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流界の魔女  作者: blazeblue
蠢く闇の色
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第12話 抱えるは二律背反




 アイリアナの訪問を受けて以来、再び自宅謹慎――客間から出られない日々が続いている。それどころか現状で許されていることは寝ていることのみ。立ち上がることはおろか起き上がろうとするだけで恐怖の担当医がご降臨なさるのだ。

 絶対安静は怪我をしたその日にトレスから言い渡されていたが、そのときの一葉はまさかここまで完璧な管理がなされるとは予想もしていなかった。



(医療専門の魔術士ってホント万能だよね。私も怪我なら何とかできるけど……。病気は無理だな。加減を間違えそうで治療なんか絶対できん)



 することもないのでトレスの診療を観察している一葉。過去、植物を育てれば必ず根腐れを起こして枯らしてきた彼女である。知識が無く加減もできない一葉は、自分が医療魔術士に向いていないことを自覚していた。

 だからこそ自分にないものを持ち、かつ『尊敬できる大人』であるトレスへ純粋な尊敬の念を抱いているのだった。



 観察されている側のトレスはと言えば、気負いが無くなり翳も見えなくなった一葉に彼こそが驚いていた。



「何かありましたか? 事件から、随分……」

「ずいぶんスッキリしました?」



 言いにくそうに問うたトレスは、正直に頷いた。それほどにあの日までの一葉は翳が濃く、死亡する直前のロットリア卿と同じような位置に立っているように見えていたのだ。翳り、澱み、自分以外が自分の領域へ入ることを許さないかのように。



「何ていうか……はい。トレス先生にもご心配をおかけしました」



 苦笑する一葉。今まで日常会話こそすれ他人には内面を見せることのなかった彼女だったのに。それを見続けていたトレスは一葉が笑顔を浮かべていることにも驚いたが、すぐに軽く微笑んで診療を続けた。

 一葉は精神的な安らぎを望めない環境にいる上に治す端から重傷を負う、何とも目の離せない患者である。体調だけでなく精神的にも、彼女が快方へ向かうことを誰よりも望んでいるのはトレスなのだ。



(ようやく笑い方を覚えたというような笑顔ですが……えぇ。ずいぶん精神的に落ち着いたようですね。この先また曇ることが無ければ、医者としても、近くにいる人間としても嬉しいですよ)



 一葉にとってもそんなトレスの気遣いを何となく感じ取ったのか、彼の使う癒しの力が今までよりも温かく感じたのだった。








 トレスとは反対に訪ねるだけというのがウィンである。そこに一切雑談など無く見舞いの品を置くだけで帰っていく。

 持ってくる物はフルーツらしきものだったりイラストの多い軽く読める本だったりと様々だった。寝たきりを余儀なくされている一葉に対する気遣いは、意外にも細やかである。



「息子さんに対して失礼とは思いますが……妙に義理堅くないですか?」

「自分の実力不足が悔しくて目を合わせられないのじゃろう」



 事件から4日目に訪ねてきたゼストの言。

 本来ウィンには魔獣を倒せる実力があった。それだけの力を持たねば宮廷魔術士などという立場にはない。しかし王女に危険が及ぶ可能性に躊躇した結果、魔獣を一掃出来たはずの一瞬を見逃したのだ。

 彼は一葉が機会を無理やり作るまで見ていることしかできなかった。それが未だに彼のプライドを酷く傷つけているようだった。



(暗いなー。空気が真っ暗。『ずいぶんスッキリした』ってことは、トレス先生には私もああ見えたんだろうなぁ……)



 トレスとの会話を思い出した一葉はこっそりとため息を吐いた。

 しかし彼女は同情をしない。一葉がいなかったら起きなかった事件かもしれないが、一葉がいなくても同じような事件は起こっただろう。その時にどうにかするのはウィンであり一葉ではなかった。王族の近くに仕えている以上、間に合いません、できませんでは済まされないのだ。



 その王族たるアリエラは部屋を抜け出すこともせずに、ここ数日は周囲が驚くほど大人しく公務と勉学に邁進しているという。軽々しく出歩いて人質になったことは彼女の中で相当に堪えたのだろうともゼストは言っていた。








