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流界の魔女  作者: blazeblue
蠢く闇の色
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第16話 毅き華




 アーサー王から任命という名の命令を受けた翌日、関係各所へと挨拶まわりをするため一葉は忙しくなった。あちらの貴族宅へ赴けば頭を下げ、こちらの貴族宅へ赴けば最大限に微笑み、疲れ切った頃には王都にあるヴァル家へ集められた主要な分家筋へとあいさつし。

 丁寧な物腰に加えて前情報よりもにこやかだったことから、一葉は概ね分家には好意的に受け入れられることができた。



 そうして嵐のような2日が過ぎ、迎えた3日目。



「イチハ様、お茶をどうぞ」

「ありがとう。サーシャさん、やっぱりすごく綺麗にお茶を入れますね。今日も美味しいです」



 一葉は新たに与えられた私室でのんびりと午後のお茶を楽しんでいた。



(んー、細かい違いは分からないけど実家で飲んだ紅茶と似てるかな? 残念ながら私の淹れたのとサーシャさんのお茶じゃ比べ物にもならないけど。うん、やっぱり慣れた人がお茶を淹れるのって見るだけでもイイ! すごいなー)



 感心するやら自分に呆れるやら忙しい一葉。彼女側に控え給仕をする銀髪の女性、サーシャは一葉の褒め言葉に目を細めて微笑んでいる。



「イチハ様、言葉遣いが違いますよ」

「いやいやいや……」



 現在一葉がいるのは王城の8階。騎士として私室を割り当てられた一葉は前日までに引っ越しを済ませていた。



 彼女はこの2、3日で立場が変わり、それに伴い環境も変化している。まず、出来る限り王族の近くへ控えるために客間ではなく私室が与えられたこと。ゼストが買い与えたために服や小物などの私物がかなり増えたこと。



(娘が欲しかったのは嘘じゃないのかもね)



 さらには、専属の侍女がつけられたこと。



「私はイチハ様の侍女です。そしてイチハ様は私の主です。侯爵家の令嬢である主が侍女に敬語を使うなど示しがつきません」

「え、でもアリア……アリエラ王女も敬語では……」

「ウィン様から聞いております。アリエラ様とは懇意の仲だとか。私的な空間では普段通りで構わないと思いますよ」



 アリエラの名を呼び直した一葉に微笑みながら助言し、再びサーシャは主へ笑顔を向ける。



「アリエラ様の場合は敬語ではなく丁寧語です。例え丁寧語でなかったとしても侍女と王女であるご自分の立場は区別した言葉選びをするでしょう。対してイチハ様は私たち仕える側と同じ立場からの目線です」

「う……」



 何も言い返せないのは、正しいことを正しい角度で打ち込まれたからこそ。



「そうは言いますけどね……私にも親の教育というものがありまして……」

「えぇ、もちろん素晴らしいご両親だったことはよく存じております。疑う余地もありません。今までこのような立場にいなかったために慣れていないことも理解しております。しかし」



 一葉と似たようなシャツに臙脂のネクタイをつけ、タイトな黒のスカートと白いエプロンの彼女はサーシャ=デリラ。ヴァル家の分家であるデリラ家の令嬢で、幼いころからウィンの亡き母に仕えていたという女性。

 その様子は侍女というよりも仕事ができる秘書風である。



「その辺りの有象無象は色々と吹聴しているようですが。しかしイチハ様はゼスト様が望みウィン様が認めた方です。ウィン様は普段こそアレですが筋の通らないこと、ヴァル家へ害をもたらすことは例えゼスト様の命でも撥ね退けますよ。立派な令嬢であるイチハ様が私への態度1つで軽く見積もられるなど、この私が我慢ならないのです」

「う、有象無象……」



 何を思ったのか一葉が挨拶をしたその場で、彼女はいきなり侍女へ志願したのだ。一葉は驚いた。そして断ろうとした。今まで王城の侍女たちに最低限焼かれていた世話ですら申し訳なく思っていたほどの彼女が専属の侍女に耐えられるはずがない、と。

 しかしその隙も与えずにサーシャは畳み掛けたのだ。



「差し出がましいことを申し上げますが、イチハ様は今が一番危険な時期。お休みの間やお出かけ中のお部屋などを警備できる者が傍に控えていた方が、よろしいのではないでしょうか」



