十一 最適解
「かねてより、俺たちはこの一連の相談を、相続放棄による損得の問題として、考えていた。なぜ、母上が一花さんに、相続放棄を勧めるのか。それも、工藤家が受け継いできたイベリスの庭園を手放すような選択を迫るのかと。その理由として、俺と銀杏は、屋敷と土地の権利者の相違による利得を母上が狙った巧妙な誘導なのではないかという可能性をも思量した。だが、その仮説は、屋敷、土地どちらの権利も父上にあることによって、打ち砕かれた。とすると、これは純粋に母上が一花さんに、どうしても屋敷とイベリスの庭園に象徴される土地を手放してもらいたい理由が別にあったと考えるほうが、自然だ。そして、その理由はおそらく、地盤調査によって生まれたものであると思われる」
「地盤調査?」僕と彼女は口を揃えて投げかけた。
「実際の土地の価値を著しく下げる地盤の欠陥があったと?」
僕がそう訊くと、黒木は神妙な面持ちで答えた。
「いや、欠陥の一言で済まされる問題ではない。これは最近、報道でも取り上げられているように生命にかかわることだからね」
「それってまさか…」
彼女は驚きを隠せない様子だったが、それは僕も一花氏も同じだった。
「不発弾が埋まっているってことなの?」
「おっしゃるとおり。そう考えるに至りました」
黒木はいたって冷静だった。
「今になってもなお、とりわけ、半島の方で、戦時中の不発弾が発見されるケースが後を絶たないが、昭和40年代は特に、不発弾による事故が多発していたことは記憶にも新しい。そしてそのエリアは半島に限らず、我々が住むこの地もまた、某国との戦時中に投下された多くの不発弾が埋まっているとされている。不発弾の発見は、通常それが発する磁気を探知する方法で行われるが、おそらく、イベリスの庭園の地盤調査の際に、その地下に不発弾が眠っている可能性に、母上の友人が気づいてしまったのだろうと思われる。不発弾もその大きさ、規模によって相当な磁気異常をきたすというから、調査計器の異常によって思いがけず、その存在を認知してしまったのだろう。そうすると、母上の友人は、母上にこう進言するに違いない。『今すぐに屋敷から出ていくべきだ』と。それが、一花氏が聞いた断片的場面と結びつく」
「それはつまり、こういうことでしょうか」
一花氏が言葉を続けた。
「母は、イベリスの庭園に不発弾が埋まっていることに気づいて、屋敷もさることながら、イベリスの庭園を手放さざるを得ない意思を固めていた。だから、代々受け継いできたイベリスの庭園の土地の名義を工藤家から、切り離したと」
「はい、そういうことです。不発弾が一つあるということは、二つ、三つと、同じ庭園エリアに複数眠っている可能性が考えられる。それを完全に除去するということは、すなわち、イベリスの庭園を一度、更地にすることに等しい。それは母上にとって、相当受け入れられないことだったでしょう。工藤家を象徴する“イベリス”をないものにするということはね」
イベリスの庭園の写真を片手に、淡々と思量する黒木の横で、彼女は何か腑に落ちない様子だった。
「黒木君、一ついいかしら?」彼女が疑問をぶつけた。
「何なりと。宇佐美さんのお考えを」
黒木が彼女の発言を促した。
「私は、どうも腑に落ちないの。だって、不発弾が埋まっているなら、もうそれがわかった時点でイベリスの庭園も屋敷も手放して、不発弾の処理をすべきでしょ?そんな、わかったあともそこに住み続けて、ましてや、土地の名義を変更するひと手間を加えるなんて…」
一花氏も彼女の考えに理解を示した。
「私もそう思います。なぜ母は、離婚して父が亡くなり、相続問題が生じるまで、手放さなかったのでしょう?といいますか、なぜ待つ必要があったのでしょうか?」
黒木は静かに息をつき、慎重に言葉を選びながら続けた。
「これはあくまで個人的な想像にしか過ぎませんが、一花さんの父方の祖父母、あるいは庄司家そのものに、強い復讐心を抱いていたのではないか。そして、それが工藤家の象徴であるイベリスの庭園を通じた庄司家に対する仕返しという行動に結びついたのではないかと考えています。母上は、イベリスの庭園に不発弾が埋まっていることを知ったとき、それを利用して、庄司家に復讐をしようと考えた。言葉を選ばずに言うと、母上は庄司家に、イベリスの庭園を利用した時限爆弾を仕掛けようとした。強い執念が感じられますよ。父上の他界、そしてその後、一花さんに相続の順位が巡ってくることを承知の上で、相続放棄によって、その時限爆弾を庄司家に引き継がせようと考えたわけですからね。もちろん、一花さんが、もうすぐ大学を卒業して、御実家の屋敷を出て、安全圏に行くことは、織り込み済みだったことと思います」
「土地の名義が工藤家にあっては、成立しないってことか…」
僕はそのときに改めて一花氏の母上が土地の名義をあえて父上に変更した意味を理解したのである。事の顛末を理解した僕は、いつもの謎解きで得られる快感とは程遠い、虚無感に苛まれていた。工藤家の象徴たるイベリスの庭園の破壊、家族のリセットをもって、庄司家への復讐を心に誓った母上。そして、おそらくそれを知る由もなく、他界した父上と、今その複雑な復讐劇の存在を知ってしまった一花氏。我が国において、幸せの外観を装う家族制度の存在意義とは何なのだろうか。いや、そもそも家族とは何なのだろうか。僕にとって、この一件は、これまで寄稿してきた「金ベルトの腕時計の男」、「一万円札のカンマ」などとは、比にならないほど、思索の深淵に沈む印象的な出来事となった。
また今回の件は、これまでとは違い、人の命を犯しかねない一線を越えた展開を有している。
「ところで…これは一花さんの前では言いにくいことでもあるけど、お母様は何か罪に問われてしまうのだろうか?いや、というよりも、早急に、不発弾の処理を…」
僕は、虚無感とともに、切迫する事実に動揺していたが、銀杏の返しは単調であった。
「銀杏、それはナンセンスな問いだよ。いつものことだが、俺も君も警察ではない。ましてや探偵もない。単なる相談屋に過ぎないじゃないか。無論、これまでの思量も想像にすぎないが、この想像を一花さんが、母上にぶつけることによって、何も起こらないうちに事は解決に向かうことになる。しかし、今回は早急な対応を求めたい。命にかかわるからね」
黒木の言葉を聞いて、一花氏は、「まず、急いで家に戻ります。皆さん、ありがとうございました」と言って、部屋を後にした。