 そうして日々が過ぎていくうちに、物語はゆっくりと動き出す。

 水面に投じられる一石は事件から5日目、高い音の2刻。



 一葉の部屋の前には手に見舞いの品を持ち、妙に思いつめた表情をしたレイラの姿があった。そして、彼女の心とは裏腹に軽いノックの音が一葉の耳へ届く。



「アーレシア子爵がお見えです」

「アーレシア子爵、ですか」



 ドアの前に立つ衛士たちから告げられた訪問者に心当たりが浮かばず、一葉は小首をかしげた。

 室内に侍女はおらず、病人に対して警備が2人と驚くほど少ない。それは一葉が人に世話をされ慣れていないという理由だけでなく、一葉だけに多く人を割けないという事情もあった。何より一葉自身が自衛以上の武力を持っていることも大きいだろう。



「アーレシア子爵って、聞いたことあるような……あ! レイラさんか!」



 レイラがアリエラを探して一葉と最初に会ったとき、彼女はしっかりと名乗っていた。“レイラ=ルーナ=アーレシア”と。

 納得したように瞬くと、一葉はドアへ向けて声を張った。



「わかりました、通してください」

「かしこまりました」



 本来、一葉のような客人待遇の者ならば了承の意を伝えるべきは侍女であって、部屋の主が直接返事をするものではない。ましてや外へつながる扉を開ければベッドが置いてある部屋など、使用人でもない限り言語道断である。

 しかしアーサー王はウィンを通じた一葉の相談へ理解を示し、何かあれば鳴らすようにと、魔力鈴という道具を支給してくれた。普段はこの部屋に侍女が詰めていることはないが、必要がある時に鳴らすことで近くにいる侍女へ連絡をすることができるという。少ない魔力を実に効率的に使って術を構成しており、解析した一葉は非常に驚いたものである。



「失礼します」



 大きな扉が開かれ、そこから入ってきたレイラは私服だった。腰に剣を下げてはいるもののいつもの白い甲冑が無いことから職務中ではないと分かる。その手には紅の布で飾られた花が抱えられていた。



(なにかあったかな?)



 レイラが自分を訪ねる理由に考えが及ばず、一葉は内心で首をひねる。表面上は普段と変わらないが、その雰囲気にはどこか違和感もある。しかしいきなり直球を投げるわけにもいかず一葉は当たり障りのない話を唇にのせた。



「えぇと、アリアならここ最近は来てませんけど……」

「いえ、アリエラ様のことではないのです。

 ……まずはこれを。寝ているばかりで娯楽が少ないと聞きました」



 普段はアリエラ個人に護衛としてついているレイラである。てっきり王女を探しがてらここに来たと思ったのだが、それは本人から否定された。

 手渡されたのは地球では見たことが無いほど鮮やかな橙の花びら。紅い布と紅いリボンで飾られた一輪の花はとても上品な見舞の品だった。ひとしきり目を細めながら眺めた一葉は、後ほど侍女に何とかしてもらおうとひとまずはベッド際の小机に置いておく。



「花があるとずいぶん部屋が明るくなりますね。綺麗なお見舞いありがとうございます。ずいぶん体も楽になったんですよ。体をひねらなければ内臓の気持ち悪さも忘れるくらいで。

 それにしても今日は私服なんですね。これから用事でも?」

「いえ、私は本日非番なのです」



 レイラが一言で会話を終わらせ、再び無言。

 一葉は内心で首を傾げた。



(ただのお見舞い……って雰囲気じゃないみたいだし。なんかピリピリしてるけど)



「それでどう」

「あの!!!」

「ぅわ!!!」



 自分から水を向けようとした一葉だったが、同時にレイラが大声を出す。驚いた拍子に読みかけの本を取り落してしまったことで一葉は余計に慌てた。この世界のベッドは床に立った一葉の腰より少し低いほどもの高さがあり、体を捻らずに本を取ることは難しそうである。ベッドからは下りられない。下りてはいけない。



(今立ち上がったらそのタイミングで先生が来そうな気がする)



