第18話 はじまりの朝
「良くお似合いですよ」
碧の節黒の月2日。一葉は本日よりイチハ=ヴァル=キサラギとして近衛騎士となる。
「ありがとうございます。でもちょっとまだ落ち着かないですね。カッコいい制服なだけに慣れないっていうか、何だか服と甲冑に着られてそうで」
「毎日着ていればすぐに慣れますよ」
返り血対策として常に黒シャツ・黒パンツとブーツで過ごしてきた一葉。成人式にすら出ていない彼女は立派な服を着る機会など無かったため、落ち着かなさ気にしている。
そわそわとしている主にサーシャはこっそりと苦笑した。一葉は貴族の一員であるサーシャから見ても育ちが良い。所作に品があるため騎士の恰好はとても似合って見えるのだが、本人にとっては違うらしい。
「そう言えばサーシャさん、昨日部屋に届いたお茶はどうしました? かなり高いものじゃないかって言ってましたよね」
「あれは送っていただいた方にしっかりとお礼を申し上げたいので、昨日のうちにゼスト様へお届けいたしました」
何でもない風のサーシャ。
前日の昼ごろの話であるが、綺麗に包まれた茶葉が匿名で一葉の部屋へ届けられたのだ。サーシャが見たところ最高級の逸品ではあったが、その中には神経を麻痺させる毒薬が細かく刻まれて紛れ込んでいた。幸いなことに一葉にとっては致死量では無かった。単に体が麻痺するだけの効果しかないと言うが、しかしそれでも誰かの悪意があることには変わりがない。
もし未だに一葉の身体が弱ったままなら、命に関わる可能性もあったのだ。
「何だか緑茶に似てる葉っぱだったし。ちょっと飲みたかった気もしますねぇ」
一葉は多少の本音を紛れ込ませながらニヤリと笑い、おもむろに2度手を打ち合わせた。乾いた音が響くそれは、一葉の故郷である日本において邪を祓い場を清めるために行われる、柏手と呼ばれているもの。窺われている鬱陶しい視線や術の気配を一葉は絶ったのだ。
突然前触れも無く術を破られた相手は非常に驚いているだろうと、少々面白く思いながらサーシャは会話を続けた。
「イチハ様。昨夜から今朝にかけてお客様がいらっしゃいましたが、イチハ様はお休みだったために一旦帰っていただきました。無理にでもと仰る方もいらっしゃいましたが、丁寧に対応をすれば分かっていただけましたね」
「あらー……そうでしたか。遅くまでありがとうございました、サーシャさん。それでどのくらい?」
「様子見が2組、何か小細工をしようとした者が1組です。しかも全て未熟者。その程度の人間を寄越すなどイチハ様を馬鹿にされたようでいい気分はしませんね」
冷ややかに言うサーシャに、一葉はため息をついた。まさか彼女の売り込み文句がこんなに早く実現するとは思ってもいなかったのだ。
本当に、彼女のお蔭で夜も安心できる。
「や、別に高く買われなくていいんです。むしろ迷惑です。確かに私は今日から騎士になりますが、私の中身は他の騎士とは全然違うと思いますし。貴族として育ったわけでもないし、まず育った文化が違うんです。こんな風に見くびられてもむしろラッキーなんですよ。無駄に強い相手でも手間がかかるだけですし、危ないし」
「らっきー、ですか」
冷たい怒りから一転、キョトンとした表情のサーシャに一葉は噴き出した。
「あ、ごめんなさい。私の故郷の言葉で幸運って意味です」
「なるほど。確かに迎撃する側にとっては幸運ですね」
「あはは、そうでしょう?」
くすくすと笑う一葉だったがそれも僅か、すぐに鬱陶しそうにため息を吐いた。
「しっかし……暇ですねぇ貴族って。他にやることないのかな」
「基本的に忙しいのは補佐や下につく人間ですからね。大貴族ではなく当主でもない、名前だけの貴族はとても暇だと思います。こうなることを見越して義妹にするなどウィン様も酷いことをなさったものです」
