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流界の魔女  作者: blazeblue
濃紺と深緑の狂詩曲
31/61

第26話 真綿の檻は開いたか?




 宮廷魔術士視察における襲撃から3日後。紅の節黒の月の16日。

 アリエラとルクレツィアに加えて彼女たちを護衛している一葉たちは、変わらず屋上庭園でささやかな茶会を楽しんでいた。庭園の緑は生き生きと茂り、水は光を反射して輝き、それは抜けるように青く高く、風は穏やかにあり、城下には高みからも分かるほどの活気が満ちている。そして遠くには山々が連なる、普段通りの穏やかな屋上庭園。



 『普段通り』とはともすれば『退屈』の意味とも重なってしまう。毎日同じ繰り返しで暇ではないかと問うアリエラに、しかしルクレツィアはどこかゆったりとした微笑みを浮かべていた。



「何もないとは、こうも楽なものだったのか」



 2人は座れそうな長い椅子へゆるりと腰かけてお茶を飲みつつ、ホッと息を吐いたアーシアの王女。アリエラはやはりテーブルを挟んで向かい側に座り、一葉とレイラは給仕のためにも護衛のためにも立ったままだった。



(本当に、『なにもない』のは久方ぶりじゃ)



 ルクレツィアは女王制であるアーシア霊国の、第一王女である。物心がついたころには既に将来の女王になることが決まっていたため、自国にいる間は公務により忙しい日々を送っていた。

 人形であっては良き仕事などできない。しかしルクレツィアには心が凍った『人形』のように命令をしなければいけない事もある。そしてその結果命を狙われることも多々あるのだ。そのような『公務』や自衛など、王族というものに休日などある筈もなかったのだ。



(母上ものぅ……本当に、利用できるものは全て利用するのじゃから……。アレで生き残っておるのはいっそのこと奇跡ではないか?)



 王家に近しい危険人物、それは国家にとっても危険人物となる。ルクレツィアの母であるアーシアの女王はそんな危険人物たちを度々摘発しているのだった。餌となるのは当然自分たち王族である。

 そのため貴族たちからはその圧倒的な力に対する羨望の他、巨大な敵意も惹きつけることになった。ルクレツィアのようには自衛ができない以上、身の危険に常に晒されていると言っても過言ではないだろう。



(まぁ、何にせよ休暇を楽しむとしようかの)



 襲撃の危険も一応は凌いだ今、ルクレツィアはこうして羽を伸ばせる休息の日々を送れている。そこに母の優しさを感じても罰は当たるまいとルクレツィアは思っているのだった。








 風が吹く。レイラは風に目を細めるアリエラの風上に立ち、一葉はティーポットを手にルクレツィアへと声をかけた。



「レティさん、お茶はいかがです?」



 一葉は自らの侍女であるサーシャの所作を意識しながら声をかけた。

 今、この場に侍女はいない。ルクレツィアの要望で人払いをし、一葉とレイラのみを護衛として残したのだ。この城の侍女たちはアリエラの暴挙で慣れているため、護衛がいるならばと比較的あっさり引き下がっていた。



「レティと呼べと言うに」

「いえいえ、流石にそれはできません。困ります」



 そう言い張る一葉の背後では、レイラが相方の表情を想像して微かに苦笑している。彼女の想像通り、レイラの相方の表情は困っているようには見えなかった。



「強情じゃな。妾がこれほど『お願い』をしておると言うのに」

「それは世間では『お願い』ではなく『お強請り』といいます。むしろ脅迫です」



 初日と比べ一葉やレイラと格段に打ち解けたルクレツィア。他人の目のないところではあまり畏まらず話してほしいという希望は一葉やレイラに受け入れられていた。それに気を良くした彼女はその勢いのまま、アリエラの騎士たちに対して自分を『レティ』と呼ぶことを強要しているのだった。

 生真面目なレイラについては既に諦めたようだが、レイラほど頑なではない一葉の方は未だに解放されてはいない。



「そんなことはない。きちんと可愛らしく『お願い』をしておろう?」

「自分で言いますか……」

「レティ様、イチハは嫌がっております!」



 普段よりも強めの口調で呼びかけたアリエラ。彼女に対してルクレツィアは特に働きかけてはいない。そしてそのことが自分だけ仲間はずれなのかと、アリエラを酷く不満にさせていた。



