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流界の魔女  作者: blazeblue
濃紺と深緑の狂詩曲
33/61

第28話 濃紺と深緑の狂詩曲




 ――予測どおりです



 特に慌てることもなく、レイラは僅かな息継ぎの後に言葉を続けた。



「街道を塞がれています。見渡す限りの草原という状況ではやはり迂回も意味は無いでしょう。下手をすれば人数と速度の関係上、双方に無用な被害を生む可能性もあります」

「まぁ、仕方がありませんか。最初から何事も無く無事になんて思ってませんでしたしね。正面から張り倒すしかないです?」

「そうなります」



 一葉の些か乱暴な物言いにもレイラは至極真面目に頷いた。

 彼女たちの視線の先に集まったルクレツィアの帰国を阻む者は、およそ20から30名ほどのあまり柄の良くない男たちであった。



(これだけギリギリまで近づいてるってことは、森に隠れて待ち伏せしてたってことか。じゃなかったらもっと手前で何とかしてただろうし)



 一葉から見て50メートルという距離は、飛び道具である魔術がある以上は少なからず2人の王女へ降りかかる危険が予想される。とは言えこの程度の相手に一葉の出番はない。

 臨時指揮官としてのレイラはともかく、直接アリエラへと降りかかる危険以外には全て衛士たちが当たると役割が決まっていた。騎士である一葉は今回に限り、アリエラへの危険やレイラの指示が無い限り動けないのだ。



「第4小隊、第5小隊は前へ。相手は少人数ですが決して油断のないように」



 臨時の指揮官であるレイラの指示により、全5小隊をもつ中隊の内の2小隊、20名が進み出た。残りの3小隊は変わらず周囲の警護にあたっている。



「護衛兵団、持ち場を離れずに仕事を全うせよ! この術は危険なものではない! 繰り返す! この術は危険なものではない! 各自次の敵襲に備えよ!」



 立派な剣を刷いた壮年のアーシア兵が檄を飛ばせば、浮き足立っていたアーシア兵にも落ち着きが戻る。一葉は男性に見覚えがあった。謁見の間にてジョシュアと共にルクレツィアの後ろに控えていたその男性は、護衛兵団の責任者たるアルフレッド=グレスである。

 上司によりタイミングを外され、傍らのジョシュアが大きく吸った息を緩やかに吐き出した。



(ふーん、さすがレティさんの傍にいるだけはあるなぁ。何の前触れもない術に実際もっと焦ると思ってたんだけど。

 さて……これで一応の誤魔化しにはなったかな?)



 街道を塞ぐ者たちのような妨害の他にも、より驚異的な敵がいると防衛側は考えていた。100人弱が移動するうちの半数以上が軍人という防衛側に対して、襲撃側がその半分以下と言う状況は常識的に考えればあり得ない。



(馬車が馬車だし、私たちもいる以上アリアの位置が特定されるのは仕方ないんだけど。とにかく今はレティさんの護衛が最重要だしね。

 えぇと……あっちには目立った魔術士もいないな。あのままだとあと5分くらい戦えればいい方、か?)



 ミュゼルの衛士たちと襲撃者たちが入り乱れている様子を見て、一葉はそう判断を下した。今回の随行員の中に宮廷魔術士こそいないものの、戦闘に特化した魔術士を抱える隊を衛士隊から選別している。研究職ではなく純粋な戦闘職としての魔術士のため、下手な宮廷魔術士を連れ出すより安心だというレイラの言葉を一葉は思い出していた。



(でも……これだけのヌルい襲撃の訳がない。おかしい。絶対にまだ何かがある。となると、まだ偽装は外さない方が良さげ?)



 こちら側が優勢だからと言って一葉が気を抜くことは出来ない。結界を張ることでルクレツィアの魔力を覆い隠したが、それは視覚的に偽装するためにも必要なことである。襲撃の第2波が予想されている以上、安易に警戒を解く訳にはいかなかった。



(もう少しで囮っぽい襲撃も片付きそうだけど、追加が来る気配は無し。私の警戒もバレたかな?)



