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流界の魔女  作者: blazeblue
流界の魔女
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第43話 それぞれの思惑




 白金の節25日、一葉はミュゼル王国からグランツ皇国へと続く街道の国境付近にいた。

 前日は付近の村で一泊をしたため、国境まではあと半刻ほどという距離に到着したのは高い音の1刻と半分である。この場にいるのは4人だけではなく、アーサー王から命を受けた衛士たちも同行していた。だが“召喚士”の知覚範囲が分からない以上彼らの出番はここまでである。国境を越えた途端に“契約不履行”と判断される恐れもあるため、衛士たちは新節が終わるまでの10日ほどこの場で待機任務にあたるのだ。


(グランツ皇国ねぇ……首都が瓦礫になった無人の都、ってことなら“元”グランツ皇国って言った方が正しいかもしれないけど)


 一葉が現在立っている街道は前も後ろも見渡すばかりの森である。聞けばコズモの街のような目に見える境界は無いらしいが、睨み合う2国だからこそ緩衝地帯を設けることで戦を避けてきたのだ。

 とりとめも無いことを考えていた一葉は手の中の武器へと何となく視線を落とした。そこにあるのはいつもの『狛犬』ではない。一葉の身長より頭ひとつと少しばかり長い白金の棒はバックパックに括りつけられることなく、これからの道を考えた一葉の手に握られていた。彼女の内面を表したものか、纏う服は普段のような騎士としてのものではない。シャツからブーツまで全身暗色でまとめられた一葉は、召喚された時とほとんど同じ恰好だった。


(さてさて、どうなってるやら)


 しばらく前から封鎖されているため街道に通行人はいない。それをいいことに道の真ん中へ立ち、一葉は国境の方へ向けた目を眇めた。サーシャはそのすぐ後ろに控え、レイラは周囲の観察をしている。彼女の“現状観察”はもはや職業病とも言えるだろう。

 一葉たちから少し離れた位置では銀髪の義兄が未だ衛士たちと最終確認を続けている。


「その、イチハ殿……大丈夫ですか」


 一葉の緩やかな動作が目を引いたのか、ふと森から視線を戻したレイラが声をかけた。その心配そうな声へ目元を緩ませて一葉は手の中の棒をくるりと持ち替える。両端をわずかに重くしてある棒はほどよく回り、ひゅるりと小気味の良い音を鳴らした。満足そうにうなずいてから足元へ棒をつき、一葉はレイラと視線を合わせる。


「見ての通り、頑丈そうですし大丈夫でしょう。さすが腕のいい職人さんに任せただけありますね」

「そうですか」


 それでもどこか気遣わしげな切れ長の茶眼に一葉は今度こそ笑みを浮かべた。彼女の家族なら分かっただろうが、それはとっておきの秘密を打ち明けるような楽しそうな表情であった。


「それに実は私、剣より棒の方が得意なんですよ」


 アーシアからミュゼルに戻って一か月と少し。その間はアリエラの警護から外されており、王都を出発してからは同行した衛士たちが魔獣や野盗の警戒に当たっていた。彼女たちの消耗をギリギリまで控える目的だったが、結果的にレイラは一葉が武器として白金の棒を扱う様を未だ見ていないため心配を晴らせないままでいた。


(やっぱ心配しちゃうかぁ)


 この世界では村や町を一歩出れば魔獣が闊歩し野盗がはびこっている。それらに対抗するには簡単に武力となる刃物を持つしかなかったため、棒と言えば町村の自警団や子供が振り回すという認識であった。純粋な戦闘がレイラほど得意ではなく、また現状では『コトダマ』にも制限のある一葉が自分の身を守ることができるのか、彼女が心配してしまうのも無理はない。何しろ体調や諸々が万全なレイラたちにしても“召喚士”の攻撃を防げるとは思えないのだから。