「ふぅむ、仕方があるまいか……なればイチハ、茶は要らぬ。その代わり妾の傍に来るのじゃ」

「えー……はい……」



 この数日の経験から、これからの展開を考えると若干憂鬱になる一葉。しかし断る訳にもいかない。結局彼女は大人しくルクレツィアの傍へと近寄っていった。いくら愛称で呼ぶことや馴れ馴れしい口調を許されているからとはいえ、相手は他国の王女殿下。決定的な失礼があってはいけないと注意している一葉は今やルクレツィアの意のままである。



 そしてそれがまた、アリエラの勘に障るのだった。



「さてイチハ。毎度のことじゃが今日も言うぞ。ぬしは妾とともにアーシアへ来るつもりは無いかや? 妾の母上もイチハであれば気に入ること間違いなしじゃ」

「レティさんならもっと良い騎士を見つけられると思うので、ミュゼルの騎士である私は謹んでご遠慮申し上げます」



 ルクレツィアの傍へ立った一葉は一考もせずに即答した。彼女も最初こそ戸惑ったものの、毎日繰り返される会話に今では丁寧なだけの心のこもらない返答をしている。

 しかし一葉の返答を気にした様子も見せないルクレツィアは笑いながら、寄りかかっていた肘掛から身を起こした。



「ふむ。今日も同じ答えか。なれば、その代わりにホレ。いつも通り、ここに座るのじゃ」

「……はい」



 渋々とルクレツィアの隣に座った一葉。ルクレツィアはそんな彼女をアリエラへ見せつけるように抱きすくめている。そしてそのまま一葉の後頭部へ頬を擦り付けたのだった。

 濃紺の髪と焦げ茶の髪が重なる様を見る度、アリエラはこれ以上ないほどに頬を膨らませながら不満の表情を浮かべるのだ。しかしルクレツィアは明らかにそれを楽しんでいた。



「なぜ毎回呼ばれるのは決まって私なんです? 別にレイラさんでもいいじゃないですか」

「うむ。レイラは妾より少しばかり背が高いからの。この体勢では頬が落ち着かんのじゃ。イチハの方はこの通り」



 確かにぬいぐるみ扱いには丁度よい身長差だろうと一葉は思った。いささかその扱いに辟易している彼女だが、ルクレツィアはその一葉の反応すらも楽しげである。

 色々なところで心が広い彼女であるが、少しだけは色々気にしてほしいと思う一葉だった。



「やはりイチハなら落ちつくのぅ。妾も苦労して作り上げた『氷の女』という仮面があるからの。下手なことをすれば国でやれば大騒ぎになってしまうのじゃ。それが口惜しい」

「ミュゼルでもしないでください! 外聞を気にするくらいならば!」



 面白く思っていないアリエラの抗議にもルクレツィアは楽しげな表情を向けるのみ。そして再び、腕の中の一葉へ話しかけるのだった。



「イチハや。勧誘の方じゃがな、そう急がずもう少しくらい考えても罰は当たらぬとは思わぬかや?」

「残念ながら思いません」



 真面目な話をしながらも、嬉々として一葉の頭へ頬を擦り付けるルクレツィア。その姿にアリエラの我慢はとうとう限界を迎えた。

 アリエラは焦げ茶の髪の騎士を涙目で睨みつけ、ビシッ! と自らの背後を示す。



「い、イチハ! あなたは私の騎士なのですから、私の後ろに控えていてください! そこは……そこは、とにかくダメなのです!」



 その怒れる姿は怖いと言うよりも可愛らしいとしか言い様がないものだが、一葉は普段通りの薄い表情で自分を拘束する腕の持ち主へと声をかけた。



「主からも指示が出ましたので、そろそろお離しいただけませんか? ルクレツィア王女」

「妾が、他国の騎士でしかない、ぬしのお願いを、素直に聞くと思うたかや?」



 非常に楽しそうに、かつ歯切れよく言い放つルクレツィア。それは言外に『誰が離すか』と言っているのだ。



(あぁ、もう……仕方が無いな)



 そろそろ涙が決壊しそうな主を見た一葉は、持っている中で最強のカードを切った。



「レティ、アリアをからかうのはその辺にしてもらえません?」

「む……何じゃ、つまらん」



 こういう時にだけ呼び捨てを使うなどずるい、とぼやきながらルクレツィアは一葉を解放する。



(ズルい? 使える手を使えるときに使っただけでしょうに。下手すれば不敬罪で……あのお兄さんに斬り捨てられそうだし)



