第14話 踊る人形と魔法使いの呪い
3日。3日もあると思った。しかし実際3日などすぐに経つ。
「ぅあー……どうすっかなぁ……」
時刻は高い音の1刻。
本日の服装はやはり白いカッターシャツと黒いパンツ、脛までをしっかり守るブーツ。約束通り新しく用意された服はこの世界に召喚されたときの服とほぼ同じ形のものだった。下手に綺麗なドレスなどよりもよほど親切だと思った一葉は上機嫌である。
レイラとの約束は高い音の2刻。手合わせをする訓練場まではやはりウィンが案内してくれるというので迷子の心配はない。一葉はそれに甘え、考えに耽っていた。
(まさかホントに卑怯な手を使う訳にもいかないし……かといって剣で戦えば1分もつかどうか。さて、どうしようか)
今までの一葉は相手の命になど構っていなかった。『同行者』たちは一葉の『コトダマ』や魔力を恐れて危害を加えてはこなかったし、敵である魔獣や魔族に対して命を気遣ったことなど一度もない。
(あー、人と試合形式で闘うの初めてだもんなぁ……)
一葉は再び1つずつ整理する。
(剣を使うなら? まず間違いなく試合はレイラさんに負ける。私の腕は2流半、相手の腕は多分1流。メリットは正々堂々っていう綺麗な試合ができることと自分の力をこれ以上は見せなくて済むこと。事件の時に重力制御と氷槍使ったせいであんまり意味無いけどね)
「まぁ、これじゃレイラさんの気が済まないか。卑怯な手も平気で使うって宣言しちゃったし。どんな手でも使うって知ってるし。下手したら馬鹿にしてるって取られるかもなぁ……」
ただ勝利するのが目的ではない。レイラが納得するように勝つことが一葉のするべきこと。
「ホント、悪いけどメンドくさいな」
言いながら一葉は人差し指に次いで、中指を立てる。
「二つ目、『コトダマ』しか使わなーい。いやいや下手したら死ぬし」
レイラがどれ程までの魔術を弾けるのか、避けられるのかが分からない。そして全力で戦うなど、今からでも備品や訓練場の惨状が目に浮かぶ。一葉の抱える諸々の事情を考えれば、『コトダマ』で一掃など最終手段である。
(税金は計画的に。お城だからこそやっちゃダメなことってあるよねー)
そして立てられる薬指。
「もう最初から手段を選ばないで行く」
闇討ち、抜け駆け、後出し。各種卑怯な手段が一葉の頭を駆け巡る。
(これが一番私に合った戦い方かな。死人も出ないし、実力も戦い方も見せつけられる。レイラさんとの違いも一番わかりやすい。でも)
「友達なくすよねー」
卑怯な手を使っても構わないとは言われた。しかし、物には限度というものが存在する。何事もやりすぎはよくない。
(ウィンくらいかな、卑怯でも何の反応もしないのは。本人も私と似たような性格だしねぇ……)
一葉ですらレイラ相手に卑怯な手を使うには抵抗感を持つのだ。周囲からの非難は想像に難くない。
「面倒なことになったなぁ……」
そして思考は堂々巡りに突入するのであった。
「……何を、しているんです?」
「あー……うん、考え事をね」
一葉の許しを得て部屋に入ったウィンはそのまま扉の脇に立ち、その場から近寄らずに訝しげな表情を浮かべている。
「さぞや緊張しているか、貴女のことですからいつも通りかと思えば……ここまででしたか」
多少心配してきてみれば、当の本人はベッドに上半身を倒して足をプラプラと揺らしている。その上クッションを投げ上げては落ちてきたクッションを両手で捕まえ、また投げ上げる……との行動を繰り返していた。
この後近衛騎士の1人と手合わせをする人間の行動とはとても思えない。暇で暇で仕方がないと全身で主張しているのだ。
「考え事、ですか。一体何を?」
「ナイショ。さぁ、行こうか」
