第47話 agnus dei
「いっそ、見事なもんだわ」
悪意に満ちた笑い声へ思わず拳を握りかけたが、預けたままの両手をレイラに緩く握られたため一葉はどうにか自分を抑える。再び治療を受けながら彼女はそのまま胸の内側に苦い溜め息を零した。
(まぁ、ホントに。サーシャさんが無事でよかった……。私の方は無事とは言えないけど)
一葉がとっさに使ったのは血の魔力だが、彼女自身が魔力で作られているという性質上、あまり血液という“体”を失うことは望ましくない。生命力そのものを使用しているという危険性以上に、失った血液分の情報が一葉という存在から欠落してしまう恐れがあるためだ。
便利で強力な手段にはそれに見合ったリスクがある。後悔はしていないが、自覚できる色々な意味での喪失感に唇を噛んだ。
「あなたは、一体……」
黙って一葉の治療をしていたレイラがボソリと呟いた。存在、それとも名前。精神的な事柄。彼女自身が何を問いかけたかったのかも分かっていない問いへ反応したのは、当の“召喚士”だった。
「僕が何をしたいのか。僕が誰なのか。僕が“何”なのか。僕がどこで生まれたのか。僕に仲間はいるのか? 灰金のお姉さんは一体何を聞きたかったんだろうね。でも、まぁ」
胸の前に立てた右の人差し指で黒い靄をくるくると弄る“召喚士”は、ふっと哂いながら頷いた。
「いいよ、ひとつ教えてあげる。“僕”と僕についてのお話をさ」
右手を左胸に当て、右手を真横へ。右足を引きどこか仰々しく、または道化のように一礼をした少年は、同時に全てを嘲るような表情を浮かべて物語を紡ぐ。
「ある山奥の小さくて貧しい村に、ひとりの男がいました。男は可愛らしい幼馴染と結婚して、可愛い男の子を授かりました。幸せな家族でした。悲劇は息子が10になった年の冬に起こります」
――元々、山奥の村に似合わず奇麗な顔をしていた幼馴染は領主に声をかけられていました。
――その冬の日も視察に来た領主に声を掛けられ、いつものように困った顔をして断りました。
「しかし、その日はいつもと違いました。幸せの終わりが訪れ、地獄がやってきました」
――その日の夜、領主の私兵によって雪の降る寒い広場に引きずり出された妻と息子へ、彼女たちを取り戻そうとした男は追いすがりました。
――普段から男を邪魔に思っていた領主は、妻と息子の前で兵たちに男を殴らせました。重い盾と、鞘に入った剣を使わせて。
――男は最後まで諦めませんでした。苛立った兵士の重い盾が、男の頭へ振り下ろされました。その男はついに、妻と息子の“代価”として投げ渡された緑柱石を潰れた右手から手放すことができませんでした。
趣味の悪い話へ、一葉たちは誰も何も言うことができない。それは作り話かもしれないが、作り話だとは言い切れないものが含まれていた。そして、貴族であるウィンたちは知っている。辺境に行けば行くほど、実はそのような無法がまかり通ってしまうことを。
一葉たちの嫌悪に染まった顔を愉しげに見ると、少年は話を続けた。
「そのままだと男は死んだでしょう。しかし幸か不幸か、消えるだけの男を“召喚”したバカがいました。男の体は死んでしまったので、まだ消滅していなかった精神だけが召喚されてしまったのです」
――男は、力を望みました。男は、自分の中にある力に気付きました。男は、自分の周囲を漂う無数の力に気付きました。男は、自分の周囲を漂う無数の“無念”という感情に気付きました。
「そうして男は、自分を変質させました。求めていた息子と、妻の目を再現して。その場から消え失せた触媒の行方を知る者は誰もいません。おしまい。
これが、つまらない男の話と僕が生まれた瞬間のオハナシだよ」
くすくすと哂う“召喚士”は、一葉とサーシャを見る。
