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流界の魔女  作者: blazeblue
流界の魔女
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第46話 同じ陽光の下で




「エル!」

「こっちは大丈夫!」


 日が傾き始めたミュゼル王都の都門前で、黒瞳の双子は舞うように走り回っていた。その身にまとう防具は変わらず白い甲冑と青い上衣だが、周囲の衛士たちとは違い汚れはほとんど目立たず奇麗なままである。

 しかしそれは、彼女たちが衛士たちほど働いていない、ということではなかった。


「う、うわぁぁぁぁっ!」

「ったく、魔術士がこんな前線まで出てくるから……!」


 軽い舌打ちと共に駆け出し、双子の騎士はローブをまとった男を襲いかかろうとしている獣を一刀で斬り捨てる。礼を言おうとした相手が彼女たちだと理解した途端に言いよどむ魔術士へは目もくれず、アレネアとエリシアは再び走った。


「まったく、怪我するなっていう指示は分かるけどできるだけ汚れるなって、なんてメンドくさい指示かしら、ねっ!」


 大きく振った遠心力でやはり1撃。次々と魔獣や、中に紛れているらしい召喚獣を切り捨てながらアレネアが大きく愚痴を零せば、そのすぐ後ろの位置から遅れないエリシアが苦笑を返した。


「仕方ないでしょ、そのほうがいいって副団長が言うんだから」

「まぁね、私たち騎士が汚れるまでも無く“余裕”で対処できてるって見せた方が士気的にもいいって分かってるけど!」


 むくれながらももう1匹。明らかに周囲の領地よりも集中的に狙われているミュゼル王都を守るために、双子の騎士は走り続けて斬りつづける。返り血や泥を浴びる間もなく、全て一瞬のうちに終わらせてまた次へ。


 彼女たちは王都の中にあって特権意識の強い宮廷魔術士たちとは折り合いが悪い。それは“黒い瞳”のくせに騎士になっているためだが、魔術を使えないという不利はこういった事態では強味となる。

 なにしろ、魔力というものが分からないのだ。だからこそ魔力にとらわれず、魔獣でも召喚獣であっても気にせず近付いて“処理”ができるというもので。


「あっちは」

「大丈夫、他の人がどうにかしたわ」


 彼女たちだけではない。騎士にこそ黒い瞳の持ち主は彼女たちのみだが、衛士にならば意外と多く黒という色の人間は所属している。彼らもまた自分たちの不利を有利に変え、普段のうっ憤を晴らすかのごとき勢いで、この地獄のような戦場を駆けずり回っていた。


「忙しいわねぇ」

「えぇ。でも、仕方ないわ。一番大変な場所をお願いしちゃってるんだもの」

「……そうね」


 すらりとした立ち姿の、融通の利かなかった灰金の細剣使い。小さくて細い、少女じみた黒い瞳の魔術士。双子が押し付けた面倒な役目を文句も言わずに受け取り、そうして協力してくれた彼女たち。2人がいたからこそこうして“誰かを守る”ことを続けられていて、2人がいたからこそこうして今も生きていられる。

 無数の魔獣が王都へ押しかけたその時から、2人の“後輩”の姿が双子の脳裏にはあった。


「一番大変なことを押し付けたんだから」

「そうね。ここを余裕で守るくらいしないと、先輩としてカッコ付かないわ」


 さすがの双子であっても息は上がっている。しかしグイッと口元を拭い、澱のような疲れを無視していつもの強気な笑みを浮かべ、再び走り出した。その姿が黒の瞳を持つ衛士たちの希望となり、色に関係なく人を救い続ける彼らはやがて周囲の人間たちの心へも影響を及ぼすだろう。

 だが今はただ無心に仲間を、王都を守り続けるために走るだけであった。









 日の傾きかけた頃、アーシアで。もうしばらくすれば日の光に茜が混じるだろうと、濃紺と深緑の瞳を細めたルクレツィアは空を見上げた。


「今頃はアレらも戦ってる頃合いかや?」

「何事も無く目的地へ到着しているとするならば」


 右後ろからの声にふっと笑みを浮かべると、霊国の王女は視線を斜め下へと戻した。森の中の王都を守るように作られた城塞の、その周りをぐるりと取り囲むような無数の獣たち。これはどうにか戻ってきた伝令の言う、ミュゼルの状況とほぼ同じだろう。仕掛けた犯人の予想はついている。


