第15話 闇を包む優しい光
「えぇぇ……なんか服に着られてない? コレ……」
用意された外出着は簡単なドレスのようなもの。流石に夜会などで見られるような派手なものや恐ろしく裾が広がっているものではなく、ひざ下丈の白いワンピースに淡い青色の薄布が上品に重ねられているもの。しかしそれは貴族の茶会にも充分出席できそうなものだった。ヒールのあるサンダルを履き腕も繊細な細工の腕輪で飾られている。いつもは流したままの髪の毛も今日に限ってはきちんと纏められていた。
パッと見れば貴族の令嬢と言われても頷けるだろう。一葉にとって、薄く施されている化粧が自分の感覚とあまり相違ないのは嬉しいことのひとつだった。
(普段はパンツとブーツだしなー。うん、落ち着かない)
そわそわと自らを見回す一葉の耳に聞きなれたノックの音が届く。
「イチハ、支度は済みましたか?」
「済んだと言えば済んだけど……」
部屋に入ってきたウィンは着飾った一葉を見て目を細め、にこやかに褒めた。
「よく似合ってますよ。いつもとは別人のようです」
「うん、直球で失礼だよね」
女性として多少憤慨する一葉。しかしそれも一瞬で普段の表情へと戻り、感情のあまり読めない瞳でウィンを見やった。
「で、何でこんな恰好?」
「王の前に出るのだから当たり前とは思いませんか? 私も謁見のあるときには略式とはいえ正装しているのですが」
「……それならそういうことにしておこう、かな」
確かにウィンが今着ている服は、訓練場へついてきたときの服とは全く違う。あのときもそれなりに高価であろう服だったが、今のウィンはさらに生地や装飾品などが高級だと分かる物を着ている。それは目利きのできない一葉ですらひと目でわかるほどの大きな違い。
(今までがあり得無すぎたかなぁ。完全に野営スタイルのままだったし。作業着だもんねアレ)
明らかに誤魔化されてはいるが時間が無い今はそれで納得するしかない。
「さて、時間です。今度こそお姫様ですね。謁見の間まで私がエスコートいたしましょう」
「えぇ、お願いいたしますわ」
澄まし顔で言うウィンに、着飾ることが決して嫌いではない一葉はツンとした澄まし顔で応えたのだった。
「ウィン=ヴァル=フォレイン伯爵並びにイチハ=キサラギ殿、ご入場です」
謁見の間を守る騎士の言葉と同時に立派な扉が開く。その先には一葉が以前謁見した時よりも明らかに貴族たちの人数が多くおり、それに比例した様々な視線が一葉を貫く。そしてどうやら警備の近衛騎士も規模に見合った人数に増えているようだ。
今日も謁見にはアリエラが同席している。しかし前回とは違い彼女の方が一葉から視線をそらしていた。
しかしここは公の場。ここでは一葉とアリエラの関係はゼロに等しい。その姿に眉を顰めても、一葉が今すぐ彼女のために出来ることなど1つたりとも無いのだ。
気を取り直して一葉は隣を歩くウィンへ小声で尋ねた。
「……ホントに今日って何があるの?」
「さて?」
明らかに理由を知っている顔。
教える気のないその笑顔に苛々が募るが、今やるべきことはウィンに八つ当たりをすることではない。
玉座の前に立ち止まり一礼をしたが、ウィンはその場から立ち去らなかった。いつもの謁見とは何かが違う。
――嫌な、予感。
ウィンも言っていたではないか。一葉がその予感を感じた場合に今のところ裏切られたことは無いのではと。悔しいが言い返す材料が何一つとして無い。そして今回の予感には数日前から感じていた違和感と周囲に対する警戒心と言う土台まである。そして、ウィンは否定しなかった――王が何かを考えていることを。
――警戒せよ、相手に呑まれないように。不利な条件は撥ね退けられるように
細かいことは分からない。しかし今日この場で何かに巻き込まれるだろうと一葉はほぼ確信していた。そんな彼女へアーサー王はいつかのような、絶対者としての視線を送る。
「ウィン、イチハ。ご苦労だった」
「アーサー王もご機嫌麗しく。この度は我が父の急な申し入れを承諾いただき感謝いたします」
ウィンが改めてアーサー王へ一礼する。一葉はウィンの『申し入れ』という単語に引っかかりを覚えた。
アーサー王はうむ、と頷き、話を進める。
「さて。まずはこの度、ヴァル家当主ゼスト=ヴァル=フォレイン侯爵がイチハ=キサラギを養女として迎えたい旨を申し出た。この件に関しては、ヴァル家次期当主ウィン=ヴァル=フォレイン伯爵も了承済みである」
(……は?)
