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流界の魔女  作者: blazeblue
蠢く闇の色
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第17話 信用と信頼、それは似て非なるもの




 アーサー王の執務室を辞した一葉とウィンは、階段を下りながら向かう道すがらと同じく雑談を交わす。



「本当に今日までだったね、私の世話」

「だからそう言ったでしょう。信じてもらえないとは寂しい限りですね。貴女には誠意を以て向き合ってきたつもりでしたが」



 一葉は眉を顰めた。ちらりと隣を確認し、改めて前を向く。



(どの口が言うか。清々するって言いたげな顔してるくせに。『寂しい限りです』とかしれっと言えるアンタのその人間性を心の底から疑うわ)



 そうは思うものの、懸命にも彼女は口に出すことを控えた。その代わりに当たり障りない言葉を継ぐ。



「まぁ、これからも何かと顔を合わせると思うしね。あんまり今までと変わりないかな、義兄ぃちゃん? 別に来なくてもいいけどね」



 言葉の応酬をしているうちに8階に到着した。階段を降りたところで行先の違うウィンとは別れることになる。



「では、私はこのまま詰所へ向かうのでここで」

「うん。あー、ベルトありがとうね。報酬だと思って受け取っておくよ」



 先ほどとは逆に、今度はウィンが渋い顔をした。



「こういう時くらい感傷に浸ってもと言ったのは貴女でしょうに。より生々しいではないですか」

「残念、相手に合わせて対応を変えるのが私っていう人間だから。ごめんねー? 可愛い義妹じゃなくてさー。無条件で贈り物が来るとちょっと疑いたくなっちゃって」



 そして涼しい表情の一葉。

 負い目から一葉と上手くいかなかった時間のせいで忘れていたが、ウィンは再び心に刻んだ。イチハとはこういう人間だ。好意には好意を、悪意には悪意を。

 こちらが含みを持つならば言葉の端々に何かしらの意味を持たせた上で、こちらがどう反応するかを常に観察している。そしてその観察結果を総合してこちらの思惑を推し量ってみせるのだ。



 決して嫌いではないし悪い人間ではない。害になる人間ならばどのような手段を使ってでも排除しただろう。

 しかし子供を相手にしているつもりで甘く見ると、いつの間にかこちらが痛い目を見るのだ。



 その実力は全面的な信頼に値するが、彼女の内面を信用するなどはもっての外。確かに全く無いとは言わないが、ウィンたちは慈善的な心情のみでイチハを家族に迎えたわけではないのだから。こちらに思惑がある以上、鏡のような彼女もこちらを信用してはいないだろう。



「随分ひねくれた性格をしていますね? 他人の好意を素直に好意として受け取れない人間はどうかと思いますが。しかしイチハの世界ではそれが普通なのでしょうか? そうだとすれば私が責めるべきではありませんね。謝ります」

「いやぁ、行為には好意を返せっていうのが親の教えだけどね。ただ、私の中にある好意の定義とウィンたちの好意の定義の間にズレが無いか、そのうち確認が必要だと思うな」



 目の前にいる相手をお互いに『信用できない』と思っていることを全く隠そうとせず、2人は微笑み合ってそれぞれの場所へと向かったのだった。



 ウィンは知らない。お互いに決して完全に信用などしていない2人。その関係上で贈り物をされた一葉が反射的に憎まれ口を叩いてしまったことを。



 一葉は知らない。ウィンに対する評価などが相手からのものと全く同じだったことを。








「お帰りなさいませイチハ様」

「ただいま帰りました。ちょっと疲れたのでお茶がほしいです」



 着替えを用意して出迎えたサーシャは一葉の言葉遣いを注意しようと思ったが、その表情が本当に疲れていたため控えることにした。



「分かりました。すぐに用意致しましょう」



 サーシャが紅茶の用意をする間に、一葉は外出着から部屋着に着替えた。椅子へ座り深く息を吐くと同時に、一葉の前のテーブルに紅茶のカップが置かれる。



「ありがとうございます……ふー……やっぱサーシャさんがいてくれて良かった……」

「そう言っていただけるととても嬉しいです」



 一葉の呟きを聞いたサーシャ。彼女は微笑むと普段とても落ち着いている雰囲気が一気に柔らかくなる。ついさっきまで色々と心がささくれていた一葉は、彼女のその雰囲気ひとつで癒された気がした。

