第30話 囚われたココロ
「昨日のこと、進展有りました?」
「最初のお客様は適当に処置をし、城外に転がしておきました。今日か明日中には結果が出る筈です」
どこかボンヤリとした頭を誤魔化しながら一葉はカップに目を落とす。一葉の手の中にあるのは紅茶に良く似た液体であり、花のような香りが楽しめた。
その動きは普段とは比べるべくも無く鈍い。襲撃のお蔭で睡眠不足であることも多少は影響しているが、元々が低血圧であるために結局は毎朝同じである。
余談ではあるがこの状態の一葉は手加減が利かないため、仕返しをやり過ぎてしまう傾向がある。さらにはサーシャの存在もあり、襲撃側にしてみれば効果が無に近いためにいつしか一番安全な時間帯となっていた。
「んっと……2番目の人は?」
「あの方も適当に処置し、その辺りに転がしておきました。今頃は回収されていることでしょう。あのご様子では今夜から監視の目も普段通りの状態へ戻るはずです」
「そうですか。それは安心……していいのかな」
自らの言葉へ一葉は苦笑する。信用はしているのだが侍女の仕事へ一抹の不安を覚えた彼女は、不安があるだけに直接問いただすことを躊躇った。
内心を誤魔化すように頭を振る。その行動で意識にかかっていた眠気を払った彼女は、幾分しっかりとした足取りで壁際に置かれている温度計へと歩み寄る。
「そしたら今日からはまた結界を張って寝れますね。術、かけ直しておきます」
「はい、お願いいたします」
ゼストにねだった温度計は銀細工が施されており、結界を張るための核として最適な触媒であった。部屋をぐるりと見回し結界に綻びのないことを確認した一葉は、どことなく満足気な表情を浮かべている。
「……サーシャさんって、あんまり嫌がりませんよね。こういうの」
「術の事ですか。むしろ有難く思っておりますよ」
「でも普通ならアレですよね。護衛対象が結界みたいな術を使うのって歓迎されないっていうか。護衛である自分の力を疑うのか! って、あんまりいい顔されない気がするんですけど」
「それは護衛として二流の者でしょうね」
「二流……?」
何の気負いもない侍女の声に一葉は面食らった。サーシャは柔らかく微笑む。
「護衛の仕事は、護衛をする対象をどれだけ無傷で守れたかで評価をされます。一流の護衛であれば目的のためには手段を選びません。一流と超一流の違いは、さらに護衛対象に不自由を感じさせるかどうかが問われますが」
「なるほど。確かに、手段に拘って護衛対象が怪我してたら意味無いですもんね」
チラリと時計を確認したサーシャは、感心したように頷いている一葉へ微笑みを向けた。
「はい。……さぁ、そろそろお時間です」
「はぁい」
一葉の身支度を手伝うサーシャは、防具などを渡しながら受け取っていた連絡を伝える。
「本日、業務時間後にアーサー王の執務室へ上がるようにとの指示を承っております」
「分りました。昨日の事ですかねぇ……。さて、今日も行ってきます」
ザッと一葉の全身を確認し、サーシャは微笑んで頭を下げた。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
紅の節黒の月29日。サーシャから呼び出しの伝言を聞いていた一葉はアリエラの警護を終えた後、アーサー王の執務室を訪れていた。高い音の6刻と少しを回った執務室には既に明かりが焚かれているが、僅かに夕日が入り明かりの光が邪魔をされることで、むしろ薄暗い状態である。室内には王と宰相、騎士団長がおり、先に何事かを報告していたらしいゼストも退出しないまま同席していた。
「昨夜はよくやってくれたな。まずは礼を言う」
「いえ。それで……」
恐る恐る切り出した一葉の心配を、アーサー王は笑いながら否定した。
「お前の侍女はさすがデリラ家の娘だな。文句の付けどころなど無い腕であった。偶然城から逃げ出せて何とか町へ辿りついたと、あの様子ならば逃げた本人すらも騙しおおせただろう。実行犯と接触した相手が向かった先も映像として残すことができた」
