第29話 ウタカタの白狼
一葉とレイラは、襲撃者たちを収容した馬車からアリエラの待つ馬車へと向かっていた。その足取りはどこか重い。王都へと引き返す道中で時間を節約するため、身柄を引き取ったミュゼル側の襲撃者たちへの事情聴取をしていたのだ。
女性騎士たちを舐めきった彼らは、取り調べの態度はあまり素直ではなかった。しかし仲間が召喚術の『生贄』となり命を失う場面を目の前で見ているのだ。一葉が圧倒的な魔力をチラつかせて脅しつけた後にレイラが小さな優しさを見せれば、彼女たち自身が面白く思うほど簡単に釣り上げられた。
「これはまた……。あの程度の情報で、今の状況を解決に導く! とか、できそうです?」
一葉はうんざりした表情を浮かべている。そんな相方だが頭痛に襲われたレイラには苦笑する余裕など無く、こめかみを揉んでいる。
「難しいですね。全額前払いでの雇い入れですが、契約書なども当然ありません。これでは彼を捕縛するどころか……場合によればこちらが牢に入ることにもなりましょう」
彼女たちが聞いた名前は、ジェイル=トゥーラ=ゲオルグ。ゲオルグ領を拝領しているトゥーラ家当主の伯爵である。それはルクレツィアから聞いた、不快な方法で接触してきた人物と一致した。
貴族の悪事を追及する際、証拠が無いという状況は絶対的な不利となる。一葉の場合は格上である侯爵家の名を戴いているため牢屋に入ることは無いだろう。しかしゲオルグ伯爵と同じ貴族位の、しかも次期当主でしかないレイラの場合はどうなるか分からないというのがレイラ自身の評価だった。
「あの、どういう感じの人です? 私はまだ会ったことなくて」
「周囲からの良い評判は聞きませんね。立場の低いものには居丈高だそうですし、騎士団にいる彼より高い家の方からも褒め言葉はあまり……。
彼が当主をつとめているトゥーラ家は、代々武官を輩出している家系です。王宮衛士の中にも親戚が多く所属していますよ。レインドルク公に連なる家を始めとして他にも武官の家系はありますから、割合としてはそう多い方ではありませんが」
「なるほど。えっと、そしたらゲオルグ領は? 権力のある領なんです?」
レイラは緩く首を振り、一葉の疑問を否定した。
「ゲオルグ領はミュゼルの北部、王都より寒い地域にあります。領内は山と草原が大部分で特産品も無く、最近は戦もありませんから……こう言ってしまえば下世話ですが、触媒を複数手に入れられるほど裕福ではない筈ですよ」
一葉は顎に指を当てて考える。
「んー、本人が好かれそうじゃなくて、資金力も土地の魅力もイマイチ。仲間にしても旨味があんまり期待できませんねぇ。それを考えたら単独で事を起こせるほどの力は持って無いと考えて良いか……?」
しばし宙を眺め、小声で呟いていたかと思えば、一葉は再びレイラへ視線を戻した。
「あの、例えば立ち回りの上手いウィンであっても証言だけで何とかしたら、立場って悪くなります?」
「えぇ。誰もが多かれ少なかれ後ろ暗さを抱えているものですから。強硬な手段を取れば次は自分と思い、仲が良いはずの隣人すらも敵にまわることがあり得ます。強力な権力を持つほどその反発は大きいでしょうね」
権力者とそれを取り巻く環境はどの世界でも同じらしい、と一葉は微かに顔を顰めた。
(んー……ダメだ、何をどう手ぇ付けていいのかも分からない。今のままじゃ、分の悪い賭けをして負けるのはこっちだろうし……何が、誰が起点かがわからないと同じ事の繰り返しだし)
顎の先を2、3度指で叩きながら、今は考えても無駄であると結論を出した一葉。軽く頭を振ることで彼女は思考を切り替えた。
「しっかし……段々と直接的な工作が増えてきましたね」
「えぇ……まずはアーサー王に急ぎで報告をしなければなりません。予定通り誰か衛士の中から足の速い者、もしくは馬の回復をしながら走らせることが出来る者を伝令に出します。小隊長!」
