第38話 Welcome to the "Mad" Party
朱塗りの手すりに立ったまま凭れかかりながら、一葉は掌中の紙をひと撫でした。足元を吹き抜ける風が涼しい。一葉が寝込んでいる間に季節は移ろい、温暖な気候の国にも冷気が訪れ始めているのだ。
アーシア霊国の王宮内で、一葉はどこであっても変わらない色の空を見上げる。どこまでも青い空が目に痛かった。
(平地よりも広い森と暑い気候で、資材はほぼ同じ。そしたらまぁ、似てくるものなのかな?)
国境を越えてからアーシアの王宮に到着するまで、一葉たちの心配をよそに全く何の問題も発生しなかった。行列が急ぐでもなくゆっくりと進んだおかげでアリエラはアーシアの文化をいくらか観察することができたのだが、その反面、一葉の個人的な心情にとってそれはあまり有難くはない。
――心が揺さぶられるのだ。一葉の生まれ育った故郷の古い文化とあまりに似すぎていて。
いまさら過去を向いている訳でも世を拗ねている訳でもないが、こればかりはどうしようもない。なまじ半端な状態とはいえ一度は帰ることができてしまっただけに、似ている風景を見て自分の故郷が恋しくなってしまったのだ。
今の彼女にできることと言えば、無駄な考察を重ねて思考を逸らすことのみである。
(着物といい建物といい……同じように人がいて、同じような材料があって、同じように古い文化なら……まぁ、見たこともない前衛的な造形に進化するほうが珍しいのかもしれないけど)
一葉のいる東屋はアーシア宮内で南側、貴人を迎え入れるための客間的なスペースにある。もともとは客人につけられた護衛たちが休息を取るためのものなのだろう、壁の無い東屋には足元の池を吹き抜けた風が心地よく吹き込んできた。
そこから見える建物や東屋自体の造り、施されている装飾や彫刻などが、古い日本の家屋や神社などと驚くほどによく似ている。
(……いかんいかん。ちゃんとお仕事しなきゃね)
家族や友人たちと行った初詣。それを思い出しかける寸前で彼女はそれを思いとどまった。ふるりと首を振ることで感傷を弾き飛ばし、一葉は再び掌へ意識を戻す。その紙片に記された宛名はウィンの護衛、差出人はジョシュア=ルイズとなっていた。
(ミュゼルで世話になったお返しにお茶がてらアーシアのお菓子でも、なんてね)
正直なところを言えば一葉たちはその言葉へ全面的な信用を置いていない。ミュゼルに向かったジョシュアと一葉たちは確かに顔見知りではあるが、裏を返せばその程度の付き合いでしかないのだから。なにしろ彼とは殆ど会話を交わしていない。
(ミュゼル側に裏を疑われるよりも周りの視線を気にした? んー……わかんね。考えられるパターンが多すぎてどうにもねぇ……)
そんな彼から唐突に怪しげかつ親しげな呼び出しを受け、一葉たちは疑うよりも先にむしろ安堵の息を吐き出した。何しろ一昨日に到着してから先ほど伝言を受け取るまで、アーシア側からは何のコンタクトも無かったのだ。
グランツ皇国陥落やここ最近ミュゼルで起こった事件を親書で伝えたにも関わらず、である。
王宮に到着次第何らかの接触があると思っていただけに、一昨日、昨日とミュゼル側のメンバーは肩透かしを喰らったかのような気持であった。
(ウィンがアリアと視察で、その警備はアリア……ミュゼル国王が用意したメンバーで足りる。で、私たちの手が一応空いた途端に“ウィンの護衛”を指名して呼び出し、と……)
視察が本日からであったためにアーシアで一葉たちの手が空くのはこれが初めてである。そこを狙って、ジョシュアから声をかけられたのだ。
(まぁ、敵対する意志はないだろうし。そんなことしてもメリットがないだろうし)
