11:知っていたよ②
翌日、いつもならまだベッドでゴロゴロしている時間だが木綿花は階段を登って教室に向かっていた。校舎内からも活気が伝わっており、皆今日を楽しみにしていることがわかる。すれ違う友人たちに「おはよ〜」と挨拶をしながら登校すると、教室に入るなり美結が抱きついてきた。
「おはよう、もめー。ねえ、髪型お揃にしよう?」
「髪お揃いにするの?」
「うん。クラスのみんなで揃えようって! 強制じゃないよ」
「え、なにそれ。かわいい!」
そういう美結も今日はツインテールではなく編み込みのハーフアップでかわいいリボンをつけている。ハーフアップなら髪の長さを気にしないので、この髪型になったのだろう。そして、チェック柄のリボンがお揃いらしい。
「昨日の夜グループラインで言ってたやつ」
「あ! これか」
昨日一日目を終えたあと、反省会中に「おそろ感が足りない!」と誰かが言い出したことがきっかけだった。出し物が映画館で開催場所がメインどころから逸れているせいもあり、気にしていなかったのだが、模擬店やイベント会場に行くと揃いのクラスTシャツを着たり、エプロンをしたり、髪型や靴下を揃えていたりと皆各々楽しそうなことをしていたので、一部の女子から「やりたい!」と声が上がった。
男子は「好きにすれば?」という意見が多かったので、女子がーー特に文化祭に気合が入っている組が色々と考えて案を出してくれた。それがお揃いのヘアアクセサリーだ。今更Tシャツや靴下を揃えるほどでもないのでコストも考えて控えめなものになった。
「おはよう。もめ、美結」
「果乃ちゃん、おはよう」
「果乃実、おはよう。ねえ、髪の毛おそろにしない?」
「しない」
「えー、なんでよ。同じアクセサリー着けようよ〜」
美結がぶーぶー言いながら詰め寄る。果乃実は「えぇ」と嫌な顔をしたが、美結の圧に負けて渋々頷いた。
「……いいけど、あまり似合わないよ?」
「そんなことないよ! まちこに頼めば可愛くなるよ」
まちことはクラスメイトの町田琴子だ。手先が器用でヘアアレンジが得意らしい。朝早くに登校し、せっせとみんなの髪をアレンジしているようだ。中には男子(坂本)も混ざっており、ヘアワックスで”いつもと違う俺”になりきっている。
「すごいね。もうなんかプロ」
「だよね」
彼女はコンセントの周辺を陣取り、コテやストレートアイロン、ヘアピン等を並べて即席の美容室を作り上げていた。ワックスやスプレーなんか何種類もある。木綿花にはまだ少しわからない世界だ。
「はいはい、次誰〜?」
「もめ、行こう」
「あ、うん。果乃ちゃんも」
「はいはい」
木綿花は躊躇う果乃実の手を引いて町田琴子の元に向かった。
***
「えー、めっちゃかわいい!」
「うんうん。果乃ちゃん似合う〜!」
果乃実もコテで髪を巻き編み込みのハーフアップになった。ショートカットより少し伸びた髪のせいかとても女性らしくかわいい仕上がりだ。背が高く顔立ちも綺麗なので、とてもよく似合っている。
「じゃあ次、もめちゃん」
「お願いします!」
「もめちゃん髪伸びたよね」
「うん。なんとなく伸ばしてる」
伸ばし始めたきっかけは甲斐が「長い方が好き」だと言っていたからだ。入学式の時は肩ぐらいまでだった髪も今は肩より下、胸ぐらいまで伸びた。本当は切ってもよかったけれど、理仁が「切るのはもったいない」と言ってくれたので伸ばし続けている。
(……理仁くんのおかげで最近は全然甲斐のこと思い出さなくなったな)
高校の説明会があったのはちょうど今ぐらいの季節だった。
木綿花は全然覚えていないけど、その日理仁は木綿花を見かけたらしい。
(一年前の自分に言ってやりたいよ)
こっちを見てほしかった彼には振り向いてもらえなかった。でも、それ以上に木綿花に向き合ってくれる彼がいるから、今とても楽しい。
あとは、ちゃんと自分の想いを伝えるだけだ。
(ーー彼のように)
昨日、舞台で告白した彼のような勇気はないけれど。
それでもちゃんと理仁には伝えたい。
もうとっくに彼を好きになってしまったこと。本当の恋人になりたいこと。
周囲から見ればなにも変わらないかもしれないけれど、保身のため、ではなくちゃんと言いたい。
(今日、告おう……かな)
木綿花は朝のHRを聞きながら、理仁にいつどこで告白するべきか考えていた。今日は二人で回る時間があるので、そのタイミングで伝えてもいいかもしれない。今月は理仁の誕生日もある。来月はクリスマスで、お正月だ。