 ルクレツィアの護衛である金髪の青年を思い出し、一葉は眉を顰めた。彼の目や警備に対する姿勢はレイラに通じるものがあった。他国への視察へ同行するほどならばそう愚かではないはずで、『ルクレツィア』に同行するならば頭がそれなりに柔らかいはずだが、それでも一葉が自国の王女へ馴れ馴れしく接したとすれば心中は穏やかではないだろう。



(やれやれ……もう爆弾を放り投げないでほしいけど。でもこの感じからすると、そうも言ってられないんだろうな)



 一葉が自分のもとへと戻ったことで喜色満面のアリエラ。しかし油断はできない。ルクレツィアの雰囲気が僅かに昨日までとは違うことに一葉は気付いていた。

 しばらくアリエラを観察していたルクレツィアは、不思議な深さの両目に一葉とレイラを映すと紅を刷いた唇を開く。



「あながち、勧誘自体は冗談でもないがな」

「それは存じております」



 レイラはアリエラの背を宥めるように撫でながら、隣国の王女が持つ力強い視線を受け止めた。



 確かに2人とも、ルクレツィアの勧誘に関して最初は真意を判断できなかった。しかし回を重ねるごとにルクレツィアの瞳の奥底に宿る本気を感じ取っていたのだった。だからこそ冗談でも受け入れる訳にはいかない。王女としてのルクレツィアから真剣に勧誘されているのだから。これは後で簡単に取り消せる問題ではないのだ。



「どういう、ことでしょうか?」



 小首を傾げながらアリエラが真意を問う。一葉の主はとても素直な王女殿下。そのような腹芸は、アーサー王やアイリアナ王妃により大事に守られて育った彼女には縁遠かったのだろう。

 そんなアリエラへ向け、ルクレツィアはやれやれ、と首を振りながら答えた。その口元には笑みが浮かんでいる。



「術士に限らず、強い者がいれば他の者の雰囲気はより締まる。人間には対抗心というものがあるからの。特に我がアーシアは霊術士の国。だからこそ特に、術士たちの気を緩めるわけにはいかんのじゃ。イチハくらい突き抜けた者でなければ、新たに招いたところで埋もれてしまうしの。それでは逆効果になろう。さらに加えれば、そのイチハと上手くやっているレイラもいれば尚よい。確かにレイラの剣の腕はイチハの術ほど突き抜けてはおらぬが、連携次第で遥かに強い相手であっても互角の勝負に運べるであろう」



 そこで一旦言葉を切り、ルクレツィアは温くなってきた茶で唇を潤した。



「どうしても個人個人で自由に戦う気風のアーシアじゃが、2人を見れば術士と兵士、ひいては隊としての連携が有用であることは如何な阿呆でも実物として分かろうものじゃ」



 術士たちの平均値がミュゼルよりもはるかに高いこともあるが、それを含めてもアーシアの霊術はミュゼルの魔術よりも高い威力を持つ。そしてそれが油断に繋がるのだ。

 術士たちの気が慢心により緩み切ってしまえば油断が生まれる。兵が団体として戦うことが苦手なアーシアでは、しっかりとした連携の取れた相手に攻め込まれれば、霊術士たちを護りきれるかが定かではない。油断していたところに攻め込まれたとしたら、霊術士たちが術の制御を失うことにより自爆する危険性だけでなく、混乱した霊術士による味方への背後からの攻撃の危険性も高いのだ。



 連携のない場当たりな守備では限界があるとルクレツィアは常々考えていた。



「妾は妾なりに『国』に関する理由があり、ミュゼルの人間ではあるが2人をアーシアへ招きたいと本心から思っておる。しかしアリア殿。ぬしは何を思い、何を考えて2人を傍へ留めておるのじゃ?」



 アリエラはその言葉に目を見開く。

 ただの我儘な王女だと思っていた相手が、今やいきなり得体の知れない人間に変化したような錯覚を彼女は覚えた。



「わ、私は……」

「妾たち王族は、娘にせよ息子にせよ将来は何かしらの形で国を支える人間。言わばそのためにこそ、普段から良い生活を送らせて貰うておろう? それを踏まえれば当然、庶民の子供と王家の子供の気構えが同じであって良いはずがない、とは思わぬかや」