「我が娘を救ってくれたイチハだが、見ての通りまだ成人しておらぬ。本来であれば爵位を授けるところではあるが、本人は未だ若くその来歴ゆえにこの国の知識も無い。私としてはそれならばこの国での身分を与える他に、良き環境で伸び伸びと過ごしてほしいと思っておる」
この国での成人は日本と同じ二十歳。童顔を誇る一葉は周囲から見れば十二分に被保護者でしかないのだ。それゆえ養女。ゼストの養女。つまり、ウィンの義妹。
横目で見れば隣に立つウィンのにこやかな顔が見える。彼が隠していたことはこれだったのだ。
(あぁ、楽しそう。でもこれだけじゃない。私の幸せのためなんて、そんな理由ではこの人たちは動かない)
表面上は気遣うようなアーサー王の言葉だが、一葉の緊張は解かれない。
「恐れながら申し上げます」
このまま平和に終わるかと思われたその話題に、貴族の一人から横やりが入ったのだ。
「失礼ながら、イチハ=キサラギ殿の出自は未だ定かではありません。そのような御仁へヴァル家を名乗らせても良いものでしょうか?」
「……チェソー子爵、王の御前でございます」
やんわりとしたゲンツァの窘めにも、子爵の横やりによって噴き出た不満は中々解消されない。貴族の自分たちよりも上の位に、どこの人間とも知れない……本当に人間かも定かではない者が名を連ねるなど、決して我慢が出来ないのであろう。
一葉にとっては自分の親や生まれをバカにされたようで少々気分が悪い。しかし何も反論しないことで何か裏がありそうなこの事態を回避できるなら、それはそれで願ってもいないこと。
「だそうだが、ゼスト?」
アーサー王の面白がるような声に、やはり面白がるような表情のゼストが進み出る。
「私は近年、長年連れ添ってきた妻を亡くしました。妻との間にできた子はそこにいるウィンのみです。その折にこのイチハ殿が我々の前に現れましての。明るくそして賢い彼女とならば良き家族になれる、そう思えばこそ私は娘にと望んだのでございます。
はたしてそれは私が望んではいけないことでしょうかな?」
「くっ……」
「フォレイン侯爵であるヴァル家次期当主は私と既に決まっております。イチハ殿が男子であるならともかく、侯爵令嬢が1人増えたところで何の問題がありましょう?」
ゼストに加えて、ヴァル家の現状を理論立てて語るウィン。質問と答えが微妙にかみ合っていないのだが、要約すれば『他人の家のどうでもいい事情に口をはさむな』と言うこと。
一葉の見た目が人間である以上、人間でないという証拠が無い以上は人間として扱われる。それならば侯爵家がどのように一葉を迎え入れようと侯爵家の勝手。次期当主が確かに血をひく者であればそれでいいのだから。
子爵は唇を噛みしめて元の場所へ戻っていった。
「この件は既に決定事項であり、今この時よりイチハ=キサラギはフォレイン侯爵令嬢となる。正式名をイチハ=ヴァル=キサラギとするように」
正面から一葉を攻撃することが出来なくなった反対派の貴族たちが顔を顰めるが、これは王の決定であり彼らには覆すことができない。苦々しくも新たな『侯爵令嬢』を見つめるのみである。
内心の苦さでは一葉自身も負けてはいない。ゼストはともかく隣で腹黒く笑っているウィンが義兄になるとは。これからの生活を考えると胃がキリキリと痛むような気さえしていた。
「恐れながら王に申し上げます」
「何だ、ゼスト」
ニコニコとした表情を崩さないままに、ゼストは一葉の側へと歩み寄り一礼する。先ほどまでとは違い、先ほど以上に楽しそうな空気を醸し出すゼスト。
(うぁ、特大のが来そうな予感……)
しかしそれはもう止められない。導火線に着火は済んでしまったのだ。
「我が娘を近衛騎士団に推挙いたしたいのじゃが、いかがですかのぅ?」
『――っ!?』
自分が叩き込まれるであろう、より厳しい状況がありありと目に浮かぶ一葉。全身が細かく震えていることに彼女自身は気付いていないが、隣に立つウィンが気付き流石に哀れに思ったのか肩を落ち着かせるように叩く。
しかし。
(アンタのせいで!! アンタのせいで私は針のムシロに――!!)