映像を記録するのは光の術、音声を記録するのは風の術。さらにその情報を火の術で物質へ焼き付けることで、証拠として通用する情報を収集したのだ。
運用と解析を任されていたゼストが普段通りの表情を浮かべているため、映像の保存も上手くいったということが分かる。
(ゼストさん、ちゃんと寝てるのかなぁ)
多忙を極めているはずではあるが疲れた様子が見られない養父を、感心半分呆れ半分で一葉は眺めた。
「こちらの当座の目標は達成できた。サーシャ=デリラへも後で伝えておいてほしい」
「はい。そう言ってもらえるとサ……侍女も、喜ぶと思います」
「ゼストからもデリラ家へ礼を伝えておいてくれ」
「承りました」
一葉とゼストはアーサー王へ向けて頭を下げる。
「ホント、良かった……」
一葉はボソリと溜め息に呟きを混ぜた。それは空気に溶ける程の音量でしかないが、その中には様々な感情が込められている。今日一日彼女へ付きまとっていた細やかな不安が消え失せた。
(サーシャさんのことだから完璧だとは思ったけどさぁ……微妙にカゲキなところあるし。死人が出てなくてホントに良かった)
彼女の心配は予想していたのであろう。ゼストは言うまでも無く、そのゼストやウィンからサーシャの人となりを聞いていたアーサー王もまた、苦笑を浮かべていた。
「あー、それでだな。今のが1人目の襲撃者の顛末なのだが……」
「あれ。2人目って別口だったんです?」
「ああ。別なのだ。それについては色々と問題があって、な」
眉を顰めた一葉。権力者を相手取った時、相手の振るう力がどれだけ面倒であるかを一葉は嫌というほどに知っているのだ。
アーサー王の目配せを受け、ゲンツァが執務室の扉へ近づいた。ゼストの表情が珍しく渋いものになる。
「まずは当事者から話を聞いた方が良かろう」
王の執務室には扉が3つある。
ひとつは廊下から入室できるもの。
ひとつは廊下に背を向けて右側の壁、執務机と扉の中間にあり、侍女たちが使う控えの間に通じるもの。
そしてもうひとつは廊下に背を向けて左側の壁、執務室のさらに奥。騎士が控える部屋を挟んだ奥にはアーサー王の休憩室があるという、それは王に許された者だけしか通れない扉。そこからひとりの男性が招き入れられる。
「どうぞ」
「おお。悪いな、ゲンツァ」
金の髪と紅水晶の瞳を持つ彼は一葉の斜め前、机と一葉の中間に立ち止まった。年のころはゲンツァやゼストと変わらないであろう彼は、服装やゲンツァの扱いから身分の高さがうかがえる。しかし鍛えられた大柄な体格や顔や手にある大小さまざまな傷、何より彼の浮かべた笑みが、彼と単なる貴族とを決定的に違えていた。
「ストレイ。この者がイチハだ」
「ほぅ」
男性は挑戦的な笑顔を一葉へ向け、一葉もまた有るか無きかの微笑を浮かべている。
「ストレイ=リターミレ=レインドルクだ。レインドルク公爵領を拝領している」
剣と槍とを家紋に掲げるリターミレ家の当主であり、レインドルク公爵その人。
昨晩一葉を訪れた2人のうち、非常に腕の良い襲撃者と縁を持つ者である。一葉は意識的に笑顔を浮かべ続けた。
「イチハ=ヴァル=キサラギです。今はヴァル家の義娘としてお世話になっております」
お互いに値踏みをするような、視線で闘うような緊張感が生まれる。普段であれば避けて通ったであろうが、この場所では退けないことを一葉は本能的に理解していた。
「ふむ、そうか……」
しばらく一葉を観察していたストレイは、満足そうに頷くとあっさり威圧感を手放した。そして彼から見て真正面に立つゼストへと不機嫌そうな表情を向ける。
「おいジジイ。嬢ちゃんに何にも説明しなかったのか」
前触れも無く薄らいだ圧迫感に肩透かしを喰らった一葉。彼女はそれ以上に、ストレイがゼストへ向けて突然言い放った貴族としては雑すぎる言葉に戸惑う。
一葉へチラリと視線を寄越したゼスト。彼は浮かべていた渋い表情を、普段とは違う笑顔へガラリと変えてストレイを迎え撃った。