 年上で細かいところを注意するサーシャは厳しいが、その分一葉を気にしていることを全身で伝えてくれている。一葉はそんなサーシャを姉のように感じており、出会ってから日は経っていないがとても頼りにしているのだった。



「ウィン様に苛められませんでしたか?」

「んー、いつもどおりですかねぇ。ムカっとは来たけどその分やり返したので大丈夫です」



 それを聞いたサーシャは深く頷く。



「ウィン様は気に入らない者に対して、徹底的に無視を決め込むか言葉により叩きのめしますが……今はそれなりに会話を楽しんでいる様子ですからね。その分イチハ様を気に入ってはいるのでしょうが、あの通り少々上からの物言いをなさいます。調子に乗っているところに反撃をして、予想外の大打撃を与えるくらいが丁度良いのですよ」

「おー……さすがに中々過激ですねぇ……」



 一葉が苦笑しても特に意に介さないサーシャ。彼女はニコリと笑いかけただけでそれ以上は何も言わず、代わりに一葉が不在の間の連絡をする。



「先ほど近衛騎士団からの支給品を、城付きの侍女の方々が運んで来ましたよ」

「あ、はい。制服……みたいなものですよね」



 サーシャは一葉へ悪戯を思いついたような表情で提案した。



「一度執務室で袖を通されましたか? よろしければ私にも騎士としての恰好を見せてくださいませ。先ほどからとても楽しみにしておりました」

「ぅ……はい、じゃぁ、ちょっとだけ」



 非常に照れくさがったものの、一葉はサーシャのお願いを却下することもできず、結局は再び騎士の恰好をしてサーシャから大変に褒められたという。



 そしてそれも落ち着いた頃、紅茶を淹れなおしてもらいながら一葉はサーシャへと気になっていたことを質問した。



「そう言えばこの国の人たちって、夏の暑い時期と冬の寒い時期をどう過ごしてるんです? 厚着薄着と建物の造りだけじゃどうにもならないでしょう?」

「イチハ様?」

「……夏の暑い時期と冬の寒い時期を、どうやって?」



 誤魔化した感のある口調ではあるが、サーシャはまぁいいでしょう、と頷く。

 そして一葉はまるでアリエラと初めて会った時のようなやり取りにグッタリとした。この国の人間はなぜか押しが強い。日本人の一葉は良いように押し切られるばかりである。



 侍女は綺麗にニッコリと笑い、一葉の疑問に答えた。



「非常に簡単ですよ。夏の暑い時期は氷使いが出した氷を風上に置き、風使いがその風を室内に運ぶという流れです。自然の氷は流石にこの辺りでは採れませんから。冬の寒さも、風使いと炎使いが同じようにしています。

 風使いの戦闘力は炎や雷には劣りますが、このように無くてはならないものなのです。戦闘と生活の両方で重宝されていますね」

「あぁ、なるほど。人力と言えば人力なんですね」

「そうですね。夜などはさすがにそれも出来ませんので、夏は窓から自然の風を取り入れたり冬は夜着などを厚くしたりして調整することになりますが」



 一葉の心に不安がよぎる。



(どーしよ……実家にはクーラーがあったし、前の世界では問答無用で術使ってたし。つーか流石にその辺りの調整はしてくれてたし。曲がりなりにも王女様が一緒に旅してたからなぁ……環境にはいいんだろうけど)



 一葉はため息を吐き、次の質問をする。



「あとひとつ。ひとの名前は最初の勤務までに教えて欲しいんですけど、とりあえずこの国の体制的なものが分らなくて」

「分かりました。とはいえ、何から先に説明いたしましょうか……」



 しばし黙考した後、サーシャは口を開いた。



「イチハ様の立場は現在、侯爵家の姫となっています。とりあえず格上である王家、公爵家のお名前は必須ですね。そのほか同じ侯爵家や主要な伯爵家は覚えておいて損は無いでしょう。