 衛士たちが稼いでくれている時間を使い一葉は思考を進める。



(んー、どうしたものかな……どこかに隠れてるのは多分確定だけど、怪しいからってここら辺の土地全部を吹き飛ばす訳にもいかないし)



 半年前の一葉ならばここまで悩むことなど無かった。彼女にとって敵も味方も無かったのだから、全てを吹き飛ばせば良かったのだ。結果的に敵もろとも味方まで吹き飛ぶのだが所詮は『どうでもいい相手』の上、鬱陶しい『監視役』がいなくなることは一葉にとって願ってもいないことであった。

 しかし今は違う。味方と敵をきちんと区別しなければ一葉は生きていけない。一度見えてしまった『人間としての生活』ゆえに、それを失うことなど想像するだけですら彼女にとっては恐ろしいと思えた。



「イチハ殿、次が」



 衛士たちに指示を出すべく歩き出したレイラだったが、言葉と共にその足が凍りついたように止まる。一葉やレイラだけではなく衛士や兵士たちが見る先で、霊術士たちの影からゾロリと生れ出るものがあった。



「……また、召喚術ですか」

「しかも今回はマズいですよ。力が喰われてます」



 一葉は眉を顰めている。彼女にとっては見慣れた、しかし心の底から嫌悪する手法は、確かに強力な術を行使するためには一番確実な方法でもあるのだ。魔力とは命を動かす力でもある。それならば触媒へと直に命を司る血液をかければと考えたのだろう。『生贄』に選ばれた5、6人の襲撃者たちは大量の血を流し、既にピクリとも動いていない。

 そんな彼らと反比例するかのように時間が経つにつれて存在感を増す4匹の黒い風狼と2匹の黒い巨鳥が、それぞれに一声鳴く。風を纏う狼と、黒い刃を操る巨鳥。『彼ら』がその目を身近にいる衛士たちや馬車を護る者たちへと向けたことで、鎮圧に動いていた衛士たちは警戒のために距離を取った。



「何だアレは」



 その異質な存在感にどよめき、呆然とするアーシア兵。



「またか」



 幾分見慣れたため呆れたような、しかし今回は自分たちで対応せざるを得ないために及び腰のミュゼル衛士。一葉やレイラがいると知っている分、アーシア兵たちよりは余裕が垣間見えた。



 積極的に動けない点では似通っているが、これまでに召喚術を見た経験の有無で、明らかに発する空気に差異がある。



「あんなやり方、本当に実行するヤツがいるなんて……。私なら邪魔できたはずなのに」

「それを今に言うたところでどうなる訳でもあるまい? それに戦いはまだ始まったばかりじゃ」



 唇を噛みしめる焦げ茶の髪の魔術士に向け、馬車の中から涼やかな声がかかった。



「あ、ちょっ」

「問答無用じゃ」



 一葉が止めるよりも早く、馬車の扉を蹴り壊すように陽の下へと出てきた2人の女性。彼女たちは速やかに結界の外側へ出ると、その勢いのまま魔力を練る。



「レティ様」

「うむ、任せるがよい。風よ! 疾く来たりて斬り裂け!」



 アリエラの優しげな風が先導する先、迫りくる召喚獣たちとは真逆の方向へルクレツィアの魔力が炸裂する。馬車からやはり50メートル程の空間が歪み、そこから黒色が滲み出した。



「囮かっ!」



 2人の王女を結界の中へと半ば力づくで戻し、今度は護衛対象である彼女たちすらも通さないよう結界を強化する。それと同時に、間に合わなかったことを悔しがるかのように風が結界を打った。



「恐らく、召喚獣に驚いているところへ逆方向からの攻撃を仕掛け、混乱したところを一網打尽……というところでしょうか」

「そうでしょうね。あー、ホントに何してんだろ私」



 2段構えの罠に、一葉の気持ちは限りなく下を向く。その彼女へ向け、警戒態勢を取るレイラが声をかけた。



「まずはこの危機を脱してからでなければ、悔やむ暇はありません。イチハ殿、ある程度でいいので召喚獣をお願いしてもよろしいですか?」

「……すみません、切り替えます。って、ある程度? ……あぁ、経験ですか」



 結界を出ながらの一葉の確認にレイラは頷く。見れば優秀な護衛たちにより、背後側の者たちは既に地へ伏していた。残るは召喚獣たちとそれを操る者たちのみではあるが、そちらも衛士たちが上手く渡り合っているようである。



