第39話 インスタントダンジョン
ジョシュアの執務室から“召喚士”が消えた後、一葉の行動は素早かった。不自然にならない程度に素早く執務室を辞し、与えられた部屋へ戻るや否やサーシャに関係者への伝言を頼んだのだ。恐らくジョシュアも一葉と同じように女王の元へ向かっていることだろう。
(悔しいことに、言い返せなかったなぁ……)
敵である“召喚士”はその宣言通り、一葉が構築した術へ魔力の塊――自分の存在そのものを紛れ込ませていたようである。あれほどに高濃度の魔力が吹き荒れたにも関わらず、現に客室への帰り道で観察した限りのアーシア王宮はおよそ平常通りであった。
一葉に嫌味を投げつけただけあり“召喚士”によるソレはいっそ嫌味な程に。
そしてその操作がいつの間に為されたのかを気付けなかった魔術士は、自分の不備を自覚していただけに悔しさを抑えきれないのだ。
――お茶をどうぞ。
サーシャはただそれだけを言って紅茶のカップを一葉の前に置くと、すぐに任された仕事へ取りかかった。
温かいカップにほっと息を吐き出して一葉は目元を苦笑の形に緩める。
(このままじゃマトモに報告できないだろうから、落ち着くまでじっとしてろってことだよなぁ……。心配、させちゃった)
怒り、焦り、恐怖。それは人として必要な感情ではあるが、今この時には邪魔でしかないもの。
もちろん一葉とて感情を表に出さないよう気を払っていたのだが、それに気付けるからこそサーシャはここにいるのだろう。いつも通り余計な言葉の無いサーシャの気遣いに、手の中の温もりに一葉はまた助けられるのだ。
(しっかりしよう。今度こそ、間違えないでちゃんとサーシャさんたちを守れるように。一緒に戦わせてもらえるように)
がんばろう。そう思う一葉は気の抜けた笑みを目尻にだけ残し、今はただカップを傾けた。
「ふぅむ……これはまた、面倒な事になりましたのぅ」
「……そんな事があったなんて。私、気づくことができませんでした」
一葉がルクレツィアの現状やジョシュア――アーシアからの協力依頼についての話を終えると、室内には僅かに沈黙が落ちた。困ったような仕草で顎を撫でるゼストの隣では、アリエラが顔色を失っている。室内ではウィンやレイラ、サーシャもまた難しい表情を浮かべていた。
現在アリエラの護衛となっている騎士たちは同じ部屋にいるものの、壁際に控えたまま口を挟む気は無いらしい。
「それと……」
一瞬だけ迷うそぶりを見せた後、一葉は全員の顔を見回した。
「ジョシュアさんの執務室に“召喚士”が出現しました。ずっと監視されてたみたいです。その対象がジョシュアさんだったのか私だったのかは分かりませんが……」
「“召喚士”が!? この王宮へ現れたのですか!」
「うん」
「それにしては貴女に戦闘の気配はありませんね? 王宮の空気にも変化など見られませんし……」
驚きの声を上げたウィンへ頷き、彼女は無表情で言葉を継ぐ。その目元には有るか無きか、微かな悔しさが浮かんでいた。
「うん、戦わなかったからね。なんて言うか……完全に出し抜かれた。私が張った防音の術をいつの間にか細工してて、そのせいで周りに魔力の歪みとか圧力とかが漏れなかったんだ」
「あの異常に強固な、貴女の術に?」
普段から実験に付き合わせているウィンだからこそ、念を入れた一葉の結界がどれほど頑丈で付け入る隙が無いかを知っていた。だからこそ言葉を失った彼へ一葉は不機嫌そうに頷く。
「今回ばっかりは完敗だったよ。捕まえようとしたけど逃げられた。できた事と言ったら、アイツを罵倒したくらいかなー」
「貴女は“召喚士”に関わると少々性格が変化するようですしね……」
苦笑いの裏でウィンは気を引き締めた。事実として、魔術という点でウィンは一葉には敵わない。努力の有無ではなく元々の力や力の使い方自体が違うのだから、否定するだけ無駄な行為である。
(“召喚士”を過小評価していたつもりはありませんが……これは、私が考えていたよりも厄介な相手のようです)
飄々とした性格に見えて、これで一葉のプライドは非常に高い。それが魔術に関わることならばほぼ絶対の自信があると言っても過言ではなく、そのプライドを持てる程の実力もあるのだ。
その彼女から“完敗”という言葉が出た。それだけで衝撃や敗北感の程、さらには相手の実力が窺えるだろう。
