幕間 侯爵家の義兄妹
碧の節白金の月、10日。今日は5、6日ごとにもらえる非番の日。白いカッターシャツと日本で言うチノパンに似た黒いパンツは普段通りの服装。人間ではない相棒を腰に下げて、パンツに合うような黒いブーツを履いた私の足どりは軽い。
私……如月一葉は、いつもの非番と同じように鼻歌交じりで城内を散策していた。偶然だったのか不吉な何かを感じたのかを後から判断することは出来ないけれど、その時の私はふと足を止めた。
そこをあの眼鏡が通りかかったのだ。
「イチハ、少々私の研究に力を貸してほしいのですが」
背後からかけられたウィンの声に私は不吉なものを感じる。振り返るまでに生まれた一瞬の躊躇を誰が責められるというのだ。実際に部屋を吹き飛ばされそうになったことは未だ記憶に新しい。
思わず反語で思考した後、私は何とか覚悟を決め振り返った。
「実験ね……まずは内容を聞かないと返事できないよ。巻き込まれてからノーラさんに叱られるのもヤだし」
「あぁ、そうでしたね。先日の光を生み出す紋章術、あれを改良したのですよ。爆発の確率は大幅に低くなりました」
「高確率で爆発する状態のモノを、私の部屋で試したんだー……」
ウィンはこちらをバカにするように肩を竦めた。
「だから最初から盾を張れと言ったでしょう。それにやれと言ったのはイチハではないですか」
まるで全ての原因が私にあるかのような物言いである。完成したと聞いたからこそ興味を持ったのだが、彼は全てを無視することにしたようだった。
眉を顰めた私には構わずウィンは話を進めた。
「前回の失敗を踏まえて今回は外で実験をします。事故対応として盾を作れる人間が欲しいのですが……何かあった時を考えれば、少々魔術士では危険だと思いましてね。盾を張れたとしても体一つでは身を守れない、何の罪も無い魔術士には少々頼み辛いのです。
衛士に頼むのも衛士と宮廷魔術士はあまり仲が良くないので色々と角が立ちます。かと言って比較的良い関係の近衛騎士では魔術の盾を使える人間も限られていますし、まず暇のある人間も少ないでしょう」
案に私を暇人だと言いたげな彼の口調に私の眉はさらに顰められる。『念のため』や『一応』という体を取ってはいるが、ウィンの中では何かの事故が起こることがほぼ決定されているのだろう。私のやる気は既にゼロに近かった。
「……ちょっと今日は都合が」
「私服で散歩しているということは今日非番でしょう。義兄のために力を貸してこそよく出来た義妹だとは思いませんか?
……まぁ、イチハにも予定というものがあるでしょう。もし貴女の手が空いていないならば、同じく非番のはずのレイラ殿に協力を頼んでも良いかもしれませんね。彼女なら土を操ることですし盾を作ることも出来るでしょう」
何の罪もない魔術士がどうなろうとも基本的に私は何とも思わない。普段から自分の実験でも同じようなことをしているのだろうから、心配するだけ無駄である。
しかし巻き込まれるのがレイラさんであればまた話は違うのだ。ここで断れば私の相棒に迷惑がかかることは決定している。真面目な彼女ならば訓練になるなどと言えば二つ返事で頷くであろう。ウィンにとってみれば真っ直ぐな人間を口先で操ることなど朝飯前に違いない。
そして、私がそう考えることも読んだ上で声をかけてきていることがまた腹立たしい。本当に汚い手を使うものである。
悩む私の顔を表面上はにこやかに、しかし瞳にはこちらを観察するような光を宿してウィンは返答を待っている。この男はいつもそうだ。私を実験動物か何かと思っている節が見え隠れしており、だからこそ素直に従うのが躊躇われるのだ。
いつからか彼の内心を慮ることが無くなった。彼の方も同じであろう。結局はお互い様なのである。
「……汚い」
「実験に参加ということでよろしいですね? では、訓練場へ向かいましょう」
彼にも私と同じような『幸運』が訪れないものか。
そう、私と同じくらい『多大』な幸運が。
「研究に使うと言ったら、他の魔術士たちがこぞって場所を空けてくれました。これならば思う存分に術を使えるでしょう」
「広いねぇ。実験目的だけでこれだけの広さを空けてもらえるって……実験の、っていうかウィンの危険度が分かる気がしたわ」