「まったく。妾ならば勘弁してほしいがの。ほぼ人外の相手と一戦交える前に、このような無駄な力を使うなど。イチハに、レイラに、ウィン殿。それからかの有名なデリラの娘じゃ。一筋縄ではいかぬ者ばかりというに」

「それを問題ないと思えるほど、力に自信があったのでしょう」


 肩を竦めるようなジョシュアへこちらも肩を竦めながら、ルクレツィアは鋭い視線を上空へ向けた。大きな鳥が2、3羽。いや、鳥ではない。


「馬鹿め、わざわざ狩られに来おったわ」


 唇をチロリと舐めるとその繊手をするりと差し伸べる。優雅な衣擦れの音と同時に、鋭い声が空気を割いた。


「風よ! 疾く来たりて妾の障害を打ち崩せ!」


 目に見えないものを把握することは非常に難しい。それを容易にこなしてみせるルクレツィアから放たれた風の刃は違わず鳥型の魔獣のもとへたどり着き、その翼を切り裂いて地へ墜とす。獣としての本能が刺激されたのか、共に羽ばたいていた鳥獣たちは仲間の仇を取ろうともせずに方向を変えて戻っていくが、しかしそれもまたルクレツィアによる刃の餌食となった。


「ジョシュア」


 ぽつりと呟かれた自分の名に、ジョシュアは視線をそっと向ける。返事はなくともそれだけで彼の促しを理解したルクレツィアが、何事も無いような声音で先を続けた。


「この件が落ち着いたらでよい。妾の夫になれ」

「……それは」


 眉を寄せて否の声を上げようとすると、右肩越しにじろりと濃紺の瞳がジョシュアを見やった。


「妾の父上も母上のすぐ傍でお守りくださっておる。我がアーシアは女王制じゃ。ぬしが妾の夫となるに何の問題があるか? それとも何か。ぬしは妾の夫になった途端、権を握り妾に断罪されるとでも申すかや?」

「……それはありません」


 意思の強い茶の瞳へ、今度こそルクレツィアは真正面から向きあう。


「俺は、領地をよく守り治める父と兄を尊敬しています。俺がここへ来た最初の理由は少しでも彼らの手助けをしたかったからです」

「知っておる」


 だから、とジョシュアは唇を引き結ぶ。


「余計な縁を作って父や兄を不利にはしたくない。あなたとの縁は貴族にとっては非常に魅力的でしょう。しかしそれ以上に、貴族として中枢ではない我が家にとっては余計な目や人が集まってしまう。それはもはや害でしかありません」


 きっぱりとした拒否を最後にジョシュアは唇を閉ざす。無言の区間に風の音がよく聞こえた。

 やがて空に茜色が混じる頃、ルクレツィアはいつものように、勝気な笑顔のままジョシュアの襟首を強引に引き寄せる。まるで唇を合わせているような至近距離で、濃紺と深緑の瞳が茶色の瞳を射抜いた。その鋭さは先ほど上空の魔獣へ向けていたものの比ではない。


「ルイズ家に不利が生まれるならば、いかな妾からの言葉であろうとも断る、か。しかしの、ジョシュアよ」


 目の前の美しい女性が浮かべる笑みは美しくも寒気を催す。意思を譲る気は未だ全く無いが、ジョシュアは普段の胃痛が倍増したような感覚を覚えた。


「その程度で妾が諦めるとでも思うたかや? 残念じゃな、ジョシュアよ。いわく、妾は“自己中心的な性格”らしい」


 勢いよくジョシュアを突き飛ばして手を放すと、人の上に立つために生まれてきた女はついっと頭をそらしていっそ傲慢に笑う。


「ぬしも知っておろう? 妾が望んで手に入らなかったものは、ミュゼルの騎士くらいじゃ。ジョシュアよ。ぬしを手に入れるなど妾にとって造作もない」

「それでも俺は、拒否し続けますよ。あなたを受け入れるつもりなど俺には無い」


 まぁ、と、腰に下げた剣へ触れながらジョシュアは好戦的な光を瞳に乗せた。


「それもこれも細かい話は後です。この事件が終わらなければ落ち着いてお断りもできない」

「そうじゃの。落ち着いて“命令”もできぬ」


 にやりとよく似た笑みを浮かべると、アーシアの主従は外へ進撃するために踵を返す。


(自覚はあるかや、ジョシュアよ。ぬしの“断り文句”に、妾そのものを否定する言葉が無かったことを。ぬしの事じゃ。それを分かって言うておるやも知れぬが、の)


