10:知っていたよ①
ーーそれが恋だって、本当はずっと気づいていたんだ
***
「ど、どうかな」
『うん、かわいい。クルって回ってよ』
ある日の夜、木綿花は先日購入したかわいいパジャマに早速袖を通した。理仁とメッセージをやり取りしながらそのことを伝えると「見せてほしい」と言われて、今ビデオ通話中だ。
いつも無料通話だったので、今夜初めてカメラONにする。すごく恥ずかしいけど理仁のリラックスした様子を眺められるので、プラマイゼロだ。
『ズボン短いね』
「あ、うん。ごめんね、見苦しくて」
『ううん。そうじゃなくて……。家の中だけにして。その格好でコンビニとか行っちゃ駄目だよ』
制服のスカートはちょうど膝丈だ。膝から前後5センチが規則なので膝小僧が見えるか見えないかぐらいでの長さである。しかし家で過ごす服装に決まりはない。木綿花は今堂々と太腿を晒していた。
理仁は口元を歪めてそっと目を逸らす。手のひらで顔を覆っているけれど若干耳が赤くなっているように見えた。
「だ、大丈夫だよ。こんな格好で外には出ないから」
『うん、だったらいいけど』
木綿花はカァと頬を染める。先日、休日に理仁を呼び出して以降、彼は少し前のように積極的になってくれた。木綿花も負けじと理仁にアピールしているつもりだ。
(……でも、好きになったらちゃんと告白しないと、だよね)
リスクを考えると3月までこのままの関係を続けてお互いの気持ちを確認するときに伝えた方がいいと思う。もし今伝えて「ごめん」と言われたらこれから先の時間がとてもきまずい。
『文化祭だけど』
「あ、うん」
『……一緒に回れる?』
「え、あ、うん! 回れるよ!」
『……よかった。もう柏木さんたちと約束したのかと思って』
文化祭は平日1日と土曜日1日の計2日間開催される。一般開放は2日目のみだ。出し物は理仁の目論見でそれほど人手が必要ではない。両日とも生徒たちは全員自由時間が取れる仕組みだ。ただし理仁本人たっての希望で、1日目はずっと役割があり、2日も役付でいる。
というのも、ミスター藤倉を決めるコンテストが開催されるらしく理仁は無断でエントリーされていた。当然文化祭実行委員会に抗議した上で「出ない」と言ったが、担ぎ上げられると困るので小体育館に篭ることにしたらしい。
「……美結ちゃんたちとも回るけど、理仁くんとも回るよ」
『なんだ。結局回るのか』
「1日目にざっとね。何が美味しかったか教えてあげる」
『うん、行きたいところ考えておいて』
「了解!」
木綿花がビシッと敬礼する。理仁もつられて敬礼した。
すでに何度か小体育館で映写機や音響をセッティングして実験を行っているので当日もきっとうまくいくだろう。
映画は大人1人500円。しかし、前売り券を買うと400円だ。
少し多めに作って、みんな家族や友人に配るのだそう。
映画館さながらドリンクとお菓子は最低限準備する。チケットやパンフレットの印刷代、ドリンクとお菓子を合わせても飲食店をするクラスほどコストはかからない。
ちなみに三年生・二年生が飲食店の他、オーソドックスなところでいうと、お化け屋敷や巨大迷路、謎解きなども行われるらしい。体育館では演劇やブラスバンド部の演奏などもプログラムに組まれている。一年生の中には有志でバンドをしている人たちもいて、軽音部と対バンすると聞いた。
「木綿花ーー、あら?」
コンコンと部屋をノックされて返事もしていないのに麻葉が入ってきた。姉は木綿花とスマホの向こう側を見て目を丸くする。
「やっほー、こんばんわ。理仁くん元気?」
『はい。おかげさまで』
「って、やだー。わたしスッピンだ」
姉はキャミソールにパーカーを羽織りショートパンツと気を抜いた姿だ。ヘアバンドで髪をあげて眼鏡をかけている。
いつもならなんとも思わないのに、姉の胸元が気になって思わず理仁の様子を伺った。彼は少し照れているように見える。
