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流界の魔女  作者: blazeblue
傷だらけの召喚獣
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第9話 夢から覚めた朝




 トレスから動き回る許可を得て3日が経つ。しかし相変わらず部屋の中以外を自由に動く許可は下りていない。直接命令されたわけではないが、『暗黙の了解』というものである。こちらを子供だと思うなら取引じみたことはやめてほしいと一葉は思う。

 とは言え一葉が毎日丁寧に世話をしてくれる侍女たちに不満を持つはずも無く、彼女は優雅に昼食後のティータイムを過ごしていた。



 時刻は高い音の4刻をまわり一葉の感覚で30分ほど。ちなみに時計はもとより携帯や地球からの私物は、全て前の世界で最後に泊った宿に放置したままである。

 この世界では2時間ごとの時間が分かればそう問題無いようで、細かく時間がわかる個人用の時計は限られた人間のみしか持っていない。その時計も見せてもらったところそう細かいものではなかった。



 時間感覚の違いに慣れるまでにも苦労したことを懐かしく思いながら、一葉はのんびりと紅茶に似た飲み物を味わいつつ渋い顔をした。



(んー……暇。することないし、歩き回れないし。このままこの生活だと体重が怖いなぁ……)



 とはいえ部屋の中で派手な運動をできるはずもない。近くには侍女と衛士が控えているし、不審な行動を取れば言い訳しなければならない。分かってくれればよいが、不審の種はばらまきたくない。というかそんな理由を口に出すのも気まずい。



 今日の茶菓子は懐かしのラスク。枕元に置いてあるその箱を見てツッコミを入れたものの、ありがたく頂戴している。出自が分からない食物を口にしても止められない現状は一葉の立ち位置を容易に理解させた。

 いけない、止めよう。そうは思えどすることがなく懐かしいお菓子が目の前にあるということで、一葉は手を止めることが出来ないのだった。



(ま、暇の方はそろそろウィンが来だろうから時間を潰せるでしょ)



 することも無く毎日がお茶を飲みながら過ぎていく。そして時々ウィンの訪いを受ける。

 この生活がずっと続いた末、退屈が苦痛に繋がりそうだという予想からは目をそらして、一葉はまたラスクに手を伸ばしたのだった。








「何ですかそのお菓子は!?」



 好奇心に満ち溢れた高い声が客室に響き渡る。



「おや。確かに見慣れないものですね」



 後から入ってきたウィン、そしてアリエラについてきたレイラも、応接用の机の上にあるラスクを見て興味深げな表情を浮かべた。



「あぁ。ラスクっていう名前の、私の世界のお菓子。怪しいと思うから勧めないよ。お茶くらいは出してもらうけど」



 そう言いながら一葉は侍女に声をかけてラスクを片付けてもらい、代わりに新しくお茶を出してもらう。

 人間とは我儘なもの。ウィンにしろレイラにしろ、アリエラですら出された物をそう簡単に食べてはいけないと理解しているのだが、食べられないとなると気になって仕方がないのだ。気をそらすためにもウィンは素朴な疑問をぶつけることにした。



「一体どこでそれを? そのような持ち物は無かったはずですが」



 持ち物検査をしたような口ぶりだが何の悪気も感じていないウィンの声。それに引き攣りはするが、やがて一葉は諦めたようにため息を吐きだした。



「いや、詳しくは私も分からないけど。

 昨日の夢に赤い髪の神様が出てきて、最初は相手の職場の愚痴とかこっちの環境の愚痴とかだったけど、そのうち義理の子供? とか見せられて! うっかり褒めたらもう、娘さんの可愛さと息子さんの賢さともんじゃとビールの良さと厚労省をやたらアピールされて、しかも本人はジャンク類すら食べられない私へせめてもの善意のおすそ分けのつもりで、結果すっごい自慢だっつーの私にしてみりゃ! そしたら意識薄れるギリギリでお土産って聞こえて!

 起きたら枕元にラスクの箱だよ。結構高級だよ。つーか枕元って。枕元にプレゼントって!! アンタはクリスマスのサンタか!! 名前思いっきり日本名じゃん!! 白いひらひらのくせに!!