立ち上がる彼女から返ってきたのは素っ気ない答え。しかしどうやら既に勝つつもりだとウィンは見た。それもギリギリなどではなく、余裕の勝利を収めるつもりらしい。最近のレイラの様子から、それが必要なことだとはウィンにも解っている。
(面白いではないですか。見せてもらいましょうか、貴女の戦いを)
唇の端を吊り上げたウィンは芝居がかった動作で膝をつき、手を差し伸べる。
「それではエスコートいたしましょう、お姫様?」
「うわ、クサっ!」
一葉は笑いながら『狛犬』を腰に下げ、ウィンの手を取ったのだった。
エスコートする先は訓練場という名のパーティー会場。
ダンスの相手は近衛騎士・レイラ。
「あーあ、まさかこんな感じでアリアの話が実現しちゃうとは」
「イチハ。さすがに仮にも女の子が、はしたないとは思いませんか?」
歩きながら唸り、頭をガリガリと掻き毟る一葉にウィンは苦笑する。彼はこれでも貴族である。そしてウィンの周囲にいる女性もまた基本的には貴族である。今の一葉のように頭を掻き毟り、心の底から苦々しい表情を浮かべる女性は彼の周りにはいなかった。女性の範疇に入れていない幼馴染ですら、外見だけを見れば完璧に淑女だったのだ。
一方、すれ違う衛士たちは相変わらずヒソヒソと噂をしているが今の一葉はまったく気にしていない。
(ふん、本命もいないのに傷つくも何もないっつーの。まずそれ所じゃないし)
そんな一葉の内面は、特殊な術者ではないウィンが知る術など無い。
「それで何です? アリエラ様の話とは……」
「いやさ。前に私の部屋に来たときに話してたでしょう。一体誰が一番強いのか的な」
「そう言えばそんな話もしましたね」
ウィンも思い出して小さく笑う。あれから数日しか経っていないはずなのに、とても遠い記憶に感じた。
「実際、私の魔術は貴女の前では無いものと同じようでしたけど」
「ふふん、私を誰だと思ってるのかな」
得意げな顔をする一葉。時々見せるそういった表情が彼女を実年齢より幼く見せていることを、本人だけが気付かない。
「それはいいとしてレイラさんのことだけど。本当に手合わせをするとしてももっと先のことで、私がさんざんゴネた後に結局アリアの『お願い』に付き合ったりした結果になるのかな、とか想像してたから」
「今回の手合わせは不本意ということでしょうか」
「私にしてみれば手合せする状況の全部が不本意」
まぁ、と一葉は思う。
(こっちにも打算はあるし、自分で返事しちゃったから誰にも文句言えないんだけどね……)
重くため息を吐きだす一葉をウィンは歩きながら横目で眺めた。
「理由を聞いても?」
「んー……言っちゃ悪いけど、今って落ち着いてないでしょ? 国の中の状況とか。私が喚ばれたのがいい証拠だし」
「まぁ否定はできませんね」
それで? と、彼は特に気にした様子も無く先を促す。
「ちゃんと自分の身の回りが落ち着くまでは目立ちたくないし、できれば絶対に手の内を見せたくなかった。『狛犬』を返してもらった時に王様が言ってた注意事項とほとんど一緒。まぁ、アリアとかアイリアナさんとか、無条件で気にしてくれる人もいるけどさ」
王妃の名前を『さん』付で呼んだことにウィンは眉を上げたが、特に何も言わなかった。恐らくアリエラと同じで本人が許したのだろうと予想を付ける。
「……私も、今度は平和に生活したいし」
――騎士と手合わせしたら現実に比較対象が出来ちゃうでしょ? まだ想像上の『強い』の方が、目立たないんだよ――
表情を変えず何も言わない。その代わりにウィンは大げさに肩をすくめる。
「私も貴女を気にかけている1人なのですが?」
「王様もそうだけど、ウィンはアレだよね。気遣いが2割で私を利用する気が8割だよね。だから無条件では信用できないんだよ。そう腹黒いところを見せたら女の子にモテないよ?」
「世の中、家柄と権力と顔と相手の腹黒さを我慢できるほどの広い心があればどうにかなるものですよ」