レイラの声から数秒で、5人の小隊長が彼女のもとへと集う。僅かな話し合いの結果、2人の衛士を2回に分けて早馬に乗せることにした。第1陣が出発するところを見届けてから、2人はアリエラが乗る馬車の扉を開けた。
「アリア、お待た……あれま、寝ちゃってますね」
「お疲れだったのでしょう」
扉を閉じた2人が見る先ではアリエラが座席で横になっている。その手が握りしめているのは、大き目の紅玉に金細工が施されたネックレス。一葉とレイラがそっと向かい側の座席に腰を下ろすと同時に、アリエラはぼんやりと瞼を上げた。
「あ……おかえりなさい」
「うん、ただいま。もう少し寝ててもいいよ? あー、髪の毛酷いよー」
起き上がったことでマシにはなったが、横になっていたことでアリエラの髪がいくらか乱れている。彼女の髪の毛を手櫛で簡単に整えながら一葉が言うと、アリエラは意識を覚醒させて微笑んだ。
「ありがとうございます。……今は少しでも早く父様にご報告したいのでしょう?」
「あぁ、うん、まぁ」
「私に出来ることはありませんが、何があっても起きていればまた違うでしょう。とにかく大丈夫です。今は頑張りたい気分ですし」
「そっか。なら早く帰ろうか」
苦笑した一葉がアリエラから受け取ったネックレスの魔力を散らせると、それを核にして馬車を覆っていた結界が消え去った。レイラが声をかけることで侍女が1人馬車へと乗り込み、御者もまた定位置へと戻る。一葉の感覚では2、3分の後、合図とともに移動が再開された。
向かう先は王都。これからの事を考えただけで、馬車の中の空気が一葉やレイラ、そしてアリエラの3人へと重くのしかかるのだった。
「お帰りなさい、アリエラ様」
王城の入り口、5、6人の騎士と30人ほどの衛士を引きつれたウィンが、馬車から降りるアリエラに手を貸しながら微笑みを浮かべた。
黒の月の23日。時刻は高い音の4刻を半ばまで回っている。
「お出迎えをありがとうございます、ウィン」
「ご無事で何よりです。……レイラ殿もイチハもお疲れ様です。帰還して早々ですが、貴女がたにはすぐに執務室まで上がるようにアーサー王から指示が出ています」
「分りました」
「えっと、アリアは? 部屋に送ってから執務室に行けばいいかな」
一葉の疑問にウィンは首を振る。
「アリエラ様は侍女と騎士たちと一緒に私室へ戻っていただきます。王への到着の報告はレイラ殿たちに一任してください」
「はい」
アリエラの答えを聞いたウィンは、背後に立つ騎士たちへと声をかける。
「オルト殿、リューギィ殿」
「ルーナ、イチハ。後は我々が引き継ごう」
控えていた騎士たちのうち、アリエラの私室を警備している2人の青年が進み出た。レイラよりも勤続年数の長い彼らは、本来であれば個人を警護する程の高い実力を持つ。しかし後輩であるレイラを何かと気にしており、長く特定の相方を持たなかった彼女をサポートするために、自分たちからアリエラの私室警備へ志願したのだった。一葉たちがラーオ村へ向かった時に代理でアリエラを警護していたのも彼らである。
そして一葉もまた、彼らとは良い関係を築いていた。
「よろしくお願いします。おかげ様で安心して任せられます」
何かと彼らが自分を気にかけていることを知っているため、レイラは双子の次にオルトとリューギィの2人を信頼している。今もレイラは普段の真面目な表情を崩し、自然に笑みを浮かべていた。
「……外出中に襲撃がありました。腕輪にはいつも通り防御用の術を仕込んでありますが、何かあればよろしくお願いします」
「心得た」
オルトやリューギィにしか聞こえないよう声を潜めた一葉と、彼らに目礼をしたレイラ。彼女たちへ頷きを返して、2人の男性騎士たちはアリエラの前後に立つ。
「レイラ、イチハ。我儘を聞いていただき、ありがとうございました」
「馬車での移動に加え、襲撃もありました。よく疲れをお取りください」
レイラの言葉にそっと目礼し身を翻すアリエラ。彼女と先輩騎士たちを見送ってからウィンは次の指示を出した。
「それから、襲撃者は衛士たちに任せてください。責任者としてフレイ殿、パルニア殿、シューレア殿が引き継ぎます」
