第3話 悪夢
灼けた土の匂い。
目の前に散る紅い華。
あれは、いつのことだっただろう。
そうだ、旅に出てからすぐのことだった。
共に旅に出た兵士たちは私を勇者だと誉めそやした。
使えるようになったばかりの魔術で、求められた『勇者』としての役割を得意げに演じていた。
あの頃の私は考えがまだ幼くて……魔獣を倒すということが本当はどういう事かを分かってはいなかった。遠くから魔術を使って攻撃していたため、半分以上ゲーム感覚だったのだろう。
その思い違いをあの場所で痛いほどに思い知った。
物陰から襲い掛かられて
びっくりして
暴走した魔力で灼きつくした
火をかけられたその魔獣は、当然すぐには止まらない。命が尽きるまで幾ばくかの猶予があるのだ。そしてその魔獣はその幾ばくかの猶予で私へと襲い掛かってきたのだった。
その目には死に対する恐怖と、私へと向けた濃厚な憎悪。
そう、確かに私は浮かれていたのだろう。
日本で生きている限り、周りから崇められる状況には99パーセント遭遇しない。召喚され、勇者と呼ばれ、普通の大学生である自分に皆が頭を下げた。
権利ばかりに注目して義務を曖昧にし、油断していた自分に神が鉄槌を下した。
その時初めて実感したのだ。
私は、この世界で死ぬかもしれない。
私は、明日の朝日を見られないかもしれない。
無我夢中で切り裂いた。切り裂かれた腕を抱え、いつの間にか自分の中で作っていた制限を解き放ち、気絶するまで魔力を暴走させた。
その怨嗟の咆哮は、一生忘れることなどできないだろう。望めば簡単に命を刈り取れる自分に対しても恐怖と吐き気を禁じ得なかった。
そして制限を解き放つことで周囲からの視線も大きく変化した。私の持つ本来の魔力は、人間にとって大きすぎるもの。『勇者』と呼ばれる陰で、私は『バケモノ』と呼ばれ続けたのだ。
私が望まなくとも、制御できない魔力が周囲の情報を私に与えた。知りたくないことも強制的に押し付けられた。
力を制御できるようになった頃には、もう無邪気に異世界を楽しんでいた私には戻れなかった。
なぜ私だったの
私が何をしたの
旅に出なければよかったの
勇者と呼ばれることを拒否すればよかったの
縋りついてでも還してもらえばよかったの
あのとき、あの時間にあの場所にいなければ――
なぜ
なぜ
なぜ
なぜ、私は――
視界が暗いのは瞼のせいだろうか。
夢で見た記憶が脳裏を過り、腕で瞼を覆った。
子供のような責任転嫁を叫びだしそうな唇をぐっと噛みしめ、一葉は大きく呼吸をする。
しばしそのままを保ち、心が落ち着いてきた頃にゆっくりと目を開けた。
目に入ってきたのは石造りの天井。一葉が寝かされているのは驚くほどに柔らかいベッド。部屋の中を視線で見回せば趣味の良い家具が並んでいるが、当然のようにそこに生活感は無かった。
(城の、中……だろうな)
大きな窓からはオレンジ色の光が見えた。これだけでは夕焼けか朝焼けかの判断がつかない。こちらがどの方角に向いているのか分からないし、むしろ太陽が東から西に流れるとも限らない。
もう1度目を閉じ一葉は記憶を探った。
たくさんの人がいた広間。
そこであった事件。
感じたストレス。
(ははっ……まだまだ、だなー……)
ため息を吐き、再びうつらうつらする一葉。
しばらくその状態が続いたとき、部屋の扉が数度鳴った。
「はい、起きてますよー」
「そうですか。では失礼します」
時々様子を見に来ていたのだろうか。うつらうつらしている時に、一葉はそういえばノックの音を聞いた気がした。
丁寧な言葉とともに部屋へと入ってきたのは、広間で会った眼鏡の銀髪青年だった。一葉があれほど不幸を願ったにも拘らず、どうやら非常に元気そうである。
彼はベッド際の小さな机に水差しを置き、にこやかに話しかけてきた。元々置いてあった水差しと交換したことから、もしかしたら定期的に様子を見に来ていたのかもしれない。
「そのままで結構です。少しは落ち着きましたか?」
「えぇ、まぁ……さっきよりは……」
「それは良かった。しかしまだ顔色が悪い。私の話が終わった後はよく休んで養生してください。元気になるのを待っていますから」
気遣うような言葉とは裏腹に、一葉の体調などどうでも良さそうな素振り。しれっとした彼へ眉を顰めている一葉を余所に、ベッドの傍に立つ彼はベッドに座る一葉を見下ろした。
「まず倒れた原因は疲労と度重なる精神的な疲れが原因だそうです。倒れてからまだ半日ほど。精神的な疲れはまだしも、怪我や身体的な疲労はどうにもならないので、最低でもあと3、4日は安静にしているようにとのことです」
「そうですか」
「私個人としては、王家を守っていただいたことに感謝しています。さすが元『勇者』と言うところでしょう」
彼の言葉は穏やかだが、しかし皮肉にしか聞こえない。
喧嘩を売りに来たのだろうかと一葉は一層、眉を顰めた。
「それはともかく、私はアーサー王に命じられたので貴女に話をしに来ました」
「話、ですか……」
「はい。ですが、今日のところは手短にします。まずは貴女自体についてですが……先に言っておきます。もし衝撃を受けてもまた気絶しないでください。説明しなおすのが手間なので」
(何コイツ。超ウゼぇ!!)
