第45話 うつろの皇都
流れる風で葉擦れの音が響く。しかしそれ以外の音は、ようやく絞り出した一葉の声しか聞こえない。
「えー、っと……」
その声もすぐに途切れてしまう。森の切れ目から見えたその光景へ何と言えばよいのか分からなかったのだ。それは同行者たちも同じだったようで、居心地の悪い沈黙が落ちた。
「とりあえず、ここにいても何にも始まらないし。近くまで行こう」
一葉の提案へ頷くと4人は言葉少なのまま歩を進めた。道中も何があるわけでもないが話して2、3語、それ以外はほぼ無言で森を歩き続ける。相変わらず動物たちの声が聞こえない不気味な空間が先ほどの“あり得ないもの”を肯定しているようで、とても居心地が悪かった。
それからおよそ1刻の後。森を抜けて平原を歩き続けた4人は目的地から30メートルほど離れた位置にいた。期待していたような変化は見られない。
自分を落ち着かせるように、または誰かの発言を待つように呼吸すること5、6度、どうにか声を絞り出したのはウィンだった。
「何度見ても変わりませんね。がれきの山になっている、と、聞いていたのですが」
「私も、そのように伺っております」
「はい」
自分以外の発言にホッとした様子で、サーシャとレイラも頷いている。
(まさか、これは想像しなかったなぁ……)
まるで誰かに聞こえまいとするように声を潜めている4人の視線の先には、白く巨大な門がある。グランツ皇国の皇都を守るそれは“あった”ではなく現在進行形で“ある”のだ。
先ほど遠目から見た時には、よく整備された街の中央に立派な城がそびえていた。いま目の前にある門の左右には壁が続いており、彼らの位置からは果てが見えない。
山から離れ、森からも台地からも離れた草原の中心。そのような場所にポツンと存在する都市ではあるが、不利を覆すように外壁は堅牢である。例え国の中心たるこの場所が他国の兵に囲まれたところで、たいていの攻撃からは身を守りきれるだろうと確信ができた。
街もそれを囲う街壁も白い石で統一されており、都市全体からは強国としてしっかりと統制が取れているとうかがい知れる。
「これは……人の手で成せるもの、なのでしょうか」
レイラの掠れた声が草原を抜ける風に流れた。門の向こう側からは住民たちの喧騒こそ聞こえないが、何度目を擦っても、ミュゼルの王都よりひと回り広いそこは“がれきの山”などではない。
しかしミュゼルの“影”がアーサー王へと間違った情報を上げるはずもない。ならばこの皇都は確かに1度、廃都市になったのだ。
「“召喚士”が、再生を……?」
「それしかあり得ないね」
グランツとの戦から現在まで3か月が経っている。戦の後も何かと監視の目があったはずで、実質“影”がこの土地を離れてからの1か月ほどで都市が再生したということになるだろう。
物馴れた大工ですら個人の家を1棟完成させるためには1月では足りない。人すらも消えたと言っていた皇都をこの短時間で元に戻すなど、常人技では不可能だった。
「罠、でしょうね」
ぽつりと落とされたサーシャの声に全員が頷く。生き物も建物も区別なく壊しつくしたものを、今この時に合わせて自分で作り直したのだ。そこに含まれた意思が彼らにははっきりと感じ取れる。そして、だからこそ次の行動を躊躇していた。
「どう、しましょうか。このまま堂々と正面から行くか、どうにか別の入り口を探してみるか」
一葉はそう言いながら何とも苦しげな表情を浮かべた。門の擦れ具合から見て“召喚士”は皇都をほぼ完全に再生しただけでは飽き足らず、さらに信じられないほどの広範囲へと力を及ぼしている。保有魔力、魔力操作ともに一葉の力量とは比べるべくもない。
その“召喚士”が、まさか何もせず正面から進ませてくれるはずが無いだろう。ただでさえ彼女がいる時点でこちらの動きや位置が筒抜けなのだから、無力感に苛まれるのも無理はなかった。
「もういっそ帰りませんか」
どこか自棄になったように笑う一葉へ3人が苦笑を向けている。
「できるならば私もそうしたいですねぇ……研究の続きに取り掛かりたいので」
「私も鍛錬に戻りたいです」