 内心の苦笑は表には出さない。それが必要となるのは今ではない。そうして呼びつけた部下を引き連れ、ルクレツィアはジョシュアと共に城塞の外側へと走り出すのだった。










 視界が白い。いや、それは視界だけではない。聴覚、嗅覚、触覚など、視界を含め全身から受け取る情報が“白”としか言い様がないのだ。自分の体はおろか指先すら自分の意思では動かせず、思考だけがポンと白の世界へ放り出されたように感じている。


 しかしそのような異常事態の中にあって、ウィンは場違いにものんびりとしていた。その根底にあるのは自力で解決のできない問題に対する諦めであり、そして自分に迫る危険“ではない”というある種の安心感が生んだ余裕でもある。義妹の放った白い光が万が一にでも自分たちへ害を及ぼさないことをウィンは知っていた。

 問題はこの光が落ち着いた後であるが、それまで彼に出来ることは何もない。苦いような、それでいて不思議と穏やかな笑みをウィンは浮かべている。


(私もずいぶんと変わりましたねぇ)


 以前の彼ならば自分の理解が及ばないという事実をこうも簡単に認めることはできなかっただろう。それが今は事実を事実として認め、その上で深く考えを巡らせるようになっている。実に大きな変化であった。

 自分の手が届かない領域は確かに存在する。そのような諦めを知った彼はこれまで持っていた貪欲さを一部失っていたが、それが悪い変化だと言い切れないことも同時に理解していた。彼は、様々なモノに負け続けたにも関わらず未だ自分の足で立っている“泥臭い”今の自分を、決して嫌ってはいなかった。


 白かった視界へ徐々に色が戻ってくる。相も変わらず動かない視界へ最初に入ったのは雲ひとつない、嫌味なほど澄んだ青空であった。ウィンたちはいま大きく言えば世界の危機に関わっているはずだが、空には――人間以外の存在にはそのようなものが何の影響もないのだと強制的に理解させられる。



 ――何と、人間という存在の小さいことかと。



「くっそ……この程度じゃダメか」

「そうだねぇ、この程度じゃお遊びにもならないかなー?」


 悔しげな呟きと共にウィンとサーシャ、レイラの体が突然自由を取り戻した。つんのめるようにして解放された体勢をどうにか立て直すや否や、ひとりだけ違う方へ向いていたウィンは即座に振り向く。


 これまでの進路のちょうど背後、建物から瓦礫へ変化した山の上に小さな影がある。黒い瞳と焦げ茶の髪をもった6、7歳の少年。その整った容貌には外見にふさわしく純粋な、あるいはまったくふさわしくない毒々しい色を宿した笑みを浮かべている。

 枝のように細い手足は誰が見ても非力だが、それを信じてはいけないことを4人は嫌というほど知っていた。


「危なかったですか」

「ん」


 ウィンが小声でそっと問えば、一葉からは小さな声だけが返された。彼らが自由を奪われたのも、彼らの間を縫うようにして白い光線を撃ち出したのも、それがもとで彼らの体を司る魔力が乱れたのも、全て一葉が原因である。背後の建物に隠れた“召喚士”の不意打ちで3人の体内魔力が奪いつくされないように。反撃のための術へ彼らを巻き込まないよう、珍しく全意識を『コトダマ』へ集中させて。


「……まさか、ラスボスがこんな場所にいるなんて思わなかったよ。普通はもっと奥で待ってるものじゃない?」

「そう? でもいいでしょ。奥の奥でまってるなんてつまらないよ。せっかくお姉さんたちが来てるんだから、隙をついて絶望させるくらいはしとかなきゃね。まぁ失敗しちゃったけど」


 稚い声でえげつないことを平気で言い放つ。やはりどう頑張ったとしても、一葉が“召喚士”を好むことは難しかった。彼らは互いに根幹から相容れない存在なのだろう。


「でもひどいよお姉さん。僕がせっかくお姉さんたちのために準備したおもちゃを無視するなんてさぁ」


 ひどく残念そうに言う少年が示す先には、白い石畳の間にある茶色のレンガ。あまり多くはないが目を引くほど少なくもないそれは周囲に溶け込んでおり、何も知らなければうっかりと踏んでしまっていただろう。現に一葉たちも、今“召喚士”が示すまでは全くそれらを意識していなかった。