「誰がジジイじゃ。孫が大量におるお主の方が余程立派なジジイじゃろうに。大体、昨日の今日で何をどう説明しろと? 私には手すきの時間など無かったのじゃがな。大体お主が余計なことをしなければもっと穏便な方法もあったじゃろ。
……まったく、これだから脳筋は困る」
驚くほどに息子と似たような笑顔を浮かべて相手を罵るフォレイン候。
「脳筋、だと……? モヤシの分際で言いおったな! しかも何だその顔は。無理矢理作ったようなその言葉遣いも胡散臭いわ! こんなのがオヤジでは倅が気の毒だな!」
「何をっ! それを言うならばクレアル殿こそじゃ! こんな脳筋オヤジが父親など、気の毒で夜も眠れんわ!」
侯爵による公爵への無礼ではなく悪口に立腹した上、同じような悪口で返したレインドルク公。
(……何コレ)
子供同士のようなやり取りへただ呆れるばかりの一葉の耳元に、ゲンツァの声が聞こえた。
――お呼び立てしたにも関わらず申し訳ございません。あの2人は昔から顔を合わせる度に『ああ』でして
突然の声に一葉はビクリと肩を揺らし、反射的に右耳を押さえる。
(な、何っ……? あ。魔術か)
ゲンツァの煌めく碧の瞳が視界に映る。風を使った通信だと理解した一葉は胸をなで下ろした。
「お前、人んちの娘を夜に思い出すたぁいい度胸だ。表に出ろ!」
「望むところじゃ! 今日こそ這いつくばらせてくれるわ!」
「言ったな!」
両側からは終わりが見えない罵り合いが聞こえているため、小声が聞こえないだろうと判断した一葉も同じように返す。
――あの2人、どういった仲なんです?
――私も含めて幼馴染と申しましょうか。歳が近くそれぞれ一芸に秀でているので、あの2人は昔から対抗意識を抱いておりまして……寄ればああして言い合いになるのですよ
額を抑えているアーサー王や微妙な表情をしているコンラットから、このようなやり取りはいつもの事であると分かる。
――もしかして、普段から仲介役です?
――ご想像の通りです。さて、そろそろ止めましょうか
魔術による内緒話を切ったゲンツァは罵り合う2人へ、にこやかに声をかけた。
「いい加減になさい。お若い方から見ればどちらもジジイですよ、みっともない。2人とも、一体何をしにいらしたのですか。早く話を進めてください」
穏やかに窘められた2人の男性は気まずそうに、しかしお互いの顔を見ないように体の向きを変える。それを確認したゲンツァは次に一葉へ苦笑を向けた。
「さて、イチハ殿。何か聞きたいことがあるのでは?」
「あ、はい」
アーサー王へ目を向ければ発言を許すように軽く頷いている。
「レインドルク公爵、とお呼びすればよろしいでしょうか」
「ゲンツァたちが気軽な呼び方を許しているのだろう。俺もストレイでいい。話し方も、ゲンツァたちと同じ方が楽であればそれで構わん」
ストレイの許しに一葉は頷いた。
「それでは失礼して。昨日の夜に私を襲った人、ストレイさんの関係者です?」
「あ……あー、息子、だ」
「息……子? あぁ、だからサーシャさんが丁寧だったんだ……って、何させてんですか跡取りに! 運が悪かったら息子さん死ぬところでしたし、私は貴族殺しの凶悪犯にされるところだったんじゃないですかっ!」
「あぁ。そうならんで安心した」
予想以上の返答を受け一葉の表情が変わる。内心の怒りを無理矢理抑えつけた彼女だが、唇の端が引き攣ることを止められなかった。
「……それで、その超強ーい息子さんが、何で、夜中に、私の部屋に?」
「嬢ちゃんの力を手っ取り早く見たかった。自由に使える札で一番強かったのが息子だっただけだ」
眉が跳ね上がった。
傍観者たるアーサー王やゼスト、コンラットには、一葉の機嫌がみるみる下降していくのがこの時ばかりは分かった。
「ストレイさんに力を証明する必要はないと思いますが」
些細な事柄ではあった。しかしその引っかかりが心のどこかをチリチリと傷つける。既に納得したと思っていた。しかし自由にならない身の振り方に、一葉は無意識下で何とも言えない鬱屈した感情を抱いていたのだ。