 レイラの不安や心配が手に取るようにわかる一葉は、手に馴染ませるようにもう一度くるりと棒を振り回しながら苦笑の色を瞳に乗せる。


「もともと武器を持つことがない場所で育ったもので、最初は剣が怖くて仕方なかったんですよ。当たり前ですが剣で斬れば血が出るじゃないですか。それが怖くて」

「なる、ほど……?」


 それはレイラにとって悩めば命を落とす危険があるほど常識的なことである。不審げな表情の彼女へ一葉は言葉を継いだ。


「だからずっと棒で戦ってました。『狛犬』を拾うまでですけどね。殺陣……趣味で扱ったことがあったから、慣れやすくて」

「そうでしたか」


 納得したような、納得できないような、微妙な表情のレイラへ一葉は笑う。全てを分かってもらおうなどとは最初から思っていないのだ。今はただ、少しでもレイラの不安が薄まればそれでいい。


「まぁ『コトダマ』の方が得意っていうのは変わりませんが。でもサーシャさんが普通に投げたナイフくらいは落とせますから、多分それなりには使えますよ。『狛犬』の時にはサーシャさんのナイフは完全に『コトダマ』頼りだったので」

「えぇ、それは私が保証いたします」


 先ほどまでよりは安心したようなレイラ微笑んでいるサーシャへ、今度は一葉が心配そうな視線を送った。


「それよりも2人の方が心配ですよ」


 レイラとサーシャ、2人を順に見つめて一葉は言う。


「むりやり武器を変えてもらいましたからね。渡してからそう時間があったわけでもないですし、手に馴染んでないと怖いです」

「私は大丈夫ですよ。時間を見ては実家に戻り、体を慣らしておきましたので」

「はい、私も大丈夫です。重さや長さは微妙に変わりましたが、アレナ殿とエル殿に鍛錬をお願いしましたのでどうにか」


 サーシャは腰の後ろを、レイラは腰の左をそれぞれ抑えて頷いた。レイラは普段通りの騎士姿、サーシャは慈雨の谷で見たような一葉と似たような旅装であるが、その武器は2人とも以前とは違う。どちらも真新しいそれは一葉の『狛犬』を短剣と細剣へ打ち直したものであった。



 ――ミュゼルで一番腕がいい鍛冶師を。



 一葉のそんな望みを、養父であるゼストは違わず叶えた。どうやらアーシアを出る前に早馬で連絡させていたようであり、一葉がミュゼルへ戻るや否や鍛冶師から連絡が届いた。それは広く名が知れているわけではないがその筋では知らない者がいない、というほどの職人であった。


(私とウィンは良いけど、レイラさんたちは違うから)


 何も準備をしなければ、どうしても最前線で戦うレイラとサーシャの安全度が低くなる。それは一葉だけではなくウィンの安全度も下がるということ。それを少しでも上げるため『狛犬』を彼女たちの武器へと打ちなおし、一葉自らが紋章を刻みなおしたのだ。『狛犬』という短剣では彼女たちの武器にするには圧倒的に材料不足だったが、そこは鍛冶師とゼストがどうにかしてくれたらしい。試しに『狛犬』としての機能を作動させたところで特に異常は見られなかった。そしてそれは一緒に注文した一葉の長棒も同じであった。

 レイラやサーシャには自力で“全てを斬り裂く”という機能を起動させることはできないが、向かってくる魔力を剣に吸わせることはできる。彼女たちの魔力不足による機能制限も、前もって準備をしておいたお陰である程度は解決ができた。


「さて、行きましょうか」


 確認事項が終わったらしく、衛士たちの塊からウィンが3人へ歩み寄ってきた。彼もまた簡素な旅装で護身用の剣を腰に下げ、長い銀の杖を手に持っている。細かく文字や紋様が刻まれたそれには魔術の補助となる術がかかっているのだとウィンは言っていた。いつもと変わらないように見えて、4人全員が、今までとはどこか違う装備をそろえているのだ。決して失敗をしないという強い意志がそこには込められていた。