 反論しようと思った一葉。しかしどうやっても勝てないと思わせる舌鋒の鋭さと頭の回転の速さ、何より魔力の伝える混じりけのない善意によりなし崩し的に了承してしまっていたのだった。



 腰まで届くほどの銀髪を三つ編みにし、すらりとした長身で姿勢の良いサーシャ。その様子と水色の瞳がヴァル家――ゼストやウィンとの繋がりを感じさせた。



「ヴァル家に連なる者でイチハ様を認めていない者はおりません。

 確かに最初はゼスト様の決定ゆえにどのような方でも『お嬢様』として扱うという空気でした。しかしその立場に驕らず集まった者にきちんと挨拶されていましたね。それだけで分かるのですよ。表面だけ淑やかなのか、その逆か、悪意を持っているか、それとも誠意を以て付き合おうとしているのか」



 ヴァルの一族もまた魔力の強い家系である。その魔力が一葉の魔力と共鳴し、そっと囁いたのだ。一葉が彼らを欺いていないことを。家長であるゼストや次期当主であるウィンとどのような関係なのかは分からないが、自分たちに対しては偽りなく、誠心誠意で挨拶していることを。



(だから分かったのです。話に聞いていた通り、未だこの世界に寄る辺を持たない不安定さを。この私が傍で支え、見ていたいと思うほど興味を持つなど大奥様以来のことです。ウィン様を脅して情報を得た甲斐がありました)



 デリラ家の令嬢であるサーシャ=デリラ。彼女こそウィンが恐れる『恐怖の幼馴染』その人だった。彼女の目下の目標は、この年若い主が自分へと使う丁寧語をやめさせることである。



「さて、そろそろウィン様がいらっしゃる頃ですね。外出の支度をいたしましょう」

「うん。お願いします」

「イチハ様、言い方が違いますよ。外では下の者に命令することもありましょう?」

「…………お願い」



 そして居心地が悪そうに言いなおす主人に、サーシャはにっこりと笑いかけたのだった。








 一葉は『狛犬』を腰に佩き、ウィンの迎えとサーシャの見送りを受けてアーサー王の執務室へと向かう。2人とすれ違う衛士たちは相変わらず噂をしているが、一葉の立場が変わってからは内容も変化していた。曰く、義兄妹になるから仲睦まじかったのだと。



 それを知ってか知らずか2人は雑談をしながら歩いていく。



「サーシャとは上手くやっていけそうですか?」

「うん。サーシャさんはとってもいいひとだし、ああいうひとが側にいてくれるだけですごく安心できる」

「そうですか。サーシャこそイチハをひと眼で気に入ったようですから、彼女が聞いたら喜ぶでしょうね」



 ヴァル家の分家であるデリラ家だが、しかし彼らは無条件にヴァル家へ従うわけではない。自分で主を見定め、決めた主には剣となり盾となり、陰日向から支えるのだ。



(サーシャが訪ねてきたときは何かと思いましたが。イチハの情報を搾り取られたのはいいものの……あの時は明らかにただの興味だけで、仕える気はなさそうでしたがね。顔合わせの時点で琴線のどこかに触れたのでしょう)



 一葉の情報を渋った時に受けた威圧感を思い出し、ウィンは人知れず背筋を震わせた。



「さて。私が貴女の対応係として共にアーサー王の下へ向かうのも、恐らくコレが最後でしょう。今日からは騎士候補という扱いになるはずです」

「んー……そう聞くと何だか寂しい気がするね?」



 ウィンは眉を顰めた。ちらりと隣を確認し、改めて前を向く。



(どの口が言いますか。清々するとでも言いたげな表情、薄らとですが表れてますよ。『寂しい気がするね』などとしれっと言える貴女のその人間性が疑わしいですね)



 そう思は思うものの、懸命にも彼は口に出すことを控えた。その代わりに当たり障りない言葉を継ぐ。



「まぁ私も宮廷魔術士という仕事柄、警備や諸々で近衛騎士には縁があります。今や貴女はこの私の義妹ですしね。度々様子を見に行きますよ。立場を与えた一番大きな理由もありますし」