「うわ黒っ!! 大人って汚い!! っていうかそんなに揃ってる超人いないし特に4番目っ!!」
「ここにいるではありませんか」
そう嘯く将来の侯爵様へ向かい、こんな大人になりたくない~、と本当は既に大人の一葉が冗談交じりに言う。
そんな彼女にウィンは自然を装い、もう1つだけ質問することにした。
「イチハのその考え方は前の世界で学んだことですか?」
その考え方――臆病とも取れるほどの慎重さの原点をどこで身につけたのか。常々気になっていたウィンの質問に一葉は一瞬呼吸を止め……どこかぎこちない微笑を浮かべた。
「まぁ、どこの世界でも同じだよね。私がどんな立場でもイレギュラー……よそ者には変わりないことだから」
「貴女は……どのような経験をしてきたのでしょうね。時折とても気になります」
「オンナは秘密が多いほどいいオンナなんだってさ。だからそれはヒミツ」
「まだまだ成人もしていないのに何を言っているのですか」
再び大仰に肩をすくめたウィンに、ホントなのに、と一葉は笑う。その表情は普段通りの淡いもの。なぜか安心したようなウィンに、今度は一葉が冗談じみた声で一石を投じた。
「で? 実際のところ王様は私に何を狙ってるのかな?」
「おや。純粋に、レイラ殿の手合わせを実現させただけとは考えないのですか?」
一葉は苦笑いした。
「自分の番には答えないってフェア……いや、公平じゃないね。でもその答えって下心があるって言ってるようなものじゃない?」
「貴女も答えたとは言えないではありませんか。それにどうせ貴女のことです。言葉の端から推測して導くのならば白か黒か完璧に色分けされていない限り結果は同じでしょう」
「高い評価をもらって嬉しいけど、私はそこまで頭が回らないよ。でも……まぁ、なる様にしかならないかな」
一葉が話を切り見た先には広い訓練場。そこには既に準備を終えたレイラと、常にアーサー王の傍らにいる印象の大柄な男性がいる。彼を見て一葉は人種の違いを考えた。実際に7歳も若いアリエラの方が既に一葉よりも僅かばかり背が高い。
そして訓練場の端にはこの場で唯一の癒し系、男性にしては大体160センチちょっとくらいという少し低めの身長と穏やかな性格が相まって、余計に親近感がわくトレス=ディチ。一葉がトレスへ向けて小さく手を振ると、トレスもまたにこやかに手を振り返した。
一葉を信じて本当にこうして力を貸そうとしてくれた。一葉はそのことがとても嬉しい。
「おや、コンラット殿がいらっしゃるとは……」
一葉から離れてトレスの方へと歩いていくウィン。彼の呟きが聞こえたのか男性は会釈を返し、そして一葉に頭を下げた。
「直接挨拶するのは初めてですね、キサラギ殿。私は見届け人として参りました近衛騎士団長のコンラット=ラジーオ=リトローア、リトローア伯爵家の当主を務めております。部下が無理を言ったようで大変迷惑をおかけいたしました。本日はどうかよろしくお願いします」
「えぇと、こちらこそ初めまして、になるんでしょうか。一葉=如月です。こちらこそ訓練の場所とかいろいろとご迷惑をかけたみたいでごめんなさい」
未だ王宮の客人であるため、一葉に対してとても丁寧な態度で挨拶をするコンラット。一葉のこちらも丁寧な言葉に彼はふっと微笑み、レイラへ振り向いた。
「用意はできたか?」
「はい、私はいつでも構いません」
「キサラギ殿、準備はよろしいだろうか?」
一葉は一瞬難しい顔をするが、すぐに普段の無表情へ戻る。
そして彼女がはい、と手を上げるとコンラットの水色の瞳が発言を促した。
「最後にもう一度だけ確認します。私は騎士ではないので、騎士にとって考えもしないほど卑怯な手を使うかもしれません。それでも大丈夫ですか?」
「ルーナ?」
呼ばれたレイラが一つ頷く。
「構いません。呼びつけた上に私に合わせろなどと言うのはイチハ殿に申し訳が立ちませんし、なにより手加減されるのは心残りです」
