二 家族史
年も明けた1月、調子の悪い暖房のせいで暖かさの足りないサークル棟の一室。
「しかし、ずいぶんとくさい書きぶりで」と黒木は相変わらずで、「宇佐美さんはどう思いますかね?この銀杏の『家族史』の序章は」と、彼女へ問いかけた。
「うん、私はいいと思うわよ。“銀杏”っていう苗字への想いっていうか、使命っていうか、銀杏君みたいに珍しい苗字の人だけが背負っているものがなんとなく伝わってくるじゃない。家族法の研究をしていても、姓を制度として捉えるだけで、そういう感情的なものって見えてこないのよ。だから、そういう意味でも、銀杏君が自分の家族史を、エッセイとして、いつものように同人誌に載せるっていうのは、価値あることだと思うのよね」
僕はしばらく、エッセイ作品を掲載できずにいた。というのも、『テン・ラーメン』の件については、同人誌への掲載を見送っていたためである。しかもそれを見計らったかのように、黒木との日常もじつに平凡で、“何も”起こらないある意味、“非日常”が僕を追い込んでいたのである。“何も”起こらない“非日常”だからこそ、僕のエッセイ作品は、生まれない。「さぁ、どうしようか」と考え、“何かが”起こるまでのつなぎの作品として、自分の家族史をエッセイ作品として、執筆しようという結論に至った。そこで、文芸サークルの部室に、黒木と彼女をよび、感想を賜っていたのである。
「黒木は、厳しすぎるよ。いやぁ、だけど、宇佐美さん、ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
僕は少し、いや、だいぶ照れていた。『一万円札のカンマ』の件のときには、そうでもなかったが、『Rule of 72』のときくらいから、僕は彼女を少し女性として意識してしまっていたのである。おそらく、自分よりも10センチほども背の高い、すらりとした長い手脚の彼女への想いは、女性と付き合ったことのない僕にとって、初めての恋であった。
そんな僕をよそ目に、黒木は「作家が自分の作品に己惚れるのはよくないね。むしろ、自分の作品を読んで自己嫌悪に陥るくらいでないと」と言い放ち、さらに続けて、「まぁ、銀杏のそれはそうとさておき、例えばこの作品なんかを、君らはどう読み取る?」と先月うちのサークルで発行した同人誌を開いて机上にのせてきた。
「そこに『Father』という作品がある。それは俺の高校の同期が書いた作品で、けんか別れした父親が、翌月に持病の悪化で突然死した話から、家族における父親の存在意義を、父親の出生から、死を迎えるまでの系譜を辿って論攷しているが、はたしてどんな思いで書いたのだろうと推察するに、それは相当にして自己嫌悪そのものだったに違いないと思うね。エッセイといえども…」
僕はその机上に開かれた同人誌を手に取り、書き綴られた、何とも洗練された文章を目で追っていっていたが、彼女もまた、僕の隣で、同じ視線の先でそれを見つめていた。
「うーん、だけどね」彼女が口を開いた。
「そんな黒木君が言うような、自己嫌悪っていう哲学的な話じゃないと思うんだけどね。そんな小難しい心境で書いたんじゃなくて、結局は、単純に後悔だと思うのよ。何であのとき、けんか別れしてしまったのだろうっていう…」
「なるほど、後悔ね」
黒木のその言葉の後、331号のサークル部屋は、少々静寂な空気が漂い、僕と彼女はどこかしんみりと、『Father』たる論攷に吸い込まれるように、感情移入していったのである。