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流界の魔女  作者: blazeblue
蠢く闇の色
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第10話 紅と黒の奏鳴曲 - truculento agitato -




 先ほど高い鐘の音が6回鳴った。

 子供たちは家へ帰り、労働者は仕事から解放され、ひと時の休息を得るための時間。窓のある場所はいくらか夕焼けの明りが入ってくるが、窓のない場所はさすがに暗くなってきた。そろそろ侍女たちが明りを点け始めることだろう。



 そのとき一葉は部屋で寛いでいた。午後早くにアリエラの嵐のような訪問を受けた後、1日1回必ずとトレスから念を押されていたために散歩がてら診療を受けてきたのだ。衛士たちを引き連れての行軍では当然のように目立ち、彼女たちが通り過ぎた後に囁かれる噂話で気疲れしたものだった。



(あれ……何か空気がザワザワしてる、ような……)



 彼女は首を傾げつつ空気を探るが、一瞬かと思われたそれが落ち着く様子はない。扉を開け不思議そうな衛士たちと顔を合わせたその時、どこからか大勢が集まったような声が聞こえた。



 ――……ま………れ……

 ――そ………い……ない…

 ――王……を…すけ……



(なーんか、嫌な予感がする)



 一葉は顔をしかめながら衛士たちを振り向く。彼らもまた、そわそわと落ち着かない様子であった。



「空気が落ち着きませんよね? 何かあったのでしょうか。王……とか、聴こえたような気がしますが」

「……そうですね、何かあったのかもしれませんが……」

「これは吹き抜けの方からです? 逆側には声が響くような広い場所はありませんし」



 護衛として扉を護っている2人の衛士たちに確認すると、彼らもよく聴こえなかったのか首を傾げている。騒ぎのもとを探れば階段のある広い吹き抜けからのようだった。



「一応、確認に行ってきます?」

「しかしそれは……」

「お2人とも気になって仕方なさそうですよ。こっちは特に貴重品を持っているわけでもありませんし、少しくらい護衛を外してもいいのではないかと思いますが……」

「………」



 顔を見合わせる衛士たち。騒ぎが気になるからといって仕事を放り出すわけにもいかない。彼らは不審者の監視役としてではなく、純粋に護衛として一葉の傍にいるのだ。

 それを理解している一葉はさらに一押しを加えた。



「なら私も一緒に行きます。確認して何でも無かったらすぐに帰ってくれば、特に問題は無いんじゃないでしょうか? 何かあってもこの階ではなさそうですし、一応外出禁止令は出てませんし」

「……そう、ですね。それではお言葉に甘えます」



 普段であれば、客人でもある一葉を連れていく提案など却下されるだろう。しかし一葉を含めた全員が何やら嫌な予感を覚えたのも確かである。だからこそ一葉も強く同行を勧めたのだ。

 そして逸る気持ちを抑え階段のある巨大な吹き抜けに到着した3人は、その状況に悪い予感が当たっていたことを確認した。一葉は無意識に歯を食いしばる。



 見下ろせば1階の状況がよく見える。

 そこにいたのは、手足を縛られてぐったりしているようなアリエラ。その周りには呼吸とともに紅い火の粉をまき散らす炎の獅子が2体、ぐるりと辺りを睥睨しており、さらにその側には騎士や衛士たちが手を出せないことを逆手にとり堂々と立つ人物が1人。



「アリア」

「ロットリア、卿――」



 一葉と片方の衛士が呟く。

 白い甲冑を纏う騎士や警備の衛士たちが100名程か、ぐるりと囲む直径20メートルばかりの円。その中心には先日拘束されたはずのロットリア伯爵その人が立っており、アリエラを人質にして何かを要求しているようだった。

 100人と言っても周りをぐるりと囲んでしまえば3、4重程度の輪にしかならない。王女が人質になっている割には集まった人数が少ないのは、もしもこの他に不審者がいた場合に備えたためであろう。



(見たことある人が、何人か。囲む人員は量より質か?)



 一葉が眉を顰めながら分析している間にも、ロットリア卿は主張を続けている。



「もう一度言う。アリエラ姫をこの召喚獣どもに喰われたくなかったら、今すぐ王と王妃を呼んで来い。いいか、今すぐだ!」

「それはできない!」



 一葉たちは何となく状況を把握した。

 騎士らしき男性が要求を突っぱねると、さも可笑しそうにロットリア卿は哂う。



「くっ……ふ……ふははっ、はははははははっ!