ウィンに連れられたのは王城の外にある訓練場。小学校の少々広い校庭ほどである騎士・衛士用の訓練場と比べて宮廷魔術士専用の訓練場は10倍程広くなっている。魔術には攻撃魔術が多大に含まれるため、どうしてもこれくらいの広さは必要になるのだろう。山が見え、空が広がるこの立地は非常にいいのだが、そこ彼処に魔術で開けられたと見える穴が大量に存在していた。とてもではないが和まない空間である。
とはいえ、私自身も『コトダマ』を使いこなせるようになるまでは同じような光景を量産していたのだが。
「さて。まずはこの間の光を生む紋章を実験しましょう」
「まず? いや、いいよ。マジでいいから何も言わないでお願い」
説明しようと口を開きかけたウィンだったが、思い直した私が必死に止めれば残念そうに口を閉ざした。出来ることならば実験をする前から危険率を推測したくないのだ。神に祈ったところで、神は私を見ていないのだから無駄である。
「さぁ、準備ができましたよ。念のためまたいつもの盾をお願いします」
「うぃー。『結界・創』」
誰が聞いても明らかにやる気のない私の返事。しかしやらなければ、主に私自身の心労的な意味で大変な目に遭うだろう。
損な性分だと分かってはいるが、止められないのだから甘んじて受け入れるしか無いのだろう。
私の意志により現れたシールドが紋章を書いた紙を囲う。防御力と遮光率は前回とは比べ物にならない程に上げている。ウィンの魔力を通さなければいけないために魔力自体は防げないが、これならばほぼ実害が無いだろうと自信を持てた。
「いきます」
掛け声とともにウィンは魔力を流し、その魔力を吸った紋章が薄く光始めた。そして僅かな後に小さな光が生まれる。ここまでは以前と同じだった。
「あー、ダメだねぇ。事故率ゼロに近づけても完全にゼロじゃなかったか」
「そうですね。今回も失敗です」
やはり光を保ち続けることは出来ず、すぐに純粋な魔力に変換されて爆発を起こした。前回同じものを見ていたために動揺も混乱も無く対処する。
「仕方ありませんね。こちらはもう少し改良しましょう。一旦盾を消してください」
しれっとしたウィンには全く反省の色が見えない。しかしそれは今更である。ため息を吐いた私はシールドを解除した。
「お願いだから、私の貴重な休みを返して……」
「では次です」
心からの言葉すらもウィンには届かない。
魔術士というものは魔術を研究し己を研究して、力を高め続けていく人間の事。彼ほど厚かましくなければ研究者という道を進むことなどできないのだろう。
正直に言えば早く部屋へ戻りたい。しかし一度付き合うと言ってしまった以上、私がこの終わらない悪夢から逃げ出すことは難しい様だった。
「……で、それは?」
「今度は風を生むものです。コレがあればイチハ程ではありませんが、多少はこの夏を自力で涼しく乗り越えられるのではないかと思いまして」
新しく用意された紋章は円と、流れるような曲線などがやはり複雑に書き込まれたもの。他にも細かい仕掛けがあるようだが私の乏しい知識では見分けることが出来なかった。
頭の良い人間が羨ましく思う。私に彼の頭の回転を数分の1でも分けてもらえば、アーサー王たちのような狸に良いように利用されずとも済むのだが。無い物ねだりと分かっていても見せつけられれば手を伸ばしてしまう自分が悲しかった。
「魔力は最初に呼び水代わりとして少し流すだけで、あとは周囲から自動的に取り込むようにしてみました。イチハがアリエラ様の腕輪にかけたという魔術を参考にしています」
「こ、コレは流石に爆発しない……よね?」
「……だといいのですが」
これほど細かいものが暴走すれば確実に大事故へと発展するだろう。そしてそのような時に限って私の勘が疼くのだ。
今のところ私を裏切らないのはこの予感だけだった。
「さぁ、いきますよ」
何よりも信用できる声に従った私は、ウィンには分からないように『コトダマ』を用意する。勝手なことをしたら実験の邪魔になるだろうが、備えあれば憂いなしという言葉もある。
顔色の変化を自覚しながら、私は輝き始めた紋章を見つめていたのだった。
「順調に魔力を吸い取って……おや……」
「……おや……じゃないから!」
本当に悲しいことに、やはり予感は的中してしまった。