「えぇ。いつもイチハ殿が対応してくれるとは限りませんし、もし召喚術が安価で流通しているとしたらこれが最後ではありません。経験を積むに越したことはありませんから」

「それはアーシアも同じじゃな。最近流行の召喚術、演習に使わせて貰おう。さて、ひとつ発破でもかけてやるか」

「流行ってるとか、あんまり嬉しくありませんけどね」



 薄く笑いながら肩を竦めるルクレツィアだが、彼女自身も召喚獣が発する違和感に眉を顰める思いである。外見こそ通常の魔獣と大差はないがその魔力が異質なのだ。召喚された過程の影響もあるのか、召喚獣の放つ空気が気味の悪さを感じさせる。

 ルクレツィアはそれを無理矢理に抑え込み、警護の兵士たちへと声を張り上げた。



「何をボケッとしておるか! さっさとその武器を構えて曲者どもを制圧するのじゃ。それとも、妾にその手柄を取られたいのかや?」

「1隊、2隊はそのまま制圧した不審者の確保を。4隊、5隊は私と共に、召喚獣の討伐および術士の確保にあたります! 3隊は後ろに控えて、これ以上の有事に備えるように!」



 冗談抜きで戦場に出かねないルクレツィアの叱咤で、アーシア兵の闘争心に火がついた。スラリと細剣を抜くレイラの指示で、覚悟を決めたようにミュゼルの衛士たちは歩を進めた。



「アリエラ様、もう少しお待ちを。イチハ殿、よろしくお願いします」

「了解です。では」

「はい、お願いしますね」



 アリエラの言葉に騎士の2人は頷く。走り出すレイラと入れ違いに、ルクレツィアの護衛であるジョシュアが素早く近寄ってきた。



「ルクレツィア様」

「何じゃ。馬車の中に戻れと言うは聞けぬぞ。イチハのこの」



 言いながらルクレツィアはその繊手で、結界をコツンと叩く。



「盾がある。この盾が破られるようなことになれば馬車など意味もあるまい。どちらにせよ同じであれば、妾は自らの目で見届けることを選ぶ」

「……確かにこれ以上の防御術は、アーシアの兵には扱えませんね。仕方がありません」



 どこか諦めたような声の青年は、一瞬で表情を引き締める。



「俺は俺の仕事をしますし、ルクレツィア様が強いことも知っています。ですが、今回ばかりは何かあれば1人でも逃げてください」

「何かあれば、の。しかしいつまでも立ち続けるのは億劫じゃ。早く終わらせやれ」

「はい。それでは、アリエラ王女、御前失礼いたしました」



 そう言い残し、ジョシュアはアリエラに略式の礼を、一葉に目礼を残して戦場へと駆け戻った。



「普段から小言が多い男での、窮屈でかなわぬ」

「まぁ、心配してくれてるんじゃないですか。あ、すみません。この盾は私が解くか私に何かあるまでは解除されないので、一応覚えておいてください」

「心得ておる。妾の兵たちに何かあれば、妾の代わりに護ってくれやれ?」



 怯えはあるが努めて軽く笑うルクレツィアを、一葉は眩しそうに眺めた。



「分かっています。アリア」

「はい」



 一葉が金の髪の王女へ声をかければ、覚悟を決めたような硬い声が返る。その瞳は真っ直ぐで、今まで抱いていた葛藤が消えているように見えた。



「一応聞いとく。馬車の中に戻るつもりは?」

「申し訳ないのですが、ありません。私に出来ることなど何もありませんが……」



 言葉が見つからずにもどかしそうな表情ではあるが、決意の固さだけは伝わった。ため息を吐いた一葉は頷き、召喚獣との戦闘へと向き直る。



 焔の魔獣という前例を知っているミュゼルの衛士たちは、開き直りがあるものの順応が早かった。魔獣たちの操る風や黒い『何か』の刃が絶えず襲い掛かっては来るのだが、自分たちに防げるものは余裕をもって対処している。



「あれ、もしかして術士、思ったよりヘボ? 魔……霊術はそれなりに強かったのに」



 観察の結果、一葉はどこか拍子抜けしたような声を上げた。

 怯えている割にミュゼルの衛士たちが良い動きをしているという面もあるが、彼女はそれ以上に召喚獣が今までで一番貧弱であるという印象を受けた。



(んー、あんなアホな召喚した割にラーオ村のバカ鳥の方が強そう? 私の援護って要るかなぁ)



