第4話 白々と燃ゆるその名は
ウィンと話してから2日が経った。
さすがに今までの戦いにおいて無理をしすぎたため、ここ数日だけでは全快とは言えない。しかし医師の腕が良いためか、一葉の主観では既に日常生活ならば不自由しない程度には回復している。
礼を言う彼女に対して日頃の鍛え方が違うのだろうと担当医は言っていた。
しかし最低でもあと1日。
1日1回診察に来るトレス=ディチという名の若い担当医、彼が首を縦に振るまではベッドから出ることなど適わない。何せいつもは温厚なくせに、一葉がベッドを抜け出そうとすると同時にとてつもない威圧感を発するのだ。そんな彼は一葉が起き上がろうとしても反対する。体内を流れる魔力と体が今までの酷使のせいか上手く馴染んでいないため、できるだけ横になっているように指示をされていた。
悪寒を感じて視線を向けた扉の前に、笑顔を浮かべたトレスが立っていたことは記憶に新しい。彼は本来であれば侍医という責任ある立場上忙しいはずなのに、なぜ今ここにいるのかと戦慄を覚えたものだ。それ以来無理に起き上がったり動き回ろうとするのは諦めている。余計なことをして周りとの関係を壊すことは、ここから出ていけない以上今の一葉にはできないのだから。
(別に、今すぐやらなきゃいけない用事もないし。ベッドはフカフカで気持ちいいし。最近よく休めてなかったし。眠いし)
決してトレスが怖かったから従っているわけではない、と一葉は自分自身に対して虚しい言い訳をした。
そのような状態である以上、暇を持て余すのは致し方ない。暇つぶしになるようなものは無いものかと見回しても、現在いるのは所詮客間。家具などあっても荷物がない一葉には無用の長物である。
唯一の所持品だった双剣も今は手元にない。恐らく倒れた時にでも没収されたのだろう。それはそうだ。不審者に武器を持たせるものなどいない。愛用の品が手元に無い寂しさは止められないが、今は諦めるしかなさそうだった。
一葉の服もまた変わっている。元々着ていた服は血に塗れ、ボロボロになっていた。周囲に止められても黒で統一していた服は、血などの汚れや服の解れが目立たないようにとの意味があったのだが……それすらも意味がないほどに酷い有様だった。
たとえ自分でも倒れた人間を介抱するのにあんな服は着せないだろうと一葉も思う。
(しっかし……こんなにゆっくり寝たのはいつぶりだったかなぁ……)
見慣れたものが無い不安と暇を紛らわすために、記憶を探る一葉。
還れないことについては既に一応の折り合いがついている。希望がある状況よりも、全く希望のない現状の方がよっぽど楽だ。無理矢理にでも前を向かなくてはならないのだから。
(若かったな、私も)
寝坊やそれにまつわる記憶を思い出し、誰にともなくフッとニヒルに笑ったその時。いささか廊下が騒がしいことに一葉は気付いた。
警備と――監視のために、一葉がいる部屋の扉は薄く開けられている。その隙間から廊下の話し声が微妙に聞こえてくるのだ。
――上からの指示で、許可された人間以外は通さないようにと……
――少しお話しするだけです! お願いします!
――いえ、自分たちでは判断できないのですが……
――大丈夫です。危険なひとなら、最初から私たちを助けてくれるはずがありません!
――助け……? いえ、そう言われましても……
(ずいぶん大きな声で、しかも自信満々に言い切るなぁ……)
一葉は何となく、衛士たちの苦労の程を感じた。助けたからと言って裏がないとは限らない。それは今一葉がいる状況そのままではないか。相手方であるウィンには裏が嫌というほどにありそうだった。
それに兵士たちの口ぶりからして、なぜ一葉がここにいるのかも知らされてなさそうだ。それでは彼らも判断できないだろう。
しかし、声の主はなかなか頑固そうというか。ウィンは苦労するほど彼女に近い地位なのだろうかと一葉は思いを巡らせる。むしろそうであってほしい。精々苦労すればいいのだ。
――んっ、案外重いものですね
いけ好かない相手のちょっとした不幸を望んでいる一葉。兵士たちも止めるに止められないのか、彼女の視線の先にある扉が兵士たちの困惑と共に、微かに動いたかと思うと――
――えいっ!
(は!?)