 あー、思い出したら腹立つわー!! お蔭でこっそりなってたホームシックが治ったよ!! ありがとう!!」



 自棄になったように吼える一葉。貶しているのか礼を言っているのかよく分からない妙なテンションの彼女に、全員心持ち身を退いた。これ以上つつくのはマズイと何となく3人は悟り口を閉じる。



 一通り叫んでから落ち着いたらしい一葉はアリエラを見据え、珍しく薄らと微笑んだ。



「で、何でいるのかな?」

「こ……こわ、怖いですよイチハ!!」



 冷や汗を流しながら、アリエラは笑顔で詰め寄ってくる一葉を押しとどめようとした。傍らには護衛であるレイラとウィン。彼らもアリエラの挙動には一言あるため、一葉を積極的に止めることは無かった。



「ったく……王女ってそんなに出歩いていいものかね」

「今日のお仕事は5刻から父様への謁見があるだけですから。早めに今日のお稽古を終わらせたのでその分時間が余ったのです」



 呆れながら3人を椅子へ誘う一葉に、アリエラは今日の予定を説明した。

 だから怒られるほどのことではありませんよ、とアリエラが言うと一葉はさらに渋い顔をする。



「レイラさんにウィン。だからって3階まで下りてくる理由になると思う?」

「……私には何とも……」

「どうでしょうね。普通は非公式であっても、警備をきちんとした庭園などで茶会を催すものだとは思いますが」



 正面切って否定できない近衛騎士を差し置き、堂々と反対意見を述べる宮廷魔術士。一葉はその意見に大きく頷きながらアリエラを見た。



「これが普通の反応です。よくよく考えてから行動しましょう。40点!」

「よ、40……イチハに会いたかったんですから仕方がないでしょう!? それで、何点が満点なのですか?」

「100点。きちんと予定を把握していることと自分のするべきことを終わらせたことは評価します。でもどうせ侍女の人とか主にレイラさんを強引に説得したんでしょ」

「強引じゃないですよ? きちんと笑顔をもってお話ししました!」



 ねぇ? と笑顔で振り返るアリエラに、普段通り生真面目な表情でレイラは頷いた。



「確かに、とてもにこやかな対応をしてくださいました」



 しかし一葉はそんなレイラの微妙な言い回しから、大体の予想を立てる。恐らくそう大きく外れていることはないだろう。



「自分の立場と笑顔の関係性を把握してください。5点減点」

「そ、そんな……」



 教師のような口調の一葉から、非情な採点を受けたアリエラ。彼女はヨロヨロと、座っている椅子の肘かけへ縋りついた。

 椅子を勧められはしたが、騎士という立場上アリエラの背後に立っているレイラ。彼女は今の一葉とのやり取りに驚きを感じていた。



 いくらアリエラが気安く話しかけてくれるとはいえ、レイラたちにしてみれば相手は王女殿下。注意や教育をする上でも一歩引いた場所からの言葉しかかけられず、それはアリエラが感じている寂しさを余計に強くするだけのこと。

 驚くほど真っ直ぐにそだったアリエラの優しさに触れる度、立場と心情と、アリエラの近くで仕える者たちはそれらの間で板挟みの状態だったのだ。



 しかし一葉は、あくまで対等な立場からアリエラに注意をした。それは上からでもなく自分たちのような立場からでもなく、アリエラが素直に聞き入れるような立ち位置から。

 取り入るならば甘い言葉しか言わないだろう。害するつもりであればここまで優しげな視線ではないだろう。レイラが一葉を初めて見たときのロットリア卿に対する冷酷な印象は、この数日で変化してきているように彼女は思った。



 何となく考え込んでいるレイラへ向け一葉は苦笑を向ける。



「レイラさんも大変だったでしょ。何か私のせいで面倒を増やしてごめんなさい」

「いえ。これが私の仕事ですし、アリエラ様が楽しそうなご様子なので構いません。とはいえ……イチハ殿の言うとおり、もう少しだけ侍女たちを労わっていただければ嬉しいとは思いますが」

