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流界の魔女  作者: blazeblue
歪な真珠
36/61

第31話 いたみの雨 よろこびの空




 ――貴女がた……そのままでは力に振り回されて命を落としますよ



 灰の髪の女性にそう言われ、彼女たちは反抗するように鍛錬を積み続けた。



 ――近衛騎士にならないか? お前たちならお互いを補える。良い騎士になれるだろう



 鍛錬は彼女たちを裏切ることなど無く、周囲には彼女たちと互角な者などいなくなっていた。

 そんな時に大柄な大剣使いに誘われて、努力が報われたような気がして嬉しかった。



 ――イリアの……我が妻の、騎士となってはくれぬか?



 任務に対する真摯な態度を見ていた『彼』は、彼女たちを執務室へ呼び出して頭を下げた。

 命令されれば拒否権など持たない彼女たちへ、国内で並び立つ者の無い権力者は彼がもっとも大切にしている人を委ねてくれた。



 ――アレナ、エル。あなたたちは、わたくしと共に、この美しい国を護っているのですよ。胸をお張りなさい



 ただただ努力を続けた彼女たちを、剣を握ることしか知らないと俯く彼女たちをその優しい人は認めてくれた。そして自らが誇る大地を、彼方の山々を、城下の喧騒を、そこに住まう人々の生活を、城の上という視点から折に触れて見せてくれた。



 愛する両親を護るように、その優しい笑顔を護りたかった。

 認めてくれた人たちに、きちんと恩返しをしたかった。

 いつだって搾取されていた側から、いつでも護る側に立ちたかった。



 ――でも、搾取される人間は一生そのまま変わらないんだと思い知ったの



 最初は、双子というだけで彼女たちを弾き出した親戚たちが。

 次に、血を流して日々を生きる彼女たちを『野蛮だ』と白い目で見ていた隣人が。

 最後には、平民たちから自分の贅沢を搾り取ることしか考えていない領主が。



 彼女たちがあの人の傍にいるからこそ利用される。

 与えられたものは数多あれども、返せたものは剣を向けたことだけであったのか。



 ――私たちは、何?

 ――私たちは、誰?



 問えば問うだけ、思考は闇へ消えていく。



 ――もう、いいや








「ご指名を受けた限りは……出来る限りを尽くしましょう」



 言いながら『狛犬』を構えた一葉。小柄な後輩へと微かに笑んだアレネアは、直後の一呼吸を以て放つ空気をガラリと変えた。そこには先ほどまでの気安さや甘さは無い。

 アレネアに対する一葉は何も気負わず、凪いだ水面のような静かな空気のままである。その内面に沈む葛藤を外から量ることは出来なかった。



「望むところよ」



 いつかの手合せのように見つめ合い、いつかの手合せのように一葉がアレネアへと走り寄った。粗筋が決まっているのはここまで。下手な手を打てば間違いなく命で贖うことになるだろう。紙1枚分の読み違えですら大惨事になることは確実である。



(アレナさん……)



 あの朝からどれ程の時間が過ぎたのだろうか。それとも、どれ程も経ってはいないのだろうか。一葉はふと過ったそんな疑問をすぐさま掻き消した。今は余所事を考えられる余裕などありはしない。



 アレネアの剣に合わせて一葉は避け、一葉の『狛犬』を絡めてアレネアは防御をする。離れてはまたぶつかり、剣を合わせたかと思えば同じように脚が襲い掛かってくる。

 貴族が学ぶ綺麗な剣ではない。拳も足も出る粗野な戦闘は、それだけに双方の本気の度合いをこれ以上なく表していた。



(流石に強い……っ!)