ふっと息を吐くと、一葉はゆるく首を振って先を続ける。
「アイツの“隠れ家”……簡単にいえば現在地? の入り口を、どこかに作ったみたい。ジョシュアさんが探してくれてる。多分、この近くにあると思うんだけど。ムカつくことに、早く来れば? みたいな言い方してたし」
「なるほど。それを使えば」
「うん、レティさんを助けに行くことはできる。けど、犠牲を惜しんで協力依頼を断ることもできる。何しろ」
「私たちミュゼルが襲撃されているわけではないからのぅ」
ゼストの言葉は優しく穏やかな音ではあるが、含まれた温度は凍えそうな程に低い。ある者はその内容を認めるように眉を顰め、ある者は諦めるようにそっと頷いた。
ルクレツィアを姉のように思い慕うアリエラには辛い判断であるが、無視することを選べる程度にはアリエラの立場は軽くないのだ。
「けど」
彼らの心情を映したように重い空気の中、ポツリと呟いた一葉の声がよく聞こえた。
「まず残念なことですが、いつ戦っても同じでしょう。むしろ相手の位置を特定できている分、今戦う方が楽かもしれません」
いくら拒絶しようとも、一葉は“召喚士”の討伐に参加せざるを得ない。むしろ彼女がいなければ討伐は絶望的とも言える。
そんな彼女と同行するメンバーとして、ミュゼルで指折りの実力を持つウィンはともかくとしても、レイラやサーシャよりも魔力や武力が強い人間はいくらでもいるだろう。しかしそれだけでは話にならない。イチハやウィンと連携を取ることができ、そして何より“召喚士”の気配に簡単には呑まれない人材など彼女たちくらいしかいないのだ。
数で押したところで相手が相手であり意味がないため、討伐メンバーの変更や大幅な増員は望めない。
例えば一葉たちの上司であるコンラットやノーラであれば、レイラたちの代わりを充分以上にこなすだろう。しかし彼らには後ろで控えていてもらわねばならない。国に対する脅威は“召喚士”だけではなく、また一葉たちにしても必ず敵を倒せる確証などないのだから。
一葉たちに有能な人材を同行させた挙句に殺されてしまう可能性も高い。大国ミュゼルとて守りを失った後は滅びるのみである。
「それと私が行くとしたら、ウィンたちを連れて行かないと……」
“召喚士”はウィンたちも連れてくるように要求していたのだ。ウィンたちが待機を選んだ場合に何の前触れもなく襲撃されるよりは、一葉と共に“隠れ家”へ向かった方が安全度は高いだろう。
また一葉すらも“隠れ家”へ向かわなかった場合、ルクレツィアの命が失われた上に“召喚士”の動向も見失うことになる。
いつ戦っても人員に変わりは無い。むしろ今回戦わなくてはより不利な状況へ落とされることは決定事項である。
面倒事を避ける理由がひとつ消え、面倒ごとを受け入れなければいけない理由がひとつ増えた。
「少しのワガママを言わせてもらえるなら」
一葉が目元を僅かに緩ませる。ただそれだけのことで、一葉は優しい雰囲気を放った。
「レティさんを助けに行きたいです。見殺しにするのは、辛い」
ウィンは苦笑しつつ眼鏡を押し上げ、レイラは生真面目に頷き、サーシャは仕方がないとでも言うように笑っている。実のところ言葉にしないだけで、全員が多かれ少なかれ似たような思いを持っていたのだ。
それほどに、あの嵐のような王女が残したものは小さくはない。
「ふむ……状態は回復したのかの?」
穏やかながら相変わらず鋭いゼストの視線を、個人的心情で負けたくない一葉はしっかりと見つめ返す。
「口が滑っても万全とは言えません。ですが待ったところで、どれくらいの時間で魔力を慣らし切れるのかも分かりません。この間の無茶とそれに関わる色んな事で、今までと勝手が変わりましたから。
それなら……私の条件は、いつでも同じです。今この時に持ってるもので対応するだけです」
「……アリエラ様」
嘘いつわり無い一葉の言葉へ頷いたゼストは、今度は色々な意味で“幼い”王女へ顔を向けた。何事かを考えていたアリエラは、顔を上げる。
「何と言えばいいのか……本当ならばどれくらいの強さがあれば良かったのか、こういった時に私はどうすれば良いのか。まだまだ、私には分からないことしかありません」
自身のその言葉を肯定するように、アリエラの眉尻は情けない表情に下がっていた。
