第1話 Kyrie Eleison
「よく聞こえなかったから、もう1回言って?」
無邪気な表情を装った悪魔の『お願い』。
彼の首に双振りの剣が突きつけられていなければ、叶えることができたかもしれない。
見上げている相手が混乱し、取り乱し、泣き叫んでいたとしても、また可能だったかもしれない。
「もしかして言葉が通じないのかな。んー、そんなことは無いはずだけど」
どちらにせよ『たられば』の話。
あり得ない過程など意味がないことは、本人である『彼』だけでなく全員がわかっていた。
緊張で全身が硬直している彼に向け、通じてるよねぇ? と可愛らしく問いかける彼女。それは今の状況でなければ外見と相まって、親に何かをねだる無邪気な少女のようにも見えた。
しかしその瞳の奥に宿るものは、そのような害のないものではない。外見こそ可愛らしくともその瞳は凍てついたもの。
室内にちらちら舞う雪や芯から冷える冷気から、彼女の心情は嫌というほどに推し量れた。
「もしかして息が上手く吸えてないとか? やぁだ、それなら大変。息を送ってあげるよ」
緊張で最早過呼吸に陥っている相手に、彼女は子供が虫の翅を弄ぶかのような、無邪気さに裏打ちされた残酷な笑顔を浮かべ――
『叩き付けろ』
紡いだのは、この場にいる彼女以外の人間には理解することができない言の葉。
彼女がそれを呟いた瞬間、彼の顔に風の塊が叩き付けられた。
「がっ――!!」
風と聞けば大抵の人間がそよ風を思い浮かべるが、まとまった空気はその限りではない。高い圧力をかけられた空気は、時として凶器にもなり得るのだ。打撲により流れ出る鼻血を気にする余裕もなく、彼は強制的に肺を侵す空気に悶絶した。
痛みに耐えられずのた打ち回ろうとしたが、しかしその自由すら彼には許されていなかった。
彼の首へと再び鋏のように双剣を突きつけ、焦げ茶の髪の悪魔は囁く。
「で、もう1回。ごめんなさいね、よく聞こえなかったんで。さっきの言葉を繰り返してもらえます?」
冷たき憎悪に燃える黒い瞳の魔女。
その場に居合わせた人間たちは、彼女の放つ絶対零度の怒りが時間すらも止めたような錯覚に陥るのだった。
一葉は激怒していた。
事の始まりは2年前、大学からの帰り道のこと。
その日の一葉は昼過ぎから大学に行き、いつものように仲間たちと夕食を取り、いつものように……いや、いつもより少しだけ多く酒を呑んでから自宅最寄り駅の改札を出た。
とてもいい夜だった。
見上げれば稀にみるほどに澄んだ空気と、圧倒されるほどの星空。
大都市では見える星などたかが知れているが、一葉の住む郊外でも珍しいほど綺麗な星空だった。
時刻は既に深夜1時を過ぎている。
終電で帰ってきたのは大学から家までが遠いためで、決して呑みすぎて時間を忘れていたわけではない。一葉は誰にともなく言い訳している自分に、小さく笑った。
微かにでも笑える自分に対して、ふんわりとした嬉しさを感じながら。
酔っている頬には夜の冷えた空気が心地よかったが、少々呑みすぎたようだ。気分が悪くなった一葉は道端の電柱に手をかけて目を閉じ、酔いの波をやり過ごす。
静かな夜。ほとんど音のしないこの空間が何故か無性に気に入った。電柱から手を放し再び星空を見上げようと瞼を押し上げた、その先には。
そこにあるはずのない、石造りの高い天井が飛び込んできたのだった。
彼女は混乱した。
そしてすぐに、嫌な予感が襲い掛かってきた。
そっと周囲を見回せば、そこにいたのは明らかに日本人ではない人々。彼らは一様に一葉へ頭を下げ、礼を取っていた。
子供のころに夢見た勇者の物語。
誰しもが憧れた無敵の英雄。
まさか自分にそのようなことが起こり得るとは思ってもみなかったが、現実は巫女と名乗る美女に畏まれている現状。
一葉は魔王を倒す勇者だと崇められているのだ。
何がどう作用しているのか、不思議なことに言語の不自由は感じなかった。
彼らの丁寧な扱いに悪い気はしなかった。
むしろ夢に見続けた特殊な体験ができるなどと、かなり酔いのまわった頭で考えていたほどだった。