現状考え得る限りではミュゼルにも関わる何らかの問題が発生した可能性が高い。それゆえアーシアの上層部が“顔見知り”であるジョシュアと一葉たちを通じて、非公式でウィンやアリエラと話をしたいのだろうと彼女たちは考えている。その問題には、もしかしたらルクレツィアも何らかの形で関わっているのかもしれない、とも。
グランツのようにアーシアの上層部が既に侵食されている可能性については、今はあえて無視をした。
何にしてもまずは情報を得なければ何も考えることができないが、待機とはいえ護衛が2人とも外してしまっては逆に目立ってしまうだろう。そのためレイラを残し、一葉だけが呼び出しに応じたのだった。すべてはジョシュアやその背後の行動を見たゼストの指示である。
(おっ)
ひょいっと体勢を立て直した一葉は努めてにこやかな表情を作り上げて振り返った。ここは自分も周囲も勝手を知っているミュゼルではない。表情に気を遣わねば、一葉は一葉に与えられた任務を遂行することなどできないのだ。
「この度はお誘いいただき、ありがとうございます。アーシアのお菓子、楽しみです」
「……その節はお世話になりましたので。ルーナ殿は」
「義兄が謁見中とはいえ2人ともが席を外すわけには参りませんので、今回は私だけです」
「そうですか」
茶の瞳を驚きで丸くした長身の青年。しかしそれを一瞬で収め、彼は頭ひとつ分低い位置の一葉の目と視線を合わせて頷いた。
目ざとく感情のブレを拾い上げた一葉はどことなく意地悪な気分でニコリと笑いかける。
「すみません、レイラ=ルーナ=アーレシアの方が良かったですか?」
呼び出しに応じてこの場所にいたのがレイラではなく一葉であったことにジョシュアは驚き、一葉はその驚きを拾い上げた。ただでさえ顔見知り程度の付き合いでしかない相手からの妙に親しげな呼び出しである。何かの裏がある誘いに応じるのは年長者たるレイラだと彼は思い込んでいたのだ。
一葉がそんなジョシュアの思考へからかうような色を含ませれば、ふっと目を和らがせてジョシュアは首を振る。
「いいえ、そう言った意味合いでは。それでは後で土産をお渡ししよう」
「ありがとうございます。彼女も残念がっていましたから」
この非常事態において、決して自然ではない呼び出しに応じたイチハ=ヴァル=キサラギ。それが彼女に対するミュゼルの評価であると、一葉が何気なく投げかけた問いから彼は理解した。
「ようこそアーシアへ、イチハ=ヴァル=キサラギ殿」
「はい。少しの間、お世話になりますね? ジョシュア=ルイズ殿」
そして心へのしかかる不安を誤魔化すかのように、彼らは笑う事で薄い氷の上に乗る平和を維持し続けるのだ。
ジョシュアに与えられているという執務室で、一葉は来客用のソファへジョシュアと向かい合って座る。
「早速ですが、すぐに茶を淹れましょう」
「はい、お願いします」
部屋の主はと言えばあらかじめ準備していたのだろう。手早くカップに紅茶を注ぐと、小皿へ砂糖菓子を盛って一葉の前へと押し出した。砂糖で精巧に造形されたそれは、この世界でよく見る花々を縮小化したものである。機械文化の無いこの世界ではさぞや手がかかったことだろうと思わせる程、色や形が美しい菓子であった。簡単に手に入れられるものではない。
表面上の目的ではあったのだが、もてなすという行為をおろそかにするつもりはジョシュアには無いのだろう。
「……ジョシュア殿に淹れていただくとは」
「これでも普段はルクレツィア様に茶をせがまれておりまして、それなりに腕には自信があります」
今度は一葉からほんの僅かばかり漏れ出た小さな驚きを受け取り、ジョシュアが先ほどのお返しとばかりに唇の端へ小さく笑みを乗せる。
「お呼びしたのは非公式ですので、言葉づかいは普段通りに戻していただいて結構です」
「すみません、不作法かと思ったので……」