 彼らの無事を祈るように、背後では誰に言われるでもなく衛士たちが見送りのための整列をしている。


「りょーかい」

「はい」


 気の抜けたような一葉に生真面目なレイラの返事、無言で頷くサーシャを見て、ウィンもまた頷いて足を踏み出した。そのまとめられた銀髪の後頭部を見ながら棒で肩を叩き、腰のポーチに触れてから一葉もまた歩き出す。


(宝石も、たくさん用意してくれたし。大丈夫。どうにかする)


 ゼストは鉱石や職人だけではなく宝石もまた最大限に手配していた。そしてそれはゼストだけではない。レインドルクの姫君までもが古い首飾りを手に一葉を尋ねてきたのだ。彼女は驚く一葉へ微笑みながら、たおやかな右手にあるものをそっと差し出した。大きな紅玉の周りに細かな貴石を配したそれは、古いながらとても大切にされていると一目でわかる首飾りである。


 ――どうか、これを。代々レインドルクの女が受け継いできた首飾りですから、あなたがお探しの条件に合いますでしょう? ぜひお持ちくださいませ。


 大切なものだろうと一葉が言えば、レインドルクの姫君――ストレイの娘たるクレアルは、華やかに笑って言い放った。


 ――このような時にこそ使うべきものです。出し惜しみなんてみっともない真似はわたくしの誇りが許しませんの。母上や祖母、おばあ様がたに叱られてしまいますしね。


 彼女の属性を表すような意志の強い紅水晶が、一葉の黒をまっすぐに貫いた。その様子は豪奢な金髪や華奢な体格、たおやかな容貌を裏切り、彼女の父である歴戦の猛者ストレイに驚くほどよく似ていた。


(負けられないな)


 一葉にとって宝石や宝飾類は見た目以上の価値がある。古ければ古いほど、人の手により大事にされていればされているほど、一葉が宝石に込められる魔力量は増えていくのだ。限界まで魔力を注ぎ込んだ宝石はそれ単体であれば何の役にも立たないが、『狛犬』だった剣の仕掛けを起動させる鍵にはなる。それは魔力に劣るレイラやサーシャが、限られた回数とはいえ自分から『狛犬』を使いこなせるということを意味していた。


 しかし一葉の力に耐えうる宝石は決して多くない。4人が分割して持っているだけで10と少し、それにクレアルが任せてくれた首飾りだけだろう。だがそれがあるおかげで、レイラやサーシャたちの不利が補える。クレアルの首飾りなどは切り札にすらできる。チャンスは多い方がいいのだ。


「がんばりましょうね」

「えぇ」


 隣を歩くサーシャへ一葉はそっと言う。意図せずたくさんの意味が含まれたその言葉へ、投げかけられたサーシャもまたたくさんの意味を含んだ返事をした。



 その後は無言で歩き続けることしばらく。



(あ、入った)


 一葉はふと足を止めた。何の変哲もない空で、何の変哲もない土の街道。前も後ろも視界の違いは何もないが、一葉だけには境界から一歩だけ踏み込んだ場所だと分かった。


「イチハ様?」

「……ここからです。気を引き締めて」


 はっきりと眉をしかめた一葉は詳しく話してはいない。しかし“何が”とは言わなくても通じていた。3人の放つ雰囲気が、ほんの少し前と比べて明らかに硬化した。


「私にはあれがどこにいるのか何となく分かります。それは向こうも同じでしょう」

「油断せずに進みましょう」


 うなずき合った彼らはこれまで以上に警戒をしながら歩を進める。人数が少なくともこのような場所で終わるわけにはいかないのだ。条件が悪かったから負けたなどと言うつもりは、一葉たちには微塵も無い。


(がんばらないと、私は――)


 一葉のしかめられた眉と硬い表情をウィンが横目で見たが、何も言わずに前を向いた彼に一葉自身は気づかなかった。









 4人の予想に反して道中は極めて安全であった。何しろ森の中をひ弱な人間が歩いているというのに、野盗や魔獣はおろか、害獣の気配すらないのだ。通りかかるのは食用にできる小動物のみ。