 ルクレツィアから畳み掛けるように投げつけられた言葉は、アリエラの心へ正確に、容赦なく突き刺さる。しかし一葉もレイラもルクレツィアを止めることはなかった。



(勘違いしちゃいけない。レティさんは、アリアを嫌ってはいない)



 それが分かるからこそ一葉は止められないのだ。



「10を超せばそれなりに分別を求められるはずじゃ。存分に我儘を言いたくば自分から城を出ればよい。良き生活は出来ぬじゃろうが、誰もぬしに我儘を禁じぬ世界が見られるであろ。重き責任を与えられる前に必ず1度は城を出る機会があったはずじゃ」



 アリエラからは一言も無い。

 奔放なルクレツィア王女。彼女と話した人間はまずそのような印象を持つのだが、それは単に彼女がそう見せているだけの事なのだろう。

 事実、ある程度予想していたはずの一葉ですら、見せつけられた『ルクレツィア王女』の一端から受けた衝撃はそう小さくなどない。



「王族として謁見にまで出ているにも拘らず、根のない要求ばかりをするでない。ぬしは何のための王族なのじゃ? ぬしの為すべきことは何じゃ」



 言葉も無く俯くアリエラだが、『姉』であるルクレツィアはそこで赦しを与えるほど柔らかな性格などではなかった。



「イチハはアリア殿と1つしか歳が違わぬと言っておったな。この違いはどうじゃ? 片やお気に入りの騎士を取られて頬を可愛ゆらしく膨らませているだけの子供と、片やこちらの思惑全てを窺い推し量り、主の不利にならぬよう振る舞う者。

 妾がもしこのミュゼルの利を損なうつもりで近づいたとしたら、アリア殿は少しなりとも妾から情報を引きだすなり直接的に思惑を引きずり出すなりと証拠を集め、お父上の力になれるのかや? 残念ではあるが、妾にはそうは思えぬ。

 家族としてはとても大事にされていよう。しかしその甘さゆえ、現に為政者たる顔のアーサー王からは軽んじられておることをよもや無自覚であったかや?」

「な……っ」



 流石に『軽んじられている』の言葉には怒りを覚えたアリエラではあったが、何かを口に出す前にルクレツィアの冷えた視線で言葉を凍らせた。



「聞き捨てならぬ、何を証拠に。という顔をしておるな。今回の襲撃についての情報を事前に知らされなかった事実が、そのまま証拠となろう」



 全く声音を変えずにルクレツィアは言を継ぐ。その決して荒げられない、淡々とした声が、よりアリエラを追いつめていることを知っていて尚アーシアの王女は追及の手を緩めることはなかった。



「そう言えば、妾の侍女たちに襲われたときにもイチハの邪魔をしておったな。ぬしが混乱しイチハを縛りつけるゆえにイチハは……いや、イチハだけでなくレイラすらも最善の行動を取れぬ。もしもイチハへ悪意を持った者があの場にいたら、イチハは『護り手』ではなく『王女の宥め役』という、おかしな認識を植えつけることにも繋がったかもしれぬ。相手はイチハを貶めることが出来るならば、材料は何であっても良いのじゃ。

 さらに言うなれば、ああいった時には迅速にことを収めるよう、せめて担当の者を引き留めるようなことをしてはならぬと教わらなかったかや? 騎士を騎士から『王女の友達の小娘』という位置まで下げておるうえに教育者の格まで下げるとは、見事な手腕じゃ」



 そう言い切ったルクレツィアは、今度はレイラを視界に収める。灰金の騎士に表情など無く、何をどう考えて思っているのかを窺うことは難しかった。



「レイラにしてもイチハと同じじゃの。先ほどから物音がすれば様子を窺い、アリア殿と物音の原因との間へ必ず立ち位置を動かしておる。もしもこの場で妾が霊術でアリア殿を害することがあれば、それこそ自分の命をなげうってでも主を護り抜き、全力で妾を排除するであろうの。魔術に長けてはおらぬ自分が妾の術を防げる見込みが無くとも、じゃ。