「俺も少し楽にさせてもらうので、相子です」
ルクレツィアの関係でミュゼルでの一葉を見る機会が多かったためか、一葉の被った“猫”が見破られてしまったらしい。一葉は苦笑しながら紅茶をひと口含んだ。
「お茶、美味しいです」
「それはよかった。本当ならば侍女に給仕をさせるのでしょうが……この執務室は、声をかけない限り人が近づかないようになっているので。人がいるとゆっくりできないと息抜きに来たルクレツィア様が命じられたので、普段から何事も自分で行う癖がつきました」
「……らしい、ですね」
でも、と一葉は小首を傾げた。
「あの、自分で言うのもおかしな話ですが……いいんです? 同じ部屋で、女性と2人になるなんて」
ヴァル家やミュゼルの名を少なからず背負っている以上、醜聞にさらされてはならないと一葉は肝に銘じている。それは目の前にいる青年も同じであろう。そして何より、ルクレツィアという友人がどういう種類であれ特別に想っている相手と噂になることなど、彼女は望んでいないのだ。
そんな彼女へジョシュアが安心させるように声をかけた。
「俺に関しては、女性にとって不名誉な噂を流す痴れ者はいません。しかしもしイチハ殿が不安に思うならば扉を開けておきます。そうすれば、何があっても貴殿ならば逃げられるでしょう」
「……いえ、大丈夫です。扉も閉じていただいて構いません。落ち着かないですしね」
ジョシュアの何気ないがはっきりと意味を含む一言へ、一葉は内心で苦笑を浮かべる。
(それはつまり皆がジョシュアさんの心の向きを知っていて、何があっても疑われることがないと。ふーん……ナルホド)
あの気の強い完璧王女様も、ジョシュアの持つ真っすぐな心に惹かれたのだろう。ほんの少しだけ羨ましく思いながら一葉は砂糖菓子へと手を伸ばすのだった。
そのままポツリポツリと互いの国の話や仕事内容のちょっとした愚痴などを話していると、やがてジョシュアがどこか困ったように天井を見上げた。
「さて」
その纏う雰囲気が硬いものへと変化する。一葉もまた、両手で包むように持っていたカップをテーブルへと戻した。
「イチハ殿。つかぬことを伺いますが、防音の術は……」
「えっと……はい、使えます。そう聞かれるということは術を使った方が良いと?」
一葉の確認にジョシュアが頷く。警備方の意見は信用してもいいだろうと判断し、一葉はそっと魔力を操った。自分の中で平時よりも荒れる魔力を押さえつけ、普段よりも時間をかけて術を編む。
『結界・防音』
耳慣れない言語へジョシュアが驚いているうちに室内の空気が変化していく。ざわついたかと思えば不自然に静まり、やがては何事も無かったかのように異変は薄まった。
「っと、これで外に音が漏れることは無いかと。もしかして内緒話をしていると広まってはいけないのかと思って、極力魔力を誤魔化してみたのですが……これで大丈夫です?」
「え……えぇ、充分です」
主であるルクレツィアには当然敵わないものの、ジョシュアも護衛として最低限の術を操る才覚がある。そんな彼がざっと魔力を手繰ったところで不自然は無く、しかし確実に何らかの術により執務室が守られていることを理解した。部屋の窓や扉も閉めてあり防音対策はほぼ完璧であろう。
ミュゼルでの襲撃事件から予想はしていたものの、あまりの非常識な術へジョシュアは諦めたようにため息を吐き出す。それもすぐに表情を引き締めて一葉を見つめた。
「お気づきの通り、あまり広めたくない事情をお伝えして協力を依頼するためにお呼び立てしました。
……単刀直入に言うと、ルクレツィア様が拐かされました。その奪還、および可能であれば犯人のせん滅にご協力いただきたいとアーシアは考えております」
「……レティさん、が?」