しかし彼女がその考えを一新するのにそう時間はかからなかった。
血と怨嗟に満ちた戦場で、何度も泣いた。
灼いた相手がこちらを見る。
切り裂いた相手が、大量の血に拘らずこちらへ向かってくる。
魔術だけではない。
自分の手で直接命を奪ったことも、1度や2度では済まないだろう。
今でもわからない。
なぜ自分だったのか。
なぜ自分でなければならなかったのか。
それとも、誰でも良かったのだろうか。
彼女は日本にいて、命のやり取りとは一生無縁の筈だったのに。
一葉を召喚した巫女を恨んだ。
一葉を召喚するよう指示を出した王を恨んだ。
一葉に戦いを望んだ民たちを恨んだ。
しかし、一葉は戦いをやめる訳にはいかなかった。
巫女の信頼が重かった。
王にはその頷きひとつで一葉を殺せる『ちから』があった。
民の笑顔は、その裏面を想像しただけで怖かった。
必死で強くなろうとした。
必死で魔力をコントロールした。
『望み』を読み取り、ひたすらに叶え続けた。
知っていたから。
周囲が一葉に向けて何を思っているのか、知っていたから。
感情のままに暴走する魔力が、影で交わされるほんの小さな噂までを伝えてきたから。
『バケモノ』と、一葉の持つ人には過ぎたる魔力を見た人々は囁いた。
一葉が目的を達成することで、今度は彼女自身が最大の脅威になるだろうと王は呟いた。
巫女の純粋な信頼は、周囲を見ていない不安定な足場からだと気づいてしまった。
なぜ
なぜ
なぜ……?
その疑問が解消されることはなかった。
そして彼女がこの悪夢から目覚めることもまた、無かった。
気付けば2年もの年月をこの世界で過ごしていたが、一葉の声なき悲鳴が止むことはなかった。止みはしないが、彼女の世界は次第に色あせていった。
心を折るほどには弱くなく。
すべてを受け入れるほどには強くない。
だからこそ操り人形のように、悲鳴を押し殺しながら望まれている『勇者』を演じ続けたのだ。
生き延びるために戦った魔王。
生き延びるために戦った一葉。
魔力が吹き荒れる戦場で、皮肉なことに2人は深く心を交わした。
巫女より、王より、『仲間』という名の周囲より。
一葉は、自分の目的にとって障害になるはずの魔王にこそ深い情を感じたのだった。
しかしそれは戦場でのこと。
やがて一葉の命を懸けた魔力が魔王を切り裂き、長い戦いは幕を閉じた。
そうして『魔王を倒す』という契約は為された。
敵を滅したはずなのに、『何故か』自分の方へと武器を構えて寄ってくる兵たちが見えたのも一瞬。一葉は世界をつなぐ白い光の中で、ようやく安堵を感じていた。
これで、
巫女の笑顔から離れられる
王の圧力から離れられる
民の恐怖から離れられる
もう『勇者』と呼ばれなくていい
ようやく『如月一葉』に戻れるのだ
生きて日本に還るか、それともこのまま命を落とすのかはわからない。
しかしもう、この手で命を灼き尽くさなくて済むのだと。
そっと微笑み、一葉は目を閉じた。
そして光が消え、目を開ければそこは――――
空気の変化を感じた一葉。彼女が閉じている目をそっと開けると、知らない人たちに囲まれていた。しかも明らかに友好的ではない雰囲気で。
どこかにいるかもしれない運命の神様は、一葉を休ませる気などまだまだ無いらしい。
一葉は眉をぎゅっと顰める。あり得ない。認められない。
目をきつく瞑り、息を深く吸い、吐きだし、再び目を開けたがその光景はやはり変わっていなかった。
赤い絨毯が柔らかく主張している足元。
目の前には少々……いや、かなりふくよかな中年の男性。その指にある綺麗な紅玉の指輪と、腕にはめている銀鎖の腕輪が似合っていない。良いものを集めても元が悪ければ台無しだといういい実例である。
中年男性の向こうに見える玉座には金髪の男性……その位置や諸々の環境から、おそらく王様。彼は40歳程に見えるが、その鍛えられていそうな体と好奇心に輝く鳶色の瞳などから幾分若くも見えた。