「私から見ればとても強いあなたたちですら最大の警戒をしている相手が、一体どれほど強いのか……今簡単に“お願い”をした結果、あなたたちが無事に帰って来られるのか。今になってきちんと勉強を始めた私には、分からないことだらけです。私のワガママであなたたちを失うことが怖い。
ですが……」
不安で声を凍えさせ、表情を強張らせ、それでもアリエラは自国の者たちをぐるりと見まわした。
「私よりもたくさんの事を知っているあなたたちが、もうお返事を決めているならば。私も、ワガママを言っていいのでしょうか。
……ルクレツィア様を――レティ様を、助けてほしいと思っています」
危険へ飛び込む本人たちが望んでいる。そして何より自分の発言の重さを知った上で、アリエラがソレを望んでいる。
面倒事へ向かう理由が、ひとつ増えた。
――仕方がない、のかのぅ……
細く深いため息がどこまでも続く。
ウィンはゼストの亡き妻が残した一人息子である。いくらミュゼル屈指の実力を持つとはいえ彼がその息子を、危険しか無い場所へ向かわせたい筈などない。
ウィンだけではない。幼いころから知っているサーシャや“養女”となった一葉は言うまでもなく、レイラもまた次代を担う大切な若者であり、決して失う訳にはいかないのだ。そのためならばどのような手段でも選ぶ覚悟をゼストは持っている。
しかしゼストは己の心へ蓋をし、苦笑を浮かべることによりその感情を覆い隠した。
「イチハ殿、ジョシュア殿にお返事を頼めるかのぅ。“是”と、ただ一言」
「――っ! わかりました」
しっかりと頷いた一葉や彼女と共に危険地帯へ向かう者たちへ、アリエラが強張った笑顔を向け――祈るように声をかけた。
「どうか、無事に帰ってきてくださいね。私は待っていますから」
亜空間の入り口は予想していたよりも呆気なく見つかったが、その入り口を通過するためには通常の兵や霊術士では力が足りなかったらしい。嫌味な程に“召喚士”の言葉の通り、ルクレツィア程の力を持つ人材がいなければ扉を開けないようである。
一葉やウィンが開けた扉から“隠れ家”へ兵を大量投入する案も上げられていたようだが、まず入り口を通過できない時点で力不足を突き付けられているのだ。この先に待ち受けているだろう極悪な罠へ充分に対応できない可能性が極めて高い。また、そのような人数を動員してしまえば緘口令の意味が無どころか、これからの施政に対してマイナス要素となり得るだろう。
それならば徒に人材を無駄にすることもあるまいと、突入人数は少数精鋭に限定されたのだった。
「イチハ殿、その荷物は」
「え? あぁ、必要かもしれないモノを少しだけ持ってきました」
「私たちも何か用意した方が良かったのでは……」
「いえいえ、皆は武器と少しの食料だけで良いんですよ」
一葉の腰にある小さな袋を見たレイラが、戸惑いの声を上げる。レイラやウィンは上衣の内ポケットに必要な物資を収納し、腰には武器があるだけだった。サーシャやジョシュアにしても荷物らしいものは持っておらず、一葉だけが武器のほかにポーチをわざわざ持っているのだ。
何しろ一葉は余計な物を持たないようにとしつこい程に繰り返していた。それゆえ携帯食料すら、3日分程度しか持っていないのだ。水に関しては一葉がどうにかすると言ったため、最初から用意をしていない。
「あの“召喚士”のする事だから何があるか分かりませんからね。無いとは思いますが、万が一にでも荷物に気をとられて危険から逃げられなかったら困りますし。どっちにしても4日以上かかるなら多分アレが飽きて失敗でしょうから、食料の問題はありません」
「はぁ……」
分かったような、分からないような、微妙な表情でレイラは返事を返した。
ミュゼルからは一葉、ウィン、レイラ、そしてサーシャが。アーシアからは事を公にしないためにジョシュアのみが参加している。ジョシュアはアーシア側の人員が自分だけであることを頻りに気にしていたが、一葉たちがその判断へ悪い印象を持つことは無かった。
下手に別の人間がいたところで上手く連携が取れないばかりか、異質で桁外れに強大な存在感や魔力に圧迫されて思うように動けず、死亡率を上げるだけである。人選をしたアーシア女王の判断は妥当と言えよう。
見送りの無い静かな出発である。