今や自らも大貴族の令嬢という現実をすっかり忘れた一葉。そしてそんな一葉の境遇に、許可を出しただけのウィンに対して八つ当たりに近い思いを抱くサーシャ。
(イチハ様が利用されることを選んだ者たちや、それを止められない……止めるわけにもいかない私自身にも。本当に腹が立ちます)
本人が言うとおり、一葉が小娘として嘗められている現在はまだいいのだ。しかし本気で実力行使をされた場合には今のように無傷で撃退しきれないかもしれない。もしも術を封じられたとしたらどうだろうか。サーシャは一葉が魔術ほど体術に長けてはいないことを見抜いていた。
そして『狙われている』というその一点があるだけで安心できない精神状態を、剣であり盾である道を選んだ彼女は嫌というほどに知っていた。
「まぁ、実力行使を認められてるだけいいかもしれませんけどね。我慢して付き合わなくていいし苛々したときに八つ当たりできるし」
「確かにそうですね。それだけはその、らっきー? だったかもしれません」
覚えたばかりの地球固有の言葉を使うサーシャにクスクスと笑いながら、一葉は懐から時計を取りだした。あと四半刻ほどで高い音の鐘が鳴るほどの時間である。
「さぁて、そろそろ時間ですか」
仕事を開始する時間に丁度で到着するのでは、ただでさえ評判のよくない一葉では常識を疑われても仕方がないだろう。
(いい加減よりは真面目の方が、後々無理が利くでしょ)
この国の標準的な仕事時間は日本とそう変わらず高い音の1刻から高い音の6刻までのため、そろそろ執務室の扉を叩いても失礼には当たらない。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて。実験の成果を活かせればよいのですが」
侍女の言葉に苦労を思い出し、苦笑いを浮かべた一葉。サーシャには一葉の目的のために色々と協力をしてもらったが、その苦労と試行錯誤を思い出すだけで恐怖と苦笑いが半々で浮かんでくるのだ。
そんな複雑な思いを抱きつつ、イチハ=ヴァル=キサラギは廊下へと踏み出したのだった。
到着してすぐに通された執務室。高い音の鐘が鳴るかならないかと言う時間にもかかわらず、王だけでなく宰相、騎士団長、レイラ、アリエラが既に顔をそろえていた。
「よく来たな。待っていた」
「一葉=ヴァル=如月、参りました。……もしかして、遅刻しましたか?」
「いいや」
心配そうな一葉へアーサー王は笑いかけた。
「やはりお前が騎士になる瞬間を早く見たかったのだろう。それぞれが待ちきれずに朝早くから押しかけてきたと言うわけだ」
「よかった……待たせた上に遅刻なんてしたら、目も当てられませんし」
ホッと胸をなで下ろした一葉。
そんな彼女と目があったアリエラが、ニコリと微笑む。
「イチハ、よく似合っていますよ」
「あー……ありがと。まだこの恰好に慣れてないけどねぇ……なんか子供が服に着られてる感覚というか……」
アリエラの賞賛に一葉は渋い表情を返す。そして1つ息を吐き、目を開ければ普段の表情。
目を合わせたアーサー王も重々しく、公の場の顔を見せた。
「イチハ=ヴァル=キサラギ、そなたを今この瞬間からミュゼル王国近衛騎士団の騎士とする。まずは騎士として組む相方を改めて紹介しよう。レイラ=ルーナ=アーレシアだ」
「はい」
控えていた壁際から1歩進み出たレイラに一葉は体ごと向き直る。
(何日ぶりに顔を合わせるかな。……なんか、時間が遠いな)
レイラは強い光を持った瞳を向け、一葉は水のように凪いだ瞳を向けた。
「イチハ=ヴァル=キサラギ殿。私レイラ=ルーナ=アーレシアは自分の力を磨き、貴殿と並ぶにふさわしい騎士として精進してまいります。これより先に待つ苦難に際し、貴殿の隣に私が在ることをお許しください」