「うわ、寂しい気が失せたわ。別に来なくてもいいからホント」



 渋い表情をする一葉。



「こういうときは感傷に浸っても罰は当たらないと思うんだけど。どうなの、生々しい理由を匂わせるとか」

「残念でしたね。私はこういう人間です」



 涼しい顔のウィン。

 ロットリア卿事件の後にギクシャクした時間が続いたために忘れかけていたが、一葉は相手を再認識した。ウィンとはこういう人間だ。初めて会ったときから馬が合いそうもないと思っていたのに、何の因果か今はなぜか義兄となったこの人物。

 忘れてはいけない。アリエラのためにという理由には納得したものの、一葉を騎士にし危険にさらすことで目的を達するという理由の方が大きいことを。



 実力はある程度信頼できるが全面的に信用するなどもっての外。

 それがこれから一葉が相対する人間たちなのだともう一度深く心に刻んだ。



 仕事をする以上、彼らから頭が足りない使えない人間として評価を下されるのも面白くない。心に刻み込み、下手な手を打たないようにしなければならないだろう。



(周り中信用できる人間ばかりで涙が出るわ。……サーシャさんがああいう人で本当に助かった。ウィンみたいなのが来たら泣いて家出するね。最大限暴れてから)



 サーシャがサーシャであったこと、立候補したのが彼女であったことがウィンやアーサー王たちへの最大限の幸運だったことは、誰にも知れることがなかった。








 アーサー王の執務室には王と宰相、騎士団長が顔をそろえていた。部屋付きの騎士が扉の外を護り侍女は扉際に控えていることから、特に人払いがされていないことがわかる。



「よく来たなイチハ。待っていた。まずは正式に上司となるコンラットだ」

「改めて、着任後から上司となるコンラット=ラジーオ=リトローアだ。これよりは私の部下『キサラギ』として扱うので、そのつもりでいてほしい」

「はい。イチハ……ヴァル、キサラギです。任された仕事は真面目にやりますのでよろしくお願いします」



 コンラットが養女になった『ヴァル』の家名ではなく『キサラギ』の家名を呼んでくれたのは、もしかすると不当に叩かれるかもしれない彼女への彼の心遣いだろうか。それとも側に控えているウィンと区別するためだろうか。



(どっちの理由だったとしても、如月って呼ばれると思ってなかったから嬉しい、かも)



「何、キサラギの実力は本物だ。特に心配はしていないが、何かあれば私か女性である副団長へすぐに言ってほしい。私はこの通り男の身、女性のことは分からないことも多いからな」

「はい。何かと頼らせていただくと思いますので改めてよろしくお願いいたします」



 コンラットは一葉の返事に満足そうに頷く。騎士団への一葉の配属を最初に希望したのは、実は他ならぬコンラットだったのだ。だからこそ手段を選ばないアーサー王やゲンツァたちに手を貸した。

 思うところはあれど歓迎しているのが本心だと感じた一葉も、謁見の間で見た時ほどはコンラットに対して悪い印象を抱いていない。



 着任の挨拶を交わしたところでアーサー王が一葉と視線を合わせた。



「さて、正式に騎士団長を紹介したところで仕事内容を説明する。

 本来であれば入団直後の者は練度の問題もあるために、王族や大臣などの個人の護衛ではなく指定された区域の警備に当たるのだ。しかしイチハの場合はすぐにアリアの護衛についてもらう。また場合により魔獣の討伐など特殊な任務も頻繁にある。あくまでも特別措置であることを肝に銘じ、周りとの無駄な諍いは極力避けるようにしてほしい」

「はい」



 一葉が本気で怒り、本気で攻撃魔術を使用すればこの城など簡単に壊れてしまうだろう。ウィンですらやろうと思えば半壊程度してのけるのだから。それゆえ、アーサー王は一葉へ自重を促すことしかできない。

 他方、一葉は表情を今まで以上に引き締めた。特別扱いであることは入りたての一葉がアリエラの護衛であることで知れ渡るだろう。人間である以上『特別』は軋轢を呼び、不用意な言葉で簡単に諍いになるのだ。



「それから護衛以外の任務についてだが。基本的に、名誉入団でない近衛騎士は衛士の10人に匹敵する者しか入団させない。そのことから各地で衛士や私兵に対応できない魔獣や事件が起こった場合に騎士が派遣されることになっている。