残った男性騎士たち3人が一葉たちに軽く頭を下げる。普段の彼らは貴族院の円形会議室を警備しており、以前レイラに手酷く倒された5人組の内の3人でもあった。
レイラに敗北してからの彼らはそれまで以上に鍛錬を積むようになっていた。その甲斐あり、今ではよく警備以外の仕事も任されている。
「では、フレイ殿に後の指示は任せます」
「了解しました。後はお任せください」
レイラから指揮権を移したことで、騎士たちは忙しく動き始めた。
「さぁ、行きましょう」
「あ、ウィン。伝令の人たちって2人とも着いた?」
「えぇ。最大速度で戻ってきたようですので、今は医務室で休んでいます」
複数の伝令を出すのは、途中で何があっても1人は王城まで到着するようにという理由からである。魔獣や賊が横行するこの世界では、何があるかを予想することが難しいのだ。伝令として先に出発させた衛士たちが両方とも無事だと聞き、一葉は少しだけ心が軽くなった。
「貴女がたにもこちらから報告があります。昨日、王都も襲撃されました。手口はやはり召喚術です。召喚されたのは強力な魔獣でしたが幸い数が少なく、警備の騎士たちで対処済みです」
「実行犯は?」
「2人でした。見つかった途端にお互いがお互いへ魔術を使い焼死。手掛かりになりそうなものも全て燃やされてしまったため、背後関係は未だ不明です」
「そう……」
ウィンの報告を聞き、一葉だけでなくレイラもまた1つの結論を頭に浮かべた。しかし内容が内容だけに安易に話す訳にもいかず、それ以降は3人ともが口を閉ざしたまま階段を上り続けたのだった。
「レイラ=ルーナ=アーレシア、並びにイチハ=ヴァル=キサラギ、ただいま帰還いたしました。私たちよりオルト、リューギィの両騎士へ警護を引き継ぎ、アリエラ様は先に私室へ戻られています」
「無事の帰還で何よりだ。ご苦労だった。さて……大まかな実行犯については既に伝令から聞いている。お前たちが受けた印象や、考えを聞こう」
侍女や部屋付きの騎士たちを下がらせた執務室で、アーサー王は一葉たちにそう声をかけた。部屋には王の他にゲンツァ、コンラットとウィンのみがいる。予想通りに意見を聞かれたことで一葉とレイラは目を合わせたが、結局レイラが唇を開いた。
「敵が何を目的としているのかが読み取れません」
「ほう」
「本来であればアリエラ様やルクレツィア様への襲撃か、王都への襲撃か……どちらかに集中するべきだと思われます。出来れば魔獣討伐経験のある私や、強力な攻撃力を持つイチハ殿がいない王都を狙うのが『正解』でしょう」
レイラの分析に全員が頷く。
「しかし相手は召喚術という強力な攻撃手段を二手に分け、その利点を殺しています。術士の腕も、魔術士としては中の上ですが召喚術に関してはロットリア卿の術の方が強力でした。以上のことからこちら側の戦力を甘く考え、思いつきで対処しているような印象を受けました。ルクレツィア様に自ら接触したという迂闊な人物像と合致します。
しかし逆に、牢にいたロットリア卿と接触した者の、鮮やかな手口とは重なりません」
「ゲオルグ伯爵の他にも誰かが……言い切るなら、もっと強い権力を持ってる誰かがいると見て間違いないですね」
レイラの言葉を引き取った一葉の断言。国の大事へ踏み込んでいる自覚に彼女の視線が揺れる。
(まぁ……囮にされてる時点で今更、かな)
アーサー王は、無言で促すことで一葉の逃げ道を絶つ。悩むように一度唇をきつく噛みしめた黒い瞳の魔術士。やがて彼女はその意志を表すかのような強い視線をアーサー王と合わせた。
「正直、今回の召喚獣は捨てゴマでしょう。あまりに意味が無さすぎます」
それが、一葉とレイラが辿りついた結論だった。公式の場ではないため、どこか雑な口調で一葉は報告を続ける。
「そうだな」