 合わさり、離れ、また噛み合う。幾度も繰り返し行われる『それ』は、まるで歯車に支配されたような精密さで、まるで舞踏のように優雅な光景だった。



 いつかの手合せと決定的に違うのは、お互いに命を懸けた本気であると言うこと。その剣さばきの速さと激しさは手合せの比ではなく、今回ばかりは一葉も防御が追い付いていなかった。



「く……ぅ」

「手加減されるなんて、私も甘く見られたものね……!」



 一葉が待ち望む声は聞こえない。聞こえたところでこの舞踏を止められないとは分かっていたが、それでもただ待ち続けていた。



「手加減、なんかっ!」



 剣を弾いたタイミングで言葉を返せば、上をゆく余裕を以てアレネアが腕を伸ばす。



「なら、なぜ! 『コトダマ』を使わないの……!」

「個人的な、信条、です……っ!」



 防御が僅かでも甘ければ一葉の身体へと容赦なく剣が届く。『コトダマ』という片翼を自ら封じた一葉など、アレネアにとっては隙だらけにも等しかった。

 とは言えアレネアにしても易々と追撃することは出来ない。剣の技術自体はアレネアの方が格段に上ではあるが、一葉の攻撃も確かにアレネアへ届いているのだ。彼女自身と同じように実戦で鍛えられた一葉の剣は、どこから攻撃が来るかを読み切れない。それだけに警戒を余儀なくされていた。



「痛っ!」



 またひとつ一葉が傷を負い。



「ふ……っ!」



 アレネアの攻撃がタイミングを外され、再び2人は距離を取る。



 会議室に響くのは剣の音と2人のやりとりのみ。この場にいる貴族たちは普段見ることがない『舞』の前で固唾を呑み、無意識に音を立てないようにしていた。





 ――しかし、



 ――生まれた赤子にいずれ等しく死が訪れるように、



 ――この舞にも、やがて終わりが訪れる





「ぁ……」



 一葉の呼吸が乱れ、乱れた呼吸に体の動きが連動した。疲労と痛みで次第に体の動きが鈍くなり、それが決定的な隙を生み出してしまう。



 『狛犬』を弾かれた両手が泳ぎ、アレネアの前で無防備に腕を広げる一葉がいた。



「そこよ!」

「……っ!」



 そしてその隙をアレネアが見逃すことは無い。くるりくるりと回り続けたアレネアは刹那の隙に、体の影で隠した剣を一葉へ振るった。



(ヤバっ)



 死角からの攻撃に思わず魔力を練りかけた一葉だが。



「ダメ……!」



 それを無理矢理に抑え込む。



「間に合え――」

「ふ……っ」



 アレネアが剣を突出し、一葉は避けるかのように体を捩り。



 すべての動きが収束した。

 アレネアの胸に一葉が飛び込んだようなその体勢で。



 アレネアの視界へアイリアナの碧の目が映り込み、誰よりも優しい主へアレナは微笑みを浮かべる。



 ――ありがとうございます



 2人の騎士が体を合わせたまま、動きを止めた。



「悪い、わね」

「っぐ……」



 アレネアの呟きと同時にくぐもった悲鳴が上がる。

 石造りの白い床にぱたり、ぱたりと紅い華が咲く。



「イチハ……っ!」

「アリエラ様」



 アリエラは思わず立ち上がったものの、背後の騎士たちの声に奥歯をギリリと噛みしめてその場に留まった。



「馬鹿なことを……」



 果たしてそれは誰の呟きだったのか。円形会議室中の視線の先で、小柄な騎士が左の脇腹から銀の刃を生やしていた。





 ――水滴の落ちる音が止まらない。





 彼女たちの足元には次々に紅い点が増え、やがて大きな紅い海となった。



「はは……っ。ホントに、やってくれるわ……」



 凍りついた空気の中心で、彼女たちだけが全てを正しく把握している。



「……私の勝ち、ですね」

「そうね」



 穏やかな微笑みを浮かべた薄茶色の髪の女性騎士――アレネアが血を吐き出した。



「きみの、勝ちよ……」



 アレネアの膝から力が抜けて崩れ落ちる。腹部を正面から貫いた『狛犬』が抜け、彼女は血の海へ沈んだ。



「つぅ……」



 一葉もまた腹に刺さった剣を抜き、それを自らの後方へ投げ捨てた。脇腹を押さえている手だけでなく、体中についた様々な傷により血に塗れている一葉の名を、下から弱々しい声が呼ぶ。