「レイラ、私はちゃんと労わっています! そうでしょう、ウィン!」

「さて、どうですかねぇ……今まさに抜け出してここにいるのも事実ですから」



 一葉に対してだけではなく、面白げな表情を浮かべて返事をしているウィンにもまたレイラは驚いていた。

 彼女にとっての『フォレイン伯』とは、微笑の下に氷のような視線を隠した青年である。まだ完全には心を許していないだろうとは言え、レイラがここまで自然体の彼を見るのは初めてだった。



 一方ウィンにまで言われてはアリエラもすぐには反論ができない。



「はいはい、それなら抜け出さないかもう少し分かりやすくしようね。じゃないと後で部屋にいないことが分かったときに、侍女の人たちが可哀想でしょ。後で怒られるのはアリアより侍女の人とか騎士の人たちなんだから」

「むっ、今回はちゃんとレイラを連れてきました!」



 一葉は説得の言葉を失った。



(い……いや、そうじゃなくて……あー、言っても今は無駄かもー)



 楽しげなアリエラへの説得を一葉は諦めた。同じく苦笑をするウィンへ肩をすくめ、一葉はレイラを改めて見る。



「ウィンにも言ったんだけど。レイラさんも私のことは一葉でいいですよ。もし良かったら敬語も無いと助かりますが……」

「いえ、仮にもアーサー王のお客人をそのようには呼べません」

「レイラはとても真面目なのです」

「うーん……それなら仕方がないか」



 少々残念ではあったが、仕方がないこと。気を取り直して一葉はウィンへようやく本題を振る。



「さて、お願いしてた本はあった?」

「案外無いものですね。この3冊でいかがでしょう」



 ウィンが持っていた本を一葉へ渡す。

 一葉が満足そうに眺める本に、アリエラは興味を掻き立てられた。



「イチハ、それは?」

「あぁ、ただの絵本だよ。ウィンにお願いして貸してもらったの」

「城の書庫と言うのは、書類や資料を保管するという面が濃いですからね。色々な書物が集まっているのですが……全く、探すのに結構苦労しましたよ。まさか絵本を頼まれるとは!」

「……心からじゃないけど一応は感謝するよ」



 いつものように嫌味を言うウィンへ、軽くひきつりながら笑顔を浮かべる一葉。

 そしてそんな2人に少々眉を寄せるアリエラ。



「イチハ、ウィン。私は不満です。2人ともなぜそんなに親しげなのに恋仲ではないのですか? せっかく男女なのに色気が全くありません」

「せっかくって。いや、そう言われても……」

「色気……ですか……」



 不満を隠さないアリエラに渦中の2人はほとほと困り果てる。

 この数日は、トレスのところへ診察を受けに行くだけでも噂をされているのである。一葉は不審者。ウィンは一葉の対応を任されているだけ。甘い睦言など存在せずむしろ嫌味の応酬すらするというのに。事情を知るレイラもアリエラの難癖には何とも言えない表情をしている。



(あーあ、ウィンと私の関係をボロッと言えたら気が楽なんだろうけど。どう考えてもそれ、下策なんだよなぁ……)



 ウィンが任された対応の中には一葉に対する『監視』も含まれていることは、当事者と命令を下した本人たち、そして近衛騎士以外は知らない。情報を統制している以上迂闊に言って回る訳にもいかない。一葉だけではなくウィンにとっても迷惑と言える状況である。



 これ以上つつき回しても今のところは特に大きな変化も無さそうだと悟ったアリエラ。不満気ではあるものの、彼女は困る2人をすぐに解放した。



「仕方ないので今回は良いです。それでなぜイチハが絵本を? 読み物としては簡単すぎるような気がしますが……」



 好みを考えてか非常に控えめに言うアリエラの気遣いに、一葉は苦笑しながら手を振った。



「あぁ、何ていうか……確かに暇なんだけど、暇つぶしだけじゃないんだ。私が文字を読めるかどうかを試すためと、もし読めなかったときには勉強しなきゃいけないと思ったから」

