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07:線香花火のように




ーー彼の寂しさを埋めてあげたいと思った




***




 初めてのデートを終えた翌週。藤倉高校では体育祭が開催された。

 年に一度のお祭りは、生憎の曇天。しかし、一日中運動場にいないといけない生徒たちにとって朗報だった。


 「曇りでよかったね」

 「これで途中で雨が降れば中止かな〜」

 「その場合授業はどうするんだろ」

 「帰宅に一票」


 木綿花は果乃実と美結と運動場に話しながら向かう。今日はお祭りとだけあって、女子生徒たちは髪の毛をアレンジしたり、友人たちとお揃いにしたりとみんな楽しそうだった。木綿花は理仁にもらったビーズのビジューがついたヘアゴムでひとつに結んでいる。


 「そのゴムかわいいね」

 「うん!」

 「白雪にもらった?」

 「どうしてわかったの?」

 

 驚いて果乃実を見上げると、彼女がニヤニヤと笑う。


 「白雪がもめの髪をチラチラ見ていたから」

 「変態じゃん!」

 「初めは髪を結んでいるもめが珍しいからかと思ったけど……。なるほどね」


 木綿花は少し恥ずかしくて視線を俯かせる。失くしたくない一心で着けることを躊躇っていたけれど、意外とゴムはしっかりしていた。実際に髪をきちっと結ってくれているので、無理矢理外されない限りは落ちないだろう。理仁は今朝登校してきた木綿花を見て、嬉しそうに笑っていた。


 「もめは100mと大縄と障害物だよね? 果乃実は?」

 「クラス別対抗リレー、大縄、100m。あと部活別対抗リレーも出る」


 部活別対抗リレーはユニフォームを着て走るらしい。着替えるのが面倒くさいと果乃実はぼやいた。大縄は全クラス対抗で優勝すれば食堂で食事一食分無料券が配られる。みんな気合い十分だ。


 「美結ちゃんは大縄と借り物競走だっけ?」

 「うん。途中保健委員で当番があるから抜けないといけないけど」

 「頑張って〜」


 美結は面倒くさいけど救護室で座っていられるから楽だと笑う。運動場に向かって歩いていると早速人だかりの中に理仁の姿を見つけた。


 「あ、白雪はっけーん」

 「女子に囲まれているね」

 「……うん。まあ仕方ないよ」


 クラスは6クラスあり、隣のクラス、B組の子達はまだ体育や選択授業で重なることもある。しかし、F組は教室が廊下の端と端になるので物理的にほとんど顔を合わせない。教室に近い階段も違うのでそもそも生活範囲が違う。当然学年が違うとなるともっと異なる。


 木綿花はなんとなくもやっとした気持ちを見て見ぬふりをして、美結たちと一緒に整列した。


 

 ***


 午前中のプログラムを終え、木綿花たちは一度教室に戻った。昼食は各自教室で取るか食堂で取るかはいつもと変わらず自由だ。


 「もめ、教室で食べる?」

 「うん。あ、理仁くんも一緒でいい?」

 「うん、いいよー」

 「ってことは黒木も一緒かな」

 「たぶん」

 「わたし喉乾いた〜。自販機寄りたい」


 美結がそういうので先に食堂に向かう。自動販売機で飲み物を買っていると、理仁と黒木と遭遇した。黒木は食堂で購入したお弁当を持っている。


 「おつかれ。もめちゃん障害物速かったじゃん」

 「あはは」

 

 黒木に褒められて木綿花は苦笑した。障害物競走で木綿花はダントツの1位だった。はじめのハードルや平均台ではちょうど真ん中あたりだったが、網をくぐったあたりで前を抜かし、ラムネを一気飲みして後続を引き剥がした。一発で袋に入ったパンを咥えるとそのままゴールテープに向かって一直線だ。


 「ありがと。黒木くんも速かったね」

 「現役サッカー部だし、白雪には負けてらんないよ」

 「俺の方がスポーツテストの100mは速かったけどね」

 「うっせ」


 美結がジュースを買って、ついでに果乃実もスポーツドリンクを購入した。木綿花はラムネでお腹がいっぱいなので何も買わずに教室に向かう。


 「理仁くん、多いと思うから残してね」

 「うん? 全部食べるよ」

 「あ、お母さんが張り切っちゃって……」


 木綿花が理仁にお弁当を作ると聞いた母が色々と頑張ってしまいおかずが山盛りになっていた。朝からトンカツ・エビフライ・唐揚げを揚げている姿を見て呆れたものだ。軽く四人前ぐらいある。