――試される。利用される。そしてまた、試される。利用される。その繰り返し。
魔力が感情に引きずられて渦を巻く。
一葉は無意識に自分以外の存在を敵だと判定していた。
ほとんどの人間が一葉の魔力に翻弄される中、冷たい魔力が一葉の至近距離に集まり、射出される。
「う……わっ」
「ふむ、ギリギリじゃったか。流石に反応が早いのぅ」
刺さる角度ではないが掠める弾道を描いた氷。それを反射的に結界で防ぎ、一葉は何事かと咎めるような視線をゼストへ向けた。しかしその相手は普段通り、一葉に対しては穏やかで飄々とした養父でしかない。
「い、一体何するんですか! 室内で危ないっ!」
「防ぎ切ったのだから問題はなかろう。それよりも頭を冷やした方がいいじゃろう? いくらそこの脳筋ジジイの言い方が悪かろうとも、何も聞かんうちに絞められたら分かるものも分からなくなるとは思いませぬかのぅ」
「……ぅ」
頭に上っていた血液がゆっくりと下りてくる感覚を一葉は噛みしめた。
(ゼストさん、これを見越して帰らなかったのか)
手間をかけた申し訳なさはあるが、それでも一葉にはストレイの言葉を冷静に聞ける自信など無い。拒絶の空気を放ちながら黙り込んだ彼女へ、ストレイは真面目な表情で先ほど途切れた話を続けた。
「必要は、ある。場合によってはアリエラだけではなくアイリアナの安全も任せることになるかもしれんからな。生半可な力では全てが台無しになろうよ」
「えっと……アイリアナさん、です?」
思いもよらない内容に一葉はきょとんとする。彼女はアリエラに付けられた騎士であり、アイリアナには双子の騎士がいるのだ。現状では直接の関わりはない。
「それは私から説明しよう。本来ならばレイラも呼ぶべきだったのだがな。昨夜の事もあり、まずはお前だけを呼んだ。後で個別に説明するゆえ、ここでの話は外では口にしないように」
「はい」
アーサー王の気遣うような声に一葉は自分を無理矢理落ち着かせた。彼女の様子を確認し、王はここ数日頭を悩まされていた話を始める。
「双子の話が関わってくるのだ。2人が暫く前に実家へ戻っていたことは知っているな?」
「はい」
一葉は2月ほど前、ウィンが私室を爆破しかけた日を思い出して頷く。
「正確には実家ではなく、領主の館へ行っていたそうだ」
「領主家? あの、アレナさんたちって出身は」
相変わらず頼りになる予感が一葉を襲う。微かに顰められた眉に、アーサー王も渋い表情を崩せない。
「トゥーラ家。ゲオルグ領だ」
一葉は唇の端が引き攣るのを自覚した。
「そ、そこで繋がります、か……」
「あぁ。しかも両親を盾に取られ、命令を受けていると言っていた」
キリリと甲高い音が鳴る。
(悩み事ってコレの事か……!)
奥歯を噛みしめ、一葉は無言で続きの言葉を促した。
「合図があり次第イリアを人質にする。私の首を取った後、背後に控えている者と共に皇国へ向かう計画だそうだ。生憎後ろの人間は未だ確定されてはおらぬがな」
「それはまた……でも、それだけならアイリアナさんは関係ないんじゃないです?」
証拠がある以上無理矢理に攻め込んだところで、その失点は取り返せると考えた一葉。しかし居合わせた全員が沈痛な表情を浮かべていた。
「双子を外せない以上、あれに護られているイリアも無関係とは言えん。……さわりだけを話せば、ジェメル家の全員が妙な術で縛られているらしい」
頭痛をこらえるような、苛立つような、複雑な表情をアーサー王は浮かべている。
「確認したノーラによれば、その証として体にも妙な模様が浮かび上がり……妙な波動が精神にまで食い込んでいるそうだ」
身体と精神を縛ると言うあまりに卑怯で強力な手段に、一葉は嫌悪感からはっきりと表情を歪めた。
「今は優秀な人材を失う訳にはいかん。解決にはゲオルグ伯爵の身柄が必要だが、おびき出すためにも普段通りの行動をさせねばならん」
「反則的な手札を持って、さぞやいい気分でしょうねぇ」
一葉は以前、双子の騎士たちに聞いたことがある。