凄絶な眼差しで睨みつけられるが、宮廷にいればこのような視線を送られることも多々あること。それなりに慣れているウィンはそこまで気にはしていない。とは言え怒りに任せて『コトダマ』を叩きつけられないことに、人知れず胸をなで下ろしてはいたのだが。
凍りついた謁見の間の中で、アーサー王は数少ない冷静な人物の1人である。面白そうな表情で彼は同じくにこやかな表情のゼストを見やった。
「ほぅ、理由を申してみよ。侯爵家の養子縁組がどれ程の範囲に影響を及ぼすのかを知っておろう。ただの思い付きでは、いくらフォレイン侯爵の言であっても却下することになる」
「もちろん思い付きなどではありません。我が娘イチハの実力はご存知の通り、貴族の令嬢として埋もれさせるには惜しいもの。それならばその力を役立てる場所を用意するのが実ではないとしても親の務めではございませぬかの?」
笑顔がこんなに手強いとは一葉は思ってもいなかった。ゼストの人のよさそうな微笑は、ウィンのそれよりもはるかに内心を読めないもの。ゼストが単純な『いいひと』ではないと、初めて会話をした瞬間からの評価は今もまだ変わらない。彼を敵に回してきた人間はさぞ苦労しただろうと一葉は思った。
やや現実逃避気味の一葉とは違い、広間に集まる貴族たちからは反感の声が上がる。養女にする話には反対しなかった者も近衛騎士団への入団となれば話は別である。
国内で功績を上げた者の中でも特に武に優れている者が、近衛騎士団への入団を許される。女性の騎士も珍しいとはいえレイラを含め何人かいるが、彼女たちも厳しい入団試験に合格した者や衛士隊での功績を認められたからこそ、その地位を得ているのだ。
衛士たちに指示を出す権限を持ち、頭を垂れるのは王族のみ。そんな彼らは決して名誉職ではない。全ての危険から王族を護衛し、時には衛士隊が対応できない魔獣を2人で討伐することすらある。平均年齢はその特殊性から30前後となっている。
親の口添えで入団したものが1人たりともいないとは言わないが、養女の話と相まって急激に上がる一葉の身分に貴族たちは余計に反感を覚えているのであった。
「王の御前で失礼を申し上げますが、フォレイン侯。見たところご令嬢はアリエラ様と歳が変わらないほどで、騎士になるには明らかに年若い様子。その年代にしては実力が高いのかもしれませんが、それだけで入団できるほど近衛騎士団は甘いところではないと聞き及びます」
「後ろ盾がある者でも成人してからの入団が通例。今すぐでなくともよろしいのではないでしょうか?」
「そのような小さな体で、騎士や衛士たちと対等に渡り合えるとも思えませんな」
純粋に一葉の心配をする人間も確かにいる。しかし反対する者の大部分は、一葉がこれ以上厚い待遇を得るのが我慢ならない人間か、もしくは習わしに重きを置く人間。
理由は様々であるが、一葉の実力に疑問を持っていることには変わりがない。直接ロットリア卿を叩きのめした現場に居合わせたのは衛士と騎士のみ。噂では聞いているが、解決できたのは偶然が重なったおかげであり一葉が独力でアリエラを救い出したとは思っていない。
地球で言うところの155センチという低身長と、日本人ならではの童顔を誇る一葉。彫が深く体格のいい人間が多いこの世界ではそんな一葉を可愛らしく映し出し、噂の『黒瞳の魔女』を噂の範囲に留めているのだった。
(なんかムカつくけど……余計な仕事をもらわないならそれでもいいや)
非常に嫌そうな顔をしているものの特に貴族たちに対する反論はない。目立たずに暮らす。侯爵令嬢となったからには一般市民のような生活に埋没することは不可能であろうが、それでも余計に目立つことは避けたいと一葉は思っている。
自分の一言で事態を悪化させることは論外なのだ。
しかし一葉の近しい周囲はそれを許してはくれないようだった。
「イチハ殿のことで1つ訂正がございます」
「申してみよ」
「はっ」
進み出てきたのは、ゲンツァの側で控えていたコンラット。人の良さそうな真面目な顔は、一葉にとって何かこの上なく良くないことを言い出しそうな予感がした。一葉の悪い予感は大抵的中する。