ちゃんと彼の恋人として過ごしたい。三月で終わるかも、なんて思いながら過ごしたくなかった。
(……理仁くん、お正月は家族で過ごせるのかな)
ひとりに慣れてしまった彼にとってもしかすると煩わしいかもしれない。でも、もし。もし、理仁さえよければ、お正月は初詣に行ったり、一緒に過ごしたい。
修学旅行もバレンタインも最高の思い出を作りたい。
でもそれもこれも、すべては今日次第だ。ついこの間まで彼への想いがよくわからなくて逃げ回っていたのに、今はこの気持ちをちゃんと伝えたくてたまらない。
保身でも打算でもなく、ただ”白雪理仁”という人間に好意を寄せるひとりの女の子として、彼に想いを告げたかった。
(それに……二年生になるとクラス離れちゃうし。でも、クラスが離れても文化祭は一緒に回りたいな。体育祭も応援したいし)
そんなことを考えているとHRが終わってしまった。文化祭実行委員の二人が「怪我なく楽しく目標達成しましょう! 終わったら打ち上げだよ!」と笑顔を浮かべた。
「もめー、ビラ配り行こう」
「うん、いく!」
一般公開日は午前9時半から始まり、本日の一部は10時から上映開始する。
そして、二日目は上映班とは別にビラ配り班が設置された。木綿花は昼前まで校門の近くでビラ配り担当だ。二部は休憩で三部は小体育館に戻らないといけない。
意外としっかりと仕事が詰まっているが、今日のシフトはすべて理仁と同じなので嬉しい気持ちの方が大きかった。だから昨日よりも若干忙しいが、楽しみでもある。ビラには割引チケットがついているので、使ってくれる人が多いことを願った。
「木綿花、おはよう」
「理仁くん! おはよう」
「ビラ配り行く?」
「うん。あ、理仁くんは気をつけてね。絡まれないように」
今日は外部からの参加者の方が多い。藤倉高校は最寄り駅が小さな駅なのでそれほどでもないが、三つ駅向こうには複数路線が走る大きな駅があり、高校も多い。他校からの参加者も多くいることが想定されるので、木綿花は改めて理仁に念押した。
「俺も混ぜて」
「あ、黒木〜」
理仁と美結と果乃実と歩いていると後ろから黒木が追いつく。
「黒木って校門だっけ?」
「この時間は入口でいいじゃん。後から動くよ」
それはそうだ、とみんなが頷いた。校門に着くと他クラス他学年の人たちも結構いる。木綿花たちは負けじと場所を確保した。
「藤倉シネマ、まもなく開場します〜」
「昨年、話題になったアニメーション映画です」
「割引チケットもありま〜す」
9時半より少し早く校門が開き、続々と一般参加者が入ってきた。同じチラシなのに、理仁と黒木のビラが無くなるのがとても早い。木綿花と美結と果乃実はサッと目を合わせ、手持ちのビラをさりげなく二人に分配した。
「そろそろ交代じゃない?」
「そうかも」
午後11時半を過ぎた頃、校門付近はこの日のピークに達していた。一部がそろそろ終わるので、持ち場も変わる。 すると、「あー!」と大きなが聞こえて驚いて木綿花は振りむいた。
「もめがいるー!」
「もめー! 会いたかった〜!」
「きたよ〜!」
彼女たちは木綿花の中学の同窓生だった。木綿花を見つけるなりワッと声を上げて近づいてくる。ガバリと抱きつかれて木綿花は目を丸くした。
「え、沙希ちゃん、絢音ちゃん?! え、健太もわっちもいる! みんなどうしたの?」
「もめに会いにきた⭐︎」
「驚かせようと思って!」
沙希にぎゅっと抱きしめられる木綿花を見て美結がムッと対抗心を燃やす。
理仁は突然現れた木綿花の友人を横目で驚きつつもビラを配っていた。
「俺らいなくて寂しがってるんじゃないかって思ってサ。会いにきてやったぜ」
「全然寂しくないよ。うえむーが寂しかったんじゃないの?」
「そうそう。めっちゃ寂しい。だって俺らの中で甲斐ともめだけじゃん、違う学校行ったの。甲斐はわかるけど、もめがいないと弄り甲斐も突っ込まれ甲斐もないというか」
「って、あれ、佳代と甲斐は?」
「え、甲斐もいるの?」
「うん。きてるよ!」
「あ、そうだ。聞いてよ。あいつ自慢してた噂の彼女に爆速で振られてやんの」
「ウケるよねwww」
嵐のような情報量の多さに木綿花は目を回した。絢音が手を叩いて笑っているけれど、木綿花はそれどころじゃない。
(……甲斐がいるの? きてるの? ここに?)