 王家については説明を省きますね。既にアリエラ様やアーサー王からご紹介を受けていると聞きました」



 一葉の頷きを見てサーシャは話を先に進める。



「公爵家ですが、ミュゼルには現在4つの家が公爵家に当たります。

 クリアニス公爵家。こちらはアーサー王の母方の家系です。何といいましょうか……王やアリエラ様を見るとよくわかるのですが、非常に好奇心の強い方が多い傾向がありますね。非常に気の良い気質の家です。

 次にニストローマ公爵家。こちらはアイリアナ王妃の生家で、ゲンツァ様のお兄様がご当主を務められております。ニストローマ家は代々宰相職の家系。そのため本来ならばご当主様が宰相になるはずでしたが、アイリアナ様が王妃になるに当たり宰相職を弟であるゲンツァ様にお譲りになられたと聞いております。

 3家目はミンス公爵家。こちらは財政に強く、財務大臣を輩出している家系です。無駄遣いを廃す傍ら、必要なことには出し惜しみしない果断は王だけでなく文官、武官、民からも高い信頼を得ています。

 最後にレインドルク公爵家。こちらは軍事に強い家です。先代当主の兄上はアーサー王の祖父君です。

 ――とはいえ、基本的にはすべての公爵家が縁戚関係にあるのですが」



 一葉が学校で学んだ皇族や貴族、武将の歴史と、やはり似通ったものがあるようである。彼女の瞳に理解の色を見つけ、臨時教師は先を続ける。



「侯爵家や伯爵家は一度では覚えきれないと思いますので、追々少しずつ覚えていきましょう。次に国に仕える職についての説明に移ります。大きく分けて文官と武官の役割がありますが、まずは文官ですね」



 サーシャの説明によると、文官のトップは2人。そのうち1人が宰相であるゲンツァで、もう1人――財務大臣のフィナン=アファーリ=ミンスは先ほど説明にあったミンス家の子息だという。



「財務大臣のフィナン様はアーサー王の叔父であるミンス公爵の子息です。まだ私よりいくつか上という若さですが、能力が非常に高く部下の信頼も厚いと評判の方ですね」

「サーシャさん個人の印象は?」

「旦那様に近いような印象を受けました」



 侍女の評価に一葉は考える。



(サーシャさんは……26、って言ってたっけ。その少し上だからいっても30ちょい? 同じくらいの世代なのにウィンじゃなくてゼストさんを引き合いに出すんだ。同じタイプなのに。

 ……多分これは、ウィン以上に手ごわい相手だな)



 一葉の瞳に浮かぶ理解の色にサーシャも驚く。



(頭の回転がいいとは聞いておりましたが……恐らく、私の印象だけでフィナン様の性格に至りましたね)



 本当に、面白い主と出会えたことが嬉しいサーシャである。



「子爵以上の爵位を持つ貴族であれば貴族院に所属しているので、謁見や議会などで頻繁に登城することになります。実際顔を見てからの方が覚えやすいかもしれませんね」

「そうですね。少しずつお願いします……」



 貴族院があるからこそ専制政治は出来ない。暴君を作らないためにはいいかもしれないが、その反面貴族院があるからこそ、欲に勝てない人間が自分の利のために邪魔をするのだろうと一葉はあたりをつける。



(王様も大変だとは思うんだけどね)



 しかしその大変な仕事の中でも『邪魔者を割り出して排除する』という危険な作業に巻きこまれた以上同情はしなかった。



「武官の方は人数が多いので今はまず役職だけを覚えましょう。

 まず宮廷魔術士ですが、魔術を使う者にとってはあこがれの職業で有事の際は宮廷魔術士団として軍属になります。上から士長、副士長、副士長補となり、その下に医療部・調査部・実働部があります。ウィン様はこの副士長補という立場ですね。まぁ実際の仕事は書類整理ばかりで魔術の優秀さが関係ないようですので、単に押し付けられたとも思える職ですが」



 本当にサーシャは幼馴染に対して厳しい。フォレイン侯爵の一門でなければ一族に睨まれていただろうその率直な物言いに、一葉はただ苦笑いを浮かべるしかできなかった。



 一葉も知らなかったのだが、トレスも実は宮廷魔術士の一員である。侍医たちの中にはもちろん魔術が使えない者も存在するが、医師でさえあれば、実用レベルの魔術を使えなくとも宮廷魔術士という扱いになるのだとか。医療も魔術の一環だということであろう。