「我が騎士団のレイラ=ルーナ=アーレシアと、そこにおられるイチハ=ヴァル=キサラギ殿が先日、手合わせをいたしました」
「結果は?」
一葉の悪い予感は外れたためしがない。しかも最近は悪い予感のアラームが鳴りっぱなしである。少々顔色の怪しい一葉の目前で、アリエラの後ろへ控えていたレイラまでもが騎士団長の側へと進み出た。
「自分の未熟さを知るとともに、言い訳が出来ぬ程の大敗でございました。騎士として臨んだにも拘らず、手合わせにて私は1合も打ち合うことを許されませんでした」
「私はその手合わせの場に見届け人として参加していましたが、ルーナがあそこまで手も足も出ずに敗北するのは初めて見ました」
内心の荒れ模様とは裏腹に、目が死んでいる一葉を見てウィンは薄く笑った。
「……アレだけ卑怯な勝ち方でもモノは言い様ですねぇ……」
「……うっさいわ」
謁見の間には先ほどとはまた違った意味のざわめきが広がっている。レイラがどのようにして騎士団に入ったのかは知らないが、その実力は王族の一人であるアリエラ専属という立場から分かる。王族個人の護衛とあればより強い者でなくては許されないのだ。
顔の引きつりが抑えきれなくなってきた一葉へ、ウィンがニコリと微笑む。その整った容貌を自分で最大限に理解した笑みを向けられた一葉は、後になってから彼を殴ってでも止めれば良かったと思った。
しかし思ったときと言うのは大抵の場合が手遅れになったときである。
「我が義妹が優秀であるのは、決して剣技だけではございません。宮廷魔術士副士長補であるこの私ですら敵わない程の魔術の才を持っております。先のロットリア卿による事件の際にはその才を余すところなく発揮し、義妹がほぼ1人でアリエラ様を救い出して事件を解決したと言っても過言ではないのです」
(やってくれた……!!)
綺麗に、止めを刺された。騎士であるレイラと宮廷魔術士であるウィン。片方ならばともかく両方が太鼓判を捺したとなれば話は変わってくる。眉唾だと思っていたロットリア卿事件の内容がどうやら本当だったらしいとわかり、貴族たちの一葉への視線は目に見えて変化していた。
恥じ入ることのない者は純粋な感心へ。後ろ暗いものは敵意と警戒心へ。物事が変質していく様が一葉には手に取るように感じられた。
「これほどに高い実力を持っておるのじゃ。足手まといになることは無いと思いますがいかがですかの?」
「コンラット?」
「はっ。近衛騎士として信頼できる実力は充分にあると思われます」
「それならば特に反対する理由も必要も無いな」
にこやかなゼスト。面白そうなアーサー王。そして一見気まじめで融通が利かなそうに見えてこの茶番をともに演じている騎士団長。アーサー王が乗り気である以上、今や侯爵令嬢となった一葉が近衛騎士になることに表立って反対できる者はいない。ウィンやレイラも含めてこの場に一葉の味方は誰一人としていなかった。
(このための身分だったか……)
一葉はギリリと鳴る音に、自分が奥歯を強く噛みしめていたことを自覚した。
「それではフォレイン侯爵令嬢イチハ=ヴァル=キサラギをミュゼル王国近衛騎士に任ずる。良いな、イチハ」
最早断れない。王命を断ることは反逆として扱われ、自分だけではなくゼストやウィンも迷惑どころではない事態へと巻き込まれるだろう。下手をすれば一葉ともども切られるか、とにかく悪い立場へ追い込まれることは間違いないのだ。
流石の一葉も知り合いを地に叩き落としてまで命令を断る気にはなれなかった。
(まさかこう来るとは……アリアを助けられたのはよかったけど、やりすぎたかな。ちょっと最近調子に乗ってたかもしれない)
この状況を用意したのがアーサー王であっても、この状況にはまり込んだのは一葉自身。思えば何度でも回避できるポイントはあったにも関わらずこの結果への道を自分で選んできたのだから。
「……謹んで、承ります……」