「お茶くらいは、落ち着いて淹れさせていただきたいのですが」
「ですよねー……った!」
口々に不満の声を上げる同行者たちへ大きく頷くと同時、一葉の首筋を鋭い痛みが襲った。
「ぃ、っつ」
「イチハ様!」
首を押さえながら体を竦ませた彼女へサーシャがサッと近づく。心配そうに背を支える侍女へ手を上げることで無事を告げると、脳裏へと届いた思念へ、彼女は痛みとは別の理由から奥歯を噛みしめた。
「大丈夫、です。もう」
「ならばよろしいのですが」
痛みの波をやり過ごした一葉は“ほぅっ”と息を吐くと、小さく舌打ちを響かせる。顰められた眉が“それ”を心底不快だと物語っていた。
「……ケータイのメールかよっての」
「携帯の手紙? 何のことですか?」
久々の誤変換によるウィンのちぐはぐな質問へ苦笑を向けたものの、一葉は特に説明をせずに白い門を見上げる。その途端、重厚な門が音も立てずに動き出した。
老人が歩く程度の速度で内側へと開く門は、見た目の質量を裏切る形で何の音も立ててはいない。その現象は、目に映る限りでは質感を備えた門が本当の意味での“物質”ではないことを表していた。
「伝言です。“いつまでも遊んでないで早く入ってこい”だそーですよ。ったく鬱陶しい」
「では、正面から向かうしか無いですね」
どうせそれ以外に方法は無いが、改めて催促してくるところが余計に4人を馬鹿にしている。腹は立てているだろうが特に怒りを浮かべもせずに言うウィンへ、一葉もまた無表情のまま頷いた。
いくら門の前で渋っていたように見えても、無駄な時間だけでなく、無駄な時間を過ごせる余裕もまた彼らには無いのだ。
「行きますかー。やだなー」
「早く終わらせて帰りましょう。アリエラ様が心配なさいます」
「そうですねー。2人そろってアリアに早くタダイマって言わなきゃです」
そして4人は揃ってグランツ皇国の皇都・白い石の街グランへと足を踏み入れるのだった。
「『解放!』」
凛としたレイラの声が響くと同時に、全方位を取り囲んでいた黒い靄がすべて消滅した。彼女の手のひらにある宝石からは色が抜け落ちたが、他の宝石による攻撃と重複することなく解決したことは結果として上々だろう。
解放された魔力が消えるころには、半径10メートルの広場には黒の残滓すら残っていない。
「さすがに上手くなりましたねぇ」
「そうだと良いのですが」
何気ない一葉の褒め言葉へレイラは僅かに照れている。レイラが唱えた言葉は彼女にとっては確かに“呪文”――異界にある島国の言葉であり、教えられた通りに唱えているだけだ。上達したのかどうか、むしろきちんと意味が伝わっているかすらも分からない。
「ここまでで使ったのは4個。残りは……」
「勝手に起動したものを弾けば、残り5つです」
指折り数える一葉へ答えたのは後方の警戒を続けるサーシャである。未だ敵が復活する気配はないが背後は見通しの悪い住宅街のため、安全とは言い切れない限り警戒は外せなかった。
「……駄目ですね。やはり、今から純粋な魔力を操る練習をしたところで時間の無駄でしょう」
「私も同じです。今の自分にできることを探すとします」
襲撃者たちを踏み台として魔力操作を練習していたウィンが首を振ると、サーシャもまた同意する。予想していた答えに一葉は軽く頷きだけを返した。
(まぁ、仕方ないかな)
彼らがグランに足を踏み入れてからの1刻弱、今までのようには実体を持たない敵が山ほど押し寄せてきた。ある程度は予想ができていた襲撃は、しかしただ1点について想定外が発生している。
ウィンやサーシャ、レイラが使う魔術は相手にとって都合の良い餌だった。正確に言うならば、彼女たちの魔術に宿る“属性”というものが。
――イチハに露払いをお願いしてもいいのですが。
――しかしそれではイチハ様が……
――はい。肝心なところで疲れ切っていては論外です。ですからこちらを。
ウィンが注目したのは、一葉が先に力を込めていた宝石であった。レイラとサーシャの戦力強化、そしてウィン自身の魔力回復のために用意した宝石の魔力。その魔力は、同時にこれ以上ないほど純粋な魔力の塊でもあったのだ。