「古の愚かなオウサマが自分の権威のために呼んだ哀れな“勇者”の男。それが世界にあるもの全てを望んで自分っていう存在を変質させて、そうして出来たのが僕なんだ。僕が今も“勇者”と同じか違うかなんてどうでもいいんだよ。ただひとつ本当のことは、僕が“バケモノ”だっていうことだけでね」
バケモノ。化け物。人間から存在を転じて、化けた物。者ではない物。少年の言葉を信じるとしたら、男――大昔の“勇者”が、被召喚者たちから剥がれおちて世界に漂っていた魔力と、その魔力に染みついた負の感情を糧にして変じたモノが“召喚士”という存在なのだろう。
「今の僕っていう存在がヒトか違うかなんて意味が無いんだよ。僕は僕。僕には力があって、お姉さんたちがそれを拒否できる力があるか、って。それだけの問題でしょう?」
あぁそうそう、と“召喚士”は何かを思い出したように両手をポンと合わせた。
「言い忘れてたよ。お姉さんたちが“この国”に入ったと同じくらいから、世界中の仕掛けを発動させておいたよ。今頃ミュゼルもアーシアも召喚獣がいっぱいいて騒がしいんじゃないかなぁ?」
「なっ!」
「なんて、ことを……!」
「でも僕は優しいから1つだけ教えてあげる。どの召喚獣も触媒を壊せばどうにかできるようになってるよ。まぁ……それがどこにあるかは教えてあげないけど」
アーシアや他の国々はもとより訓練を積んだミュゼルですら、想定の範囲を大きく外れた事態に見舞われているだろう。何しろ訓練での想定は精々が5、6匹相手でしかなかったのだ。今までの事態と比べればそれでも充分に多いが、目の前の“召喚士”の口ぶりからはそれでは明らかに足りないことが推察できる。
わずかにあった余裕が四人から消え失せた。
「僕は全部がほしい。それにはイチハお姉さんたちの力を貰うのが手っ取り早いけど、それでも“それ以外”が全然意味無いってことも無いでしょ。せっかくお姉さんたちっていう邪魔が入らないんだしさ」
にぃっと唇を歪めると、両手を広げて一葉たちへと差し向ける。
「もういいよね? 時間は充分あげたでしょう? さぁ、続きを始めよう」
「どこまでもバカにして……!」
一葉の刺すような視線と少年の嘲る視線がぶつかった。幼い口元の笑みが深くなると同時に、4人の足元に再び複雑な紋様が描かれる。黒いそれから慌てて退避しようとした一葉たちを押しとどめてウィンが紋様へ触れた。
「これなら、私にもどうにか出来そうです」
「へぇ、銀のお兄さんに? お兄さん、護りに向いてないのに?」
小動物をいたぶるような気持ちで手加減をしているらしい。目に見えて描画速度の落ちた紋章やニヤニヤと哂う“召喚士”を視界に入れもせず、ウィンはそっと魔力を込める。
「行きます」
ふうっと息を吐き出す。すると彼の体からあふれた魔力が紋章の一点を叩き、その下の石畳ごと破砕した。この半年強をすべて研究に充ててきたウィンには分かっていたのだ。精密な紋章も、ある重要な点を突くだけで簡単に崩れ去ることが。
果たして、ウィンの思惑通りである。はらはらと散っていく黒の光を驚いたように黒の瞳が見つめる。本当にウィンが対抗できるなどとは思っていなかった“召喚士”は僅かに動きを止め、そしてきゅっと眉をしかめた。
「それ、どこで」
「どこも何も、私が研究した結果ですよ。もっとも、貴方のように使いこなすことは未だできていませんが」
以前も戦闘中に紋章魔術を使ったことはあるが、それを“召喚士”は気づいていなかったらしい。それもそのはずで、彼の知っているソレとウィンの研究した紋章魔術ではわずかに方向を違えていた。
しかし当の“召喚士”にそれは関係が無い。彼にとって重要なことは今ウィンが使った技術が確かに紋章魔術であり、それがこの世界には存在しない物だという事実のみである。