頭の芯が冷える。感情が凍りつく。怒りもある点を通り越すと青く輝く焔のように外からは冷たく見えるものだと一葉は学んだ。アーサー王に対する、そして誰より自分自身に対するそんな感情を黒い瞳に宿し、若き侯爵令嬢・イチハ=ヴァル=キサラギは深々と頭を下げたのだった。
「一体、何を考えてるんですか……!!」
騎士任命を受けた一葉はアーサー王の執務室へと呼ばれ、開口一番にそう言った。一葉が言葉を叩きつけたのはアーサー王、ゲンツァにゼスト、コンラット、ウィン。
今回も侍女や騎士を人払いしており執務室には一葉自身を含めて6人しかいない。 もう身分差を気にしない。謁見の間ではないのである程度は認めてもらえるはずだ。
このようなことになるとは誰も教えてくれなかった。一葉のことなのだから誰か1人くらいは教えてくれてもいいはずなのに。
しかし怒りに震える一葉を前にしても、アーサー王の愉快そうな表情は変わらなかった。
「何だ、せっかく就職先を見つけたというのに不満があるのか?」
「私は下町の食堂とか、それがダメなら王宮の下働きとか! 目立たない! 身分の要らない! そんなお仕事が良かったんです! 何で近衛騎士なんです!? しかもあんなに目立つようなやり方で……っ!」
一葉の荒げられた声に、全員が驚いたような表情を浮かべている。
(こんな風に、人の命を盾にするやり方で。人の心の奥に、土足で踏み込むやり方で!)
こんなやり方をするとは思ってもいなかった。
結果から手段から、何もかもが気に入らない。
「コンラットさんに本気で頼み込んだ上に利用されたレイラさんがいい面の皮ですよね……!」
怒りとともに吐き出した言葉に部屋の空気が変わった。常にどこか冷静な一葉が出した結論。アーサー王とゲンツァ、そして今や養父であるゼストが面白そうに、しかし一葉を危険へと叩き落とす非情な視線で問いかけた。
彼女は鼻を鳴らして視線に応える。
「本人が知っていたかは分かりませんが、あの手合せは騎士団への入団試験のようなものでしょう。普通ならある程度の実力で許されるのでしょうけど私に限ってはどれくらい差があるかが判断基準だった。
……誰もが黙るような圧倒的な結果が無くては、あの反対を押し切ることなど不可能でしょうからね」
大体手合わせのときからおかしいとは思っていたのだ。
「1人の騎士の、しかも私闘ともいえるあの手合わせで、わざわざ騎士団長が出てくるなんて不自然極まりないでしょう。後から聞いたら最初は忙しいことを理由に断られたとか。一度断ったのに引き受けるなんて不自然でしょう。
まぁ文句はたくさんありますけどね。怒ってる理由はそれが一番ではありません」
「せっかくならば全て聞こうか」
さらに促すアーサー王に一葉は心底嫌そうな顔をした。
(なーんで、脚本家にあらすじを説明しなきゃいけないだっていうの。つっても命令だしな)
一葉は再びため息を吐いて言葉をつづけた。騎士になることすらも彼らの目的のために用意された手段。
「近衛騎士と言えば、王家に一番近い人間と言っても過言ではありません。前にも言ってましたよね、私を排除したいひとがいるかもしれない。それでふるいにかけるんでしょう? 私か、私の立場にか悪意を持つ人間を。その中からなら怪しい人間を調べるのも楽でしょう。そのために私を敵意の対象に仕立て上げた」
言いかえれば、それは。
「私は餌ですよ」
餌に食いついた魚を釣り上げる。言わば捨て駒に近いほどの立ち位置。一葉に対する餌は、アリエラという情。レイラという新たな情。自分のせいで義理とは言え家族が不幸になるのも黙認できるはずがない。
「ったく、感情まで利用されればいっそ清々しい気分ですよね」
せっかく纏められた髪の毛を、ぐしゃぐしゃとかき回して吐き捨てるように言う一葉に権力者たちは苦笑した。
「でも、私は餌扱いを我慢できるほど出来た人間じゃないので。好きに動きます。空気を読め? それは『仲間』の人に向けて言ってください」
「ふむ。やはり一筋縄ではいかんか。アリアとそう歳も変わらん筈が、こうも違うものか。イチハの世界の16歳が恐ろしい」