王様の左側にいるのは、王様と同年代に見えることから王妃様だろう。王様よりも艶やかで綺麗な金髪に、こちらは碧の瞳。優しそうではあるが、驚きの中にもこちらを観察する冷静さを感じられた。
そして王様の右には王女様。15歳か16歳ほどだろうか。外見は王妃様、内面はおそらく王様によく似ているものと思われる。両親からの遺伝を判断する基準となった、好奇心満々の視線。彼女が送ってくるそれも、整った容姿に対して少々気後れする一葉が落ち着かない一因でもある。
そして彼ら王族のすぐ後ろに控えているのも煌びやかな人間たち。
(神様ってやっぱり贔屓するんだな。人間と同じ形だしな。仕方ないかな。
ふふふ……自他ともに認める普通の顔が憎いぜ)
王族に合わせてか、王を守るのは体格の良い男性。王妃を守るのは同じ顔の女性2人。王女を守っているのは灰金の髪を持つ真面目そうな女性と、背の低い灰髪の女性。
絶対数は少ないものの、思ったより武装した女性が多いことに一葉は少しだけ驚いた。
中年男性と一葉の周りは、半径5メートルほどの円を描いて武装した人間に囲まれている。その人数は決して多くはないが目立った隙もない。人数で押しつぶさないのは、その分彼らの技量が高いということの証明だろう。
王族付近にいる兵士たちよりもいくらか練度が低いようには見受けられたのだが。
一体自分が何をしたのだろうと、一葉は本気で問いかけたくなった。
もう少しすれば倒れると彼女は確信している。それほどまでに体が疲弊しているのだから。
武装集団の外側にはたくさんの人。中でも目立っているのは、長い銀髪をまとめて右肩に流している眼鏡の青年。彼の警戒心の表れか示威行為か、いつでも攻撃できるように魔力を圧縮しつつこちらを眺めている。
眼鏡青年の隣に立つ初老の男性もまた、柔和な表情の裏側で冷徹な瞳を投げかけている。
一葉は知っている。怒り狂った人間や無表情の人間よりも、このような人間の方がよほど恐ろしいと。
「見苦しいのではないですかロットリア卿! 内通者は捕縛の後、然るべき刑罰を受けるのが筋だと! あなた自身が主張していたではありませんか!」
なぜこのような状況かと問いかける前に、答えが向こうから与えられた。ちょうどいいタイミングだと思う反面、一葉は頭を抱えたくなる。
内通で吊るし上げを喰らっているならば、この中年男性は無事では済まないだろう。
そしてそれは『何故か』同じ円の中にいる一葉自身もまた、ひどい目に遭うということ。
『何故か』――?
言わずもがな、である。
現実逃避をするように、無理にポジティブな目線を作り続けていた一葉。しかし限界である。視界に映る景色が彼女の希望をすべて打ち砕いているのだから。
これはおそらく召喚だろう。1度の人生で1度ならず2度までも遭遇するとはと、一葉は自分のくじ運にほとほと感心した。
付け加えるならばこれは決して幸運な『アタリ』などではない。古今東西において、召喚されて無理難題を押し付けられていない者などいない。一葉は半ば確信を持ってそう言える。
前回と違うのは召喚の巫女やら召喚の陣やらが無いことか。魔王を倒すという契約を履行した以上、前と全く同じ世界ではないのだろう。
あの場所とはもう縁を切りたい。縁があったとしても主に王の安心のために命を狙われることだろう。一葉には次代の魔王になるつもりなど全く無いのだが。
しかし全く別の世界であればまた違う苦労が予想される。前の世界であった方が良いのか、違う世界であってほしいのか、彼女自身にも理解できてはいない。
彼女は帰ることができなかった。
血に染まった彼女を地球の神様は拒否したのだろうか。
あの多大な矛盾をはらみつつも一部では平穏を享受できる世界にとって、彼女は不純物だということだろうか。
そんな一葉の弱った心に、囁きは忍び寄ったのだった。
――コロサナケレバ
――騎士ヲコロサナケレバ
――王ヲコロサナケレバ
――コロサナケレバカエレナイ
血の気が退く。体が震える。恐怖が、後悔が、彼女の心の奥底から暴力的に湧き上がる。
(嫌だ……嫌だ……っ!! 私はもう、何も殺したくなんか……!!)