「触媒が簡単に手に入らなければそんな使い方はできません。レイラさんから聞きましたけど、ゲオルグさんの資金力じゃそんなもの2つも3つも買えませんよね。領地経営ってお金かかりそうですし、全財力をつぎ込む訳にもいかないですし。もちろん、触媒が安く買えるなんてこともあり得ません。もし安く買えるならもっと前から召喚術の被害があるはずです。色々考えましたけど、ごく最近で上に立つ人間から支給されたと考えた方が自然ですよね」
「そう考えればいくつかの事柄に説明がつきますね。ルクレツィア様がミュゼルに到着された際、私は伯爵として城内を捜索しました。確かに、私の権限に対抗することは少なくとも同格のゲオルグ卿では不可能です」
納得したようなウィンも、話を聞いていたアーサー王たちにも、同様や驚きの表情は浮かんでいない。そのことから、一葉たちとほぼ同じ結論に達していたことが見て取れた。
「それから……これは警告なんですけど」
一葉は珍しく言いづらそうに、どこか躊躇いながら口を開いた。
「召喚術、コレで終わりじゃないと思います。下手をすれば今以上に増える可能性もあります」
「なぜだ? 流石にこれだけ触媒を破壊して回れば、そう簡単には手に入らないと思うが」
「えぇと、はっきり言いますけど。相手に触媒をある程度自由に作れる協力者がいると思うんです」
触媒は絶対数が少ないもの。だからこそ裏でのみ流通し莫大な資金が動かされるというのが公然の秘密である。そして多く流通しないからこそ、アーサー王たちは今を乗り切れば良いとどこかで考えていたのも事実であった。
その常識を根底から覆す発言に、一葉自身とその相棒であるレイラ以外の空気が凍りつく。
「ちょっと遠回りになりますが、召喚術を受けた実体験で『召喚術』についてお話ししますね。召喚術を通して異界渡りや空間渡りをすると、一度体が純粋な魔力に変換されます。その魔力を目的の位置で実体化させるのが術の大まかな流れだと私は考えていますが、私が気にしてるのはこの実体化っていう過程です」
詳しいことが残っていない召喚術を召喚された本人から聞くと言う特殊なケースに、研究者であるウィンはもとより全員が強く興味を示した。
「ムリヤリ魔力と物質を変換するので、必ずどこかに歪みが残ります。それが私のようなあり得ない量の魔力だったり、異常な身体能力だったり、暴力性だったり、異能だったり。それは召喚される対象の自我とか召喚者の能力でも左右されるようですが。あぁそうだ、召喚するときの気持ちも無視できません。気持ちっていうか、強い感情って言い換えてもいいかもしれませんね」
「気持ち、ですか……?」
感情は感情であり、やる気が魔術の威力に影響することは理解が出来るウィン。しかし魔術の結果そのものに影響するという意見には、彼は魔術の専門家として納得することができない。
ウィンからの訝し気な声に一葉は軽く頷いた。
「例えば悪意でも好意でもいいけど。強い気持ちを真正面から受けると疲れない? 感情もある程度濃くなると魔力みたいな力になるんだよ。相手の調子を狂わせたり、逆に応援することで調子を上げたり」
「なるほど……それで今までの召喚獣がある程度まちまちだったのですか。それで、触媒の作り方があると言うのは?」
「……あー、試しにここで1つ、実験してもいいです?」
困ったように自分を見た一葉へ、コンラットと僅かに視線を合わせたアーサー王はすぐに頷きを返す。
「危険が無いならば許可しよう」
「少し驚くかもしれませんが、危険は無いと保証します」
アーサー王の了承を得た一葉は頷き、おもむろに顔の前で右手の人差し指と中指を揃えて立てた。
『おいで、おいで、可愛い仔』
彼女の軽い声と共に濃密な魔力が渦巻く。室内の誰もが魔力の圧を感じて身動きできないうちに、魔術士は指へ息を吹きかけた。
「な……」
一葉が右手を振り下ろせば、その先にある石造りの床へ純白の紋様が浮かび上がる。
「な、にを……何をしているのですか、イチハ!?」
ウィンの悲鳴のような叫びでも目の前で起きている事象を留めることは叶わない。執務室に広がっていた不可視の力がやがて1点に集中し、光と魔力により小さな形が創りだされた。
――おんっ!
