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三 コンテンラーメンの径

 「ところで、お二人が思いにふけっているところ、あえて小道にそらすようで大変申し訳ないが…」

 黒木が一冊のノートを手に取り、音読を始めた。

 「『なるほど、壁紙を貼り付けたせいで、ちょうど“コン”の文字が欠けたのか。僕の心は好奇心でいっぱいになった。その瞬間、ついに気になっていた壁紙を少しずつはがしてみる決心がついた』、云々とある。これは『テン・ラーメン』という作品だそうが、これはボツ稿かな?」

 「あぁっ!」僕は思わず声をあげた。

 僕はその未発表作品の存在を黒木に隠していた手前、「勝手に見るなよ…」と、どこかばつの悪い、張りのない声でぼやいていた。

 「えっ、『テン・ラーメン』?、なにそれ」

 彼女も興味津々で、黒木が手に取って読んでいたそのノートをひょいと横取りして、読み始めた。黒木は、コーヒーを淹れに立ち上がり、手元であれこれしながら、淡々と一人、話を始めた。

  「まず事の発端は、俺が体調不良で教授に頼まれていた会計研究会の部室の大掃除を君一人に任せてしまったことなんだが、それはそれとして、たしかに部室に取っ散らかっていた蔵書の類は整理整頓されていたが、こともあろうか壁紙が豪快に破かれていて、ぶったまげたよ。そこで教授に後で話を聞いたら、その作品に書いてある顛末だったと理解した。まぁ、たまたま、偶然の産物で“コンテンラーメン”というドイツ語に辿り着き、壁紙をはがすまでに至ったのは、君にしてはよくやったと思う。無論、君が第二外国語で、フランス語ではなく、ドイツ語を選択していれば、“コンテンラーメン”に辿り着く無駄なプロセスは不要だったとは思うが、その点は、気にしないことにする。ただし、だ。君はひとつ重要な見落としている。それは何か。自問自答するようで悪いが、それは“コンテンラーメン”と“コンテン・(ナカポツ)ラーメン”の違いにある」

 「えっ、どういうこと?」僕はいったん黒木の演説をさえぎった。

 すると、彼女が「私、わかっちゃったかも!」と同人誌片手に、嬉しそうに手を挙げ、勢いよく割り込んできた。

 「壁に書かれていたのは、“コン”が欠けた“テン・ラーメン”で、壁紙をはがして出てきた紙片には“コンテンラーメン”。黒木君は、銀杏君が、壁に“コンテン・ラーメン”と書いた人と紙片に“コンテンラーメン”と書いた人は別人だっていう事実に触れず、スルーしたっていいたいんでしょ」

 「そのとおりですよ、宇佐美さん」

 黒木がずいぶんと勝ち誇った様子で声高々だったので、いや、彼女の前で小ばかにされたからなのか、つい僕もムッとしてしまった。内心、そもそも、“コンテンラーメン”と“コンテン・ラーメン”と書く人がいた事実があったとて、何か新たな事実に跳ねるわけでもないだろうと思っていたのである。

 「それは僕の洞察力が足らなかったからだと認めよう。だとしてだ。そこを深く掘っていくことに何の意味があるんだよ。人によってナカポツ(・)を入れるかどうかは、もはや癖の問題じゃないか。ナカポツを入れて、壁に“コンテン・ラーメン”と書いたAがいて、“コンテンラーメン”とナカポツを入れないで紙片にそう書いたBがいる、その事実はそうとして、そんな議論から何が生まれるんだよ」

 多少、僕は感情的になっていたが、黒木はいたって冷静だった。

 「銀杏、君には申し訳ないが、それはとても重要な点だ。ドイツ語の術語たる“Kontenrahmen”を日本語文献で“コンテンラーメン”ないし“コンテン・ラーメン”と表記するかは、学問上、重要な点で、それぞれの表記に研究者独自の見解が発生する。また学会としてどう表記すべきかは俎上に載せられるに違いない。そこで俺は君と同じように、おそらく君も丹念に読み込んだであろう過去の会計研究会がらみの会議録やもろもろの資料を漁ってみた。すると、やはり資料の記述にも“コンテン・ラーメン”と“コンテンラーメン”が混在していた。あとはもうはっきりしている。“コンテン・ラーメン”と記述している人物は誰か、記録者名を見てみると、当時会計学科に在籍していた“川田恭二”という人物だということがわかった」

 「その“川田恭二”っていう人は誰なの?」彼女がそっと訊いた。

 僕も生唾を飲んだ。黒木が少し間をおこうとしたので、すかさず「もったいぶらないで早く説明してよ」と黒木を煽った。

 「うん、いやそうたいして期待するほどのものでもない。彼は婿養子となって、今は“海山”姓を名乗っている」

 「あぁっ!」僕と彼女は声を合わせた。そして、彼女が続けて切り出した。

 「衆議院議員の海山恭二!うちのOBだったんだ」

 黒木は満足げだった。

 「そう、彼は会計学徒でうちのOB。大蔵族として、財界の大物ともネットワークを築いて、我が国の会計政策に大きな影響力をもっている。まぁ、それはさておき、この事実を、作家、いや掃除探偵・銀杏玲はスルーしてしまったということなのさ」

 「ナカポツ(・)にまさかこんな事実が隠れていたなんて…」僕はしょんぼりとその事実を受け止めた。



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