頭に絶えず響く囁き。一葉は気色悪さとその内容に、細かく震え続けた。
拒否すればひどい頭痛とともに囁きが怒鳴り声に代わり。それでも受け入れなければそれ以上の苦痛と、王家に対する悪意の塊が一葉へと押し寄せてくる。
ただでさえ世界を滅ぼさんとする魔王とギリギリの戦いをし、命まで懸けた直後である。最初から、限界に辿りつくのも時間の問題だったのだ。
(もう……受け止め、切れない……)
――受け止めきれないなら、壊してしまえばいい
(そうだ。我慢する必要なんか、ないんだ)
よろり、と踏み出される黒いブーツ。その視線の先にはロットリア卿。
ザワリと緊張が走る周囲を余所に、一葉はそっとロットリア卿の手を取り。
絞り出すように異界の言葉を吐き出した。
『壊れろ、欠片さえ残さずに!!』
人には大きすぎる魔力を腕輪へと叩き付けた途端、綺麗な銀色の砂が流れ落ちる。容量を大幅に超えた魔力が流し込まれたことで、物体としての腕輪が耐え切れずに崩壊したのだ。その残滓が確認できなくなると同時に暗殺を強要していた声が消え、恐ろしいほどの悪意もまた感じられなくなったのだった。
ホッと息を吐く間もなく一葉は身を退いた。相手が何をするのかも予想できない以上近くにいるべきではないだろう。人質になることなど論外である。同時に何とはない胸騒ぎを覚えた。彼女はこういった予感をある程度信用することにしている。今までこの『相棒』が、一葉を裏切ったことなど無いのだから。
とは言え、信用し覚悟していても結局どうにもならないことの方が多いのだが。
そんな一葉へ向け、ロットリア卿は頭に血を登らせて罵った。
「こ……この、召喚獣ごときが!! 人型だと思って調子に乗りおって!!」
当の本人である一葉は首を傾げる。
召喚獣。人型。彼女は生まれてからこれまでに人外と呼ばれたことこそあれど、人を辞めた記憶などないのだが。
何の事か理解しきれていない一葉へ向け、ロットリア卿はさらに喚き散らす。
「この役立たずが! どうせ大した力も持たない『ハズレ』ごときが!! 貴様など呼ぶだけ無駄だったわ!!
