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流界の魔女  作者: blazeblue
歪な真珠
41/61

第36話 イノチの色

普段よりグロ注意です。

感受性の豊かな人は、斜め読み推奨。




「さて、状況を整理しよう」



 執務室に入ったかと思えば、アーサー王は開口一番にそう言った。

 机の前に立つ一葉、その左にはレイラが立ち、右にはウィンが立っている。アーサー王の横ではゲンツァがニコリと笑い、コンラットは普段通りに壁際で控えていた。



「こちらからの情報もあるが、お前から伝えてもらうべき情報の方が多いだろう? 先にそちらを聞こう」

「……はい」



 部屋にいる面々から一葉の体調を窺う様な発言は一切出ない。共に呼び出されたレイラですら一葉へホッとしたような視線を送ったのみで、一葉へ直接体調を尋ねることは無かった。

 相手を、自分を『諦めていた』時に受けたどのような殺気よりも強く迫る威圧感に、一葉は穏やかさを装うことしかできない。



(痛いなぁ……)



 相手にそのような意図は無いのだろうが、一葉にとってその空気は針のむしろである。自分に後ろめたいことがあるからこそ、より一層、空気が痛かった。『信用されていない』という事実がその身に迫る。



(でも、仕方ないよね)



 彼らは一葉の都合など一切関係ないと切って捨てているのだ。あるのはただ彼女が使えるか否か。ここで対応を違えれば、ウィンと対峙したあの時ではないが、一葉という力ごと切り捨てられるという確信が持てた。



(今までのツケを払わなきゃいけないんだから)



 今までも決してお客様扱いではなかったと分かっている。しかしある面では、甘やかされていたということも確かだったのだ。子供扱いを厭って上手く立ち回っていたつもりでも、結局のところ一葉は色々なところが『甘かった』のだから。

 一葉を買ってくれていたのは、単に『17歳』という年齢から考えるよりも落ち着いていたというだけの事だろう。実年齢からすればむしろ、一葉は幼すぎるのだ。



 居並ぶ大人たちからは明らかに今までとは違う、優しさや気遣いだけではなく抜き身の刃のような空気を感じた。



(負ける訳にはいかない、よね?)



 僅かに細めた黒い瞳に剣呑な色が混じる。初めて、今までとは違う光が灯った。それを正面から受け止めたアーサー王は眉を上げ、楽し気に唇を吊り上げる。



「では、すみませんが先に報告させていただきますね」



 一葉はそう断りを入れて息を吸い込む。顰めそうになる表情を抑え込み、無表情のままで唇を開いた。彼女の視界の隅では一対の紫と、一対の茶が煌めいていた。



「まず。ウィン越しに侍女のサーシャから報告があったと思いますが、やはり『召喚士』が関わっていました」



 前方にいる茶色の瞳に理解の色を見つけ、一葉は話を先へ進める。



「アレ自体も強力でしたが、敵の魔力を喰らって自分のものにするなんて存在が戦場に出たらどうなるか。あの場で対処しなければ間違いなくロクなことにならないと思ったので、ご迷惑をおかけしましたが『ソレ』は私が対処しました。ですが……」

「何だ?」



 僅かに言葉を濁す一葉をアーサー王は促した。



「……はい。えっと、詳しくは省かせてもらいますが……私はアレに対する攻撃手段として、自分の存在を魔力に還元して爆発を起こしました。簡単に言えば自爆です。そうすれば喰われてすぐの、まだ『召喚士』に馴染んでいない私の魔力まで巻き込んで『召喚士』も道連れにできると考えたからです」

「あぁ」

「その予想は半分正解でした。予想外だったのは上手く爆発を起こせた私が……過程はどうであれ、今もこうして生きていることです。ならば――」

「相手もまた、生きていると言うことか」

「はい。確実に」



 嫌そうに眉を顰めて、ただ1人の黒瞳の魔術士は頷いた。気付きたくはなかった可能性だが、ゼロではない以上、伝えない訳にもいかないのだ。



「まず、一次的な防衛には礼を言わせてほしい。色々あった事は確かだが、お蔭で当面はこの国が『ミュゼル王国』として存続できるからな。だが……聞いた話では子供の姿をしていたらしいが、アレやソレなどとは穏やかではない言い方だな?」