(準備を潰しにかかってきてるような気もするけど……いや。それは今考える事じゃないか。どっちにしても迎撃しないといけないんだし)
考えこもうとする頭を一振りして、一葉は目前の障害物――閉ざされた門へ目を向ける。
グランツ皇国による人民の位による統制の名残か、グランへ入ってからも要所要所で鉄格子製の小門が道を塞いでいる。門の両側こそ同じように広場になっているが、明らかに違う生活レベルが見えるよう鉄格子での門になっているのは、それぞれの住民たちへ生活レベルの差を見せつけるためだろう。
「さて、やりますかー」
「任せました。私たちは同じく背後の警戒にあたりますので」
「了解。ヘマしないでよ!」
「貴女こそ、無理やり魔力を流して仕掛けを壊さないでくださいよ」
そこを通過するためには、門の横に設置された小さな金属片へ魔力を流し込むことが必須であった。嫌らしいことに一葉限定である。
ウィンと軽口をたたき合った一葉は金属片へ向き直った。ウィンたちは一葉の邪魔にならないよう、そして彼女を守るために、それぞれが10メートルほど離れた位置で半円状に陣取っている。
(前が開いたと思ったら後ろの門が閉じるなんてね。まるで帰す気が無いみたい……いや、“まるで”じゃないのか)
あふれ出る悪意には頭が下がるばかりだが、見つめ続けているわけにはいかない。一葉はこっそりと溜め息を吐きだすと金属片へ右手を添えた。魔力を流しているうちはその場所から動くことができないのだ。
まるで拘束されたような不快感と魔力が吸い取られる感覚へ一葉が眉をしかめると、レイラとサーシャが弾かれたように上空を仰いだ。
「来ました! ですが、数が……!」
「――っ、致し方ありません!」
ぴたりと合わさったタイミングで、2人が握りこんだ宝石から魔力を開放する。紅玉から細剣へ、碧玉から短剣へ。恐ろしいほどの速さで力を食い潰すと、2本の剣が光を纏った。
「ふ……っ!」
「はぁぁぁっ!」
サーシャの呼気、レイラの気合と共に、彼女たちの剣へ触れた光弾が掻き消える。2人の範囲外に降るものはウィンが紫電で弾き、動けない一葉を守っていた。
少しでも間違えたならば一葉の命はない。それほどの緊張感が3人を包むが、一葉が魔力を注ぎ終えると同時にすべての光弾が消滅する。10秒か、20秒か。
後に残ったのは嫌味なほどに晴れた青空だけであった。
「ありがとうございました」
ようやく体の自由を取り戻して振り向いた一葉へ、3人が思い思いの表情を向けている。呆れたような苦笑いのウィンは空をちらりと見て肩を竦めた。
「だんだんと意地が悪くなってきましたね」
「ねぇ。完全に命を狙ってきてる」
こうした罠はこれが初めてではない。最初は、一葉が魔力を注いでいる間で1発。それから5発、10発と増え、今では無数の光弾が降り注ぐようになった。それに対処するためにも、一葉が金属板に向かっている間は3人が警戒にあたっている。
「規定量の魔力を流さないと開かないくせに、あの光弾は私の力を使ってるんだよ」
「驚くほど悪意に満ちた仕掛けですね」
ウィンの声で全員が浮かべたのは嫌そうな表情である。この小門だけでなく、これまでに仕掛けられた幾多の罠すべてに“召喚士”の悪意が満ちていたのだ。
分かっていたことだが気分が良いはずもない。くるり、と気持ちを切り替えるように軽い動作で上級住民のエリアらしき方向へ振り返ると、一葉はトントンと歩き出した。
「さて、行きましょ……」
焦げ茶の髪の魔術士による明るい声が不自然に切られた。あと1歩で門を通過すると言う所でわずかに空を見上げ、風へ髪を遊ばせている。
「どうしましたか」
言葉が切れると同時にビクリと跳ねた背へ、眉を上げたウィンはすぐに息をつめて目を見開く。身動きはしない。いや、できない。それはサーシャやレイラも同じである。渦巻く巨大な魔力により体内魔力が圧迫され、生命に最低限必要な行動以外に異常が発生しているのだ。
前を向いていたウィンはともかく、再び背後の警戒をしていたレイラやサーシャは振り向くこともできないまま戸惑っている。
(何が……?)