「……それならばこの世界において異端である『黒瞳の魔女』として、出来得る限りお相手しましょう」
この世界でただひとり、一葉だけを表す『黒瞳の魔女』という名前。名づけた人間に対しては複雑な思いがあるが、今の一葉を表すにはその二つ名はそう悪くないのかもしれない。
小さく息を吐き出した一葉は『狛犬』を手に、コンラットを中心として10メートルほど離れたレイラと向き合った。
上がっていたコンラットの腕が――下がる。
「はぁぁぁぁっ!!」
距離を詰めてくるレイラ。迷いは全て今この瞬間に捨て去った。耳の奥から囁かれる彼女を責める言葉を無理矢理抑え込み、一葉は魔力を引き出す。
なるようにしかならない、と一葉はもう一度だけ心の中でそっと呟き、右手を上げた。
『風刃招来!』
叫びと同時に一葉は高らかに脚を踏み鳴らした。その脚で生んだ音により、レイラを囲むように透明なドーム状のシールドが出現する。
いきなり現れた魔術の雰囲気を感じ慌てて足を止めるも、既にレイラが自力で外に出ることは不可能だった。
「そのシールド……盾は、もしかしたら壊せるかもしれません。でも私はそれと同時にこの風を叩き込むことが出来ます」
一葉がレイラへ伸ばした右の『狛犬』には、不可視ではあるが圧縮された風が渦を巻いている。それと同じものが無数にシールドの周りに配置されているのはレイラにも分かった。そしてそれらが1つでも人体に直撃した場合、おそらく直視するのも憚られる状態になることは間違いない。だが万が一それを抜けられたのならば剣を合わせることもあるだろう。
「細切れを免れればレイラさんにも勝機があるでしょうね。むしろそうなれば正直、私なんかでは勝負になりません。どうしますか? 細切れと勝利、命を懸けて博打を打ってみます?」
(確率は半々)
突破の可能性を考えたからこそ一葉は『狛犬』を抜いていた。しかしそうなった場合、どういう結果になろうとも一葉の目的からすれば完全に失敗となる。
一方、レイラとて茶の瞳を持つものである。
(2属性を同時に……。イチハ殿の魔術の腕を分かっていた……いえ、それはつもりだったのでしょうね。やはり今の私の剣などイチハ殿の足元にすら届かなかった)
そしてレイラが風を抜ける可能性を知りつつも普段と変わらず自然体で立っている一葉自身にも、言い知れない畏怖を感じる。あれは誰だ。本当に自分より幼い少女がここまでの力を持っているとは。
剣の腕は一葉の申告通りだろう。
しかし魔術は、盾を破るだけで消耗して風を捌けるかどうか。
しばし目を閉じ、やがて彼女は決断した。
「……参りました」
「勝者、イチハ=キサラギ殿」
レイラが剣を鞘に納めると同時に透明なシールドが消え、『狛犬』からも風が消えた。その圧倒的な結果にコンラットは目を細める。
一方のトレスは知らぬ間に握っていた両手をゆるゆると解いた。
ただの手合わせとはいえ、今回はどちらかが重傷を負ってもおかしくはなかった。むしろそうなるだろうと彼は予想していた。しかし結果的には両人とも無傷であり、ウィンとともに訓練場の端にいたトレスは、知らないうちに詰めていた息を安心とともに吐きだしたのだった。
「騎士との手合わせにおいて一合も剣を合わせない上、やったことは足止めと脅迫とは……素晴らしく卑怯ですねぇ」
安心するトレスに対して心配をかけたことを申し訳なく思い、笑顔で嫌味を言いながら歩み寄ってくるウィンには肩をすくめる。
「勝てない勝負をどう勝つか、それを考えられない人間は趣味でやめておくべきだと思わない?」
『少女』の言葉に込められた重さを、ウィンはそっと心に刻んだ。
「ありがとうございました。次は今よりも速く、鋭い剣にし、イチハ殿に近づけるよう……今日のように無様に負けないよう精進します」