 焦げ茶の髪を揺らして、一葉はひとつ頷く。確かめるように言葉を放つアーサー王たちは『召喚士』の正体を詳しく知らないのだ。



「アレは私と同じ『異界渡り』です。同じように召喚されて、そして召喚主に牙を剥いた。そこまでは私と同じですが、アレは周りにいた魔術士たちを喰ってます。多分、外見も良い様に操作してるんでしょう。

 アレが自分で『バケモノ』だって言ってましたし、何より私がアレを『人間』だと認めたくありません。それから、仲間扱いされるのも虫唾が走ります」

「そうか」



 一葉の吐き捨てるような言葉を聞き、眉間に寄ったシワを揉みながらアーサー王は唸った。色々な意味で、まさかそこまでの相手だとは思ってもいなかったのだ。



 室内に溜まる空気に再度眉を顰め、一葉は話を続ける。



「話が逸れましたね。えぇと……前にも説明したとおり、召喚された者には何かしらの歪みが生まれます。その理の通り、アレには私と同じように莫大な魔力がありました。今はその魔力も減っているみたいですけど、余程上手く渡り合わないと一方的にやられると思います」



 そこで彼女は言いづらそうに言葉を切り、しかしハッキリと言葉にした。



「ここにいるウィンでさえ……餌扱いでしたし。私でも、自分と同等とは思ってないでしょう」



 目の端でチラリと横を確認したが相手には何も言わず、一葉は再び前方へ意識を戻す。ウィンもまた慈雨の谷で気色の悪い瘴気を感じ取っていたため、何の反論も出来はしない。



「大事なことだからもう一度言いますけど、今のアレはものすごくお腹が空いた状態です。それを解消するために、ウィンと同じくらいの力を持つ人たちはそう遠くないうちに襲撃されますよ」

「なるほど。それを聞いて、こちらの情報の裏付けが取れた。ゲンツァ」



 王の目配せを受け、ゲンツァが1歩だけ出る。彼もまた、渋いものを口いっぱいに詰め込まれたような表情を浮かべていた。



「結論から申し上げます。内通者の親玉が確保出来ました。そして、隣国……グランツ皇国が、堕ちました」



 急な展開へ一葉はただ眉を顰め、その先に繋がる言葉を待つ。他の面々は既に聞いて知っている情報であったために口を挟むことは無かったが、その表情は一様に硬い。



「まず皇国ですが、少なくとも20日前には陥落していたようです」

「と、言いますと?」

「確認と報告、全てを終わらせて情報が上がってきたのが10日前でした。この王都とグランツ皇国までの距離は、日数にして大体15日。急げば10日です」

「その時点で、20日前」



 えぇ、と老宰相は頷く。



「しかしそれは単純計算での話。『影』にしてもその瞬間を見ていたわけではなく、毎日首都を確認している訳でもありません。話を統合して、実際に首都を確認して、ようやくこちらに伝えるべき情報を纏められた状態だとか」

「だが、30日前ではフォレイン領での戦闘があっただろう」



 ゼストとウィンが『はい』と返し、一葉もまた目を細めて雨の情景を思い出す。非常に気分が悪くなった。



「ならばその時点までは異変などは無かった筈なのです」

「グランツ皇国の首都はミュゼルのように国土の中心ではない。戦闘があったフォレイン領、それにレインドルク領から3、4日で到着できる距離にあるのだ」

「何かあれば早馬などを使い、すぐにでも連絡があります。ですから異変があったのは30日前から、おそらく25日前。……首都は壊し尽くされた廃墟と化し、生きている人間など1人も見つけられなかったそうですよ」