(嘘か、本当か……)


 単純にこちらを混乱させようとしている可能性はとても高い。そういった嫌らしい攻撃をするのも“召喚士”らしい、と言える。しかしそれ以上に、信じないままとんでもない罠を発動させるということも考えられる。

 判断を下すのは一葉だと前もって決めていた。それは“召喚士”に対する経験値や様々な経験を考えた結果だが、アーシアで石の迷宮を歩んでいた時以上の重責が一葉にのしかかる。


「それを信じるとでも?」

「まぁ、いいけどね。でもちゃんと教えたんだから引っかかっちゃダメだよ?」


 にこりと可愛らしい笑みを見せると同時、少年の体からブワリと黒い霞が広がり足元からは黒い蔦が生えた。


「さて。じゃぁ始めようか?」


 引き寄せた蔦へ頬を寄せると、その小さな右手を一葉たちへと勢いよく突き出す。黒い蔦が絡まり合って作られた黒の槍が、同じ勢いのまま一葉たちへ無数に襲いかかった。


「避けて! 絶対当たらないように!」

「はい」

「それは前に聞きましたよ!」

「聞いていたより、難しい、ですね……!」


 自らも避けつつ慌てて声を上げた一葉へ、返るのもまた必死の声だった。特に“召喚士”の操る蔦を実際に体験していないウィンとレイラに余裕などは無く、とにかく足を止めないことで精一杯になっている。

 そしてそれ以上に足元を気にしなくてはならない。うっかり色違いの石畳を踏んで攻撃を受けてしまえば笑えないため、どうしても4人が攻撃へ転じることは難しかった。


(っく……いつまで続くのか、わかんないのが一番キツいかなぁ……っ!)


 ウィンもレイラもサーシャも、全員が襲い来る蔦や靄を避けることに集中している。そしてそれは一葉も同じであった。右足で着地し、その勢いのまま右足で地を蹴る。左足を振った勢いで方向を変えれば、次の瞬間には今まで一葉がいた場所を闇色の槍が貫いた。


「すみません、このままじゃ私は『コトダマ』を使えませんからっ! 絶対に色違いのレンガを踏まないで……!」


 未だ半信半疑ではある。しかし、万が一にでも罠を発動させてしまえば泣くに泣けないだろう。仲間たちの無言の了承を感じながら一葉は白い石畳を舞う。

 一度避けてしまえばそちらへ意識の優先度を割かれてしまい『コトダマ』への集中が難しくなってしまう。生半可な盾など余裕で破る蔦の槍の前では、一葉には避けることしかできなかった。


(あぶないっ!)


 貫かれそうになった右足を無理やり振りぬいて場所を逸らし、闇色の槍が脛を掠めるだけに留める。そのままでは茶色の地面へ着地してしまうために再び無理に力を込め、どうにかその傍にある白の石へ着地した。無理に動かした筋肉や関節、新たに傷付いた右足が痛んだが、それを気にする間もなく一葉は再び地を蹴った。


(まだ休めない!)


 避けることに極限まで集中した精神は体と共に時間に対する感覚をも引き延ばし、一体どれほどこの作業を続けているのかという意識を奪っていた。少しでも失敗すれば命を失う極限状態は体力以上に精神力へ影響を及ぼし、やがて彼らは段々とかすり傷を増やしていく。


(でも、あっちの“クセ”も見えた、気がするけどねっ)


 以前の悪趣味な“お茶会”で相対したのは一葉とサーシャのみだった。サーシャが“召喚士”との戦闘に不慣れなことや一葉自身の不調もあり、前回は相手にとって終始有利に進んでいた。しかし今回はそうも言いきれないらしい。

 “召喚士”にも分かっているのだ。余裕に見える彼がその余裕を崩せば、その穴を4人の内誰かが突破する。なし崩しの内に決定的な攻撃を浴びせられる可能性が決してゼロではないことを。“格下”相手にもあまり油断をしていない所に、慈雨の谷で一葉から受けた痛手の影響が垣間見えた。


「そろそろっ、そっちも実は追いつめられてるんじゃないの!?」

「へぇ、面白いコトを言うねぇっ!」


 一葉の挑発へ歪んだ笑みを見せた“召喚士”が一葉への攻撃を増やす。


(やっぱり)


 右に跳び、左で体勢を整え、また宙を舞う。先ほどまでよりも着地に関わる時間を減らし、今まで以上に素早く動き回りながら一葉は思わず唇の端を持ち上げた。今の流れから彼女はある確信を抱いたのだ。

 彼女たち異界渡りはこの世界の人間よりも精神の影響が強い。明らかに人間離れがすぎる“召喚士”についてもそれは同じであり、ある意味では一葉以上に精神による枷が効いていると。


(まるで、本当に人間みたいな感じ、だなっ!)