「い……イチハ、ちゃん」



 血を見たことで混沌に落とされた円形会議室の中、アレネアは苦労をしながら唇の端を釣り上げた。一葉は脇腹を押さえながら彼女の蒼白な顔を覗き込む。



「け……きょく、こと……だま……使わせ、られな……った……わ……」

「そうですよ、使ってませんよ!」

「くやし……な」



 ゲンツァからアイリアナと一葉へ風での伝令があった。双子の両親が囚われている居場所を見つけたと。しかしその檻の封印を解くには、娘たちのうちどちらかの魔力を致死量、捧げなくてはならなかった。

 封印を解いた後に生き残る確率は1割を切る。



 つまりは魔術を使えない彼女たちにとって魔力を自ら動かすことは出来ず、命を捧げなくては両親を救うことが出来ないよう仕組まれていたのだ。それは最初から誰か1人を切り捨てるというシステムでしかなかった。



 ――ずっと迷っていた。



 アーサー王に話を聞いてから、『コトダマ』を使うかどうか。全力で闘うべきか否かを。



「焦った……かお、は……やく……く……ぉり……」



 そして一葉は決断を下した。

 己が決めた『信条』に従って剣を握った。



「……死んで終わりなんて、許しません。だから私は、心残りを作ったんです」

「ふふ……そ……が、信条……?」

「そうですよ!」



 死なせない。そう思って、一葉は手をかざす。



「ん……でも、いいわ……」



 魔術を使おうとする一葉を震える手でそっと押し留め、アレネアは微笑んだ。



「エル……」

「はい、姉さん」



 妹の声を聞き、満足そうな表情を浮かべたアレネアは右手を左胸の上へと置く。



「アーサー王……あとは、おねがい……ぁす……」

「任せておけ」



 次第に力を失う声に、アーサー王はしっかりと頷いて言葉を返す。その声を確認した途端、アレネアの意識は深い闇へと抱かれ沈んでいった。



「終わらせません」



 ポツリと低い声で誰かが呟く。普段微笑んでいる表情を厳しく引き締め、恐ろしいほどの無表情でアレネアへと駆け寄った人物がいた。



「こんな場所で、こんな形で終わっていいと、貴女は本当に思っているのですか!」



 アレネアの傍らで膝を着いたノーラはすぐさま両手に光を纏う。



「止血をします! キサラギさんもすぐに」

「私は自分で何とかしますから……ノーラさんは、アレナさんをお願いします」



 医療魔術の使い手でありその実力を信頼できる人間は、王家と貴族と騎士以外が締め出されているこの場ではノーラと一葉のみである。ノーラの弟であるディチ家の当主も居合わせているが、彼は今自由な行動を許されてはいない。



 意識はあるものの重傷には違いない一葉は、しかし治療を拒んだ。自らの手で軽く傷を塞いだだけでレイラの傍へと向かう。



 ――未だ、事件は終わってなどいないのだから。報告は未だ訪れず、ゲオルグ伯爵は未だそこにいる。



 しかし、憎い相手であっても今はまだ無理矢理に抑えつけることは出来ない。



「っち……役立たずが! 道具の分際で満足な働きも出来ないとはな……!」

「姉さんを、そんな風に言うのはやめてください」



 吐き捨てるように言ったゲオルグ伯爵へエリシアが射殺すような視線を向ける。



「姉さんは、私たちは……道具ではない!」

「何だ、その目は。気に入らんなぁ!」



 いち早く自分を取り戻したゲオルグ伯爵は顔の前で右手を握る。その甲に何かの紋様が浮かび上がった。

 じわりとその黒が蠢き、浮き上がり、伸びた黒の線が幾筋もエリシアへ纏わりつく。



「くぅっ……」

「ぅあ……っ」



 蠢く黒の線に触れた途端エリシアが体を抱えてうずくまった。細かく震える体からギシリと骨が軋む音がする。小さなうめき声に目を向ければ気絶したままのアレネアにも黒の線が纏わりつき、苦悶の表情を浮かべていた。



(悔しい……まだ、手を出せないなんて……!)