 「……すごいね。繭子さんにお礼言わなきゃ」

 「すげー。めっちゃ豪華じゃん」

 

 母の繭子は理仁が毎日一人飯で惣菜や外食だと聞いてずっと心配していたのだ。木綿花は先日理仁がまた夕食を食べにきてもいいか相談したところ快く請け負ってくれたので、その気持ちの表れだろう。


 「あ、よかったら黒木くんもどうぞ。果乃ちゃんと美結ちゃんには先に話していたんだ」

 「わたしたちもご相伴に預かります〜」

 「と言っても自分のお弁当があるからつまむぐらいだけど」

 「俺、お弁当買わなきゃよかったな〜」

 「黒木が食べるともめの分なくなるでしょ」


 母はみんなで食べられるようにと多めにお箸も入れてくれていた。使い捨て用のお皿もだ。


 「ミートボールとか久しぶりなんだけど! これ大好きだった」

 「美味しいよね。好きなものどうぞ」

 「まじ? じゃあ、唐揚げもらい!」

 「わたし、エビフライ」

 「タルタルソースはこれ、ソースはこれね」

 「ママ、至れり尽くせりだね」

 「いいのいいの。そういうのが好きだから〜」


 黒木が唐揚げを美結はエビフライを頬張り「美味しい〜」と頬を緩める。果乃実は呆れながらも自分のお弁当を広げるとトンカツに箸を伸ばした。


 「木綿花が作ったやつはどれ?」

 「わたしは卵焼き。あとおにぎりも握ったよ。ちょっと形が歪だけど。この中身はそぼろ、で、こっちはシーチキン。これは鮭フレークとわかめ、これは梅ゆかりを混ぜて中には梅干しも入ってるよ」

 「すごいカラフルだね」


 色々と味が楽しめるように、おにぎりはどれも少し小ぶりで種類をいくつも作った。理仁は両手をあわせると木綿花が作った卵焼きとおにぎりを二つお皿に乗せる。


 「いただきます。……うん、美味しい」

 「よかった」


 目元を和らげて美味しそうに食べる理仁を見て木綿花はふにゃりと頬を緩めた。


 


 昼食をしっかり取り、午後からのプログラムに臨んだ。木綿花は午前の部ですでにすべての競技を終えているので、あとは応援するだけである。

 果乃実は昼休みのうちにバスケ部のユニフォームに着替えていた。背が高くスタイルのいい彼女が着るととても格好いい。


 「果乃ちゃん、かっこいい! 9番って、一桁なんだ」

 「3年生が卒業したし、部員が少ないからみんな番号がもらえるだけだよ」


 果乃実が苦笑する。


 「理仁くんと黒木くんはクラス対抗別リレー出るんだよね」

 「うん」

 「ちょうど、俺→西原→白雪だよな」

 「理仁くんアンカーなんだ」

 「スポーツテストのタイム順だって。俺の方が速いのに」

 

 黒木が剥れている。理仁が笑った。

 

 「だったら交代する?」

 「勝手にそんなことしたらぐっちーに怒られる」


 ぐっちーとは、体育委員の浦口さんだ。テニス部に所属している彼女もまたリレー選手である。


 「でもまずは、借り物競走じゃん。食べすぎて走れない〜」


 とは美結だ。彼女は最後の卵焼きを理仁とじゃんけんして勝った猛者だ。

 

 「白雪も借り物競走出るよね」

 「出るよ」

 「2回走ってよ」

 「それは無理な話だ」


 理仁が肩を竦める。美結と軽口を叩く彼の表情が柔らかくて木綿花は嬉しくなった。


 

 ***


 午後一番は三年生の応援合戦から始まった。続いてニ年生のダンスだ。

 こういうのはクラスでもカースト上位の面々が選抜されるので、木綿花はきっと一生縁がないだろうなと思う。


「柏木さん、そろそろ借り物競走だって」

「えー、まだ走れない」

 