「私はただ単に臆病なだけです。そうしなければ私は生きられなかったんです。だから今度こそ平和に暮らしたかったのに!」
叫びを聞いたウィンがひょいと肩をすくめた。
「どうせ何らかの形でその力を見せつけた揚句、どこにいようと利用されることになりましたよ」
ニコニコとする大人たち。彼らは戦うことにのみ経験を積んだ一葉と違って、こと政治に関しては百戦錬磨のツワモノ。
(まぁね。必要な分はちゃんとバックアップしてくれるだけある意味誠意はあるかもしれないけど)
しかしそれでも、納得できるかと言われれば否としか答えようがない一葉。深いため息を吐いて俯くのを止めることはできなかった。
「騎士に着任するのはすぐにではない。侯爵家への紹介などもある故10日程は時間を取ってある。騎士として必要なものはすぐに用意して届けるが、今日ここへ呼んだのはそれとは別のことについてだ」
「何ですか?」
「まぁ……自分で確かめてほしい」
しばらく落ち込んで一葉の気が済んだ頃、アーサー王はそう切り出した。その瞳は先ほどよりもむしろ真剣。そしてほんの微かに痛みをこらえるような表情で、王は控えの間から侍女を呼び何事かを言いつけた。
(あぁ、何となくわかった)
執務室から出て行きしばらく後に再び戻ってきた侍女は、後ろにアリエラを伴っていた。アリエラを護衛しているはずの騎士たちは恐らく廊下で待っているのだろう。ウィンたち執務室にいた人間は壁際に控え、口を出さない姿勢を取っている。
そして一葉は自分の予想が当たっていたことを理解した。
「よく来たな、アリア」
「ただ今参りました、父様……ぇ……イチ、ハ……?」
「や、久しぶりアリア。元気だった?」
敢えて普段通り、軽い挨拶をする一葉。
事件の後にアリエラを思わない日はなかった。一葉も短い付き合いではあるがアリエラの脆いともいえる繊細さを感じていた。そして謁見の間で見たときにも気になっていた。彼女の表情が悪い予想通り、暗く硬かったのだ。
視界に一葉を捉えたアリエラはその碧の目を見開いた。
「イチハ……イチハ……っ!」
「ぅわっ」
執務室の床に、夜の黒と朝の金が広がった。呼ぶと同時に飛びついてきたアリエラを支えきれず、一葉はアリエラを庇いながら床へと倒れ込んだのだ。背中の痛みに顔を顰める彼女を気にする余裕も無く、アリエラは久々に会った一葉へとしがみついて号泣する。
それは普段のアリエラからは考えられないであろう挙動。しかしそれまで翳をもつアリエラをずっと見ていたからこそ、この場にいる人間は何も言わずに見守っていた。
「ごめ……なさ……っ、ごめんなさい……!」
「っつー……とりあえず話は聞くから、まずは落ち着こうかアリア」
その言葉でようやく、アリエラは自分のせいで一葉が背中を打ったことに気付いた。再び体を固くした少女の頭を、一葉は苦笑しながらゆっくりと撫でる。
(スカートの丈が長くて助かったわ、うん。……後で侍女さんたちに頭下げとこ)
背中の埃と前面の涙はそれで見ないことにする。
「まぁ、ちょっと座りなよ」
「は、はい……」
一葉は堂々と胡坐をかき、アリエラは身を縮めて床へと座る。
「あー……で、何がごめんなさいなのかな」
「……私は。私は、イチハを危険にさらしました……! 私の身が父様にとって、ミュゼルにとって大切なものだと知っていたのに! 知っていて1人でフラフラと歩きまわりその上っ!」
――イチハの命まで危険にさらした
血を吐くような声で告白し、ボロボロと再び流れ落ちる涙をぬぐいもしない。アリエラの持つ闇は一葉にも覚えがある……いや、親しかったもの。『絶望』の色。
「イチハにもし戦う力がなかったら、私は私の軽率な行動のせいでイチハの命まで奪っていたかもしれません。それで友人が欲しいなど!」
一葉はアリエラの言葉を聞きながら考えた。一葉に戦う力が無かったらこの場所には存在していなかっただろう。しかし、今の一葉ほど力を持っていなかった可能性は確かに存在する。
(アリアは、今まで守られてきたんだろうな。王様か、ゼストさんか……うん、皆から。だから直接危ない目に遭ったことが無い?)