大きな街を出れば常に魔獣という脅威と向き合わなくてはならないこの世界で、両親を護るために剣を握ったと笑っていた双子。そんな彼女たちが両親を見捨てられるはずはない。
相手の要求を呑むことしかできなかったのだろうと一葉は思った。
(チェスで言ったらクイーン? ……詳しいルール知らないけど)
アイリアナを人質にとれば大半の人間には手が出せない。彼女たちより強かったとしても、一瞬の躊躇を作りだせばその力関係を逆転出来てしまうほどの実力を持つのがジェメルの双子であった。
そして、王妃であるアイリアナさえいれば隙を作るのに苦労はしないだろう。
(どうしてこう、力を持つ人間って間違えるのかね)
皮肉気な一葉へアーサー王も同じ表情を返す。
「全くだな。それで、内密に相談へきた双子が手伝いを名指ししているのだ。お前とレイラを、な」
脳裏に、初めて双子と手合せをした光景がフラッシュバックする。一葉は目を閉じ、天井へ向けて細く息を吐き出した。
「アレナさんたちが迷惑に巻き込まれて、それで私たちに話が来て……はい、何となくアイリアナさんの安全関係は理解できました。でも何でそこにストレイさんが絡んでくるんです?」
「俺たち公爵家と王家が深い関係を持つのは知っているか?」
ストレイの問いかけに一葉は頷く。
「俺にとっては他の公爵家の子供も王家の子供も親戚には変わりない。可愛い姪とその娘を任せるのに、半端な騎士では認められんだろうが」
自分の実際の血族には親戚が少ない一葉には分かるような分からないような感情だが、ストレイがアイリアナやアリエラを心配していることは理解できた。
「イリアも、ストレイが納得したならばぜひお前たちに協力を頼みたいと言っておった。本来であればもっと時間をかけて確実な方法を取りたいのだがな」
「時間が無いんでしたよね」
実力を『認められた』らしい話の展開ではあるが、一葉は小首を傾げてストレイへ疑問をぶつける。
「もし私の力が期待した線を越えなかった場合、どうなってたんです?」
「その場合は……双子か双子の両親か、最悪で両方を切り捨てたことだろうな。コンラットやノーラが抑えつければ問題は無いだろう。ゲオルグ程度を捕まえるのにそう労力は要らん」
公爵家としての激しいプライドを垣間見せたストレイが笑う。
片や王妃、片や単なる騎士とその両親。そのどちらを取るかは火を見るより明らかではあった。最初から双子の騎士を見捨てるつもりならば手段などいくらでもあるのだから。優秀な人材が惜しいと言えども、たくさんの人がいる以上は彼女たち以上の人材も当然存在するのだ。
それでも手が届く限りを出来るだけ救おうとする彼らに、一葉は無理矢理利用される苛立ちを少しだけ忘れることにした。
(一応、選択肢をくれただけ親切、なのかな)
一葉は既にアイリアナやアレナたちの力になることを決めていたが、最後に残った反骨精神が素直な返事の邪魔をする。
「どうせ嫌がっても決まったら強制でしょう。何か決まったら連絡ください」
「まぁそう拗ねるな。今回はアリアに決定権を委ねるゆえ、まだ結果は分からんからな。決まり次第呼び出して詳しい説明をする。一応イリアの安全管理についての案を練っておいてほしい」
「はーい」
どこか気の抜けた返事ではあるが、その目が真剣であることを知っているアーサー王は特に咎めず、退出を許したのだった。
月が移ろい紅の節白金の月5日。その日ミュゼルの貴族たちへ向け、アーサー王から貴族院召集の勅令が下された。
『貴族院議員各位
先の王都襲撃事件について、重要議題発生のため紅の節白金の月6日に貴族院を招集する。各家、当主および予備議員は所定の時刻までに円形会議室へ集合されたし。
ミュゼル王国 国王 アーサー=フォン=ミュゼル』
簡素な書状による唐突な召集を受けて当然のように苦情も大きかったのだが、アーサー王を始めとした国王側は断固として議会の延期や取り下げの要望を受け入れなかった。それは基本的に和を尊ぶアーサー王にしては珍しく軋轢を呼ぶ行動である。王家に対して好意的な貴族たちは揃って首を傾げ、王家へ何らかの思惑を持つ貴族たちは逆に警戒心を強くしていた。