なにしろ“歪み”はルクレツィアの私室にあったため、警備の関係上、人を近づける訳にはいかなかったのだ。
「さて、じゃぁ行きますよ」
「よろしくお願いします」
深く頭を下げるジョシュアへ頷いて、一葉はその“歪み”と正面から向き合った。右の『狛犬』を手の中でくるりと回して順手に持ち替え、一気に魔力を流し込む。
「よ……っし」
そのまま歪みの中心へ『狛犬』を突き込むと、今まさに創り出した裂け目を広げるように一葉は右手を振り下ろした。
人間が横に2人は並べる程の裂け目が、何もない筈の空間に刻まれる。その様は何とも気色が悪く目に優しくは無い。さらにその裂け目の向こう側には明らかに人工物である石造りの通路が見え、壁、床、天井の全てに趣味の悪い模様が刻まれていた。
また、模様が見える程度には明かりが付けられている。しかしその仕掛けも相手の意思ひとつでどうにでもなるかと思うと、安心できるものではなさそうである。
「では、私が」
進み出たサーシャにより投げ入れられたナイフが通路に落ち、甲高い音を奏でた。
「……コレを通った瞬間に消滅させられる、という事は無い様ですね。もちろんナイフ程度の存在では、という言葉が続きますが」
柄につながる鋼糸を手繰ってナイフを回収したサーシャは、その言葉とは裏腹に眉を顰めて呟く。単純な罠が無い代わりに性格の悪い罠を仕掛けてあると思うと、どうしても清々しい気分にはなれないのだ。
サーシャは以前、一葉と共に“召喚士”と遭遇している。その時に見えた性格から、彼が罠を仕掛けていないという可能性はあり得ないと考えていた。
銀のナイフを手にサーシャが下がり、彼女と入れ替わるようにウィンと一葉が通路を覗き込む。
「うわぁ……やっぱこういうパターンだったか……」
嫌そうに頭を抱える義妹をよそに、ウィンは顎に指をあてて考えを進めた。何も考えずに飛び込むような愚を犯すわけにはいかないのだ。
「あの模様が気になりますね。何か意味があるようには見えませんが……」
「うーん。少なくとも私は見たことないかな。明かりは……魔術でも使ってるのかな? とりあえず火じゃなさそうだけど、光る以外の仕掛けは無さそう……かな?」
そう言うと一葉はおもむろに扉へ右手を差し込む。
『氷槍』
一葉が示した先に小さな氷の槍が射出され、石の床へと刺さって消えた。
「うん……魔術も問題なく使えるかな」
「はい。飲み水の心配もなさそうですね……この状態のままならば」
「その辺りは心配ないと思うよ」
どうやらこの場で見て分かる危険は無さそうだと判断を下し、一葉は同行者たちをぐるりと見回す。
「ちなみにこの中で、こんな感じに訳の分からない場所に行ったことがある人は……あー……いるハズないですよねぇ……」
言葉の途中で一葉は諦めたように肩を落とした。彼女自身は亜空間を通った経験や勇者時代の経験から“ダンジョン”のような歪んだ空間に見覚えがあるのだが、この世界しか知らない仲間たちにその経験を求めるのはお門違いだろう。
何しろこの世界では古代より魔術が普及しており、野生の獣程度ならばどうにでもなるのだ。また、聞けば巨大な墓を建造する文化も無かったという。古墳などによる“古代遺跡”や外敵から身を守るための “ダンジョン”の必要性が無かったのだ。
世界を細かく探せばそれらの遺跡などは存在しているだろうが、しかしそう都合よくそんな場所の経験者が今この場に存在する訳がない。
軽く頷いたジョシュアが一葉へ声をかけた。
「俺にはこういった事態への知識がありません。イチハ殿、手遅れになる前に指示などをお任せします」
「それは構いませんが、あの……」
ジョシュアは一葉がこの得体のしれない場所に関する知識を持っている前提で話をしていた。どこか困ったような表情の一葉へ、彼はかるく笑いかける。
「イチハ殿がこの世界で生まれた人間ではないことは、以前に。不平や不満など諸々の悪意は無いので、最適な手を示していただけないだろうかと」
「それで、いいなら。ウィンたちは」
自然のようでいてどこか困ったように自分たちを見ている一葉へ、ウィンたちもまた苦笑を向けた。
「今さらでしょう。一度遭遇しているサーシャはともかく、報告を聞いただけの私やレイラ殿は“召喚士”やその取り得る手段を本当の意味で理解はしていませんからね」
「イチハ殿に従います」