それは幸福な環境である。しかしだからこそ守られていることを自覚しきれていないとも言えるのだ。
(色にしたら透明。すごくキレイで繊細な心だけど、同じくらい壊れやすいアンバランスな感じ)
仮定は仮定。現実の一葉には戦える力が確かに存在し、そのためにアリエラを助けることが出来た。『一葉のせい』で大怪我を負った訳だが、『アリエラを狙った事件』が起きた時にも同じようにアリエラを護っただろう。騎士たちの仕事など関係が無い。その時だけは、一葉が一葉のしたいように行動するのだから。
だから謝るよりも今はアリエラへと言葉を伝えなければならない。
一葉は息を吐き、また息を吸う。しっかりと下腹に力を入れてから彼女は言葉を紡いだ。
「……確かに私はアリアを助けた。結果的にはちょっと命がけだったかもしれない。でも、それと同じくらい私が大変なときにアリアは助けてくれたんだよ」
「そんなことは」
「まぁ、最後まで聞いて」
アリエラの否定を、頭を撫でることで封じる。少し気持ちを落ちつけてから一葉は近い過去を思い出して話を続けた。
「アリアは誰も自分を知らない土地に行ったことはある?」
「いえ、ありません」
当然の言葉に一葉は頷く。なぜその質問をしたのか、アリエラだけでなくアーサー王を始めとした全員が量りかねていた。
「そうだろうね……たった1人、自分のことを誰も知らなくて自分も全く周りを知らない世界に放り込まれるのって、多分アリアが思うよりも心細いんだ。自分が誰だか、何でそこにいなきゃいけないのかも分からなくなることがある」
一葉の笑顔に籠もる少しの苦い感情。アリエラは今まで気付かなかった。いや、気付かない振りをしていた。戻る手立てが断ち切られてしまった以上、一葉はもう家族に会うことも出来ずに、この自分を知る者がいない世界で生きていかねばならないのだ。
(私には、笑えません。全てを奪われたうえでこのように穏やかには笑えません)
それを目の前の女性は1度だけではなく2度も経験しているのだ。アリエラは一葉をとても強い人間だと思った。そんなアリエラに一葉は笑いかける。
「やっと家に帰れると思ったのに、気付いたらまた知らないひとに囲まれて。怖かったよ、すごく。いつも怖いよ。誰かが私を嫌いでも、私を手放しで守ってくれるひとがいないんだもん」
「…………そう、でしょうね」
大人ですら恋人や結婚した相手、子供や友人たちがいるおかげで自分を保っていると言っても過言ではない。それがこの少女はどうだろう。アリエラ自身とそうかわらない、未だ親が必要だろう歳にも関わらず信じられない程孤独な環境で戦い続けていたのだ。
「今でも時々、寝ないで朝になることがあるよ。明日の朝も本当に生きていられるのか不安で、何もないまま朝が来て、やっと少し寝れるんだ。それに、朝起きて侍女の人が用意してくれたお茶を飲んで。多分普通のことなんだろうけど、その普通の事が出来るだけで泣きたくなるほど安心することもあるよ。うまく隠せてるつもりだけど、多分トレス先生にはバレてるだろうなぁ」
苦笑いを浮かべながら、周囲が驚くほどの事を一葉は告白した。アリエラだけではない。この中では一番付き合いがあるウィンですら、そのような不安定な一葉など見たことが無かったのだ。
他人の呼吸の音すら聞こえそうな静寂に、一葉の柔らかな声だけが重なる。
「でもね、辛いと思ってたときにアリアが来てくれたんだ」
「え……」
戸惑うアリエラに向かい、初めて会ったときを思い出して小さく笑う一葉。そのときのアリエラは一葉の部屋のドアを開けるためだけに魔術を使った。扉の上げた轟音、部屋を渦巻く風。一瞬何が起こったのかが分からず凍りついたことを彼女は今も覚えている。
「笑えなかった。どうしても、笑えなかった。生きていける気がしなかった。体が生きてても、いつか心が壊れて『私』じゃなくなるんだと思ってた。
……でもアリアといるときは違った。何でも知りたがるアリアに、次は何を教えてあげようかって無意識に考えてた。それまで生きていける気がしなかった私が、だよ。結局は自分の殻にこもって、自分を『カワイソウ』って思って満足してただけなんだろうね」