ウィンの目の前にある小柄な背中がゆらりと動いた。この圧迫感の主が彼女だということは疑いようもない。今までに何回か、同じような状況があったからこそ確信ができた。
ゆっくりと振り向いた彼女は俯いているが、どうにか見えた口元だけは絶えず動いている。そこにいるのは良く知っている相手のはずなのに、ウィンの背筋を冷たい何かが滑り落ちた。
「敵……3人……の……を奪って……」
ひゅっと鳴ったのは誰の喉だったのだろうか。上げられた虚ろな黒の瞳は絶えずふらふらと動いていた。明らかに正常ではない。そうしているうちに細い指が持ち上がり、3人の方向を示す。呟きはまだ止まらない。
「イチ」
唸るように膨れ上がった魔力が一点に集中し、魔女の指先から発射される。それでもウィンは目を逸らせず、逸らさず、恐ろしくゆっくりとした視界に迫る純白の光を見続けていた。
ミュゼルの北部、フォレイン領でゼストは眉間に深いしわを作り出していた。
(戦後処理もままならぬというに、魔獣被害が広がっているとな)
もうお世辞にも若いとは言えない体だが、彼が休むことは許されない。ゼストが手を抜けばそれだけ領内の被害が拡大し、情報が混乱し、より多くの領民が危険にさらされるのだ。
戦後処理だけであればいい。しかし魔獣被害までが発生しているのが現状である。
(魔獣被害、のぅ)
その中の一部にはさらに危険度の高いものが混じっている。魔獣だと思って向かったにもかかわらず召喚獣と遭遇した私兵たちが、混乱した末に二次被害を起こすのだ。今はどうにか対処できている。しかし彼らが召喚獣の駆除に慣れるよりも、異質な魔力により圧迫を受けることで精神的な限界を迎える方が早いだろう。
デリラ家の者やそれ以外の分家たちも総出で召喚獣狩りに出ているが、それでも手が足りていなかった。今は1人でも多くの人手が欲しい。しかしフォレインの人間を呼び戻そうにも、王都でも被害が出ているため動かせない。
かと言って他領から人を借りることもできない。隣のレインドルク領もフォレインと同じくらい被害が多いと聞いており、それ以外の領も被害がゼロではないのだから。
「全く、少しくらい老人をいたわっても良いとは思うがの」
「そうですね」
執務机の隣に立ち書類を整理する中年の男が、何の感慨も無い顔で同意する。その言葉へ“ムッ”とさらに眉間を寄せると、ゼストは不満げな声を投げかけた。
「自分で言うのは構わんが、他人に老人を肯定されると腹立たしいのぅ」
「それは失礼いたしました」
慇懃に頭を下げた中年の男はスウィフト=デリラ。デリラ家の当主にしてサーシャの父であり、短く整えられた銀の髪や切れ長の目、すらりとした長身が子供たちと良く似ている。また、彼の容赦のない言葉づかいや諸々の中身も長女へ受け継がれていた。