 衛士の中には個々で近衛騎士よりも優れる者も確かにいるが、全体的に見ればやはり近衛騎士は衛士たちよりも格段に強いからな。イチハの力は疑わんが、表面上のんびりした城内での護衛だからと言って気を抜かずにいることだ」

「はい」



 騎士としての任務に格があること。そして衛士たちの手に負えない任務が騎士に回されることがあること。このどちらも良く考えて対応しなければ無駄な敵意を生み出すだけであろう。自分1人で仕事をする訳ではない。一葉はそのことをよくよく心に留めることにした。



「基本的に騎士には隊という概念がない。実力により警備担当を変えているためそれは建前になっているが、騎士団長であるコンラットと副団長の下に各組が一列に並ぶことになる。新米は熟練者と組むために組の中では自然に上下関係ができるがな。

 それから、騎士には衛士たちに指示を出す権限がある。その時々により権限の有無や範囲が変わるが一応それだけは覚えておいてほしい」

「……いざというときのために、まずは周りとの関係を作ることから始めます」



 現状の立場の悪さを認識している一葉に向けて、アーサー王は一度だけ頷いた。



「……仕事内容は大体こんなところだが、細かい話は実際に勤務してからでないと分からんだろう。それからアリアと、イチハが組む相方の正式な紹介は着任初日にするのでそのつもりでいてほしい。まぁ、誰が相方になるかはもう分かっているだろうがな。

 次に、今までは具体的に話していなかった給料についてだが」

「……い、いただけるんですか……」

「まぁそうだな。知っての通り色々と思惑はあるが、ただ働きをさせるつもりはない」



 一葉はまさか本当に給料がもらえるとは思っていなかった。危険と引き換えではあるが良い部屋をもらい、食には困らない生活も手に入れた。必要以上に服も用意してもらえている。それだけである程度の危険は目をつぶれると思っている彼女は彼女の高い実力以上に、前の世界に飼い慣らされていた。

 だが、彼女の待遇についてそれが相応だとは、アーサー王たちは考えていなかったのだ。どのような仕事でも立派な仕事である。その対価を値切るような国王では国が早々に崩壊すると、代々の国王たちは教育係から叩き込まれていた。



「イチハにも他の近衛騎士たちと同じように1月あたり金貨2枚を支給する」



 一葉は瞬く。



(しまった……貨幣の価値と種類を確認したことなかったな。そういえば日付の数え方もだ。時間しか聞いてなかったな。この世界にきて真っ先に聞いておくべきだったか)



 悔やむのは後にし、一葉は恐る恐る手を上げた。



「あの……ごめんなさい。まず通貨の基準が分からないんですけど……」

「やはりな。今まで触れる機会も無かっただろうから仕方があるまい。ゲンツァ?」

「はい。……イチハ殿、これをご覧ください」



 ゲンツァが執務机の上に並べたのは7枚のコイン。近づくことを許された一葉は、見慣れないそれらをじっと見つめている。



「この世界では宝貨と呼んでおりますが、まずは黒貨。この黒いものです。これが10枚で次の宝貨である白貨1枚になります」



 黒貨は黒水晶、白貨は水晶らしきもの。



「白貨10枚で蒼貨、蒼貨10枚で碧貨、碧貨10枚で紅貨。ここまではよろしいでしょうか?」



 蒼貨はサファイア、碧貨はエメラルド、紅貨はルビーにそれぞれ似ている。それぞれに簡単には偽造や採掘が難しいと思われるほど透明度が高く不純物も見当たらない。



 それぞれ10枚ずつで次の通貨になることは分かった。

 宝貨の種類が多い分、ある程度の金額を持っていても財布の中身が軽いことに一葉はとりあえず安心した。後は順番を覚えるのみである。



「ここから倍率が変わりまして、紅貨5枚で金貨となります。同じく金貨5枚でこちらの白金貨。宝貨の種類と換算基準は分かりましたかな?」

「な……何となく……」



 すぐには覚えられないだろうことは、既に実感できていた。一葉は後でサーシャに聞く気満々である。無表情ながら脂汗を流しそうな一葉を見て、外野であるウィンはそこはかとなく気の毒そうな表情である。当人にとってはどうでもいいことであるが。