 今のこの状況で選択肢があるとでも思っているのか!? 早くしないと魔獣どもが姫を食いちぎるかもしれん。それもそれでいいかもしれないなぁ……王族の首と引き換えにすれば、私を手放しで受け入れるに違いない!」

「くっ……やむを得ん、今すぐアーサー王たちに知らせるのだ……!」



 王女の命が係わる取引では安易な判断は下せない。そう判断したらしい騎士は指令を出し、指令を受けた衛士は伝令を受け持つ。元々伝令の役割でも担っているのか、衛士は驚くほどの速度で階段を駆け上がっていった。



(受け入れる? 内通の容疑があったみたいだし、敵か。正直アーサー王を殺したとしても微妙だと思うよね……裏切りの現行犯だし。証拠隠滅で逆に狙われそうだけど。でもこっちの世界ではそう思われないのかな。だとしたら地球ってものすごく黒い世界だよなぁ)



 そんな一葉の疑問をよそに、吹き抜けに沿う階段で駆け上がっていく衛士をロットリア卿は目で追っていた。



そして。



「ふ……ふふふ……見つけたぞ……見つけたぞ、黒瞳の魔女!」

「っ!」



 一葉を、見つけた。



 その虚ろな紅い瞳は血のように濁り、その腕は愛する相手を見つけたかのように一葉へと伸ばされた。

 愛と憎しみが表裏一体とは良く言ったものだ。憎しみが増幅されすぎて彼はもはや一葉に対して愛しさすら感じていたのかもしれない。



「魔女……そうだな、魔女でもいい……この私が、あのような目に遭ったのはすべて……すべて、貴様のせいだからなぁ、魔女!」



(う……っ、ちょっと……これは……)



 息をのむ。八つ当たりなどと言う言葉はすでに彼には通じないだろう。一葉の隣にいた2人も自分に宛てたものではないとはいえ、濃厚な憎悪の念を受けて後ずさりした。

 自分も身を退きそうになった一葉は寸でのところで堪えた。



(我慢しろ私。怯えるな。周りを見ろ。とにかく情報だ!)



 目を細めて悪意による吐き気をこらえ一葉は無意識に腰を探る。しかし当然そこには何もなく、何が起こっても『コトダマ』で対応するしかなかった。感情とともに『コトダマ』が暴走しないように注意を払う手間が増えそうである。



 内心で舌打ちをした一葉は顎を心持ち反らしてロットリア卿を『見下し』た。彼女がいつもより張った声は静まり返るホールに響き渡る。



「で、ロットリアのオジサマは私に何を望む? 国と私じゃ全然釣り合わないと思うけどね」

「そんなことどうでもいい! ……その目だ。貴様のその目が気に食わん。すぐにでも殺してやりたい……と、言いたいところではあるが」



 ニィッ、と歪んだ笑みを彼は浮かべた。いつの間にかアリエラの視線も一葉へ向けられていたが、今は気にしない。敵から目をそらせばその瞬間に負けだから。



 その凍りついた空間に突如声が響く。




『アリア!!』




 アリエラ王女の愛称。王女をアリアと呼ぶことを許されている人物は決して多くない。一葉が見上げた先で吹き抜けに駆け下りてきた国王夫妻だったが、追い付いた騎士に4階から下りることを止められていた。王妃は双子の騎士が両側から抑え、アーサー王もいつも共にいる大柄な騎士が手すりに抑えつけているのだ。その前には小柄な女性騎士の他に8名が道をふさぎ、ゼストが傍でアーサー王を止めているようだった。

 他にもいるのかもしれないが、そこまでは一葉の位置から確認することができなかった。アリエラが何事か呟いたが続くロットリア卿の声にかき消されてしまう。



「やっと来られましたかアーサー王にアイリアナ王妃! どうです、自分の娘が……大事なものが、地に転がっている姿は!? 本来であればあなたがたの両方が身代わりになれば、と言いたいところですが、気が変わりました。選択肢を差し上げましょう」

「何だ、何をすればいい!?」

「私で良いなら今すぐにでも代わりますから! アリアは!」

「さすがに人の親ですな。それならばお2人でなくともよい。片方でも良い。何ならそうですな……あの魔女1人を差し出せば、3人を見逃すことも考えましょうかな」

「なっ!」



 ニヤニヤと昏い笑みを浮かべているロットリア卿に一葉は違和感を覚えた。



(……おかしい。あの時はこんなに歪んでなかったはず。元々こうだったら私が殴りつけた時にあんな怯えたりしなかっただろうし……。何かあった? だとしたらタイミング的に牢屋に入ってから? でもここは王宮だから、そうそう簡単に入り込めるとは思えないけど……)