「次に宮廷衛士隊ですが、第1隊から第4隊まで存在しています。第4隊は王城の敷地の中で城外を、第1から第3まではそれぞれ階層ごとに担当区域が指定されています。各隊の隊長は将軍としての身分を与えられています」



 担当区域があれば異変にもすぐに気付くからであろう。余談ではあるが、王に近い第1隊から序列もあるという。やはりアーサー王に近い位置を担当する者の方がプライドも高いらしい。



「最後に王国衛士隊ですが、これは少々込み入っております。各領地にも兵がいますが、これは各領主の私兵として見られています。王国衛士隊と名前がついているのは王都と、その周辺を警備している中央師団の兵士たち、さらに地方師団に所属している衛士たちのみですね。各師団の長もまた、宮廷衛士隊長と同じように将軍と名乗ります」



 地方師団とは、国内の東西南北それぞれにあるミュゼル国王直轄の土地を守護するためのもの。その中にはそれぞれに大隊・中隊・小隊があるが、その規模は一定ではないそうだ。また地方師団には地方領主の反乱を抑えるという役目もある。



「うーん……頑張り、ます……」

「全てを覚える必要はありませんから少しずつ覚えていきましょう」

「サーシャ先生、よろしくお願いしますね」



 冗談めかした一葉のお願いに対し、サーシャはニッコリと笑って頷いたのだった。



「教師としては言葉遣いも直させたいところですが、今日は見逃すことにいたしましょう。執務室ではきちんと私を呼び捨てにしたそうですからね?」

「う……た、助かり、ます……」



 一葉の頼りになる家庭教師は、本当にできる女性だったらしい。








 騎士として勤める初日を4日後に控えた日の午後、一葉の私室にて。やるべきことは多いが全てをサーシャが取り仕切っているため、一葉は暇な時間を過ごしていた。

 そんなときにウィンが一葉を訪ねてきたのだ。



「少々、質問があるのですが」

「急に何。とりあえず茶くらいだすよ。サーシャさんいないから私が。この私が」

「なぜ2回言うのです?」



 微妙に不安に思うウィン。そんな彼に向けて一葉は無駄に胸を張る。



「淹れてもらうばっかりで、ここの世界でお茶を淹れるのは初めてだから」

「そ、それは……」



 同じ世界ですら国が違えば飲まれている茶も違い、茶が違えば淹れ方が違う。それが他の世界から来た一葉ならば言うまでもない。一応侯爵家の嫡男としてその辺りの文化の違いを知っているウィンは、軽く顔を引きつらせたがそれだけだった。今義妹の機嫌を損なえば目的が果たせないのだ。



 しばし待つとウィンの前にカップが置かれる。一応ではあるが来客を対応する恰好だけはついた。



「さて、これで良し。で? 話を聞こうか」



 恐々と一葉の淹れたお茶を飲むが、思ったよりも美味しかったのでウィンは一安心した。茶菓子が無いのはわざとか、それともそこまで頭が回らなかったのかは判断できなかった。



「コマイヌには何かの紋様がありましたよね。それが魔力をあの斬れ味へ変換しているような口ぶりでしたが、それで合っていますか?」



(うん、初めてにしては上出来かな)



 一葉は持っていたカップをテーブルの上に置きながら頷いた。ウィンからの質問は既に分かっていたものであり、いつか必ず聞かれると思っていたのだ。見たことのないものに触れて研究しない学者など存在しないと一葉は思っている。



「あぁ、うん」



 何事もないような一葉の返答に、聞いた側のウィンがポカンとしている。



「聞いておいて何ですが、ただの模様ではないですか。どう魔力を流し込もうとも周りの空気へ拡散してしまうのではないですか?」



 以前同じ疑問を持った一葉は軽く頷く。



「前の世界での術なんだけど、紋章魔術っていうのがあって。魔力を込めた道具で紋章を書いておけば、使うときに魔力を流すだけで決まった動作をする術で。起動にはこの前みたいに魔力を流すだけだから、紋章術を知らない人でも使えるっていう便利さが売りだよね」

