表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒の約束〜滅びの約束を越えて〜  作者: はる
約束の残響

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

103/109

第八十五話:蒼の彼方へ

港に吹く潮風は、

過去の痛みを包み込みながら、

新しい旅の始まりを告げていた。


怒りも、迷いも、すべてを越えて――

サラとファルは、“蒼の方”へと進み出す。

「……何も、聞かないのか?」


船に乗る直前、ファルが小さな声でそう言った。

潮風の中、その声音だけがどこか震えていた。

言葉にすれば消えてしまいそうな、かすかな響きだった。


私は振り返り、静かに笑った。


「うん、聞かない。だって――信じてるから」


自分でも不思議だった。

あれほど怒鳴り、あれほど心を乱したのに、今の私は不思議なほど落ち着いていた。

胸の奥ではまだ熱が残っているはずなのに、それがどこか遠くの記憶のように感じられた。


それは、ファルの行動や言葉を信じているという意味ではない。

彼の中にある痛み、哀しみ、そして、それでもなお人であろうとする“意思”を信じているのだ。

どんなに歪められ、どんなに失っても、彼はそれを捨てなかった。

だから私は、怖くても信じると決めた。


「……そうか」


ファルが小さく息を吐く。

その横顔には、どこか遠い海を見つめるような影があった。

彼の瞳の奥に宿るのは、懐かしさにも似た痛み。

長い年月を越えても消えなかった何かが、そこにあった。


港の方では、船乗りたちの掛け声が響いていた。

縄を引く音、木材が擦れる音、帆を揚げる風の音。

それらが混ざり合い、まるで街全体が息をしているようだった。


白い帆が風を受け、ゆっくりと形を変えていく。

太陽の光が波に反射し、まるで無数の破片のように煌めいていた。

その光がファルの銀髪に触れ、刹那、淡く揺れた。


マルセリウスが桟橋の方で見送っていた。

彼の姿は小さく、それでも変わらず穏やかな笑みを浮かべている。

きっと、すべてを知っているのだろう――けれど、語らない。

彼の沈黙は、祈りに似ていた。


私はふと、掌を見下ろした。

そこにはまだ、ファルの手の温もりが残っていた。

それは確かに、現実の熱だった。

けれどどこか、夢の中で感じたぬくもりにも似ている気がした。


「行こう」


ファルの声に頷き、私は一歩を踏み出す。

船板が軋む音が、足元から響いた。

それはまるで、古い記憶が再び動き出す音のようだった。

波が船底を叩くたびに、心の奥が微かに揺れる。


「ねぇ、ファル」


「うん?」


「“信じる”ってさ、怖いね」


ファルが少し驚いたように私を見る。

その瞳の色は、海よりも深く、風よりも静かだった。

私は悲しげに笑って、続けた。


「信じた分だけ、傷つくかもしれないし――

 信じた分だけ、ファルがいなくなるのが、怖いよ」


言葉にしてしまった瞬間、胸の奥が軋んだ。

でも、嘘をつく方がもっと怖かった。


潮風が吹き抜け、彼の銀の髪を揺らす。

その下で、ファルは何も言わなかった。

けれど、静かに伸びてきた指先が、私の手を包み込む。


その温もりが、言葉よりも確かに心に届いた。

指先の震え――それはきっと、彼も同じように怖れている証。

信じるということは、二人で同じ痛みを抱えることなのかもしれない。


遠くで船鐘が鳴る。

出航の合図だ。

波止場の人々がざわめき、海鳥が高く鳴いた。


世界がゆっくりと動き出す。

信じることは、きっと恐怖と隣り合わせだ。

それでも私は――その手を離さない。


「サラ、傍にいると、約束した」


「……うん」


「それが嘘なら、嘘にしようとも」


「そう、だね」


「俺の嘘を、信じてくれるか?」


その問いに、答えはなかった。

けれど、私の手は――彼の手を、離さない。


船が静かに岸を離れる。

波が光を裂き、白い軌跡を描いていく。

風が二人の間をすり抜けたとき、

遠い過去が、またひとつ息を吹き返した。


「――ねぇ、ファル……私ね、思い出したんだ」


その声は、波の音に溶けていくほど小さかった。

けれど、彼の瞳がわずかに揺れたのを、私は見逃さなかった。


「まだ私が幼い頃、フェリシアの外に出て、帰れなくなった日のこと。

 あの時、村に滞在していた魔術師が、私を見つけてくれたの」


静かな潮風の中で、記憶がひとつひとつ形を取り戻していく。

誰も覚えていないけれど――


「私を見つけて、……ずっと、ずっと守ってくれてたんだよね。――ありがとう」


ファルの唇が、何かを言いかけて止まった。

その沈黙の中で、私は確信した。


これは偶然ではなく、必然だったのだ。

互いに、カイゼル・アルヴィトの魂の片割れを持ち、

“約束”という“鎖”に縛られた二人。


たとえ、世界に弾かれても。

飲み込まれるのだけは――嫌だ。


その瞬間、海が光を反射した。

ファルの瞳の奥で、ほんの一瞬、昔の空の色が揺れた気がした。

私はそれを見届けるように、彼の手を強く握った。


――そして、船は静かに蒼の方へ進んでいった。

信じることは、きっと恐ろしい。

けれどその恐れを抱いたまま、

彼らは“嘘の誓い”を交わした。


それは、偽りではない――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