「なるほど。それで、その絵本は読めそうですか?」

「読める、ねぇ……やっぱり」

『やっぱり?』



 アリエラとウィンの声が重なる。見れば、レイラですら訝しげな表情で一葉を見ていた。



「勉強しなければいけない『かも』とは言っていましたが、読める可能性の方が高かった……いえ、確信していたのですか?」

「うん、やっぱり。前のときも読み書きと会話に不自由しなかったから、もしかしたらと思ったんだけど。今回も同じみたい」



 ――反則なり、異世界補正。



 大して感慨も無さそうな無表情で顎をさすりながら呟く一葉に、訊ねたウィンだけでなくアリエラも興味を掻き立てられたようだ。



「どのように見えているのですか? どうやら貴女の使っていた言語と前の世界の言語、そしてこの世界の言語は違うように見えているのでしょう?」

「私には書いてある文字はその通りの文字にしか見えませんけど……イチハには違うのでしょうか」



 食いつく彼らに少々身を退く一葉。薄い表情ではあるが、微かに迷惑そうではある。

 2人がそんな一葉にハッと気づいて大人しく座り直すと、一葉はまず情報を聞き出すことにした。



「えぇと、まずこの世界の言語って何種類あるのかな」

「方言を分ければ数えきれないとは思いますが……基本的には今話している共通語の派生のようなものなので、実際にはそう多くはありませんよ。全く聞き取れないということもありませんし」

「文字は?」

「こちらもほぼ共通語を使いますが、学習しなければ分からない文字というのもありますね。古代の文献などは今では使われていない文字で書かれています」



 ウィンの言葉に一葉は数度頷く。



「一応別の言語もあるなら話は早いかな。まず会話だけど、この世界の人と話すと私には私の生まれた場所の言葉を話しているように聞こえるんだよね。話してる言葉が空気を通るときに翻訳されて聴こえてる、みたいな」

「というと、イチハが話している言葉はイチハの故郷の言葉なのですか?」

「や、それは違う」



 不思議そうに首を傾げるアリエラに一葉は首を振った。

 一葉には日本語に聞こえる。しかし相手の唇と音は明らかに違うものであり、一葉自身話している言語が日本語で無いことを自覚しているのだ。

 『コトダマ』を使うときのように意識すれば日本語を話すことが可能だが、それ以外ではなぜか無意識に共通語を話している。召喚された当初はそれも大変な恐怖だった。



「では、文字も同じであると?」

「うん。こっちの世界の言葉や文字で書いてあるのは良く分かるんだけど、私の目には私の故郷の文字に見えるんだよね。気になったから色々観察したこともあるんだけど、ほぼ文法も完璧に翻訳されてる。おかげで文字の勉強はしなくてもいいみたいだね」



 眼鏡をかるく押し上げ、ウィンは興味を全く隠すことなく一葉を見た。彼にとって異世界が複数存在すると身をもって証明する一葉はとても興味深い。疑わしくとも理論の可能性は広がるのだ。