もう1度……もう1度だ! もっと強力なモノを喚んでくれる!」
何事か、戸惑う兵士たちは一瞬動きを止め、その隙にロットリア卿は両の手を合わせる。彼の右手に収まっている赤い宝石を抱いた指輪が、人目を惹きつけるように鈍く怪しく輝いた。
往生際の悪い人間。しかし、ある方面ではもしかしたら才能あふれる人間だったのかもしれない。
どこからともなく発生した黒い瘴気を認識した一葉は、根拠はないものの先ほどよりも大きな焦燥感を覚えた。一葉から見てもこの相手は強力である。中年男性が使いこなせる相手ではないと分かった。
そして行きつく先は暴走という結果しかない。
――我ヲ喚ンダノハソナタカ
低く響く気味の悪い声。それが部屋に響くと同時に、辺りを漂う黒い瘴気がより濃くなった。未だ完全に召喚こそされていないが、その魔力は圧力を感じるほどのもの。おそらく一葉という使えないコマを捨て、仕えるコマを新しく召喚しようというのだろう。
「そうだ、私だ!」
――ノゾミヲ
「王を、王妃を! 王女を殺すのだ!」
――承知シタ
ロットリア卿に応えた声とともに、闇色の瘴気が集まりだす。
魔物と闘いつづけた一葉には本能で分かった。完全に姿を表してからでは、あるであろうたくさんの障害と彼女自身のコンディションのせいで王の一家を守れない。そうなれば召喚が完了しないよう今のうちに触媒を壊すしかないだろう。
中年男性の魔力。それが絡みつくのは血のように赤い宝石を抱いた指輪。正しく血のように、時が経つにつれてドス黒く色を変えている。時間はもう幾ばくも無い。
(近寄らせてはもらえない。ちょっと魔力の操作をミスったらオジサマの手まで吹っ飛ばすけど……緊急時ってことで)
ロットリア卿にとってはとんでもない選択肢だが、一葉が選べる行動はそう多くない。未だ頭痛の残る頭を振り、出来る限り精密に魔力を操る一葉は、全霊で引鉄を引いた。
『砕け散れ――!!』
甲高く、破砕音が上がる。
鎖の腕輪を破壊した時と同じように、指輪が壊れた途端に薄まっていく瘴気。これであの不気味な低い声の主はロットリア卿との契約を破棄せざるを得ない。召喚がありふれた術であれば余り意味は無かろうが、一葉はこの堂々とした暗殺をとりあえずは防ぐことができたようだった。
1度ならず2度までも暗殺を阻止されたロットリア卿は、何が起こったのかの理解が追い付いていなかった。自分自身の召喚に関わる触媒を破壊することは可能だろう。しかし他の召喚に使用している触媒を破壊するとなれば、どうだろう。しかも2度目など契約をした後だったのだ。契約の主が持つ魔力が触媒に流れ込み、宮廷魔術士ですら破壊が不可能だったはずなのに。
次々に起こる理解不能な事態に脳が追い付かない。
身動きができないのはロットリア卿だけでなく兵士たちも同じだったのだが、そこは普段から積んでいる鍛錬の有無の違い。
「今です、取り押さえなさい!」
王女の背後に控える小柄な女性の声で自分を取り戻した兵士たちは、我先にとロットリア卿へとなだれ込む。そして程なくして彼は地に膝を落すことになったのだった。
色々と限界をとっくに超えているため、目の前が歪み体もフラリフラリと揺れている一葉。そんな彼女へ向け、取り押さえられたロットリア卿は口汚く罵った。
「召喚主である私に刃を向けるなど、出来損ないめ!! そんなナリをしていたところでどうせ数多の人間を殺しているのだろう!? それが今更1人や2人増えたところで――ヒッ!?」
彼は一葉の心にある一番やわらかい場所を汚れた手で無遠慮に触った。
一葉がロットリア卿に対して放った殺意に対し、思わず身を退く兵士たち。そんな彼らには目もくれず腰から双剣を抜き、一葉は威圧感で動けないロットリア卿の首へと突き付けていた。彼女が意図的に気配を操ったわけではないのだが、宮廷を生きる貴族のロットリア卿にとって、戦場帰りのささくれた威圧感は今までに感じたことがない圧力であった。
そして物語は流れ出す。
「そっちの都合で勝手に喚んでおいてソレ? そんなに人を殺したいなら自分でヤれば。それとも何? 自分で直に手を下さない限り綺麗な人間でいられるとでも思ってるわけ? ハッ、ちょっと人生経験足りないんじゃないの、オジサマ?」
先ほどまでとは違い明らかに冷気をまとった微笑。それを見たロットリア卿は覚った。この相手は拙い。本気で自分を殺すことができ、そしてこちらの意見など僅かたりとも必要としていない。
床に倒れ込んだままで、未だ流れ続ける鼻血をぬぐうこともできないロットリア卿。彼は今や誰の目にも明らかなほど震えている。
しかし一葉にとってそれは些末なこと。配慮の素振りも見せずに彼女は唇を開いた。