 一葉が奥歯を噛みしめ、レイラもまた剣を握る手が震えている。これがゲオルグ伯爵を制圧出来ない理由でもあった。身体を拘束したところで魔力は断ち切れず、魔力を断ち切ればどのような影響が及ぶかも分からない。下手に手を出すことが躊躇われていた。

 その隙間で、さらなる苦痛が双子へ襲い掛かる。



「ぅわ……」



 何者かが圧迫しているかのように、彼女たちの身体が内側へ向けて歪んだ。一葉もレイラも、その場の全員がその悍ましさに顔を歪め、または顔をそむける。



 しかしただ1人、エリシアだけは戦う意志を手放してはいない。



「この……呪いも、役に立つことは……あるわ、ね……」



 軋む体をものともせず、エリシアは時間をかけて立ち上がった。

 その顔には壮絶とも言える笑顔が浮かんでいる。



「黒い瞳の、私でも……片割れの、姉さんの魔力が、見えたわ……」

「この……生意気な!」

「ぐぅぅっ……!」



 悲鳴が口から出ることすら止められ、喉の奥で呻き声と変わる。それでもエリシアは震えながらしっかりと立っていた。

 小さく唇が動く。



 ――のろいが、よわまった……



 その唇に笑みが乗った。



「分け、合って、生まれたんだから……」



 対するゲオルグ伯爵は必死の形相で右手を握りこんでいる。その激しい震えが制御の限界を示していた。

 支配対象に逆らわれた怒りで、今の彼にはエリシアを打ち負かすことしか見えていないのであろう。



「姉さん、だけに……背負わせたりはしない……!」



 固唾を呑む観衆の中、彼女は剣を逆手に持ち変える。そして苦労して振り返り、主へと頭を下げた。



「アイリアナ様、申し訳……ありません」

「……必ず戻りなさい」



 何もかもを許すようなアイリアナの微笑みを受け、立ち上がったエリシアは――





 ――自らの腹へ剣を突き立てた。





「い……っ」



 うめき声と共に剣を抜き、そのままエリシアは床へ倒れ込む。その直後に双子の身体から黒い靄が浮かび上がり、すぐに空気へ溶けて消え去った。



(10秒? 20秒? それとももっと? いつ封印が解ける……!?)



 じりじりと焦る一葉の耳へゲオルグ伯爵の焦った声が届く。怖れていた時間が始まった。



「何っ!? これは……が、あぁぁぁっ!」



 そのただならぬ声に視線を移せば、先ほどまで双子に纏わりついていた黒の紋様が彼の右手へと戻り、その周囲の皮膚を黒く爛れさせているところであった。



「ぐぁぁぁぁぁぁっ!! 手が、俺の手がぁぁぁぁっ!!」



 世も身も無くのた打ち回る。その目からは涙がこぼれ、額には脂汗が滲んでいる。他人へ苦痛を与えることは大好きだが、自分に与えられる苦痛には我慢が利かないという無様な様子をゲオルグ伯爵は見せつけていた。



「いけません、このままでは……ゲオルグ卿の命が! イチハ!」



 ウィンの指示を耳にした一葉は深く考える前に自らの内にある魔力を掴む。そしてそれを、追い付いた思考が制止する。



(落ち着け、落ち着け、私! どうする……生命維持? 回復? 術の効果だとしたら回復術って効くの!? どうにか持たせろって、難しいことを言ってくれる……!)