(……やっぱり胸)
木綿花は巨乳ではない。ふわっとぐらいならあるけれどぼいんではない。
姉も巨乳とはいえないけど、木綿花より大きい。そのうえ身長もあり、くびれもある。脚がすらっとしていてスタイルもいい。
(……完敗)
「ごめんね、見苦しくて」
『いえ全然。やっぱり姉妹ですね。さっき木綿花も同じこと言ってました』
「え、何を」
「あ、麻ちゃんなんのようかな?」
「そうそう。来月、学祭があるから理仁くんと来たらー? って言おうと思ったんだけど本人がいた」
麻葉がてへぺろと舌を出す。
「いつ?」
「第四週の金土日」
「理仁くん、どっちか予定空いてる?」
金曜日は平日なので行けない。土曜か日曜なら可能性があるかもしれない。
『ちょっと確認する。すみません、麻葉さん。返事待ってもらっていいですか?』
「全然いいよー。ただ、事前申込が必要だから教えてね。チケットあげるから」
理仁が「はい」と丁寧に返事をする。麻葉は「またね」と部屋を出ていった。
ーー文化祭当日の朝。
『ただいまより第97回藤倉高校文化祭を開催します』
教室ではみんな和気藹々と楽しそうだった。中にはヘアアレンジをしたり、お揃いのシュシュをつけている人たちもいる。そんな中校内放送が流れ、みんなそわそわとしながら耳を傾けた。
「目標ーー!!」
「「「20万えーん!!!」」」
坂本が声を張り上げる。後に続いた言葉に教室内がわっと盛り上がった。
集客数も明確にし皆で情報共有している。あとはこの2日でどれだけ頑張れるか、だ。
「もめ、行こう〜! 移動移動!」
「うん!」
音響や映写機担当はすでに会場でスタンバイしていた。理仁も出席を取るとすぐに彼らと会場に向かってしまう。
「朝イチって入るのかな〜」
「どうだろうね。でも昼と夕方なら入りそうじゃない?」
上映回数は各日3回。各回上限100名、マックス600名だ。
チケットは大人1人500円。前売りチケット、ペア割、親子割等、いくつかお得チケットも用意している。
上映する映画は色々と話しあった結果、1日目と2日目でほとんど入れ替えることにした。邦画をメインにしたものだが、割と有名でかつ地元出身の芸能人が主演しているものや地元にまつわるものを選んだ。アニメや最新作も併せてお得感やお楽しみ感を打ち出しているので意外と反応は好感触だ。上映する順番も時間帯によって訪れる客層を考えて並べ替えた。主導は理仁だ。
「意外と入るね」
「うん、思っていたより……」
チケットの半券をもぎながら美結が驚きの声を上げた。
つい先ほど、校内放送で始まりの合図があったが、それと同時に移動してきたらしい。場所は早い者勝ちで、譲り合ってお座りくださいと伝えているので、いい席を確保したい人たちが校舎内の奥を目指してきてくれたようだ。
「お菓子とドリンクはチケットを購入後お買い求めください〜」
「うわー、コーラめっちゃ出る!」
「今日終わったら買い出し必要かもね」
お菓子はこぼす可能性があるのですべてペットボトル提供だ。激安スーパーで箱買いしたが、初日ということもあり、意外とドリンクが出る。
「チケット班お疲れ様〜。一人ずつ残って後は2階に」
遅れて入ってくる人もいるため、数名をその場に残し後は2階のギャラリー席に向かう。ギャラリーといえど卓球部が使用しているのでそこそこ広い。少し舞台まで遠いが、ギャラリーからも十分映画が見える。
「あ、出てきた。坂本」
「あれ、最高だよね」
「あの役坂本くんにピッタリ」
隣で果乃実がくすりと笑う。坂本はロボットの顔を模型した箱を被り、舞台の上に登場した。映画上映に関する注意事項はその都度マイクで読みあげる。
読み上げ役は裏方の人間なので坂本はただうんうん頷いているだけだ。しかし、目立ちたがり屋の彼にはよく似合う役だった。
「それでは始めます」