突然大きな拳が叩き付けられたかのような勢いで扉が開いたかと思うと、部屋の中に吹き荒れる突風。明らかに自然のものではないそれはシーツやカーテンをバタバタとはためかせたかと思うと、出現と同じようにまた唐突に収まった。
一応、一葉がいるこの部屋は客間だという。扉もそれなりに立派なものであり、本来であれば風で開くようなものではない。そして扉というものは、本来風で開けるようなものでもない。
「立派なものにすると、やはり重くなってしまうのですね。貴族は少し贅沢を抑えた方がいいのではないでしょうか。これでは開けてくれる方が大変です。
……突然お邪魔してごめんなさい。お加減はいかがですか、イチハさん?」
「はぁ、お加減は結構です」
扉の重さに不平を呟いたのちに、その碧の瞳は一葉をしっかりと捉えた。
(腕力で無理だから風で吹っ飛ばした? やー……すごいことを考えるなぁ……。別に牢屋から脱走する級に今すぐ開けなきゃいけない、なんて事じゃないはずなのに……)
戦場帰りの一葉。見当違いのことを想いつつおかしな返答の彼女に対し、輝く笑顔を浮かべたミュゼルの王女殿下がそこには立っていた。あの襲撃からそう日が開いていないにも拘らず出歩く王女が本当にいるとは。これでも一葉には不審人物であるという自覚があるのに。
内心では呆れを感じているものの礼儀として起き上がろうとする一葉。彼女に掌を上げて止め、アリエラ王女は扉から数歩入った位置で華やかに笑った。
その後ろではなにやらハラハラした様子でこちらを伺っている兵士たちが、再び閉まりかけている扉の隙間から見え隠れしている。
「そのままで構いません。ご挨拶が遅れてしまいましたね。私はアリエラ=フォン=ミュゼル。突然申し訳ないとは思ったのですが、先日の感謝を伝えたくて参りました。本当にありがとうございました」
「あー……転がったままで申し訳ございません。私は一葉……一葉、如月と申します。この前のことは何というか……勢いというか行きがかりというか、私が勝手にやったことですから……」
曖昧に微笑み、曖昧な返答をする一葉。偉い人に良い思い出がない彼女は、できれば早く帰ってくれないものかなどと思っている。しかしその様な些末なことなど全く気にしない風のアリエラはさらに近寄ってきた。
「あら、私にもウィンのように砕けた話し方で構いません。この国の民ではないのですから、イチハには身分など関係ないでしょう? それと私のことはアリアと呼んでください。近しい人たちからはそう呼ばれているのです。私もイチハと呼ばせてもらうので、一緒ですね」
「は、はぁ……」
なかなか押しの強いお姫様である。故郷においてイエスマンとして有名な日本民族である一葉は、流されるばかり。しかしウィンと同じ扱いはさすがに拙いのではないのかと、一葉は思っている。
「それから今日は、たくさんお話もしたいと思ってました」
「は、はぁ……」
「私は今年で15歳になりました。イチハは私よりも少しお姉さんですよね? 17歳くらいでしょうか?」
「いや、もっと老け」
「それにしても綺麗な黒い瞳!! 藍色だとか色々な噂が立っていましたが、やはり黒だったのですね。私が見たとおりでした! 前々から思っていましたが、黒い瞳というのは神秘的で綺麗なものですね」
「は、はぁ……」
「まぁイチハ、さっきから『はぁ』しか言っていませんよ!」
コロコロと笑い次から次へと話を転がすアリエラの勢いに、一葉は完全に呑まれていた。
うっかり弱腰だったために年齢の誤解も解けていない。やはりモンゴロイドはどこへ行こうとも幼く見える宿命だというのか。今年で22歳になった一葉だが、5歳くらいは人種的な修正の範囲なのかと諦めのため息を吐いた。
そういえば前の世界でも、どうも実年齢より若く見られていた節があった。
一葉の複雑な内心などアリエラには伝わらなかったらしい。話し続ける彼女に相槌を打ちながら、一葉は観察した。