 ゲオルグ伯爵の手に浮かんでいるのは召喚術に似た術式の、複雑な効果を持つものである。

 双子の両親を閉じ込めている檻を封印し、その鍵を双子の魔力だけと指定した悪意の証。人質を助けるために自らを傷つけないよう、双子の行動を制限する呪い。そして、彼女たちを痛みで服従させるための紋様。

 そのすべての効果がひとつの紋様により制御されているのだ。当然、払うべき代償もまた大きい。



(解除するか!? でも、まだ檻の封印が解けたか分からないし……どうしたらいい……?)



 無事に解呪するには主たるゲオルグ伯爵の命があるうちに檻の封印を解き、その後で術全体を無効化しなくてはならない。しかし檻の封印へ魔力を注がれた瞬間から主の持つ紋様がその皮膚を壊死させ、その命を少しずつ喰らっていく。

 主と檻が離れていては、いつ檻の封印が解かれたのかを知る術は限られるのだ。



 全ての呪いを無効化させるには『檻を解放した後』に、呪われた際の2倍の魔力をぶつける必要がある。しかし普通であれば呪いの対象となった人間にそのような魔力など残ってはいないだろう。



(人を呪わば穴2つ、か)



 順番を間違えれば、協力者がいなければ、またはゲオルグ伯爵の命が尽きれば永遠に呪いに囚われるという、まさに人の手によるものとは思えない程の悪意を含んだ術であった。



 ――ジェメル家のご夫妻は無事に保護いたしました



 一葉の耳元でゲンツァの声が響く。騒々しい会議室内では、ゲンツァの位置では大声を張り上げたところで聞き取れなかったかもしれない。口頭で伝えるよりも確実な方法を選んでくれたことを彼女は感謝し、口角を引き上げた。



 ――ありがとうございます



 限られた『情報を知る術』が、良い結果をくれた。

 集中のために『狛犬』を構え、一葉はその先をゲオルグ伯爵へ向ける。息を僅かに吐き出したところで横合いから鋭い声がかかった。



「イチハ!」



 一葉が横目を向ければ、アイリアナの右手には腕輪に付いていたはずの碧玉が握られている。周囲に銀色が落ちていることから無理矢理引きちぎったことが窺えた。



 僅かに迷ったのち、魔力を手放して頷いた一葉。彼女へ目礼をしたアイリアナはゲオルグ伯爵へ歩み寄る。



「な、何を……」

「よくも、わたくしの騎士たちに勝手をしてくださいましたね?」



 脂汗を流して腕を抱え込むゲオルグ伯へアイリアナは優しげに語りかける。



「目が覚めた頃には反省するに相応しい場所へ移されていることでしょう。命があればその時に感謝をしてくださいな。……もっとも、イチハが言ったように死んで簡単に終わらせるような楽などさせませんけれど」

「たす、助けてくれ!」

「わたくしは、皆が言うほど優しくなど無いのですよ」



 藁をも掴む様子で手を伸ばすゲオルグ伯爵に、アイリアナ王妃は一層優雅に微笑み。



 風をその顔に叩き込み、体ごと吹き飛ばした。



「わたくしに触れるな下郎! その身で自らの為した罪を知るがいい!」



 その唇から放たれた激しい言葉を最後に、ゲオルグ伯爵の意識は魔力の渦へと呑み込まれた。



 結果的に、呪いを解除したため彼は命を落とさなかった。しかしこの先、ここで死んだ方がマシだと言う目に遭うことは既に確定している。



(そんなこと、どうでもいいけどね)



 居心地の良さも悪さも荒い流し、後に残るのは会議室中を荒れ狂う魔力の渦のみである。既に周囲の貴族たちが魔力に酔い始めていた。



『凪の海っ!』



 魔力が暴力的な力を持つ前に、一葉は『コトダマ』を使い速やかにそれを収める。



「これは……さすが、イチハの術です。中々、キツいものがありますね」



 一葉から託された術を故意に暴走させたアイリアナは、影響を受けて同じように荒れ狂う自らの魔力をいなして軽く息を吐いた。双子にかけられた呪いの原理を聞いていた彼女は、緊急用の攻撃術として用意された膨大な魔力を使うことで、それを無効化させたのだった。