 自らのするべきことに言葉通り命を懸ける覚悟を決めるなど、その辺りを歩いている人間の内のどれ程が出来ると言うのじゃ。心からレイラを妾の傍に欲しいと思うておるわ」



 そう言い、一度唇を閉じたルクレツィア。彼女の朱を刷いた唇は、今やはっきりと嘲笑の形を取っていた。



「妾についての情報が不足しておることや公平でないことも承知の上じゃ。さぁ、それを踏まえて簡単な質問じゃ。妾とぬし、どちらがこの2人の主として相応しいのかや?」

「――っ!」



 辛辣な言葉に耐え切れなくなったアリエラは、とうとう立ち上がり身を翻した。それがアリエラの出した答えでもあった。レイラは僅かに迷い、しかし一葉へ視線を送るとすぐさま主を追いかけていく。

 残された一葉が僅かに息を吐くとほぼ同時に、ルクレツィアはポツリと呟いた。



「これで、妾個人としてアーサー王へ借りを返したことになろうかの」

「借り、ですか」



 小首を傾げている一葉へ2色の瞳が苦笑し、細められる。



「今回の事に関するアーシアからの『借り』については、すべてが終わった後に王へ渡すようにと親書を持たされておった。国が係わることゆえ当然であろ。それについては妾個人に貸し借りなど発生せぬ。事を仕組んだ、我が国の女王が処理するべき案件じゃ。

 しかしあの襲撃にて、妾が妾の意志で迎撃したことについては確かに浅慮であった。妾の手で決着をつけたいと気が急いていたことは、もしもの事を考えれば下手な言い訳にもならぬ。ましてや『最近体を動かしていない』という理由など論外じゃ。妾として、何かの形で返礼をせねばと思うておった」

「それが、アリアへの『教え』です?」



 真っ直ぐに向けられた黒の瞳にもルクレツィアが揺らぐことなどなかった。



「今ではこれが妾の道だと自ら定めておる。しかし妾とて、アリア殿と同じように生きることを息苦しく感じることもあった。自らの身の振り方すらどうにも自由にならぬ。真綿で創られた檻のような生であることは否定できぬ」



 だが、と彼女の表情は強い光を放つ。



「それを活かして自らの力とするのも、殺して国を傾けるのも結局は妾たちの身の振り方によるところが大きい。いくら有能な部下がおったところで、王がおり、王族が存在する以上、どうしても妾たちが出ていかなければ収まらぬ場面というものがあるのじゃ。

 だからこそ――あの危うい部分は早々に叩き潰さねば、ミュゼルのためにならぬ上に……あのままではアリア殿は、この閉ざされた世界に耐えられなくなるであろうの」



 そしてルクレツィアは、その強い瞳を一葉へと向けた。



「ぬしも他人事ではないぞ。あそこまでぬしらに依存しておるのは決してアリア殿だけの責任ではない。言うてみればぬしらも同罪じゃ」

「……それは、反論できません」



 片眉をひょいっと引き上げたルクレツィア。分かっておるならば良い、と言うと、今度はアリエラが走り去った方向へと視線を移す。



「しかし……ほんに、少し前の妾を見るようじゃな。まぁ、個人的な興味が先に立った今の妾も他人の事をとやかくは言えぬが」

「……アリアみたいなレティさんって、私には想像できませんけどね」

「何じゃ、もうレティとは呼んではくれぬのか」



 そう言い、ルクレツィアは面白そうな表情を浮かべて一葉を流し見た。



「妾にもアレくらいの年ごろはあったのじゃが」



 あくまでも皮肉として『可愛らしい年頃』と言うルクレツィアを一葉は鼻で笑い飛ばす。



「人間、5年かそこらじゃそう大きく変わりませんよ」

「ふん、言いよるわ」



 一葉の言葉に、今度はルクレツィアが鼻を鳴らす。失礼な言葉を言い放った側の一葉はそんなルクレツィアへ目元を緩めた。しかし出てきたのはからかいの言葉。



「王族のなんたるかを語るなら、他の国で仕官してる人間を自由気ままに勧誘するのってどうなんでしょうね」

「知らぬ。アーシアのためではあるが、それ以前に妾個人としても欲しいものは欲しいのじゃ。妾さえ良ければそれで良い」



 胸を張り言い切ったルクレツィア。一葉はこれ見よがしに大きくため息を吐きだした。



「我儘。自己ちゅー」

「な、なんじゃと! 妾のどこが我儘だと申すのじゃ! 先ほどはああ言ったがの、いかな妾とて常識はわきまえておるぞ!」



 自覚が全くないルクレツィアに一葉は頭が痛むような気がした。

 重みのある言葉を持っており、実際に言葉の通りの行動を起こせるほど立派に『王族』として生きているルクレツィア。しかし彼女は基本的には我儘であり自由奔放なのだ。ミュゼルに来てからの事を少しでも本人が思い出せば、一葉の評価にも反論の余地など無いはずだった。