 命を捧げるということは生命維持に必要な魔力までをも使い切るということ。それにも拘らずあまり質の良い召喚ではなかった様で、その事実に一葉は僅かばかり呆れた。



(あー……まぁ、やることはやっておくか。えぇと、今回は自力で倒したっていう実績が欲しいんだから、狼の方は……そうだな、動きが重けりゃ何とでもなるでしょ)



 目を細めた一葉は相手が動きを止めたタイミングで術を行使する。



『重力増加・5倍! ループ』



 狼たちの手足へ一気に負荷がかかり、今までのように軽やかな動きが出来なくなった。さらには永続の条件も付けられたため、衛士たちの良い的となっている。



 一方意外と余裕に見えたミュゼルの衛士たちだが、一葉が相手を抑えていることも彼らにとって安心の一因となっていた。彼らは普段から王宮を警備している者たち。常日頃から一葉がウィンの実験に巻き込まれ、毎回の大爆発でも怪我ひとつ無く防ぎ切っている姿を見ているのだ。実力を疑う余地も無かった。



 そんなミュゼル衛士たちにアーシアの兵たちも負けてはいない。



「怯えるな! 怯えればその分ミュゼルに遅れを取ることとなるぞ!」



 そう言いながらジョシュアが風狼へと駆け寄り、その牙や爪に剣を叩き付けた。1人が飛び出せば後は雪崩が起きたように周りの兵士たちも走りだす。元々が個人個人で高い能力を有するアーシアの兵士である。最初こそ風による強力な攻撃に手間取っていたが、闘いの流れは次第に兵士たちへと傾いていた。



「オオカミの方はこれで良し……。問題は鳥か」



 風狼は駆けまわっているが一葉の術により動きが鈍い。しかし2羽の巨鳥は術者の上空に羽ばたいたまま周囲を威嚇しているのだ。『彼ら』は、こちらが術者まで一定以内の距離に入れば漏れなく黒い刃で襲い掛かる。

 巨鳥については力を削ぐ方法を思いつけなかった一葉。真下にいる仲間への流れ弾を恐れてか、巨鳥への魔術による攻撃もそう多くは無い。それでも全く無いという訳ではなく、下で戦う者が頭上からの巨鳥による攻撃や方向を捻じ曲げられた仲間の術にヒヤリとした瞬間もあったが、それら全てを一葉の術が防ぐことで事なきを得ていた。



「イチハ殿」



 結界を背にして立っていた一葉は、真横から声をかけてきたレイラに目を向けないながらも先を促し軽く頷く。



「時間がかかり過ぎています。流石にこのまま『演習』と言うわけにも行きませんので、空の制圧はお任せしてもよろしいですか?」

「イチハ、妾からも頼む。戯けどもめ、さっき怯えてたと思えば。新しく見た敵に夢中になりおって、殆どの者が空の事を忘れておるわ」

「オオカミの方もどうにかなりそうですしね……分かりました。すぐに墜とします」



 レイラとルクレツィアの要請を受け、一葉は黒い鳥へと目を向ける。その気配を読み取ったのか巨鳥が黒い刃を生み出すが、攻撃対象である一葉は鼻で笑い飛ばした。



「学ばない鳥だなぁ。さっきからアイツらの攻撃って全部私が消してたのに。『氷の檻』」



 一葉の呪文により、巨鳥たちの動きを制限するかのように巨大な氷の鳥かごが出現する。それは巨鳥の全方位を覆い、『彼ら』が繰り出した黒の刃をも内側を微かに削るのみで抑え込んでいた。それを確認した一葉が柏手を打つと、彼女の頭上に2つの光が生み出される。



「……行け」



 生まれた光点を戦場に立つ者が確認するより早く、撃ち出された光線が氷の檻ごと巨鳥の頭を貫いた。瞬時に『仮の命』を失った巨鳥たちは、檻の消滅で大地へ墜ちると共にサラサラと消え去る。時を同じくして風狼もまた、最後の1匹が倒されていた。