 倒れ伏した仇から愛する騎士へと視線を転じたアイリアナ。彼女は今までの毅然とした表情をサッと蒼くした。先ほどまでよりも広がった血液に反比例するかのように、双子の顔色はどちらも土気色になっている。



「エル……アレナ……!」



 細かく震えるアイリアナを傍らに降りてきたアーサー王が支える。同時に、アレネアの傷をようやく塞ぎ終えたノーラが今度はエリシアへ駆け寄った。



「……傷ついた範囲と血の量が酷いですね」



 応急処置を施すノーラの報告を聞き、彼らを護衛するコンラットは周囲の騎士たちへ矢継ぎ早に指示を出す。



「医療部を呼べ! ここで手術が出来る程の術者だ! それから近衛騎士はゲオルグ伯爵を地下牢へ」

「これは危険手当程度では間に合わんかもしれんな」



 大きくも小さくも無いアーサー王の言葉に、周囲で聞くともなしに聞いていた者たちの双子を見る目が変化した。王が言外に込めた『特殊任務による反逆の演技』という理由を理解したのだ。



 ――最悪の場合、双子を裁かなくてはならん。腕のいい騎士を失うことは痛手だからな。何とか手を打たねばならぬ



 作戦を説明されたときに、困ったように笑いながら言ったアーサー王の言葉を一葉は思い出した。そういった小さなフォローがあるからこそ本気で抵抗しきれないということを、既に一葉は理解していた。



(日和見的な空気は気に入らないけど……。まぁこれで、ある程度は解決した、かな)



 ようやく一息ついた一葉が座り込むと、レイラが心配そうに背を支えた。そこへオルトたちに護られたアリエラが走り寄ってくる。

 会議室にはようやく医療魔術士たちと衛士たちが入室してきていた。



「い、イチハ! 早く手当を……」

「かなり出血していましたし、横になっていた方がよろしいのではありませんか?」



 心配そうな表情を浮かべているのは2人だけではなく、少し離れて立つオルトやリューギィも同じであった。

 心配げなアリエラの頭を撫でようとして血に濡れた手により諦めた彼女は、レイラへと苦笑を向けた。



「派手な見た目だったけど……すぐに術で治したから問題ありません。ちょっと血まみれなのと貧血ぎみっていうだけですよ。ご心配をおかけしました」

「しかし!」



 なおも何事かを言い募るレイラ。困り果てた一葉へ、先ほどまで双子を診察していたトレスが近づいてきた。



「あ、トレス先生」

「姉上から聞きました。アレネアさんたちの次に早く診てくれということでしたが……また無茶をしましたね? とりあえず診せてください」

「すみません、お願いします」



 困ったように笑うトレスへ小さく謝りながら、一葉は床へ座り診察を受ける。その背後ではアリエラたちが立ったままハラハラと見守っていた。



「これは……」



 同じく座り込み一葉の脇腹へ手を当てていたトレスは、目を見開いたかと思えばすぐに表情を戻す。暫くの後に魔術の光を消して清潔な布を一葉へと手渡した。



「これは……えぇ、問題ない、でしょう。脇腹を貫通したと聞きましたが……痕も残さないとは、素晴らしい魔術の才をお持ちですね」

「ありがとうございます。……やっぱり姉弟ですね。その褒め言葉ってノーラさんにも言われたことがありますよ」



 どこか呆れたように笑うトレスへ、血を拭いながら一葉もまた冗談めかして返した。



「いえいえ、僕たちにしてみたら本当に驚くべきことですから」

「トレス先生と違って怪我を無理矢理に治すしかできませんけどね。……よっ、と」



 トレスの診察を受けたことでいくらか安心したためか、立ち上がってもアリエラやレイラがうるさく言うことは無かった。一葉に合わせてトレスもまた立ち上がる。



「さて、僕はこれで。イチハさんたちの気に中てられて貧血を起こした貴族の方々が続出していまして。医務室が大盛況ですが、まだまだ病人を任せるには不安がる子たちがいますから」