バクバクと心臓が脈を打つ。心の準備をする間もなく、佳代と口論しながら甲斐が姿を表した。佳代が木綿花を見てパッと笑顔を見せ、沙希同様に飛びついてくる。
「もめ〜。しばらく見ないうちになんかすごくかわいくなってる!」
「そ、そうかな? 髪の毛のせいだと思うけど」
木綿花は佳代からの熱烈な抱擁を受け止めながら、甲斐に視線を向けた。甲斐はぎこちない笑みを浮かべて「久しぶり」と手をあげる。
「久しぶり。元気?」
「おう」
「ねえ、もめ。案内してよ!一緒に回ろう!」
「そうだよ。休憩あるでしょ? いつ? それまで待つからさ」
佳代と沙希に畳み掛けられて木綿花は口をつぐんだ。佳代や沙希たちと回るのはきっと楽しいだろう。でも、そこに甲斐がいるとなれば別問題だ。それに大切な先約がある。だから木綿花には迷いがなかった。
「ごめんね。約束があるんだ」
「えーー」
「ちょっとだけ。ずっとじゃなくていいからさぁ〜」
「せっかく来たんだから久しぶりに遊ぼうよ」
「ねえ、甲斐も久しぶりに8人で話したいよね?」
絢音が甲斐に話題をふる。絢音はきっと木綿花と甲斐がギクシャクしているのを知っていて、この機会になんとかしようと画策しているのだろう。
大きなお世話だと言いたいが、理仁と付き合っていることを彼女たちは知らないので仕方ない。
「俺はーー」
「織原さん、せっかくだから先に休憩に入ったら?」
「え?」
そこに口添えをしたのは理仁だった。木綿花だけでなく果乃実と美結も驚いている。
「わー、イケメンくん。心までイケメン!ありがとう!」
「ほら、もめ。そういってくれてるんだから友達に甘えようよ」
木綿花は真意を探るように理仁を見つめ返した。しかし、彼はすぐに視線を逸らすと、何事もなかったかのようにビラ配りを続ける。
(……どうして、理仁くんはそんなこと言ったの)
結局木綿花は佳代たちに引きずられるまま、模擬店ブースに来ていた。
本当なら理仁と回るはずなのに、周りにいるのは元中の友人たちだ。
本当はあの場で理仁を問い詰めたかったが、彼は木綿花を「織原さん」と呼んだ。つまり、甲斐たちに自分たちの関係性を隠そうとしたのだ。
(……どうして)
今までの関係がなかったかのように振る舞う彼に木綿花は悲しさを通り越して驚きでいっぱいだった。人間は驚きと悲しみなら驚きの方が感情が続くらしい。そしてさっきからどうしてが続いている。
もちろん木綿花があの場で理仁を「彼氏」だと紹介しておけばよかったのかもしれない。でも、まだちゃんと”好き”だと伝えていないのに紹介などできなかった。
「わーい、パーティーだ!」
「そうだ、そうだ! タピオカも買ってきたよ」
「健太、箸取って! わっち皿! ほら、上村も甲斐も食べようよ」
テーブルに広がったロシアンたこ焼き、焼きそば、フルーツ飴。フライドポテト、ラーメン、スタミナ丼、カレー、焼き鳥……と店を総なめだ。
男子たちの奢りだと喜ぶ佳代、沙希、絢音の一方で、木綿花は箸を持つ気にもなれなかった。
***
「おい、白雪面貸せや〜」
「かしみゆ、口。お口が悪いよ〜」
「でもあれはないよね。もめ、すごくびっくりしてたし」
木綿花が元中の友人たちに連れて行かれた後。理仁は美結と果乃実に連れられて教室に戻った。もちろん黒木も一緒にいる。
「ねえ、いつもの余裕はどこにいったの! もしかしてあの甲斐って奴にビビった?!」
「……うん、そうかもしれないね」
「素直か! そんな素直いらんわい!」
美結がキィー!と叫ぶ。
理仁は食欲もなく、買ったスパムお握りをラップに包んだままにしていた。
「……白雪って意外とヘタレなんだね。もっと自信家な奴だと思ってた」
「自信なんかあるはずないよ」
理仁が自重的に笑う。
始まりは唐突だった。その場の勢いでチャンスを掴もうと木綿花に話しかけた。すごく不思議そうに自分を見つめる瞳が、いつか自分を好きになってくれるだろうか、と不安になった。
甲斐を見ていたように、自分を見て欲しい。
こんな風に想われたい。
たった一人でいいから、ただの白雪理仁という人間を見て欲しい。
ーー彼女なら、自分をあんな風に見てくれるかもしれない
「俺なんかハリボテだよ」
理仁は俯きがちに椅子から立ち上がる。
「どこ行くの?」
「飯まだ食ってないだろ」
「いらない。そんな気分じゃないから」
健気で可愛い人。そして、同じクラスになってわかったが、木綿花は理仁にまったく興味がない。そんな子がとても珍しくて、理仁はもっと強く好意を持った。