 ウィンたちには言ってあることだが、一葉には相手の位置や状態が何となくではあるが把握できている。逆を言えばこちら側の様々な情報を得ているはずなのだが、境界を越えてすら“召喚士”は何の反応も見せていなかった。そのことが余計に不気味さを際立たせているのだった。

 1日、2日と問題が発生するどころか野生動物にすら襲われずに進む中、彼らは眉を顰めていた。


「人が」

「はい。この村も気配すらありません」


 国境から王都までのちょうど中間付近の村に到着したものの、人の姿がない。レイラもサーシャも気味悪そうに見渡しているが、その異常現象が確認できたのはこの村だけではなかった。ここまでにいくつかの町や村を通過していたが、そのすべてにおいて住民が存在しなかったのだ。作為的な“何か”があるとみて間違いがないだろう。それでも彼らは念のため、森の警戒と村の警戒の2手に分かれて探索をしている。

 彼女たちはすぐさま一葉たちと村の外で集合したが、予想通り新しい発見などはなかった。建物や村の範囲から考えて、おそらく人口が500名に届かないくらいだろうか。その内外問わずどこにも人のいた形跡を見つけることができず、その原因もまた見当たらない。

 ウィンは何かを考えるように眉間へ手を当てるが、やがて諦めたように首を振った。


「人がいるようであれば今日はここで夜を明かそうと考えていましたが……やはりこの状態ではやめた方がいいでしょう。何があるかわかりませんしね。まだ日が高いですし先に進みましょう」

「今日も森で野宿かぁ」

「何かがあってからでは遅いですからね。私としても屋内で休みたい所ではありますが」


 渋い表情を浮かべたところで一葉にもウィンの理屈は理解できていた。ただでさえ“召喚士”の手の内で、しかも明らかに異常が起こっているこの場所で眠るにはリスクが高すぎる。またここで休んだところで眠れるとも思えない。肩を竦めただけでそれ以上の反対をせず、一葉を含めた4人は早々に村を後にした。



 彼らが背を向けてからおよそ半刻。ずいぶん距離が離れたところで、突然村の空気が揺らいだ。その様子を見届けていた人間がいたとしたら驚きの声を上げただろう。揺らぐ空気と共に“村”の姿も揺らぎ、歪み、ぐにゃりと混じる。耳には届かないが、ヒトの精神を不安定にさせるような不快な音が鳴り響いた。魔力が渦を巻いて一か所に集まる。

 とても大きな力が動いていたが、一葉たちがそれに気づくことはなかった。その魔力の流れを感知するには彼女たちは村から離れすぎていたのだ。


 ほんのわずかな時間ののち、それらはすべて消え失せた。物理的、魔力的、精神的にかかわらず全ての負荷がふっと消滅したのだ。その様子を見届けた人間がいたとしても、先ほどの驚きの声は喉の奥で留まったことだろう。渦巻く魔力に巻き込まれ、見える範囲にいた命は押しつぶされて失われたことだろうから。



 その場所に生きる者は存在しない。その場所を見た者たちにしても、何の変哲もない村の記憶などじきに沈めてしまう。

 結局、誰の目にも触れずにその“村”は人の記憶から永遠に消え失せたのだった。









 焚き木が爆ぜる音がする。荷物を減らすために時計を置いてきた一葉に現在時刻は分からないが、空には満天の星が瞬いている。寒さを紛らわすために外套を引き寄せ、彼女はじっと火を見つめた。このグランツ皇国という土地はミュゼルより北にあり、幾分涼しい気候帯らしい。地球と同じ気候関係らしいのは不思議なことだが、そんなことを考えたところで新節という冬の只中に野営をしなければならない慰めにはならない。