「先生、指導医だったんですね」

「はい。皆、その内僕よりも優秀な医師になると思います」



 感心したような一葉へトレスはどこか誇らしげな表情を向けた。



「それではアリエラ様、失礼いたします」

「あ、先生!」



 トレスの背中へ一葉が慌てて声をかける。振り向いたトレスが見たのは、どこか思い詰めたような表情の一葉とレイラだった。



「アレナさんたちは……」

「分りません」



 穏やかな造作の顔を引き締め、トレスは硬い声を出した。



「僕はお2人の担当ではないので、何とも言えませんが……血が多く流れています。体温も下がっていましたし、状況が状況ですので体内魔力もほぼ空。魔力の回復が生命維持に追いつかなければかなり危険です。

 ……治療にあたるのは医療部の長です。出来る限り最高の医療を提供することしか僕たちには出来ませんから」



 それでは、と頭を下げるトレスを見送ったところで、今度はウィンが歩み寄ってきた。



「お疲れ様でした。傷の具合はどうですか?」

「トレス先生は問題ないって」



 心なしかホッとしたような表情を浮かべ、ウィンは微笑んでいる。



「貴女がたにも伝えておきましょう。双子の両親ですが、無事に保護されました。満足に食事を与えられていなかったらしく消耗が激しかったため、現在はディチ家で診察を受けていますよ。間に合ってよかったです」

「ホントにね……」



 2人が無事に目を覚ましても、護りたいと思っていた両親がいなければ意味など無いだろう。一葉たちは双子の両親の無事を聞いたことで僅かに体の力が抜けた。

 レイラも普段の表情を崩して微笑み、アリエラは涙ぐんでいる。



「それから、ゲオルグ卿も無事です。まぁ……こちらはどうでもいい事でしょうけれど」

「うーん……まぁ、ね。でも、これからの事を思うとかなりいい気味だと思う」

「あれほどの事を仕出かしてくださいましたから、それは仕方のないことですね。私としても、これからの尋問に際して頑張れと思うばかりですが」



 肩を竦めるウィン。淡々とした会話の中で、一葉は微かな違和感を覚えた。



(あれ、ウィンが笑ってない)



 いつでも笑みを浮かべているウィンだが、今の彼は無表情であったのだ。なまじ整った顔をしているために妙な迫力が生まれていた。



(聞くのも怖いけど聞かないのも気になる)