本番さながらのブザーが鳴り、生徒たちが「おー」と声を上げた。中には「クオリティ高い」「そこまで似せる必要ある?」と色んな意見が聞こえてきたが、どれも友好的で面白がっている声色だ。
(白雪、読むの上手だね)
(うん。聞きやすい)
ちなみに今マイクで禁止事項を伝えたのは理仁だ。本日はずっとオペレーターに徹するので、舞台袖にいる。あとでこっそりと会いにいくつもりだ。昼食を買ってきて欲しいと頼まれているので、木綿花は快く引き受けた。
***
「意外と途中入室いたよね」
「うん。体育館の中にもう少し人がいた方がいいかも」
「うわ、お菓子めっちゃこぼしてるー。誰ー」
1回目の上映を終え、木綿花たちは掃除をしていた。全体にシートを敷いているので、体育館の床を汚しているわけではないが、掃除するのはいささか面倒だ。それでも「コーラとポップコーンがないなんて映画館ではない!」と言い出した生徒がおり、「ポップコーンじゃない! ポテチだ!」と派閥ができてた。中にはホットスナックを出そうという話まで出たが、色々と大変なので却下した。それでもシートの上はお菓子が結構溢れてる。
「塵取り欲しい」
「あるんじゃない? とってくるよ」
木綿花は舞台裏近くにある倉庫に向かう。そこには用具の他ポップ等清掃用ぐが置かれているのを事前に把握していた。
「木綿花、お疲れ」
「理仁くん」
「掃除結構大変? 手伝おうか」
「助かるけど、次、大丈夫そう?」
「うん」
理仁は映画紹介文の練習をしていたが、暗記する必要はないので別に構わないと言った。
塵取りを持って元の場所に向かうと先ほどよりお菓子の滓が溜まっていた。
「掃除機の方がよかったかな」
「掃除機は今日終わってからでいいんじゃない?」
「そうだね」
「あと、5分で開場するよー」
「わー、急ごう!」
「休憩の人交代してね〜」
あわあわとしながらごみを取る。木綿花たちは掃除を急ピッチで終わらせると休憩のため、小体育館を飛び出した。
「あ、カレーの匂いがする」
「ほんとだ……。いい匂い」
小体育館を出ると芳しい香りが鼻腔を通り抜けた。とても食欲を唆る香りだ。小体育館に入った頃はまだ文化祭が始まったばかりだったので、いつもより少し賑わっているなーぐらいの感覚だった。だが、今はどこもかしこも楽しげな声が聞こえてきて、お祭り気分が伝わってくる。
「あー、タピオカある!」
「ほんとだ。飲む?」
「うん。あとででいいよ」
「果乃ちゃんはどこか行きたいところある?」
「先輩たちから買いに来いって言われてて、えっとなんだったっけ」
木綿花たちは食事をしようと中庭のエリアに向かった。そこには飲食店が集まっている。それぞれ揃いのはっぴやTシャツを着ているので、視覚的にもカラフルで楽しい。
「3ーC、あれだ。たこ焼き、お好み焼き、焼きそば、オムそばだって」
「メニュー多い! もめなんか買う?」
「ううん。わたしはスタミナ丼」
「スタミナ丼にも先輩いる」
「ほんと?」
「一緒についていくよ。そしたら安くしてくれるかも。というか安くさせる」
果乃実がにこにこしながら燃えている。美味しかったら理仁にも同じものを買って戻ろうと考えていた。
(理仁くんから“おすすめでいいよ”って言われたから美味しいものがいいよね)
自分が食べていないものを買っていくわけにもいかない。
「スタミナ丼ってどこ?」
「中庭の端っこの方だね」
「あ、じゃあ、あたしも行く。ロコモコが近くにあるみたい」
果乃実はオムそばを買いスタミナ丼の屋台に向かった。美結は隣でロコモコを購入する。文化祭の間だけ設置されている飲食スペースで、席を見つけて腰を下ろした。
「あれ、たこ焼きも買ったの?」
「うん。ロシアンたこ焼きは人気だからって押し付けられた」
「えー、いらなーい」
「意外とウケるから毎年どこかのクラスがやるみたいだけどね。これはあとで誰かにたべさせる」
「盛り上がりそうだね」