「イチハ様、必要ならばご命令を」
どことなく予想はしていたのだが、いざ彼らの信頼を受け取ってみれば一葉の予想以上に重い。焦げ茶の髪を揺らした魔術士は俯き奥歯をぎゅっと噛みしめてから、彼らを石造りの通路――酷くインスタントなダンジョンへと促した。
最初はウィンとレイラを、次にサーシャとジョシュアを。何しろ予想がつかない相手の掌へ乗らなければならないのだ。細心の注意を払った結果、扉の維持のため一葉は最後に通路へ侵入した。
「ぁ……」
「イチハ様、大丈夫ですか?」
通路へ足を踏み下ろした途端に一葉は軽く眩暈に襲われる。そんな彼女がそれとなく体勢を立て直していると、目ざとく見つけたサーシャがその背を支えた。
「ありがとう、ございます……皆、異常は」
「どことなく魔力がざわつきますが……その他は特に」
「私は問題ありません」
「俺も、目に見えた変化は」
顔色にも無理は見えない。一葉は自分を支えるサーシャへ視線を移す。
「サーシャさんは」
「……私も魔力は多少妙な感触ですが、特に異常と言う程では。体には何も問題もありません」
探るように目を閉じていたサーシャはすぐに瞼を上げて返事をした。
(ここで隠し事をする方が、後に響くかな)
少しだけ考えてから一葉は自分の足でしっかりと立ち、全員の体調から導き出した推測を口にする。
「魔力が大きければ大きい程、流れを崩される仕掛けがあるようです。私は大きすぎる魔力を持っているので正面から影響を受けましたが……休まなきゃいけない程ではないので、このまま行きましょう」
心配そうなサーシャの視線に一葉は肩をすくめて見せた。
「や、ココが安全かどうかも分かりませんしね。それならしっかり安全確認してから休んだ方がいいでしょう」
「そう、ですね……」
「まぁ、幸か不幸かは分かりませんが」
皮肉気な表情でウィンが一点を示す。
「進む方向は迷わなくて済みそうですよ。何しろコレですから」
「……まぁ、予想はできたよね」
ウィンが示した先、アーシアの王宮へ繋がっていたはずの場所はいつの間にか消え失せていた。“扉”の代わりには壁が出現しており進むことはできない。確かにウィンの言う通り、どうやら道を選択する手間は省けたようだった。
「さて、じゃぁ進みましょうか」
そう言いながら一葉はポーチを探り、そこから紙束とペンを取り出す。
「私、マッピングとかあんまり得意な方じゃないんですが……こういう場所は地図を作って注意点を書き込んでいかないと簡単に死にますからね。ただでさえ作ったヤツがアレな性格なんで」
「それが入っていたのですね」
感心したようなレイラへ一葉は苦く笑う。
「なんとなーく、嫌な予感がしたから持ってきました。今回の顔ぶれなら私が最前列で戦う事はなさそうですし、少し荷物が多くても良いかなって。あとはいつも通り魔力インクも持ってきましたよ」
一葉はポケットから小瓶を取り出して振って見せた。その小瓶に入っている液体は今でこそ透明だが、魔力に反応して発光する性質を持っている。ミュゼル王都内の小さな雑貨屋でのみ取り扱っている“面白グッズ”であるそれは知名度こそ低いものの、一葉は以前から重宝して度々持ち歩いていた。
余談ではあるが、ウィンもまた食料や彼の剣とは別に何らかの小物を持ってきたようである。それが服の内側に仕舞われているため、レイラだけではなく一葉たちにも彼が何を持ってきたのかがわからなかった。
相棒が持つその液体に見覚えのあるレイラの小さな頷きを認めた一葉は、再び小瓶をポーチへ収めながら何気なく呟く。
「……でも私、こういうところ結構苦手なんですよ。全部まとめて吹き飛ばしたくなっちゃうので」
「吹き飛……」
どことなく引いたようなウィン様子を当の一葉は全く気にしていない。
「うん。邪魔だし鬱陶しいし、探しものとか目的があっても私には関係ないし。魔力が暴走した体でよく爆撃してたよ、あたり一面。あー、そういえば運悪く射線上にいた人も多少は巻き込んでたかもなぁ。さすがにそれはワザとじゃないんだけど」
「あー」
「ま、どうせ超火力を持ったお人形扱いだったから? そうクドクドと正面から叱られる事も無かったけどね」
“召喚士”と対峙したとき以上の暴力的な一面にジョシュアがこっそりと、しかしハッキリと引いているが、ミュゼル陣はその状況を聞いて思わず納得してしまった。
