第十三話:白と黒の対峙
翌日、惜しみ惜しまれながらフェリシアを後にした。
来たときと同じく馬に跨がり、二日かけての移動である。
「ねぇ、もっと楽に帰れる方法ってあるんじゃないの?」
「そんな便利なもの…ないと思いますよ?」
絶妙な間と疑問形で返され、ムッとした私を見てファルはクスクスと笑う。
一緒に過ごす日々の中で、自然に言葉を交わせるようになっている自分に気づき、少しだけ胸がざわついた。
それが正しいことなのかは分からない。
「そうそう。フェリシアですが──帝国も教会も手は出せませんから、安心してください」
唐突に言われ、思わず首を傾げる。
「どうして?理由があるの?」
「ルミラがいますから」
幻惑の精霊ルミラ。人の目と意識を惑わす、悪戯好きの精霊。
帝都を脱出できたのも、彼女の力によるものだったと知り、合点がいく。
──後にフェリシアが「幻の村」と呼ばれるのは、また別の話だ。
「ただし、ルミラが近くにいない以上、私たちは恩恵にあずかれません。注意してくださいね」
「……分かった」
つまり、これからは帝国や教会の追手に遭遇する可能性もある。
そう考えたとき、私は致命的な事実を思い出した。
「あ……私、杖がないから魔術使えない……」
情けなさが胸に重く沈む。
「ファルがいるから大丈夫」──そう思いたい一方で、戦えない自分が悔しい。
「サラさん、杖があれば戦えますか?」
「どういう意味?」
「帝国の魔術師……知人や仲間と命をやり取りできますか?」
答えられなかった。できるとも、できないとも。
唇を噛んだ私に、予想外の言葉が返る。
「それでいいんです」
「……え?」
「命を奪い合わないに越したことはありませんから」
(やっぱり、この人は……違う)
疑念や恐怖が頭をもたげるたびに、打ち消すようにそう思った。
丘を越えれば、もうすぐ精霊の森。
だが、頂上に立った瞬間、目に入ったのは純白のローブ。
太陽を抱く龍の紋章が金糸で刻まれている。
ファルは苦笑し、低くつぶやいた。
「……早々に、随分な大物が出てきましたね」
その背後には、銀糸の紋章を纏う十人の魔術師。
圧倒的な威圧感に、思わず息が詰まる。
「知ってるの……?」
「教会魔術師最高位。天使の名を与えられし者達の一人──インヴィクトゥス・セラフィエル」
噂にしか聞いたことのない存在。戦場に現れれば、一人で戦局を覆すとも言われる。
ファルは臆することなく馬を降り、歩を進める。
「だ、大丈夫……?」
震える私に、振り返ったファルは優しく微笑んだ。
「何があっても護ります。約束です」
その声に、胸の奥がざわつく。
インヴィクトゥスと向かい合ったファルは、真剣な声で口を開いた。
「ずいぶんと出し惜しみのない戦力ですね」
「……貴様相手には、これでも足りねぇだろ。嫌味か?」
二人の会話は、まるで旧知の仲のようで、私には理解できない。
だが、次の瞬間──ファルが低く詠んだ言葉が空気を裂いた。
──白の冠は蒼の杯を赤で満たし、天に捧げん。
黒の冠は蒼の杯を抱き、大地に伏す。──
その瞬間、インヴィクトゥスの気配が鋭く変わる。
「それ以上はやめてもらえると助かるな」
腕を振り抜くと同時に、十人の魔術師が一斉に魔術を行使した。
だが、ファルが軽く腕を上げただけで、すべての魔術が霧散する。
「……私と戦ったときより……」
息を呑む私の前で、インヴィクトゥスは古代の言葉を紡ぎあげた。
退避する魔術師たちの背後に、熱を孕んだ光が渦巻く。
轟、と音を立てて顕現したのは、燃え盛る球体。
小さな太陽のように眩く、炎の極大魔術。
「な……教会が……古代魔術を……?」
古代魔術を禁術としていはずの教会魔術師が、それを行使している。
熱風を遮るファルの結界の中、私は凍りついた。
(信じてきたものは……何だったの……?
私は……何を信じればいいの……?)