主と仰ぐゼストへも常々さらりと暴言を吐いているが、それでも仕事ぶりは確実である。いくら直前まで気安くとも“公”に出れば一瞬で完璧な執事然とするのだから、デリラの人間は分からないとゼストは今でも思っていた。
「3人もグランツに取られているというに、これでストレイのところと同じだけの被害があるとはのぅ。世の中は全く不公平じゃ」
「不平不満を言っていても始まりませんよ」
アーサー王の前では愚痴を吐き出すことはできない。他の部下の前や、もしもウィンや一葉がこの場にいたとしても同様である。ゼストにとってスウィフトと亡き妻、そして長い間同じ重責を担ってきた友人たちだけが真の意味で本音を言える相手だった。
「分かっておるよ。お主の子供たちも頑張ってくれておるしのぅ」
「えぇ……娘たちも息子たちも、よくやってくれています」
「私たちが頑張らなくては、若者たちに顔向けできぬ」
疲れを深く込めた息を吐き、書類へと向かう。その直後、書類をさっと置いたスウィフトがゼストの執務机の前へ歩み出て扉へと体を向けた。そんな彼へゼストは何事かと視線を送る。だがすぐに目をそらして同じように重要書類を片付けるうちに、執務室の重い扉が騒々しく開かれた。
「よぅ、ジジイ! 仕事に埋まってぽっくり逝ってねぇか」
「ジジイにジジイと言われたくないわ! お主こそ年寄りの冷や水で大けがしたかと思っておったのに残念じゃ!」
開かれた扉の向こう側からは申し訳なさそうな使用人たちが見えたが、スウィフトが右手を振ると頭を下げて職務へ戻っていった。彼が部屋へ備え付けられた設備で紅茶を淹れて戻れば、主とその喧嘩友達は、ともに応接用のソファへ座っている。
「で、何じゃ。見ての通り私はかなり忙しいのじゃが」
「んなことは分かってんだよ。俺んとこだって面倒な仕事が増えに増えて大騒ぎしてるわ」
「聞いておるよ。お主が仕事を放りだしてまでレインドルク領内で暴れ回ってることまでな」
スウィフトが出した紅茶をひと口飲むと、ストレイはサッと表情を変えた。
「まどろっこしい話は無しだ。うちの仕事は息子と娘がやっている。その代わりに、俺はお前ん所に行け、だそうだ」
「なんじゃと?」
怪訝な表情のゼストへ豪快な男は頷いてみせる。
「正直、厳しいんじゃねぇのか。分家の人間総動員したって魔獣被害が多すぎるだろうし、召喚獣が来ちまったらさらに人が要る。ただでさえ、うちと違ってお前は息子と嬢ちゃん、スウィフトんところのサーシャがいねぇだろ。いつまで続くかも分かんねぇのに交代要員ゼロで回してく気か?