 自分へ近づくなど、誰かが視覚的に目立つ行動をすればその人間への攻撃が格段に増える。別の人間が目立てば攻撃の優先度がそちらへ移る。挑発をすればその人物の優先度が上がる。

 人外へ変じた“召喚士”は、未だ“人間”としての枠に囚われているようだった。


 “召喚士”を感覚として捉えている一葉や、彼女から聞かされたウィンたちは彼が既に人間と言えないことを知っている。だが彼女は忘れていた。一葉だけではなくウィンたちもまた、結局のところ“召喚士”が“この世界の人間”ではなかったことを知っているようで意識の外に追いやっていた。


「お姉さんたち、余裕がありすぎるけどさぁ。足元がお留守になってるんじゃない? だからホラ」


 にやり、と笑み、少年はある場所を指差す。


「こんなことになるんだよ」

「まずい! 白の石に!」

「……っ!」


 一葉、ウィン、レイラが慌てて振り返った先には、今まさに黒の槍を避けて地を蹴ったサーシャの姿があった。その周りには茶色のレンガが集中しており避けられる場所が限られている。白い石へ移動することを選んだ彼女のつま先、それが触れるだろう場所へ瞬く間に精緻な模様が広がった。

 通常ではありえない“黒の光”を放つそれは、まるで一葉の記憶の中にある紋章魔術のようだった。



 ――だがそこは“何の変哲もない石畳”であり、色違いのレンガなどではなかった。いくらサーシャの超人的な反射神経を持ってしても、着地の方が早い。



 ――退避を選んだ代わりに穿たれた肩の傷。そこから飛んだ雫がサーシャの頬へ紅い化粧を施した。



「まさかっ!」

「逃がさないよ」


 “白い石畳”に現れた突然の異常から逃れようと、サーシャは膝へ力をいれた。


 “召喚士”が低く呟く。それと同時に、日光を反射した銀の髪が自らの意思に反して宙へ高く高く跳ねあがった。


「サーシャ!」

「あぶないっ!」


 幼馴染へ思わず走り寄ろうとしたウィンを掴み、魔力を使って筋力をあげた一葉は無理やりレイラの方向へ放り投げる。

 サーシャが飛ばされたのは目測で20メートルほどの空中だった。空を飛ぶ術を持たずレイラのように地面を軟化させることもできないサーシャが、一葉の助力なしで無事に着地することは難しいだろう。しかし一葉はサーシャの手助けを選ぶことはできない。してはならない。


「っ、ごめんっ!」


 どうにかウィンが着地したと同時に、一葉は彼とレイラを護るように2人の前へ立ち両手を“召喚士”へと突き出した。背後から責めるような意思が飛んでこないことが余計に心の痛みを増した。



『結界・護!!』



 最大限まで強化された結界が、顕現した途端にミシリと軋む。彼らの足止めか命そのものを狙ったのか、今までとは比べ物にならない威力と密度の攻撃が一葉の結界を打っていた。安全圏をくっきりとさせるように地面がえぐり取られている。結界を支える一葉の足元が1、2センチ沈み、彼女の体もまた悲鳴を上げた。いくら魔力で底上げをしたとは言え、成人男性を投げたことは彼女にとって無茶だったのだ。


「い……ったー……」


 焦げ茶の髪の魔女は明らかに追いつめられているが背後の2人は余計なことを言わず余計な行動をせず、じっと自分たちの出番を待っている。

 ぎりりと奥歯を噛みしめて耐えるうちに背後から軽い着地音がした。見捨てるような選択をしたことは後悔していないが、それでも決して死んでほしい訳ではない。だからこそ、思ったよりも軽い着地音が一葉は心から嬉しかった。