「お前このまま黙って見守るつもりかよ」
「それがなに」
「それがなにって……。もめちゃんの気持ちが戻るかもしれないのに?』
「その時はその時だよ」
「お前くそカッコ悪いな」
黒木が理仁の背中に向けて吐き捨てる。立ち止まった理仁は冷ややかな目で振り返った。
「もめちゃんは”約束がある”って言った。断ろうとしていた。なのに背中を押したのはお前だろ。彼氏の余裕ならまだしも全然余裕ねえじゃん。まじダサい」
「……うるさいな」
「ヘタレ! ヘタレかよ。ヘタレだな。お前にとってもめちゃんは簡単に諦められるほどの女なのか? なぁ」
黒木は少し顎を上げて怒りを滲ませながら、理仁の目の前に立つ。
美結と果乃実が「語彙力なさすぎw」と目を合わせた。
「ーー二学期の始業式。あの王様ゲームで、俺から11番を奪い取ったくせに、こんなクソみたいなことで諦めんなよ」
「え、あれ偶然じゃないの?!」
「まじで?」
「こいつ、7番がもめちゃんだって知った途端俺の手から紙奪ったんだよ。小学時代からの大切な友人の恋だからって応援してたけど、そういえば昔から気に食わないところひとつだけあったんだったわ」
黒木がむすっとしたまま理仁に顔を近づける。理仁は黒木の鋭い眼差しを見つめ返しながら話の続きを促した。
「物分かりのいいフリするところ。俺お前のそういうところ嫌いだ。どうせもめちゃんの気持ちがその甲斐って奴に持ってかれたら仕方ないって済ますんだろ。違うだろ! ちゃんと繋ぎ止めろよ。それすらせずに諦めるな」
「……言いたいことはそれだけ?」
理仁はそっけなく言い返す。
「人の気持ちなんてどうなるかわからない。他人がコントロールしようと思うのが間違いだ」
「お前さ、ほんと馬鹿! あほ! ぼけ! 鈍感!」
語彙力を指摘された黒木が懸命に悪口を並べる。美結と果乃実は笑いを必死に堪えながら二人の行方を見守った。
「あのさ、恋ってするもんじゃねえの。落ちるもんなの。もう落ちてんの。オープンスクールでもめちゃん見た時からもうとっくにお前はもめちゃんが好きなんだよ! 一目惚れなの!……こんなの俺に言われなくてもわかるだろってかわかれ! 偏差値73は飾りか!」
ーー恋はするものではなく、落ちるもの。オープンスクールでひと目見た時からもう、自分は彼女に落ちていた。
黒木の言葉を聞いて今更ながらストンと腹落ちした。好きなのはわかっていた。けれど、まさか自分が一目惚れするなんて思ってもなかった。
ーーただ気になった子。
その程度の感覚だった。
もし彼女が自分を好きになってくれたら、あんな風に一所懸命見てくれる? という淡い期待と疑問。
「まだ告ってねえだろ! ぶつけてもないだろうが! なのに、人の気持ちをコントロール云々〜の話じゃねえって俺は言いたいの! わかる?! ちゃんと”好き”だって言え! 話はそれからだろうがっ」
黒木がはぁはぁと肩で息をする。理仁は目を丸くしてふと視線を落とした。
「わー、黒木が言いたいこと全部言ってくれた」(ぱちぱち拍手)
「しかも意外と熱いね」(ぱちぱち拍手)
「ここだけの話、黒木は好きな先輩がいてずっと振られ続けていたの」
「じゃかましいわ! ってかなんでかしみゆその話知ってんの!?」
「わたしの情報網舐めないでよ。ボッチで友達少なかったけど色々と知ってるんだから」
美結が鼻高々にドヤる。理仁はそんな彼女たちを横目に手のひらをぎゅっと握りしめた。
「それで、ジュンがさ、健太経由で沙希に連絡とって」
「今、幸せほやほやなんだよね〜」
「それ、新婚ほやほやの間違いだろ」
「そうそう。そうとも言う」
「そうとしか言わねえって」
あれだけあったテーブルの上がすっかり綺麗に片付く頃。木綿花は口を挟むことなく佳代たちの話に耳を傾けていた。つい最近沙希に彼氏ができたという報告を受けている。
しかし心はここにあらずだ。というのも、先ほど美結と果乃実から「白雪、さっきまで教室にいたけど、どっか行ったよ」と連絡が来た。
適当なところで切り上げるつもりでいた木綿花は理仁に「どこにいるの?」と連絡を入れた。だが、まだ既読はついていない。
(……理仁くん、もう一緒に回らないつもりなのかな)
今からならまだ一時間近く時間はある。木綿花は理仁と一緒に回りたいけれど、彼がどう考えているのかわからなくて”一緒に回ろう”の言葉が出てこない。
(……約束したのに。あれだけ楽しみにしていたのに)