「あの、何でこんなにすぐに宝貨を準備できたんです? 特に金貨と白金貨。こんな金額、流石にいつもここにある訳ではないでしょう?」



 頭を切り替え、新たに湧き出た疑問をぶつける。



「ウィンやゼストやアリアから聞いていたからな。今まで宝貨の種類や日常的なことを聞かれたことが無いと」

「おそらくそのようなことに思い至らない環境だったかと思いました。それゆえ、本日説明するために用意していたのですよ」



 準備がいいやら意地が悪いやら、何やら一葉は居心地が悪くなってきた。



「そうしたら次の質問は予想されていると思いますが……大体、そうですね。王都に住む中流の4人家族で、ひと月にどれくらいの消費になりますか?」

「一般的な庶民の生活ですか。紅貨2枚ほどでしょうか」



 大体の考え方ではあるが、黒貨があるということは白貨で飲み物や簡単な食べ物を買ってお釣りがくるほど。仮に白貨を100円、黒貨を10円とすると、王都に住む一般家庭でひと月当たり20万円程の支出という計算になる。

 その計算でいけば一葉に提示された給料である金貨2枚とは100万円ほど。独身でしかもこの世界では未成年として見られている一葉だが、いきなりかなりの高給取りになった。立場だけでなく給料からも、叩かれる下地ができてしまったということ。



「……高いですね。危険手当込みということですか」

「否定はできんな」



 確かに一葉は巨大な力を持っているが、調子に乗れば痛い目を見るかもしれない。一葉は決して浮かれないよう自分に言い聞かせた。どこにでも通常起こり得ない事態は転がっている。



(今まで騎士の人たちが全部対応できていたらしいけど、何ともならないことが起きるかもしれない。私よりも強い魔獣がいる可能性も考えておかなきゃだな)



 ひとつ頷きまた次の疑問へと移る。



「ではもうひとつ。すみません、この世界の日付感覚ってどうなっていますか?」



 こちらも聞かれるであろうことを予想していたゲンツァが微笑みながら答える。



「この世界では30日をひと月とし、宝貨と同じ順で7つの節があります。始まりの黒の節、終わりの白金の節だけはひと月ずつで、残りの5節は黒の月と白金の月に分かれます」

「はい」



 一葉の頷きを確認したゲンツァは話を続ける。



「そして黒の節の前、新しい年が始まって5日間は新節と呼ばれます。以上8つの節で365日を1年と数えます。よろしいでしょうか?」



 どうやら日付感覚は地球とそう変わりないらしい。親しみやすくて確かに良いのだが地球との符号を感じて一葉は世界の不思議を感じた。



(まぁ、だからと言ってすぐには覚えられないんだけどね)



 一年があり節があるということは、気候なども日本と同じなのかと一葉は疑問を覚える。



「この世界……というよりもまず、この国には季節はありますか?」

「はい、ございますよ。新節と黒の節が寒さ厳しい冬、白の節と蒼の節が草木茂る春、碧の節と紅の節が暑さ苛烈な夏、そして金の節と白金の節が木々の移り変わる秋となっております」



(あれ? なんだか聞こえ方が……?)



 違和感を覚えた一葉はもう一度確認する。



「冬、春、夏、秋?」

「はい、冬、春、夏、秋でございます」



 やはり聞いた言葉にも口にした言葉にも微妙な違和感がある。なにか、日本語で言う春夏秋冬と違うニュアンスがあることは分かるのだが、それを明確な言葉で説明することが出来ない。恐らくこの世界特有の呼び方が、一番近い春夏秋冬として聞こえているのだろう。



 僅かだけ悩んでから割り切り、一葉は気にしないことにした。横文字がある程度しか通じない時点で翻訳は万能ではない。



「少しだけ夏が長いんですね」

「そうですね。我が国より北にある国では冬が長く、南にあればより夏が長くなります。場合によっては秋や春が長いところもあるようですよ。位置だけが関係するわけではないそうなので、もしかしたら流れる魔力の影響があるかもしれませんね」



 魔力の影響で季節が変わる可能性に驚く一葉。彼女にとって季節とは太陽との関係のみが影響するもので、その他の原因は意識に上らなかったのだ。魔力の有無がここまで影響することに驚いた。