「それは興味深い。私が知る限り、何かの物体に継続して効果を与えるには専門の魔術士が必要なのですが。それでも定期的に術を掛け直す必要があります」

「まぁ、問題点もあるけど」

「……兵器としての利用法ですか。そうですね、相手が魔力を流すような形態で転がしておけば、その場で大爆発などという利用方法もありますし」



 僅かばかり考えたウィンはそれだけで正解へ辿りつく。一葉はやはり軽く頷いた。



「実際私もそれで死にそうな目にも遭ったしね。魔力が使えるようになったばかりで浮かれてた時期だったから、アレのお蔭でなんにでも魔力を流し込んじゃいけないって実地で勉強したわ。いやー、生きててよかったー」

「そ、それは何とも……」



 あっさり言われた割に濃すぎる内容に言葉を失ったウィン。微妙な空気は咳払いで無かったことにする。そして、改めて見せてはいただけませんか、というウィンだったが一葉は首を横に振った。



「分解した後が大変だしイヤ。直す時にちょっとでも歪むと、やっぱり微妙にバランス狂うし」



 一葉は考える。教えられるアイデアはある。しかし簡単に教えても良いものか?



(冗談交じりでは言ったけど本当に兵器利用されそうだよね。どうしようかなぁ……)



 そんな悩める内心を伺わせないような鉄壁の表情で一葉はウィンへ、逆に質問する。



「この世界にも物に術を掛ける術士っているよね。そういうのって、私がされたみたいに怖すぎる使い方されたりする?」

「まぁ、どんな技術にも軍事利用の方法はありますからね」



 返答は一葉の懸念を理解してのもの。軍事利用をしないという保証が出来ないウィンの立場を、一葉は残念ながら理解できてしまう。



(これなら教えても教えなくても一緒かな。結局一回は調べられてるんだし、私に聞こうが聞くまいが情報を控えられているなら同じかな。

 ……何もないところから理論を作り上げるには時間がかかる。何かあるなら生活魔術を確実に使えるレベルになってから。時間ならたくさんあるし、兵器に使われる可能性はウィンが分かってる。国に害がある可能性があることも分かってるならそれまでに対処方法を考えるでしょ。つーかまずウィンが使えるようになるまでもかなり時間かかるだろうし)



 じっと考え込む一葉をウィンは急かさない。この瞬間が技術進化の分かれ目だと彼は理解していた。



(もし対策が間に合わなかったら手の届く範囲を護ろう。私は万能じゃない。でも、少しでも街の人の不便が解消されれば嬉しい。あぁ、すごい矛盾)



 ひとつ頷き、一葉は口を開く。



「理論なら少しだけ聞いたけど……」



 一般人の生活が便利になるのにその技術を握りつぶすことは、一葉にはできなかった。自分だけは快適に過ごせる下地があるからこそ尚更である。



「ぜひ教えてください」



 下からお願いをした上にあまつさえ頭まで下げる始末。研究のためには割と意地を張らない彼に対して苦笑しつつ、一葉は頭の隅から知識を呼び出した。

 色々と考えてはみたものの、ここで断ったところで結局はメンドくさいほどに粘着されそうな気がしたのだ。



「えぇと……大事なのは魔力の循環って意味で円が含まれていることと、紋章に対応する意味を理解すること。後は紋章を描くときにも魔力を流して定着させながら……とか言ってたかな。色々あるみたいだけどここには専用の道具もないし、呼び水的な魔力はどっちにしろ必要だよね。

 正直私には細かいことはよくわからないけど、効果を知ってれば紋章もナルホドって思うようなものが多かったと思う。確か。多分。」

「随分曖昧な。しかし、そうですか……調査担当者に紋章の写しを見せてもらえばいいですかね。ちなみに紋章魔術とはどのような術に向いていたのですか?」



 一葉は思案する。



(意味が分かんなかったから真面目に調べなかったんだよねぇ)



 反則的な使い勝手と効果を発揮する『コトダマ』のおかげで紋章魔術とほぼ同じことが出来るため、彼女は紋章魔術にはあまり親しくないのだ。単純に複雑な理論と水が合わなかったとも言える。



