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偲愛  作者: 388
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6話 わたしが母になる

にぎやかだった週末が終わり、いつもの静けさが戻ってきた。

そろそろ、美月が学校から帰る時間だ。


テレビから流れるニュースに、思わず手が止まる。


「2年前から行方不明になっていた女子児童の遺体が、本日発見されました——」


胸の奥が、ひやりと冷たくなる。

嫌な予感が、じわじわと広がっていった。


ほんの数分前まで、確かにあった日常が、ぐらりと傾いた気がした。

頭の中で、美月の顔がぼやけて消えかける。


——もし、あの子がもう戻ってこなかったら?


「ちょっと出かけてくる!」


直人の「待って、美知!どこ行くの!」という声を背に、玄関のドアを乱暴に開ける。

考えるより先に、体が動いていた。


どこをどう行けばいいのかも分からない。

ただ、胸の奥がざわついて、足が勝手に前へ進んでいた。


(美月……)


頭の中に、ここ最近の彼女の姿が次々と浮かんでくる。


——アスレチックで「見ててね!」と笑いながら綱を渡っていた。

——帰り道、「また行きたいね」って小さくつぶやいた声。

——お風呂あがりに、手を広げてタオルをせがんできた無邪気な顔。

——文房具を、ひとつずつ大事そうに眺めていた姿。


私はこの子を知らないと思ってた。

けど違った。

ちゃんと見てた。ちゃんと一緒に過ごしてた。


その一つひとつが、今さらのように胸を打つ。


(いなくならないで。お願いだから)


喉が詰まり、鼓動が早くなる。苦しい。


気づけば足が止まり、目の前に見覚えのある公園が広がっていた。


午後の光が強くなり始め、日陰に伸びる木の影がゆっくりと揺れていた。

アスファルトには、風に揺れる葉の影がまだら模様を描いている。


ブランコに座る、小さな背中が目に入った。


——美月。


「美月ちゃん!! 遅いから心配しちゃった!」


声を張り上げた瞬間、美月がびくりと振り向く。


「お母さん、どうしたの?」


よく見ると、友達数人と遊んでいたようだった。

はしゃいでいた空気が、美知の勢いに押されて一瞬で静まる。


周囲の子どもたちは、ぽかんとした顔で美知を見上げていた。


美月は少し恥ずかしそうに、でも明るく、

「今日は先に帰るね」と友達に軽く手を振った。



帰り道、美月の小さな手をしっかりと握る。

強い日差しの中、街路樹の葉が風に揺れて、ちらちらと光をはじいていた。


「ごめんね……私、変なニュースを見ちゃって……

 美月ちゃんが急に、すごく心配になっちゃって……」


声が震えるのを、自分でも止められなかった。

頬を伝う涙に、美知は少し驚いていた。


美月は、母の涙を見るのが初めてだった。

驚いたように立ち止まり、美知の手をぎゅっと握り返す。


「……明日も、お迎えに来て」


その一言が、美知の胸に、じんわりと染み込んだ。


返事はできなかったけれど、美知は小さくうなずいた。

その手のぬくもりが、冷えていた心をあたためていく。



向こうの歩道から、ベビーカーを押す直人の姿が見えた。

律は、陽射しの中ですやすやと眠っている。


泣いている美知と、その手を握る美月。

その光景を目にし、直人の足がふと止まった。


「美知……どうしたの? 何かあった?」


戸惑いをにじませながら、そっと声をかける。

美知は涙をぬぐい、かすかに首を振った。


代わりに、美月が笑顔で言う。


「お母さん、ニュース見て怖くなっちゃったんだって。

 だから、走ってきたの」


あっけらかんとした口ぶり。

でも、その手はちゃんと母の手を握っていた。


直人がそっと美知の肩に手を添える。


言葉はなかったけれど、その手の重さが、美知の揺れる心を受け止めてくれる。


しばらくの沈黙のあと——

美知は、律の眠る顔に目を向けた。


——美月の手のぬくもり。

——律の、静かな寝息。

——そして、自分でも抑えられなかった涙。


自分は、美月をちゃんと愛している。

律のことも、大切に育てていきたいと、心から思っている。


記憶がなくてもかまわない。

これからを生きる母として、自分自身と向き合っていく。

——もう、逃げない。


そう思ったとき、美知はようやく、静かに深く、息を吐いた。


「ありがとう」

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