとつでいい……信じてくれますか?」
顔を上げると、そこにはいつもの柔らかい笑み。
「何があっても護ると約束しました。サラさんがどんな選択をしても──私は、サラさんを護ります」
頭に置かれた手は、お父さんやお母さんよりも優しかった。
なのに、頷けない自分が悔しい。
「……さて。そろそろ帰りましょうか」
ファルの言葉と同時に、インヴィクトゥスの炎は爆散した。
彼の制御にも限界がきたのだろう。
「まったく、『厄災の成れの果て』とは誰が言い始めた? どう見ても……」
「それはご想像にお任せします」
挑発的なやり取りの末、インヴィクトゥスは肩を竦める。
「……今日は確かめに来ただけだ。帰る」
背を向けるその瞬間、ファルが声を投げた。
「ひとつ、教皇に伝えてください」
「……あぁ?」
「二度と──奪えると思うな」
その声は鋼のように強く、私でさえ背筋を凍らせた。
インヴィクトゥスの顔が、一瞬だが恐怖に歪んだ気がした。
「……あぁ。伝えておこう」
白衣の魔術師たちが去り、炎の跡に静寂が戻る。
ファルは何事もなかったかのように微笑んだ。
「いやあ、疲れましたね」
疲労の色は見えない。きっと私を気遣っての言葉だ。
私はただ俯き、声を失ったままだった。
「静寂の庵に戻ったら、お風呂でも入って、ゆっくりしてください」
指笛が鳴り、丘の上に置いてきた馬が戻ってくる。
焼かれたと思っていたのに、無傷のままだ。
庵に戻っても、ファルは多くを語らなかった。
その沈黙が、余計に私を追い詰める。
湯船に浸かり、頭を整理する。
インヴィクトゥスは確かに言った──「厄災の成れの果て」。
そしてファルは、教会の信徒が唱える一節に似た言葉を紡いだ。
──白の冠は蒼の杯を赤で満たし、天に捧げん。
黒の冠は蒼の杯を抱き、大地に伏す。──
一方で、教会の経典はこうだ。
──白の冠は蒼の杯を天に捧げん。
黒の冠は太陽に焼かれ、大地に伏す。
太陽を抱くは龍なり。
龍は灼熱の業火で厄災を払い、我らに冠を与えん──
(前半は似ている……でも、なぜ後半を遮ったの?)
真実はどこにあるのか。
ファルの言葉が正しいのか、それとも教会の経典が正しいのか。
「……やっぱり、ちゃんと聞かなきゃ」
私は浴室を出て、ファルの部屋を探そうとした。
だが──。
「……ファルの部屋、知らないんだった……」
出鼻をくじかれ、広間で立ち尽くすしかなかった。