返す返すも嫌味な人間である。
一葉は脈打つこめかみを感じつつも、苦労して笑顔を浮かべた。
「えぇ、もう大丈夫です。一応受け止める用意はあります」
「そうですか」
引きつりそうな頬を意志の力で抑えつけ、微笑を浮かべ続ける。一葉のそんな微かな努力に気付いたのか気付かないのかは定かではないが、彼は気にせず話を続けた。
「まず、私の名前はウィン=ヴァル=フォレイン。一応、宮廷魔術士に任ぜられています。父が侯爵の称号を持っているため、私自身は伯爵ということになります」
ま、研究には実力以外など関係ありませんがね。と、彼は嘯いた。
一葉はやはり嫌味かと思った。
「ウィンと呼んでください。敬語もいりません。面倒くさいですし、気持ちが悪いだけです」
「あぁ、そう…………!!」
(気持ちが悪いって! 気持ちが悪いって!! コイツは一体、私の何を知っていると!? ほんっとーにムカつくわ。性格マジ合わない!!)
「そうそう、今は高い音の6刻。そろそろ鐘が鳴るはずです」
憮然とする一葉を全く構わないウィン。彼の言葉の通り、高い音の鐘が6回鳴り響いた。
「この世界では1日を12に分けてあり、1刻ごとに時間の数だけ鐘が鳴ります。昼間の時刻は高い音、夜の時刻は低い音。これは覚えておいてください」
「……わかった」
「謁見の間で貴女が倒れたのは高い音の2刻。ほぼ半日ほど意識を失っていました」
彼の説明から鑑みるに、どうやら窓から見えたのは夕焼けの色だったらしい。
そして彼女が召喚された部屋は謁見の間だという。それは、広いはずである。
「貴女が倒れた後、父……謁見の間で貴女の疑問に答えていたゼスト=ヴァル=フォレイン侯爵ですが、父と共に過去の記録を洗いなおしました。何せ書かれている文献が少ないのですぐに照合は終わりましたが……結論から言うと、『力ある人』が還ったという記録はありませんでした」
「そう……」
「それと、召喚についてですが……」
一瞬だけ口ごもったウィン。この男でも言い淀むことがあるのかと、一葉はどうでもいいことを考えていた。
まるで現実から無理矢理逃げるかのように。
「改めての説明になりますが、今現在召喚術としてこの世界の裏側に残っているものはあくまで劣化版です。本物は太古の時代に破棄されてしまったので、恐らくロットリア卿が利用した術も一般的な範囲を出ない召喚術でしょう。
貴女は別として、現在の召喚術とは本来この世界の内側にいる生物……それも主に魔獣しか喚び出せないものということです。それだけ限定されているうえ、資料にも還り方の手掛かりはありませんでした」
嫌味なほどにまっすぐと、一葉の瞳を覗き込みながら一語一語はっきりと言う。触媒は壊してしまった。世界を渡る方法は破棄されている。そもそも一葉は人を喚び出すための術で喚ばれたわけではなく、ほぼ偶然この場に存在している。
それは正しくお手上げだということ。
目をそらしても誤魔化しても、どうにもならないこと。
「そ……か……。なかった、かぁ……」
改めて止めを刺されるとやはりキツいものがある。
一葉はハッキリと青褪めたのだが、もともとあまり顔色が良くなかったせいもありウィンはそれに気づかなかった。
「しばらくはこの部屋で養生しながら暮らしてもらいます。理解しているでしょうが、勝手に出歩かないように。扉の前に衛士がいますので、まぁそれも無理でしょうが。
そのうち詳しいことについてはアーサー王からご連絡がくるでしょう。それまではゆっくりと体を休めてください」
「……とりあえず、ありがと……。当分は、甘えとくよ……」
ウィンの嫌味にも反抗する元気すら無い。彼には知られたくないが一葉は今、少しの衝撃さえあれば泣き叫ぶ自信があった。
できれば今すぐに出て行ってほしい。今だけは1人にしてほしい。今の彼女に外面を取り繕う余裕など無い。