俯き何かを囁く“召喚士”の姿は嵐の前の晴天のような、言い知れない不気味な静けさを見せていた。
「そんなはずはないんだ。そんな、それがこの世界にあるなんて。僕が今まで気づかなかったなんて、あり得ない……あり得ないんだよっ!!」
一転、突然叫んだかと思うと“召喚士”は無数の槍を生む。今までは余裕を見せていた彼はその瞳にギラギラとした光を宿し、今度こそ4人の命を奪うために槍を差し向けた。
「いったい」
「死ね……死ね、死んじゃえ! そんなもの要らない! 全部壊してやる!」
子供が癇癪を起して暴れるように、闇色の洪水が4人を襲う。少年の外見とは合致しているかもしれないが決して笑い事ではない攻撃で、一葉の背に冷や汗がにじんだ。
「っ、仕方ありません」
「はい!」
だが決して諦めてはいない。先ほど一葉がしたように、今度はレイラとサーシャが一葉たちの前に立ちはだかる。一瞬で取り出した宝石を叩き割りそれぞれの剣に魔力を纏わせると、目にも留まらない速度で、彼女たちを突き刺そうとする闇色の槍を消し続けた。
(こんな、すごい人たちだったんだ……)
その様子を背後で見ている一葉は呆然としていた。レイラから受け取った医療魔術を続行してはいるが未だ彼女の腕から傷は消えておらず、その様子から『コトダマ』での防衛が難しいと判断したレイラたちがその剣技で防衛をしているのだ。生半可な技術では5を数えるまでもなく命を落とすだろう。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
「サーシャ殿」
「承りました」
ひねる。弾く。叩く。斬る。巻き上げる。そして消す。
短い言葉のやり取りだけでお互いの死角を補い合う。雨のように降る蔦の槍は、ほんの1センチでも振るう場所を間違えれば易々と背後へ通ってしまう。しかし未だ一葉とウィンのもとへは両手の指で足りるほどしか到達していない。それも絶対的に彼女たちの腕が届かない位置からの攻撃だけで、2人の女性がもつ恐ろしい剣技を嫌というほどに理解させられた。
「ごめん。ここまですごいなんて、思ってなかった。私はずっと加減されてたんだね」
「……私たちも、足手まといになるために来たわけではないのですよ」
再び訪れるだろう自分の出番をじっと待つウィンが、剣を振るって槍を落としつつ言葉を返す。何に対するものかは分からないが確かに衝撃を受けた。それについて深く考えるよりも早く“召喚士”を窺った一葉の背を冷たいものが滑り落ちる。
――深い黒の瞳が、じっと一葉のことを見つめていた。
――おまえか。
にぃっと、薄い唇の端が歪んで持ち上がる。何かが起こる。そう確信した一葉は振るった長棍を引き寄せて構えた。その時。
「イチハ様っ!」
「避けてくださいっ!」
肩越しに振り仰いだサーシャたちが悲鳴じみた警告を投げつける。一葉とウィンはざわりとした危機感を覚え、次の瞬間には無意識に構えた武器へ衝撃を受けていた。何もなかった空中に紋章が描かれ、その中心から押し寄せた黒の槍が、彼らへと雪崩を打ったのだ。
「くっ……!」
デリラ家の娘、サーシャ直伝の剣さばきでウィンは必死に蔦を受け流し、避け、対処していく。一方の一葉もまた腕の傷が完治していないために受け流していたが、どうしても流しきれない槍を長棍の中心で受け止めてしまう。
「や、っば……!」
腕の傷はどうにか塞がっている。しかしそれまでに流した血液まで消えたわけではなかった。ぬるりと、手の中の感触に肌が粟立つ。
「イチハっ!!」
ウィンの声が耳に届く。ふわりと内臓が浮く感覚を覚えたと思えば、すぐに一葉は体の右側に生まれた痛みでうめいた。視界の端には転がった銀の棍と、こちらへ駆けつけようにも黒の蔦に阻まれて上手く動けない仲間たちの姿がある。