一葉は戸惑ったように眉を寄せる。ルクレツィアは、確かな霊術と自信に裏打ちされた気の強さを隠そうともしないアーシアの王女。そのルクレツィアがそう簡単に攫われると思えなかったのだ。
「あ……っと、失礼しました。ルクレツィア様が、です?」
「主の気質は理解しているので、この場では言いやすい呼び名で構いませんよ」
“ルクレツィア様”ではなく思わず“レティさん”と呼んでしまった一葉の戸惑いを咎めず、ジョシュアはただ深くため息を吐き出す。
「……はい、あのルクレツィア様が拐かされました。どのような手口を取られたのか……被害者は部屋付きの警備だけで、彼らも深く眠っているだけのこと。王宮内での事件にも関わらず鮮やかすぎる」
ルクレツィアや彼女をさらった犯人を探して、休む間もなく陰ながら走り回っているのだろう。しかも情報漏えいを防ぎながら。息を吐いた彼が幾分やつれていることに、一葉は今ようやく気付いた。
「詳細は不明ですが……ルクレツィア様には太刀打ちできない相手に襲撃されたようです。特に被害が目立たないことや残された暗号から、本人だけを狙っていたと」
「それを私に言うとなると」
心から嫌そうな表情を浮かべると、向かい側の茶色も不快を映して歪む。
「暗号と親書の情報を照らし合わせると“召喚士”かと。情報と共に記されていたミュゼル王の助言を参考にした結果、声を掛けさせていただきました」
「……なるほど」
「この問題は公にはせず、ルクレツィア様は病のため療養中と発表されます。それゆえ対外的には自然に呼び出せる機会を窺っていました」
いきなりアリエラを訪れることは言うまでもなく、確かにウィン相手であってもジョシュアが接触するのは不自然だろう。一葉たちを呼び出したのは考え得る中で最も安全な線だったのだ。
「とは言え事はアリエラ王女の安全やそちら側の警備体制にも関わるでしょう。今すぐ返事はせずよく話し合ってほしいというのが女王の考えです。自国の王女を優先してほしいと」
「そうですか」
確かにジョシュアの言うとおり、この場で一葉が勝手に返事をするべき問題ではない。眉を顰めた一葉へジョシュアは重ねて念を押した。
「重ねて言いますが、ほんの少しであっても噂が流れることがあれば大変なことになります。それゆえ女王はイチハ殿やウィン殿を呼び事情を聞くことを選びませんでした。アーシアでは、ルクレツィア様への襲撃など“起きてはいない”のです。ゆえに“召喚士”との関わりも“未だ”ありません。
……くれぐれも、よろしくお願いいたします」
警備が国内で一番厳重であるはずの王宮内で、しかも王女が襲撃されて連れ去られたのだ。どのような小さな不安であれ商人たちの耳に入れば彼らは即座に国外へ退去するだろう。そうなればアーシア国内の物流が止まり、国は衰退していくのみである。ただでさえグランツ皇国が陥落した今は僅かな負の情報であっても命取りになりかねない。
国民の命を背負っている以上、王女1人のために国を傾けるわけにはいかないのだ。国を経営している女王の判断は、この上もなく正しい。
――母としての判断が合っているのかは、一葉には分からないことだが。
チラリと確認したジョシュアもまた涼しい顔の中に、ほんの僅かだけ苦々しさを含んでいる。
「わかりま」
頷こうとした一葉は最後まで言葉を発することをせず、まるで弾かれたように体を翻した。一葉と対面していたジョシュアの方は目を見開き、凍りついたように動きを止めている。
一葉の結界を潜り抜け、何者かがこの空間への干渉を隠そうとしなくなったのだ。
「見られてたか」
舌打ち混じりの独白に合わせたようなタイミングで、一葉が見つめていた一点――扉の前の空間が歪んだ。