左胸に右手を当てて深々と頭を垂れるレイラ。一葉には騎士として騎士に対する礼儀など分からない。しかし明らかにこれは、今日から騎士になる後輩への態度でないことは分かる。
焦げ茶の髪の騎士は表情を一層引き締めた。
(ただの挨拶? 馬鹿言うな。これはそんな軽いモノじゃない)
だからこそ自分の言葉で、レイラに返せる言葉を探した。
「……私は、レイラさんと一緒なら心強いと思っています。私は、知らないことも出来ないことも見えないものも、何から何までたくさんあります。何かと迷惑をかけると思いますけど、これからもよろしくお願いします」
一葉も深く頭を下げる。そして2人は並び立ち、アーサー王へと向き直ったのだった。
「この組は大事が無い限り変わることがない。お互いを自分のことのように思い上手くやっていくように」
『はい』
2人の返事にアーサー王は満足げな表情を浮かべ、先を続けた。
「次にイチハが護る相手だが、先日も伝えたとおりアリエラに付いてもらう。アリエラ」
「はい、父上。……イチハ、あなたが私の騎士になってくれて嬉しいです。改めてあなたに誓います。私は強くなります。あなたに護られる人間に相応しくあるように。どうかそれを、すぐ近くで見ていてください」
アーサー王の傍らに立っていたアリエラもまた一葉をまっすぐに見つめた。
数日前に同じ場所で、泣きながら言った言葉。アリエラはそれを今度は微笑みながら誓った。その彼女に一葉が返す言葉もただ一つしかない。
「私は何度でもアリアを助けるよ」
他人の思惑でなった騎士としてではなく、自分が自分としてそう思ったから護る。
(王様もウィンもゼストさんも、何にも関係ない。私にできるのはアリアを護って、レイラさんとサーシャさんに恥じないようにするだけ)
王や宰相、騎士団長の思惑など関係がないと切り捨ててまで言った言葉は、しかし騎士として誓うよりも強い言葉だった。
その言葉に込められた様々な意味をアリエラはまだ知らない。しかしその真剣な空気だけは強く記憶に刻まれていた。
「公式の場では王女と騎士として振舞ってくれよ?」
「ご希望に沿えるかはわかりませんね。私は私のやりたいようにやります。それくらいの『自由』は許されますよね?」
しれっと言い放つ一葉はアーサー王と視線を合わせ、ニヤリと笑むのだった。
「そう言えば昨日お茶が届きました。サーシャさ……対応に出た侍女の話では、かなり高価なものだということですが」
「それはゼストから聞いている。こちらで確認が取れ次第手を打つ予定だ」
「ありがとうございます。それからこれも侍女の話ですが、夜に様子見が2組、手を出そうとしたのが1組いたそうです」
「デリラ家の娘か。噂通り有能らしいな」
アーサー王もゼストを通じてサーシャと面識がある。そのため不届き者のその後も大体予想がついたのだが、アーサー王は特に気にしないことにした。
「それだけか?」
「いえ、今朝も監視されていたみたいなので術を壊しました」
あっさりと言う言葉に対し、その場にいる人間には苦笑いしか浮かばない。
その口調は今朝の食事を語るようなものだが、その実それは大変なことである。自分のまわりにかけられている見えない術を感知し、その効果を打ち消すのだ。下手をすれば術同士が干渉し大惨事になったことだろう。
「そうか。先ほど医務室が騒がしかったようだがそれが原い……いや、待て」
眉を顰めて頭を振ったアーサー王。彼は呆れたような視線を焦げ茶の髪の少女へと向けるが、当の本人は何事もなかったかのような表情をしている。
「イチハ。何をした?」
「何のことでしょうか?」
とぼける一葉にアーサー王は苦笑した。
「お前のことだ。術の打ち消しだけなどと生ぬるいことはしまい? お前は無抵抗主義などではなかったはずだ。一見無抵抗に見えても後々きっちりと望む結果を回収していくだろう。