「あ……? あぁ、そっか」
確かに一葉は蔦の槍を受け止めた。しかし握りこんだ長棍が血で滑ってすっぽ抜け、そのまま胸を強打して吹き飛ばされたらしい。それでも未だ彼女が無事である理由は――未だ帯電しているウィンが生んだ、魔力を極限まで込めた白の雷によって槍がまとめて消滅したためだ。
いくらか受ける攻撃の薄かったウィンが走り寄り、一葉の傍で膝をついた。その視線の先には左腕を失った“召喚士”の姿がある。
「お前が、お前が……お前さえいなければ!!」
今までのこちらを嘲る態度から一変し、憎しみで真っ黒に塗りつぶされた少年に一葉は眉を顰める。誰のものかもわからない物悲しさがその胸には押し寄せていた。
「い……っつ……」
「イチハ」
右ひじをついて状態を起こした一葉へボソリとウィンが声を落とす。
「何」
「後がないでしょう。奥の手があと数発は使えるうちに、私たちがどうにか隙を作ります。貴女は……いえ」
紫電の瞳も涼やかに、一葉の“義兄”は普段通りに笑った。
「どうにかしてください」
「……結局、それか」
ウィンのいう奥の手――あのすべてを焼き尽くす白い雷が保証した回数は、未だ机上の理論から導いたものでしかないこと。前衛で頑張るレイラたちがとっくに限界を超えていること、何より自分が期待に応えられるか分からないことはウィンだけでなく一葉もよく理解できていた。
「仕方ないなぁ」
「兄を助けてこその妹でしょう」
「はいはい」
腕の傷が開き、それ以上に全身が血みどろの一葉。眼鏡にヒビが入り、半端に切られた髪が頬にかかりこちらも全身傷だらけのウィン。それでも2人は。いや、4人は笑みを浮かべた。
ミュゼル王都南門前の広場。王城の正面からまっすぐに伸びる大通りの先にあるそこは今、民が憩う普段の様子から地獄のような場所へと変わっていた。
「そう、そのまま治療を!」
彼が指導している医師の卵たちは充分に職務を全うしている。だからこそどんどんと失われていく命に心が悲鳴を上げるのだが、今の彼――トレス=ディチにはその面倒を見ている暇などない。何しろ次から次に患者が増えているのだから。
(初めての大仕事がこんな事態ですか)
本来ならばもう少し経験を積んでから、魔獣退治などの際に同行させて戦場を体験させるつもりだった。それがこの状況で、卵といえども全員が駆り出されてしまっている。庇おうにも、トレスの持つ権力程度では庇い切れなかった。
(本当に、無力ですね……いえ、そんなことを言っている暇などありませんか)
せめて、もう少ししたら教え子たちを休ませよう。そう考えたトレスはテントの中に見知った顔を見つけて眉を顰め、足早に近づいた。
「姉上」
「見つかってしまいましたか」
「当然でしょう。ここは僕の戦場ですよ」
トレスが呆れたように見下ろした相手は姉であるノーラ=ラジーオ=リトローアである。門外の魔獣の群れに対応していたが、部下をかばって負傷したらしい。傍にある症状を記した紙には瀕死だったとあるが、本人が医療魔術を習得していたことが幸いだったようだ。起き上がれはしないものの、死ぬこともない。
「そうでした。……貴方に見つかってしまったなら、お父様も私がここにいることをご存知でしょうか。こんな体たらくではまた叱られてしまいますね」
軽くため息を吐き出した姉へトレスも苦笑いを返す。今でこそ父親と平和的な関係を築いてはいるが、この姉は勘当同然で義兄へ嫁いだのだ。思えばノーラが騎士になった時にもひどく揉めている。人を癒すことへ人生をかけている父は娘を騎士に、さらには騎士団長――当時は団長ではなかったが、危険の伴う職務の男の嫁になどさせたくなかった。
