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流界の魔女  作者: blazeblue
流界の魔女
56/61

幕間 生まれ落ちた魔王と、引き寄せられた魔女




 彼女の人生は、決して幸福ではなかった。しかし彼女自身は小さな幸福だけで満足していたのに。



 過ぎたものを望んではいなかったのに、なぜ。と、彼女は泣き叫んでいた。









 彼女とその幼馴染が生まれたのは、冬になれば雪が道を閉ざす山の中の小さな村だった。魔王や魔物たちが暴れるせいで貧しい国の、さらに貧しい領の端。3日も歩けば魔物たちの巣の真ん中にたどり着けるほど端にある村は、他の土地を追われた者たちが住む小さな村である。


 そこに生まれた彼女は、この鄙びた村には似つかわしくないほどには可愛らしかった。とはいえそれは村に関係のないことで、大人たちは子供たちの瞳が濁らないよう、いつでも優しく厳しく分け隔てなく接していた。



 年頃になった彼女は村を訪れる領主から度々声をかけられるが、ただの1度も応じたことはない。村の中で大切な仕事を担っていたし、それ以外の理由もある。

 狭い村の中ではあるが、子供のころからいつも一緒にいた幼馴染に彼女は恋をしていたのだ。穏やかな性質の男性とのんびりした気質の彼女はよく合っていたのだろう。



「あなたとなら、ずっとずっと……死んでからもまた、どこかで一緒にいそうな気がするわ」



 ふんわりと笑う彼女の言葉へ、男性もまたにっこりと笑って頷いていた。



 そして2人の間にはすぐに可愛い子供が生まれた。村人は両親によく似た小さな息子を我先にと祝福し、次代の護り手が増えたことを喜んだ。父親譲りの濃い茶の瞳が真ん丸に見開かれ小さな手を伸ばされることが、日々に喘ぐ村人たちにとってはこの上ない幸せに思えた。


 貧しい村ではあるが日々の小さな幸福を喜べる彼女のおかげか、村の空気もまた穏やかなまま過ぎていった。





 ――息子が10になる年の、冬までは。









 ここ数年は作物があまり採れず、魔物たちの活動のせいで狩猟の状況も芳しくはなかった。栄養が満足に取れないため10になる息子が6、7歳程度に見えてしまうほど痩せており、他にも子供たちがいる小さな村では頭を悩ませていた。


 そこに領主の視察が入った。思えばそれが、全ての分かれ道だったのかもしれない。



「やはりこのような村に置いておくのは惜しい! 私の城へ来ないか? そうすればこの村の税をすこし軽くしてもいい」



 日中、村の中での領主の言葉を、彼女は言葉を重ねて断った。彼女には夫がいる。誇りにしている役目もある。夫以外の人間のところへ行くつもりなど、ほんの少したりとも無かった。幸いにして村の仲間たちもそれを後押ししてくれた。



「そうか、残念だ」



 すこし困ったような顔で、領主は帰っていった。彼女はホッとした。領主とは格の違いはあれど貴族に名を連ねる者で、本当ならば彼女程度の人間が抗ってよい相手ではなかった。





 事件はその夜に起こった。





 寒い寒い、吹雪の夜だった。





 突然家の扉が叩かれたかと思うと、彼女と息子が引きずり出された。追いすがる夫を殴りつけて見るからに安い緑柱石を放り投げると、兵士たち――彼らは昼間に村へ同行した兵士たちだった――によって彼女たちは村の広場へ引き立てられた。



 そこには、昼間と同じ服装で昼間とは全く違う笑顔を浮かべている領主の姿があった。



「大人しく私の言葉へ従っていれば、ここまで手荒な扱いはしなかったのだがな」



 粘るような視線を彼女へ送ったかと思うと、彼女の息子へは商品を品定めするような視線を投げつける。彼女をその強大な力ごと自分のものに、彼女の息子を奴隷商にでも売るつもりなのだと理解した。彼女よりも彼女の夫に似てはいたが、息子もまた可愛らしい顔つきをしていた。

 どうにか取り戻した子供を抱きしめると、彼女は領主をキッと睨み付ける。攻撃を得手としない彼女にはそれしかできなかった。



「あまりにも理不尽じゃないか」



 続々と集まる村人たちが抗議しようとしたその時、大きな声でそれをやめさせた人物がいた。彼女の夫だった。優しい男性だからこそ、自分たちのことで村が焼き払われる危険性を考えたのだ。



 妻と子供を返してくれと兵士へ向かってくる男性は、しかし本職の兵士たちよりも貧弱な体をしている。不作が続き、狩りに出ようとも動物の巣は魔物に荒らされていた。そのような調子でここ数年満足に食べていなかったのだから、やせ細っていることは当たり前だろう。すぐに殴り倒され、蹴られ、彼は地へ這いつくばった。



「あのまま家で倒れていた方が幸せだっただろうにな」



 ちらりと彼女と彼女の息子を見ると、領主はやれ、と兵士たちへ指示を出す。すると領主と同じような嫌らしい笑みを浮かべた兵士たちが、重い盾や、鞘に入った剣で彼女の夫を殴り始めた。

 生々しい音に悲鳴を上げる彼女たちへ領主はさも面白そうに笑っている。



「お前たちが私へ従うと言うならば今すぐにやめてやろう」



 彼女だけならばすぐにでも頷いていたはずだ。しかしこの選択には、愛する息子の命までも含まれている。それに加えて護りの紋章魔術を得意とする彼女が去れば、山奥の集落など獣が押し寄せて5年も保たないことだろう。この小さな村には誰かが抜けた穴をすぐに補填できるほど余分な人間などいないのだから。