手を合わせ丼をぱかっと開けると、香ばしい匂いに思わず目を閉じた。これを食べたら絶対歯磨きしないといけないやつだ。
「スタミナ丼、美味しそうだね」
「うん、美味しい。ご飯が進む」
3人はもしゃもしゃと食べ進める。今日は生徒たちのみなので、賑わいはあるが、それほど混雑しているわけではない。
看板を持って集客している生徒、写真や動画を撮っている生徒。
先生たちも見回りつつ食事をしたり出し物を楽しんでいるようだ。担任の中原は小体育館に引きこもってずっと映画を見るつもりだと言っていたが。
「明日どれだけ人が来るかなぁ」
「どうだろう……。でも見たいものは今日のうちに行かないとだよね。絶対混むし。他になにかある?」
「体育館行きたい」
はい、と手を挙げたのは果乃実だ。
「体育館?」
「うん。1時からバンドがあるんだ。同じ部のメンバーが出るから」
果乃実がオムそばを啜りながら言う。
「バスケ部でバンド?」
「ううん。その子は昔ピアノをしていて、キーボードが足りないからって助っ人で駆り出されたんだって。本人は渋々みたいだけどね」
果乃実は肩を竦めた。
「美結は家庭部に行かなくていいの?」
「ううん。14時に交代〜」
「そうなんだ」
「ま、15時までの1時間だけどね」
ほとんど幽霊部員に近いが、美結は家庭部に入っている。文化祭中、展示品のほとんどは購入できるようで、美結は自作したアクセサリーや鞄、皮小物などを並べていると言った。
「ネットの商品とほとんど同じだよ。だからまぁ認知力上げるために少しだけね。あまり売り上げは期待してないけど」
美結は「ごちそうさまでした」と両手を合わせると「タピオカ買いに行って来るね!」と席を外した。ぴょんぴょん跳ねるツインテールの髪を見送り、果乃実と顔を合わせて「楽しそうだね」と笑いあった。
食事を終え、体育館に向かっていると、後ろから声をかけられた。
「織原さーん」
振り返ると知らない女子生徒と男子生徒が走ってくる。内心「誰?」と思いつつ「生徒会実行委員」と書かれた腕章を見て安堵した。
「白雪くんって今日は」
「当番です」
「ほらー、言ったじゃん」
「一瞬だけ、一瞬助けてくれない? お願い」
両手をパンと合わせた彼の後ろで女子生徒がやれやれと首を横に振っている。
「ごめんね、織原さん。気にしなくていいよ。ほら行くよ」
「えーー、あ、柏木さん! ミス藤コンに」
「お断りします」
「そんなぁ〜」
ずるずると引きづられていく彼らを苦笑して見送る。果乃実が哀れな眼差しを送りながら「聞いた話だけど」と切り出した。
「白雪がコンテスト出場断ったよね? それがなんかさ“本当のイケメンはそんなステージにたたない”とか言い出すやつが出てきて、参加者が辞退し始めたんだって」
「しるか! そんなん!」
「理仁くんはただ目立ちたくないだけだと思うけど」
「そうなんだけど、なんかかっこよく見えたらしいよ。むしろステージに立って“ミスターなんちゃら”なんて言われるのがダサいって」
木綿花は眉尻をへにょりと下げる。理仁の影響力はこんなところにもあるようだ。目立ちたくないのに目立つのは可哀想だと思う。
「あ、ちょうどバンド始まるんじゃない?」
「ほんとだ。準備してるね」
体育館には意外と大勢の生徒が集まっていた。木綿花たちも靴を脱ぎステージの近くに向かう。
「お友達って、あの?」
「うん」
キーボードが紅一点の5人組バンドだ。彼らは世間で流行っているJ-POPを皮切りに、盛り上がる選曲だ。3曲ほど続くとメンバー紹介が行われる。これもまた、本番さながらだった。
「ボーカルの子、一年だって」
「へー、知らないね」
「F組って知らないよね」
「うん。でもあまり派手なイメージはなかったかな」
3人で頷き合っていると、あと2曲ほどで終わりだという。
「次の曲は、ラブソングです。ーー俺にはずっと好きな人がいます!」
ーーーわぁああああああ!!