ただ1人の娘であること、一時は2人の弟を凌いだ医術の腕、騎士としては小柄すぎる体格、それまで武術はたしなみ程度でしか触れていなかったこと、全てが原因である。
今ではノーラの仕事ぶりや義理の息子であるコンラットを認めてはいるが、だからこそ下手な怪我をするべきではなかった。
それでもなお翳の見えない金のたれ目に、トレスは気づけばなぜか、言うまいとして封じていた言葉を唇に乗せていた。
「時々、姉上がとても羨ましく思えます」
ポツリとこぼしたトレスの声に目を見張り、しかし遮ることなくノーラは先を促す。
「姉上は人の上に立ち、義兄上をよく支えておられます。僕にはできないことです。姉上ならどうしただろうと、いけないと思いつつ比べてしまうのです。……なぜ姉上は、騎士になられたのですか?」
――自分よりも、はるかにこの立場に向いているのに。
ディチ家らしく怒らせると怖いが、しかしとても優しいノーラ。10歳年上で、女性の身で近衛騎士の副団長を務めるノーラ。トレスにとってその小さな背はいつまでも追いつけないものであった。
「騎士になる前は、姉上の方が腕のよい医師でした」
「それは否定しません。平凡な資質しか持たない私ですが、それでもあなたたちに負けたくなくて必死に学びましたから。今も今で、いつも必死ですが。優秀な人が多くて嬉しい反面、皆さん自由奔放すぎて困ります」
困ると言いながらノーラは嬉しそうに笑う。兄と自分は、姉のこのふわりとした笑顔を見たくて頑張っていたのだと思い出した。同時に、あの小柄な魔術士や灰金の騎士、双子の騎士たちや、その先輩たる男性騎士たち、そして義兄の姿も。
騎士という人種はどうして柔らかい様でいて、ああも自分に厳しいのかと疑問に思う。たまには自分自身の体を顧みても良いではないかと。
「男の人はいけませんね。いざという時にとても弱々しい」
そう言いながらいたずらっぽく笑う姉。その顔は泣きつくことを許してはいないが、冷たく突き放すものでもない。振り向けばそこで見ていてくれる安心感を覚えるものである。
そんな姉へやはりトレスも、今度はどうにか苦労はしたが、からりと明るい笑顔を向けた。
「女性は急に強くなるのですから、こちらこそ困りますよ」
「何を言うかと思えば。“私たち”は強くなくてはなりません。そうして、貴方の様にのんびりとした子のお尻を叩くのです!」
ノーラはその小さな身で自分とコンラット、そしてもう1人の命を背負っている。それではどうしたところでトレスなどが敵うはずはなかった。
精々が、与えられた役割をきっちりとこなしていく程度である。
「ならば今回のような無茶は金輪際やめてください。無事だったからいいものの、本当ならばどちらも死んでいたのですよ!」
「あら。怖いお顔ですよ、“トレス先生”」
「余計な事をせず、くれぐれも安静にしてくださいね? “ノーラ=ラジーオ=リトローア副団長”」
悪戯めいたノーラへトレスもまた精一杯厳めしい顔を向けた。そのまま力を抜き、苦笑へと転じる。
「騎士の皆さん、衛士の皆さんやイチハさんたち……それに義兄上が、頑張ってくれますから」
「そうね。無茶をしすぎましたから今は少しだけ楽をさせてもらいましょう」
悩みや迷いが消えたわけではないが、もう少しだけ頑張ろうと前を向く。まずは医師の卵たちへ休息を促すため、トレスは姉の傍を辞してゆっくりと歩き出した。
(“大人”として。“先輩”として。少しでも余裕のあるところを見せなくては、恰好がつきませんね)
下手をすれば倒れてしまいそうなほど忙しいことに変わりはない。状況や、精神的なもの――姉を羨む気持が変わったわけではない。
しかしトレスはどこか晴れ晴れと、その金のたれ目を細めて微笑みながら歩くのだった。