外見こそあの優しげな印象の王妃様にそっくりではあるが、中身は大分違うようだ。その透き通った碧眼は好奇心に輝き、内面のエネルギーを映し出すかのように艶のある金髪が輝いている。この部屋でのファーストコンタクトから5分ほど経つ。しかしその間にも一葉の入る隙間などほぼゼロに等しかった。
「やっぱり騎士と衛士で情報量が違うのはいただけませんね。あとで父様に進言しなければ」
「えぇとアリエラ姫」
「アリアです」
ようやく隙間を見つけて声をかけた一葉を、拗ねたような表情で見る王女。
戸惑う一葉に王女様は宣告した。
「アリアと呼ぶまでは何を聞かれても答えません!」
「アリエラ王女?」
「知りません!」
「アリエラ様?」
ぷいっとそっぽを向くアリエラ。まさかこの仕草が嫌味なく似合う人間に出会うとは、一葉は思ってもみなかった。
「あー……アリア……」
「はい?」
少しだけ扉の方へ視線を流した後、何かを諦めた一葉がアリアと呼ぶ。ふわりと微笑むアリエラに、一葉はがっくりと肩を落とした。
(こ、これで質問が出来ると思えば……無理だ、ヘコむわ……)
自分を誤魔化すことなどできなかった。女として、分かってはいたが一葉は7歳も年下であるアリエラに完敗したのだ。
気を取り直して一葉はアリエラへと質問を投げかける。
「私は何も知らないのですが、騎士と衛士とは違うのですか?」
「イ・チ・ハ?」
彼女は丁寧語も見逃さなかった。
どうか後で怒られませんように、と、ため息ひとつで覚悟を決め、一葉はアリエラを見た。
「……騎士と衛士の違い、教えてくれないかな?」
「はい、説明します」
何が嬉しいのか、非常に上機嫌でロイヤルな微笑を浮かべられる王女殿下。
(ダメだ。無理だ。勝てない)
一葉は、全てを諦めた。
「騎士は私たち王族の護衛を専門にする、近衛騎士のことです。そのため王族ひとりひとりの護衛や公務支援のほか、謁見の間など王族がかかわる空間の警備を受け持ちます。
それに対して衛士は宮廷衛士、王国衛士に分かれ、それぞれ宮廷や各土地の警備などにあたっています」
「もしかして、やっぱり近衛騎士の方が地位高い……? あぁ……だからさっき外の人たちが困って……」
「よくわかりましたね。その通りです」
ここでは兵士イコール衛士と考えて良さそうだ。そしてどこの世界でも、騎士の役割はそう変わらないらしい。だから礼節も通じたのだろう。
廊下での話を聞かれていたことには特に関心を示さず、アリエラは別のことについて関心を示した。
「私は謁見の間でのこと、すべて見ていました。イチハは魔術士なのでしょう!?」
「はぁ、まぁ……術士と言えば術士かなぁと……でもなぁ……」
首をひねる相手にも、碧の瞳は曇らない。むしろ一葉の葛藤など些かも気にしていない。
「私も自ら魔術を使う身。ですが、一葉の魔術は私の知るものとは全く違いました。一体どういう事なのでしょうか? それに術を使った時の呪文! これでも言語の教育を受けているのですが、あのような言語を私は聞いたことがありません!」
キラキラ、キラキラ。
アリエラの目は好奇心により非常に綺麗に輝いている。
しかし対する一葉は、簡単に説明できる言葉を持っていない。一葉の魔術は、魔術であって魔術ではない。
現に同じ魔力を扱う者ではあるが、一葉は前の世界の魔術を使えなかった。そして同じく、前の世界の魔術士も一葉の魔術を使えなかった。よって、これが本当に魔術と呼ばれるものなのか分からない。
(さて、どう説明したものか……)
そして他方、呪文もまた、アリエラの言う『呪文』とは異なっているだろう。
彼女は決まった呪文を唱えているわけではない。言ってみれば、すべて一葉の世界に対する『命令』や『お願い』である。本当に必要なのは『正確なイメージ』と『音』なのだから。
世界に対して明確な意思を持って干渉する『音』は、何もはっきりした言葉でなくても良い。極端な話をすれば、イメージさえしっかり構築しているならば指を鳴らしたり柏手を打つだけでも良いのだ。反面、イメージがしっかりしていなければ威力が落ちる、望んだ結果が得られないなどの難点もある。