ところで今朝医務室に運ばれた者は、急病だということで担ぎ込まれたようだ。しかし本人に重い病など見つからなかったらしいぞ」
だからこそ医務室は騒然とした。原因が分からないにも拘らず現に患者は倒れたのだから。しかし『彼』は病を持ってはいない。大病の経歴もない。術を破られた反動で運び込まれた訳でもない。
術を破られた際に『どこからか』大量の魔力が逆に流れ込んだために、体内の魔力を上手く調整できず気絶したのだ。
「そうだな。術を破る『ついでに』、『うっかり』何か仕掛けたのだろう?」
「どうですかねー」
一葉はとぼけたが周囲は信じていない。実際アーサー王の予想通り、術者が倒れた原因は一葉の柏手にあった。1度目の音は術を壊すため。そして2度目は魔力を叩きつけるため。
(あーあ、バレてるし。まぁすぐに分かるよな。
……手を出す方が悪いと思うけど。隠れてるってことは悪いことしてる自覚があるんでしょ。なら、自分も反撃される覚悟くらいしたっていいと思うし)
自分だけ安全圏にいて相手に害を与えるなど、誰が受け入れても一葉が甘んじて受け入れるわけがない。
「まぁいい。もしまた何かがあればこれまで通り、遠慮せずに撃退するがいい。本来ならば出会わないはずの人間だ。自分の生活範囲から出ない限りは相手も濡れ衣を着せられないだろう」
「分かりました。サ……侍女にも、伝えておきます」
彼女ならば笑顔で受け入れそうだと一葉は思う。彼の子爵令嬢が案外好戦的だと短い付き合いの中で学んでいた。
「さて、これで今の用事は済んだ。アリエラは部屋に戻れ。レイラとイチハはアリエラを部屋へ送りそのまま護衛の任へ着くように」
「はい、父上」
『承知しました』
アーサー王の言葉を受けて3人は一礼をし、執務室を退出したのだった。
アリエラの私室は王族のために執務室の上、最上階の10階にある。
「イチハ、これが王族専用の庭園です」
「おー、これはまた……すごいねぇ」
私室へ戻る前にどうしても、とアリエラから案内されたのは、執務室の真上にある屋上庭園。
「……えぇと、戻りが遅くなっても大丈夫なものです?」
「はい、後に予定がある訳ではないので大丈夫ですよ」
一葉がレイラにこっそりと確認すれば、是という返答が得られた。どこまでの行動が許容されるのかがわからないため、一葉はレイラに判断してもらう他ないのだ。
安心して見渡した庭園は流石に屋上であり、見上げた先に広がるのは様々な青。見渡す限りの青空、綺麗に手入れされた緑、美しい軌跡の水が舞う庭園がそこには広がっていた。
「うーん、噴水かぁ……。機械も無いのにこんな高い所までどうやって汲み上げてるのか気になるわー……」
「え? 魔術ですけど」
一葉の誰に向けたわけでもない小さな呟きはアリエラの耳に届き、彼女のお蔭でその疑問が砕け散った。
(あー……そうか、そうだよな……自分も『コトダマ』あったじゃんね……気が付かない自分にヘコむわー)
肩を落としがっかりする一葉には全く気付かず、アリエラは他の何かに気付いた。
「あ」
彼女の声に一葉とレイラも目を向ける。
「あらアリア。イチハの案内かしら?」
「はい母様。どうしてもここをイチハに見せたくて」
そこにいた先客は、2人の女性騎士を護衛につけたアイリアナ王妃。片方の騎士は薄茶の髪をショートボブにした快活そうな女性で、もう1人は同じく薄茶色の髪を肩よりも少し長く伸ばしている落ち着いた女性。一葉よりもわずかに薄い黒瞳をもつ双子だが、それぞれの雰囲気は不思議と同じではなかった。
「レイラちゃんじゃない。久しぶり! あ、もう着任したのね」
「イチハ殿は有名だから、朝早くの着任じゃないと鬱陶しい邪魔者が多いものね」
「大変よね……っと、失礼いたしました」