 しかしそれは今考えても仕方のないことだろう。情報が少なすぎる上に解ったところで事件の解決は出来ないのだから。



「さぁどうしますか? 別にお2人でなければならないとは言っておりませんぞ。あの魔女でも構わないと。早くしなければ短気を起こした魔獣どもが姫に齧りつくかもしれませんな。私は別に構いませんが」

「私が行こう」

「いけませんアーサー! 貴方はこの国の王。万が一にも失うわけにはいきません。わたくしが参ります!」

「ダメだイリア! それは認めん!」

「……………」



 一葉はどこか冷めた感情でやり取りを見つめている。



(こんなことになってるけどアリアが羨ましいなんてね。本人には言えないけどさ)



 両親揃って、自分が身代わりになって死んでもいいと言い放つほど愛されていることが一葉にとっては妬ましい。

 彼女に対して送られるのは騎士や衛士たちからの痛いほどの視線と沈黙なのだから。その中には僅かなりとも触れ合ったはずのウィンとレイラも入っていたが特に気にしなかった。ただ変わらず、冷めた感情があるだけだった。



(アリアが嫌いなわけじゃない。ただ、アリアだけが大事なのが羨ましいだけ。私は子供か。

 ……アリアに、救ってもらったくせに)



 一葉が行けば丸く収まるのだと、程度の差はあれそれがこの場の総意なのだろう。その選択肢を選ぶであろうアーサー王もまた、一葉を見ている。アーサー王の落ち着いた様子に彼を抑えつけていた騎士たちは手を放し、背筋を伸ばして立ったアーサー王はそのまま一葉を見下ろしていた。

 黒の瞳を持つ魔術士はかるく息を吐き出す。



(まぁ、そうだよね。王も王妃も差し出せない以上はねぇ……。知り合ってすぐに私を優先してくれる人がいる訳ないじゃんね)



 次の瞬間、彼女の目は見開かれることになる。



「まさか、アーサー……それは許しません! イチハは、イチハはもう既に一度わたくしたちを助けてくれました! それに娘の安全を人任せになど出来るはずが……!」

「私もそう思っている。だが、他に方法が無い……」

「しかし!」



 アーサー王の考えに気付いたアイリアナ王妃は、今にも倒れそうな程に蒼褪めた顔で反論した。そして驚くべきことに、目の端にちらりと映った衛士たちも一葉を案じた表情を浮かべて見つめていた。



「大変……失礼をいたします」



 アーサー王は周囲を固める騎士に目で合図をし、アイリアナ王妃の口を布で塞がせる。もちろん未だ余計に動けないよう騎士たちが押さえつけているため、アイリアナ王妃はもう何もできない。ロットリア卿の手前、王妃を安全圏へ下がらせることもできない以上こうするしかない。

 これで一葉を擁護する声は消え去った。アイリアナ王妃が何も言えなくなった以上、身分の高くない衛士には出来ることなどない。



 異世界に来た場合、自分を無条件で守ってくれる親や家族はいない。日本と違う法律や秩序のため今まで保証されていた命の安全もない。そしてそこで培った人間関係も所詮は短い期間の付き合いだという事。勇者でも乱入者でもそのことだけは同じようだった。



 もちろんそれが全てというわけではない。アイリアナだけは今の状況で一葉を守ろうとした。そして一葉と一緒にいる衛士たちも一葉を気にしていた。



(ほんの少しの優しさが嬉しかったなんて言ったら困るかな。だから降りて行こうと思ったなんて言ったら、呆れられるかな)



 しかしそれほどまでに一葉は本当に嬉しかったのだ。



 一葉はアーサー王を感情の見えない瞳で見つめる。

 アーサー王も感情をそぎ落とした視線で命令する。



 それは無言の意思疎通。

 一葉は、ロットリア卿が望んでいるとおりに彼の手で殺されるつもりはない。

 アーサー王も、一葉がただ無駄に死ぬことを望んでいる訳ではない。



 2人は知っている。一葉には多かれ少なかれ力があることを。

 そしてその一葉だけが転がされているアリエラに近づけるのだ。



(舐めんなよオッサン。今のうちに優越感に浸ってればいい。やり方はいくらでも、ある)