 レイラに目礼し、少し離れた位置に移動した一葉は、呼び寄せたウィンへ潜めた声で問いかける。



「あの、ウィン……もしかして何か怒ってる?」

「は? 何のことでしょうか」

「いや……真顔だから」



 問われた本人は顔に手を当て、あぁ、と頷いた。



「そうですね。そうかもしれません」

「理由を聞いても?」



 恐る恐る尋ねる義妹へ、義兄はいつものような笑顔を浮かべて首を振った。



「いえ、個人的な理由ですから気にしないでください。それよりも貴女、サーシャに叱られないよう言い訳を用意しておいた方がよろしいのではないですか?」



 何か誤魔化されたような気もしたが、追求しても答えが得られそうもないため一葉はその流れに乗ることにした。



「やっぱ叱られるかなぁ」

「理由が理由ですし、私はサーシャに仕えられた経験がありませんからね。予想はできません」

「ぅー……仕方ないか」



 僅かに落ち込んだ素振りを見せた後、一葉はカラリとした笑顔をウィンへ向ける。



「引き留めちゃったね。さぁ、怪我をした義妹の代わりに仕事してらっさい」

「貴女……ここ数日まともに寝ていない人間をさらに働かせようとしますか」



 ため息を吐いたウィンはアリエラやレイラへ一礼をし、忙しそうにアーサー王の元へと戻っていった。

 一葉が近づくと今度はアリエラが、安堵から大きく息を吐き出していた。



「何とか終わって良かったです。後はアレナたちが無事に目を覚ませば良いのですが……」

「そうだね」



 アーサー王が言った通り、今回の概要をアリエラは事前に聞かされていた。成長し始めている彼女へ父王は国の暗部を見せ、その上で自らの騎士に対する決定権を委ねたのだ。



 その上でアリエラは2人の騎士たちを送り出した。



「アリア、ありがとう」

「ありがとうございます、アリエラ様」



 小声で言われた礼。アリエラがその方向を向く前に騎士たちは別の方向へ向き直っている。後には何も言わず、室内で進む救護作業と貴族たちの退出風景を見ていた。








 事態があらかた落ち着き、室内が閑散としてきたころ。



「アリエラ様」

「イチハ、ルーナ。お前たちも万全ではないだろう。一応下がれ」

「あ、はい」



 オルトとリューギィの指示により扉側から室内の奥へと下がり、彼らが代わるように扉側へと歩み出る。



「一体何が……」



 アリエラの疑問の声と同時に大きな音を立てて会議室の扉が開かれ、何者かが室内へと飛び込んできた。



「何事か!」

「大変失礼いたしますっ!」



 飛び込んできたのは衛士であり、普段は円形会議室への入室を許されていない人間であった。しかしそのただならぬ雰囲気に咎める声は上がらない。

 少し離れて見ていた一葉は言い知れぬ予感に背筋を震わせた。



「も、申し上げます……グランツ皇国より、宣戦布告です! 既にレインドルク領とフォレイン領の近くまで進軍していると……!」

「何!?」



 その場に広まるざわめき。

 2つの領とグランツ皇国の間には複数の領地があるが、それらを治めている人物たちは本日の議会を軒並み欠席していた。その中にはゲオルグ伯爵に指示を出していたと思われる人物も含まれている。



「ふむ……あまりに予想通り過ぎて逆に疑わしいが」



 余りにも流れの分りやすい侵略行為がアーサー王にとっては疑わしい。そんな彼とは逆に、獰猛な雰囲気を浮かべている者たちが両脇に立っていた。



「いきなり最大の魚がかかったか」

「さぁて、フォレイン領もうかうかしておれませんな」



 ストレイは好戦的に微笑み、ゼストはアーサー王へと頭を下げた。



「すぐにレインドルク領に戻って一戦かましてくる。坊主はここで報告を待っていろ」

「我が家を守らねばなりますまい。ヴァル家とその一門も人数を選び、暫くお暇をいただきます。招いておらん客にはすぐにお帰りいただこうかのぅ」

「うむ、任せたぞ」



 若いころは自ら戦場に立っていたという2人の男性。彼らは王の傍に控えているゲンツァへ目礼をすると、意気揚々と会議室を後にした。



(あらま、メンドくさいことになりそう)



 一連の様子を眺めていた一葉のもとへウィンが再び歩み寄ってくる。



「イチハ、私たちもフォレイン領へ向かいますよ」

「えー……絶対?」

「絶対です」



 どこか渋るような一葉だが、断固とした態度のウィンに諦めたように肩を落とす。



「はーい……」

「これから4刻後に出発です。サーシャと共に準備をしてください」



 言いたいことだけ言い終えて会議室を出るウィン。一葉は肩を落としたまま呆れたように呟いた。



「これでも怪我人なんだけどな……」



 そして頭を緩く振ると、傍にいるレイラたちへ苦笑いを向ける。



「そういうことらしいので、レイラさん。後は頼みました。オルトさんとリューギィさんも宜しくお願いします」

「はい、くれぐれもお気をつけて」

「怪我を増やさんようにな」

「こっちの事は気にするな」



 仲間たちの激励を受けた一葉はアリエラへと視線を移した。



「行ってきます」

「はい……ご無事で」



 アリエラの驚くほど強い瞳を受け、一葉はまるで全ての心配を吹き飛ばすように笑う。アリエラもまた心配などしていないと言うかのように微笑んだ。



 この4刻の後、王都から多数の馬車が門を出ていった。




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