「いいえ、わたくしたちしか聞いていませんから。問題はありませんよ」
主をおいて発言してしまったことへ謝る双子に、アイリアナは優しく微笑んだ。そんな3人を余所に一葉は頬が引きつりそうである。
(有名。邪魔者。……うわぁ……)
一葉は自分の悪評などを嫌というほど知っているためにげんなりしたが、今は仕事を持つ身になった。まずは新任としての挨拶を優先することにし、アイリアナへ向けて出来るだけ丁寧に頭を下げた。
「本日より近衛騎士へ配属されました、一葉=ヴァル=如月です。これからお世話になりますので、改めてよろしくお願いします」
「えぇ。アリアをどうかよろしくお願いしますね」
頷くアイリアナに、頭を上げた一葉はニコリと微笑んだ。
「彼女たちはわたくしの騎士たちで、アレナとエルです。2人とも、挨拶を」
「はい。
……何度か顔を合わせてはいますが名乗ってはいませんね。私は双子の姉でアレネア=ジェメルです。アレナと呼んでくださいね。改めてよろしく、イチハ殿」
「私は双子の妹でエリシア=ジェメルです。私もエルと呼んでくださいね、イチハ殿」
「アレナさんに、エルさんですか。私は一葉=ヴァル=如月です。私の方が後輩なので『一葉』で結構です。むしろ気軽に話しかけていただけると嬉しいです」
双子の自己紹介を受け、一葉も名乗りつつ頭を下げた。それを受けた双子はしばし俯き、やがて。
『かーわーいーいー!! もう、持って帰りたーい!!』
一葉の挨拶に感極まった双子は、主へ許可を取り一葉に突撃する。身を退きそうになる一葉だったがそれよりも早く双子へ捕獲された。さすがに護衛を任されるほどの騎士、『コトダマ』を使わない一葉程度なら制圧は簡単だった。
「レイラちゃんだけでも可愛いけどイチハ殿も可愛い! いやもう、イチハちゃんって呼ぶわっ!」
「そうね姉さん。だってイチハちゃん可愛らしいもの! 『イチハ殿』なんて厳つくて似合わないわ!!」
何かに取りつかれたように両側から一葉を撫で続ける双子。普段であれば頭を撫でられることや『可愛い』と言われることにあまりいい気はしないのだが、この双子に対しては全く怒りがわかない。一葉を侮って子供扱いしている訳ではなく、言わばただの歳下扱いだからこそだろう。
本当に本心から可愛いと言われたならば、一葉もやはり悪い気はしない。確かにかなり戸惑ってはいるが。
「アレナ殿、エル殿。イチハ殿が困っているようですが……」
「あらそう? 気付かなかったわ。ごめんねイチハちゃん。レイラちゃんだけじゃ足りなくて。最近可愛いものに飢えてたのよ……」
「まさかアリエラ様で補給する訳にもいかないし、レイラちゃんは相方がいないから中々暇がないし、副団長は流石にコワいし、先輩たちにはこんなこと出来ないし、後輩でもウッカリ可愛いとか言ったら斬りかかられそうだし」
「あの子たちホントに剣しか頭に無いんだもの」
「確かに『えぇー、重ぉーい。こんなの持てなぁーい』とか言ったら男どもに馬鹿にされるけどね、あそこまでいくと引くわ!」
「まず女の子少なすぎるのよ、この職場。だから余計に肩肘張らなきゃいけなくて、お蔭で女の子が厳つくなるのよね」
「ホントよね!! まぁ、そういう訳でちょっと飢えてたの。ごめんなさいね」
「い、いえ……大丈夫、です……」
止まるところを知らない双子の話に、一葉はどう反応したものか分からず曖昧に笑っている。そんな一葉が双子から解放されたタイミングで、アリエラもまたアイリアナへ頭を下げた。
「それでは母様、私たちはこれで失礼しますね」
「えぇ。そのうちイチハとレイラも含めてお茶でもしましょう」
身を翻したアリエラに合わせて、一葉たちも3人へ頭を下げ主の後を追った。歩きながら一葉はたった今会った先輩たちを思い出す。