「できれば次は無い方が……」
「それではイチハさん、怪我も無さそうですし僕も医務室へ帰ります。また今度元気なときに遊びに来てくださいね?」
「あ、はい! わざわざありがとうございました、トレス先生!」
レイラへの呟きが誰にも届かなかった一葉は、少々寂しく思いながらも職場へと帰るトレスを笑顔で見送る。あまり一葉の話を聞かない面々の中にあり、やはりトレスは自分にとっての癒しだと再確認した。
そしてそんな一葉たちへとコンラットが近寄ってくる。
「キサラギ殿とフォレイン卿。手合わせが終わり次第アーサー王の執務室へ来るよう言われております。ルーナ、お前もだ」
「はい」
「あはは。ウィン、何だろう。すごく嫌な予感がするー」
頬が微かに引きつる一葉だがウィンは軽く肩をすくめた。
「貴女のその嫌な予感は、今のところ貴女を裏切っていないのでは?」
「何、そう悪い話をされるわけではないと思いますよ」
「うぅ……ありがとうございます……」
一葉の気分を盛り上げようとしてくれるコンラットの気遣いには、有難く思い大人しく頭を下げる。しかし失礼なウィンに対しては無視を決め込む一葉だった。
一葉とウィン、騎士たちが執務室に入るや否や、アーサー王は手合わせの結果を訪ねた。
「キサラギ殿の勝利です」
「本当か、レイラ?」
尋ねられたレイラはスッキリした表情で頷いた。
「はい。剣を合わせることもさせてもらえず、簡単に負けてしまいました」
「騎士との手合わせにおいて、近年稀にみるほどの非常に卑怯な勝ち方だったとだけご報告します」
いつぞやのように、眼鏡の位置を直しながら優雅に。余計なことを言う伯爵を当の一葉は睨みつけている。
(何と言われようとも勝ちは勝ち。文句があるならウィン、アンタがあの場に立ってみればいいじゃん! 無理だから。ホントに怖いから!!)
そんな様子には目もくれず、何かに納得したようにアーサー王は頷いていた。
「ふむ。しかしどのような手であれ、勝たねば手段などただの言い訳にすぎん」
「全くその通りです。我ら騎士はそのことを度々忘れてしまいますゆえ、今回は私にとっても良い勉強になりました」
王の言葉に深く同意するコンラット。手段を選ばないことに対して割と好意的ではあるのだが、騎士としてそれもどうだろう、と思わざるを得ない一葉である。
(えぇぇ、騎士が搦め手を肯定ってどうなのソレ。これって私の中の偏見なのかな……でもなぁ……)
そんな思いの一葉を置いて話は進んでいく。
「そうか。後で詳細を聞こう。レイラ、これで気持ちの整理はついたか?」
「はい。この後は同じ失態を繰り返さないよう精一杯の精進をいたします」
「分かった。……イチハもご苦労だった。諸々の通達や用事がある。2日後の謁見に呼び出すがそれまでは自由にしていてほしい」
「分かりました」
「3人とも時間を取らせたな。退出してよい」
一葉、ウィン、レイラの3人は一礼してアーサー王の執務室を退出した。
「さて、私は通常の業務に戻ります。今日はお時間を頂きありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。本当にありがとうございました」
お互いに頭を下げる一葉とレイラ。そのスッキリした後ろ姿が見えなくなると、残った2人も歩き出した。
「私の人生に騎士との触れ合いが無かったから余計なのかもしれないけど、私には王族以上に騎士が分からない」
肩をすくめる一葉にウィンはボソリと言葉をかける。
「私には貴女が礼を言ったことの方が不可解です。レイラ殿は確かに学んだでしょうが、貴女は貴女のやり方を通しただけでしょうに」
「不可解って……騎士の心の広さにありがとうとか?」
ウィンの苦々しい質問に、一葉はわざとらしく小首を傾げて答えた。
「貴女がそう思う人間ですか」