 絶妙なタイミングで不運が重なる自分を一葉は軽視していない。



「……っと……大丈夫かな……」

「申し訳ありません、イチハ殿はそのままで。私が拾います」



 トレスのところへ寄ってから来たため、レイラは一葉の状態を知っている。慌てる一葉を制した彼女は本を拾って手渡した。

 この世界では量産ができないために本は非常に貴重品である。本の状態をざっと確認した一葉は、傷が無いことにホッと息をつく。枕の脇に本を置き、改めてレイラに視線を戻した。



「ありがとうございます。これ、借りた本で。……それで、ここに来たのは私への用事でしょうか?」

「はい」



 短い返答と意志の強い瞳。何から言葉にしようかと迷うような素振りは一瞬で、一葉が声をかける前にレイラは唇を開いた。



「ここに来る前に医務室へ寄りました。……勝手に現状を聞き出した無礼をお許しください。トレス殿によればイチハ殿はもうしばらく安静が必要だとか」

「確かに先生にはそう言われていますが……」

「イチハ殿に恥を忍んでお願いに参りました。トレス殿が外出を許可してからで構わないのです」



 一呼吸置くレイラ。痛みを堪えるような、自分を自嘲するようなこの表情は――



(あ、何か久々に嫌な予感が……)



 できれば聞きたくない。しかし、聞かなければならない。レイラが伊達や酔狂で動く人間でなさそうなことは短い付き合いながら分かっている。

 あとは一葉がどう絡むかが問題である。



「私と、手合わせをお願いしたい」

「……手合せ、ですか」



 一葉はレイラの言葉に眉を顰める。普段は生真面目な表情を崩さない彼女が、蒼白な顔をして今にも泣きそうに見えたのだ。

 判断には分析を。分析には情報を。冷静に、冷たくも取れる口調で一葉はレイラに質問をした。



「理由は?」

「……なぜ私に出来なかったことをイチハ殿が出来たのか、私とイチハ殿の間にどれ程の距離があるのかを納得したいのです」

「納得ですか……?」



 穏やかな表情とは裏腹に漆黒の瞳に宿るのは冷笑。

 レイラにもこれが幼児の駄々と変わらないことは分かっていた。自分への羞恥で体温が上がるが、それでもまた前を向くためには知るしかない。型や前例で固まり自分の為すべきことを実行できなかったレイラと、不利な状況をうまく利用できるほどの経験をしてきた一葉との差を。



 一葉は悩んでいた。わざと浮かべた冷笑にも特に怯む様子がない。これで引いてくれたら話は簡単に済んだのだが、現状でその展開は望めない。

 自分から剣を取ることは自分の立場にどう影響するのかが今はまだ分からない。戦うことへの拒否感はアイリアナのお蔭で和らいだ。しかしそれとこれとは話が違う。一葉がこの世界で生きていくのに不利ならば、無理してレイラの感傷に付き合う必要はない。



 目立たず、ひっそりと。



 仕事が手に入ればまた別であるが、やはり城で養われているうちは余計なことをしたくない。目立つ人間には色々なものが吸い寄せられる。一葉も自分の存在が異質で目を引くことを自覚している。ロットリア卿の事件は自業自得か事故か微妙な線ではあるが、どちらにしても今の自分には悪いものが寄ってくる確率の方が高いだろう。出来る限りの自衛をするに越したことはないのだ。



(はいはい自己中。でも場合によれば命が懸かるし簡単には返事できない。これは絶対。

 ……切り捨てる選択肢もあるけど……レイラさんの思い詰め方も気になるな)



 何かと危険な立場にあるアリエラ。天真爛漫なアリエラ。彼女は魔術を使えるがその腕前は生活に便利というレベルだろう。自衛出来ない以上どうしても護衛が必要であり、彼女を守るには今のレイラでは不安である。



「納得することに意味はありますか? アリアを守ることがレイラさんの仕事でそれを誇りに思うなら、納得しようとしまいと関係ないとは思いませんか?」



 自分がリスクを負う以上それなりの理由が無ければ許さない。リスクが何かも分からない状態でそれを押し付けるなど論外である。その気持ちを込めて一葉はレイラへ淡々と質問した。



(こっちだって甘い覚悟で剣を持ったわけじゃない。これでビビるくらいなら私が応える意味もない)