その短所をカバーするためにも一番慣れ親しんだ日本語や英語などの『日常語』で『詠唱』することにより『イメージ』を強化・定着させ、『イメージ』に忠実な結果を作り出しているのだ。
(呪文の意味とか聞かれたら……うわぁ……)
『イメージ』を作るだけであれば、唱える呪文は何でもいい。しかし一葉は『呪文』について解説することは出来ない。そんなことをすれば羞恥で卒倒するか、地面を転がり続けるだろう。
不幸なことに、なぜか大昔の黒歴史を掘り返すような、真面目に言葉にすれば羞恥で転がりたくなるような『呪文』の方が『イメージ』を作りやすいのだ。過去に罹患した重大な病気の後遺症だろうか。
これは彼女にとっても盲点だった。流石に以前の環境で『呪文』を唱える気にはならなかったが、これからはそうも言ってはいられない。『人間』として生きていくならば、術の制御には細心の注意が必要とされるのだ。生活用の術ならばまだいい。張りつめた空間で攻撃用の『呪文』を唱える度に気力が萎える様子が、一葉には今からでも充分に想像できた。
(自分の語彙にヘコむわー。まぁ、ただ、反則的に便利だけどね)
魔力が知覚できる空間でさえあれば、間違いなくどこでも使える術である。その上その基になる一葉の魔力は、前の世界で天才とされている魔術士を100人あわせたよりも多いとか。
一葉はこの能力を『コトダマ』と呼んでいた。日本古来の、願った言葉が形になるという言霊。意志の力と魔力次第で反則的な結果を叩き出せる能力。願えば叶う『コトダマ』に不可能なことなど、数えるほどしかない。
もちろん使用する一葉が何もかもを顧みなければ、という注釈はつくが。
そしてその注釈こそが最大の弱点でもある。力を自覚した当初こそ舞い上がったものであるが、今なら言える。『コトダマ』の大部分は不必要でしかないのだ。
一葉が人間である以上、人間だからこそ攻撃呪文の威力を加減する。攻撃以外に使うならばそれ以上に加減する。ゆえに、『正直、宝の持ち腐れだ』と言いたい。
(下手に空間転移なんかして、壁の間とか他人と重なるとか、笑いごとにもならないし)
結局いろいろ考えたが、一葉は面倒くさくなった。
「あー……あれは『コトダマ』って呼んでる術で……一体どういうものなんでしょーねぇ……?」
「あ、イチハ! 逃げる気ですね! それから言葉も!!」
一葉はこの王女様に、戦慄にも似た感情を覚えた。その無表情から、何を考えているのか分からないと言われ続けてきた一葉。もちろん笑うこともあるし泣くこともある。しかしその表情の幅が他の人間よりも狭いのだ。必然的に、その微細な違いを読み取るのは至難の業となる。
たとえ内心では倒れそうな程爆笑していたとしても、彼女が無表情だと言われたことは1度や2度ではない。同じ民族にまで表情を読めないと言われ続けた一葉は、それを自分でも自覚していた。だからこそ隠し事には向いていると自負すら持っていたのだが……会って数分のアリエラに見破られたことは、彼女にとってかなりの衝撃だった。
自分の一言で一葉が衝撃を受けたことには全く気付かず、しつこく食い下がるアリエラ。彼女に動揺した一葉はペースを乱され、思わず視線を逸らしたことも自覚していなかった。それでは隠し事をしていると宣言したようなものである。
「随分と楽しそうですのぉ、アリエラ様?」
好奇心でキラキラと輝いているアリエラだったが、背後からかけられたその声に背筋を凍らせた。扉のすぐ内側に立っていたのは、白髪で柔和な顔をした初老の男性。
「い、いつから……」
「そうですのぉ、イチハ殿に『アリア』と呼ばせるよう迫っていた辺りからですかのぅ?」
「ほとんど最初からではないですか!!」
孫とじゃれつく祖父のような白髪の彼は、ゼスト=ヴァル=フォレイン侯爵。謁見の間でウィンの隣に立っていた、彼の父親である。
(うん、やっぱり似てない。全然腹黒そうじゃない。むしろ良い人そう。でもこういう人ほど怖いんだよね)
じっと見つめる一葉に不快そうな様子も見せず、ゼストは外に立つ衛士へと指示を出して椅子を用意させた。