 躊躇している彼女へ、絶対に頷くなという声が聞こえた。とても小さな声でもきちんと聞こえる。彼女が彼の声を聞きのがしたことは無かった。



 唇を噛んで彼へ了承の視線を送ると、痛みにうめきながらもどこか満足そうにしている。こんな地獄のような光景を見せないためにも息子をきつく抱きしめていたが、すぐに彼女は領主に腕を取られ、息子は兵士たちに押さえられてしまった。



「お前の夫は、お前の選択の犠牲になるのだ」



 しっかりと押さえられなくても、彼女の体は凍りついたように動きを止めており視線を逸らすことなどできない。重い盾が、鞘に入った剣が、夫の右腕と左足へと落とされた。村人たちから再び悲鳴が上がる。それ以上に彼女と、彼女の息子が絶叫した。

 男の腕と足があり得ない方向へ曲がっている。あれではもう、満足に体が動かないだろう。医者のいないこの村ではこのまま命を落とすかもしれない。回復術を嗜んだ程度の彼女ではどうにもできないことが一目で分かる。



 しかしギュッと唇を噛んで悲鳴をこらえた彼女の夫は、それでも彼女たちを助けようと手を伸ばしてくる。もういい、と言いたかった。それよりも先に、盾が彼の頭を狙って。





 ――鈍い音がした。すべての音が止まった。





 ――そして彼女の中の音も、時間も、感情の流れさえもが止まってしまった。





「あああ……ああああ……あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」





 人間が上げたとも思えない音量の悲鳴に、驚いた領主が彼女から離れる。呆然と彼女を見つめていた兵士たちの手が緩み、彼女の息子がふらふらと母へ近づく。その小柄な母の体へ腕を回す。



 そして。





『あぁぁぁぁぁぁ!』





 まるで共鳴したかのように、2人分の悲鳴が響き渡った。その悲鳴をやめさせようと2人の体へ手を伸ばした兵士が、ビクリと体をこわばらせて動きを止める。



 いや、止めさせられていた。



「あ……っ、か、体が……」



 ぐらりと傾いだかと思うと彼は雪の積もる地面へ倒れた。右腕と左足。その2か所が、ぽっかりと失われていたのだ。その先から血が流れていても彼は痛みよりも恐怖で悲鳴を上げる。そのうちに、血の一滴どころか悲鳴の余韻も残さずに“削除”されてしまった。



 悲鳴を止めた親子はふらふらと手を取り合っている。うつろな目で領主たちを撫でるが、領主たちが逃げ出すことはない。いや、出来ない。親子が放つ膨大な魔力で神経を圧迫され、満足に体を動かすこともできはしない。



「ゆるさない」



「ゆるさない」



 過酷な環境に隠れるようにして存在するこの村は、他の場所を追われた人間たちの村。他の場所を追われた“異能”たちやその末裔の村。年貢を収める代わりに利用もしないと、ずっと前から決められていた不可侵の場所。彼女や彼女の息子、そして彼女の夫を含めた村人のほぼ全員が、自発的に操れるか否かに関わらず何らかの異能を持って生まれていたのだ。



 欲に塗れた領主は自分に都合の良い側面だけを見て、その能力が顕現するきっかけを作ってしまった。正気を失った彼女たちは加減も限界も無視して能力を使うだろう。

 すべては愛する者を奪われた復讐のために。



『おなじ痛みを』



 ぴたりと合わさる2人の声で、変化が起きる。



 一人ずつ、一人ずつ。彼女たちの大事な家族が受けた傷と同じものを、一人ずつ。魔力で縛って、気絶も狂うことも許さず。やがて血を流しすぎて命を落とせば、何事も無かったかのように“削除”をして次へ。



 じわじわと自分へ近づいてくる恐怖を見つめながら、最後の領主までもが姿を“消され”た。その魂は、ここではないどこかへ永遠に閉じ込められたまま。恐怖で塗り固められたまま。





 しんとした村に、すすり泣きの声が流れる。





 1人の女と1人の少年が、1人の男“だったもの”に縋りついている。ようやく触れ合えたその手はもう、数時間前とは違って全く温かくなかった。



 彼女はそっと自分の外套で夫を包むと抱き上げ、息子を促す。“ヒト”ではなくなった彼女にとってはもう何の苦労も無い動作である。そっと村人たちへ頭を下げると少年と男性の体は光になり、彼女に吸い込まれた。



「どこに行く!?」



 真夜中の森で、外套は光となって消えてしまった。裸足の女には行くところはないはずなのに、彼女はくるりと森へ体を向けたのだ。

 遠巻きにはしていたが、村人たちは凄惨な事件の後でも彼女を怖がってはいない。何しろ領主が物理的に消えてしまいホッとしているくらいには心が麻痺していた。



 禍々しい模様が見えない綺麗なままの左頬だけで振り返り、いつものように笑うと彼女は何も言わず森へ入っていく。今度こそ村人たちは何も言わない。

 彼女がすでに“人”ではないと、異能ならではの本能で理解していた。人の世ではもはや生きていけぬだろうと。








 ――どこでもいい。誰でもいい。この身が討たれるその日まで。





 ――さぁ、残酷で身勝手な“世界”という檻へ復讐を。









 そうして“彼女たち”は男でも女でもなく、母でも息子でもなく、大人でも子供でもなく。記憶も理性も感情をも擦切らせて破滅の道を歩んでいく。





 それははるか未来、身勝手な国により異界から1人の女性が召喚されるその時まで。




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