 彼はもう一つ気になっていたことを質問した。



「とにかく文字が読めるなら喜ばしいことですが、逆に文字を書くことは出来ますか? 日常生活を送りたいならば、文字を書けなければ相当苦労すると思いますが」

「文字ねぇ……そうだよね。やってみようか」



 そう言い、立ちあがった一葉は再び隣室に控えている侍女を呼ぶ。

 紙とペン、インクを用意してもらうと彼女は感慨深げにため息をついた。



「インクとか、初めて使うわぁ……」

「それではどうやって字を書いていたのですか?」

「一々インクを付けなくても元々インクが筒に入ったペンをそこら中で売ってたんだよね。うわ、懐かしいなぁ……」

「インクが筒にですか。それはとても便利ですね。どういう原理でしょうか?」



 ボールペンに興味を示すウィンに、一葉は無情にも首を振る。



「私には分かんない。実物も持ってないし」



 視線も上げず一葉は紙に文字を書き始める。内容は何でもいいので、とりあえず幾度となく書いていたものを。通っていた大学の学部と学科、学籍番号と氏名を書き出してみた。

 何度も書いた文字。実質1年半しか書かなかったそれだが、一葉はその書き終えた内容に懐かしさを覚えたのだった。



 書かれた文字を覗き込んだアリエラとウィンが、それぞれに口を開く。

 興味はあるのだろうが、レイラは相変わらずアリエラの後ろに立ったまま紙を眺めていた。



「……キサラギイチハ。きちんと読めますね。しかしこの書き方自体はあまり私たちの知るものではありませんが」

「イチハ、このニンゲンガクブとは何ですか? それとこの数字の列は何の意味があるのでしょうか!」



 感心したようなウィンとは対照的に、書いた文字に食いつくアリエラ。

 やはり文字を書く場合でも問題無く書けているようだった。



「人間学部は私が勉強してたことの種類。数字の羅列は……なんていうかなぁ……どの年にどの学問を始めた何番目の人かっていう意味がある……で伝わるかな?」

「やはり高度な教育を受けていましたか」

「高度ねぇ。試験に受からないと入れないって意味では、まぁ確かに高度かもしれないけど。それも今となれば何の意味も無い学問だけどね」



 一葉はそう言って肩をすくめた。彼女が入学したのは、歴史や心理学をはじめとした人間についての学問と、パソコンなど情報機器の扱いを学ぶ学部。それも入学してから2年経たない程で召喚されたため、ほとんど教養科目くらいしか履修していない。

 望む望まないにかかわらず、一葉は大学で講義を受けるよりもこの2年間の方が濃い内容を学んだのだろうと思っている。



 誰もが口を閉じて出来た会話の空白。

 レイラは一葉について、気になっていたことを質問することにした。謁見の間での双剣の扱いと騎士の所作について、彼女はずっと気になっていたのだ。あれはきちんと教わった所作だと彼女には分かった。



「そう言えばイチハ殿は二振り、剣を持っていた様子。イチハ殿は剣士としての訓練を受けられたのでしょうか」

「あぁ、そうです。専門を聞いていませんでしたね。元勇者と言うことは剣士だったのですか? 魔術も使っていましたが」

「剣士……というか……」



 ウィンも今さらながらに、一葉が何を主としているのかを聞きそびれていることに気がついた。魔術を使うことは確認しているが、彼女は剣も持っていたのだ。それも決して護身用ではないしっかりとした双剣を。そのことだけで魔力を多く持つだけの剣士だと思い込んでいた自分に呆れる。



 この世界には『力ある人』の話が残っている。それは呼び名こそ違うが、ほぼ一葉の前職である勇者と同じこと。中にはそのまま『勇者』と名乗った者もいたという記録も見かけた。やはり剣を使うものが『力ある人』として喚ばれていたことが多かったようで、だからこそウィンは一葉のことを魔術も使える剣士だと疑わなかったのだが。



「どっちかって言えば剣士より魔術士かな」

「しかし……双剣も相当使えるようでしたが。かなり厳しい訓練をされていたのではないでしょうか」

「まぁ……それなりに……ですけどね……?」



 顔をしかめる一葉。彼女には訓練を受けた覚えなど無く、常に生きるか死ぬかの中にいることで強くならざるを得なかっただけだ。もちろんそのあたりの衛士や、言い方は悪いが普通の騎士程度に負ける気は全く無い。『コトダマ』と剣を組み合わせた戦いは、魔術士からフォローされた程度の専門家よりは戦いの幅が格段に広い。

 しかし苦労した割には、魔術に比べて数段劣る腕にしかならなかったのもまた事実である。



 レイラは、一葉に対して自分が負けることは無いだろうが、それでも勝つにはかなり苦労する腕だろうと思っている。さらに相手には魔術という手段もある。一葉が全力を出した場合、自分1人ではどこまで戦えるのか見当もつかない。

 通常魔術と剣術を修めた場合はどちらも中途半端に終わるものだが、一葉の場合は両方を上手く使いこなしている様子。彼女の身のこなしや目の運び方、重心の保ち方などは素人ではないとレイラに告げていた。



 さらにウィンにとっても他人ごとではない。

 一葉が魔術士か剣士かは重要なことである。魔術士としてもし自分よりも強い力を持っているとしたら、ウィンだけでは抑えきれない。魔力の多さではなく、それをどのように使うかが問題だ。共倒れには意味がないのだから。

 何があっても良いようにと、宮廷魔術士でも指折りの実力を持つ彼が対応係に選ばれたのだ。一葉の魔力は見たところ抑えられているようだが、全力で魔力を解放した場合どれほどのものかを知っておくことは、近いうちにしなければならないと思っていた。仕事のためにも、興味のためにも。