「それは」
何かをしてあげたわけではない。それを分かっているアリエラは一葉の感謝にあふれた言葉と優しい表情に、戸惑いを隠せない。
「アイリアナさんが言ってた。自分が生きている限り、他の命を奪い続けるんだって。私もそう思うよ。きちんと生きてるってことはそれくらい大変なことだから。だからまた同じように……いや、今度こそアリアのせいで私が傷つくかもしれない」
「――!!」
穏やかな口調に隠された激しい内容。再び自分が一葉を傷つける原因になる可能性だけでなく、むしろ彼女自身が直接一葉を傷つけるかもしれないと言い放ったのだ。
ショックを受けて目を見開くアリエラの肩を軽く叩き、頭を落ち着かせるように撫でて話を続ける。
「傷つくことは怖いよ。痛いのも絶対嫌だし何より私は他人のためになんか死にたくない。誰に何て言われたとしても自分のために生きていたい。でも……それでも、何度でも同じことをするよ」
ニコリ、と一葉は微笑んだ。
「私は何度でもアリアを助けるよ。友達だから。私にはそう出来る力があるから」
力とは単純な武力か、それとも自身が望まずに得た身分のことか。確かに一葉の外見は幼いかもしれない。しかしその覚悟は決して幼さゆえの簡単なものではない。その言葉には侵しがたい力が籠められていた。
自分とそうかわらない歳のはずの一葉が自分よりも遥かに前を歩いているような気がして、アリエラはしばし目を閉じた。
「……ならば、私も強くなります。イチハに守られる人間に相応しくあるように」
再び開かれた目には既に翳りは無く、あるのはただ強い覚悟を持った眼差し。アリエラの頭を一葉は笑いながら撫でた。
「無理はしないように」
「大丈夫です。少しくらい無理をしなければ、追い付けませんから」
言いながらアリエラは立ち上がり、涙を拭ってから父であるアーサー王や執務室に居合わせる人間たちへと申し訳なさげに頭を下げた。
「父様、私室でないにも関わらず無作法をいたしました。これより先は王女として軽率な行動を控えますのでどうかお許しいただきたく思います。それに伴い、どうか警備の騎士たちと侍女には累が及ばないよう取り計らいいただきたいのですが」
「……此度のことは、お前の軽率な行動が原因だ。勝手に抜け出すことが無くばあそこまで大事にはならなかっただろう。王として謹慎を命じる。お前の態度次第で侍女や騎士たちへの罰は考えよう。よくよく精進し、王族として立派に成長するように」
「はい、ありがとうございます。
それでは皆様失礼いたします。ゼスト、早速ですが少しだけ時間を頂けますか? これまで以上に頑張りますので色々と教えてほしいのです」
ゼストはゆっくりと微笑みを浮かべ、頷いた。そしてアーサー王へ一礼し、侍女に伴われたアリエラとともに退出する。
アリエラとゼストがいなくなったことで執務室にはしばし沈黙が落ちた。そしてウィンにより抱き起こされ、子供扱いをするなと文句を垂れている一葉へアーサー王は感謝を述べる。
「……キサラギイチハ殿。我が娘アリエラをロットリア卿から救い出し、その上友としてアリエラの心をも救ってくれたことを心から感謝する。父としてこの手で娘を救うことができず悔しいが、それでもイチハ殿がいてくれたおかげでアリエラを失わずに済んだ」
この時ばかりは自分が与えた名前ではなく、一葉の正しい名前を呼ぶ。アーサー王に合わせて宰相、騎士団長も深々と頭を下げた。
一葉は何となくわかった。彼らが一葉を騎士にした理由は単に餌にするだけではないことを。今までアリエラが望んでも得られなかった『友人』という関係を築ける一葉だからこそ、身分で縛ってでも近くに置いておきたいと思ったことを。それは誰かを思うがゆえに取ってしまう卑怯な手段。
こればかりは、一葉も彼らを責めることなど出来なかった。地に足をつけた一葉は首を振り微笑む。
「やっぱり元気な方がアリアらしいですから」
この日以来、ミュゼル王国の王女が勝手に部屋を抜け出して侍女を困らせることは無くなったという。