 ちらりとロットリア卿とアリエラを確認してから一葉は覚悟を決めた。術を使いひらりと手すりに跳ね上がる。



「さて、私は先に行きます。あなた方もお仕事でしょう。すぐに追いかけて、皆さんと合流してくださいね。……ありがとう、心配してくれて」

「まさか」

「お待ちください、危険です!」



 一葉は優しい衛士たちに声をかける。衛士たちの戸惑う声にも振り返らない。最後の言葉が届いたかなど知らない。

 そして一葉は彼らの手が触れる前に、躊躇せず立っていた手すりを蹴った。



 衛士たちは呆然とした。数日間だったが護衛をした少女。色々と噂を聞いてはいたが、とても穏やかな態度の少女。上流階級かとも思える所作や容姿を持つ彼女が、平民出身の自分たちに対しても態度を変えずに接していたことを彼らは覚えている。

 黒の瞳を持つ彼女が魔術を使えるらしいことには、心の底から驚いた。黒の色を持つ者が魔術を使えるなど聞いたこともなく、平時であれば恐ろしさすら感じたことだろう。しかしそれとこれとは話が別である。



 彼女は王の客人にも拘らず、自分たち兵士がどうにかするべき問題に引きずり込まれた。仲間たちの視線によって危険に飛び込んだ。あのロットリア卿の様子では命の安全など保障されないだろう。何より『ありがとう』など。

 悔しい思いを抱きながら2人の衛士は1階へと急ぐのだった。








 手すりより飛び降りた一葉は3階より落下しながら『コトダマ』を発動する。



『緩衝・ゼロ!!』



 一葉が魔術を使ったことで混乱する現場。衛士たちは黒瞳の魔女という呼び名をロットリア卿の比喩だと思っていたのだ。静まる彼らの開けた場所へ、ふわりと『コトダマ』で体勢を整え無事に着地。



 進み出れば人は割れ、足を止めれば背後に道はない。もはや前にいるのはロットリア卿と魔獣、アリエラのみ。それも目の前、もう3、4歩も歩けばロットリア卿の手が届くだろう。

 前回のことで警戒しているのか、目につく限りで召喚術の触媒は見当たらなかった。その上触媒を探そうにもロットリア卿の全身を取り巻く気持ちの悪い何かが邪魔をして、一体どこが魔力の発生源かすらわからない。



「嬉しいぞ……アーサー王よりも、むしろ貴様こそを望んでいた」

「そう。私は全く嬉しくないけどね」



 片眉を上げた表情で答える。ロットリア卿は濁った目でこちらを見ており、黙っている彼からは内心を探ることは難しかった。



「まぁそう言うな。積もる話はたくさんあるのだからな」



 ロットリア卿、騎士、衛士、国王や王妃から圧力を感じつつ、一葉は素早く作戦を練る。おそらくこのままアリエラが解放されるということはあり得ないだろう。何事も考えておいて損は無い。



 1つ目は、いきなり魔獣もしくはロットリア卿に攻撃をすること。しかしあちらも警戒しているはずだし、何より今のところ魔獣がアリエラの側を離れる気配が無い。

 そもそも一葉が見つかってしまった時点で不可能になった。



 2つ目は触媒を破壊すること。しかしこれは無駄である。触媒を壊して命令を遮断した場合、真っ先にアリエラが傷つけられる可能性が非常に高い。完全に召喚された後では触媒を壊す意味もないのだから、召喚獣を倒してから触媒を壊した方がいいだろう。



 3つ目はとりあえず今だけでもロットリア卿に合わせて、段々と彼の注意を引くこと。おそらく一葉は無傷ではなく下手をすると命に係わるが、騎士たちが魔獣からアリエラ王女を救出できれば万々歳。後で治療くらいはしてもらえるだろう。



 4つ目はロットリア卿の注意をひきつけた状態で、一葉自身がいきなり魔獣を殺すこと。魔獣にしてみればこちらはノーマークであるため、恐らく攻撃も成功しやすい。

 魔獣が少しでも動揺すれば2体とも一葉が殺す必要はなく、魔獣がいなくなればロットリア卿を拘束することなど造作もないだろう。



 さらに5つ目、ロットリア卿や炎の獅子の身体をコントロールすること。これは賭けだ。普段の一葉なら影や体そのもので無理矢理コントロールを奪うこともできるだろうが、今は何がどうなるか分からない。不安要素のある状態で勝負などできない。拘束も同じ理由で却下。