空気ではなく別の何かを震わせて純白の子狼が鳴く。ちんまりと座ったその姿は炎の魔獣とは比べ物にならない程可愛らしいが、同等かそれ以上に強力な力を持っていると本能が判断した。
――コンラット殿! 異常な魔力が流れた様ですが何がありましたか! アーサー王と宰相殿は!? キサラギ殿が何か――
執務室の前に立つ騎士たちが室外から焦ったように扉を叩いている。その彼らへ向け、壁際で呆然としていたコンラットは慌てて大声を出した。
「大事ない! キサラギによる単なる実験だ。警備に戻れ!」
――失礼いたしました。直ちに警備へ戻ります
コンラットの指示を受けて騎士たちの声が止む。執務室の中では尻尾を振る子狼と、その子狼にじゃれ付かれている一葉が視線を集めていた。
「何って召喚術。実際に違いを見た方が早いかと思って。えぇと、実体化こそしていませんが、これが『悪意のない』召喚術です。可愛いでしょう?」
「あ……あぁ……」
「まさか、こうも簡単に再現できるとは思いませんでしたね」
言葉を失うアーサー王に、どこか呆れたようなゲンツァ。現実を受け入れたくないウィンやコンラットとは違い宰相は既に受け入れることにしたようで、一葉と白い狼を見るその表情には苦笑すら浮かべている。
レイラに至っては一葉の規格外加減を熟知しているため、徹頭徹尾涼しい顔を崩していなかった。
「イチハ……『それ』は、本当に召喚術ですか? 貴女の『コトダマ』による幻術ではないのですか?」
以前に古い文献を調べた際には、方法論など全く書かれていなかった召喚術。それにも拘わらず特別な手順を踏まず何気なく再現されたことを、ウィンは簡単には信じることが出来ない。彼の思考を理解できる一葉は、しかし軽く肩を竦めたのみであった。
「まぁ、触媒を作ってウィンに渡して召喚させた、ってわけじゃないし疑うのは分かるけどね。本物だよ。何ならこの子に術を使ってもらってもいい」
言葉がわかるのだろう。どこか誇らしげに胸を張っている子狼が、一葉を期待のこもった眼差しで見上げている。それを見たウィンは複雑な思いを抱きながら迷うが、結局は首を横に振った。
「……いいえ、結構です。話が進みませんし、今は無理矢理でも理解します」
そう、と頷き、一葉はウィンからアーサー王へと視線を戻す。
「私はこの術を使おうと思えば使えます。使えるということは、触媒みたいに術を物に込められるということです。前に作った防御用の腕輪が有るので、そっちは実験の必要が無いですね」
一葉はしゃがみ込み、子狼を撫でる。
「ありがとうね」
――おんっ!
召喚主の礼に尻尾を大きく振り、白い狼の子供は光の粒子となって消え失せた。
「今まで見てきたことから、私なりに召喚術を組み立ててみました。捨てゴマとして召喚術を使えるということは、ある程度安定した供給があってこそ。魔力が充分にあって技術もあれば触媒を自作することも有り得なくないんですよ。警戒しておいて損はありません」
「そのようだな……」
「私の召喚術と事件で召喚された召喚獣、雰囲気の違いはよく分かっていただけたかと。あんな風に悪意を込めて触媒を量産できるような相手が、この先事件を起こさない保証なんてどこにもありません」
なにより言いたいのは、と異界渡りの経験者は語る。
「さっきも言いましたが、召喚される側に何かしらの歪みを残すのが召喚術です。さっきの子は意識だけ借りて実体化はさせなかったから、影響は少なく抑えられていますが。それでも元々の力より魔力は多くなったでしょうね。変化が必ずしも良いものではないって、皆さんは分かっているとは思いますが……。
お互いのためにも出来る限り使っちゃいけないのが召喚術っていう手段なんです。相手はそんなこと、どうでもいいと思ってるみたいですけど」
小さなため息と共に一葉は言い終えた。
「なるほど……今までの常識では量れない相手が敵であるかもしれんな」
どこか疲れたようにアーサー王は額を抑えている。労うように王の肩を叩き、ゲンツァが仮定を進める。
「協力者の位置も大体の予想がつきましょう。アリエラ様が同行されると決まったのは突然のこと。警備計画も多少緩いというのは否めません。そこを襲撃すればアリエラ様かルクレツィア様、どちらかに被害を与えることが易いと考えたのでしょう。そのような突発的な襲撃ですが、確認された召喚術士の人数が少ないことは少々気になります」
「と、いうことは、黒幕の近くには触媒の製作者がいない可能性があるか」
王の確認に、ゲンツァからウィンへと予想が引き継がれた。