「最近の王は何をお考えなのか」
「あの黒髪の少女を近衛騎士に任命してから、どこか変わってしまったのではないか」
「いや、ロットリア卿の事件の時には既にその兆候が見られたのではないか」
「この国は一体どうなっていくのだろうか」
ひそひそと王都のそこかしこで繰り返されるそのようなやり取りは、王家を本心から心配している者と王家に何らかの悪意を持つ者とを表面上は変わり無いものと見せかけていた。
そして来る翌日、紅の節白金の月6日。
王都ミュゼルに邸を持つ子爵位以上の貴族たちが続々と王城へと集う。彼らは例外なく緊張した面持ちで、王城8階の会議室へと入っていったのだった。
「して、ゲオルグ伯爵。王女たるアリエラを襲撃した者たちから、そなたの名が語られたということだが。何か心当たりはあるか?」
広いすり鉢状の会議室では席次が決まっており、それぞれを大人の胸ほどもある壁が区切っている。一番低い位置は直径20メートルほどのスペースが円形に空いており、それを囲むように一番低い位置から子爵、伯爵、侯爵、公爵と配置されている。
「何を申されているのやら。私の名前を出すだけであれば子供にも出来るでしょう。我がトゥーラ家は代々武官の家系。国内ではそれなりに名が通っていると自負しております」
空席が目立ってはいるが、何も疾しいことが無くとも中心に立つだけで威圧感を覚える布陣。まさにその場所で立っているジェイル=トゥーラ=ゲオルグ伯爵だが、彼は鬱氷の目を細めて薄く笑いながら首を振っていた。
謁見の間ではなく貴族院の会議室を諮問の場に選んだことから、未だ国王側に決定的な証拠は存在しないのだと彼は内心でほくそ笑んだ。
「まったく、急に呼び出されたかと思えば。最近は色々と世も物騒になっておりますが、その処理に追われて少々お疲れなのでは?」
薄笑いの先には上座、最上段に席を持つアーサー王やアイリアナ王妃、アリエラ王女。それぞれに区切られた個別の席を持ち、警備を担当する騎士たちが普段より多く背後に控えていた。
「そうであるな。何者かのお蔭でゆるりと休むことすらままならぬ。今回の事も手早く済ませ、体を休めたいところではある。が」
アーサー王の目配せを受け、フォレイン侯爵家の席に座るゼストが立ち上がる。
「私からご報告いたしましょう。ここのところ我が義娘に曲者を送りつけてくる輩がいましてのぅ。先日後をつけさせたところ、ある人物と接触したのじゃ」
「それが私とどう関係するのでしょうな」
馬鹿にしたようなゲオルグ伯爵だが、ゼストの微笑はまったく崩れない。
「貴方の邸に勤める人間じゃよ、ジェイル=トゥーラ=ゲオルグ殿。心当たりがおありではないかの?」
「何を馬鹿なことを。そんなものある訳がないでしょう。トゥーラ家への悪質な嫌がらせか、なりすましとしか思えませんな」
ニヤニヤと笑うゲオルグ伯爵にゼストもまた微笑みを深くした。
「残念じゃ。それならばこちらも相応の手段を取らせてもらおうかの。世の中には様々な術の使い手がいる。私も最近知ったのじゃが、こういった術もあるようでの」
ゼストが開示したのはゲオルグ伯によるルクレツィアへの接触や、一葉の襲撃からの一連の動画であった。初めて見るその精巧な画像に驚いた貴族たちは、それが映し出した内容にもまた驚いていた。
(あらま、レティさんのところから録画してたんだ)
ゲオルグ伯爵の顔色が悪い。まさかこのような形で証拠が残っているとは思わなかったために、今まで迂闊な行動を取り続けていたのだ。間違えようもないその画像を出されてしまったならば言い逃れも難しい。
その情報が示すこと。ひとつひとつでは弱い証拠でも、いくつも重なれば明らかなるミュゼルへの裏切りを示していた。
「貴方が我々ヴァル家を快く思っていないことは周知の事実です。常々追い落とそうと思っていたことも、機会を探していたことも分かっていました」