 恐らくやろうと思えばどのようなこともできるが、今の一葉が考え付けないのだから仕方がない。今までは周りの人間を何とも思っていなかったために力ずくでどうとでもできたが、今はそういうわけにもいかない。



(あとは私の気持ち次第か。せめて『狛犬』があれば暴走しにくいんだけど)



 一葉の『コトダマ』は一葉の意志により行使される。そしてその魔力は破壊に使うには大きすぎるのだ。今から起こるであろう恐怖と苦痛を考えれば『狛犬』が無いことが悔やまれた。

 どれにしても早々に決着をつけねばそれだけアリエラの身が危険にさらされるため、取るべき行動の選択肢を3番目と4番目に絞るしかないだろう。



 一葉は、人と魔獣を比べて人を選んだ自分はエゴの塊だと思っている。

 躊躇いなく命を奪えるのに、今更奪う命の種類を問う偽善が自覚できるだけに辛い。世界が変わった程度ではこの手の汚れが落ちないことは分かっているのに、それでも『人間を殺さない』という線を引く自分がこの上なく遣る瀬無い。



 ――それでも、出来る限り人間だけは傷つけたくないと思うのは我儘ですか。



 感傷を頭の振りひとつで払い一葉は道を決めた。

 まずは辺りを確認してからさらに1歩を踏み出す。アリエラを挟んで向こうにいたウィンとレイラを確認、彼らとも目が合うがすぐに逸らす。ウィンの方はいつでも攻撃できるよう準備をしているらしいが、恐らくアリエラと炎の獅子たちが近すぎて攻撃できなかったのだろう。騎士であるレイラなど近距離専門である以上はどんな手も出せない。中途半端な魔術は状況を余計に悪化させる。

 もしもアリエラが本当に傷つけられそうになれば話は別だが、今の状況では彼らは動くことができない。



 望んだものがようやく手に入ったことにより、ロットリア卿は邪悪な目を細めて一葉を見ている。

 さすがに少々震える手をぎゅっと一度だけ握る。一葉は唇の端で笑った。



「さて……私をどうするって?」

「こうするのだ」



 視界の端に映るロットリア卿の右腕。一葉のスペックならば避けられ、または反撃もできる。しかし彼女は敢えて受け入れた。

 こめかみを殴りつけられた焦げ茶の髪の小柄な少女は、そのまま地面へと叩き付けられたのだった。



「ぅ……」



(っつー……こりゃ、痛いわ)



 覚悟していても痛いものは痛い。左側の視界が些か悪いのは殴られた衝撃によるものだろう。これは腫れそうだと、衝撃と痛みと熱が訴えかけている。頭を殴られ地面に倒れたことですぐには起き上がれない。

 避けようと思えば避けられた攻撃。しかし今の状況では一択で殴られるしかなかった。今この時に魔獣を倒すことも微かに過った。だが。



「魔術は使うなよ、魔女」



 その言葉と共に炎を吐き牙を見せつける魔獣たち。ロットリア卿はまだ一葉以外のものが目に入らない状態ではなく、下手に刺激すると危険な様子が感じられる。

 そして自分の身を守るために『コトダマ』を使うこともまた出来ない。彼もまた魔力の流れを感知できることは分かっているのだ。



(下手なことをするとアリアが殺される――)



 それを考えると今すぐにどうにかするという選択肢も捨てざるを得ない。あの皆に愛された、武力を持たない少女は何としても助けねばならない。



「約束通りアリアを解放しろ!」

「うるさい! 邪魔をするな!」



 王の呼びかけに振り向きもせずに一葉を蹴った。ほぼ一葉の予想通りの結果。



(うわぁ、退くわー)



 『楽しみ』の邪魔をしたアーサー王や人質であるアリエラ王女をどうにかする暇すらも惜しいくらいに、太り気味の中年男性から執着されていると思うとゾッとする。

 アーサー王や騎士たちも今はもう口を挟めない。下手に声をかけると、逆上したロットリア卿にアリエラが傷つけられる可能性もあるだろう。



 そう、可能性。

 しかし、たかが可能性ではあるがゼロではない限り動けない。それゆえに一葉が現在無抵抗で蹴られ続けているのだから。



 一方のロットリア卿の心は歪んだ喜びで一杯である。自分を転がした魔女を今は自分が殴り、蹴り、無様に這いつくばらせているのだ。

 彼の中にはいかにして黒瞳の魔女に自分の屈辱を思い知らせることができるのか、手に入った一葉を痛めつけることしか考えはない。



 もはや彼にとって王家の人間の価値など無いも同然であった。




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