一葉は内心で唸る。今まで勢いに押されていたとはいえ、一国の王女を立ちっぱなしにさせていたのだ。当の本人は全く気にしてはいないようだったが。
衛士たちが廊下へと戻り、アリエラとゼストが腰を落ち着ける。居心地悪く一葉が起き上がろうとすると、アリエラと同じようにゼストもまた彼女の動きをとどめるように掌を向けた。
「無理しないでそのままで結構じゃ」
「では、お言葉に甘えて。実はトレス先生にこの前も大目玉を喰らいましたから」
「そうじゃろう。彼の生家は医師の家系での、あの職業意識には頭が下がるのじゃが……意識が高すぎるのも考え物じゃ。余計に頭が上がらなくなる」
大目玉を喰らう、という日本語特有の言葉も通じたのか、特にゼストからいぶかしげな表情は窺えなかった。恐らく何かしらこちらの世界で近い言葉に変換されているのだろうと一葉はあたりをつけた。
「改めて、私はゼスト=ヴァル=フォレインという。歳は離れておるが、ウィンの父じゃ。あれは遅くにできた息子のため甘やかして育てましての、何か失礼をしていないかと心配したのじゃが……」
「いえ、ウィン様には非常に良くしていただいています。如月一葉……こちらでは、一葉=如月になりますね」
一葉も一応大人であるためウィンに感じた苛々などを隠して挨拶はしたものの、このゼストという相手にはすべて伝わっている気がしてならない。
「それから、アリエラ様が迷惑を掛けた様で申し訳ない。何分、どうしても世間知らずに育ってしまっての」
「いえ、大丈夫です」
ゼストの言葉にアリエラが頬を膨らませている。
「世間知らずとはずいぶん失礼ではありませんか、ゼスト?」
「そうは言いますがのぅ」
憤慨する王女へ向けて、ゼストは目を細めた。
「世間での常識では、体調がすぐれず臥せっている相手を見舞う場合相手の様子を確かめることから始まりますのぅ」
「それはウィンから確認を取りました!」
(取ったんだ、確認。つーかやっぱりいい立場だったんだ)
一葉の目の前でその言い合いは続く。
「それに病人かどうかなど関係なく、室内で……それも扉を開けるためだけに魔術を使うなど、室内にいる人間が驚いてしまいますのぅ。迷惑以外の何物でもありますまい?」
「ぅ……」
「相手へと色々と強要するのも目先が見えてはいない証拠じゃな」
「む……ぅ……」
「目的のために手段を選ばない。目的に集中してしまう。うむ。悪い癖じゃな」
「うぅぅぅ……」
がっくりと肩を落とすアリエラに苦笑し、ゼストは一葉へと向き直った。
「気分は優れないと思うのじゃが、もう少しだけアリエラ様に付き合ってもらえるとありがたい。こう見えて中々頑固での。このまま放置しては公務も手がつかなくなるのじゃ」
「あー……はい、大丈夫です。こっちも寝てるだけで暇でしたから」
落ち込む王女を傍目に、呆れたような笑いと苦笑が交わる。
それから一葉は改めてゼストへ目礼した。
「わざわざ文献まで調べていただいたようで、ありがとうございました」
「何、私もたくさんのことを学び直すことができて逆にいい機会じゃった。もっとも、イチハ殿の望む結果が出せれば一番喜ばしかったんですがのぅ……」
「いえ、還り方があるかもしれない状態より完全に無い方が楽ですから。本当に、ありがとうございました」
もし一縷でも希望があれば、一葉はそれに縋りつくだろう。そして手が届かないことに絶望するかもしれない。人間は希望があった方が弱くなることもあるのだ。だからこその『ありがとう』。
本心からの感謝に、ゼストはほんの僅か目を見開いてから微笑んだ。
「そう言ってもらえれば、私たちも気が楽じゃの。
ウィンのことは呼び捨てで構わんよ。本人もその方がいいと言っておったのじゃろ。ウィンからもイチハ殿はとても愉快なお嬢さんだと聞いておる。できれば私にも同じように接してもらえれば嬉しいのじゃがのぅ」
ゼストから聞いたウィンの評価に、一葉は顔が引きつる思いだった。そして目の前のゼストが持ち出した妙な『お願い』にも。
(愉快って何だ。明らかにソレ褒め言葉じゃないだろ! もう何ていうか、私に対して色々と失礼じゃないかウィン=ヴァル=フォレイン!!)