一葉がアリエラへ送った防御用の術のように、映像を見せるためには記録媒体へ少なくない魔力を流し込む必要がある。証拠の提示を終えたゼストが椅子へ座ると同時に、今度はそのすぐ隣にいたウィンが立ち上がり口を開いた。
「イチハが何かを失敗したとしたらこれ以上ない材料となりますから、積極的に大きな失敗をさせようとしていたのでしょう。
……しかし、まさか貴方の単独犯などとは我々も思っていません。それでは明らかに危険すぎますからね」
緊張感と反比例するようにウィンの所作が穏やかで優雅なものになる。それが上辺だけのものだとは今やこの場に居合わせた誰もが理解していた。
「まぁそれは追って分かることでしょう。今日ここに集まっていない方々もおられるようですしね」
このような大それたことをする場合、自分の上に立つ者の名を口にすれば無事では済まない。それを知っているにもかかわらずウィンはゲオルグ伯爵へ圧力をかけ続ける。
「最近、貴方の部下が数人姿を消したと報告を受けました。その方々は皆優秀な魔術士だったそうですね。彼らはどこへ消えてしまったのでしょう」
「そんなもの、俺が知る訳が無かろう!」
声は穏やかだが視線が絶対零度のウィンがゲオルグ伯爵を追いつめる。ゲオルグ伯爵は既に言葉を取り繕う余裕すら失くしていた。
「あぁ、そう言えば王都を襲撃した人物の特定はできていませんが、ちょうど貴方の消えた部下と同じくらいの体格だったそうですね。非常に興味深い」
もはや顔色のないゲオルグ伯爵。そんな彼とは反対にニコニコと、笑顔だけは穏やかなウィン。
ウィンの家は代々国王の相談役や教育係を務める家系である。政治への介入を防ぐために他人を動かす権力こそ持たないものの、ヴァル家はその持てる英知で常に国王となる人間を護り導いてきた。このように頭脳と口がモノを言う状況は、まさに彼らが得意とする『戦場』なのだ。
ゼスト=ヴァル=フォレインから受け継いだヴァル家の資質を、今ここで遺憾なく発揮するウィン=ヴァル=フォレイン。彼のペースにはまり込んだゲオルグ伯爵は底なし沼にはまったように、足元が崩れていくような錯覚を覚えた。
呼吸が浅く速くなる。予定を狂わせる恐怖と、『上役』を吐かされるかもしれない尋問への恐怖。自分が尋問を受けないなどと勘違いをできる程、彼は平和な世界を生きてきたわけではない。そして吐かされた後に待ち受ける恐怖。
――ここで終われない。まだ最強の手札が残っている。予定よりは早いが、順番が前後するだけではないか――
ゲオルグ伯爵の中で天秤の揺れが大きくなった。
そして片方の皿が地に着き、彼の中で何かが音を立てて千切れ飛ぶ。
「――やれ!」
その短い言葉は居合わせたほぼ全員にとって意味をなさないもの。
しかしその言葉に反応し、弾かれるように動いた人物たちがいた。
「あなたがた……!」
「申し訳ございません、アイリアナ様」
「私たちにはこれ以外の道が無いのです」
アイリアナの腕を掴んで立ち上がらせた『不穏分子』。
彼女たちがあまりにもアイリアナの近くにいたからこそ、会議室にいる殆どの人間が現状を理解できていなかった。
「イリア!」
「母様!?」
立ち上がりかけたものの、背後に立つ騎士たちにより防犯のため椅子へと戻されているのはアーサー王とアリエラであった。
「アレネア! エリシア!」
「貴女がた、何をしているのか分かっているのですか!?」
双子へと厳しい声を投げつけたのはコンラットとノーラ。
仕えるべき王族の驚いたような声にも、尊敬する上司たちや同僚たちの声にも、そして可愛がっている後輩の切迫した視線にも、双子たちは何かに絶望したような表情を向けるのみ。
「申し訳、ございません」
彼女たちは決して王妃を解放しようとはしなかった。エリシアがアイリアナを拘束し、アレネアが周囲を威嚇している。そしてそのまま、ゲオルグ伯爵のもとへと下りていったのだった。
「母様……」
母の手首を飾る白銀の鎖と碧玉の輝きが、何故かアリエラへと強く訴えかけていた。
「なるほど、この状況で手札を切りますか」