 三者三様の思惑が絡み合う。

 そんな中、アリエラが本人は意図せずその池に石を投げ込んだ。





「レイラの剣とウィンの魔術、イチハとそれぞれどちらが強いのでしょうね」





 音が消える。波紋はやがて絡み合い、より大きな波へと変化する。

 一葉は特に気にしてはいないのだが、レイラとウィンの動きが止まったのだ。2人の視線が合う。お互いに考えていることは同じだと確信した。



「ここ最近、体を動かしてないんだよね。かなり鈍ってるんじゃないかなぁ」

「いえ。一度体に叩き込んだことは、10日程度ではあまり変わらないのではないでしょうか」

「魔力が落ちてくるとしても寿命を迎える直前か、命の維持に必要な分まで使い切るようなことがあってからだと聞きます。イチハはまだ16ですし、今の分では使い切りの心配もないでしょう? それなら全く問題は無いはずです」



 のんびりと否定した一葉だったが、なぜか止める立場のはずの2人から妙な視線を感じた。極力目立ちたくない一葉は若干焦りながら彼らに反論する。どのような結果になろうとも目立つのは拙い。今度こそ平和に生活したいのだ。



「いやいやいや、無理だから。どうせ腕を見せるってなったら戦えとか言い出すんでしょ? そんなの下手すると死んじゃうから」

「大丈夫です、イチハ殿とならば良い勝負になるはずです」

「イチハの魔力は普段抑えていますよね。その状態ですら魔術の専門職より大きな魔力を感じます。大丈夫です。たとえ少々えげつない術だとしても、元勇者様であれば大丈夫でしょう」



 片や気まじめに、純粋に一葉の剣術に興味がある人間。

 片や一葉ならば大抵のことは何とかなるだろう、多少何ともならなくても研究のためならある程度は問題ないと思っているマッドな人間。



 環境に恵まれ過ぎた一葉は何だか泣きたい気分になってきた。

 そして原因を作ったにもかかわらず、ことの次第をニコニコしながら見ている王女殿下。



「……機会があったら、また今度ね………」



 せめてもの逃げを打つ。ため息をついてしまったことを責められる人間はいるものか、と八つ当たり気味に一葉は思ったのだった。








「……アリエラ様、そろそろお時間のようです」



 レイラが懐から出した時計を確認し、アリエラへとそう声をかけた。

 ウィンもまた時計を見て立ち上がる。



「そうですね。アリエラ様、そろそろ戻らないと侍女たちも準備が出来ないのでは?」

「分かりました。ではイチハ、私たちは帰りますね。また今度レイラたちと手合わせしていただけるのを楽しみにしています!」



 アリエラだけではなく、ウィンも貴族として謁見には出席するのだろう。2人は立ち上がり、レイラはそのまま身を翻して、扉へと向かう。アリエラの最後のセリフに、お茶を濁しきったと油断していた一葉は苦笑いで誤魔化しつつ送り出したのだった。

 扉を閉じて、一葉はベッドに倒れ込んだ。



(そりゃ、今よりは体を動かしてる方が気はまぎれるだろうけど。つっても勝手に試合したらまた大変だしねぇ……)



「それに勝っちゃったら面倒じゃん……とかね?」



 こちらの力を低く見積もってくれているような彼らの様子を思い出し、一葉は忍び笑いを漏らす。こちらも2人の力を見ていないのだから結果は分からないが、出来るならばそんな機会は無い方が嬉しい。



 恐らく、ウィン相手であれば勝てるはずだ。とにかく我ながら恐ろしい量の魔力を持っている。その上一応動かせる体があるのだ。城の階段程度で疲れを感じている研究職に負けては元勇者の名折れである。



 レイラの方はどうだろうか。未だ戦っている姿を見たわけではないが、恐らく彼女にも負けることは無いだろう。身のこなしや歩き方はとても綺麗なものだった。言いかえれば綺麗過ぎるのだ。

 スタンスの違いだが剣術の試合としては確実に負けるだろう。しかし純粋な戦闘であれば彼女よりも上手く戦える自信がある。実際の戦いは決して綺麗なものではないから。卑怯な手でも一葉は使える。



