第八十九話:忘れない街
陽光が石壁を照らし、白い街並みに淡い蒼が滲んでいた。
風が水路を渡り、鐘の音が微かに響く。
その音が止むたびに、街が静かに息をついているように感じた。
通りを歩く人々は穏やかで、表情に影がない。
けれどその笑みの奥に、どこか“同じもの”を見ているような奇妙な統一感があった。
言葉を交わすたび、過去と現在が混ざり合うような感覚がする。
「……変わった街だね」
私の呟きに、ファルは短く頷いた。
「この街は、“忘れない”ことを選んだ場所だ。
誰もが語り、記し、受け継ぐ。そして――“厄災”の前から、この街の景色は変わらない」
「建物はまだ新しいのもあるよ?」
「建て替えているんだ。同じ形、同じ色に」
「……なんで?」
「変わらないことで、“記録”になるからだ。
この街に住む者たちは、“今”を残すために“今”を模倣する。
どれが過去で、どれが現在か――もう誰にも分からない」
言葉を失った。
街を見渡すと、確かにすべてが同じ色をしている。
窓枠も、石畳も、橋の形さえも――どこかで見たような“既視感”に包まれていた。
遠くで、子どもたちの笑い声が響いた。
だがそれもどこか薄い。
音が風に溶けて、形を保てないまま漂っていく。
「ねぇ……この街の人たちって、幸せなのかな」
「“真実”を生きているつもりではいる。
だが、それが真実かどうかは……本人が決めることだ」
その言葉のあと、沈黙が落ちた。
街の光景が一瞬、時間ごと止まったように感じた。
まるでこの場所だけが、過去と現在の狭間に閉じ込められているように。
「……私と、同じだ」
その小さな呟きに、ファルは視線だけを向けた。
冷たくも優しいその瞳が、ゆっくりと私の中の何かを映す。
「サラは、サラの真実を見ればいい」
彼の声は穏やかで、まるで祈りのようだった。
けれどその奥には、かすかな痛みが滲んでいる。
ファルが足を止めた。
目の前には、白い塔の根元に建つ古い館がある。
その扉には、蒼い紋章――三日月を抱く龍の意匠が刻まれていた。
「この紋章って、教会のものに似てるけど……なぜか懐かしい」
「これは――元々はソフィアの……アルヴェイン家の紋章だ」
風が止んだ。
街のざわめきが、まるでその名に呼応するように静まっていく。
ふと、胸のサファイアに触れる。
指先に伝わる冷たさが、心の奥で微かに震えた。
それはただの装飾ではない――そんな確信が、理由もなく胸を締めつける。
光の反射の中で、蒼が淡く脈打った気がした。
ファルが視線を逸らし、静かに館の扉へと手を伸ばす。
その仕草に、言葉にならない“ためらい”が宿っていた。
私は息を呑む。
この扉の向こうに、きっと――ソフィアの記録がある。