「……本気じゃなかったと言っても、逃げられなかったし、振りほどけもしなかったです」
「何かと権力や発言権のある貴族を押しのけ、実力のみで平民から今の地位を得た方々です。近衛騎士でも指折りの実力ですから……」
一葉の真価が『狛犬』と『コトダマ』を使いこなすことにあると理解しているレイラは、軽く落ち込む一葉をフォローする。それが分かった一葉は苦笑いを浮かべるのだった。
「イチハが来るまでのレイラは、よく双子の騎士たちの話をしていましたよ」
アリエラのからかいに今度はレイラが苦笑する。彼女が双子の先輩たちを本心から尊敬していることがその声から分かるため、一葉は素直に微笑んだ。
広い。
今の一葉には、日本で暮らしていた部屋が5つほど入りそうな広さの私室を与えられている。しかしそこには、それよりもさらに2倍ほど広い空間が広がっていた。アリエラの私室は王女様の私室というより普通の女の子の部屋で、それが一葉に対して非常に安心感を与えている。
(贅沢って言うより……単純に可愛い部屋だわ。うん、いい趣味)
確かにそれぞれに高価なものであろう。しかし金にモノを言わせたアンバランスな空間ではない。カーテンや内装などはあくまでも上質ではあるが、見た目には普通の部屋である。だからこそ所々に置いてある小物たちが余計に可愛らしく映った。
少なくとも前の世界の王女様……一葉を召喚した巫女は、見るからに贅沢な生活をしていたようだった。王族と言えどもそれぞれ生活が違うようである。
「ふふっ、自分の私室ながらすごくいい部屋だと思いますが、どうですか?」
「うん……なんだかすごく落ち着くね。趣味もいい」
褒められたアリエラはとても嬉しそうに微笑み、一葉の目元も同じく緩む。
「さてイチハ。基本的には私と一緒にこの部屋で控えていてもらうことになるでしょうね。もちろん壁際に立っていろとは言いません。一緒にお茶を楽しんだりお話をしたりしながら私の護衛をしてください」
「それはありがたいけど……護衛としてはそれでいいんです?」
一葉はレイラに尋ねた。アリエラの言葉は嬉しくありがたいのだが、騎士として許されているかはまた別の話である。そのためには一般的な騎士としての仕事も知っておかねばならない。レイラは少しだけ考えてから一葉へ返答をした。
「一般的にはやはり侍女のように別間に控えているか、もしくは壁際に控えているかが基本です。しかし王家の方々の私室や生活空間内のみ、それぞれの方に合わせて自由にして良いとアーサー王から言われております」
「ありがとう……安心しました」
いくらアリエラが許していたとしても、ここにいるのはレイラとアリエラだけではない。侍女やその他の騎士もいる以上自信は無いし苦手ではあるが、線引きするべきであればきちんとした態度で接することも一葉は考えていたのだ。
だからこそ私的空間で許されている案外緩い空気に少々安心した。
「さて、仕事……の前にアリア。ゴメン、宝石か希少金属を使ったアクセとか持ってる? っていうか、今私に一瞬でも預けられたりする?」
「……あくせ?」
「っあー……そっか、これはダメか。えっと、宝飾でいいのかな。腕輪とか指輪とかそういうの」
「あ、そうでしたか。ちょっと待ってくださいね」
一葉の言葉に頷いたアリエラは、鏡のついた化粧台からいくつかの宝飾類を持ってきた。
余談ではあるが、この国では歪みなく映し出す鏡はかなり高価なものである。それが普通にあることが王女の私室であることを示していた。
「これでどうでしょう。……一体何を?」
「うん、まぁ……ちょっとした仕掛けなんだけどね」
一葉はそう言いつつアリエラの手からひとつの腕輪を選ぶ。それは白金の華奢な鎖で作られ、碧の宝石がついたもの。
(これならどんなドレスでも不自然じゃないかな?)