「同じ『異界渡り』としてのイチハに聞く。5日間で人を含めて首都を廃墟にすることは可能だと思うか?」



 ゲンツァとコンラットの話へ一葉は顎を指で押さえて考え込む。そして程なくして頷いた。



「可能です。何なら1日あればアイツなら完全に、廃墟に出来ると思いますよ。多分魔力を喰いがてら住人を……その、『始末』して、あとは建物を壊したりするだけですから」

「そう、か。ならば廃墟を作ったのは『異界渡り』の『召喚士』で決まりだろうな」



 取りあえずの敵であった隣国は消滅したものの、新たな敵が発生してしまえば悩みの種は尽きない。しかも新しい敵は、前の敵よりも余程タチが悪いのだ。アーサー王たちの顔色は悪いままであった。



「それで、内通者たちの身柄だが……確保したというのは語弊がある」

「え……と、どういうことです?」



 不思議そうに首を傾げる一葉へ全員が嫌そうな表情を浮かべている。あまり良い情報ではないのだと言われるまでも無く分かった。



「首が」

「は? えっと……首、です?」



 確かめるような一葉の声へアーサー王は頷いている。



「今から10日前。『影』たちが情報を上げたその日に主犯格たちの首が、ミュゼル王城の外に曝されていたのです。そこに体はありませんでした」

「う……わ……」

「恐らく報告が上がるのを待っていたのだろう。すぐそこまで接近されて、しかもそのような挑発行為までされたにも拘らず気付かなかったのは……完全に騎士や衛士、俺たち警備方の手落ちだ。遊ばれているのだろうな。しかも悪い話はそれだけではない」



 ゲンツァに続いてコンラットもまた、大きな溜息と共に後悔の色を顔に浮かべた。



「その目はくりぬかれ、代わりに宝貨と同じ素材の宝玉が埋め込まれていた。首は5つ。それぞれ紫、水色、紅水晶、そして深緑と濃紺」

「それって、その組み合わせって……!」

「あぁ」



 大きな騎士から重々しい頷きが返る。



「キサラギの情報で確信が持てた。これは首を届けた『召喚士』からの伝言だろう。我がミュゼルでも指折りの術士であるウィン殿、レインドルク領に居るクレアル殿の2人。それにアーシアのルクレツィア様と、お前と一緒に相手と会っているサーシャ=デリラ嬢だろう。本人からも、どうやら目をつけられたようだと聞いている」

「聞きたくないんですが、残りの色は」



 今聞いたのは4人分。もう1人、首は残っている筈である。



「……あぁ。その4人は、主犯格に従っていた腹心たちだ。主犯格の目には」

「本当に聞きたくありませんが……! 黒、ですか」



 その通り。言葉に出さず、コンラットは頷きだけを見せた。一葉は肺の中の空気全てを絞り出すように溜息を吐き出し、何かを呟く。



「イチハ……っ!?」



 途端に、暴力的なまでに圧倒的な量の魔力が執務室を荒れ狂った。発生源は疑うまでも無く小柄な魔術士である。魔術士であるウィンや騎士として鍛えているレイラは驚く程度で済んでいるが、普段から執務中心であるアーサー王やゲンツァは上手く呼吸ができずに顔色を失っていた。



 真っ先に体勢を立て直したのは壁際にいたコンラットであった。彼は慌てて執務室前の騎士たちへ声をかけ、混乱を抑えるために執務室を退出する。残された内で動けるレイラとウィンはその行動にハッと目を見開き、一葉の両側から慌てて声を張り上げた。



「イチハ、魔力を抑えてください……! 感情に引きずられていますよ!」

「イチハ殿、ここは執務室です!」



 腕や肩を揺すりながら声をかけ続けている彼らは、先ほど一葉の放った低い呟きをしっかりと耳にしていた。





 ――あの、クソガキが……!