「……なるほど。では、今日はどの日に当たるのでしょうか?」

「現在は蒼の節の白金の月、24日に当たります」

「蒼の節というと……春?」

「そうですね。もう何日もすれば夏に入り、次第に暑くなっていくことでしょう」



 ゼストからは薄手の服や半袖・七分袖の服を多く与えられていたのだが、春から初夏にかけてであればそれも普通だろう。エアコンなどが見当たらない環境で快適に過ごせていた理由はこれである。

 夏の暑い時期や冬の寒い時期をどのように乗り切るのかについては、今度サーシャに聞いてみようと一葉は思った。








「そろそろ良いか?」

「はい、ありがとうございます」



 ひと通り説明を受けて一葉の疑問が解消されたことを確認すると、話題は次へと移る。



「では騎士に対する支給品を試しに今身につけてみろ。全く合わないということは無いと思うがな」



 アーサー王の目配せを受け、侍女たちは隣にある控えの間から荷物を運ぶ。白い甲冑と紺色の衣服、それから白いマントらしきものが執務机の上に並んだ。同じデザインを身につけているコンラットが説明する。



「まずは上衣だ。近衛騎士団の服装規定として、私服の上にこの上衣を羽織ることが義務付けられている」



 渡されて羽織った紺色の上衣はしっかり立っている襟と長めの袖があり、裾は太ももの半ばまでと長めである。襟と袖、裾にはそれぞれ銀糸で細やかな刺繍がされており、見ただけで値が張ると分かった。見た目にも『特別』が無くては騎士を目指すひとがいなくなるのだろう、と一葉は納得して甲冑に手を出す。



「甲冑はそれぞれに合った部分に揃いの装備をすることで、ひと目で近衛騎士と分かるようにしている。キサラギの場合は体があまり大きくなく、力に頼るようには見えない。本来防具を必要としない者が全身鎧など着用しても邪魔なだけだろう。防具を何も着けないと言うのも問題だからな。胸当てだけをしてもらう」



 手で触れた胸当ては近衛騎士の象徴ともいえる白い甲冑。どうやって作ったのかは知らないが、明らかに金属の材質にもかかわらず純粋な白色をしており、その上驚くほど軽かった。確かに重い装備は身に着けられないため、この軽さはとてもありがたい。



「それからマントだがこれは常時着用するものではない。他国の使者などを迎えるときや国が主催する夜会などの行事で使用するものだ。普段は上衣と甲冑、各自の武器さえ携帯していればそれが正装として認められている」



 衣服や防具、マントなどの服装規定しか聞いていないが、それでも一葉が予想していたよりもだいぶ自由度が高い。言われてみれば白い甲冑を着ける者たちは普段マントを羽織ってはいなかった。



「かなりアバウトな感じですけどそれでいいんですか?」

「あばうと?」

「あー……すみません、大体とかそういう意味です。頭の先からつま先まで全てに基準があると思っていたものですから、ちょっと驚いてしまいました」



 一葉の言葉にコンラットだけでなくアーサー王や宰相、ウィンも得心したらしい。アーサー王は頷いてコンラットを見やりつつ、一葉の疑問に答えた。



「コンラットも言ったが、騎士全員がそれぞれに見合った防具や武器を身につけている。武器などはそれまでに使っていたものをそのまま使う者が多いな。もちろん近衛騎士が懇意にしている鍛冶師に注文する者もいるが。

 防具については全く身につけないのも困りものだが、全員同じ防具を身につけたことで却って戦えなくなっても困る。それまでの戦闘方法を見て入団したのにも拘らず、こちらの規則に従ったことで戦えなくなるなど本末転倒だろう。それゆえ、それぞれある程度の決まり以外は自由にさせているのだ」

「なるほど」



 半笑いでアーサー王は言を繋げる。



「まぁ、防具を身につけないことで防御面が不利になるのは自分だからな。各自の判断で防具を省いているのは、それでも問題がないほどの実力があるからだ。そのあたりを理解せずに、恰好だけを真似した状態で入団試験を受ける者もいて困ることもあるが」

「やっぱり入団試験ってあるんですねぇ」

「当然だ。試験があるからと言って毎回新任騎士がいるとは限らないがな」



 それも納得できる。いくら試験で良い実績を残したところで、他の受験者の実力が低いゆえの結果であれば使い物にならないかもしれない。試験の結果が良くても実力があるとは言い切れないのだ。



