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一 銀杏

 銀杏いちょうという苗字は、実に稀有であり、これまで僕自身も、親族以外にその同姓の人物に出会ったことは一度もなかった。銀杏と書けば、しばしば「ぎんなん」と誤読されることもあるが、僕にとっては、「いちょう」という響きは、秋の黄葉を染めるイチョウの葉を思い起こさせ、その色彩の鮮やかさとともに、耳に心地よく響く音律を持つ。活字としても、空気の流れを感じさせるような、清らかで優雅な字形だ。

 他者と異なるこの苗字は、まるで一片の風景のように、僕に特別な存在感をもたらす。単なる平凡な人間ではないという思い込みや、自己のアイデンティティを確立しようとする潜在的な欲求が、この珍しい苗字に宿っているのかもしれない。そうした思いは、昭和の時代の中で、僕の中に静かに、しかし確固たる自己像を築き上げていた。

 そしておそらく、父もまた、僕と同じ思いを胸に抱いていたのではないかと、静かに想像できる。銀杏という苗字は、父方の血筋の証であり、その血脈の連綿たる流れを絶やさぬために、長きにわたり受け継がれてきたものである。なぜなら、父方の祖父が、その意志を胸に、婿養子となることでこの姓を守り抜いたからだ。祖父は、自らの血統を犠牲にしてでも、銀杏の名を家族の象徴として残すことに、ひたむきな拘りを持っていたのである。

 その姓のルーツは、明治の書家、銀杏総玉に遡ると伝えられる。総玉は、近代書道の確立に大きく寄与し、その名にちなみ、樹木や植物を題材とした漢字書を数多く残した。彼の姓に対する執着と誇りは、代々銀杏家に受け継がれ、その血脈の中に深く刻まれている。長女である僕の祖母は、その伝統の継承を絶やすまいと、大蔵事務官の祖父が婿養子となることを条件に結婚を許された。こうして、家の血統は絶えることなく続き、祖父母は三人の男の子を授かった。長男・朱鷺とき、次男・ゆう、三男・そう。朱鷺は、僕の父親であり、夕は幼少期に肺炎に倒れ、儚くこの世を去った。銀杏姓を継ぐのは、朱鷺と爽であるが、爽は未婚の身ゆえ、現時点では、長男の父がその重責を担うことになる。すなわち、その継承の行方は、父の息子である僕の結婚に左右されることを意味する。

 そんな僕は今、北海道の石狩管内にひっそりと佇む、小さな町の片隅で、六人の家族とともに暮らしている。母は専業主婦として、静かに家庭を守り、父は郵政事務官として、日々の郵便の流れを紡いでいる。母方の祖母は故郷から訪れ、甲状腺の奥深い闇と闘う叔母と二人、僕たちと一緒に暮らし、妹は高校生の若葉のように未来に希望を抱いている。


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