「失礼な。じゃあ、ひとに対する卑怯な手段の有用性」
「じゃあと言っている時点で違うのでしょう」
しれっと言い放つ一葉。ウィンには苦笑するしか出来なかった。一葉はそんな彼に対して何気ない風を装って質問をする。
「コンラットさんだけ残したのは何でだと思う?」
「さて。詳細を聞くためでは? もしくは護衛に残したのでしょう。相手は騎士団長殿ですし、アーサー王付きの騎士でもあります。王の執務室に残ってもおかしくはありません」
ウィンの表情には特に隠し事をしている様子も無い。しかし一葉にとってこの相手は、害意こそ持たれていないものの完全な味方でもない。お互い様ではあるが、ウィンはにこやかな顔をして平気でこちらを欺くことが出来るのだ。
「ウィンって嘘つきだよね」
「失礼な。言っていないことがあるだけですよ」
それは確かだ。嘘はつかれていない。言っていないことや言い方が少々変わっているだけで勘違いをするのは一葉の勝手。何かを隠していることを隠さない分、ある意味ではアーサー王やゲンツァたちよりも余程親切だと言えないこともない。
一葉はまた、唸りながら頭を掻き毟った。
「っあー……面倒なことにならなきゃいいけど」
「貴女の場合こちらが何かをしかけなくても面倒の方から寄ってくるのでは?」
ウィンの正論に皮肉の1つも返せない。『狛犬』を返されたときの不安感が再び大きくなる。確かにコンラットは騎士団長でありアーサー王の近くにいてもおかしくは無いのだが、それが一葉の中でなぜか引っかかっているのだ。
まずは今まさに騎士目線での報告がなされていることだろう。ある程度アーサー王は一葉を知ってはいるが、報告によって余分に高い評価を下されるのも今後のために恐ろしく感じる。
珍しく心底げんなりした表情を隠しもせずに一葉はつぶやいた。
「うっさいわ……」
夜中。普通であれば皆が寝ている時間。
蒼白い月の光と星の光が差し込む部屋で、一葉は開かれた窓の側に椅子を動かして夜風に当たっていた。手には綺麗な模様が浮かび上がる薄く白いグラス。中には水差しから注いだ水が入っており、夜風を受けて水面に映った月がゆらゆらと揺れている。
この世界でも月は変わらず、そして地球と同じようにグラスがある。恐らくこれも硝子のような材質であろう。モノの材料に対しては普段使っていた程度の知識しかないため、あるかもしれない細やかな違いが一葉には分からない。
(日本でもない。地球でもない。どこかわからない世界。なのに、似てる。そう思えるのは自動翻訳のおかげかな? だったら単位とか距離とかも通訳してほしいものだけど)
スッと視線を移せば、側に引き寄せた小机の上には返してもらった『狛犬』が載っている。一葉は感慨深くそれを見つめた。
「戦えた……私は普通に、戦えた」
誰の命も奪わずに、傷つけるためでなく戦えた。
本当は怖かったのだ。アイリアナのお蔭で自分の中の折り合いがついたとはいえ、再び剣を握ることが。そして『コトダマ』をひとに向けることが。再び『戦闘人形』に戻ってしまうことが。
一葉にとって命の奪い合いでない1対1、対人の手合せは今日が初めての経験だった。
前の世界での一葉は、秘密裏ではあるが王族たちから『戦闘人形』として扱われていた。自分と『同行人』以外の動くものは『敵』。全て殲滅するべき対象。
最初は目覚めた魔力を扱いきれず、勝手に送られてくる人の負の感情が原因だった。それを感づかれてからは暗示という形で、一葉は『権力者』に対する恐怖を強いられてきた。決して刃向わないように。決して逃げないように。そして、『王にとって都合の悪いものを殲滅するように』。
そうでもしなければ怖かったのだろう。自分たちの世界の人間でない一葉が。自分たちのルールに従わない『かもしれない』一葉が。だから彼らは保険を掛けたのだ。