理仁だって「楽しみにしている」と言ってくれたのに。
「ねえ、木綿花聞いてる?」
「……え? あ、ごめん」
「今せっかくいいところだったのに。聞いてよ〜」
ごめんごめん、と言いつつも木綿花はどうしてもスマホが気になってしまう。いつもなら彼女たちと楽しく話すことができるのに、どうしてもそんな気分になれない。ずっと理仁のことが気がかりで彼のことを考えると胸が塞がってしまう。ただ”織原さん”と苗字で呼ばれただけでこんなにも悲しい。
(……っ、理仁くん!)
願いが通じたのか理仁から「小体育館にいる」と連絡が来た。続いて「二部も担当することになったから木綿花は友人とゆっくり回ってきていいよ」と背中を押される。
(……二部《《も》》ってことは三部《《も》》ってこと? もう一緒に回らないつもりなの? そんなのいやだ……!)
木綿花はハッとして立ち上がる。友人たちが一斉に木綿花を見上げた。
「……ごめん。行かなきゃ」
「え、もう行くの?」
「うん。……あのね、言ってなかったけどわたし好きな人がいるの」
「「「え?」」」
(え、もめ、今ここで言うの?)
何かを勘違いしているらしい絢音が木綿花の腕を掴む。木綿花は緩く首を振りながら「違うよ」と眉尻を下げた。
「本当はその人と一緒に回る予定だったの」
「ちょっとそんなのもっと早く言ってよ!」
「ごめん! 空気読めなくてほんとごめんね!」
「う、ううん。いいよ。でも、もう行ってもいいかな? 案内できなくてごめんだけど」
「行け行け! ってか、こいつらが強引すぎたんだって」
「反省してます!」
「ごめんなさい! でももめの恋バナ聞きたいかも〜!」
「俺も! もめがどんな男連れてるのか気になる〜」
「こ、今度ね!」
快く送り出してくれた彼らに安堵して木綿花はへにゃっとした笑顔を見せた。向かうは小体育館だ。彼らに手を振って走り出す。
理仁が今何を思って何を考えているのか知りたかった。
***
「そっかー。もめが可愛くなったのって恋してるからか」
遠ざかる小さな後ろ姿を眺めながら佳代が納得とばかりに溜息をついた。
隣で絢音がうんうん同調している。
「夏休みに会った時はそれほどでもなかったのに。なんか今輝いていたよね。ピカピカしてる」
「うん。沙希に負けないぐらい輝いてた」
「わかる」
絢音の一言に佳代が同意を示す。わっちがジュースを啜りながら甲斐を横目で見ていた。
「あーあ。あーーあ。あーーあ。せっかくわざわざ甲斐のためにここまで来たのになぁ」
甲斐が木綿花を振ったことは仲間内で共有されている。だからこそ甲斐は木綿花と顔を合わせづらかったし、熱りが冷めるまで彼らも木綿花と会うときは甲斐を呼ばないようにと配慮していた。でもどうしてこのタイミングでノコノコ文化祭にやってきたのかと言えば、甲斐自身久しぶりに木綿花に会いたかったというのも本音だ。
でも久しぶりに会った彼女は自分の知らない彼女だった。
知らない友人たちに囲まれて楽しそうにしている。髪の毛をアレンジしたり、化粧をしていたりと甲斐の知らない一面ばかりだった。
「もめと全然話さないし、顔も見ないし」
「違うぞ。こいつチラチラ見てた」
「え、それはキモいな」
「キモかった。いつもの甲斐らしくない」
「それほどエリナに振られたのが堪えたのか?」
単純で鈍感でおバカな健太な発言に一同が呆れている。甲斐の肩に腕を回しながら健太は甲斐の頬を撫でた。甲斐は嫌そうに顔を顰めてその手を振り払う。
「……そうだな。遅かったんだよ」
「そうだね」
「もめの幸せを祈ろう!」
「逃した魚は大きかったな」
「たしかに、エリナほどの美女ななかなか……痛!」
絢音が「もう健太は黙って」と頭を叩く。甲斐はもう見えなくなった小さな後ろ姿を探して自重的な笑みを浮かべた。
「あれ、もめちゃん休憩じゃなかったっけ?」
「うん、休憩だけど。理仁くんきてない?」
「白雪なら裏にいた」
「ありがと!」
木綿花は小体育館に入りギャラリーから昨日同様にアリーナを抜けて体育館の裏に回った。上映中の映画のサウンドを聞き流しながら足音を忍ばせる。あたりは真っ暗で何も見えない。足元を照らすわずかなライトを目安に足を進めた。踊り場から舞台裏を覗くと理仁が昨日同様、カーテンの隙間からスクリーンを眺めている。木綿花は理仁の姿を確認してホッと胸を撫で下ろした。
(……理仁くん)
どうして「行っておいで」って言ったの。
本当は楽しみじゃなかったの?