「……術士を!」



 誰かの声で、召喚獣という壁をすべて失った術士たちへと衛士が押し寄せた。一葉により瞬時に召喚獣を倒された衝撃から抜け出せない術士たちは、呆気なく捕縛されていく。2重、3重と張られた罠だったが、それもここまでの様であった。



「全く、のぅ。ここまで粘着質に狙われたのは久々じゃ」



 最早することのない一葉は、背後から聞こえたウンザリしたような声に僅かな笑みを浮かべた。



「粘着……」

「アリア、ちょっと納得しない。……それだけレティさんに魅力があったということじゃないです?」



 粘着質という言葉でしきりに頷くアリエラに釘を刺し、一葉は微笑を浮かべたまま肩越しに振り返った。



「そのようなこと、自分が好いた相手以外に思われても気持ちが悪いだけじゃ」

「あー……確かに」



 そんな場合ではないのだが、心底気持ちが悪そうなルクレツィアの声に一葉は納得してしまう。

 一葉たちが話している間にも捕縛は続き、既に最後の術者がレイラ本人の手によって地へ打ち倒されていた。すぐさま魔力封じの枷をつけられて護送用の馬車へと一時的に放り込まれる。そのすぐ傍ではジョシュアも術者を1人引きずっており、レイラとはまた別の馬車へ文字通り放り込んでいた。



「おぉ、あのお兄さんも力が入ってますねぇ」

「そうじゃの。……あやつには後でねぎらいでもしてやるか」



 一葉と同じ光景を目にしたルクレツィアはニヤリと唇を歪めた。その瞳に映るのは非常に楽しそうな光。どこか物騒なその光を、一葉とアリエラは当分忘れられないだろうと思った。








「捕縛は全て終了しました。術者たちはアーシアの術士らしいのですが、元々街道を塞いでいた者たちはミュゼルのゴロツキのようです。また、召喚術用の触媒をどこから手に入れたのかは未だ不明です。

 ルクレツィア様を始めとしたアーシアの方々には、余計な危険やお手間を与えてしまい申し訳もありません」



 簡単な事情聴取から戻ってきたレイラはそう言い、ルクレツィアへと頭を下げる。既に一葉の結界は解かれているが、未だアリエラもルクレツィアも馬車の外で衛士や護衛兵の作業を見ていたのだ。



 3段階に見えた襲撃は連携されたものではなかった。結局は失敗したのだが、ミュゼルの襲撃者をアーシアの襲撃者たちが利用したまでの事だったのだ。



「そうは言うが、アーシアの曲者も妾もろともアリア殿までをも狙うたからの。先に炙り出しへ協力いただいたことじゃ、この件については不問にするということで如何か?」



 言いながらルクレツィアが見る先にいたのはアリエラ。きょとんとして目を瞬かせた彼女は、何度か躊躇してからルクレツィアへと疑問を投げかける。



「私個人としては、ミュゼルとアーシアが戦を起こすよりは喜ばしいのですが……レティ様はそれでよろしいのですか?」

「先ほども言うたがの、先に問題を起こしたのはアーシアじゃからな。危険を予測したうえで送り出したのは妾の母上じゃ。内々に済ませることも視野に入れておられよう。

 まぁ、曲者のうち霊術士はアーシアで尋問するゆえ身柄を貰うて行くがの。ジョシュア!」



 ルクレツィアの呼びかけにより、近くで事後処理をしていたジョシュアが歩み寄ってきた。ルクレツィアの斜め後ろで足を止めると、茶色の目を嫌そうに顰める。



「……何か御用でしょうか」

「上司に向かって随分な態度じゃの、ジョシュア? だが残念ながら今回は面倒事ではない」



 からかうような笑顔から一転、ルクレツィアは氷のように冷たい視線を曲者たちが囚われている馬車へと流す。



「我が国の曲者たちをアーシアへ連行する。霊術封じは施されているがそれなりに戦える者たちじゃ。心してかかれ」

「かしこまりました」



 命令を遂行するためにサッと身を翻したジョシュアの背を見て、ルクレツィアは不思議な印象を残す微笑を浮かべた。一葉は先ほどの『ねぎらい』が非常に気になってはいるのだが、ルクレツィアの表情を見てしまったために質問を躊躇った。



(ヤブヘビって言葉もあるしね。触らぬ神に祟りなしってことで)