 そう言いながらも美結は白雪と並んで出場者が集まる場所に向かう。その後ろ姿はとても似合っていて、木綿花は少し羨ましいと思った。


「白雪がどうして借り物競走に出るか知ってる?」

「知らない」

「前に借り物競走で物を盗まれたらしいよ」

「え、そうなの?」

「うん。返ってこなかったんだって。だから出場する側に回るらしい」


 果乃実は黒木からその話を聞いたという。黒木は理仁自身から聞いたと言った。中学時代に実際にあった話らしく、善意で貸したものが返ってこなくて困ったと言っていた。


 「モテるのも大変だね」

 「ほんとだよね」

 「白雪見てるとだ、全然羨ましく見えない」


 果乃実が遠い目をする。だけど彼女はすぐに表情を和らげた。


 「でも、最近はちょっと楽しそう。もめと過ごす時間が長くなっているから、かな」

 「そ、そうかな?」

 「うん。もめのおかげで救われているところあると思うよ」

 「だったらいいけど……」


 果乃実の言葉に木綿花は頬を緩める。彼女から見てもそう見えるなら、理仁がいい方向に変化をしている証拠だ。


 「あ、次白雪だ。応援しないと」

 「え、あ、ほんとだ」


 ピストルが鳴る。一斉に走り出した列の中に理仁がいた。彼らはほとんど同着でそれぞれに用意された箱の中に手を入れる。理仁が箱から取り出した紙を開いてパッと顔を上げた。周囲を見渡すその時、彼と一瞬目が合った、気がする。


 (え、こっちくる?)


 きゃあ、と小さな悲鳴が聞こえる。近くにいた女子たちが騒いでいた。理仁がこちらを見て走ってくる。木綿花は心臓がドキドキした。


 ーーもし、呼ばれたらどうしよう。


 借り物競走ではあるが、変わり種は入っているはずだ。さっきも「キャラクターの描いた靴下」というすごいコアなものが指示されていた。その女子生徒はさすがに靴下を脱いで貸すことに躊躇っていたので、仲良く二人でゴールしていた。


 木綿花はドキドキしながら理仁を見守る。だけど近づいてきた彼と微妙に焦点が合わないことに気がついた。


 「西原! ちょっときて!」


 ざわわわ、と周囲が響めく。

 果乃実は目を丸くすると「はいはい」と肩を竦めた。


 170cmを超える果乃実と理仁の組み合わせはとても釣り合っているように見えた。二人とも落ち着いていて大人っぽい。おまけに脚が長く速いので、前の走者を抜いて1位だ。


 「西原さんって美人だよね」

 「うん。二人とも綺麗な顔してる」


 木綿花が近くにいるとは知らない女子たちがグサグサと言う。

 ダメージを受けていると、果乃実が肩で息をしながら戻ってきた。


 「あ、おかえり」

 「……白雪、あとで、シメていい?」

 「物騒だよ」


 果乃実はこのあと、部活別対抗リレーとクラス別対抗リレーが控えている。なのに、理仁が「前を抜く」と言い出した。「もっと速く」と言われて思わず「蹴ってやろうか」と果乃実が顔を顰めた。


 「一瞬殺意が湧いたわ」

 

 果乃実は水を一口含み、ゆっくりと身体に浸透させていた。こういうとき一気に飲むと余計に走れなくなることを彼女は知っている。


 「……ちなみに、お題はなんだったの?」

 「髪の短い女子生徒」

 「なるほど」

 

 だからこちらに向かって走ってきたのか、と木綿花は納得した。

 髪の毛が短い女子は他にもいる。いるけれど、理仁は下手に声をかけることはせず、果乃実に声をかけたのだろう。


 (……わかってるのに)


 ただのゲームなのに、こちらに向かって走ってきた理仁を見て木綿花は期待してしまった。だけど、理仁に名前を呼ばれたのが果乃実で内心ショックだった。


 (……髪の毛、短くしておけばよかったなんて)


 甲斐が「黒髪ストレートロングヘアの女子が好み」だと言っていたので、伸ばしていた髪だ。もう伸ばす理由はなかったのに、そのまま伸ばしていた。


 もし、短くしておけば理仁は木綿花を呼んでくれただろうか。木綿花はそこまで考えてやっぱりそれはないと思う。


 木綿花は果乃実よりも足が遅い。勝負に勝ちに行く彼は迷うことなく果乃実を選ぶだろう。だったら髪が長くてよかった。惨めな思いをしなくて済んだのだから。


 木綿花は後頭部で揺れるビーズのビジューにそっと触れる。理仁からもらったヘアゴムが木綿花の心を慰めてくれた。



***



 「では、体育祭お疲れ様でした! かんぱーい!!」

 「「「「かんぱーーい!」」」」


 無事体育祭を終えた後、1年A組は打ち上げを開催した。当初参加するつもりのなかった理仁だが、木綿花が行くと知るとコロッと意見を変えた。


 「白雪くん、今日は参加してくれたんだんだね〜」

 「もめちゃんのおかげだ」

 「そ、そんなことないよ。予備校がないって聞いてたし」


 夏休み前の打ち上げは予備校があるという理由で理仁は来なかった。球技大会の後も来ていない。彼がこんな風にクラスのイベントに顔を出すには木綿花のおかげだとクラスメイトたちは気づいていた。