そして。
『薄氷の絶対安全圏』
腕輪に対して、何かと危険がある友人のための魔法をかける。そして僅かに小首を傾げた一葉は2つ目の『コトダマ』を紡いだ。
『途切れぬ願い』
願いが続く条件をつけた。肝心な時に魔力切れで術が発動しないなどとなれば、泣くに泣けない。
「……よし、大丈夫そう。はい、これ。出来るだけいつも持っててね」
ぽいっ、と守護の術をかけた腕輪をアリエラに返す。その幾分雑な動作は『コトダマ』に込められた気持ちに対する照れくささから来るものだった。
行動にも気持ちにも気付かないアリエラは好奇心でキラキラと輝いた瞳を、見るともなしに見ていたレイラは興味深そうな視線を腕輪へ注いだ。
「イチハ、今のはどのような術なのですか?」
「一体どのような術をかけられたのでしょうか」
同時に口を開いた、興味津々の2人に対して一葉は微笑んだ。
「いつも私かレイラさんと一緒にいるわけでもないし、もしものために1回だけ、どんなことからも護ってくれるようにお呪いをね。色々試したけど……この術は余計な混じりものが無い物の方が、術の掛かりがいいみたい。高い宝石とか希少金属ってなぜか魔力と相性がいいし、アリアが持ってるものなら安物の訳がないし」
ロットリア卿の事件から常々この術をかけようとは思っていたのだが、様々な事情から今日まで機会が無かったのだ。しかし幸運なことに暇だけはたくさんあった。
(サーシャさんのナイフもしっかり防げたし。……あれは術が無かったら人生を詰む攻撃だったよね)
一葉はその身で術の効果を確認したのだ。サーシャが侍女になってくれて心の底から安堵した一葉だった。敵として現れたら恐ろしくて夜も眠れないだろう。
「おまじない……?」
一方不思議そうなアリエラの顔を見て、一葉も首をかしげる。
「んー、この世界にはお呪いってないのかな? それとも文化の違いか。……えっと、とりあえずお祈りみたいなもの、かな?」
分かったような分からないような表情をするアリエラは、一瞬後には別のことへ興味が移ったようだった。
(うわー、分かりやすーい。ゼストさんの授業でもこうなんだろうなー)
それは自分の分からないこと、興味が無いこと、興味が薄れたことよりも、より興味を惹かれるものへとすぐに目移りするという意味で。
そんな一葉に今度はレイラが質問をする。
「なぜ1度なのでしょうか。2度、3度と使用できた方が効率的にも良いのでは?」
「それがそうでもないみたいです。やっぱり回数が増えると効果が薄くなりますし、それはちょっと。やっぱり機能上少しでも不安があったらマズいし……それに、2回目が必要ないように私たちがいるわけですしね」
「そうですね。失礼しました」
納得したレイラと入れ替わるようにして、不思議そうなアリエラが再び質問をした。
「それならば、他にも同じ術をかけたものをいくつも身につければ良いのでは? それに試したと言っていましたが、イチハは腕輪などを持っていないようです」
「あぁ、それね……私も同じこと考えて試したんだけど、同じ術をかけても持ち主が危険を感じたら全部の術が発動しちゃって意味なかったんだ。のんびり使い分けてたらそれだけ危ないでしょ」
「……確かにそうですね」
(1回って限定した方が自分がどれだけ危ない立場なのかを意識してくれそうだしね。守られ慣れてないアリアならそれくらいが丁度いいでしょ)
そう思いながら一葉は肩をすくめた。
「私が持ってないのは単純な理由。危ないと思ったら自前で盾を出せるから、使う機会が無いんだよね」
便利な装備も善し悪しであると一葉は思っている。道具を持ちすぎればそのまま過信につながるのだから。安心は道具で買えるかもしれないが、そこから危機感を取り戻すのは難しい。
「これでも少しは強いんだよ?」
「そうですね。イチハもレイラも頼りにしています」
アリエラの言葉に一葉は悪戯っぽく、レイラは生真面目に一礼をして返したのだった。