「少なくともルクレツィア様がいらした日から帰国されるまでの11日間で往復出来ないか、極端に連絡が取りづらい距離にいると思われますね。初日にイチハが触媒をひとつ破壊しています。本来であれば圧倒的な力を持つ召喚術ですし、その触媒があっさりと破壊されてしまったのはかなりの精神的圧力になったのでは? 数で攻めたいと思わない筈はありません。
製作者が近くにいるのであれば破壊された分を補充し、ルクレツィア様の帰国という時期に間に合わせたはずです」
「そうであろうな。となれば、国外か……」
執務室に重苦しい空気が落ちる。頭を振り、アーサー王は苦笑いを浮かべた。
「これは未だ何とも言えんな。だが、警戒はしておこう」
「近衛騎士だけでなく衛士たちにも、気を緩めぬよう通達しておきます」
「任せたぞ、コンラット。……あぁ、そうだ。別件ではあるがレイラとイチハ、お前たちにひとつ頼まれてほしいことがある」
首をひねり、一葉たちは思わず目を合わせた。
「はい」
「何でしょう?」
「うむ。イリアから話が回ってきたのだが、最近双子の様子がおかしいということだ。何か悩み事があるようでな。目を離せば頻りに考え込んでいるらしい。何もなければ良いのだが……何分、今は大事な時だ。話を聞き、もし必要ならば力を貸してやってほしい」
一葉とレイラは黙り込む。双子の騎士たちはつい先日、実家に問題が起きたということで帰省していた。その直後から確かに浮かない顔をしていたため、2人も気にはしていたのだ。
「ノーラでもいいのだが、お前たちの方が何かと話しやすいだろう。頼めないか?」
「分りました。アレナさんたちとは何となく話をしてみます」
「何事も無ければ良いのですが……」
先輩であり、尊敬する目標でもある双子の騎士たちを、レイラは特に心配している。彼女たちに何かの問題が起こっているのならば、出来る限りその力になりたいと思っていた。一葉にしても、そんなレイラに協力できればと思っているのだ。
「私からの話は以上だ。3人とも退出して良い」
「ルーナとキサラギは明日まで休養とする。各自疲れを取り、万全の態勢を取るように」
「はい」
「分りました」
アーサー王のひと声を合図に執務室を出た一葉、レイラ、ウィンの3人は扉の外を警備している騎士たちに目礼し、階段へ向けて歩き出した。
「……何とも、得た情報が多すぎて脳に多大な負荷がかかっているようです」
「まぁ、無理に信じなくてもいいし。ああいう感じの危険性があるってこと、頭の片隅にでも留めておいてくれたら」
軽く言う一葉。ウィンは辺りを見回し、一葉へ小声で抗議する。
「公的にも私的にも無視出来ないのを知っている上でそう言いますか。せめて、あの子狼を召喚した術。あれの触媒があれば、これからの対策がまた違うのですが」
「ウィン殿」
ウィンと一葉の数歩後ろを歩いていたレイラは、にこやかにウィンを止める。何事かと振り向いた彼へ緩く首を振ったのだった。
それから5日間。ウィンや『影』を含め、アーサー王から命を受けた者たちが休む間もなく襲撃の証拠集めに駆けずり回っている。しかし不思議なことに、ゲオルグ伯爵を追いつめる決定的な物証が1つたりとも出てきてはいなかった。
(でも、だからと言って真正面から襲撃のことを聞く訳にもいかない)
物証が無いままゲオルグ伯爵を追及することになれば、恐らく高確率で貴族たちと王家との距離が広がるだろう。襲撃者たちの証言があるとはいえ片や貴族であり、片やゴロツキ崩れである。
(人間は平等なんかじゃない。貴族と平民なら、貴族の証言を重く扱うに決まってる。貴族が明らかに偽証していたとしても)
何より、ルクレツィアが内々に済ませてくれたことをミュゼルから蒸し返すというのも、国家間の大きな問題となる。ミュゼル王国としては隣のアーシア霊国と同盟を結んではいるが、それは2国の北に位置するグランツ皇国の脅威が始まりである。もしルクレツィアの面子を潰せば、同盟の弱体化だけでなく、同盟自体の破棄の可能性も生んでしまう。孤立した状態のミュゼル国内でもめ事があれば、そのタイミングを逃さず攻め込まれるだろうと一葉は読んでいた。
結局のところ何かしらの物証を探し出す以外、遺恨を絶つ道など無いのだ。
「ま、それは私の考えることでもないけどね」
私室の窓から深夜の城下を見下ろしつつ一葉は内心でそう呟いた。考えるのは上の仕事。彼女がするべきは手足となって脅威を排除することであり、何より生きることである。
現在、時刻は低い音の3刻。開け放った窓際まで椅子を動かし、一葉は夜風を楽しんでいた。
(アレナさんたちの方もいつの間にか誰かに相談してたみたいだし)