 参加自由の打ち上げだが、蓋を開ければ二十名ほど集まった。大所帯で入れる飲食店はあまり多くなく、学校の最寄り駅から少し離れた駅前のファミレスに入る。午後四時を過ぎる頃ということもあり、店内はそれほど混んでおらず、テーブルをくっつけて、分けて座れるようにセッティングしてもらえた。


 そんな理仁は今は別のテーブルで食事をしている。美結もあちらだ。果乃実と黒木は部活のため欠席。くじ引きにより、木綿花だけこちらのテーブルになった。


 「最初はびっくりしたけど、白雪くんの方が意外とべったりだよね」

 「ふふふー。わたし知ってるよ。席替えで白雪くんがもめちゃんの隣になれるよう交渉してたの」

 「え、そうなの?」


 にひぃと悪い顔からもたらされた事実に木綿花は純粋に驚いた。たまたま偶然だと思っていたのでまさかの作為的。


 「なるほど。あれは仕組まれたのか」

 「たぶんね。本当は廊下側の一番後ろだったっぽい」

 「で、交換したんだ」

 「みたい」

 「「ふふふーー」」


 によによと笑うクラスメイトから木綿花は逃げるようにストローでドリンクを啜る。オレンジ色の微炭酸はざわめく心を少し落ち着かせてくれた。


 「ねえねえ、白雪くんとデートした? もめちゃんの前ではどんな感じになるの?」

 「もめちゃんは、白雪くんのどこが好き?」

 「それは俺も聞きたいね」


 後ろから声が聞こえて、木綿花はハッと上を向く。ドリンクバーに向かう途中らしい理仁が空のグラスを持って立っていた。


 「あ、白雪くん!」

 「白雪くん、リレーすごかったね! 最後陸部抜かしてたじゃん」

 「彼高跳び選手だしね。さすがに短距離の子は無理けど。それなら黒木の方がすごかった」

 「たしかに! 黒木くんめっちゃ速かった!」


 黒木は4位でバトンを受け取ると一気に2位に浮上した。とはいえ混戦で、身体ひとつ分差をつけて果乃実にバトンが繋がる。彼女は3位を引き離し、1位との距離を詰めて理仁にバトンを渡した。その時点で1位との差は僅か3秒ほど。最後の50mで一気に勝負を仕掛けた理仁に今日一番会場が沸いたのは間違いなかった。

 

 「ねえ俺も話に混ぜてよ」


 理仁が木綿花のポニーテールを揺らす。その声は少しだけ甘い。周囲の視線に居た堪れなくなり、彼の手を払うように頭を軽く横に振った。

 

 「だめ。 あっち行って」

 「え」

 「今ガールズトーク中だから」


 木綿花がむんと言い返すと理仁が困ったように眉を下げる。それでも引かないと気づいたらしく、彼はすごすごと離れていった。


 

 ***


 (……ちょっと冷たい態度を取っちゃったかも)


 木綿花はそのあと自己嫌悪に陥った。借り物競走の後からなんとなく理仁の顔を見ることができない。移動も木綿花は自転車で理仁は電車組だ。彼は黒木と動いていたので、ほとんど話すタイミングがなかった。

 

 せっかく理仁から話かけてくれたのに、ずっとモヤモヤしてしまう。

 「西原!」と呼んだ彼の声が頭から離れなくて、頭を掻きむしりたくなった。


 「なぁ、まだ時間ある奴は花火しねえ? 部活組も来るって」


 二時間ほどファミレスでおしゃべりを楽しんだ後、坂本の一声で花火をすることになった。半数はそれぞれの事情から帰宅したが、部活を終えた一部メンバーが合流すると言う。


 「もめ、行く?」

 「うん。美結ちゃんは?」

 「行くよー。花火なんて久しぶりだし」


 ファミレスを出て花火と聞いてウキウキしている美結を見て木綿花は表情を緩める。理仁は他のクラスメイトと話ししているらしくこちらを見ない。


 「……理仁くん行くのかな」

 「さあ? でも行くんじゃない? 帰るならとっくに帰っているはずだし」

 「そっか」

 「聞いてみれば?」

 「あ、大丈夫」

 「そう?」

 「うん」


 木綿花はもう一度「うん」と頷く。花火は学校の前にある浜辺で行われることになった。木綿花は自転車で美結や理仁たちは電車でまた戻る。


 会場に着くと、すでに部活組がちらほら集まっていた。果乃実は塾があるので欠席だそうだ。少しだけホッとして、またもやっとしてしまった。こんな気持ちになってしまう自分が嫌だ。