 出来ればリスクは負いたくない。しかしレイラは『レイラ』であってほしい。

 その間で揺れる一葉に、レイラは静かに答えを出した。



「今の私は心残りに囚われて、傍にいるには邪魔でしかありません。アリエラ様はとても聡い方。一介の騎士である私のことですら気にしてくださり、きっとご自分のせいだとさらに心を痛めてしまう。だからこそ私はイチハ殿との距離を知ることで次へと進まなくてはならないのです」



 自分のためだけではない。アリエラのためだけでもない。

 今度こそ守るべきものを守れるように、前を向くために。



 そう語るレイラに僅かばかり目を細めた一葉は決断を下した。



「私は騎士の戦い方を知りません。騎士であれば打たないだろう汚い手や反則的な一手も平気な顔をして打てる人間です。レイラさんに試合で負けた後、礼をして後ろを向いてから攻撃を仕掛けるくらいはするかもしれませんね。

 ……そんな私でも手合せの相手に望みますか?」

「――! では……」

「それでもいいと言うのなら」



 断られても頼むつもりだったが、簡単に承諾してくれるとも思っていなかった。戦い方にしても文句はない。むしろ自分と違うことを確認するために手合せを願ったのだから。



(騎士としてではなくイチハ殿がイチハ殿として、私と手合せを承諾してくれた。騎士でない相手に騎士の流儀を強いることこそ卑怯というものでしょう)



 一葉の言葉にレイラは頷き、彼女を見つめる。



「どのような戦い方でも文句は言いません。正々堂々を望むとも、申しません。自分の土俵で戦えなどと恥ずべきこと、私には言えません」

「……いいでしょう。……私が返事をしたところで、トレス先生とアーサー王の許可が下りなければ不可能ですけどね」

「それでも……ありがとうございます……!!」

「王女に仕える騎士が私のような小娘に、あまり頭を下げるべきではないとは思いますが」



 一葉の言葉にレイラは首を横に振る。



「騎士として主以外に頭を垂れることは許されていませんが、これはレイラ=ルーナ=アーレシア個人としてイチハ=キサラギ殿への礼です。私は騎士です。しかしその立場ゆえに礼を失するつもりはありません」



 そう言ったレイラはもう一度深く礼をしてから部屋を出て行った。部屋の前を護る衛士たちは訪れた時と真逆の嬉しそうな表情に驚いている。



 扉が閉まり再び1人になると同時に一葉はため息を吐き出した。アーサー王に関しては、ウィンに詳細を話せばおそらくは伝わるだろう。許可が下りるかどうかは定かではないが。どちらかと言えば許可が下りない方が一葉にとって都合が良いのだが。



(ウィン、なぁ……あれで話まで持っていけるかどうか)



 最近の彼の調子を思い出して苦い思いを抱く。まともに話もしない。目も合わせない。一度部屋や諸々の『お願い』をしている以上、再び『お願い』をするのはいかがなものかと思っている自分もいた。



(……って言うかそれよりまず、トレス先生のほうがな……)



 場合によれば日常生活の許可を出した途端に手合わせ、などと言うことにもなりかねない。レイラはそれくらい思いつめていたのだから。

 トレスの笑顔からにじみ出る威圧感を思い出して、何となく一葉は渋い顔をしたのだった。








「……トレス先生的には、レイラさんとの手合せは反対です?」



 いつも通り高い音の4刻を過ぎてから診療に来たトレスへ、一葉はレイラとの話を報告した後にできるだけ神妙な表情でお伺いを立てた。

 レイラからのお見舞いは侍女に頼んで壁際の文机の上に飾ってもらった。簡単な作りではあるが品の良い小机にその花束は良く似合っている。



 トレスに話した会話の内容は過程と結果のみ。なぜ手合わせするのか、なぜ承諾したのかという肝心の理由を彼女は語っていなかった。



「手合わせ、ですか」



 上目遣いでチラチラと表情を確認する一葉に苦笑しつつ、トレスは診療を続ける。



 この世界において生物の身体は魔力の影響を色濃く受けている。黒い瞳をもつ者たちでさえ例外は無く、体の異常が魔力の流れにも影響するのだ。黒の瞳が魔力を持たないというのは、術を具現化するための魔力がないという意味である。体を動かすための魔力が無ければどのような生物であっても死んでしまうため、黒の瞳と言っても魔力を全く持っていないという訳ではないのだ。