「待って、やばくない? こんなの無理! 断れないじゃん!」
「美結はね」
「果乃ちゃんは堂々と断りそう」
「そうだね」
きっと今日一番の盛り上がりを見せたシーンで、ボーカルの彼は意中の相手に告白した。恥ずかしそうに、だけどどこか誇らしげな表情を木綿花はじっと見つめる。
「心を込めて歌うので、どうか聞いてください」
(……すごいなぁ)
二人は高校に入って出会った同じクラスメイトだ。彼は彼女に一目惚れして、ずっと想いを募らせていたようだ。
その想いをこの機会に告げた。彼の得意な歌で。きっとそれが彼にとって一番気持ちを伝えられる方法だったんだろう。
(……わたしはどうやって伝えよう)
歌を終えた後、彼女の返事は「お願いします」とのことだった。会場はまた大盛り上がりで、最後の曲は結婚式で定番の曲だ。中には「早い早い」と笑う声も聞こえたけれど、オーディエンスはみんな楽しそう。
なにより、彼のまっすぐな気持ちが会場の片隅にいる木綿花にまで届いた。視線が声が表情が彼女に想いを告げている。眩しいぐらいの想いが伝わった。
理仁に会いたくなってしまうぐらいに。
「THE青春って感じだよね。なかなかないわ〜」
「美結はちょっとおばあちゃん入ってるよ」
「心は70歳です」
どやっと笑う美結に果乃実が笑い返す。
「もめ、白雪に会いたくなったんじゃない?」
「え?!」
「なんかちょっと寂しそう」
「そ、そんなことないよ」
慌てて否定したけれど、二人にはバレていたみたいだ。
「ご飯を届けないと!」
「それはそうだ」
「なんなら、白雪と舞台裏にいなよ。次当番だっけ?」
「ううん」
「いーなー。もめ暇なら家庭部に来てよ」
「いく!」
わいわいしながら木綿花たちは飲食店が集まる中庭に戻る。青空の下、浮かれた気分が木綿花の背中をそっと押してくれた。
美結と果乃実と一旦別れた木綿花は小体育館に戻った。会場は映画館さながらの暗室をイメージして、照明を消し太陽の光が入らないように暗幕を下ろしている。入り口から階段を登りギャラリーに向かうと、暗幕と窓のカーテンの間にあるアリーナ(通路)を足音を立てずに移動した。ちょうど舞台裏が見える踊り場までたどり着くと、理仁はカーテンの隙間からひとりで映画を眺めていた。
「(理仁くん)」
そっと声をかける。理仁は気配に気づいたらしく木綿花を見て目を丸くしていた。だが、その手に持つものを見て表情を緩める。
「(買ってきたよ)」
「(ありがとう)」
理仁は舞台袖から階段を登って木綿花の元まで来てくれた。ここはちょうどアリーナの通路からも舞台袖からも四角になっている。映画も観えないが音声はよく聞こえるので、遊園地に来た気分だった。
「お茶もいる?」
「うん。あると助かる」
「結局ね、スタミナ丼にしたの。元気になれそうなもの」
「ありがとう。いくらだった?」
理仁が支払おうとしたので、木綿花はそれを制する。
「いいの。前に……横浜でたくさん奢ってもらったから」
「……じゃあ、遠慮なく」
ありがとう、と理仁に言われて木綿花も嬉しくなる。
「ひとりだったの? 坂本くんたちは?」
「昼に行ったよ。もうすぐ戻ってくると思う」