ウィンの設計のどこが間違っていたのだろうか。その問いを思い浮かべるだけでも無駄である。未完成の術に余計な機能を付けた時点で失敗は目に見えていたのだ。
魔力の流れ込む速度が上がる。最早それは大河のように。
「あぁもう!」
「イチハ!?」
ウィンの声を背中に受ける。私は走りながら『狛犬』を抜き魔力を叩き込んだ。そしてそのまま紋章を構成している魔力を切り裂く。
『狛犬』は魔力を流せば切れ味が上がる。それはそのまま魔術すらも切り裂けるということ。ある程度の期待とある程度の諦めを以て紋章へ『狛犬』を打ち込んだのだが、やはりと言うか、その程度では魔力の流れまでをも断ち切ることは出来なかった。
水と同様で、流れる魔力により周囲の魔力が釣られているのだろう。
一度できてしまった流れを止めることは想像以上に難しいものなのだ。
集まりすぎた魔力はそう遠くないうちに確実に暴走する。『狛犬』を打ち込んだことで術にひびが入り、そこへ圧力が集中したことで決壊を早めてしまったのだ。
ウィンの傍まで下がった私は、珍しく慌てた表情のウィンをチラリと確認して舌打ちをした。今の私を両親が見たとしたら嘆くだろう。それほどまでに柄が悪くなってしまった。
「こ、これは流石にマズいですね」
「今さら言っても遅いわ、このバカ!」
「ば、馬鹿とは何ですか!」
「うるさい! そこにいたら邪魔!」
ウィンを一喝し『コトダマ』を発動する。万が一ウィンが爆発に巻き込まれたとしても責任は取らない。私が護りきれる範囲にいない方が悪いのだ。人間でしかない私には全てを護ることなどできない。
使える魔力全てを使ってシールドに力ずくの強化を施した。それでも翳した腕にはとてつもない圧力がかかる。
『結界・護!』
響く日本語の叫びと同時に、視界は純白に染まった。
その日ミュゼル王国の王城は、局地的な地震と暴力的な魔力の嵐に見舞われたという。
「死ぬかと思った……」
「いや……申し訳ありませんでした」
私が魔力切れを起こしたことなど数える程しか無い。それにも拘らず今の私は疲れ切り地面へと倒れ込んでいた。今までの有るか無いかずつの消費量に慣れた身体が、いきなり大量の魔力を使ったことで悲鳴を上げたようだった。
これではしばらく休まなければ動けないだろう。
「……下手したら死人が出てたような気がする。だから最初から私に声をかけた?」
「まぁ、そうなりますね」
飄々と返事をしたように見えて、流石のウィンも青褪めている。私自身も血の気がひいていることであろう。
私たちを中心にして2メートルの平地があり、その外側は20メートルほどの範囲で土が抉れていた。深さは1メートルも無いだろう。実に器用な状態で『クレーター』が出来上がっていた。
時間が経つにつれて城内から見物人がちらほらと出てきたが、爆発の原因がウィンだと分かればすぐに帰っていく。それも、焦り顔を納得顔に変えて帰っていくのだ。
お蔭で見物人が溜まらず見晴らしが良いままであった。
ウィンが普段からどれだけの騒ぎを起こしているのか、気になるばかりである。
「いやもうホント今度から、最低限爆発しない確率のほうが高くなってから実験に誘って……。っていうか私を巻き込まないで……」
「えぇ、最大まで改良してから声をかけることにします」
返答も声も、私の意見など全く気にもしていないことがよく表れていた。
恐らくまた同じ目に遭うのだろうと私の中の何かが囁いたのだった。
ウィンが爆発なしで運用できる紋章魔術を完成させたのはその月の末だった。それは小さな器の中に少しだけ水を溜めるだけのものだったが、研究開始からの時間を考えれば驚くべき成果であろう。
そんな『天つ才』を体で表しているウィン、彼を横目に見た私は今日も『コトダマ』を使う。私自身が居なくともある程度ならば室温を保てるように『コトダマ』を改良したのだ。それを体感したウィンはますます意欲を燃やしている。
色々な方面からの干渉が考えられるため、未だ私がいる場所でしか使えないということにしている。身分や柵で行動を強制されたり制限されるよりは、折角改良した『コトダマ』だが披露する場所を減らした方が良いと判断したためである。
しかしほんの僅かだが。
確かに才気を持っていたと証明したウィンに対して、その彼でも出来ないだろうことを見せびらかしたいと言う理由があったのは私だけの秘密にしておこう。