 ブルリと背筋を震わせる一葉を余所に、アリエラはゆっくりと、そして深くルクレツィアへと頭を下げた。



「ありがとう、ございました」

「ん? 何じゃ、急に」

「内々に収めていただければ当面戦が起きることはないでしょうから。そうすれば、無駄にミュゼルの者が傷つくこともありません」



 誰かが傷つくことへの恐怖だけではなく、『上に立つ者』としての言葉をアリエラは放つ。いつの間にか変化した彼女の姿に一葉やレイラは目を見張り、ルクレツィアは興味など無さそうに肩を竦めた。



「何じゃ。妾が良いと言うに」

「いえ、それだけではありません」



 頭を上げたアリエラはどこか泣きそうな笑顔に緊張を混ぜたような、複雑な表情を浮かべていた。



「色々なことを学ばせていただきましたので。全てを含めての感謝をお伝えしたかったのです」



 ようやく正面から『姉』へと話しかけられたアリエラに対して、ルクレツィアもまた笑顔を浮かべた。








 夕日の下に王女たちが向き合い、その周囲を護衛が固めている。



「さて、ここからは妾たちのみで充分じゃ。国境には迎えの者たちが待っておるしの。引き取った曲者も少人数じゃ。警護も充分であろ」



 中央直轄地と貴族領との境目で、ルクレツィアは微笑みながらそう言った。



「レティ様、くれぐれもお気をつけて」

「妾の心配より自分の心配をしたらどうじゃ?」



 言いながら一足で距離を詰め、いつか一葉にしたようにルクレツィアはアリエラを抱きしめる。そして小さな声でアリエラにだけ聞こえるように呟いた。



「妾は、ぬしが心配でならぬと思うておった。妾たちがいるのは真綿でできた檻のような世界じゃ。どこへ行っても自由などありはせぬ。それは風のようなぬしには酷く息苦しい世界じゃろう」



 瞬きをしたアリエラは微かに震える腕へ身を任せる。



「じゃが、妾が思うておったより余程ぬしは強かった。……大丈夫じゃ。妾の背を追おうと思うな。ぬしにはぬしの、妾には思いもせぬ道がある。もしこれ以上は無理だと思ったならば、手段を選ぶな。ぬしの騎士を頼れ。妾を頼れ。必ず力になろう」



 目を閉じたアリエラは風の流れを読んだ。目の前の女性の言葉が『本当』であることを感じる。彼女が忘れていただけで、ルクレツィアが心からアリエラの事を可愛がってくれていたのだと心が納得した。



「ありがとうございます。レティ様も、レティ様がお辛い時には私に伝えてください。私の出来る範囲で、必ず応えます」



 アリエラに頷いたルクレツィアが身を離す。そしてアリエラの背後に控えている2人の騎士、1人ずつと目を合わせた。



「ぬしら、アーシアへ来る気は無かったな。なればミュゼルで、アリア殿を最後まで護ってほしい。妾からの『願い』じゃ」

「はい」

「この身が動きます限りは」



 真面目な表情の騎士たちを見て、ルクレツィアは満足そうに頷く。そこへ後ろからジョシュアが声をかけた。



「ルクレツィア様、そろそろお時間です」

「む、妾が別れを惜しんでおると言うに。全く気が利かぬ」



 おどけたように責める主にも護衛の青年は動じない。



「別に悪事を働いている訳でもなし、何と思われようとも。そろそろ出発しましょう」

「女子の話を断ち切るのは充分に悪事だと妾は思うがの」



 出発を告げるジョシュア=ルイズへ向かい、ルクレツィアは舌を出している。そんな彼女に苦笑したアリエラは居住まいを正し、改めて礼をした。



「ルクレツィア様、この度はよくミュゼルへお越しいただきました。道中お気をつけて」

「有意義な時間を過ごさせていただきました。国へ帰り次第すぐに連絡を差し上げるゆえ、アーサー王へは宜しうお伝えくだされ」



 同じく『王女として』礼を返したルクレツィアはぐるりと辺りを見回すと身を翻し、颯爽と帰っていった。



「さて、こっちも帰りますか」



 アーシアの馬車が遠く小さくなった頃、一葉は主へ向けて声をかける。



「はい」



 短くとも芯のある返事に、一葉とレイラはアリエラの同行が正しかったと実感したのだった。




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