坂本は映画の始まる際にロボットの役をして舞台に登場するだけの役割だ。当然掃除や見回りはするが、上映中は時間が空くので今のうちに食事行ったと言う。
理仁が弁当の蓋を開けるとニンニク醤油の香ばしい匂いがガツンと鼻にきた。わずかに空いた窓の近くなのでよかったが、これが舞台裏だと匂いがこもるかもしれない。
「ごめん、これ歯磨き必須です」
「大丈夫だよ。今日はほとんど人と会わないから」
理仁は笑みを浮かべながら手を合わせた。木綿花はそんな彼の様子を見てにこにこしてしまう。丁寧に手を合わせる彼がとても素敵だ。木綿花の家で食事をした時も食堂でも彼はちゃんと手を合わせて食べ始めている。
「いただきます」
「わたしが作ったんじゃないけど……どうぞお上がりください」
よほどお腹が空いていたのか理仁は大きな一口を頬張った。綺麗な顔をしているのに食べ方は豪快だ。頬いっぱいにして咀嚼する様子は子どもみたいだ。可愛いと思う。同時に彼がいつも誰かと食事ができればいいなと願ってしまった。やっぱり美味しいものは誰かと分かち合いたい。木綿花は両親も兄姉も仲がいいので考えたことはなかったが、ひとりで食事をするって寂しいと思う。
「外どんな感じ?」
「賑わってるよ。あ、実行委員の人が理仁くんを探してた」
「まだ諦めてなかったの、あの人たち」
理仁が呆れた声で言う。
「理仁くんは今日外に出ないつもり……だよね?」
「うん。明日より今日のプログラムの方が見応えあるし、ある意味充実してるよ」
理仁は普段滅多に映画を観ないという。興味がないわけではないが、映画を見るなら本を読む方が楽しいらしい。だからこんな機会はそうないと彼もまた文化祭を楽しんでいる。
「普通に観てるんだ」
「そうだね。中原先生もずっとギャラリーに座ってる」
木綿花は苦笑する。たしかに彼は朝からずっと座っている。さっきなんか「あとはビールがあれば最高なのに」と言いながら食事をしていた。
「今のところ大きなトラブルはなさそうだね」
「うん」
話しをしながら理仁の食事を眺めていると、アリーナから足音が聞こえてきた。振り返ると黒木が顔を覗かせる。彼の手にもビニール袋が下がっていた。
「なんだ。もめちゃんと食べてたのか」
「うん」
「理仁がぼっちで可哀想だから一緒に食おうと思って買ってきたのに」
黒木が優しい。木綿花はふにゃりと笑顔を作った。
「あ、でもわたしはもうすぐ行くよ?」
「行くの?」
「うん。美結ちゃんの展示を見たり、他の教室も見てくる。明日理仁くんと回る場所下見してくるから」
意気込んで言うと理仁は少しだけ残念そうな顔をする。
「今日も自由時間貰えばよかった」
「行ってくれば? それほどここに人は必要ないし」
「いや。実行委員に見つかると面倒だからもう少しここにいる」
ついさっき実行員の人が探していたという話を黒木にもすると彼もまた「しつこいな」と呆れていた。
「じゃあ、そろそろ行くね。理仁くん、黒木くん、また」
「うん」
「楽しんで」
二人に手を振り木綿花は彼らの元を後にする。振り返ると木綿花が座っていた場所に黒木が腰を下ろし、理仁と楽しげに話す様子が伺えた。