七 昼寝
彼女たちが部屋を後にしてから、僕は、屋敷と土地の権利関係について思量した。黒木のいう向き、すなわち、工藤家で引き継がれてきたイベリスの庭園の土地もまた、屋敷を建てる際に隆の名義となっているならば、屋敷も土地も隆のものであり、相続放棄となれば、その両方を手放すことになる。やはり、まったくもって、損な選択だと僕も思う。その一方で、例えば、土地の名義が工藤家の誰かにあったとしたら、どうなるのか。そこに黒木もまた引っかかっているように思える。仮に工藤家の誰かに土地の名義があったとすれば、屋敷と土地の所有者が異なっていることになる。つまり、相続放棄において、手放すことになるのは、屋敷のみとなる。この場合をどう考えるのか。相続放棄してもイベリスの庭園に象徴される土地は、工藤家のものとして引き継がれるものの、屋敷を放棄する以上、そこに住むことはできなくなるだろうし、そこに住めなければ、イベリスの庭園を眺めることもできない。そもそも、イベリスの庭園自体の管理も怪しくなってくる。いずれの場合においても、相続放棄の意味がまったくわからないのである。
「しかし、意味がわからないよ」
そう言うと、黒木は「うん、たしかに。それはそうとして…」と別の話を切り出した。
「宇佐美氏と君との出会いは、『一万円札のカンマ』の件のときだったと思うが、そこから、『Rule of 72』の一件もはさんで、何か恋心が君に生じているように感じるが、もうそういう関係であるという理解でよい?いや、深くは詮索しないけどね」
黒木はニヤリと嬉しそうな表情をしながら、独り言のように切り出した。
僕も特段、彼女への好意を隠すつもりはなかったが、面と向かって確認をされるとどうも恥ずかしくなってしまっていた。
「いや…その…、そういう関係というか、僕の一方的な好意というか、恋というか、そんなものだよ」
僕がしどろもどろに弁解すると、黒木は言葉を続けた。
「何も恥ずかしくする必要なんてないと思うね。特に君の、銀杏家の家系の使命として、君が誰かと結ばれ、子を授かることが何より重要なはずだ。そうしなければ、代々受け継がれてきた銀杏姓は、君の代で途絶えてしまうわけだからね。少し飛躍すれば、銀杏姓の存在意義そのものを君は背負っているわけだよ」
「そうだね…」僕は静かにつぶやいた。
黒木はしばらく黙って、窓の外に目をやった。陽射しが柔らかく差し込んでいたが、彼の表情は真剣そのもので、何か深い思索にふけっているようだった。
「君の気持ちも、俺にはよくわかる。家系のことも、彼女への気持ちも、いろいろとね」
そう言って黒木は、部屋の隅に置かれた長椅子に腰を下ろし、深呼吸をした。そして「じゃあ、少しだけ昼寝だ」と言いながら、黒木は、部員たちが使いまわしているこきたない毛布を引き寄せて、一人、静かに目を閉じた。