(もう大丈夫だと思ったんだけどなぁ……ホント、何にも思い通りにならない)
一葉の願いが聞こえたのか、背を向けて部屋を出ていくウィンを見送る。扉が閉まった後に一葉はゆるゆると目を閉じた。
その目尻からポロリとひと粒だけ流した涙は、一葉自身にすら気づかれずに枕へと吸い込まれていったのだった。
「ウィン」
一葉の寝ている部屋から出たウィンは、歩き出してすぐに首を垂れることになった。
思いがけない人物が。いや、ある意味では予想通りの人物がウィンの視界に立っていたのだ。
「イチハさん、と言いましたか。彼女の様子はどうでしたか?」
ウィンがここを通るのを待っていたのだろう。謁見の間の玉座に座っていたままの恰好で、アリエラ王女がオロオロする衛士を引きつれてそこにいた。
「アリエラ様……また、部屋を抜け出したのですか?」
「1人で抜け出したら父様に叱られますからね。彼らに護衛をお願いしてここまで来ました」
ニコリと笑う彼女に、全く悪気など無いのだ。
だがしかし王女に『お願い』された側の衛士たちは、緊張と叱責の恐怖で顔色が悪い。
「あー、レイラ殿か、他の騎士たちは……」
「レイラはちょうど交代の時間だったようです。それに騎士の方々にお願いしたところで、どうせ反対されてここまで来られないでしょう? それで、彼女は?」
宮仕えの同僚たちも、思えば可哀想なものである。
近衛騎士は主に王族に関わる場所や人を護衛するのが職務。その立場は実力を反映して、衛士とは比べ物にならないほどに高い。憧れを集めて然るべき者たちなのだ。着任した時には大変喜んだであろう。まさかこの、一見大人しいアリエラ王女に苦労させられるとは思いもせずに。
そんな彼らの警備は本来、虫一匹通さないはずのモノ。それをなぜこの王女が抜け出せるのか、ウィンだけでなくミュゼル王城全体が感じている不思議である。
ため息を吐き、ウィンはいつもの微笑を浮かべた。
「彼女は恐らくまた眠っているでしょう。今まで相当な無理をしていたのか、体も心もボロボロなのです。しばらく休息が必要とのことでした」
「誰が診察したのですか?」
「トレス医師ですが」
「そう、彼ですか。それならば安心ですね。
…………ところでウィン、苛めてないですか?」
「私が苛める? まさか、滅相もない」
ウィンの目には、先ほどまで顔を合わせていた無表情と黒い瞳が浮かんだ。
焦げ茶の髪の少女が送ってきた視線は、小柄で可愛らしい外見とは裏腹にこちらを刺すような気迫のこもったもの。あれはあの程度の嫌味でメソメソするような女ではない。むしろ油断をすればこちらが利用され、圧倒されてしまうだろう。
眉を顰めてこちらをうかがう王女とそう変わらない年齢のはずだが、しかし内面はずいぶん違い、宮廷で慣れているウィンが驚くほどに太い肝を持っているように見えた。
「さぁ、いつまでも衛士を付き合わせては気の毒です。部屋に戻りましょう。今日は特にあのようなことがあったばかりです。警戒しすぎて無駄になることは無いでしょう。貴女に何かがあれば、騎士や衛士たちが責任を問われるのですから」
「わかりました。戻ります」
「……貴方がたも、持ち場に戻ってください。後は私が送り届けます」
見つけてしまった以上ついて来ざるを得なかった2人の衛士たち。彼らはウィンの言葉にいくらかホッとしたような表情を浮かべ、一礼をしてそれぞれ仕事へと戻っていった。
(元気になった頃に、お話をしに行きましょう。助けていただいたお礼も言わなければなりませんし……なにより、色々なお話を聞けるかもしれません!)
責任を分かっているつもりではあるが本当の意味では理解していない王女。周囲から大切に育てられたお蔭で非常に素直には育ったのだが、反面純粋すぎて衛士たちの気苦労を知らない箱入り状態でもある。
彼女は一葉がいる部屋の扉をちらりと見て、ウィンと共に身を翻したのだった。