 とは言えこのまま表面上は平和なこの国にいるならば、自分の力が必要になることは無いだろう。

 まわりと上手くやるためにも出来るだけ何もせず、出来るだけ注目されたくないと一葉は思っている。ただの不審者の方が、危険な不審者よりも平和に暮らせるだろうから。



「さぁて、余計なことを考えてないで今日もトレス先生のところに行きますか」



 そう呟いて立ち上がった一葉は侍女に声をかけて、お茶を片づけてもらいがてら外出するための服を出してもらうのだった。








 やがて陽の光が傾き、徐々に闇の時間へと世界が動き始めたころ。



 薄明かりの廊下を歩いている人影があった。まだ完全に日が落ちている訳ではない。かと言って明りが無くては室内で文字を読むのに少々難儀しそうな明るさ。



「さて、無事に一人になれましたね」



 侍女が出払い騎士が交代するその瞬間を狙い、アリエラは再び部屋を抜け出していた。そして、鼻歌を歌いそうなほどの上機嫌で廊下を歩いている。



 両親と共に午後の公務を終了させたアリエラは、私室に置手紙を残して再び抜け出していた。今頃はまだ部屋の中で寛いでいると思われていることだろう。手紙を残したのは一葉から受けた説教の成果である。



 昼間に一葉の部屋へ遊びに行ったときも楽しかったが、実は2回目の今回が主な目的である。1日に2回も部屋を抜け出すわけがないと油断させるためにも、一葉の部屋へはレイラを伴って遊びに行ったのだ。

 着る物が派手ではすぐに見つかる危険性がある。彼女は今回、前日までに何とか確保した比較的目立たない色のドレスを着ていた。



 ちなみにすれ違う衛士たちが驚いて振り返っているのだが、本人はそのことに全く気付いていない様子。いくら目立たない服装をしたとは言えそれは彼女のクローゼットの中での話。下層階にいる状態でドレスを着ていれば嫌でも目立ってしまうことを、浮かれ過ぎているアリエラは未だ自覚していなかった。



「やはりご飯はにぎやかに食べたほうが美味しいのでしょうか」



 目的地である、王族用ではない方の食堂へと彼女は思いを馳せる。

 料理は文句のつけようもない程に美味しい。大好きな家族との食卓も楽しい。しかしその食卓は、家族4人で使うにはあまりに広すぎるのだ。確かに給仕係や騎士はいるものの彼らの仕事は言ってみれば空気になりきること。

 かねてより彼女は衛士や文官や貴族ですら集まる下層のにぎやかな食堂に、強い憧れを抱いていたのだ。



 一見すると優雅な足運びはその実普段の数倍は軽い。

 それは通常の自分では入れない場所へ行くことへの期待と、そして興奮を表しているようであった。



 目的地はすぐそこ。現在地であるエントランスホールから先の廊下には、今は衛士がいないようではあった。しかし食堂まではもういくらもかからず着くだろう。食堂とはエントランスホールをはさんだ反対側に侍女たちの私室があるためか、どことなく人の気配がした。

 エントランスが吹き抜けになっているために、余計に人の気配を感じるのだろうとアリエラは考える。



 時刻はもう少しで高い音の6刻。



 もうすぐ明りを点けるはずの廊下は確かに薄暗くなってはいるが、この時間の食堂には人がたくさんいるはず。

 この明暗の落差もいいかもしれないと、自分の恵まれ過ぎて明暗の差がない生活を思いながらアリエラは廊下を進んだ。



「ふふっ、心配しなくても食堂にはいっぱい衛士の方々がいるので大丈夫です、と父様には言っておきましょう。こうでもしなければ見学にいけないようにした父様が悪いのですっ!

 ……とはいえ侍女やレイラたちには迷惑をかけますが……」



 それは昼間に一葉から言われたことを思い出したため。後々注意を受けるであろう侍女や騎士には申し訳なく思いながらも、アリエラは好奇心を抑えきれない。

 ニコニコしながら歩く彼女。そのとき自室を出てから初めて声が掛けられた。



「そう、王女様が一人になってはいけませんなぁ」



 目を瞬かせて振り向いたアリエラ。

 まさかもう見つかったのかと驚き、そして――



「ひっ――――」



 彼女の意識は闇に落ちた。




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