 (……果乃ちゃんは何も悪くないのに)


 ただ、髪が短い女子で理仁が話やすい相手だっただけ。足が速くて、見た目も美人で。ーー木綿花には敵うはずもない。


 「もめー。果乃実塾だって」

 「うん、連絡みたよ」

 「残念だね。あ、黒木いるじゃん。おーい」


 美結が黒木の元に向かう。坂本たちが手持ち花火を袋から出していた。木綿花はその準備を手伝いに彼らの輪に入る。


 「こういうの何気に面倒だよね」

 「わかる。苦手〜」

 「やるよ」

 「マジで? サンキュー! 俺、バケツに水入れてくる」

 「わかった」


 木綿花が黙々と花火を袋から出していると、前にしゃがみ込む影ができた。顔を上げると、理仁が手伝ってくれている。


 「……何か怒ってる?」

 「え?」

 「……気のせいだったらいいけど」


 理仁が手元を見たまま木綿花に話かける。木綿花は少し躊躇って素直に言葉にする。

 

 「……怒ってないよ。ちょっと自己嫌悪」

 「自己嫌悪?」

 「うん」

 「俺が何かやらかしたとかではなく?」

 「うん」


 木綿花は真っ直ぐに理仁を見つめた。


 「今、頭の中整理中だから……あとで聞いてくれる?」

 「……うん、わかった」

 「ありがとう」


 そう言うと理仁がホッとしたように微笑んでゆるりと首を横に振る。



 静かに打ち寄せる波の音。それに混じる楽しげな声。火薬が煙で舞う夜空は、相変わらずの曇天だが、少しだけ星が見える。明日は晴れるようなので、傘の心配はいらないだろう。


 木綿花は手持ち花火を眺めながら小さく溜息をつく。あとで話を聞いて欲しいと理仁に言ったけれど、いったい何を話せばいいかわからなかった。

 

 だけど、理仁が気にしていたことは分かっているので黙っているわけにもいかない。勘違いさせたくない。こう言うのは黙っている方がよくないのだ。


 (……これってヤキモチだよね)


 木綿花はこの黒い感情を知っている。無邪気に甲斐と話す女子たちを見て闘争心を燃やしたこともあった。その夜は甲斐と電話したり、メッセージを読み直して自分を落ち着けた。


 理仁とは一応付き合っている。期間限定でお互いが好きになれなかったらお別れという条件はあるが、木綿花はもう彼を異性として意識していた。


 (……でも、ヤキモチなんて……めんどくさい奴って思われるかも)


 そんな子どもっぽい理由を理仁に言いたくない。おまけに果乃実に妬いたのだ。しかも借り物競走という競技中に。


 (自分がこんなにも嫉妬深いと思わなかった)


 ただ、“髪が短い人”という条件に果乃実が当てはまっていただけだ。それなのに、とても打ちのめされた気がした。もしこれが知らない女の子ならもっともやもやしたかもしれない。理仁は木綿花と付き合い始めて呼び出されることは少なくなったとは言ったけれどゼロではないのだ。


 (……うわぁ、もう好きじゃん。こんなの)


 認めたくなかった。見て見ぬふりをしていたかった。

 だけどもう認めざるを得なかった。


 (……果乃ちゃんにも謝らなきゃ。自分が小さすぎて泣く)


 「木綿花」


 名前を呼ばれてビクッと木綿花は肩を跳ねさせた。おずおずと顔を上げると、手持ち花火を持ったまま、理仁が近寄ってくる。

 