電話で「一緒に回るよね?」って聞いてくれたの、嬉しかったのに。
色んな感情が込み上げて、心臓がバクバクと脈打つ。息が上がり呼吸を整えているけれど、今更足が竦んでしまった。勢いでここまできたけれど、もし彼に拒絶されたら、と思うと怖くなったのだ。なんと声をかければいいのだろうかと悩んでいると、気配に気づいたらしい理仁が上を向いた。
ーーあ、
目が合った瞬間、理仁は泣きそうな顔をしていた。その顔を見た途端、ふわっと視界が滲んで何も見えなくなった。感情がぐわっと競り上がり泣きたくないのに勝手に涙が出てしまう。
(……理仁くん)
驚いた理仁が険しい顔で静かに階段を上がってきた。木綿花は咄嗟にカーテンの中に潜り込む。しかし、理仁がカーテンを捲り身体を滑り込ませてきたので簡単に捕まってしまった。
「ーーごめん」
抱きしめられた腕の中で、木綿花は悔いを滲ませた声を聞いてぼろぼろと涙がこぼした。色んな感情が複雑に絡み合う。言葉が出てこない。
でも、理仁は木綿花を見て「ごめん」と言ってくれた。
もし平然とした顔で「もう戻ってきたの?」なんて言われたら立ち直れないところだったけれどそうではなかった。
(……理仁くん)
木綿花も彼の背中に腕を回す。寂しかった思いの分だけ腕の力を込めた。
理仁がもう一度耳元で「ごめん」と謝罪を告げる。木綿花は鼻をすんと啜りながら、腕の中からおずおずと顔を上げた。
「……木綿花が、彼を追いかけるんじゃないかと思って怖くなったんだ」
「……え?」
「彼がオープンスクールに一緒にいた子だよね?」
理仁の記憶力に脱帽する。木綿花は頷いて理仁の言葉を肯定した。
「木綿花がどんな顔で彼を見るのか知りたくなかった。だから怖くなって……ごめん。情けなくてごめん。約束破ってごめん」
「……ほんとだよ」
ふにゃあ、とした声で木綿花は抗議した。
泣いたせいできっと不細工になってしまった。せっかく朝から気合いを入れてメイクをしたのに、髪の毛もかわいくしてもらったのに、すべて台無しだ。
全部理仁に見てもらいたくて頑張ったのだ。彼と一緒に文化祭を回れることが嬉しくて楽しみで、全部この時間のためだったのに。
「理仁くんから誘ってくれたのに、約束破るなんてひどい」
「ごめん」
「すごく楽しみにしてたのに」
「ごめん」
「今から一緒に行ってくれないと許さない」
木綿花は涙を溜めた目で唇を尖らせて理仁をじっと見つめる。理仁は泣きそうな顔で笑うと、息を吐くように想いを告げた。
「好きだよ、木綿花」
「……っ」
「もうとっくに好きだった」
理仁が木綿花の肩に顔を埋めながら想いを溢した。
「……好きだから、怖かった」
だから逃げてしまったのだ、と彼は謝罪する。
「わたしも、理仁くんのこと、好きだよ」
「……っ」
「甲斐のことなんてどうでもいい。好きなんかじゃない。わたしは理仁くんが好き。好きだから……余計に悲しかったの」
木綿花は涙を拭って真っ直ぐに理仁を見つめる。理仁はぽかんとしたまま、一筋だけ涙をこぼした。
「……理仁くんはよかれと思って譲ってくれたのかもしれないけど、わたしは理仁くんと過ごす時間の方が大事だから」
「……っ」
「もう、そんなこと言わないで。簡単に諦めないでほしい」
時々理仁は簡単に自分を粗末に扱うから、とても悲しくなる。
だから木綿花は理仁の分まで大切にしたいと思った。
ーー理仁の強いところも弱いところも全部抱きしめてあげたい。
「わたしは理仁くんが大切だよ。だからわたしの大切な理仁くんを理仁くん自身が大切にしてほしい」
理仁の腕の力が強くなる。木綿花は口元に笑みを浮かべながらその腕に身体を委ねた。喜びと戸惑いの色を濃くした瞳とぶつかる。
躊躇いがちに距離を詰めた顔がゆっくりと傾いた。木綿花はそれを受け入れるように静かに目を閉じる。
吐息が唇を掠める。躊躇いがちに触れた温もりは微かに震えていた。押し付けるように触れ合ったあと、後髪を引かれるようにそろそろと離れていく。