歪みから漏れ出る強大な魔力により魔力耐性の低いジョシュアが蒼褪める。あまりに大きな魔力は暴力的な圧を持ち、小さな魔力を押し潰してしまうのだ。むしろよく訓練されているからこそ、一葉という緩衝材を挟んでいるとはいえ蒼褪める程度で済んでいるのかもしれない。
“それ”はすぐに縮小の兆しを見せた。苛つきを隠そうともしない一葉は眉を跳ね上げ、背後のジョシュアへ声を投げる。
「敵を捕捉します。強力な術の使用許可を」
「……っ、任せます」
焦げ茶の髪の魔女は弱々しくもはっきりと意志の乗った声に目を見張り、嬉しそうに微笑んだ。
実のところ、彼女が声をかけたのは単に心の準備をしてもらう程度の意識だったのだ。勝手に術を使おうとも、この場にジョシュアがいる以上は緊急事態だと認めてもらえるのだから。まさか返答があるとは思っていなかった。
しかしジョシュアは自分を立て直した。チラリと肩越しに振り返ってみれば未だ蒼白な顔色ではあったが、いつの間にか自分の足でしっかりと立ち上がっている。まるで彼女に強大な敵を任せ切るのではなく一緒に戦うと言ってくれているようで、それが一葉を喜ばせるのだ。
「……簡単に逃げられると思ったら大間違いなんだよ、バーカ」
表情を引き締めてそう呟いた一葉はすぐに大きく息を吸い、力強く声を叩きつけた。
『いい加減にしな鬱陶しい! いつまでもコソコソしてないで出てこい!』
ジョシュアにはやはり理解できなかったそれは、呪文でも何でもなく単なる怒りの声である。しかしこれ以上無く意志の詰まったソレは純粋な魔力を内包し、今にも消えようとしていた時空の歪みから何かを引きずり出した。
「くっそ、微妙に逃げられた」
その呟きへジョシュアが問い返すよりも早く、時空の歪みから引き出された“何か”が視覚的な形を取り始める。凝縮して顕現したそれは、年の頃6、7歳程の少年であった。焦げ茶の髪、黒い瞳に粗末な服装はありふれた農民の子供の姿。ただしその体は透けて向こう側が見えている。
案外整った容貌へ浮かべられた一見年齢相応のその表情は、負の感情を煮詰めたような醜悪さではあったのだが。
『あーあ、バレちゃった。でも攻撃するなんて酷いよ、黒のお姉さん。おかげで僕の力がまた少し減っちゃったでしょ?』
「煩いクソガキ。私に分かるように、しかもこっちがイライラするの知ってて自己主張したくせに白々しい。で? レティさんは?」
頭に直接響くような気色の悪い声以上に、ジョシュアは一葉にこそ驚いた。殆ど無い付き合いではあるが、彼の中でのイチハという少女は何事にも飄々と当たる性格だったのだ。実際に会ってみた印象からも決して乱暴な言葉づかいをせず、相手の言葉を切り捨てるような話し方はしないと思っていた。
そんな彼女が少年相手にはまるで下町出身の兵士たちのような暴言を投げている。一体どちらが“イチハ”という人物なのか、よく分からなくなったのだ。
(いや、それどころではない。警備人員を呼ばねば)
悩むことは後でもできるのだから。
どうにか自分の混乱を抑え込み外との連絡手段へ考えを巡らせたジョシュアへ、少年は一葉から視線を移して笑いかけた。
『残念だけど、お兄さん。助けを呼んでも無駄だよ。黒のお姉さんの術を利用して、この部屋を外から切り離したからね。
イチハお姉さんさぁ、死にかけて力が増えてから術の使い方が雑になったんじゃない? まぁ僕としては餌が弱くなって量が増えるのは嬉しいことだけど、ちょっとつまんないかな』
それは一葉自身が自覚していた弱点でもある。何も言えない彼女の後ろではジョシュアもまた呆然としていた。
「考えを……っ!?」
『読める訳がないじゃん。まぁでも、姉さんがそうしようと思ってたからね。いつも一緒にいたからお兄さんも同じこと考えると思って』
普段から監視していたと言外に匂わせた少年は、より醜悪に笑みを深める。