エリシアに王妃を見張らせ、アレネアに自分を護らせる。そんなゲオルグ伯爵を見るウィンの視線は変わらず穏やかであり、その反対に優位に立っている筈のゲオルグ伯爵の方が青褪めていた。
当然である。『こうなるように』、脆弱なゲオルグ伯爵の精神へ彼ら自身が圧力をかけ続けたのだから。状況に応じた対策も用意してあるのだ。
「こうなればもう言い逃れはできませんが、よろしいですか?」
「黙れ若造が! 俺は昔からお前たちヴァル家の人間が大嫌いだったんだ……王家に上手く取り入り、俺を見下している貴様らが! 馴れ馴れしく口を利くなっ! そこの小娘ども……折角計画が上手くいきかけたものを、お前たちのせいで!」
ウィンから一葉たちへ血走った目を向け、ゲオルグ伯爵はわめき続ける。ウィンは眼鏡の位置を直しながらポツリと呟いた。
「……あの場にイチハたちがいなければ、今頃はアーシアと戦を起こしていたかもしれませんね」
仮初とは言え平和である今、武官の家系であるトゥーラ家が手柄を立てることは難しい。このままアーサー王の下にいては戦など起きない可能性も高い。それならば他国へ自分を売り込むのも悪くは無いという意見もあるだろう、と考えられていた。
――戦の火種など自分で作ればよい
――忌々しいフォレインの義娘とアーレシアの娘が無様に殺されたことで、大嫌いな各家が失脚するのを見るのもまた一興ではないか
――自分が動いたと知れば援軍が来ることだろう。耐えるのはそれまでのことだ
そう考えていたことはアーサー王やウィンたちには既に知られている。隠し通せていると思っているのは本人のみであった。
(私だったらあんな迂闊な人間、『仲間』なんて思わない。仲間でもない人間にリスクなんか取りたくない)
その一葉の予想通り、援軍が来る気配は全くない。自分が捨て駒にされかかっているとも知らないゲオルグ伯爵は、さも愉快そうに高笑いを響かせていた。
「くくく……実に愉快だ。全てを分かったところで王妃は今、俺の手の内にあるのだからな! さぁ『黒瞳』ども。手始めにあの忌々しい小娘どもを始末するのだ」
――黒瞳。黒い瞳。魔術を使えない人間に対する蔑称。
双子の騎士へ向けられたその毒々しい声に、一葉は微かに眉を顰めた。異物である一葉ですら面と向かっては言われていないその言葉を堂々と口に出来るゲオルグ伯爵。それだけで人間性が見えるというものである。
「王族に剣を向けている身ではありますが、私たちも一時は騎士だったのです」
「せめて、騎士として決闘をさせてください」
「その後はどのようなご命令でも受け入れますから」
言葉を叩き付けられた双子は悔しそうに唇を噛みしめ、首輪の紐を掴む『飼い主』へと願った。
「ふん、騎士として、か……実に下らんがいいだろう。しかし片方だ。お前たちの内どちらか片方しか許さん。残った方は俺を護り、その後もう片方の小娘を始末するのだ。逆らったら……分かっているな?」
「……はい」
あの誇り高い双子が愚劣な男に顎先で使われている。いくら実力があるとはいえうら若い女性2人に身を護らせておいて、何が武門の出かと一葉は吐き気すら感じた。自らの優位を疑わないその底の浅さも彼女は気に入らない。
「ぁ……」
迷うような双子の視線が自らの騎士へ向けられたことで、アリエラは無意識に2人の腕を掴んだ。そんな彼女の腕を一葉とレイラはそっと外す。不安そうに、しかし瞳に信頼を込めたアリエラへ頷くと、彼女たちは会議室の中央へと下りていった。
「イチハちゃん、ゴメンね。こんな役目で……」
「いいえ、アレナさん。ご指名を受けた限りは……出来る限りを尽くしましょう」
選んだのはアレネアであり、選ばれたのは一葉であった。
レイラはアイリアナの傍へ残ったエリシアと睨み合い、一葉は会議室の中央へ立つアレネアと睨み合う。立ち上がることを許されていない貴族たちの視線は、彼女たちへと一様に集まっていた。
一葉は『狛犬』の柄を握り直す。
(さぁ、いこう)
目の前の理不尽を、すべて否定するために。