薄く開いた目で理仁の様子を窺うと、彼もまた伏目がちに木綿花を覗き込んでいた。探るような視線が交差してもう一度目を閉じる。
ぎこちなく拙い口付けを何度も繰り返した。触れて掠めて離れて、また触れて押し付けて重ね合う。立っていると不安定で、その場に座り込んで夢中で口付けた。
拙くて青くていとけない想い。とても一生懸命な不器用なキスは、木綿花の息が上がるまで続いた。
「(文化祭回らないの?)」
「(回る?)」
「(……理仁くんが動いてくれないからいけない)」
二人はカーテンに隠れたまま、その場に座り込んでいた。
キスをして顔を赤くした木綿花を見て理仁が「そんな顔で外に出せない」と引き留めたのだ。
今は手を繋ぎ、半身をくっつけている。木綿花の肩に理仁が頭を乗せており、木綿花は彼の頭に頬を寄せていた。
映画は間もなく佳境を迎える。映像は何も見えないけれど音だけで楽しんでいた。
「(回りたかったけど、今はいいかな)」
「(……そう)」
「(木綿花とこうやってくっついていられる方が楽しいから)」
それは木綿花だって同じ気持ちだ。色々あったけどちゃんと両想いになれたのだ。彼がちゃんと好きだと言ってくれて嬉しかったし、キスした余韻にもう少し浸っていたい気持ちもある。
「(学祭は麻葉さんの大学で一緒に回ろうよ)」
「(それはもちろんだけど)」
「(それか今からいく?)」
まだ次の交代まで四十分ほどある。もし見回るならこれが最後のチャンスだろう。でも木綿花は首を横に振った。
そんな木綿花を見て理仁がひっそりと笑う。
「よかった。俺も今はこのままこうしてたいから」
理仁の声が甘えている。木綿花の母性がくすぐられてキューンと胸が締め付けられた。かわいいが止まらない。一緒に回れないのは残念だけど、理仁とこんなふうにくっついていられるのは悪くなかった。
「(それに来年もあるよ)」
「(来年はクラスが違うし)」
「(文転しようか?)」
「(ダメ)」
簡単に信念を曲げようとする理仁に木綿花は目くじらを立てた。志望校に合格するためにもちゃんと授業を受けてほしい。
「(それに、理系の方が女子少ないから、むしろ理系にしてほしい)」
必然と理系は男子が多くなる。学校側も配慮してくれるとは思うが、できるだけ女子は少ない方がいい。
「(その分、クリスマスも修学旅行も楽しもう。みんなでパーティーしたいな)」
「(二人は嫌?)」
「(……嫌じゃないけど)」
上目遣いに見上げられて木綿花はぐぅと口をつぐむ。そんな目で乞われたら断ることなどできない。
「(……その前にクリスマスって何するの?)」
「(え、……ケーキ食べたり、チキン食べたり)」
「(食べることばかりだね)」
理仁がクスッと笑う。でもその表情はバカにしているようなものではなく、ただ単に事実を述べただけの優しい顔だった。
「(あ、あのね。わたしも色々考えたの)」
木綿花は理仁の頭に預けていた頭を持ち上げて、真面目な顔で理仁を見つめた。理仁もまたただならぬ雰囲気を覚えたのだろう。木綿花の肩から頭を離す。
「(……まだ、確実じゃないけど、将来”食”にまつわる仕事につきたいなと思ってるの)」
理仁に感化されて木綿花は自分なりに色々と模索した。正直まだどうなるかわからない。だけど、自分の好きなことで仕事になりそうなものを考えた時、やっぱり”食”が頭に浮かんだのだ。
「(……できれば、関西にある公立の農学部がいいなって)」
「……っ」
理仁が息を呑んだ気配が伝わる。
好きな人を追いかけて、志望校を決めるのは間違っているかもしれない。
でも、これでも木綿花はよく考えたのだ。
「(……関東にも農学部はたくさんあるよ。でも私立ばかりで国公立だとレベルが高いの。麻ちゃんの大学は農学部がないし、一人暮らしをすることになるなら、……理仁くんの近くにいたい、と思って)」
一人暮らしをするのと私立大学に通うのはどちらの方が懐が痛むのか正直わからない。バイトもしていざとなれば奨学金という手もある。