アーレシアも見とくか……とも思ったが、あそこは当主がアレだしな。まず問題起きねぇだろう」
冗談めいた言葉にもゼストは何も言わない。しかしわずかに顰められた眉がすべてを物語っている。ストレイはそんな喧嘩友達を笑うでもなく、いつになく厳めしい表情を向けた。
「俺が勝手に暴れ回るんだ。お前は何も知らなくていい。何か問題があれば、俺が勝手にやったことだって言っていい……悪いな、俺しか出せなくて」
驚くほどに真剣な音へ薄氷の瞳が刺すような視線を送る。それにも全く怯まず、紅水晶の瞳の男はからからと笑った。
「なぁに、体を動かしてる方が性に合ってるんだ。俺ん所は娘がいるし、息子たちがいる。分家だって自分たちから魔獣やら召喚獣やらに飛び掛かってるくらいだし、近くの領に向かわせた孫たちだってかなり強ぇんだぞ。なら俺も好きにやって大丈夫だろう!」
「この馬鹿者が。誰がそれを頼んだ」
冷え冷えとした声は昔のようで。ストレイは目を見開くと、どこか嬉しそうにまた笑う。
「馬鹿はお前だ。この俺が、お前に頼まれて動くかよ! お前が嫌がることをするのが楽しいんじゃねぇか。ゲンツァのところは断られたし、この際お前に恩でも売っとこうかとな!」
「救いようも無いな」
「救う気も無ぇ癖によく言うよなお前!」
何を言っても金の髪の男には通じない。やがてゼストは諦めたように大きく息を吐き出して、ぽつりと呟いた。
「出てくるときは、2匹3匹と一緒に来るらしい。下手を打つなよ、ジジイ」
「そっちこそ仕事しすぎで倒れるなよジジイ! んじゃ、まぁ行ってくるわ。ウィンたちが帰ってきたら知らせろ。お前の息子たちの前で、書類整理でヘロヘロになったジジイをからかい倒してやるからよ」
「迷惑千万だな。いいから行くならとっとと行け!」
「へーへー。あぁ、そうだった。スウィフト」
「はい」
いきなり名を呼ばれたが動揺もせず返事をするデリラの当主へ、ストレイは“にぃっ”と笑う。
「クレアルから伝言だ。“シェリアをもう少しお借りします。落ち着いたら里帰りさせます”だってよ。悪いな、こんな時に帰してやれなくて」
「いいえ。娘がクレアル様を選んだのですから」
姉とは違い天真爛漫で、しかし放っておくとすぐに敵へ突撃していく下の娘。妙に小器用なサーシャとは違う意味で心配になる娘を思い浮かべ、スウィフトは深く頭を下げた。
「……不出来な娘ですが、よろしくお願いいたします」
「不出来だって? クレアルに付き従えるアレが? 召喚獣こそ苦戦してたが、そこらの魔獣なら単独で狩ってるぞ。大きさ問わずな」
「アレならばやるでしょうね」
金の髪の男は、呆れたように眇めた紅水晶でスウィフトを見る。
「サーシャにしろ、シェリアにしろ、あそこまで育ちゃあ自慢の娘だろうに。お前、その性格でよく子育て上手くいったよな!」
「余計なお世話です」
「ははっ、嫁のおかげか! ま、じゃぁちょっくら行ってくるわ!」
騒々しく来訪し、また騒々しく男は出て行った。もう60を越しているはずなのに未だエネルギーの塊のような男は、いなくなると随分部屋が広く感じた。
「……ストレイ様ならば大丈夫でしょう」
「だれも、あんなジジイのことなど心配しとらんわ」
「もちろんウィン様もイチハ様も……娘たちも、分家の者たちも領民も、無事です」
「それも、分かっとるよ」
ストレイと拳混じりの喧嘩をしてゲンツァに実力行使をされ、戦場を駆け回り辺りかまわず氷を投下して恐れられたのは昔の話である。今のゼストでは精々が固定砲台になるだけで、ウィンのように至近距離の敵を適切に対処したくとも体が追いつかない。
息子だけではない。サーシャや、触れあううちに本当の“養女”のように思えた一葉とも。親族のいないレインドルクで戦い続けているらしいシェリアとも。
危険な場所へ行く若い彼らと代わってやりたくとも、今の彼ではもう代わってやれないのだ。
(今頃は何をしておるのやら。頑固ゆえ認めようとはせんじゃろうが、ウィンはあれでかなりイチハ殿を気に入っておるからの。どうせ無理難題を押し付けて、言い合いでもして、サーシャに止められて、レイラ殿が笑っておるのじゃろうが)
それはまるで、昔の自分たち3人のように。自分たちと、先代の王のように。
「さぁて、続きに取り掛かるとしようかの」
「はい」
自分だけがという気持ちは否定しないが、それでも前線の者が安心して帰ってこられるように。少しだけ笑みを浮かべると、ゼストとスウィフトは再び書類との戦いを始めるのだった。