(……ま、本人が自覚してなきゃ意味無いんだけどねー)



 偉そうなルクレツィアだが、しかし先ほどから視線の向く方向は殆ど動いていない。一葉は微かに目元を緩めた。



「アリアは、時間はかかるかもしれませんがレティの言いたかったことを理解しますよ」

「……分かっておるわ。妾の可愛い『妹』じゃからの。素直で真面目であることなど、とうに知っておる」



 元気づけるような一葉に苦笑し、ようやく視線を引きはがすと、照れ隠しのためか一葉へと挑戦的な視線を送った。



「そう言えば、イチハ。小耳に挟んだのじゃが、ぬしはこの世界の人間ではないそうじゃの?」



 目を何度か瞬かせた一葉は何があったのかを察し、軽く肩を竦めた。



「あれ、バレてしまいましたか」

「親切な紳士がわざわざ教えに来たのじゃ。ずいぶん親切に、事細かな説明であった」

「それはそれは。手紙でも良かったのに態々訪ねていきましたか。親切極まりませんねぇ」



 アーシアの王女へ、普段近くにいる一葉への違和感や不信感を植え付けようとした『敵』。外道とされる術による産物の彼女を仕官させるなど、正気を疑われるだろう。



 ――イキモノは『異常』を嫌う。



 決して受け入れられない考え方の相手に背中を任せるなど、国を背負う者はその責任により容認することが出来ない。『敵』の工作が成功すれば、ミュゼル王家はアーシアという同盟を失い孤立したことだろう。恐らくそのような事態になれば、ミュゼル国内でどのような事件があろうとも邪魔が入ることなどない。



 それらの予測を立てていた一葉は表情に出さないながらも、ルクレツィアのあまりの『普通』さに驚いていた。



「疑わなかったんです? 召喚術自体が道から外れた術だと聞きましたし……それに、この世界ではない生き物を召喚するなんてあり得ないことだとか。

 それにもし納得できたとして、私が気持ち悪くは無かったんです? 黒い瞳なのに魔術を扱える、異常な私が」

「普通ならばまず信じぬがの。ぬしの魔力は実際にこの世界の力とは違うものであり、魔力の量も人間にはあり得ぬものであろ。最初は流石に耳を疑うたが……こうして本人に触れてみれば納得できることの何と多いことか。妾は『人間』としてのイチハも知っておるのじゃ。それでなぜ排斥できよう? アーシアの人間はそれほど狭量ではないぞ」



 むず痒いような表情で一葉は苦笑した。



「それは、ありがたいと言うか……。それで私を見知ったレティさんは、この世界で『帰る場所』が無い私を心配してくれたわけです?」

「ふふっ……さてな。しかしそういうことは、普通ならば思うておっても本人にだけは伝えぬとは思わぬかや? まぁ、帰る場所は既に自力で見つけておった様じゃがの」

「優しい人たちに囲まれて、何とか毎日生きてますよ。さて、少し風が出てきました。レティさんもそろそろ部屋に戻りましょう。今日は私が送りますね」



 一葉の言葉を合図にゆっくりと立ち上がりながら、ルクレツィアは何気なく一葉を呼んだ。



「のう、イチハ。ぬしの本当の歳はいくつなのじゃ?」

「私は16だと言いませんでした?」



 訂正して歩くのも面倒くさい為、最近では誤解されたままの年齢で通している一葉。それを面白がっているような節もある一葉の微笑に、ルクレツィアは鼻を鳴らした。



「そんなに世擦れた16がいてはたまらぬ。妾のこの先の人生が真っ暗じゃ」



 ――全く、ヴァル家には恐ろしい人間が増えた様じゃ



 必ずしも年上だから『世擦れて』いるわけではないのだが、それを知らないルクレツィアは目の前の騎士が確実に自分より年上だと確信していた。

 そんな胡乱気な視線にも一葉の微笑みは変わらない。



 果たして焦げ茶の髪の騎士は真実を口にしたのか?

 それは、本人たちのみが知ることである。




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