 普段の彼女からは考えられない程に乱暴な口調で、舌打ち混じりの声で、心底苛立たしげに一葉は呟いたのだ。彼女は先ほど『召喚士』について口の端に上らせたときにも穏やかならざる様子だった。積もり積もった苛々へ『人体を利用した伝言』という最後の一押しを受け、とうとう我慢の限界が訪れたのだろうとウィンは推察する。



 今の一葉はただでさえ本調子ではないため、彼女の持つ魔力が容易に感情へ引き摺られてしまった。そのためウィンが一葉の魔力の異変を確認しようとした矢先に、有り余る魔力が怒りと共鳴して吹き荒れたのだった。



 彼らが根気よく声をかけ続けていると、奥歯を噛みしめる甲高い音と共にようやく返事が聞こえた。



「……うん、ごめん。大丈夫。落ちつかせる」



 珍しく鋭い目つきを隠そうとしないまま、大きく呼吸をすることで一葉は魔力を一気に収める。彼女が『すみません』と頭を下げる頃には室内の空気も落ち着き、ようやくアーサー王たちも余裕を取り戻すことが出来た。



「多分私が一番落ち着かないとダメなのに、すみません」

「いや……これから気をつけるなら、それでいい」



 アーサー王へ頷いた一葉は眉間を揉み、普段の表情をどうにか取り戻した。



「差し出がましいかも知れませんが、すぐにレティさん……ルクレツィア様へ連絡を取るべきだと思います。きちんと準備をしたところで『アレ』と渡り合えるか分りませんし」

「我々もそう思ってな。お前の回復を待つ前に簡単な親書を届けておいた」



 そこで、とアーサー王は一葉だけではなく、レイラやウィンへも視線を滑らせる。



「あちらにルクレツィア殿が居る以上、説明は不可欠だろう。書面でもいいが、事情に詳しいイチハを向かわせた方が良いかと思ってな。外遊を装ってアリエラをアーシアへ向かわせる予定となっている」



 そこで一度言葉を切り、アーサー王は『だが』と眉を顰めた。



「イチハ、お前の判断を聞きたい。狙われている面々の中からアーシアへ向かってもらおうと思っているのはお前とウィンだ。デリラ家の娘とレインドルクのクレアルは、ミュゼルに待機させようと考えているが……それぞれの危険度はどれ程になる? もしもお前たちが向かわない方がいいならば、アリエラには他の騎士をつけて出来る限りの詳細を親書に記し、それを届けさせても良いのだが」

「そう、ですね……」



 アーサー王が提示した選択肢は2つ。一葉自身がルクレツィアのもとへ赴きこの先に備えることと、もしくは国内で『召喚士』の襲撃に備えて守りを固めることである。



「サーシャは、できれば同行させてほしいです」



 顎へ指を添えて僅かに考えた一葉は、ひとつ頷いた。



「最後に見た『召喚士』の様子から考えると、良くも悪くも私に執着してると思います。私がいない状態ならむしろ全員でルクレツィア様のところへ固まって守りに入った方がいいかも知れませんが、何しろ相手も私が『無事』だと分かってるはずなので……」

「危険度はどちらにしてもそう変わらないか」

「あー……はい」



 非常に嫌そうに頷き、一葉は先を続ける。



「一番執着されてるのが私で、次が魔力量の関係でウィン、それからサーシャで……クレアルさんですか? と、ルクレツィア様に対しては狙われてるのは確かですが……どれくらい興味が強いのかは分かりません」

「あぁ」

「私はアレの前でサーシャを守っていますし、サーシャも私を庇おうとしています。王都に残しておけば、サーシャはもしかしたら人質にされるかもしれません」



 そしてサーシャは大人しく捕まるような性格ではない。一瞬で辿りついた想像に顔を顰め、アーサー王は先を促した。



「そこから考えると……私たちが向かえばウィンとサーシャ、ルクレツィア様が一緒に防衛できるので一番良いのではないかと。クレアルさんについては……実際に痛手を与えた私以外は『いつでも狩れる』と思っている筈なので、私とウィンとサーシャが無事である内は心配ないでしょう」