 それは地球で言う『氣』のようなものだと一葉は捉えている。



 トレスのような医療系魔術士は、そのような体を流れる魔力を読み取ることで体の不調を確認し治療に当たる。今も一葉の額に触れた掌から自らの魔力を流し込み、体内の反応を確認しているところだった。

 現代の地球におけるエコーと同じだが高価な機械が必要無いだけあり非常に便利そうである。



「それでレイラさんが僕を訪ねて来たんですね。全く知らない間ではないということで簡単に答えておきましたが。

 そうですね……ダメということはありませんが、どちらにしても既に承諾したようですね」

「ぅ……はい」



 ニコニコとしたトレスに一葉は頭が上がらない。



 確かに勝手なことをしたとは思っている。

 しかし。



「イチハさんは必要だと判断したのでしょう?」



 考えていることが分かったのかと一葉は慌てた。

 彼女を見てトレスは診療の手を止め、穏やかに微笑む。



「理由は聞きません。口に出すことがすべて正しいとも思いません。僕は手当の準備をするだけです」

「……怒らないんです?」

「怒りはしませんが、少し前なら叱ったと思います。でも今のイチハさんにその必要がありますか?」



 一葉には一葉の理由があり、自分は自分のできる範囲で手伝いをしよう。



 トレスが伝えたことを違わず受け取った一葉は驚いて俯く。迷惑しかかけていない筈のトレス。彼もまた一葉のことを見守ってくれていたのだと、彼女はたった今知ったのだ。

 額を覆った柔らかな焦げ茶の髪を避け、トレスは微笑みながら一葉の診療を再開する。



「さて、相変わらず内臓の反応が悪いですね。いつも通り体力回復の術をかけておきましょう。これは体が少々無理しすぎて疲れているだけなので、毎回言っていますがもうしばらく体を捻らないように安静にしてくださいね。恐らくあと……そうですね、4日もすれば治まるはずですから」

「はい……ありがとう、ございます」



 気恥かしくて治療のお礼に紛れさせたもう一つの意味は、しかしトレスには恐らく伝わってしまっているだろう。ニコリと微笑んだ彼は手早く診療を終え、部屋を出て行った。



「……かなわないな」



 ぽつりとつぶやくと、胸の奥で気遣わしそうに何かが瞬く。



「大丈夫だよ。もう、大丈夫」



 まるで自分へ言い聞かせるように、しかし柔らかく笑いながら一葉は自分の中にいる“友人”の影へと語りかけるのだった。








 トレスの診察が終わってからはしばらく読書。

 そろそろ夕方に差し掛かろうという時間帯に今度はウィンが本を数冊抱えてきた。 ベッドに寝たまま右手を上げて一葉はウィンへと挨拶する。



「ありがと」

「お加減はどうですか?」

「うん、いつも通り。まだ当分気持ち悪さが残るだろうから安静にするようにって。あ、これ読んだから返す。面白かった」

「そうですか。それでは書庫で続きを探しておきましょう」



 一葉から本を受け取り、持ってきた本を小机に置いて立ち去ろうとするウィン。様子が確認できればいいらしく、彼はいつも一言二言だけ会話して帰ってしまうのだ。



――しかし今日は用事がある。早々に帰ってもらっては困るのだ。主にレイラが。

 約束してしまった以上自分さえよければいいと言う訳にもいかない。扉に手を当てたウィンへ、一葉は待ったをかけた。



(機会とかタイミングとかもうメンドくさい)



「あぁ、ちょっと待ってウィン。トレス先生から外出許可が出てからだけど、レイラさんと手合わせをすることになったから」

「……は?」



 さすがにウィンにとっては寝耳に水。事情を呑み込めない彼は珍しく戸惑った様子を見せた。トレスに対しては申し訳ない気持ちから非常に神妙な態度だった一葉。しかしウィンに対しては気兼ねをする気が全く無いため、一葉は1ミリたりとも彼の苦悩を気にせず話を続けた。