「すごいなぁ。でも、イチハお姉さん。お姉さんが死んじゃえば、銀のお姉さんの頑張りも無駄になるよね」


 雨のように打つ黒の槍のせいで結界の表面が震え、それがいくつも共鳴することで甲高い音が響く。まるでガラス製の楽器を奏でているような、とても澄んだ音だった。


「イチハ、様……!」


 サーシャが助けに入って槍を減らすことも難しい。何しろ彼女自身が膨大な量の槍を向けられており、それを捌くことで必死である。彼女は水色の目を眇め、ただ目の前の危険を“処理”していた。自分が主と仰ぐ者はこの程度で終わることなどないと信じて。


「イチハっ!」

「イチハ殿!」


 ウィンとレイラの悲鳴じみた声が上がった。結界が破られる。黒の槍は3人へ押し寄せると同時、内側から新たに生まれた力により消し飛んだ。


「っぶな、かったぁ……」


 石畳に紅い花が咲く。黒い蔦は一葉の両腕をえぐったが、逆にその血が含んでいた力により消滅させられていたのだ。

 レイラが一葉へ、ウィンがサーシャへ悲鳴を呑み込みつつ素早く近づく。そして懐から小さなガラス玉を取り出すと封じられた術――これまでは温存していた、ディチ家の術士による特製回復魔術を発動させた。


「あーあ、殺す気でやったんだけどな」

「残念だったねぇ」


 ひどく残念そうな声音で言う“召喚士”を、軽い口調とは真逆の視線で一葉は睨みつけた。その両腕に刻まれた傷は思ったよりも深いらしく、すぐには治り切らない。


「まさかイチハお姉さんがあんな反撃すると思ってなかったし……銀のお姉さんが、あんな風に着地するとは思わなかったかな。せめて1人くらいは殺せると思ったのに予定が狂っちゃった」


 20メートルの上空へ打ち上げられたサーシャにも当然追撃があった。それは氷を操る彼女にとっての皮肉からか、黒い蔦の槍だけではなく氷の棘や槍も含められていた。

 人間として生まれた以上、空中で体勢を変えることなど不可能である。それをサーシャは氷を打ち出す反動を利用して避け続け、地面へ向けて氷を射出する勢いで落下の勢いを殺してどうにか着地した。そしてそのまま地面を転がりさらなる追撃を避けることで命を繋いでいたのだ。


「恐れ入ります」


 何事も無かったような表情のサーシャだがもちろん無傷ではない。大小さまざまな傷に加え、無理な体勢で着地したため実は酷く足首を痛めている。抉られた肩はどうにか傷を塞いだが、その代わりに空中で細かい傷を増やしている。

 一葉の傷とは違い自分はすぐには治らないと見切りをつけた彼女は足首の痛覚を遮断することを選んだ。それを知っているのは治療にあたったウィンだけである。サーシャの全身は外見から見えるよりも遥かにボロボロだった。


(あまり無茶はしないでくださいよ、サーシャ)

(今多少の無茶をせず、いつすると言うのです?)

(それは……)

(何も言う必要はございません。……行きますよ)


 2人はすぐに一葉の傍へ戻り、治療中の一葉とレイラを護るように立つ。さすが幼馴染と言うべきかその構えが思ったよりもそっくりで、そのような場合ではないと分かりつつも一葉はこっそりと笑った。


「でもさ、ちょっと迂闊じゃない? 僕は確かに色違いの石を指したけど、アレに何かがあるなんて言ってないんだよ」

「まさか」


 凍りついたように動きを止めた一葉へ、まるで子供がとっておきの話をするような表情で“召喚士”は笑いかける。


「そう! 最初から罠なんて無かったんだよ! 無いはずの罠を警戒して地面に意識を持ってかれてる癖に、結局は足元から意識が逸れてるんだもん! あー、面白かった!」


 それは“召喚士”が哂いながらレンガを指差した瞬間から。一葉たちはたったそれだけの魔力も使わない“魔法”に囚われ、その小さな掌の上で踊らされ続けてきたようだった。


(うそでしょ……)


 それを避けるために負った傷がある。それを避けるために、負わせた傷がある。それを避けるために、護れたはずの仲間を見捨てたこともあった。それを“信用”しすぎなければ、サーシャや仲間たちをあの凍りそうな恐怖に陥れることが無かったかもしれない。


「滑稽だよね! ねぇイチハお姉さん、どんな気持ち? 自分の判断間違えで仲間がどんどん怪我してく気持ちってさ!」


 今まで信じてきたことを覆された感覚は、一葉の足元の地面をも崩壊させるような錯覚をもたらしていた。




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