「そうするとイチハ。お前1人が囮になってしまうが、いいのか?」



 純粋に気遣う視線のアーサー王や、言葉にしないまでも同じ視線を送るゲンツァ、レイラへ、一葉は困ったように笑った。



「正直に言えば、こっちでどんな手を打っても敵がアレである限り結果は同じなので仕方がありません。まぁ……流石に今までよりも身を守る手段を整備しないと、ですけど」

「そうだな」



 僅かにゲンツァと視線をやり取りし、アーサー王は頷く。



「では予定通り表向きは外遊の護衛として、お前たちには何かが起きる前にアーシアへ向かってほしい。アリエラも承知済みだ。何かあれば私たちに確認せずとも動いて構わないと言ってある。また、護衛の騎士や魔術士も他に付ける。お前たちはアリエラに付いて通常の護衛をするのではなく、自由に動くことで『召喚士』への警戒にあたるように」



 机の前に立つ3人は揃って頷いた。



「出発は3日後。今日は準備期間として、レイラとイチハは警護に戻らなくて良い。身の回りの準備を今日中に終えておけ。何が起こるか分からないゆえ、明らかに今までよりも危険度は高い。くれぐれも準備は怠るなよ」

「分りました」

「はい」

「話は以上だ」









 詰所へ寄ってから自室へ戻るというウィンを見送り、一葉はチラリと隣を確認した。共に立っているのは灰金の長い髪を後頭部で束ねた女性騎士である。



「レイラさん、は」

「はい?」



 眉を顰めて何かを考えているような一葉の呼びかけへ、レイラは顔だけを一葉へ向けた。



「これから訓練場ですか?」

「はい。明日、明後日はそのような余裕はありませんし、出発の準備と言ってもそう荷物を持っていくわけでもありませんから」

「そうです、か……」



 簡潔な答えの後に再び言い淀むような間が落ちる。とうとう小首を傾げてレイラが問いかけた。



「あの、イチハ殿?」

「レイラさん!」



 俯いていた一葉が勢いよく顔を上げ、彼女を覗き込もうとしたレイラはぶつけないよう僅かに頭を反らした。

 いつかの自分たちを反転させたようなやり取りに内心で苦笑を漏らし、動きが落ち着いた頃合いでレイラは茶色の瞳を黒の瞳と正面から合わせる。



「どうしました?」

「あの、一緒に行ってもいいですか? その……ひと月くらい、まともに動いてないんで……私も少し体を慣らしておきたくて」

「あぁ……それでは一緒に行きましょうか」



 落ち着かないのだろう、一葉は腰に下げた『狛犬』を無意識らしい動作で撫でている。一葉の状況を耳にしていたレイラはすぐに納得した。どことなくホッとした一葉の表情は、歩き出した彼女の視界には入っていなかった。









「流石にある程度体は慣らしてあるので、ギリギリまで手加減は無しでお願いします。私も『コトダマ』を使いますし」

「わかりました。こちらこそ、手加減は無用に願います」



 人のいない訓練場で向かい合い、『狛犬』を両手に抜いた一葉はレイラへ頭を下げた。どことなく珍しいその様子に目を細め、レイラもまた細剣を構える。



「では……参ります」

「お願いします!」



 そっと呟いたレイラはごく自然に歩を進める。一気に近づいて何もできないうちに魔術で制圧されることを、彼女が2度も繰り返すことはない。



「……っく!」



 呻いたのは細い刃が体へ届く寸前、交叉させた『狛犬』を滑り込ませた一葉だった。見えていたはずのレイラの動きは、なぜか一葉の意識をすり抜けていたのだ。



「一瞬、見失いました、よっ!」

「鍛錬の甲斐があると言うものです」



 渾身の力でレイラを撥ねのけたが、レイラは受けた力に逆らわずにそのまま離れて剣を構え直している。静かに剣を手にしているレイラから、一葉が動の気配を探ることは難しい。しかし一葉は緩い呼吸を繰り返し、剣を上げたまま意識をレイラへ集中させた。