「長い時間効果が表れたりとか他の存在に作用するようなものとかに向いてたみたいだったな。何ていうの? 生活系? 実際、攻撃に使うには用意に時間がかかるし。術の威力に道具の耐久性が追い付かなくて吹き飛ぶから使い捨てだし、そしたら荷物が増えるからよっぽどじゃなきゃ使わないよねぇ」



 出来るだけ『生活魔術』を印象付けたい一葉の言葉に、ウィンの瞳が怪しく輝いた。それを見た一葉は恐らく研究するであろうウィンへ助言をする。



(どうせ巻き込まれるなら少しでも成功率を上げた方がマシだ)



「実際に『狛犬』の紋章も上手く使えてるし。保障はないけど、この世界でも紋章魔術が発動する下地はあると思うよ」

「ふむ。紋章自体に意味が込められている上で、魔力を流し込むだけで発動するならば、私が炎や風を操ることも可能かもしれませんね」

「そうだねぇ……まぁ属性を使いたいなら、夏場に冷たい風を送るとかその位の使い道になると思うけどね。直に攻撃をするような紋章って、効率も悪いし手間を考えるとパッと見の私でも向いてないと思うし」



 夏場に冷たい風。それもかなり魅力的である。暑い時期は父や幼馴染に一々氷を頼み、寒い時期は炎使いに暖房を依頼しているのだ。



「それはそれは……研究のし甲斐があるではないですか」



 まずはコマイヌに彫られた紋章の研究だ、と挨拶もそこそこに、ウィンは一葉の部屋から出て行った。



「研究者って分からん……」

「イチハ様、今のウィン様には研究しかないはず。その他を気にしろと言っても恐らく無理ですよ。……私も、生活が便利になる方向に術が使われることを願うばかりです」



 途中で部屋へ帰ってきたサーシャの言。彼女は一葉の希望を正しく理解していた。不安になる心はその気遣いで僅かばかり軽くなる。一葉はいつも通り、サーシャにお茶を願ったのだった。








「……紋章魔術ですか。その謎を解明すれば研究の幅はもっと広がりますね」



 廊下を足早に歩くウィンは最近強く感じた無力感を未だ忘れてはいない。

 一葉の『狛犬』には確かに大きな魔力を喰われたが、それを我慢すればとても便利なものだと思う。また、使用する魔力の量も効果により変わってくるのならば改良の余地はある。



「効果を知っていれば納得できるような紋章、ですか。色々と試してみれば面白いかもしれません」



 一葉の言いたいことは彼にも分かっている。もちろん大がかりな兵器としての利用はできないように手段を講じるつもりではあるが、しかし彼は自分自身が護りたいもののために、紋章魔術の可能性を無視できないのだ。



「何はともあれ、まずは夏場を快適に乗り切るための術を研究しなくては」



 ぶつぶつと呟きながら歩くフォレイン伯を気味悪く避けて通る衛士たち。そんな姿にもウィンが気付くことは無かった。








 ウィンが自力で紋章を編み出し、小指の先ほどの焔を発生させたのはそれから約1月の後。まだまだ失敗も多いが、紋章から焔を生み出したことは事実であった。



 たくさんの紋章を見てきた一葉の『献身的な』協力の下で試行錯誤を繰り返し、彼は自力で紋章魔術の初歩をつきとめた。この世界にもある程度術に幅があり、紋章魔術に近い考え方や使い方があったこともまた幸運だったかもしれない。

 いずれにせよ、ウィンが以前に嘯いた『研究に必要なものは実力』という言葉が彼にとって建前ではないことを、彼は彼自身の『実力』で証明したのだった。



 この後5年もすれば、ウィン=ヴァル=フォレインは自力で新たな魔術を編み出した天才として市井の子供にも名を広めるが、今はまだ研究段階である。

 そして今日も、魔術士たちの訓練場から彼の『愛する義妹』の悲鳴とともに術の失敗を表す爆発音が聞こえるのであった。



「体力吸収とか危ないから! 何作ってくれてんの!? コレ何に使う気なの一体ぃ!? つーか何で体力吸収の術で爆発が起きんのよちょっと!! ねぇ死ぬってコレ! 下手したら死んじゃうってコレ!!」

「イチハなら大丈夫です! だから早く盾を!! 盾を張ってください!!」



 ――ドカン!!!



大変、にぎやかなことである。




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