『ギセイシャを増やしたいなら、別に止めないけど』
「相変わらず汚ねーな」
ボソリと呟いた一葉には何の表情も浮かんではいない。しかしその目は、何よりも彼女の心情を表していた。今にも感情を振り切りそうなジョシュアを肩の動きで押しとどめ、一葉は皮肉げに唇の端を吊り上げる。
「ホント、ここまで嫌いになれる相手って逆に珍しいわ。で?」
『で、って?』
分かっているくせに焦らすような少年のその態度が、何よりも一葉の神経を逆なでするのだ。
「イチイチ監視してるってことは、効果的なイヤガラセを考えてる途中でしょ。いいよ、鬱陶しいけど付き合ってあげる。どうせ今ここでアンタを始末したところでトカゲの尻尾だろうしね。
……で、嫌がらせの内容は決まった? どうしたらレティさんに会える?」
苛々した一葉の嫌がらせという言葉を否定もせず、少年は楽し気に笑った。
『そうだね、この“僕”はただの抜け殻だから消滅したところで意味無いよ。でも、うーん……そうだなぁ』
しばし考えるような仕草を見せてから彼はニタリと口を歪める。
『うん、決めた。“お茶会”を開こうかな。僕の隠れ家に招待してあげるから、来たいなら来ればいいし来たくないなら来なければいいよ。ちゃぁんと入り口も作ってあげる』
「そんな平和な名前じゃ済まないクセに……」
一葉の感情に反応して霜が降り始めた室内で、真正面から冷気を浴びる少年は何事もないかのように肩をそびやかしている。その反応は完全に一葉たちを嘲笑うものだった。
『ほらほら、力の制御が甘くなってるよぉー?』
ひくりと米神をひきつらせて暴走した魔力を掴みなおした一葉へ、少年はやはり小馬鹿にした笑顔を向ける。
『僕の悪戯を疑って入り口を無視してもいいけどさ、時間の無駄だと思うよ? 僕が作った入り口を通らないと隠れ家には絶対に来れないんだから。さて、どこに隠れ家はあるでしょーか!』
「その言い方……まさか亜空間?」
『大正解ー! イチハお姉さんには簡単な問題だったかな』
「貴様の隠れ家がどこにあろうとも興味など無い。その入り口とやらを、今すぐここに作れ」
押し殺したジョシュアをやはり心の底から楽しそうに少年は見やる。
ルクレツィアを救出するという目的がある以上、ジョシュアは今すぐに少年へ斬りかかる訳にはいかないのだ。その上でわざと言葉を選ぶ様には、まるで虫の羽を毟り取るような無邪気な残酷さが見え隠れしていた。
『どうしようかなぁ? 別の場所に作って探してもらった方が楽しそうだけど』
「ウゼぇ……」
舌打ち混じりの一葉だが相手にはあまり効果がない。新しい玩具を見つけたように醜悪に輝く笑顔の少年は、何も無い場所へ向けた指でくるりと円を描いた。
『はい、できた。入り口はすぐに見つかる場所だと思うよ。そうそう、すぐに死んじゃってもつまんないから、最低でも青と緑のお姉さんくらいの力と一緒じゃないと入れないようにしておくね。あと、黒のお姉さん。近くにいるお友達たちも一緒に連れてきてくれないと、迎えに行っちゃうかもしれないから気をつけてね。僕、寂しがり屋みたいだから』
「……マジで今すぐ消滅すればいいのに」
もはや直接的になった暴言でも軽く笑っただけで流し、少年は一葉たちへむけて軽く手を振った。
『じゃぁね、黒のお姉さん。お姉さんたちが来るまで青と緑のお姉さんが生きてるかは僕の気分次第だけどね。でも来ないと絶対に死んじゃうよ。僕が食べちゃうから。
あ、そうそう。僕がここに来たってことがバレないようにしておいたよ。ちょっとした親切かな』
「待っ」
一葉か、ジョシュアか。
制止の言葉も結局は間に合わず、瞬きの間に少年の姿は完全に消え失せる。力が抜けたようにジョシュアがソファへ座りこむ音が、ほぼ無音の執務室で妙に大きく響いたのだった。