力になれないことは残念ではあるが、それで何かの悩みが解決するならばということを一葉はレイラと話していた。今朝は双子の表情が幾分だが明るくなっていたため、問題は良い方向へ向かっているのだろうと一安心したところである。
「さぁて、仕事すっか」
部屋を振り返り、床に転がっている『何か』を見た。ピクリとも動かないそれは黒装束をまとった人間。体格などから男性であることが分かる。
一葉は普段の無表情のまま、かなりの力で彼を乱暴に蹴り転がす。
「ぅ……」
「ゆっくり起き上がってくださいな。あぁ、変なことしたら……もちろん分かってますね?」
つま先に集めた魔力を用いて強制的に男の意識を浮上させた一葉は、一瞬で恐ろしく艶を含んだ笑みを浮かべた。それはどちらが上の立場であるかを分からせる笑み。狙い通り反発も無くノロノロと起き上がった相手へ、彼女はひとつ、柏手を打つ。
「な、何だこれ……」
「何って、今流行りの紋章術ですよ。見たことありません? 訓練場でウィンがよく暴発させてますけど」
男を囲んだのは紅い光。どこか禍々しいそれは尾を引きながら複雑な紋章を描き上げた。その作業が落ち着いたかと思えば、今度は男の魔力がどこかへ吸い出され始める。
自分の意志ではない魔力の流れに恐怖を感じた男が逃げ出そうとするが、どうしたことか光で描かれた円より外には出ることが出来ない。半球状の透明の壁が、いつの間にか男を囲うように閉じ込めていた。
「だ、出せ! 出してくれっ! 爆発に巻き込まれるのも干からびるのも嫌だっ!」
「そう言われて大人しく出す人間がいます? しかも寝こみを襲うような危険人物を。あぁ、そうでした。私の質問に素直に答えた方がいいですよ。私も人間ですし、力加減を間違えてうっかり魔力を吸い込みすぎるかもしれません。時間をかけすぎたら紋章術が発動して、その結界の中だけ爆発を起こすかもしれませんね? まぁ何ですか。つまりはアナタの努力次第ですよ」
「何だ! 何が知りたい!?」
艶やかに微笑む少女に対して、恐怖に抱かれた男には虚勢を張る余裕も無い。
普段は無表情に近い一葉だが、その気になれば表情や口調、体の動きなどを利用し、様々な表情を『纏う』ことが出来るのだ。だからこそ2年もの間を『勇者』として振る舞うことが出来、今も男を自分の望むままに操っている。
「誰の命令で今日、私を狙いました? 私が結界を解くまでかなり粘ってましたよね」
「ゲオルグ卿だ! 襲撃から数日たてばいくらか油断するはずだと……」
「ふーん。理由とか聞いてます?」
「小娘を始末すれば後顧の憂いも絶てる上、気味が良いと聞いた!」
あまりと言えばあまりの理由に、一葉は僅かにため息を吐き出した。
(こうも簡単に釣れるとは。さては、偶然でもなんでも私が手柄を立てるのが邪魔だったかな)
本人の意向はどうあれ、ロットリア卿の2度に渡る暗殺を未然に防ぎ、実力を認められているウィンやレイラからの賞賛を得、それ以後も召喚術を利用した事件では常に第一線で実績を上げ続けているのがイチハ=ヴァル=キサラギという騎士である。会ったことも無いゲオルグ卿だが、彼もその辺りが気に入らなかったのだろう。
一葉自身、こういった相手を選別するために現在の立場を押し付けられていた。
(ホントにさぁ……王様とかゲンツァさんとかゼストさんとか、一回くらい呪いをかけても罰は当たらない気がする。机の角に足の小指を思いっきりぶつければいいのに)
小さな呪いの念を表に出さず、一葉は質問を続ける。
「結構頻繁に報告してたりします? 報酬は?」
「2、3日に1回程度だ! 報酬は結果にかかわらず次の報告で渡されることになっている! ……もういいだろう!?」
「あともう1つ」
怯えた視線を送り続ける男にも、裏を滲ませる笑顔は崩さない。
「自分から繋ぎを取ることってできます?」
「で、出来ない! いつも相手から連絡が来る! もう、もう勘弁してくれ!」
顔色を蒼くして悲鳴のような声で答えた男へ、一葉は鷹揚に頷いた。
「えぇ、良いでしょう。アナタから得られる情報は出そろった感じですし。もう用済みです。おやすみなさい」
「そんな、こんなに話したの」
目を血走らせて一葉へ詰め寄ろうとしていた男が、結界へ手を着く直前に崩れ落ちた。意識をつなげた時と同じく、一葉が無理矢理に体内魔力を掌握したことで意識を落したのだ。
再び相手が気絶したことをよく確認した一葉は、床の『大道具』である光を散らす。
「ほーんと、騙され過ぎ。魔術士なんだから、よくよく考えれば攻撃できるほどの術じゃないって分かったはずなのに」