(『コトダマ』と『狛犬』があれば簡単に逃げ出せた、って思うのは今だからだろうなぁ)
一葉にとって幸運なことにその暗示の対象は権力者ではなく、王と呼ばれる男とその家族たちに限定されていた。それゆえアーサー王やアリエラ、ゼストやゲンツァなどの権力者たちを見ても、自分でも驚くほどに何とも思わない。
しかしそれが裏目に出ることもあるのだ。
今までは巫女である王女の命令で『人形』状態が解除されていた。何も知らない巫女の命令でも『人形』を解除できるように仕組まれていた。しかし今は違う。恐怖の対象がいない代わりに、恐怖で制御する人間もいないのだ。だから必要以上に危険から身を退いた。力を振るうことが無いように。少しでも暴走の確率を下げるために。
(それが、ウィンが知りたがった私の慎重さの理由。まさか言えないよ。今まで一緒に笑ってた人間が、スイッチ入った瞬間『人間』じゃなくなるなんてこと)
『狛犬』を返されたとき、安堵と同時に不安もまた大きくなった。条件が揃ったことでまた『人形』に逆戻りなのではないかと。だから『狛犬』に送る魔力を少なくするためにウィンを利用した。しかし『狛犬』に無事に魔力を送り込めた程度では安心できなかった。
だが同時に一葉には分かっていた。あれがただの暗示である以上、思い込みをなんとかすれば自分が解放されることを。自分から、自分の意志で暗示を払う条件を整える必要性があることを。
召喚された際の、ギリギリの状態であるがゆえにアーサー王の声が届いたという状態では足りない。ロットリア卿と闘った時の『巻き込まれた』状況でも、一葉の不安を払うにはまだ足りない。
(そういう意味じゃ、本当は賭けの機会をくれたレイラさんに感謝なんだよね。言う気はないし絶対伝わってないけど)
そして一葉の予想通り、剣を持ち『コトダマ』を発動しようと魔力を集めても彼女に変化はなかった。うごめく暗示を感じても自力で抑え込むことが出来たのだ。その事実さえあれば、条件が揃っても『人形』に戻ることは無い。
(本当は、分かってたよ。あなたが守ってくれていたって)
一葉の中には、世界を越えた友人――“魔王”の力の切れ端がある。それはどういう意図があったのか、消え続ける最後の力を振り絞り、自分の最期と同時に一葉の中へ紛れ込んでいた。
この世界に来てからずっと寂しかった。アリエラたち王族を見るたびに、ウィンとゼストを見るたびに、レイラを、トレスを、いろいろな人を見るたびに。この世界に自分だけの縁が無いことが、この上もなく寂しかった。
(それを支えてくれてたのが“魔王”なんて、皮肉だけどね)
それでも一葉にとっては大切な縁であり、大切な友人でもある。
『勝てない試合をどう勝つかを考えないならば最初から趣味に留めておいた方が良い』。それは一葉自身に言った言葉でもあった。彼女は勝った。『コトダマ』を自由に使える権利を、暗示から勝ち取った。そうでなければ『狛犬』を手放すか、趣味程度の範囲でしか魔力を操ることが出来なくなったであろう。
その勝負を決意させてくれたのは、彼女の中にいる“友人”の温かさがあったからこそと言えた。この気持ちがあれば何があろうとも“こちら側”に戻れる、と。
(今の私は不安で泣く『女の子』じゃない。気遣ってくれる人がいる。それに皮肉だけどね、アンタたちが私を少なからず強くした。もう前の私じゃない。もう暗示に意識を取られたりしないっ!!)
悩みがすべて解決されたわけではないが、今は暗示という枷が1つ減ったことだけでいい。そう簡単に上手くいくはずがないことは彼女が一番よく知っているのだから。
「さて、明日のお茶菓子は何かな」
緩やかな生活。世話をし気遣ってくれる人が僅かでもいるこの温かい場所を想いながら、いそいそと使った椅子や小机を元に戻して一葉はベッドに横になった。
今日は好い夢を見られそうな気がした。