 「火、ちょうだい」

 「あ、うん。でも消えそう」

 「大丈夫」


 木綿花が持つ花火が勢いを失くす。火が消えたところで理仁の花火に火がついた。


 「火、つけないの?」

 「うん、つける」

 「火薬の匂いすごいね」

 「うん。風がこっち向きだし」


 木綿花は風向きを指さした。


 「……それで、話したいことはまとまった?」

 「……まだ」

 「そういうときは人に話しながらの方がいいんだよ」

 「そうなの?」


 理仁が新しい花火をもう片方の手に持つ。ブワッと火が勢いよく放たれて彼の顔がよく明るく見えた。


 「うん。言葉に出しながらの方が頭の中が整理されたりするんだ」

 「へぇ」

 「だからどうぞ」

 「え」

 「ぐちゃぐちゃなんでしょ?」


 木綿花は言葉に詰まる。膝に顎をつけて新しい花火を追加した。チラリと横目で窺うと理仁は涼しい顔で花火を眺めている。


 「……まずは、紛らわしい態度を取ってごめんなさい。理仁くんはまったく悪くないの。それはほんとに」

 「うん」

 「……ちょっとだけ八つ当たりというか」

 「八つ当たり?」

 「……借り物競走で果乃実が呼ばれて」

 「あぁ」

 「髪、切っておけばよかった……って」


 本当は「自分の名前を呼んでほしかった」と言いたかった。だけど、それはゲームの話なので仕方ないことだ。木綿花は少し誤魔化して語尾を弱めた。


 木綿花はもともと髪を短くしていた。それは小学生の頃からずっとだ。洗うのが楽だし乾かすのも楽だ。中学生ではバスケ部に入部していたので、髪を伸ばすこともしなかった。だけど、甲斐が「髪は長い方が好き」だと言っていたので、部活を引退した後から伸ばし始めたのだ。


 「……振られた後に切っておけばよかったって」

 

 そしたら呼んでもらえたかもしれない。理仁と果乃実の後ろ姿を見てもやもやしなくて済んだかもしれない。


 「そう思うとなんかこう、胸が苦しくなって……八つ当たりしてごめん」

 「……ううん」

 「以上です」

 

 木綿花はわざとキリッとした顔で説明を終えると、額の前で敬礼のポーズを取った。理仁は僅かに目を丸くして、ふっと表情を崩す。


 そして、甘えるように木綿花の肩に頭を乗せてきた。花火は火花を散らしながら、二人の顔を照らした。


 「つまり西原に妬いたってこと?」

 「……ぅ」

 「どうしてわたしじゃないのって思ったんだ」

 「な、なんでわかったの!?」

 「ふ、ははははっ」

 

 理仁が声に出して笑う。せっかく言葉を選んで気持ちを隠しながら説明したのに、理仁にはお見通しだったらしい。


 「……それで友達に妬くなんてって自己嫌悪のループだよ」

 「もう隠すのやめたの?」

 「無駄だと思ったから」

 「賢明だね」


 理仁がふっと鼻で笑う。体の一部が触れ合っているだけでずっともやもやしていた気持ちが落ち着いてきた。不思議だ。


 「そこ、イチャイチャしなーい」


 坂本がビシッと指をさす。もちろんその指先は木綿花たちの方を向いていた。ここでようやく周りに見られていたことに木綿花は気が付く。


 「イチャイチャじゃないよ。充電してるだけ」

 「それがイチャついているっていうんだよ!」


 理仁がしれっと言い返すと坂本が言い返した。周囲がくすくすと笑っている。理仁が「花火の補充をしてくる」と立ち上がった。


 理仁の肩に腕を回し、坂本がニヤニヤしている。


 「白雪、お前俺に感謝しろよー。もめとくっついたのは俺のおかげだろ」

 「ちがうだろ」

 「それは違う」

 「そーなの。俺のおかげ!」


 坂本がくわっと言い返す。理仁は呆れたように笑っているが、その眼差しは柔らかい。彼は残っていた打ち上げ花火に火をつけて周囲の視線をそちらに引き込むと、木綿花の元に戻ってきた。


 「線香花火する?」

 「する! え、もう終わり?」

 「そうじゃないかな? 人結構いるし。ってか増えた」

 

 風に流れてくる声には「花火追加で買いに行く?」と誰かが言っているのが聞こえた。彼らの声に耳を傾けていると、目の端で小さな明かりが灯る。


 繊細でたおやかで儚い火花。先端で膨らんだ火種(おもい)が落ちない間に、木綿花は理仁の線香花火の先端に自分のものをくっつける。


 「……きれいだね」

 「そうだね」


 それはまるで恋心のように小さくゆっくりと膨らんでパチパチと手元を照らす。優しい風が二人の気持ちを包み込むように頬を撫でていった。

 

 

 

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