少しの脅しで情報を話し始めたことや、襲い掛かってきたときの身のこなしから、一葉は男が本職の暗殺者や戦士ではなく魔術士であると断定していた。だからこそウィンを知っていると仮定し、ただの光を紋章術と思い込ませることで精神的に圧力をかけたのだ。
「サーシャさんなら、カラクリ分かりますよね?」
「良く使われている防御用の術と、吸い取った魔力を使った発光術でしょうか。魔力がそのまま光へ変換されていますね」
「正解です。わざわざ魔力の流れを見えやすくしてたのに、残念」
肩をすくめ、一葉は男を指差した。
「最後のは嘘でしょう。テキトーにボロボロにして捨てといてください。持ち物は……証拠になりそうな物であんまり高くないのを適当にいただいておきましょう」
「かしこまりました。怯えて、逃げて、すぐに雇主と接触できる程度には『お仕置き』してよろしいということですね」
「ホント、程々にですよ……」
にこやかなサーシャへ一葉は苦笑を返す。これからサーシャは男の身体へ適当に『尋問の痕』を作り、自力で動けるギリギリの状態で城外へ放り出すのだ。あとは目が覚めた男が勝手に取引相手を釣り上げる。それをさらに『影』が追跡するというのが、アーサー王たちが考えた1つの手段であった。釣り上げる相手を選ぶことは出来ないが、誰がかかったところで後ろ暗い人間へ行き当たるために損は無いということで実行に移された。
やり過ぎることはもとより、痕跡が薄すぎても男の危機感を煽りきれないために、微妙な加減が必要となる。そのため出力がありすぎる一葉ではなく、様々な知識を持つサーシャが後始末役として選ばれたのだった。
「明日もありますし、私はそろそろ寝ますね。お願いします」
「はい。良い夢を」
扉の前で一礼をし、男を引きずったサーシャは控えの間へ消えていく。その様にもう一度微笑み、一葉は窓を閉めようと手をかけた。
その背後へ音も無く、まるで空気から滲み出るように黒装束の人物が出現した。
「――え?」
先ほどサーシャに引き摺られた男とは比べ物にならない程の無音。一葉より頭1つ半は高いその身長を活かし、斜め上からの遠心力を乗せて短剣を一葉へと押し出す。振り向きかけた一葉では視認が叶わず、見えたところで対応は難しかったことだろう。
――だが。
「はい、残念でした」
何かが破裂するかのような音と共に黒装束が壁へ叩き付けられ、そのまま床へ沈む。意識が残っていることは眼球の動きで見て取れたが、体の自由が利かないことは全身が痙攣していることから一目瞭然であった。
「準備しといてよかったわ、ホント。危なかった……」
一葉が好む『結界』。至近距離から結界を広げることで、最大で50キロで走る車に衝突したような衝撃を与えたのだ。条件によって自動的に発動するよう、術を込めた黒貨を彼女は数日前から用意していた。
「あらー、いい武器使ってますねぇ」
黒貨を手で弄びながら念のため相手を術で捕縛した一葉は、黒装束の近くで転がっている短剣に目を留めた。真正面からかなりの衝撃を受けたはずの短剣。しかしそれには刃こぼれも歪みも無い。良く磨かれた刃は曇りひとつ無いほどで、よほど普段から大切にされているものだろうと見える。
その柄には剣と槍の紋章が彫られており、新たな襲撃者が武門を司る公爵家との縁をもつ人間だと教えていた。
「サーシャさん」
「はい」
再び部屋へ入室してきたサーシャへ一葉は簡単に事情を説明した。
「あー……こんな時間に女の子の部屋に来た、マナー違反のお客様がもう1人。こちらも丁重におもてなしをしてあげてください」
「確かにお約束いただいていない方のようですね。承りました」
承ったと言いながらどこか物言いたげなサーシャの視線を受け、一葉は渋い表情を浮かべた。
「明日、報告を」
「かしこまりました。お休みなさいませ」
深夜にも拘らず眠気を一切感じさせない侍女は、やはり美しい角度で頭を下げる。そして黒装束へ近づくと何のためらいも無く襟首を掴み、先ほどと同じように引き摺りながら控えの間へと入っていった。
後には自らが起こす衣擦れと呼吸の音しか聞こえない。どのようなことが隣室で繰り広げられているのかは、閉じられた扉のこちら側からは分からない。
(あー、何から疑問に思っていいのかすら分からない……)
明らかにサーシャより縦も横も重さもある相手をなぜ簡単に引き摺れるのか、もてなせと言ったはいいものの何が起こるのか、そしてその後に黒装束はどのように片づけられるのか。それはサーシャの『仕事』を見る度に湧き出てくる疑問。一瞬にして様々な疑問が押し寄せ、そして引いていった一葉の頭には、最終的に眠気しか残っていなかった。
「寝よう」
改めて窓を閉じ、今度こそ一葉はベッドへ潜りこんだのだった。