 ふむふむと納得しながら、ひと通りの支給品を身につけた一葉に上司一同が満足げに頷く。一葉の方も腕や肩や首、腰などを軽く動かしても特に違和感がなく、このまま激しく動き回ることも可能だと思えた。



「ふむ。上げられた寸法でほぼ間違いが無かったな」

「ところで私、いつ体を計られました?」

「ヴァル家からの申告だ。最近服を作るのに計っただろう? 見たところどうやら上衣もマントも胸当ても直さずに済みそうで安心した」

「なるほど」



 王から許可を得て上衣・胸当て・マントを外し執務机に戻す。王の机を物置代わりにしていいのかとも思ったが、本人が許可しているために気にしないことにした。



「これらの装備一式をイチハの私室へ運ぶように」

「侍女のサーシャさ……サーシャがいますので、受け取りは可能ですから」



 壁際に控えていた侍女に指示を出して、支給品を一葉の私室へ運び出させたアーサー王。自分の侍女の名前を出す際に口ごもった一葉をチラリと見るが、何も言わずに抽斗に手をかける。そして何やら小さなものを取りだして一葉へと手渡した。

 それは、以前にレイラやウィンが持っていたものと同じような時計。上部に銀の鎖がつけられたそれは懐中時計に近いものだが、その文字盤には蓋が無く、文字盤も12時間ではなく6刻に対応した仕様。大雑把ではあるが歯車のようなものも使われているらしい。そして時計の裏板には、城内の所々で見る剣に蔦が絡まったような紋章が刻印されていた。



「それは騎士に支給される時計だ。貴族や王族、それに仕える者たちはそれぞれに時計を持っている。裏板にはその家の家紋や仕える家の家紋が刻印されており、どの家に所属するものかがひと目でわかる。悪用しようと思えばいくらでも出来るが分かり次第処罰するからな。

 どこの隊にも所属せず、国王の下に直接配置されている『影』と呼ばれる情報機関がある。彼らが常に見ていると思え」



(うん、流石にいるよね諜報機関。『影』ね……昔の私が泣いて喜びそうな名前だわ)



 痒く思う内心を僅かも表に出さず、一葉は重々しく口を開く。アーサー王の刺した釘も一葉にしてみれば既に考えていたことである。



「しませんよ、自分からそんなこと」



 ――利用されたらどうなるかわからないが。



 一葉はその言葉を含ませながらにこやかに笑い、ポケットへと時計を仕舞い込んだ。



「こちらからの支給は以上だ。ウィン」

「はい。イチハ、ヴァル家からも近衛騎士任命祝いとして贈り物があります」

「え、贈り物? ……な、何?」

「コマイヌを下げるベルトが随分痛んでいるようでしたので、騎士の装備に合うようにこれを」



 そう言ってウィンが侍女から受け取り、一葉へ手渡したのは白いベルト。ベルトを締める金具だけではなく所々に入った補強用の銀にも細やかな細工が施してあり、先ほど袖を通したばかりの上衣や胸当てと合わせても何ら見劣りがしない程の品だった。

 一葉は戸惑いながらそれを眺めている。



「金具に施された細工は、すべて縁起が良いとされる模様です。これから騎士となる貴女に私たちヴァル家からの贈り物です。まぁ、貴女に縁起物など関係ないでしょうが」

「ふふっ……そうかな? とにかく、ありがと」



 視線を合わせてニヤリと笑い合う。

 こんなところで負けはしない。どのような危険を前にしても、最大限に自分の力を使いその上で普段通りのまま立っていてみせる。ヴァルの主たちは一葉にそれを望んだからこそ養女にしたのだということ。



 ただ咲いているだけの華など要らない。

 どのような環境でも生き延びる毅さこそ彼らが一葉を認めた資質。



 それを自覚しながら一葉はその白いベルトを身につけた。いつもより『狛犬』を重く感じたのは気のせいだったのだろうか。



「これで今日すべきことは全て終了したな。イチハは私室に戻り自由に過ごすがいい。ウィン=ヴァル=フォレイン、予定通り本日でイチハの対応の任を解く。これよりは宮廷魔術士の仕事へと戻るように」

「はい」

「承りました」




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