(全く……貴方がたは一体、イチハに何をしたのですか)
ウィンは指でこめかみを揉みほぐす。こま切れではあるが話を聞く限り、勇者時代の一葉は基本的に穏やかで臆病な性格だったように思われる。それがどういった経緯をたどってか、相手の命が失われようとも“不運”で切り捨てられる性格へと変貌してしまったのだ。それはウィンたちが理解している以上に大きな変化だったことだろう。
――多大な戦力を生みだしてくれたことに礼を言うべきか、こうも人間を変えてしまう程の仕打ちへ人として憤るべきか。
ウィンだけではなく、レイラやサーシャもまた実利と感情の間で判断に困るのだった。
「あ」
戸惑う同行者たちに気づいてはいるものの地図を作成するために先陣を切って歩きだした一葉が、2、3歩の距離で足を止める。その唇は皮肉気に吊りあがっていた。
「ほら早速ですよ。簡単に攻略はさせない積りでしょうねー。あーめんどくさい」
「監視されているのかと思うとゾッとしませんね」
やれやれと言わんばかりのウィンへ合わせるように全員が武器を取る。一葉の感覚ではおよそ20から30メートル先、通路が左右へ分岐した地点の空間が歪んでいた。一葉たちミュゼルの人間は嫌でも慣れた、ジョシュアにとってもごく最近みたその光景は、どこぞから何かが“召喚”される前兆である。
「どうしますか?」
愛用の細剣を構えて進み出たレイラがチラリと視線だけで相棒を振り返る。言葉には出さないもののジョシュアやサーシャも同じ様に一葉の指示を待っているようだった。
「んーっと……」
目を細めて何事かを考えた一葉は頷き、自らも『狛犬』を抜く。
「撃破しましょう。まだ地形を把握していない状態でむやみに逃げるのは失敗の予感がします」
「はい」
「承りました」
レイラとサーシャが返事をし、ジョシュアとウィンが頷いた。彼らの見る先では既に歪みから獣が姿を現している。たてがみが燃え盛り燐光を振りまくその姿は、ウィンやレイラ、一葉がいつか見た焔の召喚獣によく似ていた。
(本当に、気に入らない)
一葉と獣はほぼ同時に深く息を吸い込む。そして。
『結界・創っ!』
――轟っ!!
耳をつんざく雄叫びと一葉の鋭い声はやはり同時に発せられた。召喚獣により生みだされた業火は侵入者たちを灼き尽くさんとしたが、透明な“何か”に阻まれて華と散る。
「狭い通路じゃ自力防御なんてたかが知れてます! そっちは私に任せて、集中攻撃してください」
『はい!』
指示を出す一葉の手には変わらず『狛犬』があるが、彼女自身が斬りかかる様子は無い。現在は魔力を扱いづらい状態に陥っているために『狛犬』を精神集中用の杖代わりにしているのだ。実際、分かりやすい指標があるだけで『コトダマ』の負担は大幅に減っている。
一方前衛では、返事をするや否やジョシュアが斬りかかり、その隙を狙ってレイラやサーシャが攻撃を繰り返した。ジョシュアに意識が向いた時には2人が召喚獣の意識を逸らし、そうした隙に安全な場所を確保したジョシュアが再び斬りかかっていく。
(これは、私の守りは必要ないかもなぁ)
即席パーティーと思えない程の連携の良さを見て、一葉はこっそりと安堵の息を吐き出した。未だ仲間には言っていないが、先ほどこの通路に足を踏み入れてから安定していないのは魔力だけではないのだ。
(どうにも、苛々する。ダメだな、このままじゃ決定的なミスをしそう)
だからこそ未だ魔力を慣らし切っていない今の一葉にとって、必要な時に必要な場所へ、必要な面積だけの壁を一瞬創り出すという精密防御は荷が重い。魔力だけではなく集中力を必要とするそれを普段の一葉は得意としていたのだが、今の精神状態や魔力を扱う上でのタイムラグを考えればその手段は使えない。
いざとなれば他の魔術士が行うように全力で防御壁を展開すれば何の問題もないのだが、しかしそれでは前衛の力を幾分かでも殺いでしまうだろう。そこで生まれた隙が後々に決定的な失敗になってしまう可能性もゼロではない。
(守りきれる、かな……?)
前衛3人の連携がしっかり取れていることは喜ばしいが、その反面では自分のコンディションを考えて不安が募る。一葉は感情を表に出さない代わりに、今度は気の重いため息を内心でそっと吐きだした。