 そして、目が見開かれる。



「結界……っ!」



 一葉の口から咄嗟に出たのは意識して『コトダマ』に使用している日本語ではなく、無意識に調整されたこの世界の言葉だったことが余裕の無さをよく表していた。



「流石ですね」



 至近距離で茶の瞳がどこか嬉しそうな笑みを作る。

 片や、黒の瞳は見開かれたままであったが、先ほどとは含んだ意味を違えていた。



 部分的に展開された『結界』とレイラの剣は一葉の左わき腹から僅か5センチで噛み合い、ギリギリと音を立てていた。今になって一葉の背を冷や汗が流れ落ちる。

 何しろ、作り出された結界は無意識下で行使された『コトダマ』の結果だったのだ。その判断材料は少しだけ沈み込んだレイラの身体と、いつもより僅かに煩く主張する『予感』しか無かった。



(……っ、本気だ)



 それは一葉自身が望んでいたことだった。だが、『コトダマ』が無ければこれ程までに遠いその背に一葉は眩暈すら覚える。一体今までの鍛錬でレイラの剣の何を見て来たのかと内心で歯噛みした。しかし最大限の努力とほんの小さなプライドを以て、一葉はそれを表情には出したりはしない。



 今までの一葉は攻撃を適切に防ぐことと縁が無かった。魔王との戦いですら致命傷だけを防ぐか、もしくは全方位に防御術を展開して『コトダマ』を撃ち込むという力押しだけで戦っていたのだ。誰も『使い捨て』である彼女へ防御の重要性などを教えなかったため、目は慣れていても、攻撃以外の事については体が上手く動かない。



 だからこそ彼女は数えきれない傷を負い、服を紅に染めた。そして自分の痛みへある種の無頓着さを持っていたのだ。



(でもこれからは、それじゃダメなんだ)



 一葉は心にそれを刻み付ける。傷を負いすぎればやがて動けなくなるだろう。アリエラや大切な人たちを守るためには、自由に動き回る必要がある。それに自分の血を吸った服では、アリエラの傍にはいられない。



 何より一葉は、信用されたいと望んでしまったのだ。元勇者ではなく、騎士として。

 そして、無事に如月の家に帰ることを願ってしまったのだ。



 一葉はようやく変わろうとしていた。この戦いは彼女にとってただの鍛錬ではなく、変わるために『必要』なものだった。



『氷槍!』



 一葉の声を全て聞くより早くレイラは右へ大きく跳んでいた。間一髪、一瞬前まで自分がいた位置に氷の槍が生えるのを見ながら、レイラは笑う。

 一葉が氷の槍の後ろで、握り込んだ右の『狛犬』ごと腕を大きく振りかぶっていた。



『ベクトル・プラス!』



 叩き付けた拳から与えた全ての衝撃を前方向への力へ変えて、割り砕いた氷を一葉はレイラへ向けて射出した。着地と同時に再び地面を蹴ることで、レイラは襲い来る氷の弾を紙一重で避け続ける。

 まるで踊るような体さばきを見ることも無く、今度は一葉からレイラとの距離を詰めた。



「やはり、イチハ殿はお強いですね」

「余裕で対処する人に言われても説得力無いですけどねっ!」



 鋭く伸びた一葉の『狛犬』がレイラの細剣に防がれる。右が通らないならば左があるとばかりに左下から刃を掬い上げるものの、レイラは細剣を僅かに傾けるだけで右をいなした。そしてそのまま左の『狛犬』をも軽やかに避ける。



「……ん」



 再び対峙したところで、突然2人は揃って剣を下ろした。



「レイラさん」

「はい」



 一葉は少しだけ弾む息を整えながら、全く息を乱していないレイラをしっかりと見つめた。



「……あなたの眼には、私に『色』は見えますか?」

「……っ!」



 静かな問いかけに息を詰まらせ、レイラは一瞬だけ目元を泣きそうに歪める。ゆるゆると首を振り、そして彼女は淡く笑って答えた。



「それは、あなたの方が分かっていることでしょう」

「そう、ですね」





 ――私も、あなたへ『自分の意味』を押し付けることは止めにします。





 ポツリと呟かれたその意味を探るよりも早く再びレイラが剣を構えたため、直後から必死に攻撃を捌く一葉が聞き返すことはできなかった。

 しかし、決して悪い意味ではないのだろうという事だけは理解できたのだった。




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