 一葉は身を震わせると、再び小声で自分の周り10メートルほどへ『コトダマ』をかけなおした。


(寒いなぁ……。防寒の術、研究しといてよかった)


 行程の半分と少しを消費して、3日目の野営をこの場所に決めた。国境からいくつ目の森かを彼女は覚えていないが、資源が少ないと聞いていた割に、森や草原の多い国だと一葉は思う。何しろ野営をしようと思えば森の中で雨露を防げるのだ。出発した時点で彼女は完全に野ざらしでの野営を覚悟していただけに、嬉しい誤算でもある。同時に、森の存在と一葉の『コトダマ』をアテにしてテントのような荷物を持ってこなかったのだと分かり、自然と彼女の口元は苦笑の形になった。

 この野営も最大であと2回ほどか。順調にいけば明後日には王都に到着するため、おそらく今日と明日だけ野営を我慢すれば野営は終わりである。どう手こずってもその翌日には到着するため、3回目はない。その後に待っているのが柔らかいベッドか固い石の床であるかは一葉の運次第だが。


(星の勉強しとけばよかったかな。星の並びが違って、意味なかったかもしれないけど)


 冬に見慣れた三連星がここでは見ることができない。それ自体は取り立てて言うほどのことでもないが、もしも星を知っていたとしたらその違いを楽しめただろう。充分な暇つぶしになったはずである。

 二交代での夜の見張りを決めてはいたものの警戒すべき気配が無いため、一葉にとってはとても暇な時間に思えた。レイラとサーシャが寝たのはつい先ほどであり、夜はまだまだ長い。彼女はしきりに欠伸をかみ殺していた。

 そんな時に。


「イチハ」


 パチパチという音にまぎれた小さな声が、たき火の向こう側から一葉へ投げかけられた。


「何?」


 声をかけられた側はきょとんと相手を見つめる。何しろ夜番のうちに声をかけられたのはこれが初めてなのだ。体のサイクルを考えた結果か1日目からずっと同じ組み合わせと順番で夜番にあたっていたが、自主的な野営に未だ慣れない一葉はそれにただ従うだけである。そしてその間、ウィンはずっと何事かを考え込んでいた。

 焚き火の向こうに座る彼は一葉の視線の先で眉をひそめ、唇を開いては閉じてを繰り返している。声をかけたはいいものの何を言うべきか、または言いたいことについてどう言うべきかを悩んでいるのだろう。やがて意を決したように目を合わせた紫は未だ迷いを映して弱い。普段の無駄に強い光が脳裏に浮かび、それとの差をなぜか一葉は無性に笑いたい衝動に駆られた。


「貴女、いいのですか?」

「何が?」


 どうにか笑いの衝動を抑えた一葉が問い返せば相手はやはり迷うように言葉を重ねる。


「この世界の中心にいることが、です」

「嫌がったところで中心に蹴り出す癖に。よく言うよ」

「本当、は」


 そっと苦笑を浮かべたところでウィンの表情は硬いまま動かなかった。やはり充分に迷ってから言葉を放つ。





「もう貴女は、還る方法を見つけているのでしょう?」





 焚き火が爆ぜる音がする。寒く澄んだ空気は自分の呼吸音をよく伝えている。



 まるで、世界が止まったような気がした。









 イチハやウィンたちが去ったミュゼルの王都では、為政者だけでなく現場で国の安全を守る衛士ひとりひとりが厳しい表情で仕事にあたっていた。


「また、魔獣被害か……」

「はい。別件では召喚獣だと思われる案件の報告も上がっております」


 アーサー王の執務室。そこでは眉根のしわを深めた王とその傍らに控えるゲンツァが書類と格闘している。つい先ほどまではコンラットも同席していたが、新たな報告を受けるために別の騎士へ職務を引き継ぎ退出していた。