ウィンに対して毒づきつつも、一葉はゼストへ引きつった微笑を向けた。
「い、いえ……言葉遣いは、丁寧に扱ってくれる方と年上の方には礼儀をわきまえろと言うのが両親の教えなので……」
「そうじゃったか。良いご両親をお持ちじゃな。それなら残念じゃが諦めるしかなさそうじゃ。
……して、アリエラ様? 折角イチハ殿から許可が出たのじゃ。なぜ今ここにいるのかは後からお聞きしますので、今のうちに言い訳を考えておいた方がいいかもしれませんのぅ」
「はうっ……」
落ち込みから回復途中に、再び何となく顔色の悪くなったアリエラ。
そんな彼女からゼストは一葉へと視線を転じた。
「まず先にイチハ殿の用事を済ませてしまいましょうかの」
「何でしょうか?」
「アーサー王から2つほど言伝を預かっておる。まず元々着ていた服じゃが、あれは血が全く取れない上に損傷が激しかったらしくてのぅ。勝手だとは思うが、処分させてもらった。
トレス殿が絶対安静を解除してからになるが、代わりに新しい服を用意させてほしいとのことじゃ」
「あ、はい。ご丁寧にありがとうございます」
気遣われているので口には出せないが、あの服に思い入れなど1つたりとも持ち合わせていない。むしろ忘れたい思い出しか残っていないと言ってもほぼ間違いないくらいである。
正直、今着ている患者着だろう白いワンピースの方が気に入っていると言っても過言ではない。
一葉にしてみれば新しい服ラッキー、なのである。
「それから2つめ。イチハ殿が持っていた対の短剣じゃが、当分手元に返すことは出来ないということでの。失礼だとは承知じゃが、まだまだイチハ殿が危険人物ではないと明らかなる証明が出来ていないのじゃ」
「……それも、分かっています」
彼女の予想した通り。
寂しくはあるが、仕方のないことだろう。
「アーサー王からの言伝はこれだけじゃ。それと私の個人的な興味じゃが、あの短剣は術こそかかっていないものの良いものだと見受けられる。もし銘があれば教えてくれんかの?」
「……あの短剣は元々無銘でした。ですが私は私を護るものとして、双振り一緒に『狛犬』と呼んでいます。
私の生れた土地の言葉で、神の空間を守護する2匹で対の、神の僕を指します」
そう、一葉が闘うときに『狛犬』はいつもそばにいた。そして彼女を常に守ってくれた、忠実な僕。
だからこそ離れてみるとこんなにも寂しいのだろうか、と彼女は思った。
「ふむ、コマイヌか。良い銘じゃ。無事に返せるようにと願っておる」
本当に読めないのは、無表情ではなく微笑である。その笑顔に惑わされて相手は本質の感情を見失うのだ。
だがそれでもいい。銘にしても返却に関しても本心からの気持ちかどうかはわからない。しかし一葉にとって、そう言ってくれただけで今は満足である。
「これでイチハ殿への用事は終いじゃ」
ゼストはその微笑みを一層深め、今度はアリエラへとその薄氷の視線を移した。
「……さて、今度はアリエラ様の番じゃな?」
忘れていてほしいというアリエラの希望とは裏腹に、ゼストはとてもにこやかな表情をアリエラへと向ける。
一葉は心で合掌した。彼女にとって希望とは打ち砕かれるのが常なのだ。
「今はお勉強の時間ではなかったかの。私と、アリエラ様とのじゃ。それが何故ここにいらっしゃるのですかのぅ? しかも、どうやら衛士たちに無理を言った挙句に屋内で術まで使ったとの話も聞いておるが」
「うぅっ……」
やったことが全て筒抜けという事実に、バツが悪そうな表情で首をすくめるアリエラ。しかし上目づかいでゼストを伺いつつ、彼女はボソボソと口を開いた。
「そ、それならばゼストこそ、今ここにいるではないですか……」
アリエラの意外な反骨精神に一葉は目を見張る。
だがそれも、返すゼストの言葉で一気に萎んでしまうのだが。
「それはアリエラ様がいらっしゃらないので、暇であればとアーサー王からお仕事を頼まれたからじゃ。このお仕事ができたのもアリエラ様のお蔭、ということになりますかの」
「ぅ……っ」
反撃もつかの間に一撃で封じ込められてしまう。肩を落とすアリエラにゼストは目を細めつつ苦笑した。
「まずはイチハ殿に何か言うことがあるのではないかのぅ」
「ぁ……イチハ、迷惑をかけました」
「ん、大丈夫」
深々と頭を下げるアリエラに、一葉は首を振って許す。それを見たゼストは目を細め微笑んだ。
「大方、イチハ殿が気になって仕方なかったんじゃろ。よろしい。今ここで、イチハ殿に魔術について簡単に説明してくだされ。それができたら今日のところは見逃しましょうかのぅ」
「それなら任せてください!」
顔を紅潮させて気合いの入ったアリエラ。気合いの原因は、上手く説明できればゼストの小言から解放され、かつ一葉にいい所を見せられると思ったからである。
アリエラは生まれた時から王女である。そして周囲にいる人間も彼女を王女として扱う。自分の両親の職業を理解しているため自分の環境について不満などないが、対等に話せる人がほしいと思うのも無理からぬことだった。
一葉は異世界から来たひと。この世界の理を無視できるひと。もしかしたら自分が望んでいた関係になれるかもしれないと思うと、自然とアリエラには力が入るのだった。