もちろん、まだ両親には話していないけれど、彼らならきっと応援してくれるだろう。
「(……まだ、どうなるかわからないけど)」
「(……うん)」
「(大人になった時、食品会社で企画とか楽しそうだなって。管理栄養士とかも考えたけど……)」
お菓子の袋や冷凍食品の裏にある会社名を手当たり次第ネットで検索した。従業員の募集要項を見ると、食品の企画関係は農学部出身者が有利になるようだ。麻葉や絃にもどんなことが求められるのか尋ねた。
二人ともまだ大学生なので、木綿花の質問に百点満点で回答してくれたわけではないが、今から意識してそこに向かうことが最善だということはわかった。
「(……もしかすると二年も同じクラスかもしれないね)」
「(……うん)」
「(生物と化学頑張らないとなぁ)」
まだ担任の先生には話してはいない。でもそれより先に理仁に打ち明けたかった。ずっと待っていてくれたからちゃんと報告したかったのだ。
「(……俺が見てあげるよ、化学と生物。だから合格しよう)」
「(それは嬉しいね)」
二人は顔を見合わせるとふふふと笑う。
映画はエンドロールを迎えて観客たちが立ち上がる気配がする。二人の物語はこれから。やっとオープニングが始まったばかりだ。
「(……行こうか)」
「(うん)」
よっこらせ、と立ち上がる。自然と離れた手を引き寄せるように理仁の手が伸ばされた。
「(木綿花、ありがとう)」
泣きそうな顔で笑う理仁に木綿花は笑顔を返す。
「(いいえ。理仁くんを一人にはしないからね)」
簡単に自分を蔑ろにしてしまう理仁を木綿花が大切にしたい。
感情も想いも全部受け入れて、できるだけ長く彼と未来を歩きたい。
理仁が木綿花を突き放すまで、木綿花はとことん彼と寄り添う気持ちでいる。
(……って重いかな)
「(じゃあ、俺のこと嫌いになるまで傍にいてくれる?)」
理仁が足を止める。会場がパッと明るくなってギャラリーから声が聞こえた。「あと少しだ」「もう終わりか」と文化祭の終わりを惜しむ声がする。
舞台裏から聞こえる声にも疲労が混じっていた。
「(今日みたいに泣かせてしまうかもしれない。間違えてしまうかもしれない。情けなくて弱くて全然完璧じゃない俺だけど……こんな俺の傍にいてくれる?)」
ーー俺に恋を教えてよ
まだ真夏の真昼間のこと。彼はそう言って木綿花に迫った。
熱りが冷めるまで彼の彼女でいることの方が安全だと思った木綿花は渋々それに頷いた。
でも今は違う。
自信を持って、むしろこちらから望むところだ。
「嫌われるまで傍にいるよ」
「ーー嫌うわけないよ」
解けそうだった指先に力を込める。
「あ、もめ〜! 掃除行こう!」
ギャラリーから覗いた美結が手を振る。果乃実まで顔を出して「おーい」と手を振った。二人にはどうやら心配かけたようだ。すると黒木が舞台裏の階段を登ってきていたらしく後ろに追いついた。
いつの間に彼は舞台裏にいたのだろうか。理仁の肩を組んだ黒木が木綿花と理仁を見てニヤついた。
「カーテンに隠れていちゃつくなよー」
「……っ」
「まぁ、仲直りしたならいいけど」
見てみぬした俺に感謝しろよ、と黒木がドヤる。
「ねえ、何話してんの?」
「さっきさぁ〜」
「黒木くん!」
「え、なになに?」
木綿花が黒木を止めようとすると、シャツをツンと引かれた。驚いて顔を上げると、理仁がにこりと笑う。
「俺に愛を教えてね」
そっと落ちてきた唇が愛を乞う。
木綿花は目を丸くしてその熱を受け入れると、したり顔の理仁が花が咲くように笑った。
END
本編は完結です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
余裕があればSSを書きますので、またお付き合いいただけると嬉しいです。
※一旦完結にします。
テーマソング
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