 彼らが睨み付けているのは魔獣による町村襲撃事件についての報告書である。国内で頻発しているため報告書が嫌というほどに積まれていた。


「騎士だけでなく、衛士たちも疲れが溜まっているようです」

「書面だけではどれが強力な魔獣か、それとも召喚獣かがわからんからな。どうしても耐性のある王都の衛士たちを派遣せざるを得ないが……」

「はい。人数に限りがありますからね。疲れがもとで怪我を負った者もおります」


 地方の衛士や貴族の私兵たちは、一部を除いて召喚獣と相対したことがない。そんな彼らは現場へ急行しても混乱して二次被害を出してしまうなど、原因とは離れた報告が多数上げられていた。しかもその失敗が原因で2度目の襲撃時には苦手意識が先行してしまうのだから余計に性質が悪いだろう。意識は体を縛り、鈍った動きが余計な傷やさらなる混乱を生むのだ。

 そんな地方衛士や私兵たちを助けるため、アリエラに同行してアーシアへ向かった衛士や王都の周辺で召喚獣騒ぎに遭遇したことのある衛士、そして“召喚獣”としてのイチハ=キサラギの気配に慣らされた騎士たちが各地へ交代で派遣されていた。


「イチハのおかげ、か」

「はい。彼女がいなければ対応可能な騎士が今とは比べ物にならないほど少なかったでしょう」

「あぁ」


 おかげ、と言う割に、彼らの表情は優れない。なにしろミュゼルという国はそれなりに広いため王都で賄える人数程度では人手不足であり、人材の育成が追いつかない現状では疲れの溜まった王都組が負傷してしまうという負のサイクルにはまり込んでいた。そんな中で召喚獣に対応できる騎士や衛士たちは貴重な人材である。言い方は悪いが、彼らは他の衛士たちよりも余計に無駄にできないのだ。


「あやつらは、無事に帰ってくるだろうか」

「私はそうであると望んでおります」


 ここ数日で激増した被害は大なり小なり“召喚士”の手によるものだと彼らは考えていた。それゆえ、ウィンたちへ下した任務の結果により良くも悪くも状況が変化するだろうとも。

 そっと吐き出されたゲンツァの言葉は、言葉の意味とは反して重い。


「あぁ」

「ですが、そうであれば今度こそ……」

「……あぁ」


 イチハの本質を先に見誤ったのはこちらだが、それを先に気付いたヴァル家の跡取りはどういう意図か、勘違いを利用することで義妹となった魔術士の壁となっていた。これまではアーサー王たちもそれに便乗し続ける形で黙認していた。しかしこの先はそうもいかないだろう。

 今が国の大事であることは貴族中に知れ渡っているし、民の間にも、ヴァル家とルーナ家の者が国を救うために動いていることが噂されている。そしてそれを王都にある各家の私邸が騒がしいことが裏付けていた。ここに無事戻れば、今度こそあの焦げ茶の髪の魔術士は“救国の家の姫”であり国を救った本人として、それでなくともヴァル本家に属するただひとりの姫として立場にふさわしい扱いを受けるのだ。


(吐き気はするが、な)


 アーサー王もゲンツァも国という大きな纏まりのために“強制”をしなければならない場面を知っており、その意志も力も持ち合わせているが、それでも喜んで彼女の心を犠牲にできるほどには腐っていないつもりである。はたしてその程度で、風のような性質を持つ彼女の許しを得られるとは彼ら自身が思ってもいないが。


「それもこれも、彼らがいない間をしっかり守ってこその話です」


 呼吸ひとつで話を切り上げて、ゲンツァは憂鬱な書類を再びアーサー王の前へ並べた。害獣や召喚獣などへの実質的な手配や処置はもとより、その被害にあった場所の復旧、そして国民への援助など、様々な仕事が山積みとなっている。それらの書類を前にして“これから”の話をしている余裕など微塵もない。“これから”の話はすべて“今”を乗り切ってこそである。

 アーサー王もまた瞬きで気持ちを入れ替えて、有能な宰相と共に情報の海へと再び飛び込んだ。




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