「とりあえず先に言っておこうと思って」

「……まず聞きたいのですが。それは一体、いつ決まったことですか?」

「今日。大体高い音の2刻を過ぎたあたりだったかな?」

「ちなみにトレス医師は何と?」

「手当の準備をしておきますねって」



 掌で額を覆い、ウィンは重くため息を吐き出した。



「トレス医師の反対は無かったのですか……。理由を聞いても?」

「んー……レイラさんにお願いされたから?」



 無理に言葉にすれば嘘くさくなる。それならば言わずにいたほうがマシだと一葉は判断した。ウィンに通じたかどうかは一葉の知るところではない。



「アーサー王に外出許可もらってほしいんだよね。どうせ何しても報告が行くなら前もってウィンから伝えてもらった方がいいかと思って」

「……色々と足元を見られていますねぇ……」



 さらには手続きや報告など諸々の細事までウィンに依頼する始末。お願いする以上一葉の方が弱い立場のはずだが、それを匂わせずにあくまでもウィンの事情を酌むような物言いをする。そんな彼女についにウィンも苦笑いを浮かべた。



「今現在ベッドから出られない人間の言葉とは思えませんね。それだけ元気なら自分で報告も出来るのではないですか?」

「いやぁ、折角カッコよく決めたのにつまみ出されるとか無いし? 超ダサくない? つーかまずトレス先生の雷が落ちるから。ウィンはアレをまともに受けてないから、どれだけ怖いかわからないんだよ」

「ダサ……? ……貴女、私が何年王都にいると思っているのですか」



 一葉にとっては残念なことに、無茶をする患者に対して怖い医師はトレスだけではない。トレスの実家であるディチ子爵家は本家・分家の区別なく、その豊富な知識を以て医療に従事している。彼らにとって魔術などただの技術でしかない。術を使えずとも最終的に患者を治療できればそれで良い。その特殊性から弟子入り志願者が後を絶たず、何かと危険の多いこの世界では人手不足の医師たちに重宝されているという逸話もある。



 本来ならば伯爵になっても問題ないほどの功績を上げてはいるのだが、爵位が上がって余計な仕事を増やすよりは、と子爵のまま多くのひとに医療を与えることを選んだ代々の当主たち。領地こそ持っていないものの、ディチの名をもつ医師たちはミュゼル王国においてその気性とともに有名であった。



 ディチ家は王都に本家を構えているため、大抵の貴族が1度は世話になる。そしてその恐怖を植えつけられる。ウィンも幼い頃にディチ家の医師からさんざん叱られた記憶があり、彼ら特有の威圧感を思い出せば未だに体調不良時は無茶が出来ないのだ。



「まぁ……とにかくそう言うことでしたら一応アーサー王には伝えておきますが、あまり期待はしないでください。ロットリア卿のことがあったので少々城内が敏感になっているのです」

「その辺はレイラさんにも納得してもらった。それに私もレイラさんに無理やり付き合って自分の立場を悪くするつもりなんか無いしね」

「それを私に言ってもいいのですか?」

「うん。それも含めて報告してくれたらいいよ」



 ある程度レイラに絆されたところは否めないだろう。しかしその黒瞳の奥にある鉄壁の意志に妥協はない。



「……レイラさんよりむしろウィンの方が私にイチャモンつけてくると思ってたけどな」



 一葉は確かに変わった。ほんの少しだけ壁が薄く低くなったような気がする。完全に味方とは言えない相手に、一部とはいえ本音を語ることなど以前の彼女はしなかっただろうから。



「少々、貴女の中での私の評価が大変に気になるところではありますが」



 フッとウィンが微笑む。

 一瞬後には紫電の矢が幾筋も絡み合い、一葉へと襲いかかった。



 しかし。



「甘いよ」



 一葉が横たわったままで軽く左手をかざすとベッドを守るようにドーム状の透明なシールドが展開され、紫電の矢は壁にぶつかり霧散する。

 彼女がそのまま左手をひと振りするとシールドは消失し、それを確認したウィンは肩をすくめる。



「今のも割と本気だったんですけどね。詠唱すらしませんか」

「あぁ、『コトダマ』の原理を知ってるんだ?」

「アリエラ様への説明の場には父もいたでしょう」



 危機管理的な情報は筒抜けということを、なんの悪気もなく言い放つ。



「……とにかく今の私では勝てる相手ではないですから」



 そして幾分スッキリとした表情で、今度こそ部屋を出て行くのだった。



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